那覇市の映画館で『アラビアの女王』を観た2017年04月15日

 今週前半は沖縄・那覇市で過ごした。県庁前の「パレットくもじ」9階の映画館「シネマパレット」で『アラビアの女王』を上映中だった。東京で見逃した映画だ。

 『アラビアのロレンス』の女性版で、実話に基づいた「イラク建国の母」の物語と聞いていたので、欧州・中東の近代史の勉強になりそうで興味があった。その映画を那覇で観ることができた。期待したような歴史物語ではなく恋愛映画に近い作りではあったが、20世紀中東史への関心を喚起する話だった。

 この映画の主人公は、アラビアのロレンスより20歳年長の英国の貴婦人・ガートルード・ベルである。私はこの映画で初めてアラビアで活躍したこの女性のことを知った。

 映画は史実をベースにしたフィクションだが、砂漠のシーンに魅了された。砂漠と言えば『アラビアのロレンス』と『眼には眼を』が印象深いが、そんな過去の映画を彷彿とさせる砂漠の映像だ。

 主演はニコール・キッドマンで、美しき女親分が従者を引き連れて砂漠の部族を歴訪する話だ。その歴訪を観ていると往年のテレビ番組「兼高かおる世界の旅」を連想し、ガートルード・ベルが兼高かおるに重なって見えてきた。

 また、「西のかた陽関を出ずれば故人なからん」という漢詩や「蒙古放浪の唄」などが醸し出す大時代的砂漠ロマンの世界も想起され、砂漠へと旅立つシーンにうっとりした。

 と言っても、この映画の歴史的な背景にはサイクス=ピコ協定などイギリスの二枚舌、三枚舌外交がある。砂漠を旅行く駱駝の隊列にロマンを感じても、この映画に登場するイギリス人たちの活躍に素直に納得するわけにはいかない。『アラビアの女王』はあえてそんな葛藤を避けた内容になっているのだが…

 沖縄の地でこの映画を観ていると、20世紀の中東と21世紀の沖縄に通底するものがあるように思えてきた。

『シン・ゴジラ』は面白い。その科学は難しい。2016年12月21日

◎ついに観た『シン・ゴジラ』

 年末になって『シン・ゴジラ』を観た。今年7月の封切り時にはさほど関心がなかったが、『太陽の蓋』に似ているという話を聞き、興味が湧いた。そして、先月発売の『日経サイエンス 2016年12月号』に『シン・ゴジラの科学』という特集記事があったので驚いた。真面目な科学雑誌が特集するほどの科学テーマを内包しているなら、ぜひ観なければと思い、映画を観るまではその特集記事を読むのを封印した。ネタバレになると思ったからだ。

◎『太陽の蓋』と『シン・ゴジラ』

 封切りから半年経って観た『シン・ゴジラ』は従来の怪獣映画とは一線を画す面白さで十分に楽しめた。首相官邸の対応を中心にしたリアルっぽい政治エンターテインメントで、原発事故を連想させる仕掛けになっているのが現代的だ。

 確かに3.11の原発事故をテーマにした『太陽の蓋』に似ている。「ジャーナリスティック・エンターテインメント」と銘打った『太陽の蓋』は今年7月の封切り時に渋谷ユーロスペースで観た。管内閣の官房副長官・福山哲郎氏の『原発危機 官邸からの証言』(ちくま書房)などを元にしたドキュメンタリータッチの劇映画だ。俳優たちが福山官房副長官をはじめ管首相、枝野官房長官らを実名で演じるのがミソで、仮名で登場する学者や東電関係者の頼りなさが浮き彫りになる警世の映画だった。よりえげつないほどにジャーナリスティックで、もっとエンタメ性を高めれば、単館上映ではなく広範な観客を動員できたのではと思った。

 今回『シン・ゴジラ』を観て、『太陽の蓋』が目指した「ジャーナリスティック・エンターテインメント」がここに実現されているようにも感じた。どちらも、官房副長官を中心に展開する点に工夫を感じる。ほぼ同時期に封切られたこの二つの映画を二本立て上映すれば、虚構と現実の相互浸透的面白さが出るのではと夢想した。

◎荒唐無稽を支える科学は難解だ

 映画を観たので満を持して『日経サイエンス』の『シン・ゴジラの科学』を読んだ。20ページの特集記事だ。かなり難しい内容で、残念ながら私の頭では十分には理解できなかった。

 この特集記事は大きく二つに分かれていて、前半はゴジラの発生と進化に関する生物学的探求で、後半はゴジラを封じる鍵の一つになった「折り紙」の科学の解説だ。いずれも。専門の学者への取材をまとめたものだ。

 ゴジラは日本が生み出した伝統芸能的な壮大な存在だから、いかに超越的能力をもっていても、それが存在することを前提に「科学的」説明がなされなければならない。今回のゴジラは、深海に投棄された放射性廃棄物を餌にした未知の生物が体内に原子炉や核融合炉をもつ生物へと驚異の進化を遂げる。短時間での進化がSFの発想だ。

 このフィクションを支える科学的キーワードは「エネルギー」「未知の新元素」「混合栄養」「血液凝固剤」「極限環境微生物」「無性生殖」「群体」などだそうだ。解説記事だけではその先端科学の内容は雰囲気しかわからない。しかし、次の記述は印象に残った。

 「将来、そうした地球外生命探求の最前線で、今回の『シン・ゴジラ』を子ども時代に熱心に見て育った若手研究者がリーダーシップをとることになるかもしれない。」

 荒唐無稽な設定を何とか「科学的」に説明しようとするSFが、子どもの好奇心を刺激して科学にいざなう効用をもっているのは確かだと思う。

◎蛇足

 エンドロールの出演者リストの最後に野村萬斎の名があった。映画を思い返しても、どのシーンに出ていたのかわからない。購入したパンフレットをめくってもわからない。ネット検索してやっと判明した。野村萬斎はゴジラだった。ゴジラはCGだから、着ぐるみに野村萬斎が入っていたわけではない。CGのゴリラの動きを振り付けたそうだ。

 壮大なフィクションに科学や伝統芸能のリアルを注入しようとする果敢なこだわりは大切だ。

原作を読んでから映画を観た2016年05月15日

 火星に一人取り残された宇宙飛行士のサバイバルを描いた映画『オデッセイ』が公開されたのは数カ月前だった。観たいと思っていたが、つい機会を逸してしまった。

 その後、この映画の原作『火星の人(上)(下)』(アンディ・ウィアー/小野田和子訳/ハヤカワ文庫SF)が本屋の店頭に並んでいるのを発見し、購入した。2年前に刊行した翻訳本を映画公開にあわせて新装版にしたものだ。この本を手にするまで、原作のある映画だとは知らなかった。

 この小説、実に面白い。読みだしたらやめられず、一気読みした。著者の処女作だそうだ。読む前から、火星に取り残された宇宙飛行士が生還する話だとわかっているし、半分も読めば情況と展開が見えてくる。その先は「困難発生」→「克服」のくり返しだろうと予測できてしまう。にもかかわらず、一気読みせざるを得ないのは、多様な知見に裏づけされたディティールに説得力があり、物語世界に引きずり込まれてしまうからだ。

 小説を読み終えて、きっと映画はこの小説ほどには面白くはないだろうと思った。経験的に原作の面白さを超える映画に出会うことが滅多にないからだ。しかも、この小説の面白さは、よくできた映画のような面白さなので、小説を読むだけで映画を堪能した気分になってしまう。この気分を凌駕するのは容易でないと思えた。

 にもかかわらず、小説を読み終えると「映画も観たい」と思った。「SFは絵だ」という言葉がある。活字によってイマジネーションを紡ぎ出すのがSFの醍醐味だが、それを具体的な映像で眺めて堪能したいという欲求は抑えがたい。

 そして本日、下高井戸シネマで映画『オデッセイ』を観た。予感したとおり、原作の面白さを超える映画ではなかった。原作に詰め込まれたオタク的ディティールを映画に盛り込むのが困難なのは当然だろう。しかし、原作を補完する映画と割り切れば十分に楽しめる。迫力十分の「動く挿絵」を鑑賞していると思えば贅沢な気分にもなれる。

『ハンナ・アーレント』は刺激的な映画だ2014年03月27日

映画『ハンナ・アーレント』、『ナチズムとユダヤ人:アイヒマンの人間像』(村松剛/角川新書)、『ハンナ・アーレント:「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(矢野久美子/中公新書)、1961年4月14日朝日新聞「社会戯評」
◎地味な映画に客が殺到

 映画『ハンナ・アーレント』を下高井戸シネマで観た。補助席が出るほどの満席だった。再上映が中心の小規模な映画館とは言え、地味な内容にもかかわらず満席なので驚いた。私のような中高年ばかりでなく若い人もかなりいた。

 昨年、岩波ホールで公開された話題作である。ハンナ・アーレントはナチス時代にドイツから米国に亡命したユダヤ人の女性政治哲学者だ。私はこの映画の新聞記事に接するまでこの人の名を知らなかった。

 米国で大学教授になり、『全体主義の起源』という著作で知名度もあったハンナ・アーレントは、1961年にイスラエルで開かれたアイヒマン裁判を傍聴する。
 アイヒマンはユダヤ人大量虐殺の責任者とみなされていたゲシュタポの一員で、潜伏先のアルゼンチンでイスラエルのモサドに拘束されたのだ。
 かつて収容所から脱出した経験のあるハンナ・アーレントは、裁判傍聴の記録をニューヨーカー誌に発表する。彼女の記事はユダヤ人社会から猛反発を受け、多くのユダヤ人の友人が彼女から去っていく。その経緯を描いたのがこの映画だ。

 学者の世界、それも哲学を専攻した人々の世界が、観客を退屈させない映画の題材になることに新鮮な驚きを感じた。アーレントはハイデッガーの教え子であり、愛人だったこともある。私はハイデッガーの著作には数ページで挫折したが、映画の中で俳優が演ずるハイデッガーを観て、雲上の人が近所を散歩しているのに出会ったような奇妙な感動を覚えた。

◎アイヒマンの記憶が甦った

 この映画ではアイヒマン裁判のシーンはすべて記録フィルムを使用している。アイヒマン裁判があった1961年、私は中学1年だった。新聞やテレビで観たアイヒマンの映像はよく憶えている。この映画のアイヒマン裁判のシーンに接して、あらたらめて、わが同時代を扱った映画だという印象が強まり、遠い記憶が甦ってきた。

 私の頭の中では、アイヒマン裁判とガガーリンの人類初の宇宙飛行が結びついている。調べてみると、アイヒマン裁判が始まったのは1961年4月11日で、ガガーリンの宇宙飛行は、その翌日の1961年4月12日である。
 中学生だった私はガガーリンの新聞記事を保存し、それは現在も残っている。「地球は青かった」というガガーリンの言葉を報じた朝日新聞の第1面の片隅に載った横山泰三の1コマ漫画は、人間衛星とアイヒマンに関連していた。被告席のアイヒマンに廷吏が人間衛星の感想を尋ねるという内容で、中学生ながら「面白くない漫画だ」と思った。
 そのつまらない漫画が、私の頭の中でアイヒマンとガガーリンを結び付けて、半世紀以上も記憶に残っているのだ。面白い作品や傑作が記憶に刻まれるのではなく、むしろ「つまらない」「くだらない」と感じたものの方か記憶に残ってしまうというのは不思議なことである。

 閑話休題。映画に挿入された記録フィルムのアイヒマンの様子には異様な印象を受けざるを得ない。まず、防弾ガラスで囲われた被告席が異様だ。銃撃されないよう保護しているのだ。当時、死刑になることがわかっている被告を大袈裟に保護する演出に胡乱なものを感じた。ガラスの檻のような被告席で悪びれた様子もなく答弁するアイヒマンの姿も異様で不気味である。

◎村松剛もアイヒマン裁判を傍聴

 私がアイヒマンを記憶しているのは、中学生時代にヒトラーに興味をもっていたことにも関連している。その頃、『ナチズムとユダヤ人』(村松剛/角川新書)という本も読んだ。ナチズムの解説書と思って購入したが、内容はアイヒマンの話だった。「アイヒマンの人間像」というサブタイトルは表紙カバーには印刷されていなかった。
 映画『ハンナ・アーレント』を観て、ガガーリンの記憶とともに村松剛の本の記憶も甦り、本棚から取り出してパラパラと再読してみた。

 当時32歳だった村松剛は、ハンナ・アーレントと同じようにアイヒマン裁判を傍聴している。アイヒマン裁判は1961年4月から8月まで開かれ、12月に死刑判決、1962年6月1日に死刑が執行された。アイヒマン裁判の記録に基づいて書かれた『ナチズムとユダヤ人:アイヒマンの人間像』の発行日は1962年6月10日になっている。裁判終了から8カ月後、死刑執行直後だ。
 ハンナ・アーレントが『イェルサレムのアイヒマン:悪の陳腐さの報告』を『ニューヨーカー 』誌に連載したのは1963年2月から3月だから、村松剛の本はそれよりかなり早い。当然、村松剛はアーレントの記事を知らずにこの本を書いている。

 アーレントは、アイヒマンを極悪非道の人間ととらえず、思考停止して命令を忠実に実施する官吏とみなし、そこに「悪の陳腐さ(凡庸さ)」を見出した。「私は命じられたことをやっただけだ」というアイヒマンの答弁を認めたようにも見える見解がユダヤ人社会から大きな批判を受けた(批判の矛先は、ユダヤ人指導者がナチに協力したという指摘にも向けられた)。

 『ナチズムとユダヤ人』を再読したのは、村松剛がアイヒマンをどうとらえていたかを確認したかったからだ。
 この本の第1部は収容所にいたユダヤ人の証言の採録で、大量虐殺の実態が生々しく語られている。第2部はアイヒマンの伝記で、裁判記録をもとにアイヒマンの生い立ちから大量虐殺に至るまでが坦々と語られている。裁判でアイヒマンが語ったと思われる折々のアイヒマンの心理も綴られている。
 第1部、第2部ともに報告記録であり、村松剛の見解は明には語られていない。読者に判断を委ねるスタイルだが、第2部で浮かび上がってくるアイヒマン像は、アーレントが指摘した「悪の陳腐さ(凡庸さ)」に近い。

 本文は坦々としているが、「あとがき」で村松剛は次のように明解に語っている。

 「アイヒマンにしても、私は彼が何か特別な人間であるというふうには考えません。彼を特別な、人とちがった人間と考えるのは、問題から目をそらせることであり、私たちの心の中にも、アイヒマンはいるはずなのです。」

 この見解は、本書の数カ月後にアーレントが発表する記事のアイヒマン観とよく似ている。
 村松剛やアーレントの見方の方が的を射ていて、当時のユダヤ人社会の反応が異常だった、と私には思える。

◎中公新書『ハンナ・アーレント』は理解の助け

 映画『ハンナ・アーレント』を観た直後、中公新書で『ハンナ・アーレント:「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(矢野久美子)が出版されたのを知り、購入した。映画を観た後なので感情移入しやすく、一晩で読了した。

 映画のメインテーマであるアイヒマン関連以降の話は本書の後半約五分の一ぐらいの分量である。しかし、前半の約五分の四で語られるアーレントの人物像や思想によって、映画ではわかりにくかった部分も見えてきた。
 また、1975年に69歳で亡くなったアーレントが取り組んでいた課題は、21世紀の世界においても切実な今日的な課題だとの思いを新たにした。

 ハイデッガーとの関係は映画では断片的なシンボルとして表現されているだけだが、本書によって少し明らかになった。また、映画には登場しないフッサールをはじめとする学者たちとの関わりも印象深く、アーレントの思想の背景が展望できた。

 映画を観て、アーレントはシオニズムには反対の立場かなとも考えていたが、そう単純な話でもなさそうだ。アイヒマン裁判の傍聴に至るまでのアーレントの思考をたどれば、アーレントの見解は必然的で妥当なものだと思える。それに対するまわりの反応の異常さこそが問題なのだ。

 ハイデッカーのような知の巨人もナチに協力した。アーレントの友人のユダヤ人知識人たちは、アーレントの妥当な見解を受け容れることができず、ユダヤ人指導者がナチに協力的だったという指摘に猛反発した。どちらも似ている。知力が高いから適切な判断ができるわけではない。 

 「ユダヤ民族」というひとくくりの見方に否定的だったアーレントが被った反発は、日中韓やウクライナをはじめ各地で発生する民族問題に通じている。現代社会に生きるわれわれが、いまだに克服できずに抱えている課題である。

『まぁ映画な、岡山じゃ県!』と言われれば、まぁええか2013年07月07日

『まぁ映画な、岡山じゃ県!』(世良利和/蜻文庫)
 『まぁ映画な、岡山じゃ県!』(世良利和/蜻文庫)という本を読んだ。
 朝日新聞夕刊の紹介記事でこの本を知り、読んでみたくなった。AMAZONで注文しようとしたが、検索でひっかからないので、版元のWebを探して直に購入した。「蜻文庫」が版元の名で、「蜻」は「あきづ」と読む。岡山市の地方出版社のようだ。今どき、ネット書店で購入できない本も珍しい。手に取って眺めると、裏表紙にISBNコードはあるがバーコードが印刷されていない。これが、ネット書店で購入できない理由なのだろうか。

 閑話休題。本書は岡山を舞台にした映画紹介であり、いしいひさいち氏の4コマ漫画が各章に掲載されている。岡山県出身で、同郷のいしいひさいちファンである私としては読まないわけにはいかない。
 著者は岡山在住の映画史研究家で、年期の入ったいしいひさいちファンだそうだ。いしいひさいち氏に岡山ネタ本を依頼したいという年来の願望を実現させるために出版社(蜻文庫)を立ち上げたそうだ。いい話である。
 そういう経緯で誕生した本書は、岡山県が映画の中でどのように扱われているかを語るオモシロエッセイといしいひさいち氏の4コマがうまくマッチし、絶妙な味わいがある。秀逸な書名が象徴しているとおりの内容だ。

 この本で取り上げている映画は24本で、私が観たのは6本しかなかった。本書を知って私が思い浮かべた岡山舞台の映画の何本かは収録されていなかった(『カンゾー先生』『図々しい奴』など)。考えてみれば、日本には47都道府県しかなく、これまでに夥しい数の映画が作られてきたのだから、何らかの形で岡山県が出てくる映画は、47分の1よりはかなり少ないにしても相当数あるはずだ。

 観てない映画に関するエッセイやマンガも十分に楽しむことができた。その一つの理由は、映画の舞台の多くが多少の思い出につながっているからだ。私が岡山県で暮らしたのは15歳までで、その後の約50年は東京暮らしだ。そのせいか、本書を読み進めていると、自分が中学生に戻ったような気分になった。懐かしいローカル地名で遠い記憶が刺激されるのだ。時には追憶に浸るのも悪くない。

 観ていない映画の話を楽しむことができた最大の理由は、紹介文が面白いからである。観ていない映画のあらすじを本書で読んでいると、ときにその荒唐無稽さに唖然とする。そんな映画でも、著者の絶妙なツッコミに誘われてその映画を観たい気分になってしまう。著者の筆力のなせる芸である。

 それにしても、本書を読みながら「あらすじ」というものの奇妙さを考えてしまった。あらすじが変テコでも面白い映画もあれば、あらすじが面白くても実はつまらない映画もありそうだ。映画や小説のあらすじは、書きようでどうにでも書けてしまうものであり、映画や小説をあらすじで理解することはナンセンスなのだと思われる。ディテールの積み重ねには違和感がないのに、その全体をあらすじで語ってしまうと変テコなものになってしまうということはありがちだ。シェイクスピアやドストエフスキイの名作でも、あらすじの書きようによってはとんでもなく変な物語になってしまうかもしれない。
 世の中には「あらすじ」という現実はないのだと思う。

追悼・大島渚2013年01月16日

『忍者武芸帖』『絞死刑』の新宿アートシアターのチケット
 大島渚監督が亡くなった。私が若かった頃に最も影響を受けた映画監督だ。
 一番印象深い作品は『絞死刑』だ。私にとっては大島渚の最高傑作である。『新宿泥棒日記』も『絞死刑』と甲乙つけがたい怪傑作で、強烈な印象を受けた。ただし、『新宿泥棒日記』の迫力は出演者のひとり唐十郎の存在感に負うとことろが大きい。大島渚作品という意味では『絞死刑』が一番だと思う。

 大島渚監督の映画をよく観たのは大学浪人から大学生の頃だった。半世紀近く昔のことである。自分の記憶があてにならないことは十分に承知している。昔の出来事の前後関係や年代が混乱するのは日常茶飯事だ。しかし、『絞死刑』を観た日はわかっている。1968年2月5日、私は19歳だった。

 私の部屋の隅に積み上げている段ボール箱に過去に遺物のような文書袋が詰まっている。数週間前からこの段ボール箱の整理に取り掛かっている。先日、その中から昔の映画や演劇のチケットが出てきた。当時の大島渚監督作品では、新宿アートシアターで上演した『忍者武芸帖』と『絞死刑』があり、その裏に自筆で日付メモがあった。『忍者武芸帖』を観たのが1967年3月8日、『絞死刑』を観たのが1968年2月5日だ。ビンボー学生だった当時、映画を観るのも一大事業で、わざわざメモまで残したのだと思う。われながら健気である。

 初めて観た大島渚作品は『日本の夜と霧』だったと思う。新宿アートシアターでの再演だ。『忍者武芸帖』と同時上映だったような気もするが曖昧だ。いつ観たかの記憶は不明確だが、内容の印象は明確に残っている。延々と続く結婚式のスピーチの応酬が激しい政治討論に拡がっていく非日常観に圧倒され、「これが政治映画なのか、これが大島渚なのか・・・」とびっくりした。

 『絞死刑』も政治的メッセージの強い映画ではあるが、それをストレートに発信しているのではなく、不気味で超現実的なユーモアを内包している。即物的な映像のなかに国家という抽象的なものが浮かび上がってくる表現に圧倒された記憶がある。いままで見えていなかった世界が見えてきたような気がしたとも言える。この体験は『新宿泥棒日記』を観たときの体験にも共通している。

 あのとき、映画を観て「いままで見えなかった世界が見えてきた」と感じたのは真実の一端が見えたのだろうか、それとも幻想だったのだろうか。半世紀近く経って、『絞死刑』『新宿泥棒日記』を観たときの印象を反芻してみて、あのときに何が見えたかはどうでもいいことだと思えてきた。
 世界を新たな目で見ることができたと思える体験こそが貴重だったのだと思う。そんな体験は、芸術からも科学や社会科学からも実人生からも得ることが可能だが、とは言っても、簡単にしょちゅう得られるものではない。それを積み上げていくことが、人生の意味のようにも思える。

 それはともかく、古文書の段ボールを整理しているときに出てきた古い新聞記事に次のような大島渚インタビューが載っていた。

-------------------------------
 溝口健二は。
 「自分というものを表現できなかった作家ね。あのヒト。それが技術という形になった」
 黒沢明は。
 「彼は自分を表現したけれど、あのヒトの自分は深い世界じゃなかった。クロサワの人気はつくられたものです」
 今村昇平は。
 「自分の世界を守るという点じゃネバるが、ただ守っているだけでは自己完結的になってしまう。たたかわなければ」
 たたかっているのは。
 「大島渚だけだと思う」
  (1970年5月4日 朝日新聞朝刊「70年代の百人」より)
-------------------------------

 大島渚38歳、『東京戦争戦後秘話』を公開した頃の記事だ。昔から元気でナマイキだったのだ。

 蛇足ながら、今回、ウィッキペディアで大島渚を検索して彼の出生地が岡山県玉野市だと知った。私と同じ出生地だった。

『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』は追憶を刺激する2012年06月22日

『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(監督:若松孝二)
 若松孝二監督の新作映画『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』をテアトル新宿で観た。ウィークデイの昼間だが、そこそこに客が入っていた。私と似た中高年の男女だけでなく、若い観客も目立った。若い頃のさまざまなコトが想起される映画を、若い頃によく通った映画館で観るのも何かの縁のように思えた。

 三島由紀夫が盾の会を結成する頃から自決するまでの日々を、淡々とも言える抑揚で描いた映画だが、ドキュメンタリー的ではない。際限なく繰り返される「三島由紀夫はなぜ死んだのか」という問題と同時に「熱かったあの1960年代とは何だったのか」を考える材料をゴロンと提示した映画だ。

 この映画に描かれた時代は私の青春時代に重なるから、アレやコレやの映像から生々しい昔が甦ってくる。三島由紀夫自決の日の記憶はかなり鮮明だが、あの頃の日々の記憶をたどり始めると収拾がつかなくなる恐れがある。ヤワな追憶を綴るのはやめておく。

 映画は浅沼稲次郎刺殺犯の山口二矢が拘置所で自殺するシーンから始まる。1960年10月のテロ事件である。意表をつく冒頭だ。三島由紀夫の自決は1970年11月だから、1960年代の10年間を舞台にした映画とも言える。私にとっては12歳から22歳までの10年間だ。60余年の人生の中で最も長く感じられる10年だったと思える。

 小学6年のときに体験した浅沼稲次郎刺殺の日の記憶は、三島由紀夫自決の日と同じように鮮明に残っている。下校後、一人でテレビの六大学野球中継を観ていると、浅沼委員長が刺されたという臨時ニュースが流れた。それから時をおかず、浅沼委員長が死亡しましたというニュースになった。
 小学6年の私は衝撃を受けた。浅沼稲次郎という政治家に好感をいだいていたし、それまで、人の死に接するという体験がほとんどなかったので衝撃は大きかった。
 小学6年の私は、浅沼委員長刺殺の大見出しの新聞を保管した(今でも実家の押し入れに残っているはずだ)。

 その時から私は、大見出しの重大ニュースの新聞を保管する趣味を持った。しかし、大学生になると、新聞への関心が褪せてしまい、保管しなくなった。1960年代の10年間はそんな歳月でもあった。

 だから、三島由紀夫自決の日の新聞は保管していない。その日のテレビニュースもほとんど見ていない。友人から「三島由紀夫が自衛隊に乱入して切腹」と聞いて大きな衝撃を受けたのは確かだが、ナマイキにも「新聞やテレビで事件の真実がわかるはずがない」という思いに駆られていたのだと思う。

 それでも印象に残っているのは、バルコニーで演説している三島由紀夫が自衛隊員たちにヤジられているシーンだ。帰宅した深夜のテレビ画面に流れていた。三島由紀夫に共感する気持はまったくなかったが、「いくら気張っても、所詮は蒙昧な自衛隊員にヤジられるだけだなあ」という同情心のようなイヤ気分が残った。

 『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』で最も印象に残ったのも、ヤジの中での三島由紀夫の最後の演説シーンだった。壮絶な割腹に至るための必須のセレモニーが、観念と現実の乖離の残酷さを見せつける場になっていた。
 演説の内容は独りよがりで説得力がない。そして、聴衆は最低だ。最期の晴れ舞台にしては、気の毒なほどミジメなシーンである。アナクロニズム的なトンチンカンが露呈してしまっている。

 しかし、ついには予定通りの切腹という自己表現を遂げ、三島由紀夫は後世に残る大きな謎になってしまった。文芸評論家やノーベル賞選考委員(そんな委員がいるかどうか知らないが)が追いかけて捉えることができない所へ転移してしまった。
 今になって、これは正解だったのだ、と思えてくる。21世紀になっても映画化される忘れ得ぬ「作家」になったしまったのだから。

 この映画で不思議な存在感を出しているのが瑤子夫人役の寺島しのぶだ。
 自衛隊に入隊した三島由紀夫が訓練するシーンは富士の裾野である。往年の若松監督のピンク映画を連想させる荒涼とした場所だ。そこへ、どこからともなく瑤子夫人が登場する。シュールな光景である。
 事件後のラストシーンにも瑤子夫人が現れる。三島由紀夫の妻というよりは、異界から男たちを眺めている超越者のように見える。

 現実の三島夫人がどんな人だったかは知らないが、夫人の反対で緒方拳主演の『MISHIMA』が日本で上映できなかったという話を聞いたことある。すでに夫人は故人なので今回の映画が上映できたのだろうが、存命でもOKしたのでは…などと妄想した。

布川事件の映画『ショージとタカオ』で「時間」を考えた2011年05月24日

 本日(2011年5月24日)、新宿の K's cinema で『ショージとタカオ』を観た。布川事件を題材にしたドキュメンタリー映画(キネマ旬報ベスト・テン文化部門第1位)だ。本日がこの事件の再審の判決日と知り、野次馬気分で観に行ったのだ。
 かなり以前に上映が始まったと聞いていて、もう終了していると思っていたが、昨夜、ネットで調べると、まだ上映中だと分かった。
 朝10時からの1回だけの上映だが、観客はまばらだった(十数人)。判決日だからといって客が押し寄せてくるわけではないようだ。

 この事件は、再審請求が最高裁で認められるまでが長い道のりで、再審決定が山場だった。本日の再審で無罪判決が出るのは、ほぼ確実だったので、判決日だからといって大きな関心はよばなかったのだろう。

 かなり長時間のドキュメンタリーだ。しかし、退屈はしなかった。この映画は、無期懲役の判決が確定した二人が、仮釈放で29年ぶりに出所する1996年からスタートする。その後、2010年までの14年間の記録だ。

 時間を整理すると次のようになる(誕生日により年齢誤差があるかもしれない)。

 1967年8月 殺人事件発生
   桜井昌司(ショージ)と杉山卓男(タカオ)が逮捕される。20歳。
  1973年   二人は無罪を主張するが、最高裁で無期懲役が確定。26歳。
  1983年   獄中から再審請求するが、最高裁が棄却(1992年)。
  1996年   ショージとタカオは仮釈放になる。49歳。
  2009年   再審が決定。62歳 
  2011年5月24日 再審(土浦地裁)で無罪判決。64歳。

 こんな年表を書いてみたのは、このドキュメンタリーが「時間」を強く意識させる映画だからだ。

 20歳で社会から隔絶された二人は49歳になって、再び社会に戻って来る。29年の間に世の中の様相は大きく変貌している。二人が感じたであろう浦島太郎感覚を想像すると、時間の作用についてアレコレ考えざるを得ない。
 私は二人と似た世代なので、彼らが隔絶されていた29年の社会変化について、身につまされるような感慨をいだいてしまう。

 浦島太郎感覚でスタートした映画は、その後の14年間の二人の生活を断片的に追い続ける。追いかける側(井手洋子監督)も、よく持続したものだと感心する。ここに、圧縮された時間の不思議を感じる。
 二人はもちろん浦島太郎ではなく現実社会に生きる人間である。苛酷な記憶を抱えつつも、現実の時間を普通に生き抜いていくしかない。

 仮釈放後の2度目の再審請求の際、裁判所の決定を待つ時間の中でタカオがもらした「思い」が印象的だった。
 再審の決定をドキドキして待っているのではなく、決定が出るのを恐れているのである。今のままの未決の状態が続く方がいいとも感じている。何かが決まることによって今の生活が壊れてしまうような気がするというのだ。
 冤罪で長い獄中生活を強いられた人の「思い」であると同時に、有限の時間の中に生きていて、時間に抗うことはできないわれわれ誰にも共通の感覚のようにも思われた。

 時間の作用の不思議と苛酷を感じる映画だった。

38年前の『日本沈没』で現代の日本を考える2011年04月17日

DVD『日本沈没』(1973年度作品)、『日本沈没(上)(下)』(小松左京/光文社/1973.3)
 昨日(2011年4月16日)の朝日新聞beの『再読』という欄に、『見るなら 日本沈没』という小さなコラム記事が載っていた。1973年のベストセラーを原作にした映画『日本沈没』の紹介だ。

 実はわが家でも先日、ささやかな『日本沈没』上映会を開催した。東日本大震災から約2週間後の週末、娘や息子や孫たちが来訪した機会に、昔のDVDを引っ張り出して、みんなに観せた。この先、生きていくには、「日本脱出」という極端な状況も視野に入れておくべきだ、とのやや大げさな教育的目論見もあった。
 娘は「前に観たから、もういいよ」と言う。「お前が観たのは、草彅剛のリメイク版だろう。あんな、日本が沈没もしない軟弱なのは本当の『日本沈没』ではない。昔のを観なければならない」と、上映を強行した。

 小松左京氏の『日本沈没(上)(下)』が出版されたのは1973年3月、400万部以上のベストセラーになった。映画『日本沈没』は同じ年の年末に公開、大ヒットした。「日本沈没」は一大ブームを引き起こしたのだ。

 『日本沈没』が出版された1973年は、私が新社会人になった節目の年なので、当時のことは比較的はっきり記憶に残っている。新入社員研修の日々に読んだ最初の小説が安部公房の新作『箱男』、その次が『日本沈没』だった。

 当時、『日本沈没』はなぜ大ベストセラーになったのだろうか。
 いま思い返せば、あの頃はまだ高度成長の真っただ中で、日本は元気がよかった。にもかかわらず、1973年頃は「終末論」が流行する終末ブームだった。『日本沈没』も単なる架空小説ではなく、一種の終末論として広く読まれたように思える。
 あの年、オイルショックが発生し、トイレットペーパーなどの買占めが起こった。新聞に載った「ゼロ成長」という単語に非現実的な不気味さを感じた。「成長の限界」という言葉もよく耳にした。
 狂騒の1960年代が終わり、空虚で不毛な終末の時代が近づいてくる予感もあった。筑摩書房が『終末から』という妙なタイトルの雑誌を創刊したのが1973年6月だ。この創刊号には、井上ひさし氏の『吉里吉里人』や小松左京氏の『おしゃべりな訪問者』などの連載第1回が載っている。

 「終末」や「破滅」がブームになったあの頃、実は「終末」や「破滅」をもてはやすだけの活力が、世の中にはあったのだと、いま思う。事実、その後もさらに経済成長は続いたのだ。

 久しぶりに映画『日本沈没』を観て、やはり、よくできた面白い映画だと思った。ついでに、原作も再読した。小説も示唆に富んでいて面白い。
 東日本大震災を体験した現在の私たちの目で観ても、『日本沈没』は今の時代にピッタリの作品である。日本の今後を考えるヒントの一つにはなる。

 『日本沈没』の再上映や再刊をすればいいのに、とも考えた。しかし、いま、この映画が上映され、小説が店頭に積まれても、現代の若い人々にはあまり受け入れられないような気もしてきた。

 そう思うのは、日本が破滅するという悲しむべき物語であるにもかかわらず、『日本沈没』には明るい活気のようなものが反映されているからである。
 映画『日本沈没』の特撮はSFXを観慣れた現代人にとってはチャチだが、役者たちの演技には、それを補って余りある迫力がある。主人公・小野寺役の藤岡弘の暑苦しい奮闘、首相役・丹波哲郎の熱い演説は、元気で活力ある当時の日本を反映しているように見える。
 このような「熱さ」を現代の若い人々は鬱陶しく感じて敬遠するのではないだろうか。
 似たようなことだが、現代の若者たちは『日本沈没』を大状況論的に上から危機を煽るものと見なし、そのようなものから目を逸らすかもしれない。
 時代閉塞のなかで妙に覚めてしまっている若者にとって、『日本沈没』は何ら切実ではない物語に見えるかもしれない。

 私がこのように現代の若者を不甲斐なく感ずるのは、私自身の感性の摩耗のせいで、単なる私の勘違いの可能性もある。そうならいいのだが。

 さて、映画『日本沈没』を観たあと原作を再読して気付いた点がいくつかある。

 映画『日本沈没』は、原作をかなり忠実に映画化していて、映画独自の効果的シーンも盛り込まれている。特に、小野寺と阿部玲子を交互に映すラストシーンは、原作にはない、映画ならではの秀逸な映像だ。

 首相の描き方も、映画と原作で多少異なっている。『日本沈没』は政治小説の要素も大きく、そこが大きな魅力になっている。首相の登場場面も多い。
 小説の首相には名前がないが、映画の首相には山本という名前がある。小説では、常に「首相」「この人」として登場する。

 昨日の朝日新聞のコラムでは、「国土消滅の危機を描いたこの映画は、丹波哲郎が演じた首相が事実上の主人公だった。」と書いている。その通りだと思う。丹波哲郎が熱演する山本首相は、印象深い名科白を連発する。コラムで紹介されている「爬虫類の血は冷たかったが、人間の血は温かい。これを信じる以外、私にはもう何もない」という科白をはじめ多くの名科白は、原作にはない。映画独自のものだ。

 小説の首相は独白はするが、あまり演説はしない。映画の首相のような「見せ場」はなく、リアリスト、ニヒリストの影がある。小説の首相のモデルは佐藤栄作だとも言われている。小説が首相に名前を与えなかったのは、「首相」を無名の記号にすることで、政治の機能を相対化して明示的に描く意図があったのかもしれない。

 映像に依存する映画が首相を事実上の主人公にし、佐藤栄作像を離れたやや理想的なリーダー像を造形したのはうなづける。人物に託さなくては政治を映像化するのは難しいからだ。鳥の目と虫の目が混合した大きな物語である原作も、首相をないがしろに描いているわけではない。国家の未曾有の危機を描くとすれば、やはり首相の果たす役割は大きく、それをきちんと表現しなければならない。

 そんなことを考えると、やはり、現在の日本の首相のことを考えないわけにはいかない。『日本沈没』の首相はヒーローではないが、自身の役割を十全に果たし、それを表現している。この映画を観ていると、優れた首相とは首相の役割を演じきることができる人物である、という気がしてくる。

 日本沈没ほどではないとしても、現在のわが国は未曾有の危機に直面している。菅首相がこの映画や小説に接したこたがあるか否かは知らないが、この世代の平均的日本人ならば、この作品に接している可能性は高い。このようなフィクションの中にも、大衆へのメッセージの伝え方のヒントを見出し、首相の役割をきちんと演じきってほしいものだ。

キリスト教の蛮行を描いた『アレクサンドリア』は見ごたえがある2011年04月03日

 ローマ帝国末期のエジプトの女性科学者ヒュパティアを描いた『アレクサンドリア』(主演レイチェル・ワイズ、監督アレハンドロ・アメナーバル)は見ごたえのある映画だった。
 この映画を見るまで、ヒュパティアという女性のことは知らなかった。美しくて聡明な数学者・天文学者だったそうだ。キリスト教徒に虐殺され、その著作物はほとんど失われている。その名があまり一般的でないのは、著作が残っていないせいかもしれない。

 古代都市アレクサンドリアを描いたこの映画は、ハリウッド映画を彷彿させるようなスペクタクルだが、実はスペイン映画だ(セリフは英語)。パンフには、ヨーロッパ映画史上最大級の製作費をかけた、とある。確かに画面は壮大で迫力がある。古代の科学者の小道具なども魅力的だ。

 しかし、そんなことより、私が最も驚いたのは、この映画がキリスト教を相対化し、キリスト教徒の蛮行を明確に描いている点だ。キリスト教がメインの国で、よくこんな映画が作れたものだと感心した。こういう映画こそ、塩野七生の『ローマ人の物語』が広く読まれている日本で作られるべき映画ではなかったのか、という気もしてくる。日本で古代ローマを舞台にした映画を作るのは無理だと、わかってはいるが。

 舞台はアレクサンドリア図書館などで知られる古代エジプトの都市アレクサンドリア、時代は4世紀末から5世紀(ヒュパティアの虐殺は415年)。当時のエジプトはローマの属国で、すでにローマ皇帝はキリスト教に改宗している。ローマ世界が多神教から一神教へと移行していく時代だ。

 アレクサンドリアの図書館長テオン(ヒュパティアの父)たちが、キリスト教徒の予想外の蔓延に驚くシーンには、歴史変動のリアルが感じられる。やがて、ローマ皇帝の命によって、テオンやヒュパティアは図書館を追われる。図書館を占拠したキリスト教徒たちは万巻の書物を火に投じる。異教徒の書物だからだ。

 そして、アレクサンドリアはキリスト教支配の都市になっていく。多くの人々がキリスト教に改宗する。そうでなければ要職につけないからだ。また、異教徒狩りも始まる。
 面従腹背の教徒や素朴な教徒たちは狂信の支配者に逆らうことはできない。狂信者の世界では、目覚めた理性の人であるヒュパティアは迫害されざるを得ない。焚書と狂信のこの世界は、まるでナチス支配のドイツそのものだ。狂信の世界の恐ろしさが伝わってくる映画だ。

 この映画のどこまでが史実に基づいていて、どこからがフィクションなのか、気になるところだ。調べてみると、アレクサンドリア図書館がキリスト教徒によって壊滅的に破壊されたことや、ヒュパティアがキリスト教の司教キュリロスの部下の修道士たちによって虐殺されたことは確かな事実のようだ。

 人類は愚かな狂信とその克服を古代から現代まで何度も繰り返してきている。未来にも繰り返すことになるのだろうか。宇宙からの俯瞰シーンが何度か現れるこの映画は、そんなメッセージも秘めている。