半藤一利氏を悼んで『ノモンハンの夏』を読んだ2021年01月14日

『ノモンハンの夏』(半藤一利/文春文庫)
 昨日(2021年1月13日)の新聞に半藤一利氏の訃報が載った。その著作のいくつかを共感を持って読んだので、惜しい人が逝ったと思った。90歳だったそうだ。未読のまま積んでいた次の本を追悼気分で読んだ。

 『ノモンハンの夏』(半藤一利/文春文庫)

 評判通りの名著である。1939年夏のノモンハン事件(日本側の死者2万の「戦争」)を欧州の動き(独ソ不可侵条約、ポーランド侵攻の直前)と絡めて描いた記録であり、日本を戦争・敗戦に導いた陸軍参謀たちの無能・無責任を剔出した怒りの書である。俎上の服部卓四郎・辻正信コンビは、いつの世にも登場しそうな人物像で、暗然とする。

 本書は「人は過去から学ばないことを思い知らされる。」という文で結ばれている。日本人必読の書だと思った。

 半藤氏の著書を初めて読んだのは30年近く昔の『漱石先生ぞな、もし』である。その冒頭の次の口上が印象深い。

 「(…)これにならっていえば、わたくしは「文獻院様(漱石)の長女の御嬢様が御嫁に行ってお生みになった第四女のお嬢さんを嫁さんにした男なんだって」である。」

 そういう血筋の人だと知ると同時に、粋を感じた。後日、この本以前に半藤氏の本を読んでいたことに気づいた。高校生の頃(1965年)に大宅壮一の『日本のいちばん長い日』を興味深く読んだ記憶がある。それから30年後の1995年、半藤一利著の『日本のいちばん長い日(決定版)』が出版され、あの本を執筆したのが文藝春秋の編集者だった半藤氏だと知った。

 『日本のいちばん長い日』を大宅壮一の作品と信じていた私は、驚くと同時に菊池寛を想起した。文藝春秋の創設者で作家の菊池寛は、無名作家の作品を菊池寛名で発表することがよくあったらしい。大宅壮一と半藤氏の場合は事情が違うと思うが、作者名を意匠とみなす文春の割り切った「経済的出版精神」に感服した。

 半藤氏はいい意味での文春らしい人だったと思う。熱狂を嫌う冷静、薩長を嫌う反骨、洒脱な江戸っ子気質などに、それを感じる。歴史への造詣は『歴史よもやま話』の池島信平(文藝春秋編集長、社長)ゆずりかもしれない。

『金閣を焼かねばならぬ』はスリリングな三島由紀夫分析2021年01月12日

『金閣を焼かねばならぬ:林養賢と三島由紀夫』(内藤健/河出書房新社)
 先月(2020.12.15)の朝日新聞に大佛次郎賞発表の記事があり、受賞作は精神科医の書いた『金閣を焼かねばならぬ』という本だった。面白そうだと思い、都心の大型書店に行ったときに探した。文芸書の棚ではなく医学書の精神病理学の棚にあったので、少しためらったが、購入した。

 『金閣を焼かねばならぬ:林養賢と三島由紀夫』(内藤健/河出書房新社)

 金閣寺を焼いた学生僧・林養賢と、事件を題材に小説『金閣寺』を書いた三島由紀夫の二人を精神医学の視点で読み解いた書である。精神病理学の専門書と身構えるほどに敷居は高くない。精神医学の用語も出てくるが哲学書・文学書に近い。精神医学という分野が哲学や文学に隣接しているということだろう。

 著者は林養賢を精神分裂病(統合失調症)と見なしている。金閣に放火したの病状の前段階の時期で、放火の数カ月後に発症したとし、放火に動機はないとしている。

 三島由紀夫がこの事件の記録を詳細に調べて執筆した『金閣寺』の登場人物は、作者が造形したフィクションである。主人公像は実際の放火犯とはかなり異なる。三島自身「あれはね、現実には詰ンない動機らしいんですよ」と述べている。

 著者は、そんな三島由紀夫について「養賢に対する感情移入は一欠片もみられない」としたうえで、林養賢に対してだけでなく、生身の人間に感情移入ができないのだと分析している。それが三島由紀夫の宿痾である「離隔」だと「診断」している。

 幼少期から文学に親しみ、言葉を紡ぎ出すことに巧みだった三島由紀夫は、現実世界にリアリティを感じることができない人間に育つ。現実感覚が希薄な様を表す言葉が「離隔」である。

 本書は、そんな三島由紀夫が『金閣寺』を執筆することによって林養賢と「邂逅」する物語である。わかりやすくはないが、成る程と思わせる論旨でスリリングだ。三島由紀夫の精神の様が鮮やかに浮かびあがってくる。

 「離隔」をキーワードに本書を読み進めると、三島由紀夫がボディビルから切腹へ至る姿がくっきり見えた気がした。

18世紀の雰囲気が伝わってくる『ギボン自伝』は面白い2021年01月10日

『ギボン自伝』(E・ギボン/中野好之訳/筑摩書房)
 分厚い文庫本全10冊の『ローマ帝国衰亡史』(E・ギボン/ちくま学芸文庫)を1年がかりで読んだのは6年前だ(読後感を 前半 後半 に分けてブログに書いた)。

 この長大な史書を読み終えたとき、著者ギボンの自伝も読みたいと思った。その後、ボチボチと『衰亡史』を読み返したりローマ史関連本を読んだりしていて、この年頭、やっと6年前の思いを果たした。

 『ギボン自伝』(E・ギボン/中野好之訳/筑摩書房)

 18世紀英国のカントリー・ジェントルマンの様子が伝わってくる面白い伝記である。『衰亡史』でギボンの皮肉でオチャメな文章に接してきたから、著作で大成功した知り合いのオジサンのやや自慢げな回顧談を聞いている気分になる。

 この翻訳書の自伝本文は前半の約6割で、残り4割は註釈、付記、解説などである。訳者による30頁以上の「解題―「ギボン自伝」の成立について」は力がこもっていて興味深い。本書には挟み込み付録(訳者と佐伯彰一の対談)もあり、ギボンを肴にした16頁にわたる対談が話題豊富で面白い。オマケが充実した本である。

 この自伝を読むと、ギボンが幼少の頃からの読書家だったことがよくわかる。16歳でカトリックへ改宗し翌年にはプロテスタンに再改宗した経緯もわかる。ラテン語、フランス語、ギリシア語をこなしている。基本的には書斎と社交がメインの人だが兵役も経験しているのが意外だった。もっとも興味深いのは、やはり『衰亡史』執筆にまつわる話である。

 訳者の中野好之氏は解題で次のように述べている。

 「この作品は決して「エドワード・ギボン回想録」 The Memoirs of Edware Gibbon ではなくて「ローマ帝国史家の物語」 The History of the Historian of the Roman Empire と名づけれるものだ(…)「ローマ帝国史家」という呼称はこの人物が世間という観客に対して現れる舞台において自分の役柄を示すために着用する仮面、ペルソナに他ならない。ギボンはかくて「ローマ帝国衰亡の歴史」 The History of the Decline and Fall of Roman Empire と並ぶ第二の歴史書をその最晩年に書いたのだ(…)」

 そんな『ギボン自伝』だから、『衰亡史』の読者にとって面白くないわけがない。

『三島由紀夫VS東大全共闘』は懐かしくも胸に刺さる2020年10月24日

 下高井戸シネマで『三島由紀夫VS東大全共闘:50年目の真実』を観た。1969年5月、千人の学生が集まった東大駒場での討論を中心にしたドキュメンタリーである。私たち団塊世代にとって、懐かしくも胸が痛くなる映像にあふれた映画だった。

 当時大学生だった私は、この討論を週刊誌の記事で知った。討論の翌月には新潮社から『討論 三島由紀夫VS東大全共闘』という本が出た。数ヵ月後に古書で入手し、目を通した。

 1969年初夏、私のいた大学では、やや遅れて盛り上がった大学闘争の真っ最中だった。東大ではずいぶん文化的なことをやっているなあと思い、三島由紀夫のマスコミを利用した巧みな売名パフォーマンスに全共闘が乗せられているようにも感じた。

 討論から1年半後の1970年11月、三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊で自決した。この事件は彼の文学的な自殺に思えた。あの頃、三島由紀夫は安部公房、大江健三郎とともに重要な同時代作家だと捉えていたので、事件の衝撃は大きかった。

 それから30年後の2000年、『三島由紀夫VS東大全共闘 1969-2000』という本が藤原書店から出た。全共闘メンバー数名が30年を経て昔の討論を検討した討論をまとめた本である。新潮社の本で全共闘A、全共闘C、全共闘Hとなっていた諸氏が、木村修、芥正彦(劇団駒場)、小坂修平(著述業)という実名で登場する。当時は会場にいた橋爪大三郎(社会学者)も30年後の討論に参加している。1988年に出た小坂修平(全共闘C)の『非在の海:三島由紀夫と戦後社会のニヒリズム』にナルホドと感じたこともあり、この本を興味深く読んだ。

 それからさらに20年、三島由紀夫没後50年の今年(2020年)、この映画を観た。映画には現在の木村修、芥正彦、橋爪大三郎も登場する。小坂修平は2007年に亡くなっているので、50年前の若い姿だけで、現在の映像はない。

 50年の時間を晒す映像を観ると、三島由紀夫を含めて50年前のみんなは若い――そう感じざるを得ない。討論の内容は書籍で読んでいるが、ほとんど失念している。あらためて映像を観て、こんなにも観念的なことをこんなにも熱く論じていたのかと、妙な懐かしさを感じた。あの頃、多くの学生たちは生きて行く基盤としての「思想的営為」に飢えていたのだと思う。また、この討論会を含めて劇場空間が蔓延した時代だったと思う。

 この映画のナレーションは、三島由紀夫の次の発言を1年半後の事件の予告としている。

 「私が行動を起こすときは、結局諸君と同じ非合法でやるほかないのだ。非合法で、決闘の思想において人をやれば、それは殺人犯だから、そうなったら自分もおまわりさんにつかまらないうちに自決でも何でもして死にたいと思うのです。」

 当時、三島由紀夫が自裁をほぼ決めていたと私も思う。だが、この発言を予告と見なすのはおかしい。三島由紀夫は決闘の決意で殺人を犯したのではなく、準備周到な切腹をしただけである。殺人者になれば文名が疵つく。切腹なら文名は安泰だ。あの事件は合法ではないが、政治的な非合法活動とは言えない。

つげ義春の弟・つげ忠男のマンガ集を読んで…2020年10月21日

『きなこ屋のばあさん:つげ忠男漫画集』(晶文社)
 つげ義春が弟のつげ忠男のことを書いているエッセイを読んで、つげ忠男のマンガを読んでみたくなり、ネット古書店で次の一冊を入手した。

 『きなこ屋のばあさん:つげ忠男漫画集』(晶文社/1985.3.20初版 1992.7.10 六刷)

 マンガ8編に加えて、つげ忠男のあとがき風の文章とつげ義春の解説風の文章が載っている。
 
 収録マンガ8編のうち7編は『ガロ』掲載のものだ。私は半世紀以上昔の学生時代に『ガロ』でつげ忠男のマンガを読んだ気がするが内容は失念している。本書収録のマンガはすべて初読に思えた。だが、半世紀以上昔に『ガロ』でつげ忠男のマンガに接したとき、兄の七光りで掲載された、兄と似た作風のマンガだと感じた――そんな昔の感覚がよみがえってきた。

 本書巻末の「つげ忠男の暗さ」というつげ義春の文章は、先日読んだ『苦節十年記/旅籠の思い出』に収録されていたもので、次のように締めくくっている。

 「このような生活環境の影響を受けているつげ忠男の作品の暗さがウケないのは、もうしようがないことなのだろうか。でもやっぱり読んで貰いたいと、切に願わずにはいられない。」

 私が入手した本書は六刷だからそこそこに売れたとは思うが、つげ忠男は兄とは違って、今や忘れられたマンガ家だろう。彼の不幸は暗さにあるだけではなく、「つげ忠男」という名前にあったように思える。つげ義春はまことにユニークなマンガ家であり、それ故に「もう一人」は成り立たず、二人は要らないのである。

 つげ忠男がつげ義春に似ていると言っても、それは表面的かつ部分的なところであって、当然ながら違いも大きい。つげ忠男が別のペンネームでスタートすれば、別の発展があったかもしれない。

中公新書の『マックス・ウェーバー』は現代視点の入門2020年10月19日

『マックス・ウェーバー:近代と格闘した思想家』(野口雅弘/中公新書/2020.5.25)
 岩波新書の『マックス・ヴェーバー』に続いて、発行日が5日後の中公新書の『マックス・ウェーバー』を読んだ。

 『マックス・ウェーバー:近代と格闘した思想家』(野口雅弘/中公新書/2020.5.25)

 著者は1969年生まれの研究者で、講談社学術文庫の『仕事としての学問 仕事としての政治』の翻訳者でもある。書店でこの文庫本を目にしたとき、従来の「職業としての学問」「職業としての政治」より明快な標題の訳に感心した記憶がある。

 本書は目配りのいいウェーバー入門書である。ウェーバーの著作の現代視点での批判的読解もわかりやすい。面白さは、岩波新書の『マックス・ヴェーバー』と甲乙つけがたい。読む順番は、オーソドックスなこちらを先にして、岩波新書を後にした方が楽しめたと思う。

 本書には現代の話題への言及が随所にある。中国の監視社会、霞が関の「忖度」、グローバル化、ポピュリズム、コロナなどなどだ。難解なウェーバーを身近にする工夫だろうが、ときにウェーバーの言説と著者の主張が混じり合っているように感じた。

 また、本書にはウェーバー以外の多彩な論者を援用した記述が多い。登場するのは、プラトン、レンブラント、ミル、トルストイ、イプセン、森鴎外、リップマン、カフカ、リルケ、トーマス・マンなどなどである。そんな箇所は目先が変化して面白く、興味深く読むことができた。と同時に、やや衒学的で牽強付会とも感じた。この点について、著者は「あとがき」で自覚的な仕掛けだと弁明していて、納得できた。

 ウェーバーがフライブルク大学の教授からハイデルブルク大学の教授に転身した直後に父親が客死し、ウェーバーは体調不良に悩まされるようになる。岩波新書はこれを「神経衰弱」としていた。本書では「心の病」と表現している。同じ状態の説明でも印象が異なり、人物のイメージも少し違ってくる。岩波新著の著者より本書の著者の方がウェーバーに同情的に思える。

 岩波新書の『マックス・ヴェーバー』の終章は「マックス・ヴェーバーとアドルフ・ヒトラー」だったが、本書終盤には「反動の予言――ウェーバーとナチズム」という章があり、「ウェーバーはヒトラー登場の露払い」説を紹介したうえで、著者は次のように述べている。

 「ウェーバーに好意的な論者は、もし彼がもう少し長生きして、ヒトラーの独裁を目の当たりにしたら、徹底的に抵抗したことだろう、という言い方をすることが多い。そして私も基本的にこれに近い考えをもっている。しかし、たとえそうだとしても。第一次世界大戦後の新しい政治レジームを構想しているときのウェーバーがかなり危なっかしいということは、否定できないだろう。」

 本書の終章は「マックス・ウェーバーの日本」である。本書で初めて知ったのだが、ウェーバーの著作が最も熱心に読まれているのは日本である。ドイツで全集の刊行が始まったとき、注文の三分の二は日本からだったそうだ。ウェーバーは、生国のドイツや欧米より日本で多くの人に読まれ、深く研究されているのだ。ウェーバーが西洋中心思想の人だけに。不思議な現象だと思う。

 そんな事情を解明しているのが本書の終章である。「マックス・ウェーバーのテクストとそれをめぐって日本でなされてきたウェーバーに関する研究が、近年、急速に色あせてきたことは、おそらく当然の帰結である」としたうえで、著者は現代の課題に取り組むためにウェーバーを読むことの新たな意義を提示している――ように思える。

岩波新書の『マックス・ヴェーバー』は衝撃の書2020年10月17日

『マックス・ヴェーバー:主体的人間の悲喜劇』(今野元/岩波新書/2020.5.20)
 長年気がかりだったヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を取り合えず読み終えたので、この7月に購入した2冊の新書を読むことにした。岩波新書と中公新書でほぼ同時に出た『マックス・ヴェーバー』というタイトルの本である(中公は「ヴ」でなく「ウ」)。どちらも現役研究者の書だ。まず、発行日が5日早い岩波新書を読んだ。

 『マックス・ヴェーバー:主体的人間の悲喜劇』(今野元/岩波新書/2020.5.20)

 この本は私には衝撃的だった。私はヴェーバーについてさほどの知識はない。と言っても、半世紀以上昔の学生時代からその名を目にすることは多く、ぼんやりしたイメージはあった。丸山真男、大塚久雄、折原浩などの言説で紡がれた、マルクスに対峙する偉大な社会学者の姿である。本書を読んで、そのイメージがガラガラと崩れた。

 本書の著者は1973年生まれの研究者、私の子供にあたる世代だ。著者は本書の「おわりに」で、先行研究者が「その時代の知的流行をヴェーバーに過剰に投影する嫌いがあった」と指摘し、次のように述べている。

 「近代主義的な第一世代(大塚久雄、丸山真男、青山秀夫、内田芳明ら)も、近代批判的な第二世代(安藤英治、折原浩、山之内靖ら)も、理念先行のヴェーバー解釈では変わりないと、第三世代の私は考えている。」

 理念先行を排した本書は「伝記論的転回」という手法によって、その時々のヴェーバーの言動紹介を中心に綴った伝記である。それは、知的で闘争的なナショナリストが演じた「主体的人間の悲喜劇」である。

 ヴェーバーはプロイセンで1864年に生まれた。二葉亭四迷や津田梅子と同い年で夏目漱石より3歳上だ。亡くなったのは100年前の1920年、ナチス台頭前夜である。享年56歳、スペイン風邪にやられたらしい。

 著者は本書の「はじめに」で次のように述べている。

 「(…)ヴェーバーの学問業績はいかに深遠に見えても外皮であり、その内側には政治の人ヴェーバーがいた。その彼の鍵概念こそ「闘争」(Kamp)である。」

 また、「おわりに」では次のように述べている。

 「私が描く疾風怒涛のヴェーバー像が、従来日本で披露されてきた高踏派の人物像とはかけ離れているので、別人と混同したのではという疑念が生じるのも無理はない。(…)私は、作品解釈に没頭する従来の研究手法を転倒させ、書簡などを用いて作品の背後にあるヴェーバーの生涯を整理することにした。というのも、思想とは結局のところ、状況に応じた対機説法にほかならないからである。」

 ヴェーバーの外皮である作品もロクに咀嚼できない私は、いきなり「背景」を読んで、とても面白い背景(伝記)だと思った。本書を読む限り、ヴェーバーはアグレッシブでやっかいなトンデモ人間に見える。差別的で排斥的はヘイトスピーチをするナショナリストで、義侠心もある。学のあるヒトラーのようだ。

 戦後のドイツでは、ヴェーバーに国民社会主義(ナチス)につながる要素があったと指摘する学者もいたそうだ。本書の終章のタイトルは「マックス・ヴェーバーとアドルフ・ヒトラー」で、両者を比較検討している。相違点もあるが類似点も多い。

 この伝記は膨大な史料に基づいているとは言え、著者の見方の反映でもあり、これが実像だとは言い切れない。著者もヴェーバーの両義性を指摘している。また、人は誰も時代の桎梏の中に生きているので、100年前に没した人を現代の感覚で単純に評価することはできない。

 いずれにしても、本書のおかげでヴェーバーが興味深い人物に思えてきた。

つげ義春の暗くて切ない異世界に浸る2020年10月15日

『苦節十年記/旅籠の思い出』(つげ義春/ちくま文庫)
 この夏から、つげ義春の文章(日記、エッセイ)の本を何冊か読んだ。寡作の人なので文章はほぼ読みつくしたかと思っていたが、次の1冊があった。

 『苦節十年記/旅籠の思い出』(つげ義春/ちくま文庫)

 ちくま文庫の「つげ義春コレクション(全9巻)」の1冊である。このコレクションは筑摩書房の「つげ義春全集(全8巻+別冊)」の文庫版で、本書は全集の別巻に該当する。文章がメインの巻で、旅のイラストも多数掲載している。

 収録文章の約半分が初読で、残りは再読だった。浮世離れした気分になるエッセイも多いが、やはり主調音は陰鬱で切ない貧乏話だ。印象深いのは貸本マンガ家時代を綴った「苦節十年記」と、弟のマンガ家・忠男を語った「つげ忠男の暗さ」「つげ忠男の不運」である。タイトルを並べるだけで暗くなってくる。

 落ち目の貸本マンガ家たちが業界の盛り返しをはかって滝野川公会堂で開催した大集会の話が面白かった。多くの貸本マンガ家が不安と焦燥にかられて集まったが、読者の参加者は約20名、ぜんぜん盛り上がらない会だったそうだ。そのときが初対面の白土三平、水木しげる、つげ義春、長井勝一(『ガロ』社長)が集会後に会場の食堂で黙々と昼食をとる場面も切ない。あまりに貧弱な料理なので、つげ義春は「白土か長井がもう一品おごってくれないかな」と思いながら食べていたそうだ。後日、水木しげるも同じことを思いながら食べていたと表明している。切ない食事の記憶はいつまでも残るのだろう。

 つげ忠男は『つげ義春日記』にも登場する。日記では、兄に輪をかけて暗くておとなしい弟への兄の思いやりを感じた。だが、本書のエッセイは少し趣が異なる。兄はマンガ家としての弟の才能を評価しつつも、面倒見は悪かったらしい。また、忠男が持参したマンガ原稿が傑作だったので、それを盗作し、自作として発表したと告白している。兄はそのことをずーっと失念していて、弟はその件については沈黙し続けたそうだ。

 この夏、つげ義春にハマったきっかけは、調布の床屋(高校時代の同級生)に押し付けられた『貧困旅行記』だった。その床屋が「調布で一番ワリがいい仕事は競輪場の車検売りだが、空きがないと入れない狭き門だ」と言っていた。つげ義春の奥さん(藤原マキ)が車券売りをしているマンガを読み、彼女はどうやって就職できたのだろうという流れの会話だった。本書収録の「妻のアルバイト」を読んで判明した。つげ義春夫妻は競輪場のすぐ近くに住んでいたので、優先的に採用されたそうだ。競輪場にはそんな近隣対策があると知った。

加藤九祚の魅力が伝わってくる『シベリア記』2020年09月26日

週刊朝日(2020.9.25号)、『シベリア記:遥かなる旅の原点』(加藤九祚/論創社/2020.8)
 『週刊朝日(2020.9.25号)』に「94歳のインディ・ジョーンズ」と題する嵐山光三郎のコラムが載っていた。このコラムで加藤九祚の『シベリア記』発行を知り、さっそく入手して読んだ。

 『シベリア記:遥かなる旅の原点』(加藤九祚/論創社/2020.8)

 本書は1980年に潮出版社から刊行された『シベリア記』に随筆や年譜を付加した新版である。

 加藤九祚は2016年9月、ウズベキスタンで発掘調査中に94歳で亡くなった。私は、その死亡ニュースに接するまで加藤九祚という人を知らなかった。ある先生から「加藤九祚さんがウズベキスタンで亡くなりましたねぇ」と聞いて、はじめて知った。その後少し調べ、すごい人だと思った。

 加藤九祚は1944年に出征して満州で終戦を迎え、シベリアで5年間の抑留生活を送り、その間にロシア語を憶える。1950年に帰国したときは27歳、上智大学の独文科を卒業し平凡社に勤務、49歳で平凡社退社、大学の非常勤講師などを経て国立民族博物館の教授になる。嵐山光三郎は平凡社時代の後輩である。

 ウズベキスタンでの発掘調査を始めたのは60代になってからで、65歳にして大型ストゥーパ(仏塔)を発見、発掘調査と保存の事業を始める。

 私は加藤九祚を知った後、その著作や翻訳書をいくつか読み、昨年(2019年)夏にはウズベキスタンとタジキスタンを巡るツアーに参加した。参加者は9人で、ガイドは日本語ができるウズベキスタン人だった。ツアー中にガイドが「加藤先生」や「加藤の家」について語ったが、私以外のツアー参加者に加藤の名は初耳だったようだ。ガイドは「ウズベキスタンで加藤先生を知らない人はいません。教科書にも載っています」と言っていた。

 『シベリア記』は加藤九祚のシベリア抑留生活を綴った本と思って読み始めたが、いささか趣が違った。日本とシベリアの交流史の紹介がメインで、それに付加する形で抑留体験が載っている。自身の体験を歴史のなかに位置付けて検証する試みのようだ。そんな歴史概説風でも、著者の魅力的な人柄が伝わってくる。

 ウラジオストックの歴史や明治期にシベリアに渡った日本人の話などは、私にはまったく未知の話で、興味深く読めた。以前に榎本武揚の『シベリア日記』を読んでいたので、本書で少しだけ榎本が顔を出すのがうれしかった。

 最も興味深かったのは都筑小三治という写真修正技術士の話である。1900年(明治33年)、30歳のときにウラジオストックに渡り、紆余曲折があってシベリアの最果ての町で写真館を開き、ロシア人女性と結婚し二子をもうける。日露戦争のときに在留日本人のほとんどが帰国するが、都筑小三治はシベリアに留まる。ロシア革命後の1918年に妻子と帰国、シベリア出兵に際して通訳としてイルクーツクを再訪、1946年に東京八王子で亡くなる。加藤九祚は「私はいずれ、もう一度この人物の生涯の研究にもどりたいと思っている」と述べて、この稿を結んでいる。それが果たされたか否かはわからない。Wikipediaでは「都筑小三治」は出てこない。

『つげ義春日記』はなぜ面白いのだろうか2020年09月20日

『つげ義春日記』(つげ義春/講談社文芸文庫)
 駅前の書店の店頭に文庫本の『つげ義春日記』が平積みになっていた。この夏、つげワールドに浸る日々を何日か過ごしたが、それは古書をひもとく時間だった。新本の世界でつげ義春に出会い、不意打ちをくらった気分になり、すぐに購入した。

 『つげ義春日記』(つげ義春/講談社文芸文庫)

 この文庫本は2020年3月10日発行で、私が購入したのは6月25日発行の4刷だった。売れているようだ。「小説現代」に連載されたこの「日記」の単行本は1983年12月に出版されている。松田哲夫氏の本書の解説によれば、妻マキに誇張や私事の暴露が非難されたため、今日まで文庫化されなかったらしい(妻・藤原マキは1999年に逝去)。

 『つげ義春日記』は昭和50年(1975年)から昭和55年(1980年)までの日記で、この間に長男が誕生し、妻が癌にかかり、本人は精神病で通院する。基本的には気が滅入るような日々を綴った暗い日記である。読み始めると、暗鬱かつノスタルジックな世界に引きずり込まれ、一気に読んでしまった。

 この日記は私小説ファンのつげ義春が綴った「私小説」である。私は私小説ファンではなく、私小説はほとんど読まない。だが、この日記を読んでいると、私小説も面白いと思わされてしまう。

 この日記のどこが面白いのか、私自身にもよくわからない。有名マンガ家の日常生活を覗き見する面白さがあるのは確かだし、調布市在住の私には馴染みの場所が頻出するうれしさもある。生まれたばかりの子供を抱えた小さな家族の些事に身をつまされ、オロオロする主人公に同情することもある。だが、そんな所だけにこの日記の魅力があるとは思えない。

 私小説全般に言えることかもしれないが、語っている自分と語られている自分の間には微妙で奇妙なズレがあり、それを感得するムズムズした感覚が面白さにつながるのかもしれない。虚実皮膜である。

 この日記の昭和55年(1980年)分は妻・藤原マキが『私の絵日記』(ちくま文庫)で描いた日々と重なり、両者が同日を描いている日記も何日かある。つきあわせて読むと面白さは倍加し、「おかしな二人」との思いもわいてくる。