「筒井康隆自作を語る#4」に行った2017年11月13日

「筒井康隆自作を語る#4」のポスター、『筒井康隆コレクションⅦ 朝のガスパール』(日下三蔵・編/出版芸術社)
 11月12日、『筒井康隆コレクション』(全7巻)完結を記念したトークイベント「筒井康隆自作を語る#4」に行った。会場で、予約していた『筒井康隆コレクションⅦ 朝のガスパール』(日下三蔵・編/出版芸術社)も入手した。

 83歳の筒井康隆氏は元気で、今も文芸誌に短編小説を発表している。この調子で行けば、まだ何冊も新作(短編集。ひょっとした長編も)が出そうだ。

 あい変わらずの軽妙で知的なトークだが、最後(?)の長編『モナドの領域』は、神を登場させることで「神は存在しないということを書いた。だから最後の小説だ」との述懐に明晰な作家精神を感じた。近作短篇は耄碌ハチャメチャ作風だが、約20年前からあえて「老人」を演じているとポロリと語るところにこの作家のエネルギーを感じた。

 筒井康隆氏は短編も長編もたくさんあり、どれもが独特の傑作であり、どれが一番かは読者も判断に迷う。自ら「代表作がない作家」と語り「このままでは『時をかける少女』の作家と記憶されそうだ。それでもいいのだが…」とつぶやく姿が印象的だった。代表作と思える作品が多すぎる作家なのだ。

 『筒井康隆コレクション』(全7巻)はメインの作品の他に落穂ひろい風にレアな文章を収集収録しているのが魅力だ。今回入手した第7巻には、1966年に発行された「SF新聞 創刊号」に載った「SFを追って」が収録されていた。私はこの「SF新聞 創刊号」を発行当時購入し、その後も大事に保管してきたはずなのだが、いつの間にか紛失してしまった。「SFを追って」を読み返し、往時の記憶が懐かしくよみがえってきた。

ミュシャの巨大連作『スラヴ叙事詩』の前に立ちすくんで…2017年04月07日

 国立新美術館で開催中の『ミュシャ展』に行った。ミュシャと言えばあのシャレた装飾的なポスターを想起する。私もミュシャのポスターは好きだ。

 だが『ミュシャ展』のメインは華麗なポスターではなく『スラヴ叙事詩』と題する20点の巨大絵画だ。パリでポスター画家として成功したミュシャが祖国チェコに戻ってこんな絵画を制作していたとは、今回の『ミュシャ展』の報道に接するまでは知らなかった。

 フライヤーで紹介されている『原故郷スラヴ民族』をはじめとする20点の大きさに圧倒された。『原故郷スラヴ民族』は610×810cm、他の作品も似たようなサイズだ。これだけ大きいと会場が多少混雑していても鑑賞にさほどの支障がないのが有難い。

 この巨大絵画をチェコからどうやって運んで来たのか気になった。610×810cmの板を船に載せるのは可能かもしれないが、都会の道路をトラックで運搬できるとは思えない。帰宅後ネットで調べて、絵画をクルクル巻いて運んだと判明した。痛まないのか心配だが、専門家の仕事だから大丈夫なのだろう。

 『ミュシャ展』で感激したのは、一部ではあるが写真撮影が可能になっていることだ。海外の美術館では写真撮影OKの所があるが、日本では珍しいと思う。なぜ全部ではなく一部なのだろうと思った。混雑時の写真撮影が鑑賞の妨げになるかの実験的試みかもしれない。

 それはさておき『スラヴ叙事詩』という連作を眺めながら、スラヴ民族とは何だろうという基本的な疑問がわいた。ヨーロッパにはラテン民族、ゲルマン民族、スラヴ民族がいると習ったのは中学生の頃だが、歴史を学ぶにつれてそんなに単純ではなさそうな気がしてきた。ヨーロッパに住む人々の〇△民族、□◇人というアイデンティティは複雑すぎて理解不能だ。

 最近読んだティモシー・スナイダーの『ブラッドランド』『ブラックアース』もヨーロッパの国民国家、民族自決を背景にした歴史書で、人種や民族とは何かを考えざるを得ない内容だった。

 私自身の中に日本人という意識があるのは確かだが、島国育ちのせいか、ことさらに人種・民族を意識せずに生きてきた。そんな呑気な人間だから、ミュシャが巨大絵画群にぶつけたスラヴ人意識とは何であったか、孤高なのか連帯なのか反発なのか郷愁なのかイマイチ理解できない。

空疎で空虚な首相に暗然とする『安倍三代』2017年03月25日

『安倍三代』(青木理/朝日新聞出版)
 3月23日の森友学園・籠池理事長の証人喚問は、平日の昼間にもかかわらず多くの人がテレビの国会中継を観たようだ。朝日新聞には「今日だけは惜しくなかった受信料」という川柳が載っていた。

 私はこのテレビ中継を観ていない。11時から21時前まで歌舞伎座の昼の部と夜の部を連続で観劇していた。仁左衛門の「大物浦」、海老蔵の「助六」などが目当てでそれなりに満足したが、籠池劇場のテレビ中継を見損ねたのは少々残念だ。

 と言っても、今回の森友学園問題にはハラハラ・ワクワクするスケール感がない。役者も事件もチャチに見える。かなりいいかげんな人物が経営する学園に首相夫妻が共感を表明し、そのことを忖度した財務官僚や大阪府が一丸となって小学校設立支援に動いた。しかし、国有地払下げ価格や学園経営者のいかがわしさが指摘され始めると、支援者たちが蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。そこに違法性があるか否かはわからないが、小さな人物たちのコメディであって巨悪の物語には見えない。

 そんな索漠とした思いを喚起させるのが、安倍晋三首相のルーツを描いた次の本だ。

 『安倍三代』(青木理/朝日新聞出版)

 安倍三代とは、安倍晋三、父の安倍晋太郎、祖父の安倍寛の三人であり、「第1部:寛、第2部:晋太郎、第3部:晋三」という構成になっている。安倍晋三と言えば母方の祖父・岸信介が有名だが、本書の「三代」に岸信介は含まれていない。それがミソだとも言える。

 私の世代(1948年生まれ)にとって安倍晋太郎は馴染み深い政治家だが、本書を読むまで安倍寛は知らなかった。1937年からの衆議院議員で、反戦・反東条の非翼賛会議員だったそうだ。地元(山口県日置村)で非常に敬愛され人望を集めた人物だったが、病弱で終戦後の1946年に早世している。
 
 安倍晋太郎は常々「オレは岸信介の女婿じゃない。安倍寛の息子なんだ」と語っていたそうだ。だが、安倍晋三が父方の祖父・安倍寛を語ることは少なく、岸信介の孫という意識が強い。安倍晋三が生まれた時、すでに安倍寛は他界していたのに対し、岸信介はあの1960年安保の頃から幼児の晋三を可愛がっていたのだから、必然的にそうなったのだろう。

 本書で私が一番面白く読めたのは「第2部:晋太郎」だ。新聞記者出身のこの政治家については通り一遍のことしか知らなかったが、本書でその生い立ちや内面に触れ、いろいろな屈折を抱えた興味深い人物に思えてきた。総理を目前に早世したのが惜しまれる政治家だったようだ。

 それに比べて三代目は・・・というのが本書の眼目だ。「売り家と唐様で書く三代目」とは多少異なるが、起業家的な一代目から三代を経ると人物も精神も劣化・空疎化し薄っぺらになり、無知と無恥がはびこるようだ。北朝鮮の金王朝とわが総理を比較するのは失礼の極みだろうが、似たような三代目の不気味さを感じる。

 本書の「第3部:晋三」は面白いというより、むしろ不気味だ。著者の青木理氏の次の述懐が印象深い。

 「悲しいまでに凡庸で、何の変哲もない。(…)正直言って「ノンフィクションの華」とされる人物評伝にふさわしい取材対象、題材ではまったくなかった。/しかし、それが同時に不気味さを感じさせもする。なぜこのような人物が為政者として政治の頂点に君臨し、戦後営々と積み重ねてきた“この国のかたち”を変えようとしているのか。これほど空疎で空虚な男が宰相となっている背景には、戦後70年を経たこの国の政治システムに大きな欠陥があるからではないのか。」

 薄っぺらい首相とスピリチャル・オカルトの首相夫人を巡る安手の籠池劇場を観劇するよりは、仁左衛門や海老蔵の大芝居を観ている方が楽しい・・・と言いたいが、そうもいかないだろう。

『アウシュヴィッツを志願した男』は不条理小説のようなノンフィクション2017年02月07日

『アウシュヴィッツを志願した男:ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ』(小林公二/講談社)
 ポーランドのピレツキ大尉という人物は未知の人だった。先日読んだ小説『また、桜の国で』にちょっとだけ名前が出てくる。そのピレツキ大尉に関する次の本が面白いと聞き、読んでみた。

 『アウシュヴィッツを志願した男:ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ』(小林公二/講談社)

 確かに面白いノンフィクションだ。一気に読んだ。この本、タイトルもサブタイトルも長い。内容を伝えたいという意気込みはわかるが、もう少しコンパクトで適切なタイトルがなっかったかと思う。「三度死ぬ」という惹句は気合の入れすぎでかえってわかりにくい。

 ピレツキ太尉は「三度死ぬ」と呼びたくなる数奇な運命を辿ったポーランド軍人で、勇敢で志の高い人物だったようだ。その数奇な運命は以下の通りだ。

 1939年9月、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発、ポーランド全土をナチスが占領し、ポーランド政府はフランス(後にイギリス)に亡命する。その時、38歳の騎兵少尉ピレツキはAK(国内軍)としてワルシャワで地下活動に従事する。

 1940年6月、ナチスはポーランド砲兵宿舎を強制収容所に改造しアウシュヴィッツと名付ける。そこにはユダヤ人やポーランド兵が収容された。ピレツキは収容所の実態を調査し収容所内に地下組織を作るため、自ら志願して囚人としてアウシュヴィッツに潜入、収容所内から独自のルートで報告書を発信する。彼がアウシュヴィッツにいたのは1940年9月から1943年4月までの948日、最後は身に危険が迫ったと察知し二人の仲間と共に脱走する。

 アウシュヴィッツを脱出したピレツキはワルシャワに戻りAKの大尉となり、再び地下活動に従事し、1944年8月のワルシャワ蜂起に参戦する。ワルシャワ蜂起は失敗に終わり、ピレツキは逮捕されドイツの収容所に入れられるが、ベルリン陥落によって解放される。

 ピレツキがドイツで自由の身になった頃、祖国ポーランドはソ連赤軍によって「解放」され、イギリスにあった亡命政府ではなくソ連の影響下にある社会主義者による政権が誕生し、AKは非合法化されていた。ピレツキは社会主義政権を抑圧者とみなし、祖国に潜入し諜報活動を開始するが、逮捕され、拷問による尋問を受ける。

 このとき、面会に来た妻にピレツキが呟いた次の言葉がすごい。

 「ここでの拷問に比べれば、アウシュヴィッツなど子供の遊びだ」

 ピレツキを拷問で取り調べたポーランド軍人はナチス占領時代を共産主義者として生き抜いたユダヤ人だった。

 そして、かつては同志だった人々による裁判でピレツキは死刑を宣告され、1948年5月、極秘裏に銃殺される。

 ピレツキの家族(妻と息子、娘)がピレツキの処刑を知ったのは40年以上が経過した1989年で、1990年にはピレツキは名誉回復される。その後、切手になったり、多くの学校にピレツキの名が冠されたりしているそうだ。
 
 本書はそんな有為転変のノンフィクションだから面白くないわけがない。ヒトラーも怖いが、スターリンはそれ以上に怖い。そんな気分になる。だが、そんな単純発想だけで片付けてはいけないだろう。英米も十分にずるいし、ポーランド亡命政府やAKが正義とも言い切れない。さまざまな立場の人や組織がそれぞれ己の条理を通そうとしていて、その絡み合いが人々に不条理を課している。

 ポーランドの現代史は、人の世の不条理の教科書のように見える。

歴史の実相が垣間見える『天佑なり:高橋是清・百年前の日本国債』2017年01月23日

『天佑なり:高橋是清・百年前の日本国債(上)(下)』(角川文庫
 『高橋是清自伝』を読むと、半生ではなく一生を記述した伝記も読みたくなり、幸田真音氏の『天佑なり:高橋是清・百年前の日本国債(上)(下)』(角川文庫)を読んだ。

 幸田真音氏の小説はかなり以前に『日本国債』を読んだ記憶があり、債券ディーラー出身で金融に明るい人との認識がある。本書は2013年に出版された単行本の文庫版で、金融経済史をふまえた高橋是清伝だと推察し、現代の視点で俯瞰的に高橋是清を総括した伝記だろうと期待した。

 その期待は半分ぐらいは満たされた。前半はやや期待外れだった。生い立ちから日銀副総裁になるまでの前半は、自伝をなぞっているだけの感じだ。波瀾万丈の前半生なので、自伝を読んでいなければ十分に面白く読めたとは思うが、自伝を読んだ直後だと重複のくり返しで退屈する。後世の作家の俯瞰的な目による独自の見解があまり感じられない。

 日露戦争に関連して海外で日本国債を発行するあたりからは面白くなる。日露戦争の頃から高橋是清の人生が日本の金融経済史と密接にからんでくるので、歴史の動きの実相を垣間見ている気分になってくる。

 やはり、高橋是清の人生の中でいちばん面白いのは日露戦争時の資金調達のくだりだ。一般会計歳入が2億6千万円の時代に戦費支出は18億7千万円、その膨大な戦費の約半分を高橋是清が欧米で調達したのだ。「天佑なり」というタイトルは、ロンドンで日本国債発行にこぎ着けたとき高橋是清が発した言葉であり、自伝では「私は一にこれ天佑なりとして大いに喜んだ」と語っている。

 それにしても、日露戦争が日本の国力をはるかに超えた戦争であり、外貨がいかに逼迫していたかを知っている国民はいなかった。マスコミも把握していなかった。政府中枢と一般国民との意識の乖離からポピュリズムが生まれ、講和条件に反対する暴動につながる。後世からは愚かに見える事象だが、そんなことは現代に到るまでくり返されている。学ぶべきことは多い。

 日露戦争以降の後半三分の一は日本激動の時代であり、高橋是清の人生も激動する。日銀総裁、大蔵大臣、総理大臣、さらに何度も大蔵大臣を歴任し、政治の中枢に関わる人生になる。日露戦争(1904年)時に49歳だった高橋是清が二二六事件(1936年)で暗殺された時は81歳、この間の32年は自伝では語られていない後半生だ。

 この後半32年間の記述は確かに面白い。しかし物足りない。第一次大戦、関東大震災、金融恐慌など多事多難の時代で、政党政治が定着し、そして崩壊し、軍部が台頭してくる時代である。この32年の歴史はどれほどページを費やしても語りきれない疾風怒濤の濃い時代だ。その時代の実相を高橋是清の伝記だけから把握するのは無理であり、それを求めるのはないものねだりだろう。

 だが、いわゆる「政治家」ではなかった高橋是清に沿って明治・大正・昭和の政党政治を批判的により掘り下げて検証する内容になり得たのではないかとも思える。

『高橋是清自伝』で浩然の気を養う2017年01月15日

『高橋是清自伝(上)(下)/高橋是清・上塚司編/中公文庫』
◎ショーペンハウアーに導かれて…

 年初の読書には自伝がふさわしい。そんな気分になって『高橋是清自伝(上)(下)/高橋是清・上塚司編/中公文庫』を読んだ。自伝を読みたくなったのは、年末にたまたまショーペンハウアーの次の言葉に接したからでもある。

 「人間の本質を認識するという点から見れば、伝記、ことに自伝が、歴史書よりも大きな価値がある」

 ショーペンハウアーの真意を理解したわけではないが、自分の生涯を振り返って総括する自伝には、人間の本質につながるさまざまな事柄が反映されているということのようだ。

 なぜ『高橋是清自伝』か。年末に孫の『週刊マンガ日本史93号 高橋是清』という薄いマンガ冊子に目を通し、以前に購入したまま未読の『高橋是清自伝』を想起したからである。

◎人生は前半の方が面白い

 自伝はその人の一生の記録にはなり得ない。功成り名遂げた人が晩年に著わしたとしても、生涯の記録ではなく半生記に近いものも多い。

 『高橋是清自伝』は是清の晩年の口述を上塚司氏(大蔵大臣秘書官だった人)が筆記したもので、冒頭の「序」は是清自身が書いている。その日付は何と昭和11年1月だ。是清が二二六事件で殺害される前月である。ということは、ほぼ全生涯にわたる記録かと思った。残念ながらそうではなく、52歳で終わっていた。

 82歳で殺害された是清の後半生30年は語られていない。しかし、前半生だけで充分に面白い。この自伝にない52歳以降の後半30年で是清は日銀総裁になり、大蔵大臣になり、総理大臣になり、その後も何度も大蔵大臣に就任する。最晩年まで要職を歴任した後半生ではあるが、人生の面白さは前半が後半を凌駕しているように思える。

 振り返れば後半より前半の方が面白い、というのは大多数の人の人生にあてはまることだと思う。成長曲線の前半と後半を比べれば前半の曲線の方が物語として面白くなるのは当然だ。

◎あきれた楽天家

 是清の前半生は波瀾万丈であり、子供時代を語った冒頭部分の次の記述が是清の人生全体の雰囲気を表している。

 「そういうわけで私は子供の時から、自分は幸福者だ、運のいい者だということを深く思い込んでおった。それでどんな失敗をしても、窮地に陥っても、自分にはいつかよい運が転換してくるものだと、一心になって努力した。今になって思えば、それが私を生来の楽天家たらしめたる原因じゃないかと思う。」

 仙台藩の足軽の養子が勉学のため13歳で渡米するも、仲介人に騙されて奴隷として売られる。この有名なエピソードは以前から知っていて、苦労した人だと思っていた。しかし、本書を読むと奴隷時代の話にもさほど悲惨さは感じられず、むしろナマイキで勝手気ままに威張っている少年の姿が浮かんでくる。

 若い頃から酒や芸妓にうつつをぬかし、反省と放蕩をくり返す姿にはあきれてしまう。それでも何となったのは、利発で愛嬌があったからだろう。せっかく手に入れた職を簡単に手放してしまうのは、楽天家であると同時に信念を重んじたからだと思われる。

 上巻最後の「ペルー銀山の失敗とその後の落魄時代」という章は特に面白い。銀山の失敗は自分のせいではないという弁明は、当時の是清への風当たりの強さも感じられ納得できる。だが、その後も銀山の失敗を補填しようと鉱山に手を出してまた失敗するのにはあきれる。果敢な楽天家というしかない。

◎歴史を実感できる

 この自伝の後半は日露戦争の戦費調達のためにロンドンやニューヨークでの外債募集に奔走する話だ。あの時代に何度も渡航して活躍する姿に、あらためて明治の人の気概と意気の高さを感じた。

 日清戦争から日露戦争に到る経緯や日露戦争の講和に反発した暴動などは歴史教科書で一応知ってはいるが、この自伝で同時代の人の体験記として読むと、時代の雰囲気に触れて歴史の事象を実感した気分になり、歴史への理解が深まった気がしてくる。これは自伝を読む効用のひとつだろう。
 
 また、是清の生涯からは逸れるが、この自伝を読んで、幕末から明治にかけて海外に渡航した人々が学徒や要人だけでなく、芸人たちもすでに幕末から海外に雄飛していたことをあらためて確認できた。往時の日本人の活力に敬服する。

クライトンの『トラヴェルズ』は釈然としないオカルト本2016年12月08日

『トラヴェルズ:旅、心の軌跡』(マイクル・クライトン/田中昌太郎訳/ハヤカワ文庫)
 『アンドロメダ病原体』や『ジュラシック・パーク』の作家マイクル・クライトンの自伝的エッセイ『トラヴェルズ:旅、心の軌跡』(田中昌太郎訳/ハヤカワ文庫)を読んだ。小説より面白いという評判を聞き、上下2冊を図書館で借りたのだ。

 確かに面白いが釈然としない読後感だ。前半は医者になる道を断念する経緯を綴っている。ハーバードのメディカル・スクール首席の医学生クライトンは医学博士にはなるが小説家、映画監督に転身する。医学生時代を描いた前半はスリリングで面白いが、後半になるとクライトンがオカルトにのめりこんで行くのだ。他人のオーラを視認し、サボテンに語りかけ、スプーンを曲げ、悪魔払いまで体験する。その過程を語る本人が終始理性的で知的に見えるので何とも奇妙な気分になる。

 30年以上昔、クライトンの『アンドロメダ病原体』を読んだときは傑作だと感心した。その後、何冊かの小説を読み、彼が原案・総指揮のテレビドラマ『ER』も観て、才能豊かな人だと思った。

 『トラヴェルズ』を読んで、あらためてその多才ぶりに驚いた。『アンドロメダ病原体』を書いたのが医学生時代で、それ以前にも学費を稼ぐために何冊かのスリラー小説を別名で書き、アメリカ探偵作家クラブのエドガー賞まで受賞している。医学生になる前にケンブリッジ大学で人類学の講師をしていたというのも驚きだ。

 そんな才能豊かなクライトンではあるが、本書前半の医学生時代の記録を読んでいると、知的で活動的だが常に自分の内面を洞察するナイーブな人物像が浮かんでくる。医学生時代にすでに、肉体的現象である疾病の発病には精神的要因があると考えている。「病は気から」に近い考えであり、ちょっと変わった人だなと思ったが、後半になるとドンドンとすごく変わった人へとつき進んでいく。

 医者で作家でオカルトと言えば晩年に妖精を信じたコナン・ドイルが思い浮かぶ。下巻の冒頭で自戒を込めたドイルへの批判的言及があるのが面白い。

 「わたしは過去にコナン・ドイルに強く共鳴していたし、いまや彼とそっくり同じ道を辿りつつあるような気がした。用心して進もうとわたしは決意した」

 用心して進んだ結果、高い知能をもち科学的思考を身につけているクライトンは自身の懐疑論を乗り越えて超常現象を信じるようになる。私にはついて行けない認識だ。

 もちろん、クライトンは自分の考えが多くの人から疑いの目で見られることを知っている。本書の最終章は「追記 カリフォルニア工科大学の懐疑論者たち」というタイトルで、懐疑論者の会合への招待に応じたクライトンの講演原稿である。なぜか、実際にはクライトンはこの会合に招かれず幻の講演に終わったそうだ。その講演内容は彼の科学観・哲学がかなりの力を込めて語られている。エキセントリックではないが不可知論のようでも文明論のようでもあり、やはり理解しがたい。

 私はオカルトを信じない懐疑論者だが、世の中にはオカルトを信じる知性が根強く存在していることをあらためて認識した。

『唐牛伝:敗者の戦後漂流』は面白いのだが……2016年10月27日

『唐牛伝:敗者の戦後漂流』(佐野眞一/小学館)、『ソシオエコノミクス』(西部邁/中央公論社)の献辞
◎なぜいま唐牛健太郎

 1960年安保の全学連委員長・唐牛健太郎という名に反応するのは私たち団塊の世代までだろう。新聞の書評で次の本を知り、遠い昔の人がふいに現れたような不思議な気がした。

 『唐牛伝:敗者の戦後漂流』(佐野眞一/小学館)

 なぜ今頃になって唐牛健太郎だ、なぜ佐野眞一氏が唐牛健太郎を書いたのだろうと訝しく思った。と言って、私は佐野眞一氏の著作をきちんと読んだことはない。中内功や孫正義の伝記や週刊朝日で物議をかもして連載中止になった橋下徹の伝記(?)などを雑誌で拾い読みしているだけだ。

 かすかな違和感を感じつつも唐牛健太郎という素材に惹かれて本書を購入し、一気に読んだ。唐牛健太郎は全学連委員長の後、田中清玄事務所、ヨット会社経営、居酒屋の親父、与論島の土方、紋別の漁師、オフコンのセールス、徳田虎雄の選挙参謀など職を転々とし、1984年に直腸がんで亡くなっている。享年47歳。本書はその生涯を追った記録である。読後感は複雑だ。爽快ではない。

◎カッコイイと思った

 唐牛健太郎が全学連委員長として華々しい活躍をしていたとき、私は小学6年生だった。委員長の名前は知らなかったと思うが、全学連という言葉は深く脳裏に刻印され、小学生なりに安保闘争への関心は高く、日々のニュースに興奮していた。当時の小学生の多くがそうだったと思う。

 唐牛健太郎(カロウジケンタロウ)という名を知ったのは中学か高校の頃だ。その字面と響きに、なんとカッコイイ名前だろうと思った。もちろん、その気持には彼の活躍が裏打ちされていた。彼ら全学連が右翼の田中清玄から資金援助を受けていたことは既に知っていたが、そのことはカッコよさを減殺するものではなく、むしろ唐牛健太郎という名に魔術的オーラを加えるものだった。

◎西部邁氏の処女作で遭遇してびっくり

 その後、私たち団塊世代は1960年代末から70年代初頭にかけての狂騒の時代に突入し、その頃には私の頭の中で唐牛健太郎は遠い過去の伝説の人になっていた。

 その後、唐牛健太郎という名前に遭遇し、軽いショックを覚えたのは1975年、私が社会人になって2年目の時だった。その頃、学生時代にはほとんど勉強しなかった経済学を少しは勉強しなければと思い、ボチボチと経済書を読み始めていた。そして、本屋で『ソシオエコノミクス』(西部邁/中央公論社)という本を手にした。目新しそうな経済学の本だなと思いつつパラパラとめくり、異様な献辞にびっくりした。扉に「オホーツクの漁師、唐牛健太郎氏へ」とあったのだ。

 その異様な献辞に惹かれて、未知の少壮経済学者らしき人のハードカバーを購入してしまった。唐牛健太郎が漁師になっていることは、この1行で知った。

 その後、西部邁氏は東大教授から保守評論家に転身し、数多くの本を書いている。最初に処女作の献辞「オホーツクの漁師、唐牛健太郎氏へ」に惹かれた因縁で、その後の彼の著作の何冊かに手を出してしまうことになった。

◎まさにセンチメンタルジャーニー

 『ソシオエコノミクス』は献辞だけでなく「はしがき」でも唐牛健太郎に言及している。この献辞と「はしがき」に惹かれた人は少なくないようだ。『唐牛伝』の最後の方に次の記述がある。

 「この献辞とはしがきを読んだとき、沢木耕太郎が「未完の六月」の中で書いているように、私も胸をしめつけられる思いにかられた。」

 私は「未完の六月」を読んでいないので正確な所はわからないが、西部邁氏の1行が唐牛健太郎というシンボルを増幅させたのは確かだろう。

 そう考えるのは、私の頭の中にある唐牛健太郎像のかなりの部分は、西部邁氏の著述に負っているからだ。『六〇年安保:センチメンタルジャーニー』(西部邁/文藝春秋/1986.10)の第1章は「悲しき勇者―唐牛健太郎」というタイトルで、西部邁が親友であり信友だった唐牛健太郎について語っている。30年前に読んだ文章だが、その哀切で酒に酔って演歌を聴いているような印象はいまも残っている。

 『唐牛伝』を読むにあたって、この章を読み返してみた。西部邁氏は、うますぎるとも言える粘着質でかつ明晰な特有の文章でセンチメンタルジャーニーを哀切に詠いあげている。

◎ややシラけるセンチメンタルジャーニー

 佐野眞一氏の『唐牛伝』もセンチメンタルジャーニー風ではある。だが、西部邁氏の芸には及ばない。

 佐野眞一氏は1947年生まれ、私と学年二つ上のほぼ同世代で、唐牛健太郎との面識はないそうだ。唐牛健太郎という魅力的な人物に興味を抱く気持はわかる。しかし、いまあえて唐牛健太郎を語る切実な動機が何なのか、本書から伝わって来なかった。プロローグやあとがきにおいて動機や問題意識が述べれてはいるが、私にはピンと来なかった。

 唐牛健太郎は30年前に亡くなっていて、関係者にも鬼籍に入った人が多い。もちろん、生き延びているも多いが、唐牛健太郎について語りたがらない人もいる。そんな状況の中で、著者は関係者を訪ね歩きながら情報を拾い集めている。

 実は唐牛健太郎に関してはかなりの量の雑誌記事や新聞記事が残されているし、死後に関係者が編纂した『唐牛健太郎追想集』という大部の書籍もある。

 だから、著者は独自の取材結果と過去の記事などの資料を元に唐牛健太郎の伝記を紡いでいく。この方法自体は正しいと思うが、取材旅行の様子をセンチメンタルジャーニー風にベタに綴っているのにはついて行けない。取材対象・唐牛健太郎への思いが強いとしても、伝記の大部分は過去の資料に基づく内容なのに、自身の取材をフレームアップし、その取材を詠嘆的に語られるとシラけてしまう。

◎ゴシップ記事集成の面白さか

 唐牛健太郎という人物が興味深いのは確かで、本書の内容も面白い。ただ、その面白さの多くは週刊誌のゴシップ記事を集成した面白さのように思え、著者の感慨や見解はやや陳腐に感じられる。唐牛健太郎の生涯の概要を知ることはできたが、もっと踏み込んだ物語にできたのでは、との思いが残る。「敗者の戦後漂流」というサブタイトルも適切とは思えない。

『ユリウス・カエサル氏の商売』(ブレヒト)のカエサルはオポチュニスト2016年10月09日

『ユリウス・カエサル氏の商売』(ベルトルト・ブレヒト/岩淵達治訳/河出書房新社)
 小説『カエサルを撃て』(佐藤賢一)に続けて次の小説を読んだ。

 『ユリウス・カエサル氏の商売』(ベルトルト・ブレヒト/岩淵達治訳/河出書房新社)

 本書の存在を知ったのは塩野七生氏の『ローマ人の物語』での言及だ。塩野氏はシェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』は評価していないが、ブレヒトのこの作品をかなり高く評価していた。

 そんな記憶があったので、カエサルを扱った文学作品を読むなら本書を外せないだろうと思っていた。訳書は1973年刊行で古書はかなり高い。ブレヒト戯曲全集を検索しても収録されていない。仕方なく、相対的に安い古書を購入した。

 本書を手にしてわかったことは、『ユリウス・カエサル氏の商売』が戯曲ではなく小説で、しかも未完の作品だということだ。ブレヒト作品だから戯曲だろうと思い込んでいた。戯曲全集にないのは当然だ。

 タイトルの印象で、カエサルを戯画化した芝居を想像したが、読んでみるとなかなか重厚な歴史小説だった。未完なのが惜しい。

 本書の舞台はカエサルが暗殺されて20年後のイタリア、語り手である「わたし」は伝記作家である。カエサルの伝記を書くため、カエサルと親交があった老銀行家(かつては執達吏)を訪ねる。彼がカエサルの秘書の日記を所有していると知り、その日記を借り出して読むのが目的である。

 というわけで、この小説の枠組みは「わたし」と老銀行家やその周辺の人々とのやりとりである、その中でカエサルの思い出話もいろいろ出てくる。だが、この小説の大部分は「わたし」が借り出した秘書の日記そのもので、それは紀元前63年から数年間の日記である。

 この日記の部分を読んでいると、本物の史料を読んでいる気分になる。三頭政治以前の時代の日記で、この日記で描かれている大事件といえばカティリナの陰謀で、ローマ史全体から見ればさほど大きな出来事ではない。しかし、そのディティールから歴史解釈が浮かび上がってくるところが面白い。

 ブレヒトは当初この作品を戯曲として計画したそうだが、戯曲には収まりきれないと気づき小説として一九三八、九年頃に書き始めたが、第二次大戦の勃発による亡命や他作品の執筆などで中断し、ついに未完に終わったそうだ。

 もし未完でなければ、どの時代まで書き進める予定だったのかはわからないが、三頭政治以前の短い期間を扱った本書だけでもブレヒトの意図は十分に表現されている。巻末に収録されている岩淵達治氏による詳細な解説も本書を読み解くにはとても有益だった。

 ブレヒト作品だから唯物史観で独裁者カエサルを批判的に描いているのだろうとは想像していたが、それほど単純に図式化した話ではなかった。近代の視点で意図的にデフォルメしているにもかかわらず、古代ローマのひとつのリアルが感じられる小説だ。

 この小説ではカエサルの膨大な借金の由来と対処に焦点をあてているのがユニークで面白い。カエサルが若い頃に海賊に捕えられた経緯の「真実」を明かす話も面白いし、カティリナの陰謀に関わる裁判におけるカエサルの有名な死刑反対演説の背景の説明も面白い。ここで表現されているカエサルは政治家であると同時にビジネスマンであり、多面的なオポチュニスト親父である。

 佐藤賢一氏は『カエサルを撃て』でカエサルを小心な二流の男に描き、ブレヒトは本書でカエサルをオポチュニスト親父に描いている。もちろん、真実は不明であり、残された史料を手がかりに推測するしかない。歴史学者に比べて小説家はより奔放に自由に推測することが許されている。そんな作品を読むのも、素人にとっては歴史を知る楽しみの一つであり、歴史解釈の一端と考えてみたくなる。

 歴史上の人物にとどまらず世の中のさまざまな事項にいろいろな見方があるのは当然であり、多様な見方を知った上で自分の考えを紡ぐしかない。

ユルスナールの小説に続いてハドリアヌスの評伝も読んだ2016年09月15日

『ローマ皇帝ハドリアヌス』(ステュワート・ペローン/暮田愛訳/前田耕作監修/河出書房新社)
◎ハドリアヌスは自己中心主義者

 小説『ハドリアヌス帝の回想』を読むと、小説でないハドリアヌス帝の評伝も読んでみたくなった。

 かなり以前に読んだ塩野七生『ローマ人の物語』にはハドリアヌスをかなり詳しく書いていたと思い出し、文庫版の第26巻(賢帝の世紀[中])から第27巻(賢帝の世紀[下])前半までの「皇帝ハドリアヌス」という項目にザーッと眼を通した。あらためて『ローマ人の物語』は塩野七生氏の男性論だなあと思った。塩野七生氏はハドリアヌスをかなりイイ男に描きながらも「一言で評せよといわれれば、徹底した自己中心主義者、と答えるしかない」と評している。けなしているのではなく、評価しているのだと思う。

◎英国人の書いた『ローマ皇帝ハドリアヌス』

 『ローマ人の物語』をめくり返した後、ネットの古書店で見つけた次の本を読んでみた。

 『ローマ皇帝ハドリアヌス』(ステュワート・ペローン/暮田愛訳/前田耕作監修/河出書房新社)

 2001年に出版された翻訳書で、原書の刊行は1960年。著者は1901年生まれの英国人、戦前にパレスティナで植民行政に携わった人だそうだ。

 本書を読んでいると、かつてパクス・ブリタニカを生み出した英国人の著作だなと感じる箇所が多い。また、キリスト教が普及する以前の多神教のローマ世界は、一神教の現代人にはわかりにくい、という前提で書かれているのが面白い。キリスト教徒でない私には思いもよらない前提だ。

 同じ英国人であるギボンについて、ローマ世界の宗教の理解が「軽薄」と決めつけているのも興味深い。ギボンの一節を紹介して、「この件(くだり)は一八世紀の『合理主義者』が古代の信仰についてどれほどまでに完璧に誤解をしていたかを示すために思い出すだけの価値があろう」とまで述べている。

 著者はローマ世界の宗教の複雑さを指摘しているのだが、ものごとを整理して単純化して眺めるという「合理主義者」的な見方も時には有効な場合があると私は感じる。本書全般において著者はキリスト教に同情的なので、キリスト教に批判的な面も多いギボンと折り合いが悪いのかと勘繰った。

 著者が英国人だからか、ブリタンニアに築かれたハドリアヌスの城壁を詳述している。この壁には随所に要塞があり、壁に沿った道路も作られていたそうだ。「この壁は部分的に情報連絡網として使用することを意図したものである。これこそこの壁がもつ有効性であったからである」という指摘には、ナルホドと納得した。

◎ハドリアヌスをコンスタンティヌスの先駆者?!

 本書は、ローマ市民や元老院とは折り合いが悪かったハドリアヌスの業績や人物像を全体として高く評価している。最終章ではハドリアヌスの三つの業績を挙げ、最初の二つは彼が意図したものだが、最後の一つは望まずして成ったものだとしている。

 第一の業績は行政と軍隊の改革であり、第二の業績は建築家でもあった皇帝が残した建造物である。

 そして、第三番目はなんとキリスト教普及である。ハドリアヌスがキリスト教に関心を示したことはなかったが、エルサレムからユダヤ人を追放したことがキリスト教発展のきっかけになったという指摘だ。キリスト教徒をエルサレムに植民させたからである。著者はハドリアヌスをコンスタンティヌスの先駆者と述べている。

 この見解には驚いた。どの程度妥当な見解か私には判断できない。背教者ユリアヌスを「安っぽい機知で知られる」と形容しているのも面白い。

◎ユルスナールと同じようにハドリアヌスに同情的

 本書はユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』の後に出版されている。古代の記録をベースにした史書なので、当然ながらユルスナールへの言及はない。本文を読み終えて「訳者あとがき」を読むと、冒頭部分に次の一節があった。

 「ユルスナールの小説『ハドリアヌス帝の回想』と併せて読んでいただければ、歴史と文学、その虚実の綾がいっそうの興趣をそそることであろう。」

 まさに、私は訳者の要望通りに「併せ読み」をしたわけだ。ユルスナールの方が「文学」的な読み応えがあるのは当然である。「歴史」に関しては、そもそも虚実の判断が難しいので比較が難しい。

 本書と『ハドリアヌス帝の回想』は基本的には似たスタンスで書かれているように思えた。皇帝就任時に反対派4人を殺害した件や同性の愛人アンティノウスの水死にまつわる経緯などは、両書ともハドリアヌスに寄り添った同情的な書き方になっている。

 早世した後継者ルキウスに関しても相応のページが割かれていて、『テルマエ・ロマエ』や『ハドリアヌス帝の回想』のウラを取った気分になれた。彼がハドリアヌスの私生児だったとう説を紹介しているのが興味深かった。

◎上野でハドリアヌスとアンティノウスに対面

 本書を読み終わりかけた某日、所用で上野へ出かけ、ついでに国立博物館で開催中の「特別展古代ギリシャ」を観た。ギリシャ文明の遺品を観ておこうという軽い気分で入場したのだが、最後の展示室は「ヘレニズムとローマ」というテーマになっていた。そこにはハドリアヌスの頭像とアンティノウスの胸像が並べて飾られていた。

 いま読み終わろうとしている本の主人公と登場人物の像に思いがけず遭遇し、感動してしまった。二つの像をまじまじと眺めつつ、悠久の時間を超えてあの時代を生きた人物のリアルに触れた気分になった。

 本書によれば、残存するハドリアヌスの頭部の彫像は250個、アンティノウスの胸像はその倍の500個ほどだそうだ。そのいくつかの写真は私も本などで観ている。同時代に作成されたと思われる実物との対面は初体験だ。じっくり対面していると、その人物が何を考えどう生きていたのかという興味が自ずとわきあがってくる。

 アンティノウス像と言えば、塩野七生氏が「知性ゼロ」と喝破していたのを想起した。「美しさならば完璧で、そのうえまことに官能的だが知力をうかがわせるものは影さえもない」と評しているのを思い出しながら、博物館のアンティノウスの胸像をしげしげと眺め、塩野説に納得した。