箱館戦争で敗れた武士が明治の浮世絵師に……2023年12月05日

 町田市立国際版画美術館で幕末明治の浮世絵師『揚州周延(ようしゅうちかのぶ)』の展覧会を観た。この絵師の名は、本展示を紹介した日経新聞の記事(2023.11.18朝刊)で初めて知った。

 私が興味を抱いたのは揚州周延の経歴である。高田藩士で本名は橋本直義、第二次長州戦争に幕府側兵士として参戦、戊申戦争で彰義隊として戦った後、榎本武揚の艦隊に加わって箱館へ行く。榎本軍の降伏で江戸に送られ、その後、浮世絵師になったそうだ。私は榎本武揚ファンなので、展覧会に行けば榎本武揚や箱館戦争に関する新たな知見が得られるかもしれないと期待したのである。

 この展覧会の正式名称は『揚州周延 明治を書き尽した浮世絵師』、数百枚の明治浮世絵を展示している。題材は多岐にわたる。美人画や役者絵だけでなく、西南戦争、日清戦争、日露戦争を描いたものや、江戸時代を題材にした絵もある。しかし、私が期待した箱館戦争の絵は確認できなかった。

 幕府側で最後まで戦った武士が明治になって浮世絵師に転身したのだから、何等かのこだわりで箱館戦争を描かなかったのかなと思った。だが、考えてみれば、揚州周延は職業絵師である。箱館戦争は売れる題材ではなかったのかもしれない。

 展示の中で榎本武揚を描いた絵が1枚あった。明治19年の「扶桑高貴鏡」という絵だ。天皇・皇后らしき人物の回りに12人の重臣の肖像画を配している。その肖像の一つが「逓信大臣榎本武揚公」である。揚州周延がどんな思いで榎本武揚を描いたのかはわからない。

 購入した図録にはやや詳しい揚州周延紹介が載っている。それによれば、武士らしい気性をまとった人だったらしい。「酒の席ではその過去を得意談とし、箱館戦争が面白かったなどと話すおおらかさを持っていたようだ。」ともある。その得意談を絵で残してほしかった。

サグラダ・ファミリアの進捗状況に驚いた2023年08月24日

 東京国立近代美術館で『ガイディとサグラダファミリア展』を観た。ガウディの建築物はいくつか見ているが、ガウディ本人についてはほとんど知らなかった。ガウディの伝記的な展示によって、普通に建築学を習得して建築家としてスタートした人だと知った。もっとエキセントリックな人物を想像していた。

 サグラダ・ファミリアの起工は1882年、141年前だ。ガウディはその翌年に就任した2代目の建築家だった。就任したときは31歳、1914年(62歳)以降は他の仕事から手を引いてサグラダ・ファミリアに専念、1926年(73歳)に交通事故で死去する。

 私は15年前の2008年にサグラダ・ファミリアを訪れた。あわただしい観光で、エレベータで上まで行って階段で降りてきたのを憶えている。工事中の教会という印象が強かった。

 寄付金を集めながら100年以上にわたって工事中のサグラダ・ファミリアを観て、完成予想図を知ったとき、完成までにはさらに何十年もかかるだろうと思った。

 今回の展示で現在の状況を知り、その進捗ぶりに驚いた。チラシに載っている写真が現在の姿だ。中央部分の巨大な「イエスの塔」が姿を表しつつある。この塔は2026年完成予定だそうだ。

 サグラダ・ファミリアには永遠に工事中という独特の魅力があると感じていたが、この状況だと、私の存命中に竣工する可能性もある。目出度いような残念なような、複雑な気分である。

古代メキシコの遺物には独特の魅力がある2023年08月04日

 東京国立博物館で開催中の『特別展古代メキシコ』を観た。マヤ文明、アステカ文明、テオティワカン文明の遺物を展示している。

 古代メキシコ文明や南米のインカ文明は、私の頭の中では世界史の一部というよりはSFの世界に近い。これらの文明については、歴史書ではなくSFや伝奇読み物で接する機会が多かったからだ。そんなイメージが大いなる偏見だとは自覚している。

 東西に広がるユーラシア大陸に発生した四つの文明(中国、インダス、メソポタミア、エジプト)は互いの交流もあったし、それを継承した後世の新たな文明・文化が思い浮かぶ。しかし、南北に広がるアメリカ大陸で発生した文明は、互いの交流はあったにせよ全体として孤立し、それを受け継いだ文明はないと思える。スペインのコンキスタドール(要は銃と病原菌)によって滅ぼされた「絶滅文明」である。

 そんな絶命文明の遺物には、ユーラシアの文明とは異質の独特の魅力がある。展示されてている土器やマスクや石像の多くは、大胆かつおおらかな造形で、ユーモラスでもある。生命力を感じる。遺物のなかには人身供犠に関連したものもあるらしい。生贄と生命力の結びつきに文明の不思議がある。

 「死のディスク石彫」は太陽の中央に舌を出した髑髏を配置した巨大な造形だ。西に沈んで東から上ってくるまでの間の「沈んだ(死んだ)太陽」の姿を表し、死と再生を暗示しているそうだ。変に理屈っぽい造形にSFを感じた。

『横尾忠則 銀座番外地』は制作過程ブツのナマの迫力2023年05月22日

 銀座7丁目のギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催中の『横尾忠則 銀座番外地』を観た。ポスターや絵画などの完成品の展示ではない。それらができ上るまでのスケッチ、デッサン、ドローイング、コラージュ、版下などの展示である。

 かなりの量の制作過程作品が展示されていて、ナマの迫力に圧倒された。横尾忠則氏のスケッチブックのスライド上映もある。奔放なスケッチの奔流を眺めていると、横尾忠則氏は日常生活のなかで、呼吸をするようにスケッチを残してきたのではなかろうかという気がしてくる。

 私にとって興味深かったのは1960年代末のポスターやイラストに関する作品である。私がリアルタイムで衝撃を受けた作品の素をナマで眺めていると、遠い昔の制作現場に立ち会っている気分になる。

 あの頃の横尾忠則氏のポスターで印象深いのは「東京国際版画ビエンナーレ展」と「椿説弓張月」である。前者は駅に貼ってあるポスターをいつまでもうっとり眺めていた記憶がある。後者のポスターは後年になって入手し、自宅に貼っている。

 この二つのポスターのアイデアスケッチも何枚か展示している。意外と小さな紙にラフなタッチで書いている。ここからあのポスターが生まれたのかと、感慨深く眺めた。

『へんてこりん、へんてこりんな世界』は想像したほどヘンではなかった2022年10月04日

 六本木の森アーツセンターギャラリーで開催中の『特別展アリス―へんてこりん、へんてこりんな世界―』を観た。『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』に関する展示である。

 展覧会のタイトルや紹介記事を見て、「不思議の国」や「鏡の国」を疑似体験するワンダーランド巡りを期待したが、思った以上にまともな展示だった。お化け屋敷や遊園地ではなく、あくまでギャラリーである。私の期待が的外れだったようだ。

 作者ルイス・キャロル(本名チャールズ・ラトヴィッジ・ドジソン:数学者)に関する写真などが多く展示されている。あの有名なテニエルの挿絵は、作者と画家との綿密な打ち合わせによって生まれた知り、なるほどと思った。テニエルの挿絵の銅版画の原版も展示されている。しげしげと眺めた。

 主人公のモデルであるアリス・ドゥルはキャロルが物語を語り聞かせた少女である。彼女の成人後の写真を、その後の活動の紹介を添えて展示している。不思議な気分で眺めた。

 この展覧会は文学史がメインではなく「文化的アイコンとしてのアリス」の展示である。全体を眺めると、世界中の多くの人々が「アリス」の世界に惹かれ、大きな影響を受けてきたことがわかる。私もその一人である。

 アリスの映画と言えばディズニーのアニメと実写版『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年公開)が思い浮かぶ。だが、今回の展示によって、それ以前の無声映画の時代から何度も映像化されてきたと知った。

 映画だけでなく舞台や美術に関わる展示もある。別役実の『不思議の国のアリス』『アイアム・アリス』も登場するかと期待したが、それはなかった。

 2020年来のコロナ禍のなかで、人類と感染症との攻防を『鏡の国のアリス』に出てくる「赤の女王」に例える議論を聞いた記憶がある。同じ場所にとどまるには全力疾走を続けなければならない、という話である。感染症にからめた「赤の女王」の展示があれば面白いのにと思ったが、そんな展示はなかった。

ポンペイ展で往時の豊かな文化生活を偲ぶ2022年03月20日

 東京国立博物館で開催中の特別展「ポンペイ」を観た。モザイク画や彫刻をはじめ多様なポンペイの遺物が展示されている。私はローマ史に関心があり、イタリアへは何度か行ったが、ポンペイやナポリには行ってない。当分、訪れるのは難しいだろう。むこうから至宝が来てくれるのは有難い。

 事前に新聞記事・テレビ番組・ネットなどで主な展示物をチェックしていた。当然ながら実物には迫力があり、画像と実物は違う。特に違いを感じたのはサイズである。想定していたより小さいものがいくつかあった。小さいからがっかりしたわけではない。

 チラシにも載っている「辻音楽士」のモザイク画は意外に小さい。モザイク1片のサイズが思ったよりかなり小さく、3ミリ程度だった。それ故に全体は想定よりはるかに小さくなる。モザイクとは思えない緻密さに驚いた。

 「踊るファヌス」という彫刻は等身大を想像していたが、高さ71センチだった。邸宅の広間に置かれていたらしい。躍動感のある見事な彫刻で、室内に置くにはこのサイズがちょうどいいと思えてきた。

 紀元79年のヴェスヴィオ山噴火でタイムカプセルになったポンペイの遺品の多くは、当時の富裕な邸宅を飾っていた絵画や彫刻である。宮殿や大寺院の遺物ではない。美術館に鎮座する芸術品というよりは優雅な生活の場を色取った装飾品である。

 ポンペイ滅亡時の日本は卑弥呼以前の弥生文化の時代だ。そう思って展示品を眺め廻すと、ポンペイの人々が享受していた華麗で豊かな生活に驚かざるを得ない。

 先日、ポンペイの落書きを扱った本を読み、ポンペイに残された落書きの面白さを知った。今回の展示に落書きはないと思っていたが、一点だけあった。と言っても賃借人を募集する広告文なので、ポスターに近い。ラテン語など読めはしないが、大文字だけの壁面を見て、これが「ポンペイの落書き」かと少し感動した。

青木繁の『海の幸』から派生した森村泰昌の歴史パノラマを観た2021年11月24日

 アーティゾン美術館で『M式「海の幸」森村泰昌:ワタシガタリの神話』という展示を観た。この美術館は元ブリヂストン美術館で、2年前に京橋の高層ビルにオープンした。写真撮影原則OKなのがいい。

 森村泰昌氏は名画の人物や有名人に扮したセルフポートレート写真で名高い美術家である。新聞や雑誌で森村氏の奇怪な作品を知り、いつか観たいと思っていた。現物作品を眼前にすると、やはり迫力を感じる。

 今回、森村氏が扮するのは青木繁の『海の幸』である。この美術館が所蔵する本物の『海の幸』をはじめ青木繁の作品数点も同時に展示している。面白い企画だ。青木繁に扮した森村氏が、28歳で夭逝した青木繁に語りかける『ワタシガタリの神話』という動画作品を会場内で上演している。

 10人の人物が描かれた『海の幸』の森村版には10点のバージョンがある。作中人物に扮した10人の森村氏が登場するオリジナルに似せた作品の他にさまざまな興味深い作品を展示している。『海の幸』は1904年(明治37年)の作品で、森村版はその後の歴史を反映する仕掛けになっている。1964年の東京オリンピック開会式や1960年代末のゲバ棒学生群像などもあり、現代史のパノラマのようだ。
  
 これら10点のタイトルも興味深い。『假象の創造』『それから』『パノラマ島綺譚』『暗い絵』『復活の日1』『われらの時代』『復活の日2』『モードの迷宮』『たそがれに還る』『豊穣の海』である。私の読んだ小説ばかりでうれしくなった。わからなかったのは『假象の創造』と『モードの迷宮』で、調べてみると前者は青木繁の文集のタイトル、後者は鷲田清一の著作名だった。それにしても、光瀬龍の『たそがれに還る』に出会えたのは驚きだった。

 オリジナルと似たポーズの作品もあるが、そうでないものもある。戦争場面のバージョン『暗い絵』が藤田嗣治の戦争画『アッツ島玉砕』を模しているのはわかったが、他はよくわからなかった。何かを模しているのだろうと思うが。

 最後から2枚目は途上人物が4人に減少し、最後の1枚は一人だけになってしまう。その一人は人間なのか非人類なのかよくわからない。地球の未来の暗示だと思う。

ワンダーランドのような「GENKYO 横尾忠則」2021年10月15日

 東京都現代美術館で開催中の『GENKYO 横尾忠則 [原郷から幻境へ、そして現況は?] 』を観た。いつか行こうと思っているうちに会期末が迫っているのに気づき、あわてて出かけた。

 私にとって横尾忠則は最も同時代性を感じるアーティストである。私と同じ団塊世代の多くがそうではなかろうか。大学生時代、あの奇抜なポスターに魅了され、彼が主演の映画『新宿泥棒日記』(監督:大島渚。1969年公開。私はこの映画で唐十郎の紅テントにハマった)に圧倒された。あの頃、メディアには横尾作品があふれ、『少年マガジン』の表紙までが横尾忠則の前衛的デザインになった。

 私が学生時代に購入した画集『横尾忠則全集 全一巻』(講談社)が出たのが1971年3月、横尾忠則34歳のときだ。それから50年、今回の〈横尾忠則展〉である。チラシの印象から油絵がメインかなと思った。グラフィックデザイナー横尾忠則が「画家宣言」したのは承知していて、その油絵を雑誌などで観ているが、私にとっての横尾忠則はやはり奇想のポスター作家だ。と言っても油絵作品も観てみたく、東京都現代美術館に足を運んだ。

 『GENKYO 横尾忠則』は油絵作品だけでなく横尾忠則の全画業を表現する大規模な展示だった。約600点という展示作品数が尋常でない。その大半は小品ではなく大作である。子細に一点ずつ鑑賞していては日が暮れる。作品群の森を呆然と眺めながらそぞろ歩きする鑑賞になった。

 当然ながら、写真と実物の違いをあらためて感じた。実物の油絵作品の迫力にはタジタジとなる。60年代のポスターも多数展示されていて感動した。1968年の「東京国際版画ビエンナーレ展」のポスターの前では足が止まった。このポスターは、19歳の私が駅のプラットホームで初めて目にした実物の横尾作品である。その鮮やかで斬新な奇想に吸い込まれるような陶酔を味わい、足がすくんだ。剥がして持ち帰りたい衝動に駆られた。ポスターも画集と実物では迫力が違う。50年数年ぶりに実物のポスターを前にし、駅のプラットホームでの陶酔がよみがえった。

 「GENKYO 横尾忠則」は展覧会というよりは異世界巡りを体験するワンダーランドである。原郷から幻境を巡回して辿り着く現況は奔放な寒山拾得の仙境だった。

藝大のスーパークローン技術を体感できる『みろく』展2021年09月17日

 東京藝大美術館で開催中の『みろく ―終わりの彼方 弥勒の世界―』という展覧会に行った。シルクロードの各地にある弥勒像を一堂に集め、弥勒信仰の起源と変遷をたどる企画である。ガンダーラ、バーミアン、敦煌、法隆寺金堂壁画などの弥勒を展示している――と言っても、展示物の大半は実物ではなく藝大の「スーパークローン技術」で現物を復元したものである。

 スーパークローン技術とは、3Dカメラなどの最新デジタル技術と緻密な職人技を駆使して文化財を復元する技術で、その出来栄えには目を見張らされる。

 今回展示されている復元文化財には、敦煌莫高窟275窟の交脚弥勒菩薩のように現存するものを復元したものもあるが、すでに失われた文化財の復元が多い。

 20年前タリバンによって破壊されたバーミアンの文化財も2点復元されている。バーミアン東大仏仏龕天井壁画「天翔ける太陽神」とバーミアンE窟仏龕天井壁画「青の弥勒」である。どちらも湾曲した天井や壁を含めた立体を原寸大で復元した大きなもので、一見の価値がある。

 また、1949年に火災で焼損した法隆寺金堂壁画の第9号壁「弥勒説法図」もスーパークローン文化財として復元されてる。

 スーパークローン技術は、単に文化財を現物通りに復元できるだけではない。退色したり欠損した文化財を制作時の状態に近づける「想定復元」も可能である。法隆寺金堂の「弥勒説法図」は焼失前の状態を再現した壁画の隣りに、色や図柄をより鮮明にした想定復元図も展示していた。この2点を並べて眺めると、時間を遡っていくような感覚になる。

聖林寺十一面観音には迫力があった2021年08月13日

 トーハク(東京国立博物館)で開催中の二つの特別展『聖林寺十一面観音』と『聖徳太子と法隆寺』を観てきた。目当ては『聖林寺十一面観音』だが、せっかく上野まで行くならと『聖徳太子と法隆寺』も観た。

 現在、コロナの影響でトーハクは完全予約制になっていて、気が向いたときに立ち寄るというわけにはいかない。事前に入館日時を明記した前売券をネットで購入した。『聖林寺…』は11時入館、『聖徳太子…』は12時30分入館の前売券である。まるで演劇のチケットだ。

 完全予約制のおかげで会場はさほど混んでなく、余裕をもって鑑賞できた。多少面倒ではあるが、長い行列で待たされて満員電車のような会場で観るよりは、はるかに快適である。コロナが終わってもこの方式を継続すればいいと思う。入場者数が激減しそうだから難しいか……。

 聖林寺十一面観音を観るのは初めてである。8世紀天平美術の傑作とされている仏像は確かに魅力的だった。造形もさりながら由来も興味深い。神仏習合の時代、三輪山を拝する日本最古の神社で千年以上敬われてきた観音像が、明治維新の神仏分離という野蛮な政策によって近隣の聖林寺に移されたそうだ。破壊を免れたのが何よりである。

 私は仏像に関する知識は乏しく、さほどの関心があるわけではない。それでも、展示会場の中央に屹立する十一面観音の回りゆっくり巡りながらその姿を見上げていると、静かな迫力が伝わってきた。千年を超える時間の重みを感じた。

 トーハクを出るとき、ふと思い出した。この博物館に初めて来たのは57年前、前回の東京五輪の1964年、高校生のときだった。オリンピック連動の特別展で教科書に載っている有名なアレコレを観た気がする。今回の特別展も五輪絡みのようだ。半世紀以上経っても似たような行動をする自分に呆れる。