映画『敵』の影の主役は屋敷 ― 2025年02月09日
テアトル新宿で映画『敵』(原作:筒井康隆、監督・脚本:吉田大八、主演:長塚京三)を観た。この監督の映画を観るのは『美しい星』、『騙し絵の牙』に続いて3本目である。映画を観る直前に筒井氏の原作を再読したので、原作の雰囲気と比較しつつの映画鑑賞になった。
上映後にはトークイベンがあった。吉田大八監督に若手の奥山由之氏(映画監督、写真家)がインタビューする形のトークだった。吉田監督は「原作にかなり忠実な映画です。スピリットでは…」と語っていた。その通りだとは思うが、当然ながら映画表現は小説表現とは異なる。
10年前に退職した元大学教授・渡辺儀助の生活を描いたこの映画はモノクロである。儀助が一人で暮らしている古い屋敷がモノクロにマッチしている。冒頭、儀助の起床、朝食の支度、朝食、歯磨き、洗濯、掃除、講演依頼電話への対応、パソコンを使った原稿執筆などの場面が坦々と流れる。原作小説の端正な世界引き込まれて行く心地よさを感じた。
原作の小説では、薄い膜を通した回想のような世界を感じた。映画は即物的表現がメインである。映像からは具体的でリアルな感触が伝わってくる。米を研ぐ手慣れた様子に感心し、朝食の咀嚼に美味を感じた。この映画に出てくる食べ物は美味しそうに見える。儀助が自身の生活演出に満足しているように見えるからだろう。
原作で75歳だった儀助が映画では77歳である。小説の儀助は私より1つ年下だが映画では1つ上だ。何故か得心する。この二十数年の社会の高齢化シフトを反映しているのだろう。
原作を改変した箇所はいくつかあり、それぞれに納得できて面白い。儀助の従兄弟の長子・渡辺槙男が最後に登場するのには驚いた。原作では名前が出てくるだけの人物である。渡辺槙男を登場させたのは、儀助の屋敷の相続人に指定されたからである。
吉田監督がトークでも述べていたが、この映画では屋敷のウエイトが高い。古い屋敷には記憶が多重的に刻み込まれている。畳み込まれた時間が錯綜的に流れる不思議な空間である。映画『敵』はそんな時空を表現した作品になっている。
上映後にはトークイベンがあった。吉田大八監督に若手の奥山由之氏(映画監督、写真家)がインタビューする形のトークだった。吉田監督は「原作にかなり忠実な映画です。スピリットでは…」と語っていた。その通りだとは思うが、当然ながら映画表現は小説表現とは異なる。
10年前に退職した元大学教授・渡辺儀助の生活を描いたこの映画はモノクロである。儀助が一人で暮らしている古い屋敷がモノクロにマッチしている。冒頭、儀助の起床、朝食の支度、朝食、歯磨き、洗濯、掃除、講演依頼電話への対応、パソコンを使った原稿執筆などの場面が坦々と流れる。原作小説の端正な世界引き込まれて行く心地よさを感じた。
原作の小説では、薄い膜を通した回想のような世界を感じた。映画は即物的表現がメインである。映像からは具体的でリアルな感触が伝わってくる。米を研ぐ手慣れた様子に感心し、朝食の咀嚼に美味を感じた。この映画に出てくる食べ物は美味しそうに見える。儀助が自身の生活演出に満足しているように見えるからだろう。
原作で75歳だった儀助が映画では77歳である。小説の儀助は私より1つ年下だが映画では1つ上だ。何故か得心する。この二十数年の社会の高齢化シフトを反映しているのだろう。
原作を改変した箇所はいくつかあり、それぞれに納得できて面白い。儀助の従兄弟の長子・渡辺槙男が最後に登場するのには驚いた。原作では名前が出てくるだけの人物である。渡辺槙男を登場させたのは、儀助の屋敷の相続人に指定されたからである。
吉田監督がトークでも述べていたが、この映画では屋敷のウエイトが高い。古い屋敷には記憶が多重的に刻み込まれている。畳み込まれた時間が錯綜的に流れる不思議な空間である。映画『敵』はそんな時空を表現した作品になっている。
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