オール男性の宮本亜門演出『サド侯爵夫人』を観た ― 2026年01月11日
紀伊國屋サザンシアターで『サド侯爵夫人』(作:三島由紀夫、演出:宮本亜門、出演:成宮寛貴、東出昌大、三浦涼介、大鶴佐助、首藤康之、加藤雅也)を観た。三島戯曲の最高峰と言われる芝居である。
昨年1月の「三島由紀夫生誕百年のつどい」というイベントをネット動画で観た。このイベントで村松英子と対談した宮本亜門が「今年は『サド侯爵夫人』に挑戦する」と述べていたので心待ちにしていた。宮本亜門演出の三島作品を観るのは『ライ王のテラス』に続いて2本目である。
この芝居の登場人物6人は全員女性である。今回の公演はそれを男性が演じている。私は14年前に蜷川幸雄演出の『サド侯爵夫人』を観たが、あのときも男優が6人の女性を演じていた。18世紀末フランスの貴婦人たちの会話劇という異世界めいた舞台を構築するには、リアルな女優より異形の男優の方が適しているのかもしれない。
開幕時刻、まだ客席の灯りが点いているとき、舞台中央に男が現れ、何かアナウンスをする気配で立つ。客席のざわめきが次第におさまるが、男は無言のまま数分間立ち続ける。そして「三島由紀夫自決5年前の作品」と叫び、舞台後方へ去る。彼は家政婦シャルロット役の首藤康之だった。もちろん戯曲にはない趣向だ。
この前口上を聞いたとき、私はドキッとした。観劇前日、この戯曲の執筆時期が気になり、自決(1970年11月)の5年前の1965年だと確認した。そして、この時期は文学者・三島由紀夫の最盛期だったのではと感じたばかりだった。
『サド侯爵夫人』は『文芸 1965年11月号』に発表された。私が高校2年のときだ。私はこの雑誌で『サド侯爵夫人』を読んだ。その雑誌はいまも保管している。古書で入手した雑誌なので、読んだのは発表から1年ほど経ってからのような気がする。戯曲発表と同時に『サド侯爵夫人』は劇団NLTで上演(出演:丹阿弥律子、村松英子、他)、新聞などで大きく取り上げられた。当時の好評が記憶に残っている。
あらためて1965年という時期を振り返ってみる。三島由紀夫はまだ自衛隊に体験入隊していないし、盾の会も発足していない。川端康成のノーベル文学賞受賞(1968年)の3年前で、三島由紀夫は日本人初のノーベル文学賞受賞者になると目されていた。自作を自ら脚色・監督・主演した映画『憂国』を完成させ、ライフワーク『豊穣の海』の第1作『春の海』の連載を開始したのが1965年である。
そんな時期に発表した『サド侯爵夫人』は、優雅で華麗な台詞を交錯させながら時代と状況が変転していく三幕劇である。この芝居にサド侯爵は登場しない。ほぼ全編、サド侯爵の行状や人間像を巡る女性たちの会話で成り立っている。
第1幕は1772年、サド侯爵は逃亡中である。第2幕は6年後の1778年、サド侯爵は獄中にいる。第3幕は12年後の1790年、フランス革命勃発後の騒然とした時代である。革命によってサド侯爵は牢獄から解放され帰ってくる。老いたサド侯爵が屋敷の戸口に到着したと家政婦が告げるシーンで幕になる。よくできた構成だ。
貴婦人を演じる男優たちに違和感はまったくない。衣装はやや抽象的なロングドレスである。サド侯爵夫人のルネ(成宮寛貴)は白、他の夫人たちは黒と色分けしている。ルネの妹アンヌ(三浦涼介)だけはドレスでなく露出度の高いエロチックな衣装だ。アンヌの位置づけを鮮明にする仕掛けだろう。
この公演のラストシーンには驚いた。帰還したサド侯爵を拒絶したルネは修道院に向かう。舞台中央に立ったルネは客席に背を向けて舞台奥へ歩いて行く。そのとき。白いドレスを脱ぎ捨てて全裸になるのだ。この世の俗事を脱ぎ捨て、男も女も超えた人間ならざる者へ脱皮する姿を表しているようにも見える。男優起用ならではの演出だと思った。
昨年1月の「三島由紀夫生誕百年のつどい」というイベントをネット動画で観た。このイベントで村松英子と対談した宮本亜門が「今年は『サド侯爵夫人』に挑戦する」と述べていたので心待ちにしていた。宮本亜門演出の三島作品を観るのは『ライ王のテラス』に続いて2本目である。
この芝居の登場人物6人は全員女性である。今回の公演はそれを男性が演じている。私は14年前に蜷川幸雄演出の『サド侯爵夫人』を観たが、あのときも男優が6人の女性を演じていた。18世紀末フランスの貴婦人たちの会話劇という異世界めいた舞台を構築するには、リアルな女優より異形の男優の方が適しているのかもしれない。
開幕時刻、まだ客席の灯りが点いているとき、舞台中央に男が現れ、何かアナウンスをする気配で立つ。客席のざわめきが次第におさまるが、男は無言のまま数分間立ち続ける。そして「三島由紀夫自決5年前の作品」と叫び、舞台後方へ去る。彼は家政婦シャルロット役の首藤康之だった。もちろん戯曲にはない趣向だ。
この前口上を聞いたとき、私はドキッとした。観劇前日、この戯曲の執筆時期が気になり、自決(1970年11月)の5年前の1965年だと確認した。そして、この時期は文学者・三島由紀夫の最盛期だったのではと感じたばかりだった。
『サド侯爵夫人』は『文芸 1965年11月号』に発表された。私が高校2年のときだ。私はこの雑誌で『サド侯爵夫人』を読んだ。その雑誌はいまも保管している。古書で入手した雑誌なので、読んだのは発表から1年ほど経ってからのような気がする。戯曲発表と同時に『サド侯爵夫人』は劇団NLTで上演(出演:丹阿弥律子、村松英子、他)、新聞などで大きく取り上げられた。当時の好評が記憶に残っている。
あらためて1965年という時期を振り返ってみる。三島由紀夫はまだ自衛隊に体験入隊していないし、盾の会も発足していない。川端康成のノーベル文学賞受賞(1968年)の3年前で、三島由紀夫は日本人初のノーベル文学賞受賞者になると目されていた。自作を自ら脚色・監督・主演した映画『憂国』を完成させ、ライフワーク『豊穣の海』の第1作『春の海』の連載を開始したのが1965年である。
そんな時期に発表した『サド侯爵夫人』は、優雅で華麗な台詞を交錯させながら時代と状況が変転していく三幕劇である。この芝居にサド侯爵は登場しない。ほぼ全編、サド侯爵の行状や人間像を巡る女性たちの会話で成り立っている。
第1幕は1772年、サド侯爵は逃亡中である。第2幕は6年後の1778年、サド侯爵は獄中にいる。第3幕は12年後の1790年、フランス革命勃発後の騒然とした時代である。革命によってサド侯爵は牢獄から解放され帰ってくる。老いたサド侯爵が屋敷の戸口に到着したと家政婦が告げるシーンで幕になる。よくできた構成だ。
貴婦人を演じる男優たちに違和感はまったくない。衣装はやや抽象的なロングドレスである。サド侯爵夫人のルネ(成宮寛貴)は白、他の夫人たちは黒と色分けしている。ルネの妹アンヌ(三浦涼介)だけはドレスでなく露出度の高いエロチックな衣装だ。アンヌの位置づけを鮮明にする仕掛けだろう。
この公演のラストシーンには驚いた。帰還したサド侯爵を拒絶したルネは修道院に向かう。舞台中央に立ったルネは客席に背を向けて舞台奥へ歩いて行く。そのとき。白いドレスを脱ぎ捨てて全裸になるのだ。この世の俗事を脱ぎ捨て、男も女も超えた人間ならざる者へ脱皮する姿を表しているようにも見える。男優起用ならではの演出だと思った。
初春大歌舞伎の「女殺油地獄」に引き込まれた ― 2026年01月05日
歌舞伎座で初春大歌舞伎の「昼の部」と「夜の部」を通しで観た。演目は以下の通りだ。
《昼の部
當午歳歌舞伎賑(あたるうまどしかぶきのにぎわい)
〈正札附根元草摺〉
〈萬歳〉
〈木挽の闇爭〉
蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)
実盛物語(源平布引滝)
《夜の部》
女暫(おんなしばらく)
鬼次拍子舞(おにじひょうしまい)
女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)
昼の部の1番目は曾我兄弟の仇討ちをベースにした祝祭的な演目で正月気分になる。「蜘蛛絲梓弦」は尾上右近が八変化の早替わりで楽しませてくれる。七変化までは女郎蜘蛛の精が化けた魔物だが、最後の変化は女郎蜘蛛を退治す武将だった。
昼の部最後の「実盛物語」は有名な演目だが私は初見だ。かなりヘンな話である。
夜の部の1番目は荒事の「暫」を女形が演じるという不思議な趣向で、本来は團十郎が演じる特徴的な大きな四角の大紋袖の姿で女形の中村七之助が登場した。見栄を切ったあと「ああ恥ずかしい」とつぶやくのが面白い。ラストの六方では、中村七之助のSOSに応じて舞台番の松本幸四郎が現れて七之助に六方を教えるという楽屋落ち的な芝居で笑わせてくれた。
今回の観劇の私の目当ては夜の部最後の「女殺油地獄」である。近松門左衛門のこの高名作品を私はまだ舞台で観ていなかった。観劇前に台本は読んだ。今回の公演は与兵衛(殺す役)とお吉(殺される役)がダブルキャストで、Aプロは松本幸四郎と坂東新悟、Bプロは中村隼人と中村米吉である。私が観たのはBプロだ。
若い中村隼人が演じる「女殺油地獄」は緊張感と迫力があり、とてもよかった。目出度い正月気分にそぐわないかもしれないが、舞台に引き込まれた。佐藤信らが現代劇にアレンジした気分がわかる。
私の席は花道から2列目だった。花道から2列目までの座席には畳んだビニル―シートが置いてあり、「女殺油地獄の最後にお使いください」とあった。アングラのテント芝居の最前列は、舞台から飛んでくる水などから身を守るためのビニールシートが用意されることがある。歌舞伎座でもテント芝居と似たビニールシートが用意されるのかと驚いた。
舞台で与兵衛が油まみれになって滑って転ぶシーンは、本物の油を使っているように見えた。どんな油かはわからないが、あの油が飛んでくると大変かもしれない。油まみれになった与兵衛が花道を駆けて引っ込むとき、多少は期待したのだが、さほど飛び散っているようには見えなかった。
《昼の部
當午歳歌舞伎賑(あたるうまどしかぶきのにぎわい)
〈正札附根元草摺〉
〈萬歳〉
〈木挽の闇爭〉
蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)
実盛物語(源平布引滝)
《夜の部》
女暫(おんなしばらく)
鬼次拍子舞(おにじひょうしまい)
女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)
昼の部の1番目は曾我兄弟の仇討ちをベースにした祝祭的な演目で正月気分になる。「蜘蛛絲梓弦」は尾上右近が八変化の早替わりで楽しませてくれる。七変化までは女郎蜘蛛の精が化けた魔物だが、最後の変化は女郎蜘蛛を退治す武将だった。
昼の部最後の「実盛物語」は有名な演目だが私は初見だ。かなりヘンな話である。
夜の部の1番目は荒事の「暫」を女形が演じるという不思議な趣向で、本来は團十郎が演じる特徴的な大きな四角の大紋袖の姿で女形の中村七之助が登場した。見栄を切ったあと「ああ恥ずかしい」とつぶやくのが面白い。ラストの六方では、中村七之助のSOSに応じて舞台番の松本幸四郎が現れて七之助に六方を教えるという楽屋落ち的な芝居で笑わせてくれた。
今回の観劇の私の目当ては夜の部最後の「女殺油地獄」である。近松門左衛門のこの高名作品を私はまだ舞台で観ていなかった。観劇前に台本は読んだ。今回の公演は与兵衛(殺す役)とお吉(殺される役)がダブルキャストで、Aプロは松本幸四郎と坂東新悟、Bプロは中村隼人と中村米吉である。私が観たのはBプロだ。
若い中村隼人が演じる「女殺油地獄」は緊張感と迫力があり、とてもよかった。目出度い正月気分にそぐわないかもしれないが、舞台に引き込まれた。佐藤信らが現代劇にアレンジした気分がわかる。
私の席は花道から2列目だった。花道から2列目までの座席には畳んだビニル―シートが置いてあり、「女殺油地獄の最後にお使いください」とあった。アングラのテント芝居の最前列は、舞台から飛んでくる水などから身を守るためのビニールシートが用意されることがある。歌舞伎座でもテント芝居と似たビニールシートが用意されるのかと驚いた。
舞台で与兵衛が油まみれになって滑って転ぶシーンは、本物の油を使っているように見えた。どんな油かはわからないが、あの油が飛んでくると大変かもしれない。油まみれになった与兵衛が花道を駆けて引っ込むとき、多少は期待したのだが、さほど飛び散っているようには見えなかった。
『焼肉ドラゴン』は賑やかで哀切 ― 2025年12月21日
新国立劇場中劇場で『焼肉ドラゴン』(作・演出:鄭義信、出演:千葉哲也、村川絵梨、智順、北野秀気、イ・ヨンソク、コ・スヒ、、チョン・スヨン、他)を観た。日韓国交正常化60周年記念公演の凱旋公演と銘打った公演である。
私は鄭義信の舞台は『てなもんや三文オペラ』、『パラサイト』、『泣くロミオと怒るジュリエット 2025』を観ているが、代表作とも言える『焼肉ドラゴン』(初演は2008年)を観るのは初めてである。
時代は1970年、場所は大阪の在日韓国人・在日朝鮮人たちが集まる焼肉屋『焼肉ドラゴン』である。猥雑で騒々しい世界を描いた舞台で、鄭義信の原点のような芝居に思えた。
上演時間は3時間10分(休憩20分を含む)。開演の20分前(開場後10分)から舞台上の焼き肉屋『焼肉ドラゴン』では宴会が始まっている。賑やかな舞台は、テンポよく進行し、哀切なシーンで幕切れとなる。
1970年は大阪万博の年であり、三島由紀夫が自決した年である。この芝居には、これらのイベントをはじめ、あの頃のCMフレーズ(「男は黙ってサッポロビール」「Oh! モーレツ」「クリープを入れないコーヒーなんて」など)や昭和歌謡がふんだんに盛り込まれている。当時学生だった私にとっては懐かしさあふれる舞台である。
この芝居で身につまされるのは、焼き肉屋の長女とその夫が、幕切れ近くで北朝鮮への帰還船に乗ってしまうことだ。「地上の楽園」とうたわれた北への帰還運動は1967年頃までだそうだが、1970年頃も続いていたのだろうか。芝居では「地上の楽園」を疑う台詞もあるが、あの頃の北朝鮮にはまだ独特の幻想があった。よど号ハイジャック事件も1970年だった。
この舞台を観て、人は、時代という時空の制約のなかでもがいて生きていくしかない存在だとの感慨にとらわれた。
私は鄭義信の舞台は『てなもんや三文オペラ』、『パラサイト』、『泣くロミオと怒るジュリエット 2025』を観ているが、代表作とも言える『焼肉ドラゴン』(初演は2008年)を観るのは初めてである。
時代は1970年、場所は大阪の在日韓国人・在日朝鮮人たちが集まる焼肉屋『焼肉ドラゴン』である。猥雑で騒々しい世界を描いた舞台で、鄭義信の原点のような芝居に思えた。
上演時間は3時間10分(休憩20分を含む)。開演の20分前(開場後10分)から舞台上の焼き肉屋『焼肉ドラゴン』では宴会が始まっている。賑やかな舞台は、テンポよく進行し、哀切なシーンで幕切れとなる。
1970年は大阪万博の年であり、三島由紀夫が自決した年である。この芝居には、これらのイベントをはじめ、あの頃のCMフレーズ(「男は黙ってサッポロビール」「Oh! モーレツ」「クリープを入れないコーヒーなんて」など)や昭和歌謡がふんだんに盛り込まれている。当時学生だった私にとっては懐かしさあふれる舞台である。
この芝居で身につまされるのは、焼き肉屋の長女とその夫が、幕切れ近くで北朝鮮への帰還船に乗ってしまうことだ。「地上の楽園」とうたわれた北への帰還運動は1967年頃までだそうだが、1970年頃も続いていたのだろうか。芝居では「地上の楽園」を疑う台詞もあるが、あの頃の北朝鮮にはまだ独特の幻想があった。よど号ハイジャック事件も1970年だった。
この舞台を観て、人は、時代という時空の制約のなかでもがいて生きていくしかない存在だとの感慨にとらわれた。
討ち入りの日に『 つか版・忠臣蔵2025』を観た ― 2025年12月15日
昨日(2025.12.14)、紀伊国屋ホールで幻冬舎Presents 劇団扉座第80回公演『 つか版・忠臣蔵2025』(原作:つかこうへい、脚本・演出:横内謙介、企画:見城徹、出演:岡森諦、山本亨、中原三千代、犬飼淳治、砂田桃子、他)を観た。
劇団扉座の芝居も『つか版・忠臣蔵』も、私には初見だ。賑やかで華々しく、目まぐるしくて楽しい舞台だった。私は忠臣蔵ファンなので、かなりのフィクションやノンフィクションを読んできた。映像もそれなりに観ている。だが『つか版・忠臣蔵』は見落としていた。しかも、観劇当日が討ち入りの日とは失念していた。舞台で「時は元禄15年12月14日……」を聞いて、今日が討ち入りの日だと思い出した。忠臣蔵ファン返上か……
『つか版・忠臣蔵』の戯曲は読んでいないが、やる気のない赤穂浪士たちを宝井其角がたきつけて討ち入りを実現させ「忠臣蔵の物語」を仕立て上げる話だとは承知していた。つかこうへいらしい切り口だ。
エンタメとしての忠臣蔵にはバリエーションが無数にある。吉良が善人、浪士が悪人というパターンでは、子供の頃にシャボン玉ホリデーで観たコントが印象深い。食い詰めた赤穂浪士が吉良邸に無心に押しかけ、吉良は「おまえらを心配していた」と歓待するも心臓発作で急死、浪士たちはその急死を復讐に仕立て上げて「エイエイオウ」と叫ぶ。
『つか版・忠臣蔵』は、愚鈍な内匠頭や怠惰な浪士たちを物語の人物に仕立てあげるだけでなく、善人で気弱な吉良を悪役に誘導する話になっている。その算段が面白い。まさに、つかこうへいの世界だ。
今回の舞台は脚本・横内謙介だから、つかこうへいの戯曲をアレンジしているのだと思う。どこまでがつかこうへいで、どこからが横内謙介なのか、私にはわからない。二人の相乗効果でより面白くなっているのだろうとは想像できる。芝居のなかの台詞でも何度か語られるが、元禄時代に成立した忠臣蔵の物語の寿命は21世紀にまで達している。驚異の普遍的なエンタメだと思う。
私が観た討ち入りの日の公演は千秋楽で、カーテンコールには勧進元の見城徹も登場した。あらためて、忠臣蔵は祝祭劇だと思った。
劇団扉座の芝居も『つか版・忠臣蔵』も、私には初見だ。賑やかで華々しく、目まぐるしくて楽しい舞台だった。私は忠臣蔵ファンなので、かなりのフィクションやノンフィクションを読んできた。映像もそれなりに観ている。だが『つか版・忠臣蔵』は見落としていた。しかも、観劇当日が討ち入りの日とは失念していた。舞台で「時は元禄15年12月14日……」を聞いて、今日が討ち入りの日だと思い出した。忠臣蔵ファン返上か……
『つか版・忠臣蔵』の戯曲は読んでいないが、やる気のない赤穂浪士たちを宝井其角がたきつけて討ち入りを実現させ「忠臣蔵の物語」を仕立て上げる話だとは承知していた。つかこうへいらしい切り口だ。
エンタメとしての忠臣蔵にはバリエーションが無数にある。吉良が善人、浪士が悪人というパターンでは、子供の頃にシャボン玉ホリデーで観たコントが印象深い。食い詰めた赤穂浪士が吉良邸に無心に押しかけ、吉良は「おまえらを心配していた」と歓待するも心臓発作で急死、浪士たちはその急死を復讐に仕立て上げて「エイエイオウ」と叫ぶ。
『つか版・忠臣蔵』は、愚鈍な内匠頭や怠惰な浪士たちを物語の人物に仕立てあげるだけでなく、善人で気弱な吉良を悪役に誘導する話になっている。その算段が面白い。まさに、つかこうへいの世界だ。
今回の舞台は脚本・横内謙介だから、つかこうへいの戯曲をアレンジしているのだと思う。どこまでがつかこうへいで、どこからが横内謙介なのか、私にはわからない。二人の相乗効果でより面白くなっているのだろうとは想像できる。芝居のなかの台詞でも何度か語られるが、元禄時代に成立した忠臣蔵の物語の寿命は21世紀にまで達している。驚異の普遍的なエンタメだと思う。
私が観た討ち入りの日の公演は千秋楽で、カーテンコールには勧進元の見城徹も登場した。あらためて、忠臣蔵は祝祭劇だと思った。
『泣き虫なまいき石川啄木』はコミカルでシリアス ― 2025年12月09日
紀伊國屋サザンシアターでこまつ座公演『泣き虫なまいき石川啄木』 (作:井上ひさし、演出:鵜山仁、出演:西川大貴、北川理恵、山西惇、那須佐代子、深沢樹、眞島秀和)を観た。
戯曲はかなり以前に読んだが、舞台を観るのは初めてである。一度聞いたら忘れられない秀逸な表題だ。石川啄木には確かに「泣き虫」「なまいき」というイメージがある。だが、この芝居の啄木は、さほど泣き虫でも生意気でもない。自己過信と過酷な実生活のあいだでもがく若者である。26歳で早世した啄木の晩年数年の家庭生活を描いている。
啄木と妻・節子との間には幼い京子がいる。床屋の2階を間借りした住居には啄木の母・カツが同居している。カツと節子は不仲だ。朝日新聞校正係の職を得た啄木は、すでに『一握の砂』を出版している。だが生活は楽でない。新聞社に行く電車賃もない。そこへ無職の禅僧である父・一禎が転がり込んでくる。一禎とカツの夫婦仲も悪い。
そんな家族をかかえた啄木に同情する。だが、啄木自身も頭デッカチの借金王である。何事かをなそうと夢想しつつ「実生活の白兵戦」に直面している。コミカルでシリアスな芝居だ。献身的な友人・金田一京助の姿が面白い。身勝手に禅僧ぶる父の人物造型も巧みだ。
この芝居の初演は1986年、その上演期間中に、井上ひさしは記者会見を開く。座長だった妻・好子の座長退任と離婚の発表である。妻の不倫が原因の離婚らしい。この会見で、井上ひさしは次のように語ったそうだ。
「私は物書きなので、自分の考えていることを言葉で、アドリブで話すのは苦手です。これまでの気持ちについては。『泣き虫なまいき石川啄木』に書いたつもりだし、読んでいただければ分かります。」(新潮文庫の扇田昭彦・解説より)
井上家の家庭騒動に関しては何年か前に、元妻の本や娘の本を読んだことがあり、タイヘンな家族だなと思った。
そんな知識による予断をもってこの芝居を観たので、妻への不信に苦悩する啄木は作者自身の反映にも思える。だが、浄化されすぎているようにも感じる。浄化こそが作者の思いとしてもいいのだが、記者会見の発言は作家らしい韜晦のように思える。この芝居は、私芝居というよりは作家精神を発揮した創作だと思う。
戯曲はかなり以前に読んだが、舞台を観るのは初めてである。一度聞いたら忘れられない秀逸な表題だ。石川啄木には確かに「泣き虫」「なまいき」というイメージがある。だが、この芝居の啄木は、さほど泣き虫でも生意気でもない。自己過信と過酷な実生活のあいだでもがく若者である。26歳で早世した啄木の晩年数年の家庭生活を描いている。
啄木と妻・節子との間には幼い京子がいる。床屋の2階を間借りした住居には啄木の母・カツが同居している。カツと節子は不仲だ。朝日新聞校正係の職を得た啄木は、すでに『一握の砂』を出版している。だが生活は楽でない。新聞社に行く電車賃もない。そこへ無職の禅僧である父・一禎が転がり込んでくる。一禎とカツの夫婦仲も悪い。
そんな家族をかかえた啄木に同情する。だが、啄木自身も頭デッカチの借金王である。何事かをなそうと夢想しつつ「実生活の白兵戦」に直面している。コミカルでシリアスな芝居だ。献身的な友人・金田一京助の姿が面白い。身勝手に禅僧ぶる父の人物造型も巧みだ。
この芝居の初演は1986年、その上演期間中に、井上ひさしは記者会見を開く。座長だった妻・好子の座長退任と離婚の発表である。妻の不倫が原因の離婚らしい。この会見で、井上ひさしは次のように語ったそうだ。
「私は物書きなので、自分の考えていることを言葉で、アドリブで話すのは苦手です。これまでの気持ちについては。『泣き虫なまいき石川啄木』に書いたつもりだし、読んでいただければ分かります。」(新潮文庫の扇田昭彦・解説より)
井上家の家庭騒動に関しては何年か前に、元妻の本や娘の本を読んだことがあり、タイヘンな家族だなと思った。
そんな知識による予断をもってこの芝居を観たので、妻への不信に苦悩する啄木は作者自身の反映にも思える。だが、浄化されすぎているようにも感じる。浄化こそが作者の思いとしてもいいのだが、記者会見の発言は作家らしい韜晦のように思える。この芝居は、私芝居というよりは作家精神を発揮した創作だと思う。
「俳優」にこだわり続ける山崎努の自伝を読んだ ― 2025年12月05日
俳優・山崎努の自伝エッセイを読んだ。
『「俳優」の肩ごしに』(山崎努/文春文庫/2025.1)
この自伝、日経新聞の「私の履歴書」(2022年8月)がベースで、私はこの新聞連載を読んでいる。文庫本でまとめて読み返して、山崎努の芝居にかける熱い思いをあらためて感得した。自伝と言うより俳優論に近い。
私が山崎努を知ったのは映画『天国と地獄』である。その後、映画やテレビでは何度も観てきたが舞台は観ていない。現在89歳の山崎努は、61歳で主演した『リア王』(1998年1~2月)を最後の舞台出演とした。今後も彼の舞台を観ることはないだろう。
山崎努は「役者」という言葉が嫌いで「俳優」という言葉を使う。役者は古典芸能の技能者、俳優は体力勝負の永遠の素人という認識である。だから、自由に跳んだり跳ねたりするのが難しくなる60代で舞台出演をやめたようだ。「役者」と「俳優」の違いは私の語感とは少し異なる。だが、「俳優」を「演じる人間」として見つめる視線はよくわかる。
本書は自身のことを「ツトムくん」と呼んでいる。タイトルにあるように、演じるツトムくんを、著者が肩越しに眺めているのだ。面白い書き方だ。読者は、そんな著者を肩越しに見ている気分になる。
新聞連載を読んでいるとき、私はアラバールという劇作家の『建築家とアッシリアの皇帝』を知って興味を抱き、この芝居に関する数回分を切り抜いて保存した。連載の3カ月後、この芝居の上演を知り、古書で戯曲を入手、芝居(出演:岡本健一、成河)を観た。本書を読み返し、やはり『建築家とアッシリアの皇帝』のくだりが圧巻だと思った。
俳優座養成所から文学座に入った山崎努は、劇団「雲」設立騒動のときに劇団「雲」に移籍する。そして、11年間在籍した劇団「雲」を退団するとき、最後の区切りとして自ら企画したのが二人芝居『建築家とアッシリアの皇帝』なのだ。肉体を酷使する滑稽な不条理劇で、山崎努の相方をつとめる若手俳優が次々と脱落していく。61歳を機に舞台出演をやめた山崎努の心意気の背景がわかる芝居である。
『「俳優」の肩ごしに』(山崎努/文春文庫/2025.1)
この自伝、日経新聞の「私の履歴書」(2022年8月)がベースで、私はこの新聞連載を読んでいる。文庫本でまとめて読み返して、山崎努の芝居にかける熱い思いをあらためて感得した。自伝と言うより俳優論に近い。
私が山崎努を知ったのは映画『天国と地獄』である。その後、映画やテレビでは何度も観てきたが舞台は観ていない。現在89歳の山崎努は、61歳で主演した『リア王』(1998年1~2月)を最後の舞台出演とした。今後も彼の舞台を観ることはないだろう。
山崎努は「役者」という言葉が嫌いで「俳優」という言葉を使う。役者は古典芸能の技能者、俳優は体力勝負の永遠の素人という認識である。だから、自由に跳んだり跳ねたりするのが難しくなる60代で舞台出演をやめたようだ。「役者」と「俳優」の違いは私の語感とは少し異なる。だが、「俳優」を「演じる人間」として見つめる視線はよくわかる。
本書は自身のことを「ツトムくん」と呼んでいる。タイトルにあるように、演じるツトムくんを、著者が肩越しに眺めているのだ。面白い書き方だ。読者は、そんな著者を肩越しに見ている気分になる。
新聞連載を読んでいるとき、私はアラバールという劇作家の『建築家とアッシリアの皇帝』を知って興味を抱き、この芝居に関する数回分を切り抜いて保存した。連載の3カ月後、この芝居の上演を知り、古書で戯曲を入手、芝居(出演:岡本健一、成河)を観た。本書を読み返し、やはり『建築家とアッシリアの皇帝』のくだりが圧巻だと思った。
俳優座養成所から文学座に入った山崎努は、劇団「雲」設立騒動のときに劇団「雲」に移籍する。そして、11年間在籍した劇団「雲」を退団するとき、最後の区切りとして自ら企画したのが二人芝居『建築家とアッシリアの皇帝』なのだ。肉体を酷使する滑稽な不条理劇で、山崎努の相方をつとめる若手俳優が次々と脱落していく。61歳を機に舞台出演をやめた山崎努の心意気の背景がわかる芝居である。
反戦地主の家族の世代交代を描いた『カタブイ、2025』 ― 2025年12月01日
紀伊國屋ホールで『カタブイ、2025』(脚本・演出:内藤裕子、出演:升毅、佐藤直子、馬渡亜樹、当銘由亮、古謝渚、宮城はるの、山下瑛英)を観た。沖縄の基地問題をテーマにした三部作(『カタブイ、1972』、『カタブイ、1995』、『カタブイ、2025』)の最終公演である。
私は昨年3月沖縄に行っていて、上演中の『カタブイ、1995』を那覇市のひめゆりホールで観た。そのとき、この芝居が三部作の2作目だと知った。その3作目が東京で上演されると知り、行きがかり上、観劇せねばという気になった。
脚本・演出の内藤裕子氏は埼玉出身で、沖縄の人ではない。プロデューサーからこの作品を依頼されたときは固辞したが説得され、調査や取材を重ねて芝居を完成させた。2022年上演の1作目『カタブイ、1972』はハヤカワ「悲劇喜劇」賞と鶴屋南北戯曲賞を受賞したそうだ。私は2作目と3作目しか観ていないが、よくできた芝居だと思う。押しつけがましいメッセージ性を抑え、沖縄の状況を多面的に浮かび上がらせている。
「カタブイ」は「片降い」と書く。本土から見た沖縄を「遠い土砂降り」と見なしたタイトルのようだ。沖縄の反戦地主の家族を描いた家族劇である。三部作はそれぞれ本土復帰直前の1972年、米兵少女暴行事件の1995年、現在の2025年が舞台である。第1作から第2作目までの時間経過が23年、第2作から第3作目までの時間経過が30年――世代交代していく家族の物語でもある。
1972年、東京の「杉浦君」という大学生がサトウキビ刈りの援農に来る。この学生は一家の同世代の娘にプロポーズしたがフラれたようだ(2作目、3作目から推測)。2作目ではこの学生が突然23年ぶりに家族を訪問し、3作目ではその30年後にまたも唐突に訪問する。この学生、私とほぼ同世代だから3作目では70代だ。70代になっても「杉浦君」のままである。
2作目も3作目もサトウキビ刈りが背景にある。3作目の茶の間のセットのカレンダーは2月で、途中から3月になる。ちょっと気になって調べてみると、サトウキビ収穫の最盛期は1月から3月だそうだ。この芝居は2025年2月から3月の話なのだ。
反戦地主の家族が世代交代していく姿は、時代とともに変化していく人々の思いと持続する志のせめぎあいであり、それを包み込むのが三線とカチャーシーの祝祭時空である。飲んで歌って踊れば問題が解消するわけではない。だが、カチャーシーが言葉でとらえることのできないな何かを探る祈りか呪文のように見えてくる。
私は昨年3月沖縄に行っていて、上演中の『カタブイ、1995』を那覇市のひめゆりホールで観た。そのとき、この芝居が三部作の2作目だと知った。その3作目が東京で上演されると知り、行きがかり上、観劇せねばという気になった。
脚本・演出の内藤裕子氏は埼玉出身で、沖縄の人ではない。プロデューサーからこの作品を依頼されたときは固辞したが説得され、調査や取材を重ねて芝居を完成させた。2022年上演の1作目『カタブイ、1972』はハヤカワ「悲劇喜劇」賞と鶴屋南北戯曲賞を受賞したそうだ。私は2作目と3作目しか観ていないが、よくできた芝居だと思う。押しつけがましいメッセージ性を抑え、沖縄の状況を多面的に浮かび上がらせている。
「カタブイ」は「片降い」と書く。本土から見た沖縄を「遠い土砂降り」と見なしたタイトルのようだ。沖縄の反戦地主の家族を描いた家族劇である。三部作はそれぞれ本土復帰直前の1972年、米兵少女暴行事件の1995年、現在の2025年が舞台である。第1作から第2作目までの時間経過が23年、第2作から第3作目までの時間経過が30年――世代交代していく家族の物語でもある。
1972年、東京の「杉浦君」という大学生がサトウキビ刈りの援農に来る。この学生は一家の同世代の娘にプロポーズしたがフラれたようだ(2作目、3作目から推測)。2作目ではこの学生が突然23年ぶりに家族を訪問し、3作目ではその30年後にまたも唐突に訪問する。この学生、私とほぼ同世代だから3作目では70代だ。70代になっても「杉浦君」のままである。
2作目も3作目もサトウキビ刈りが背景にある。3作目の茶の間のセットのカレンダーは2月で、途中から3月になる。ちょっと気になって調べてみると、サトウキビ収穫の最盛期は1月から3月だそうだ。この芝居は2025年2月から3月の話なのだ。
反戦地主の家族が世代交代していく姿は、時代とともに変化していく人々の思いと持続する志のせめぎあいであり、それを包み込むのが三線とカチャーシーの祝祭時空である。飲んで歌って踊れば問題が解消するわけではない。だが、カチャーシーが言葉でとらえることのできないな何かを探る祈りか呪文のように見えてくる。
3年後に滅亡する世界の日常を描いた『マイクロバスと安定』 ― 2025年11月16日
本多劇場で竹生企画第四弾『マイクロバスと安定』(作・演出:倉持裕、出演:竹中直人、生瀬勝久、飯豊まりえ、他)を観た。竹生企画とは竹中直人と生瀬勝久の芝居を倉持裕の作・演出で上演する企画で、今回が4作目だそうだ。
演出家(竹中直人)の屋敷が舞台である。この屋敷にはアトリエ公演もできる稽古場がある。舞台は玄関に連なる応接室のような空間で、奥の稽古場は見えない。稽古場では女優の一人芝居の練習が始まっている。演出家の旧友(生瀬勝久)が娘(飯豊まりえ)を連れて数十年ぶりに演習家の屋敷を訪れる場面から芝居が始まる。旧友は、かつて演出家と共に劇団をやっていたことがあり、現在は学習塾の経営者である。
日常生活的ドラマを予感させるが、この世界は3年後に滅亡することになっている。小惑星が衝突するのだ。人々は皆その事実を知っている。
『マイクロバスと安定』という意味不明のタイトルの含意は芝居を観ているうちに見えてくる。
旧友(塾経営者)の車がマイクロバスであり、旧友はこのマイクロバスで娘を演出家の稽古場に送り迎えすることになる。部屋の窓に時おり映るテールランプの赤い光が印象深い。
「安定」は怒涛の混乱期を経た後の平穏なひとときの時間を示しているようだ。小惑星衝突という未来を知った世界は大混乱に陥り暴動も発生する。そんな混乱の時代を経て、世界滅亡を受け容れ、残された時間を坦々と過ごそうとする人々が増てきたのだ。
非日常的設定のなかの日常のなかで、人々はどのように時間を過ごしていくのか。もちろん、人それぞれだろうが、不思議な緊張感を秘めた日常が切ない時間を刻んでいく。演出家と旧友は仲がよくない。過去の確執をかかえている。だが、旧友は女優志望の娘の要望を容れて演出家を訪ねたのだ。演出家と旧友の奔放に変転するやり取りが面白い。
この芝居は、死すべき運命を抱えた人間がもつ記憶の作用を語っているように見える。30年前の記憶を掘り起こす演出家と旧友との会話に、現在を生きる人間は、現在と共に記憶の世界にも生きているとの感を強くした。
演出家(竹中直人)の屋敷が舞台である。この屋敷にはアトリエ公演もできる稽古場がある。舞台は玄関に連なる応接室のような空間で、奥の稽古場は見えない。稽古場では女優の一人芝居の練習が始まっている。演出家の旧友(生瀬勝久)が娘(飯豊まりえ)を連れて数十年ぶりに演習家の屋敷を訪れる場面から芝居が始まる。旧友は、かつて演出家と共に劇団をやっていたことがあり、現在は学習塾の経営者である。
日常生活的ドラマを予感させるが、この世界は3年後に滅亡することになっている。小惑星が衝突するのだ。人々は皆その事実を知っている。
『マイクロバスと安定』という意味不明のタイトルの含意は芝居を観ているうちに見えてくる。
旧友(塾経営者)の車がマイクロバスであり、旧友はこのマイクロバスで娘を演出家の稽古場に送り迎えすることになる。部屋の窓に時おり映るテールランプの赤い光が印象深い。
「安定」は怒涛の混乱期を経た後の平穏なひとときの時間を示しているようだ。小惑星衝突という未来を知った世界は大混乱に陥り暴動も発生する。そんな混乱の時代を経て、世界滅亡を受け容れ、残された時間を坦々と過ごそうとする人々が増てきたのだ。
非日常的設定のなかの日常のなかで、人々はどのように時間を過ごしていくのか。もちろん、人それぞれだろうが、不思議な緊張感を秘めた日常が切ない時間を刻んでいく。演出家と旧友は仲がよくない。過去の確執をかかえている。だが、旧友は女優志望の娘の要望を容れて演出家を訪ねたのだ。演出家と旧友の奔放に変転するやり取りが面白い。
この芝居は、死すべき運命を抱えた人間がもつ記憶の作用を語っているように見える。30年前の記憶を掘り起こす演出家と旧友との会話に、現在を生きる人間は、現在と共に記憶の世界にも生きているとの感を強くした。








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