雨音を伴奏に『盲導犬』を観た ― 2025年11月01日
雑司ヶ谷・鬼子母神の紅テントで唐組の『盲導犬』(作:唐十郎、演出:久保井研+唐十郎、出演:久保井研、稲荷卓央、藤井由紀、福原由加里、大鶴美仁音、他)を観た(2025年10月31日19時)。
あいにくの雨天だった。2年前に観た猿楽通りの紅テント『秘密の花園』も雨天だったが、今回の雨はあの時より激しい。芝居が始まってから雨足がさらに強まり、テントを叩きつける雨音が終始伴奏として流れる舞台だった。ラスト、お約束の屋台崩しでは、藤井由紀が降りしきる雨をものともせず鬼子母神の境内へと後すざっていった。あいにくの雨がかえって印象に残る舞台になった。テントならではの効用だ。
『盲導犬』は、1973年に唐十郎(当時33歳)が演劇集団「桜社」を旗揚げした蜷川幸雄(当時38歳)のために書き下ろした作品である。石橋蓮司、緑魔子、蟹江敬三、桃井かおりなどが出演、アートシアター新宿文化で上演された。渡辺えり(当時18歳)はこの舞台を観て、劇団を立ち上げようと決意したそうだ。
その後、唐組でも上演し、2013年にはBunkamuraシアターコクーンで「演出:蜷川幸雄、出演:古田新太、宮沢りえ、他」で上演された。私はいずれの舞台も観ていない。今回が初見である。1974年に角川文庫で出版された戯曲『盲導犬』は当時入手し、目を通した。
舞台正面には壁のようなコインロッカーが並んでいる。その前で繰り広げられる哀切で力強い夢幻劇である。舞台装置をよく見ると、コインロッカーを設置した場所は懐かしき新宿駅西口地下だ。観劇後の帰路、いまや永遠に工事中の廃墟のような新宿駅西口地下の仮設道を歩きながら、1970年頃の西口が二重写しになった。芝居に引きずられた幻視だ。
観劇の帰途の電車でパラパラと戯曲を反芻した。いいなと思った台詞を抜粋する。
五人の愛犬教師 命令に従っては危険だと犬が判断した時には、命令に従いません。これは”利口な不服従”と言えます。
-------------------
破里夫 それじゃ、可哀相な男と可哀相な女がどうして争い始めたんだろうね。 女 争うのはいつも可哀相な者同士。
-------------------
破里夫 待ってろよファルキイル、これを焼き切る時、俺たちはおまえと一緒にダッタンを越え、ペルシャを越え、ナイルを逆のぼるんだ!
この芝居の台詞に、盲導犬を知らなかった渡辺紳一郎のエピソードが登場する。私が小学生の頃(1950年代)にテレビの『私の秘密』に出演していた元・新聞記者の「物知り博士」である。小学生の私は渡辺紳一郎のファンだったが、観客の中に渡辺紳一郎を知っている人が何割いるだろうかと思った。
あいにくの雨天だった。2年前に観た猿楽通りの紅テント『秘密の花園』も雨天だったが、今回の雨はあの時より激しい。芝居が始まってから雨足がさらに強まり、テントを叩きつける雨音が終始伴奏として流れる舞台だった。ラスト、お約束の屋台崩しでは、藤井由紀が降りしきる雨をものともせず鬼子母神の境内へと後すざっていった。あいにくの雨がかえって印象に残る舞台になった。テントならではの効用だ。
『盲導犬』は、1973年に唐十郎(当時33歳)が演劇集団「桜社」を旗揚げした蜷川幸雄(当時38歳)のために書き下ろした作品である。石橋蓮司、緑魔子、蟹江敬三、桃井かおりなどが出演、アートシアター新宿文化で上演された。渡辺えり(当時18歳)はこの舞台を観て、劇団を立ち上げようと決意したそうだ。
その後、唐組でも上演し、2013年にはBunkamuraシアターコクーンで「演出:蜷川幸雄、出演:古田新太、宮沢りえ、他」で上演された。私はいずれの舞台も観ていない。今回が初見である。1974年に角川文庫で出版された戯曲『盲導犬』は当時入手し、目を通した。
舞台正面には壁のようなコインロッカーが並んでいる。その前で繰り広げられる哀切で力強い夢幻劇である。舞台装置をよく見ると、コインロッカーを設置した場所は懐かしき新宿駅西口地下だ。観劇後の帰路、いまや永遠に工事中の廃墟のような新宿駅西口地下の仮設道を歩きながら、1970年頃の西口が二重写しになった。芝居に引きずられた幻視だ。
観劇の帰途の電車でパラパラと戯曲を反芻した。いいなと思った台詞を抜粋する。
五人の愛犬教師 命令に従っては危険だと犬が判断した時には、命令に従いません。これは”利口な不服従”と言えます。
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破里夫 それじゃ、可哀相な男と可哀相な女がどうして争い始めたんだろうね。 女 争うのはいつも可哀相な者同士。
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破里夫 待ってろよファルキイル、これを焼き切る時、俺たちはおまえと一緒にダッタンを越え、ペルシャを越え、ナイルを逆のぼるんだ!
この芝居の台詞に、盲導犬を知らなかった渡辺紳一郎のエピソードが登場する。私が小学生の頃(1950年代)にテレビの『私の秘密』に出演していた元・新聞記者の「物知り博士」である。小学生の私は渡辺紳一郎のファンだったが、観客の中に渡辺紳一郎を知っている人が何割いるだろうかと思った。
二通りの結末がある『人間ども集まれ!(完全版)』 ― 2025年11月03日
先日読んだ『進化という迷宮』は手塚治虫が1960年に発表した博士論文の一節を紹介していた。タニシの精子に関する論文である。タニシには通常の精子とは別に異型精子という変わった精子があるそうだ。この論文の話は手塚治虫の『人間ども集まれ!』という長編SFマンガの紹介につながる。特殊な精子をもつ人間が引き起こす凄まじいストーリーらしい。興味がわき、ネット書店で入手して読んだ。
『人間ども集まれ!(完全版)』(手塚治虫/実業之日本社)
約660頁の分厚いマンガである。この作品は1967年から1968年にかけて「週刊漫画サンデー」(実業之日本社)に連載された。大学生がマンガを読むと揶揄された時代だ。当時、大学生だった私は「少年マガジン」「少年サンデー」「ガロ」「COM」などには目を通していたが、大人マンガ雑誌の「週刊漫画サンデー」はフォローしていなかった。
『人間ども集まれ!』の描線は手塚治虫の少年マンガとは異なる。小島功のような大人マンガの描線だ。『SFマガジン』に手塚治虫が連載していた「SFファンシーフリー」に似ている。
主人公の名は天下太平。とぼけたユーモア・マンガの雰囲気でシリアスなストーリー・マンガに仕立てている。時代は19XX年、東南アジアの独裁国家の戦場に義勇兵として送られた天下太平が脱走兵となり、波乱万丈の物語をくり広げる。
天下太平は特殊な精子の持ち主で、その精子から生まれた子は男性でも女性でもない無性人間になる。生殖能力にない無性人間は働きバチのように命令に従順で協調性が高い。兵士として有能なのだ。天下太平の精子はシボリ取られ、人工授精によって無性人間が大量に商品として生産される――という物語である。かなり面白いSFだと思う。
約660頁のこの本、430頁で話は完結する。それが単行本版なのだ。だが、雑誌連載時の結末部分は単行本とはかなり異なっているそうだ。本書は雑誌連載の結末部分約180頁も収録している。それ故に「完全版」と謳っているのだ。多数の論者による解説も収録している。
異なる二つの結末がある物語というのは面白い。『人間ども集まれ!』は人間の道具のように扱われてきた無性人間の反乱の物語である。反乱に成功した無性人間たちは「人間ども集まれ!」と号令し、人間の男女を去勢していく。新たな人間は人工授精で供給される。雑誌連載の結末は、無性人間が性に目覚めていくハッピーエンド(?)である。単行本版では、人間どもの去勢は継続し、世界は無性人間の時代になっていく。
こんな二つの結末を構想した手塚治虫の「迷い」が興味深い。本書の解説で、夢枕獏は「雑誌版のハッピーエンドの方が好きだ」と述べ、夏目房之介も「雑誌版の方が面白い」と語っている。その気持ちはわかる。だが、単行本化にあたってあえて結末を変えた手塚治虫には、世の中の現状に妥協したくないというストラッグルがあったはずだ。私は単行本版の方がいいと思う。
『人間ども集まれ!(完全版)』(手塚治虫/実業之日本社)
約660頁の分厚いマンガである。この作品は1967年から1968年にかけて「週刊漫画サンデー」(実業之日本社)に連載された。大学生がマンガを読むと揶揄された時代だ。当時、大学生だった私は「少年マガジン」「少年サンデー」「ガロ」「COM」などには目を通していたが、大人マンガ雑誌の「週刊漫画サンデー」はフォローしていなかった。
『人間ども集まれ!』の描線は手塚治虫の少年マンガとは異なる。小島功のような大人マンガの描線だ。『SFマガジン』に手塚治虫が連載していた「SFファンシーフリー」に似ている。
主人公の名は天下太平。とぼけたユーモア・マンガの雰囲気でシリアスなストーリー・マンガに仕立てている。時代は19XX年、東南アジアの独裁国家の戦場に義勇兵として送られた天下太平が脱走兵となり、波乱万丈の物語をくり広げる。
天下太平は特殊な精子の持ち主で、その精子から生まれた子は男性でも女性でもない無性人間になる。生殖能力にない無性人間は働きバチのように命令に従順で協調性が高い。兵士として有能なのだ。天下太平の精子はシボリ取られ、人工授精によって無性人間が大量に商品として生産される――という物語である。かなり面白いSFだと思う。
約660頁のこの本、430頁で話は完結する。それが単行本版なのだ。だが、雑誌連載時の結末部分は単行本とはかなり異なっているそうだ。本書は雑誌連載の結末部分約180頁も収録している。それ故に「完全版」と謳っているのだ。多数の論者による解説も収録している。
異なる二つの結末がある物語というのは面白い。『人間ども集まれ!』は人間の道具のように扱われてきた無性人間の反乱の物語である。反乱に成功した無性人間たちは「人間ども集まれ!」と号令し、人間の男女を去勢していく。新たな人間は人工授精で供給される。雑誌連載の結末は、無性人間が性に目覚めていくハッピーエンド(?)である。単行本版では、人間どもの去勢は継続し、世界は無性人間の時代になっていく。
こんな二つの結末を構想した手塚治虫の「迷い」が興味深い。本書の解説で、夢枕獏は「雑誌版のハッピーエンドの方が好きだ」と述べ、夏目房之介も「雑誌版の方が面白い」と語っている。その気持ちはわかる。だが、単行本化にあたってあえて結末を変えた手塚治虫には、世の中の現状に妥協したくないというストラッグルがあったはずだ。私は単行本版の方がいいと思う。
ヒッタイトは「鉄の王国」ではなかった! ― 2025年11月05日
Eテレで放映中の『3か月でマスターする(3マス)古代文明』を録画視聴している。講師は現役研究者で、最近の研究成果を反映した内容なので興味深い。
第3回の『ヒッタイト”鉄の帝国”のヒミツ』は特に面白かった。ヒッタイトと言えば「鉄」が思い浮かぶ。製鉄技術の独占による鉄の兵器で勢力を拡大したというイメージがある。だが、この番組では「鉄の帝国」というヒッタイト像を否定していた。ヒッタイトは青銅器時代の帝国であり、鉄器を実用化していたわけはないそうだ。驚いた。
ヒッタイトについては、一昨年に出た新書を購入したまま積んでいた。その新書の著者は「3マス古代文明」第3回に講師として出演した津本英利氏(古代オリエント博物館研究部長)である。番組を契機にその新書を読んだ。
『ヒッタイト帝国:「鉄の王国」の実像』(津本英利/PHP新書)
著者は、高校世界史でヒッタイトについて習う内容を次のように要約している。
(1)鉄器を早くから使用して、古代オリエント世界でエジプトに並ぶ勢力を築いた。
(2)シリアのカディシュでエジプト戦ったが、世界最古の和平条約を締結した。
(3)バビロンを攻撃して滅ぼした。
(4)「海の民」という謎の勢力に攻撃されて滅んでしまった。
本書を読了すると、(1)と(2)は最近の知見では必ずしも正確ではないとわかる。
本書の「第9章 ヒッタイトは「鉄の王国」だったのか?」で、当時の製鉄の実態と「鉄の王国」と認識された経緯を解説している。ヒッタイトが「鉄の王国」と印象づけられたのは、世界最古の鉄剣が発掘され、往時のヒッタイトの文書に鉄への言及が多いからである。だが、世界最古といわれる鉄剣は後に隕鉄(鉄でできた隕石)製と判明した。実用的製鉄技術の成果ではない。また、ヒッタイトの文書にある鉄は贈答用の貴重な鉄器であって実用品ではない。ヒッタイトの遺跡から鉄器が大量に発掘されているわけでもない。
ヒッタイトの時代、オリエント地域に未熟な製鉄技術はあったが安定した品質の実用的鉄器は作られず、贈答用の多少の鉄器が作られていたにすぎなかったそうだ。著者は次のように述べている。
「筆者の管見の限りでは、欧米語圏でヒッタイトと製鉄がことさら結び付けて語られることは多くはない。(…)「ヒッタイト=鉄」のイメージは、むしろ日本語世界においてもっとも強調されているように感じる。これは前述のチャイルドの記述(※)に依拠した歴史教科書の影響が大きいこともあろうが、20世紀後半に、日本が鉄鋼生産量や製鉄技術で世界の首位を争っていた社会的背景とも無縁でないように思える。」
(※共産主義に傾倒していた考古学者チャイルドは、1942年に出版した一般書『歴史のあけぼの』で、ヒッタイト人が製鉄技術を独占していたが、それが漏れたことで青銅器時代から鉄器時代に移ったと述べた。)
ヒッタイト帝国がどのように滅亡したかは不明だそうだ。干ばつや内乱が滅亡につながった可能性が高いらしい。著者は次のように述べている。
「ヒッタイト帝国の滅亡に「海の民」が直接関わったということはほぼ考えられない。しかし、「海の民」による動乱が引き金となって、それまでヒッタイト帝国を支えていた様々な制度(システム)が機能不全を起こし、新たな不和(国民の分断、属国の自立)や争い(内戦)へと連鎖し、帝国が崩壊するに至ったと考えることができる。」
著者は考古学者であり、本書には考古学の面白さを伝える案内書の趣がある。遺跡発掘や楔形文字解読によってヒッタイト帝国が「再発見」されたのは20世紀初頭だそうだ。発掘や解読の話にはワクワクさせられる。
第3回の『ヒッタイト”鉄の帝国”のヒミツ』は特に面白かった。ヒッタイトと言えば「鉄」が思い浮かぶ。製鉄技術の独占による鉄の兵器で勢力を拡大したというイメージがある。だが、この番組では「鉄の帝国」というヒッタイト像を否定していた。ヒッタイトは青銅器時代の帝国であり、鉄器を実用化していたわけはないそうだ。驚いた。
ヒッタイトについては、一昨年に出た新書を購入したまま積んでいた。その新書の著者は「3マス古代文明」第3回に講師として出演した津本英利氏(古代オリエント博物館研究部長)である。番組を契機にその新書を読んだ。
『ヒッタイト帝国:「鉄の王国」の実像』(津本英利/PHP新書)
著者は、高校世界史でヒッタイトについて習う内容を次のように要約している。
(1)鉄器を早くから使用して、古代オリエント世界でエジプトに並ぶ勢力を築いた。
(2)シリアのカディシュでエジプト戦ったが、世界最古の和平条約を締結した。
(3)バビロンを攻撃して滅ぼした。
(4)「海の民」という謎の勢力に攻撃されて滅んでしまった。
本書を読了すると、(1)と(2)は最近の知見では必ずしも正確ではないとわかる。
本書の「第9章 ヒッタイトは「鉄の王国」だったのか?」で、当時の製鉄の実態と「鉄の王国」と認識された経緯を解説している。ヒッタイトが「鉄の王国」と印象づけられたのは、世界最古の鉄剣が発掘され、往時のヒッタイトの文書に鉄への言及が多いからである。だが、世界最古といわれる鉄剣は後に隕鉄(鉄でできた隕石)製と判明した。実用的製鉄技術の成果ではない。また、ヒッタイトの文書にある鉄は贈答用の貴重な鉄器であって実用品ではない。ヒッタイトの遺跡から鉄器が大量に発掘されているわけでもない。
ヒッタイトの時代、オリエント地域に未熟な製鉄技術はあったが安定した品質の実用的鉄器は作られず、贈答用の多少の鉄器が作られていたにすぎなかったそうだ。著者は次のように述べている。
「筆者の管見の限りでは、欧米語圏でヒッタイトと製鉄がことさら結び付けて語られることは多くはない。(…)「ヒッタイト=鉄」のイメージは、むしろ日本語世界においてもっとも強調されているように感じる。これは前述のチャイルドの記述(※)に依拠した歴史教科書の影響が大きいこともあろうが、20世紀後半に、日本が鉄鋼生産量や製鉄技術で世界の首位を争っていた社会的背景とも無縁でないように思える。」
(※共産主義に傾倒していた考古学者チャイルドは、1942年に出版した一般書『歴史のあけぼの』で、ヒッタイト人が製鉄技術を独占していたが、それが漏れたことで青銅器時代から鉄器時代に移ったと述べた。)
ヒッタイト帝国がどのように滅亡したかは不明だそうだ。干ばつや内乱が滅亡につながった可能性が高いらしい。著者は次のように述べている。
「ヒッタイト帝国の滅亡に「海の民」が直接関わったということはほぼ考えられない。しかし、「海の民」による動乱が引き金となって、それまでヒッタイト帝国を支えていた様々な制度(システム)が機能不全を起こし、新たな不和(国民の分断、属国の自立)や争い(内戦)へと連鎖し、帝国が崩壊するに至ったと考えることができる。」
著者は考古学者であり、本書には考古学の面白さを伝える案内書の趣がある。遺跡発掘や楔形文字解読によってヒッタイト帝国が「再発見」されたのは20世紀初頭だそうだ。発掘や解読の話にはワクワクさせられる。
ヘディンの『シルクロード』は20世紀の探検記 ― 2025年11月07日
6年前に読んだ『文明の十字路=中央アジアの歴史』(岩村忍)をパラパラと読み返していて、次の一節に遭遇した。
「シルクロードということばは、19世紀のドイツの有名な地理学者リヒトホーフェンがその大著『シナ』で使ったのが最初であろう。しかしこの名称が一般的になったのは、この大地理学者の弟子で、中央アジア探検家として著名なヘディンが、その探検記の一つに『シルクロード』という題名をつけてからである。」
6年前には読み過ごしたこの一節に目が止まったのは、その時点の私にはヘディンの『シルクロード』が気がかりな書だったからである。
数カ月前にヘディンの『馬仲英の逃亡』と『さまよえる湖』を読んだとき、この2冊に『シルクロード』を合わせた3作が、ヘディンの5回目の探検記の三部作を構成していると知った。2作を読んでヘディンの探検記の雰囲気がわかり、これで十分かなと思っていた。
だが、岩村氏の指摘に接して『シルクロード』も読まねばという気になった。ネット書店には岩波文庫の古書しかない。それを入手して読んだ。
『シルクロード(上)(下)』(ヘディン/福田宏年訳/岩波文庫)
地理学者ヘディンは20代の頃から70代に至るまで5回にわたって中央アジアを探検している。残した探検記は膨大だ。探検費用の調達という目論見もあったらしい。本書を含む三部作は、1933年から1935年(68歳~70歳)の第5回の探検の記録であり、この頃ヘディンはすでに世界的な有名人だった。
この探検の目的は南京政府の依頼による「新疆地域の自動車道路敷設ルート調査」である。遺跡探索ではない。総勢15人によるトラック3台(後に1台追加)と乗用車1台の探検旅行である。この時期の新疆は、形式的には南京の中央政府の支配下にあったが、実態は独立志向の地方政権や軍閥などが勢力を争う戦乱状態だった。探検隊はそんな地域に突き進んで行く。
探検隊は諜報活動に携わっているのではと疑われたりもする。ヘディンは政治への関心も高い人物である。この探検の後、スウェーデンに帰国したヘディンは、第二次大戦前夜のベルリンで高等な外交活動にも従事する(『秘められたベルリン使節』)。疑われても仕方ないような気もする。
探検記三部作は第1部『馬仲英の逃亡(大馬の逃亡)』、第2部『シルクロード』、第3部『さまよえる湖』という構成である。三部作は時系列ではなくテーマで分かれている(岩波文庫は第2部と第3部のみ。第1部は収録していない)。ヘディンによれば「戦争」「道路」「湖水」とテーマを絞った著作になっている。と言っても、全体としてはひとつの探検記である。
探検の全体像を描いているのは『シルクロード』であり、その探検で体験した二つの大きな話題を詳述したのが『馬仲英の逃亡』と『さまよえる湖』である。
実は、本書を知ったときに三部作第2部の『シルクロード』というタイトルに違和感を抱いた。本書は20世紀前半の甘粛省、ハミ、トルファン、ウルムチ、コルラ、ロプノールなどの探検記・冒険談である。「シルクロード」という昔の交易路や遺跡・遺物を探索する話ではない。
だが「シルクロード」という言葉が本書のタイトルによって一般化したと知り、違和感は解消した。20世紀のゴビ砂漠(礫の砂漠)を車で悪戦苦闘しながら、ヘディンは頭の中で遠い昔の交易路を思い浮かべていたのだと思う。
波乱万丈の冒険談に近い本書の後半に「シルクロード」と題する章がある。生々し体験談をしばし離れたコーヒーブレークのような章である。張騫に始まるシルクロードの歴史を概説し、「自動車道路敷設ルートを調査」という今回の探検の使命に結び付けている。さらには、太平洋と大西洋を結ぶユーラシア横断自動車道路を構想し次のように述べている。
「こんな計画は不可能であり到底実現できないと言う人には、それが二千年前に実現されていたことを忘れないでいただきたいと言いたい。当時西安とティルス(シリア)の間に脈打っていた交通路は、五百年に渡って維持されたのである。」
ヘディンは、現代中国の一帯一路を先取りしていると思った。
「シルクロードということばは、19世紀のドイツの有名な地理学者リヒトホーフェンがその大著『シナ』で使ったのが最初であろう。しかしこの名称が一般的になったのは、この大地理学者の弟子で、中央アジア探検家として著名なヘディンが、その探検記の一つに『シルクロード』という題名をつけてからである。」
6年前には読み過ごしたこの一節に目が止まったのは、その時点の私にはヘディンの『シルクロード』が気がかりな書だったからである。
数カ月前にヘディンの『馬仲英の逃亡』と『さまよえる湖』を読んだとき、この2冊に『シルクロード』を合わせた3作が、ヘディンの5回目の探検記の三部作を構成していると知った。2作を読んでヘディンの探検記の雰囲気がわかり、これで十分かなと思っていた。
だが、岩村氏の指摘に接して『シルクロード』も読まねばという気になった。ネット書店には岩波文庫の古書しかない。それを入手して読んだ。
『シルクロード(上)(下)』(ヘディン/福田宏年訳/岩波文庫)
地理学者ヘディンは20代の頃から70代に至るまで5回にわたって中央アジアを探検している。残した探検記は膨大だ。探検費用の調達という目論見もあったらしい。本書を含む三部作は、1933年から1935年(68歳~70歳)の第5回の探検の記録であり、この頃ヘディンはすでに世界的な有名人だった。
この探検の目的は南京政府の依頼による「新疆地域の自動車道路敷設ルート調査」である。遺跡探索ではない。総勢15人によるトラック3台(後に1台追加)と乗用車1台の探検旅行である。この時期の新疆は、形式的には南京の中央政府の支配下にあったが、実態は独立志向の地方政権や軍閥などが勢力を争う戦乱状態だった。探検隊はそんな地域に突き進んで行く。
探検隊は諜報活動に携わっているのではと疑われたりもする。ヘディンは政治への関心も高い人物である。この探検の後、スウェーデンに帰国したヘディンは、第二次大戦前夜のベルリンで高等な外交活動にも従事する(『秘められたベルリン使節』)。疑われても仕方ないような気もする。
探検記三部作は第1部『馬仲英の逃亡(大馬の逃亡)』、第2部『シルクロード』、第3部『さまよえる湖』という構成である。三部作は時系列ではなくテーマで分かれている(岩波文庫は第2部と第3部のみ。第1部は収録していない)。ヘディンによれば「戦争」「道路」「湖水」とテーマを絞った著作になっている。と言っても、全体としてはひとつの探検記である。
探検の全体像を描いているのは『シルクロード』であり、その探検で体験した二つの大きな話題を詳述したのが『馬仲英の逃亡』と『さまよえる湖』である。
実は、本書を知ったときに三部作第2部の『シルクロード』というタイトルに違和感を抱いた。本書は20世紀前半の甘粛省、ハミ、トルファン、ウルムチ、コルラ、ロプノールなどの探検記・冒険談である。「シルクロード」という昔の交易路や遺跡・遺物を探索する話ではない。
だが「シルクロード」という言葉が本書のタイトルによって一般化したと知り、違和感は解消した。20世紀のゴビ砂漠(礫の砂漠)を車で悪戦苦闘しながら、ヘディンは頭の中で遠い昔の交易路を思い浮かべていたのだと思う。
波乱万丈の冒険談に近い本書の後半に「シルクロード」と題する章がある。生々し体験談をしばし離れたコーヒーブレークのような章である。張騫に始まるシルクロードの歴史を概説し、「自動車道路敷設ルートを調査」という今回の探検の使命に結び付けている。さらには、太平洋と大西洋を結ぶユーラシア横断自動車道路を構想し次のように述べている。
「こんな計画は不可能であり到底実現できないと言う人には、それが二千年前に実現されていたことを忘れないでいただきたいと言いたい。当時西安とティルス(シリア)の間に脈打っていた交通路は、五百年に渡って維持されたのである。」
ヘディンは、現代中国の一帯一路を先取りしていると思った。




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