映画でしか知らない『十二人の怒れる男』の舞台を観た2026年06月03日

 博品館劇場で『十二人の怒れる男』(作:レジナルド・ローズ、訳:小田島恒志・小田島則子/演出:松森望宏/出演:和田琢磨、中村梅雀、相葉裕樹、モロ師岡、大鶴義丹、佐藤B作、他)を観た。

 後にパロディも作られた有名作である。ヘンリー・フォンダ主演の映画(1957年)をテレビで観たのはかなり昔だ。今回の観劇前、あのモノクロ映画をプライム・ビデオで再度観た。12人の陪審員の密室劇である。当初は有罪11人無罪1人だったのが、緊迫した討議の過程で次第に無罪を支持する陪審員が増え、最終的には全員一致で無罪になる。展開の面白さは秀逸、法廷モノの古典と言える。

 今回の観劇で、私の勘違いが判明した。遠い昔、あのモノクロ映画を観て、この映画は演劇の映画化だと思った。一つの部屋で12人が議論や罵倒を重ねていく展開は実に演劇的だ。私は『十二人の怒れる男』は芝居がオリジナルで、あの有名映画は芝居の映画化だと思っていた。だから、『十二人の怒れる男』の上演を知ったとき、映画のオリジナルの芝居を確認したくてチケットを購入した。だが、調べてみると、テレビドラマが最初で、続いて映画化され、その後に舞台になったらしい。

 そんな経緯はともかく、演劇向きの話なのは確かだ。だが、舞台を観ながら12人という登場人物は多すぎ、12人を識別するのはかなり大変だと感じた。と言っても、この人数を減らせば話が成り立たない。12人全員一致でなければ評決できないという設定がスリリングであり、この前提がなければドラマは成立しない。観客には12人を識別しなければならない義務と楽しみがある。

 私は観劇直前にあのモノクロ映画を観ていたので、舞台上の役者に映画の役者を重ねるような観方になってしまった。これはマイナスだった。映画のイメージにひきずられると、妙な対比気分になり、あまり意味のない違和感を抱いたりもして舞台に没入しにくくなる。

 若い役者たちの演技を堪能するには頭のネジを少しゆるめ、新鮮な気分で臨まねばならいない――そんな反省的感慨がわいた。

古い岩波新書『十字軍』は面白かった2026年06月06日

『十字軍:その非神話化』(橋口倫介/岩波新書/1974.11 第1刷、1992.4 第22刷)
 50年以上前の1974年に出た次の岩波新書を古書で入手して読んだ。

 『十字軍:その非神話化』(橋口倫介/岩波新書/1974.11 第1刷、1992.4 第22刷)

 私が入手したのは1992年発行の22刷。著者・橋口倫介(1921-2002)は研究者で上智大学長も務めた。専攻はヨーロッパ中世史・教会史である。私は5年前に読んだ『十字軍物語』(塩野七生)で本書を知った。塩野氏は『十字軍物語』の「読者に――文庫版まえがき」で次のように述べている。

 「今(2018年)からならば半世紀近くも昔になる1974年に岩波新書から、上智大教授であった橋口倫介著の『十字軍』が刊行されています。(…)(中世のヨーロッパとオリエントの対決という)意味の十字軍史ならば、また一般の読者向けに書かれた学者の著作ということならば、いまだに橋口先生の岩波新書しかないのです。」

 塩野氏は戦後日本で十字軍の本が少ないと指摘し、その理由を戦争アレルギーのせいだとしている。私はうがちすぎと感じたが『十字軍物語』は面白く堪能した。

 あの時は岩波新書まで読もうとは思わなかったが、後にギボンの輪読会のために十字軍関連書を多少読むようになった。先月、古書で入手した『十字軍という聖戦』(八塚春児)を読んでいて、橋口倫介の名に再会した。八塚氏(1951-)は京大の学生時代に橋口氏の集中講義を受講し、十字軍研究に進んだそうだ。『十字軍という聖戦』の「あとがき」では「本書を橋口先生に捧げたい」と述べている。八塚氏の本文には橋口氏の『十字軍』を最新の視点で相対化して紹介している箇所もある。で、その古い岩波新書を読みたくなった。

 本書は、1096年の第1回十字軍から1270年の十字軍でルイ9世がチュニスで客死するまで約200年の十字軍の歴史を、原史料の紹介や後世の研究者の見解を織り込みながらコンパクトに概説している。多少学術的でありつつ記述は簡明で読みやすい。

 著者は十字軍を「聖地巡礼」と「エルサレム解放」を目的としたものとし、異端攻撃のアルビジョア十字軍などは「十字軍ならざる十字軍」として対象から外している。現在の研究者の見解とは異なるように思えるが、著者の見解の方が明解でわかりやすい。アメリカのイラン攻撃を「十字軍」とするのは比喩か冗談だ。

 十字軍に参加した諸侯・騎士を一人二役の役者に例えているのが面白い。彼らは戦士と巡礼の早変りをくり返し、敬虔な信徒であり、かつ虐殺者だったとしている。

 本書には民衆史観という言葉がしばしば登場する。その観点から民衆十字軍も巡礼の一種として評価している。本書の34年後に出た『十字軍という聖戦』では、弟子筋の八塚氏が民衆十字軍(農民十字軍)について次のように述べている。

 「橋口倫介が『十字軍』(岩波新書)の中で「民衆史観」という名のもとに紹介したように、これ(農民十字軍)が高く評価された時代もあったが、最近ではあまり重視されない傾向にある」

 エルサレムを交渉で奪還したフリードリヒ2世の評価も橋口氏と八塚氏は少し異なる。橋口氏はかなり評価しているが、八塚氏は「過大に評価すべきでない」としている。時代の流れとともに研究者たちの見解が変化しているのだろうか。

 私が本書で驚いたのは十字軍とモンゴルとの関係である。後期の十字軍がモンゴルの支援を期待し、ルイ9世がルブルクをカラコルムに派遣したことは知っていたが、両者の関係が進展したとは思っていなかった。本書によれば、1260年にモンゴル・十字軍共同作戦でダマスカス占領が実現したそうだ。モンゴル側の将軍キトボカはネストリウス派のキリスト教徒だった。その後、モンケ・ハンの訃報でモンゴルの主力は撤退し、現地に残ったキトボカは戦死、モンゴルと十字軍の交流は途絶したそうだ。

ブッカー賞の『台湾漫遊鉄道のふたり』は面白い2026年06月10日

『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊双子/三浦裕子訳/中央公論新社)
 先月(2026年5月)、台湾作家の『台湾漫遊鉄道のふたり(英訳版)』が国際ブッカー賞に選ばれたとのニュースが流れた。ノーベル賞の登竜門と言われる賞で、東アジアの受賞者は韓国のハン・ガン(2024年ノーベル文学賞)に続いて二人目だそうだ。日本語訳が3年前に出ていると知り、入手して読んだ。

 『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊双子/三浦裕子訳/中央公論新社)

 読み始めると止まらず、一気に読了した。タイトルはノホホンとした旅行エッセイ風だ。オビには「日本統治下の台湾を型破りな“大食い女”ふたりが駆け抜ける」とあり、楽しげだ。確かに書き出しではオモシロ美食旅行記に思える。だが、次第に雰囲気が変化していく。

 また、この小説には巧妙な仕掛けがほどこされている。冒頭でかすかな違和感をおぼえたが、話が面白いのでそんな違和感を忘れてドンドン読み進め、最後になってナルホドと思った。

 時代は昭和13年、舞台は日本統治下の台湾である。日本の売れっ子作家・青山千鶴子が台湾の婦人団体の招待で台湾を訪れる。千鶴子は台湾各地での講演会をこなし、現地の新聞にエッセイを書きつつ、旺盛な食欲で現地の料理を食べつくしていく。同行する通訳は4歳下の王千鶴である。千鶴子の秘書的な働きもする千鶴は福建省にルーツを持つ本島人(台湾人)で、千鶴子のために料理も作る。二人の美食の旅は約1年にもおよぶ。

 事前に青山千鶴子のモデルは林芙美子だと聞いていた。と言っても、私は林芙美子の小説を読んだことはない。映画『放浪記』(主演:高峰秀子)は観たことがある。井上ひさしが林芙美子を描いた芝居『太鼓たたいて笛ふいて』(主演:大竹しのぶ)も観ている。その片々たる情報に基づく林芙美子のイメージと青山千鶴子はあまり重ならない。林芙美子を素材のひとつとして作者が造型した独特の女流作家だと思う。

 この小説は「美食」と「二人の女性の交流の顛末」が二本柱で、物語全体がメタフィクションになっている。巧妙な展開と仕掛けの小説だ。

 物語は千鶴子の一人称であり、千鶴子の美食旅行記という体裁になっている。その軽妙な文章のなかで、自分では友達だと思っている千鶴との関係が微妙に変化していくさまを描いている。雑駁にまとめれば、日本統治下における支配層である日本人と被支配層の本島人との交流における千鶴子の鈍感さを描いている。物語の終盤で千鶴子は「私は傲慢で愚鈍でどうしようもない大馬鹿者だ!」と綴ることになる。

 この小説を読んでいて不思議な気がしたのは、翻訳小説を読んでいるとは思えなかった点である。日本人女流作家のエッセイを読んでいる錯覚に陥りそうになる。中国語の原文や英訳本では味わえない気分だと思う。

 本書の扉には「臺灣漫遊録 青山千鶴子」とある。私が読み始めに違和感をいだいた扉である。本書の原題は『臺灣漫遊録』であり、「戦前の台湾を旅した日本人作家・青山千鶴子の長らく絶版となっていた自伝的小説を、楊双子が発掘し、新たに中文に訳した作品」と謳って出版されたそうだ。青山千鶴子を実在の作家に見せるための関係者の文章なども収録されている。もちろん、すべてがフィクションである。

 日本語から中国語に翻訳された「漫遊録」をさらに日本語に翻訳したのが本書である。青山千鶴子は虚構の存在だが、本書に登場する食べ物はすべて実在するそうだ。食べ物の写真も見たいと思った。そんな写真を掲載すると本書全体の雰囲気が異質なものになりそうだとは思うが。

タラス河畔の戦いを描いた小説があった!2026年06月12日

『天涯の戦旗:タラス河畔の戦い』(小前亮/朝日新聞出版/2011.10 )
 私は来月(2026年7月)、中央アジアのカザフスタンとキルギスを巡るツアーに参加する予定である。目当てはアク・ベシム遺跡(砕葉=スイアブの遺構)とタラス川古戦場の見学だ。関連書を検索していて、タラス河畔の戦いを扱った小説があると知り、早速入手して読んだ。

 『天涯の戦旗:タラス河畔の戦い』(小前亮/朝日新聞出版/2011.10 )

 著者は大学院でアジア・イスラーム史を専攻した小説家で、多くの歴史小説を書いている。私は本書で初めてこの作家を知った。

 751年のタラス河畔の戦いは高校世界史の教科書にも載っている。と言っても「アッバース朝と唐がタラス河畔で戦い、唐が敗れた。唐の捕虜によって製紙法がイスラーム世界へ伝わった」とあるだけだ。それ以上のことは私も知らない。かなりマイナーな「戦い」だと思う。それが小説になっていることに驚いた。

 『天涯の戦旗』は重厚な歴史小説とは言えない。かなり「軽い」物語で、読みやすい。史実をどの程度ふまえた小説かは不明だが、教科書で2行程度の情報を拡張できたことに満足した。

 この小説には実在の人物が何人も登場する。将軍・高仙芝という名にはかすかな記憶があったが、他は未知の人物ばかりだ。人物が登場するたびにネット検索し、その人物に関する情報の有無を確認した。

 人物や情景を具体的にイメージできるのは歴史小説や歴史ドラマの利点だと思う。史実と違っているとしても、何等かのイメージを抱かないと歴史は把握しにくい。イメージで興味を喚起したうえで史実へのアプローチを図るしかない。

 本書によって、作者が造型した実在の人物たちのイメージが私の頭に転写された。そのうち忘れてしまうだろうが、その前にさらなる情報によってイメージを深化できればとも思う。

 この小説が「軽い」のは、狂言回しの杜環という人物が軽いからでもある。クチャの安西都護府に派遣されてきた長安の名家の若者で、美女と美酒には目がなく、仕事に関してはやる気がない。なまけ者で戦争嫌いの臆病者である。作者が創造した架空の人物だろうと思ったが、検索するとウィキペディアに載っていた。「タラス河畔の戦いで捕らえられた、数少ない中国人の一人」とある。

 杜環に関する史料は少ないらしい。この小説における杜環の人物像は作者の想像力に負うところが大きいと思う。こんな杜環という人物を中心に据えているので、この小説は面白くなっている。

インゲンの支柱について考えたこと2026年06月14日

 1カ月ぶりに八ケ岳南麓の山小屋へ行き、畑作業をした。今年はジャガイモとインゲンを作っている。畑は雑草だらけで草取りが大変だった。1カ月前に芽かきをしたジャガイモは大きく育ち、花が咲いている。

 問題はインゲンである。1カ月前に種を植えたインゲン(つるあり)は、30センチほどに成長し、支柱がないので地を這い、つるが互いにからまっていた。もっと早く来て支柱を立てるべきだった。時間がとれなくて遅くなってしまったのだ。

 雑草を取り、互いにからまったつるを解きほぐし、支柱を立て、ヒモで誘引した。ヨコに伸びたものを無理にタテに誘引したので、順調に育つか多少の不安がある。

 そこで、ふと思った。これまでは、手引書通りに発芽してから間引きし、支柱を立てていた。この手順だと私のような手抜き農作業では手遅れになる恐れがある。種を植える前にまず支柱を立て、支柱の回りに種植えする方が合理的ではなかろうか。支柱があっても間引きに問題はないはずだ。

 来年もインゲン作りを続けるかは不明だが、もし続けるなら、来年は種植え前に支柱を立てようと思う。

25年前に出たシルクロードのガイド本を読んだ2026年06月17日

『シルクロード 歴史地図の歩き方』(長澤和俊 監修、吉村貴 著/プレイブックス/青春出版社/2001.11)
 シルクロードや中央アジアは私の関心領域である。その地理も歴史も広大無辺だから一端をなでているに過ぎない。来月(2026年7月)、中央アジアのカザフスタンとキルギスを巡るツアーに参加するのも、シルクロードの片鱗に触れてみたいからである。

 7年前にタジキスタンに行ったとき、『地球の歩き方』の中央アジア編を購入した。あのガイドブックにカザフやキルギスも入っているはずだと思って本棚を探したが見つからない。本を解体して必要部分だけを旅行に持参した気がする。バラバラにしたので処分したのかもしれない。

 仕方なく新たに『地球の歩き方 中央アジア』を入手しようと思い、ネット検索して驚いた。2024年に出た「2025~2026版」の新本はなく、古書に8000円以上の値がついている。入手は断念した。

 その代替の気分で25年前に出た次の新書を古書で入手した。

 『シルクロード 歴史地図の歩き方』(長澤和俊 監修、吉村貴 著/プレイブックス/青春出版社/2001.11)

 監修の長澤和俊はシルクロードの研究者、著者はフリーの編集者である。シルクロードの主要都市の遺跡や遺物を紹介し、その歴史を概説したガイドブックである。読んでいると、歴史に詳しい旅行ガイドの説明を聞いている気分になる。

 コンパクトにまとまっていて読みやすいが、残念なガイドブックだ。地図と写真がほとんどないのだ。このテの本には詳しい地図と豊富な写真が必須だと思う。本文に出てくる地名を地図上で確認できないのはつらいし、遺跡や遺物のすばらしさを文章だけで説明されても味気ない。歴史や伝説の概説が適度に詳しいのは本書の取柄だ。

 私の目当ては、来月訪問予定のビシュケクである。ビシュケクに関する記述は12ページほどあり、興味深く読んだ。25年前に出た本書は、この地を「旧ソ連が色濃く残る」と紹介している。まだレーニン像が建っていると書いてあるが、現在も健在なのだろうか。

 訪問予定のイシク・クル湖は、旧ソ連時代には外国人は立ち入り禁止で、この湖を初めて訪れた日本人の一人が本書の監修者・長澤和俊だそうだ。雪解け水が流れ込むだけで、流れ出る川のないこの湖の水位は上昇し続けていて、13世紀から現在までに100メートル上昇したという。玄奘(602-664)がインドへの往路でこの湖畔を通過しているが、その道も湖に沈んでいる。湖底に遺跡が眠る不思議な湖である。

訪問予定のアク・ベシム遺跡の予習をした2026年06月20日

『アク・ベシム遺跡を掘る』(山内和也・齋藤茂雄編/勉誠社/2025.4)
 来月予定しているカザフ・キルギス旅行で、私の目当ての一つはアク・ベシム遺跡である。その予習として次の本を読んだ。

 『アク・ベシム遺跡を掘る』(山内和也・齋藤茂雄編/勉誠社/2025.4)

 キルギスのアク・ベシムは旧ソ連時代に発掘された遺跡だ。2016年からは帝京大学がキルギス科学アカデミーと共同で発掘調査を進めている。発掘調査の中心人物である帝京大学文化財研究所所長の山内和也教授らが編んだ本書は、論文・コラム二十数編を収録している。

 アク・ベシム遺跡に関しては、先月(2026.5.16)の日経新聞社会面に「唐・武則天時代の寺か キリギスで階段見つかる」というニュースが載っていた。アク・ベシム遺跡にある寺院跡が、武則天が各地に建てた大雲寺と推測されていることは、本書収録のいくつかの論文が言及している。記事の眼目は階段の発見であり、山内教授は「この発見でここが中央アジア最大の唐代仏教寺院の大雲寺だと確信した」と語っている。

 アク・ベシム遺跡はかつてはスイヤブと呼ばれ、シルクロードの交易都市として繁栄し、唐の軍事拠点である砕葉鎮城もあった。ソグド人の都市と唐の軍事拠点が隣接した都市遺跡である。

 私にとっては、玄奘との関連が興味深い。玄奘がインドに行く途中に立ち寄った西突厥の可汗の拠点がスイヤブ(素葉城)だ。玄奘は可汗から多大な支援を受けることになり、その後の旅がスムーズになる。

 私は昨年9月に新疆ウイグル地区のツアーに参加し、玄奘の足跡遺跡をいくつか見学した。あのツアーの前に『大唐西域記』『大慈恩寺三蔵法師伝』に目を通し、玄奘関連の本をいくつか読み、玄奘の「にわかファン」になった。だから、本書収録の「玄奘が見たスイヤブ」(山内和也)はとても面白かった。

 また、先日読んだ小説『天涯の戦旗:タラス河畔の戦い』の主人公である杜環が、本書収録の複数の論文に出てくる。知ったばかりの人物との再会に感激した。スイヤブ(砕葉城)に大雲寺があったとの記録を残したのは杜環だそうだ。

 本書収録の論文のテーマは多岐にわたる。発掘品の研究に関しても、植物の種や動物の骨までも含んでいて多様だ。地球科学や医学を援用した研究もある。あらためて、遺跡の発掘調査という学問の壮大さを知った。

 巻末には「アク・ベシム遺跡を活用した観光開発」というコラムも収録している。執筆者は元JICAの開発コンサルタントだ。アク・べシム遺跡は世界遺産に登録されているものの、多くの地元住民はその価値を知らず無関心だそうだ。見学者向けに整備されているわけでもない。どんな所なのか、訪問が楽しみである。

マッサゲタイの女王を描いた小説があった!2026年06月22日

『夢の王国 彼方の楽園:マッサゲタイの戦女王』(篠原悠希/光文社文庫/2024.4 )
 史上最初の世界帝国は前550年にオリエントを統一したアケメネス朝ペルシアだと思う。建国者キュロス2世は、メディア、リュディア、バビロニアを征服し、エジプトに赴く前にカスピ海東岸の騎馬民族マッサゲタイに遠征し、その地で戦死する。マッサゲタイを率いていたのは女王トミリュスである。

 マッサゲタイや女王トミリュスに関する史料は少ない。ヘロドトスが『歴史』でキュロス2世のマッサゲタイ遠征と戦死の経緯を述べているが、岩波文庫版で10頁ほど(巻1、201-216)に過ぎない。

 5年前、この女王を描いたカザフスタン映画『女王トミリュス』の存在を知り、プライムビデオで視聴した。世界史ではマイナーな存在の映画化に驚いたが、最近になって、そのマッサゲタイ女王を描いた日本人女性作家の小説『マッサゲタイの戦女王』があると知り、もっと驚いた。小説の刊行は2010年、映画制作の2019年より前だ。その小説の文庫版を入手して読んだ。文庫化の際に改題している。

 『夢の王国 彼方の楽園:マッサゲタイの戦女王』(篠原悠希/光文社文庫/2024.4)

 この小説は、映画と同様に少女が女王へと成長し、キュロス2世を倒す強い存在になっていく姿を描いている。しかし、トミュリスの人物造型や状況設定は映画とはまったく異なる。小説の方が深くて広い。

 小説に登場する実在の地名や人名は原音に近い表記になっている。以下のような具合だ。

 トミュリス→タハーミラィ
 キュロス→クルシュ
 ペルシア→ファールス
 アケメネス→ハカーマニシュ

 一般に馴染みのある表記(ギリシア語)ではない表記によって、歴史小説というよりは異世界物語の雰囲気になった気がする。

 ヘロドトスは、キュロス2世のマッサゲタイ遠征の発端を次のように描いている。

 「当時マッサゲタイでは、夫に先立たれたトミュリスという名の女が女王であった。キュロスは使者を通じ、自分の妻に迎えたいと称してこの女王に求婚した。しかしトミュリスは、キュロスが求めているのは自分ではなくて、マッサゲタイの王位であることを見抜き、彼の来訪を拒絶したのである。」(松平千秋訳)

 その後、トミュリスの若い息子がキュロスの謀略によって自死に追い込まれるなどの経緯があり、両軍の会戦となり、キュロスは戦場で落命する。トミュリスはキュロスの首を切り落とし「私は生き永らえ戦いにはそなたに勝ったが、所詮はわが子を謀略にかけて捕えたそなたの勝ちであった」(松平千秋訳)と嘆く。

 小説はヘロドトスの記述を踏まえている。しかし、その背後に奇想天外とも言える壮大な物語を盛り込んでいる。

 クルシュ(キュロス)の戦死は前529年だが、その二十数年前、クルシュ24歳、タハーミラィ(トミュリス)15歳のとき、二人はメディアの首都エクバ―タナの宮殿で出会っていた。メディアの属国ファールス(ペルシア)の王子で客分の人質のような立場だったクルシュは、タハーミラィとの密会の場で自分が構想する楽園のような国の姿を語る。文庫版のタイトル『夢の王国 彼方の楽園』はそれを表している。二人は互いに意識し合う仲だったのだ。

 二十数年を経て「諸王の王」と呼ばれるようになったクルシュの「求婚」は領土的野心によるのもではなくクルシュの本心だったかもしれない――それが、この小説の眼目だと思う。人間の成長譚と愛憎劇に国家興亡と建国物語を絡めた歴史ロマンである。