エンタメ歌舞伎恐るべし2017年09月06日

 歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」の昼の部と夜の部を連続して観た。午前11時から午後9時までの長丁場で、昼食はコンビニの握り飯、夕食は売店の弁当を座席で食すという1日だった。歌舞伎観劇は半年ぶりだ。前回初めて昼夜連続で観て、さほど疲れを感じなかったので、どうせ歌舞伎を観るなら昼夜連続がいいと思った。

 昼夜で演目は五つ、仮名手本忠臣蔵の道行以外は初見だったが、どれも比較的わかりやすい内容で、歌舞伎はエンタメだと実感した。歌舞伎俳優はテレビタレントよりは高級なイメージがあり、確かに芸の修練を積んでいるとは思うが、それがきちんとエンタメになっているところに頼もしさを感じる。

 「極付幡随長兵衛」の序幕は役者が役者を演ずるという芝居内芝居の趣向になっている。メタフィクション的・実験小説的試みがエンタメ的に昔から使われていることに感心した。面白ければ何でもありという精神は大事だ。

 「ひらかな盛衰記」の遠見の場の臆面のなさにも驚いた。歌舞伎では遠近法の表現に、遠くの場面には人形や子役を使い、近景になって本物の役者が登場するという趣向があり、いくつかは実際に観たこともある。だが、「ひらかな盛衰記」の第2場を遠景の子役芝居だけで完結させているのには驚いた。歌舞伎座の観客には外国人も多いが、何の解説もなしに大人たちがいきなり子役たちに変身したのを理解できただろうか。その突拍子もなさが面白のだが。

 夜の部最後の「再桜遇清水」は歌舞伎座初演という珍しい演目だ。古い芝居をベースに中村吉右衛門が琴平の金丸座のために書いた芝居だそうだ。かなりぶっ飛んだ内容でびっくりした。高僧の雰囲気がある僧侶(市川染五郎)が女性の色香に迷って破戒坊主に変身し、肉食・飲酒・衆道・殺人の果てに殺されても化けて出てきて女性に取りつこうとする話だ。わかりやすいが、あっけにとられた。歌舞伎恐るべしとも感じた。

『子午線の祀り』(演出・主演:野村萬斎)への満足と興ざめ2017年07月07日

 世田谷パブリックシアターで上演中の『子午線の祀り』(演出・主演:野村萬斎)を観た。高名な木下順二の代表作である。私はこの芝居の謎めいたタイトルは以前から知っていたが、その内容は全く知らなかった。木下順二は、敬して遠ざける…というか関心外の存在だった。

 とは言うものの、私が生まれて初めて身銭を切って観た「新劇」は劇団民芸の『オットーと呼ばれる日本人』で、戯曲は木下順二だった。1960年代後半の高校生の頃だ。当時は「新劇」はブンガク的価値の高いアリガタイものという思い込みもあり、滝沢修のボソボソとした科白を聞きながら、これがホンモノの芝居なのかと感心した記憶がある。

 その後も民芸や俳優座の「新劇」をいくつか観たが、やがて紅テントや黒テントをはじめ多様なアングラ演劇(=同時代演劇)に接するようになり、私の中で「新劇」は急速に色あせていき、木下順二も関心外の劇作家になった。

 だが、時は流れ星は移り、野村萬斎が『子午線の祀り』を上演すると知って食指が動いた。『子午線の祀り』という玄妙で宇宙的な題名が何を意味するのか、以前から気にかかっていたことに気づき、その内容を知りたいと思ったのだ。芝居の案内を見て、平家物語が題材だとわかったが、それが子午線とどう関係するかがわからない。

 タイトルの意味を知ろうと岩波文庫『子午線の祀り・沖縄:木下順二戯曲集IV』を入手した。戯曲を読んで、子午線と平家物語の関連は了解できた。月が子午線を横切ると海の潮の満ちてくる、それによる潮流の反転が壇ノ浦の戦いの帰趨を決めた……単純に言えば、そんな芝居になっている。

 やはり木下順二は知的な劇作家だ。平家物語を題材に人間の織りなす「歴史」を時空を超えた地点から俯瞰する作りになっている。「子午線」の謎は解けたが「祀り」もわかりにくくい言葉だ。英訳版では木下順二の指示で「祀り」を「Requiem」と訳していると知り、なるほどと思った。「歴史」を俯瞰するレクイエムとはカッコよすぎる。

 この芝居の初演(綜合演出・宇野重吉)が1979年だと知り、意外だった。もっと古い時代の「新劇」だと思っていた。1979年ならばアングラ・ブームが一段落した後だし、安部公房が実験演劇のために立ち上げた「安部公房スタジオ」が終焉した年でもあり、すでに「新劇」という言葉があまり使われなくなっていたと思う。そんな時代だからこそ、「新劇」を超えて「歌舞伎」「能」「群読」を取り入れた不思議な舞台になったのだろう。

 『子午線の祀り』は1979年の初演以来何度も上演されているそうだ。野村萬斎演出の今回の舞台が私には初見だったが、十分に楽しむことができた。初演以来継続していると思われる武満徹の超現実的な音楽も効果的だ。この芝居のクライマックスは、月が子午線を横切り、潮目が反転して平家退勢となり、貴人たちが海のもくずとなっていくシーンである。野村萬斎演ずる平知盛の「見るべき程の事は見つ」という辞世の名科白を聞きながら、私自身も、2階席から天空浮遊気分で舞台を俯瞰して「見るべき程の舞台は見つ」という心境になった。

 以下は蛇足に近い。観劇の数日後「源平合戦:壇ノ浦の決着」(石井進/週刊朝日百科:日本の歴史1/1986.4)という記事を読み、目から鱗が落ちる気分がした。

 壇ノ浦の戦いにおける潮流の反転については『平家物語』に明に描かれているわけではない。この記事によれば、大正時代に黒坂勝美という人が当時の潮の流れを研究し、潮流の反転が平家を壊滅させたとし、その説がひろく受け入れられたそうだ。そんな説明の後、筆者の石井進氏は次のように述べている。

 「また、船舶史家石井謙治氏は、同一潮流上に乗った両軍軍船の相対速度は同一となるから、科学的には潮流と勝敗は無関係だと断定され、ここに至って黒坂説は根本的に再検討されねばならなくなったのが現状であり、これに代わる定説はまだ出ていない。」

 壇ノ浦が源平の船舶同士の合戦だったならば、月が子午線を横切って潮流が反転しても、それは源平どちらにとっても有利でも不利でもない。科学的に考えれば、天空の状況は海上の合戦とは無関係なのだ。『子午線の祀り』観劇直後の身には興ざめなことである。

安部公房の『城塞』が半世紀を経て復活2017年04月22日

 今月初旬、新国立劇場中劇場で『葵上・卒塔婆小町』(作:三島由紀夫、演出・美術・主演:美輪明弘)を観たとき、劇場入口付近に『城塞』と大きな文字で印字された看板があった。近日上演の芝居の案内だと分かったが、私には馴染みのない知らない芝居だと思った。その看板を遠目に眺めながら私は次のようなことを考えていた。

 「そういえば、ずいぶん昔に安部公房も『城塞』という戯曲を書いていたなあ。あれと同名の芝居だ。ありふれたタイトルなんだ。」

 看板の前をさほどの興味もなく通り過ぎるとき、ちらりと「作 安部公房」という文字が飛び込んできた。びっくりした。それはまさに安部公房の『城塞』だったのだ。

 私は半世紀近く昔の学生時代には安部公房ファンだったので、彼の小説や戯曲はほぼすべて読んでいる。かつてはヒーローに見えた安部公房も没後20年以上が経過し、忘れられた存在になりつつあると感じている。三島由紀夫や井上ひさしの芝居が没後も継続的に上演されているのに対し、安部公房の芝居が上演されるという話は聞かない。

 そう思っていたので、安部公房の数ある戯曲の中でもあまり知名度のない『城塞』が新国立劇場で上演されるという事態は想像もできなかったのだ。

 さっそく劇場窓口でチケットを手配し、本日(4月22日)、『城塞』(作:安部公房、演出:上村聡史、主催:新国立劇場)を新国立劇場小劇場で観た。

 今回知ったのだが、『城塞』をはじめ安部公房のいくつかの芝居が昨年俳優座で上演されたそうだ。安部公房の芝居が最近は上演されていないというのは私の思い過ごしだろうか。

 『城塞』の初演は1962年、私は地方在住(岡山県玉野市)の中学2年生で、安部公房という作家の名も知らなかった頃だ。戯曲は『文藝 1962年11月号』に掲載されている。私は、安部公房に関心をもち始めた60年代末にこの雑誌を古書店で探索入手して『城塞』を読んだ。その後、1970年1月発行の『安部公房戯曲全集』(新潮社)にこの戯曲は収録された(「全集」と銘打ったこの単行本は全戯曲を収録しているのではなく、収録されていないアジプロ戯曲もある)。

 戯曲を読んだのは半世紀近く前なので、かすかな印象が残っているだけだ。観劇に先立って戯曲を再読し、『安部公房全集 016 1962.04-1962.11』に収録されている『城塞』に関する安部公房のいくつかのコメントにも目を通した。その抜粋は以下の通りだ。

 「ナンセンス・コメディは、いつの間にやら、深刻きわまる重量級ドラマに変わってしまっていた」
 「この作品もまた、その本質は、同じ喜劇なのだということである」
 「あるブルジョアジーをブルジョアジーとして確立するプロセスを内的に捉えて、それがやはり民族とか国家というものを内的に超えることでブルジョアジーとして確立してくという点を、明瞭に出したかった」
 「階級制をくもらせる、霧のようなイデオロギー、民族だとか、祖国だとかいう、あの危険な思想と対決してみたいというのが、こんどの作品の中心テーマだったのです」

 このように作者のコメント羅列してみると1962年頃の左翼的な気張りがむんむんとしてきて、時代の香りがする。満州で財を成し戦後も軍需で事業を拡大させた資本家の家庭を舞台にした芝居である。劇中で二回出てくる資本家の次の科白も印象深い。

 「戦争で負けたくらいで、国が死んだりするものか……国家を殺すことができるのは、革命だけさ」

 と言っても『城塞』は図式的な資本家糾弾プロパガンダ劇ではなく、歴史という現実を紡ぎあげていく人間の姿を演劇的かつ普遍的に描いている。だからこそ、21世紀の現代に若い演出家によって再演されることになったのだろう。

 安部公房の戯曲が再演されることを、その作品が古典に近づいたと寿ぐこともできるかもしれないが、時代のうねりが回帰しているのではないかとも感じられる。それは決して目出度いことではない。

 今回の舞台の美術にはいろいろ工夫があった。最後のシーンで東京タワーを遠望する窓からの俯瞰が、拡大していく日の丸に変容していくさまはクライマックスの効果を盛り上げて効果的だった。現代へのメッセージを感じた。

チェーホフとシェイクスピア---文豪の2本立て公演2017年04月16日

 明治座で東京乾電池のチェーホフとシェイクスピアの2本立て公演を観た。明治座と東京乾電池という取り合わせが異種格闘技風だ。チェーホフとシェイクスピアという組み合わせは盤石の文豪タッグで世界文学全集の1巻のようである。4月15日の1日だけの特別企画だそうだ。

 第一部はチェーホフの『煙草の害について』で柄本明の一人芝居、第二部はシェイクスピアの『夏の夜の夢』だ。観劇の前に戯曲に目を通した。『夏の夜の夢』は手元の世界文学全集に福田恆存訳が収録されていた。『煙草の害について』は『ちくま文学の森(6) 思いがけない話』に米川正夫訳で収録されていた。どちらも肩の凝らない軽喜劇で、文豪と称される作家もこういうものを書いていたのかと思うとホッとする。

 舞台は第一部の方が第二部より面白かった。第一部『煙草の害について』は戯曲で8頁の短い一人芝居だが、柄本明はこれに独自のギャグを盛り込んで1時間で演じた。上手いものだと思った。

 公演のチラシによれば、『煙草の害について』は「作・チェーホフ、演出・構成・柄本明」となっている。『夏の夜の夢』は「作・シェイクスピア、訳・福田恆存、演出・柄本明」と訳者を明記しているのに『煙草の害について』には訳者が載っていない。柄本明がかなり自由に脚色したからだろう。その分、面白さが倍加している。

 第二部『夏の夜の夢』は一応は福田恆存訳の戯曲の科白を役者たちがそのまましゃべっているのだが、いろいろな工夫が盛り込まれていた。

 『夏の夜の夢』は他愛もないコメディで、祭りの演し物のような目出度い芝居ではあるが16世紀の芝居だ。現代の日本人が当時の英国人の感性で舞台を楽しむのは容易でない。シェイクスピアという名前にひれ伏して教養主義的に古典鑑賞の気分で観劇するのではつまらない。

 柄本明演出は福田恆存訳の戯曲をできる限り楽しく猥雑に演じようとしている。科白にはルー大柴的なジャパニーズ・イングリッシュが入り、昭和歌謡曲を盛り込み、衣装はデタラメだ。柄本明演ずる妖精の王はステテコ、ダボシャツ姿でマントは唐草模様の風呂敷である。古典ではなく笑劇として演じようとする工夫だろう。

 何百年も昔の芝居に当時の人が感じたであろう面白さを現代の観客に追体験させるのは容易でない----『夏の夜の夢』を観劇しながらそんなことを感じた。

美輪明弘、演出・美術・主演の『近代能楽集』を観劇2017年04月05日

 初台の新国立劇場中劇場で三島由紀夫の『葵上・卒塔婆小町』(『近代能楽集』より)を観た。演出・美術・主演は美輪明弘だ。

 戯曲集『近代能楽集』を読んだのは約半世紀前の大学生時代だ。当時すでに新劇の魅力は色あせ、紅テントや黒テントなどのアングラに魅かれていた。そんな時代だったが、『近代能楽集』収録の8編の一幕劇は超現実的な秀逸な現代的戯曲に思えた。あの頃、私たちの同時代文学は安部公房、大江健三郎、三島由紀夫に代表されているという感覚があった。

 半世紀が経過し『近代能楽集』の内容は忘却の彼方にある。何篇かは舞台でも観ているが記憶は朧だ。しかし、戯曲や舞台から受けた摩訶不思議な印象だけは残っている。

 私は芝居を観る前には戯曲を目に通すことが多い。役者たちが舞台に立ち上げる時空間を堪能するのが観劇の醍醐味であり、筋の展開を追うのは二の次だから戯曲を読んでいても観劇の興をそぐことはないと思うからだ。

 だが、今回の『葵上・卒塔婆小町』では失念している戯曲を再読せずに観劇した。観劇の過程で記憶のよみがえりを楽しむというワクワク体験を期待したのだ。

 美輪明弘は主演・演出だけでなく美術も担当している。ダリをモチーフにした『葵上』の舞台も新宿の都庁舎を遠景にした『卒塔婆小町』の舞台も異世界的で十分に魅力的だった。そして、この舞台で展開される三島由紀夫の世界に昭和レトロを感じてしまった。

 半世紀前に同時代的だと共感していた世界に昭和レトロを感じる自分自身に少し驚いた。三島由紀夫がすでに古びてしまったのか、私が年老いてしまったのかはよくわからない。

 この芝居で「俗悪」という単語が何度か出てくるのも気になった。この単語に久々に触れた気がした。現実世界を唾棄する言葉として「俗悪」が使われているようでありながら、演劇空間は「俗悪」を彼方に夢想しているようにも思える。

 「俗悪」という単語にこんな反応をするのは、この世が俗悪から遥かに遠ざかってしまったのか、あるいは俗悪の中に埋没してしまったのか、それもよくわからない。

近松門左衛門に後ろめたさを感じつつ文楽を観た2017年02月08日

  昨日、国立劇場で文楽公演『近松名作集』を観た。午前11時開演で終演は午後7時52分、約9時間の長丁場だった。この公演、3部に分かれていてチケットは別々だから続けて全部観る必要はない。だが、思い切って同じ日のチケットを3枚購入した。3本とも観たい演目であり、自分が9時間の観劇に耐えられるか体力試し気分で購入したのだ。

 そして、昼食も夕食も劇場売店で買った弁当をロビーで食すという1日を過ごした。意気込んだほどにキツくはなく、腰も痛くならなかった。傍から見ればたいしたことではなかろうが、私はささやかな達成感を得た。

 文楽を観るのは昨年末の『仮名手本忠臣蔵』に続いて2回目に過ぎないが、退屈することなく堪能でき、今やいっぱしの人形浄瑠璃ファンになった気分だ。

 演目は近松門左衛門の『平家女護島』『曾根崎心中』『冥途の飛脚』の3本、どれもタイトルを知っているだけの演目だ。かねがね、近松門左衛門には後ろめたさを感じている。日本のシェイクスピアと言われるほどに高名な劇作家で、子供の頃から名前は知っているのに、その作品をほとんど読んでいない、いや読めていないからだ。近松門左衛門より昔のシェイクスピアの戯曲は翻訳のおかげでいくつも読んでいるのに、日本のシェイクスピアの作品を読むことができない。おかしなことだが仕方がない。

 ずいぶん昔、野田秀樹の『野田版国性爺合戦』という芝居を観たとき、原作も読もうと『新潮日本古典集成/近松門左衛門集』を購入した。5本の浄瑠璃が収録されていて、近世の古文なら何とかなると思ったが、読み通すのが苦痛で途中で投げてしまった。そんなこともあり、近松門左衛門には申し訳ない気持ちがある。

 ということで、人形浄瑠璃の『近松名作集』を観劇して近松門左衛門に再びアプローチしようと思った。観劇に先だって『名作歌舞伎全集第1巻』収録の『平家女護島』『曾根崎心中』『恋飛脚大和往来(冥途の飛脚)』を読んだ。歌舞伎台本は浄瑠璃とは異なる部分もあり、浄瑠璃よりは読みやすい。だが、どの台本もいまひとつピンと来なかった。面白さのポイントがつかめなかったのだ。

 そして、人形浄瑠璃の実演を観て、やっと面白さがわかった。やはり、舞台を観なけらば芝居はわからない。台本だけで舞台を想像するのは簡単ではない。3本の中では『曾根崎心中』がいちばん迫力がある。あざとさも感じるが、元禄の世に大ヒットしたのが納得できた。

 今回上演の『曾根崎心中』のラストの語りは以下の通りだ。

 「南無阿弥陀仏を迎へにて、あはれこの世の暇乞ひ。長き夢路を曾根崎の、森の雫と散りにけり」

 これが『名作歌舞伎全集第1巻』では次のように変わっている。

 「誰が告ぐるとは曾根崎の森の下風音に聞え、とり伝へ貴賤群衆の回向の種、未来成仏疑ひなき、恋の手本となりにけり」

 歌舞伎になるときに変わったのだろうと思った。だが『新潮日本古典集成/近松門左衛門集』収録の浄瑠璃は歌舞伎台本と同じだった。ちょっと不思議だ。

 いずれにしても、これを機に『新潮日本古典集成/近松門左衛門集』の名文に再チャレンジしようかという気になった。

迷路の街で不条理劇を観る2017年01月20日

 東京乾電池の『やってきたゴドー』(作・別役実、演出・柄本明)を下北沢の「駅前劇場」という小さな劇場で観た。遠い昔、下北沢を象徴する本多劇場には柿落しに行ったし、周辺の小劇場にも行ったことがあるが「駅前劇場」は初めてだ。

 井の頭線と小田急線が交差して狭い通路が縦横に走る下北沢駅周辺は迷いやすい。久々に下北沢に行くと、駅周辺は工事中のフェンスだらけで、迷いやすい町並みがいっそう複雑な迷路になっていた。

 「駅前劇場」は文字通り駅前にあり、迷いようがない。にも関わらず、そこに辿り着くのにずいぶんウロウロしてしまった。北口→西口→北口→南口とさまよったのだ(南口を西口と混同したのが敗因)。加齢でボケているせいもあるが、知っているはずの通路が工事で通行止めで大きな迂回路になっていたりして面食らった。

 不条理劇を演ずる劇場に入るまでにすでに不条理を体験をしてしまったのである。そして、劇場に入ると不条理の予感とでも言うべき懐かしさを感じた。小劇場の舞台に緞帳はなく、開演前から舞台装置が観客の前に晒されているからだ。舞台には古びたバス停の標識とベンチ、そして電信柱があるだけで、電信柱には団地妻の卑猥なビラがベタベタ貼られている。別役実らしい不思議世界の懐かしい雰囲気だ。

 今回の東京乾電池の公演はベケットの『ゴドーを待ちながら』と別役実の『やってきたゴドー』との連続公演で、両方とも観たいと思ったが、前者はチケットが取れなかった。

 ノーベル文学賞を受賞したベケットの『ゴドーを待ちながら』は「20世紀の民話」とも言える不条理劇の「古典」だ。二人の浮浪者がゴドーという人物を待っているだけの、何ともシンプルな話だ。私は学生時代に戯曲を読み舞台写真を観ただけで、実際の上演を観たことはない。

 今回、『やってきたゴドー』を観る前にベケットの『ゴドーを待ちながら』をほぼ半世紀ぶりに再読した。そして、1953年に初演されたこの芝居が、1960年代後半の唐十郎らのアングラ芝居に影響をおよぼし、私自身が無自覚にもその影響を受けていることにあらためて気付いた。やはり「20世紀の民話」だ。

 で、別役実の『やってきたゴドー』は如何なる舞台だったか。ゴドーを待つ二人の浮浪者エストラゴン、ウラジミールを始めベケットの芝居の5人の登場人物全員が登場し、モトネタと似た演技をくり返す状況にバス停前の新たな世界が重なり、新たに4人の女とゴドー自身が登場する。ベケットの空間とバス停と電信柱の懐かしき世界が地続きになった世界で、もうひとつの不条理劇が展開される。

 ゴドーがイエス・キリストに似た浮浪者の姿で登場するのが、面白くもあり正当的でもある。ドストエフスキイの大審問官のような重さがないのが20世紀だ。

 「ゴドーです」
 「エストラゴンです」
 「ウラジーミルです」

 この会話の後、ゴドーは無視される。

 この無視が新たな不条理であり別役劇の眼目だ。それがベケット劇の不条理を乗り越えたのか、不条理が深化したのか、単に多様性を提示しているのか、あるいはベケット劇をくり返しているだけなのか、いろいろな見方ができる。「20世紀の民話」の延長なのは確かだ。

 21世紀には「20世紀の民話」とはまったく異なる新たな民話が生まれるのだろうか。

『初春大歌舞伎』を観た2017年01月18日

 歌舞伎座の『初春大歌舞伎』を昼の部も夜の部も観た。1月公演を観るのは初めてである。正月らしい趣向があるかと思っていたがことさらの正月らしさは感じなかった。

 昼夜とも片岡愛之助がほぼ出ずっぱりの活躍だった。六つの演し物の四つ(『将軍江戸を去る』『大津絵道成寺』『井伊大老』『松浦の太鼓』)に出演している。

 私には最後の『松浦の太鼓』がいちばん面白かった。忠臣蔵の外伝で、討入りの夜の吉良邸の隣家の殿様の屋敷での話だ。討入りを待ちわびる殿様(市川染五郎)の様子をコミカルに描いた舞台で、愛之助は大高源吾を演じている。

 この愛之助を観ていて片岡仁左衛門に似ているなあと感じた。テレビドラマ『半沢直樹』ではそんな感じは抱かなかったが、歌舞伎の舞台になると様子がガラリと変わるものだ。仁左衛門は愛之助の義父の弟なので縁はあるが、部屋子出身なので血はつながっていない。にもかかわらず仁左衛門を彷彿とさせるのが不思議であり、面白くもある。

 午前の部の最後は中村吉右衛門主演の『沼津』で、『伊賀道中双六』の中の一場面だ。私は以前に『伊賀道中双六』を通しで観ていて戯曲も読んでいるので、話の筋はわかってはいた。だが『沼津』という場面はかなり変である。コミカルな前半と深刻な後半とのギャップが大きい。

 芝居が終わった後、前の席にいた中年男性が連れに対して「何が何だか全然わからん」と不満そうにつぶやいていた。舞台は好色そうな旅の商人と人の良さそう貧しい老雲助のコミカルな掛け合いで始まる。中盤まではユーモラスでわかりやすい。その舞台がいつの間にやら老雲助の切腹にまで展開していくのだから、背景の事情を把握していない初見の人は面くらうだろう。予備知識なしに、この『沼津』だけの舞台進行を観ると私も「わけがわからん」とつぶやいたと思う。

 歌舞伎を楽しむには、わけのわからない強引で無理な展開が歌舞伎の面白さだと認識しなければならない。

3ヵ月がかりで『仮名手本忠臣蔵』全段を観た2016年12月25日

 国立劇場の『仮名手本忠臣蔵』第三部を観た。10月、11月、12月の3ヵ月をかけて『仮名手本忠臣蔵』全十一段をフルバージョンで観たわけで、それなりの満足感はある。だが、年を取った悲しさで先月や先々月に観た舞台はすでに記憶の彼方で朧になりつつあり、間延びのした長丁場につきあったという散漫な気分にもなる。

 全十一段を休憩時間を入れながら上演すれば15時間ほどになる筈で、1日での一挙上演は無理かとは思うが、やはり一挙に観劇したかったなあと思った。2日がかりぐらいの短時間で全段を観れば、さまざまな絡みが自然な流れに見え、それぞれの場面の有機的な関連を実感的に鑑賞できそうだ。

 そんなことを思ったのは、師直を討った後の「高家紫部屋本懐焼香の場」で、寺岡平右衛門が早野勘平の代わりに縞の財布を戴いて焼香するシーンを眺めながら「そう言えば、勘平や平右衛門が登場する熱のこもった舞台を1ヵ月ほど前に観たなあ」と遠い記憶をまさぐる気分になったからだ。違和感一歩手前の感覚であり、それは私の貧弱な頭のせいではあるが、全十一段を一挙に観れば、違和感ではなく多様な伏線が収束していく素直な快感を得たのではと思われたのだ。

 もっとも、十一段目(討入り)の歌舞伎は浄瑠璃とは異なる実録風に変化しているし、今回の国立劇場の上演台本も『名作歌舞伎全集』(東京創元社)収録の台本とも少し異なってた。映画や小説では「討入り」は重要なクライマックスだが、歌舞伎の「討入り」は付録サービスのよう場面で、クライマックスとは言えない。「討入り」は最終段階の達成であって、そこには人間模様の葛藤はないし、見得を切るような状況もない。それ以前の多様なシーンで盛り上げていって芝居にしているところが歌舞伎独特の面白さだとあらためて気付いた。

 今回の観劇で今ごろになって気付いたことが他にもある。九段目「山科閑居の場」で、加古川本蔵が死に、大石内蔵助が本蔵が被っていた虚無僧笠を拝借して虚無僧姿になって出立するシーンである。台本を読んだ時には、他人の持ち物で変装(?)するなんて変だなあと思っていた。だが、芝居を観ながら、これは加古川本蔵と大石内蔵助を重ね合わせる仕掛けだと気付いた。考えてみれば、一歩違えば加古川本蔵と大石内蔵助の立場は逆転していたわけで、お互いにそのことをよく認識していた筈だ。だからこそ、九段目が成り立っているのだ。

 将来、この芝居をまた観たら、さらに新たな発見をするかもしれない。だが、昔のことは忘れてしまうので、観るたびに自分では新たな発見だと思う可能性も大きい。それでもかまわないが・・・

人形浄瑠璃デビューで認識をあらためた2016年12月10日

 『仮名手本忠臣蔵』のオリジナルが人形浄瑠璃だとしても観劇は歌舞伎で十分だ。あえて人形浄瑠璃まで観たいとは思わなかった。しかし、国立劇場開場50周年記念で歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』に加えて人形浄瑠璃の『仮名手本忠臣蔵』も通し上演すると知り心が動いた。歌舞伎と人形浄瑠璃を見較べる機会は少なかろうと思い、人形浄瑠璃のチケットも手配した。

 歌舞伎は『仮名手本忠臣蔵』全11段を3部に分けて3ヵ月かけて上演するが、人形浄瑠璃は昼と夜の2部で全11段を上演する。昼夜連続で観ると正味10時間以上になる。とりあえず昼の部(大序から6段目まで)だけ観ることにした。

 人形浄瑠璃はほぼ初体験である。半世紀以上昔の高校時代に授業の一環で阿波人形浄瑠璃『傾城阿波の鳴門』を観たが何も憶えていない。そもそも、人形浄瑠璃をなぜ「文楽」と呼ぶのかも知らなかった。今回調べて、大正時代に人形浄瑠璃を上演するのが文楽座のみになったためだと知った。

 観劇の数日前の朝、FM東京をかけると「いま、ここ半蔵門スタジオの前を大勢の女子大生が歩いています。何かイベントがあるのでしょうか」と放送していた。しばらくして「わかりました。みんさん国立劇場の文楽を観に行くそうです。忠臣蔵だそうです」との報告があった。

 そんな放送を聞いていたので観客は女子大生であふれているのかと思っていたが、さほどではなかった。満員の客の大半は中高年で、歌舞伎よりは男性客の比率が高いように思えた。たまたま私の席の周辺がそうだったのかもしれない。

 で、昼の部の5時間を観劇し、想像していた以上にわかりやすく十分に楽しむことができた。私が人形浄瑠璃を敬遠していた理由の一つは、浄瑠璃がわかりにくいと思っていたからだ。

 数十年前、まだ歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』を観ていなかった頃、『仮名手本忠臣蔵』を読んでおこうと思って手にしたのが『岩波古典文学大系』の『浄瑠璃集』だった。これに収録されている『仮名手本忠臣蔵』は何とも読みにくく、途中で投げ出した。その直後に入手した『名作歌舞伎全集』の『仮名手本忠臣蔵』は比較的スラスラと読めた。基本的には同じものの筈だが、歌舞伎台本の形になっている方がはるかに読みやすかった。

 そんな読書体験から歌舞伎に比べて人形浄瑠璃はわかりにくいと思い込んでいた。だが実際に観劇すると、さほどわかりにくくはなかった。よく知っている演目というせいもあるが、何と言っても舞台両脇にある字幕テロップのおかげである。太夫の語りに合わせてその内容が字幕で表示されるのだ。国立劇場の文楽公演にこんなサービスがあるとは知らなかった。字幕の文字を眺めながら義太夫を聞いていると、そこそこに意味を把握でき、楽しく観劇できた。

 チケット予約時には昼の部だけでいいと思っていたが、実際に観劇すると夜の部も観たくなった。ダメモトでネット検索した。案の定、12月の小劇場に空席は残っていなかった。大劇場の歌舞伎の方は多少の空席があった。座席数が違うとは言え、同一演目で文楽が歌舞伎を凌駕していると知り、認識をあらためた。