ゲーテ初読の『イタリア紀行』でその愛嬌に惹かれた2018年04月25日

『イタリア紀行(上・中・下)』(ゲーテ/相良守峯訳/岩波文庫)
◎シチリア旅行がきっかけ

 来月、シチリア旅行を予定している。その準備の一環としてゲーテの『イタリア紀行(上・中・下)』(相良守峯訳/岩波文庫)を読んだ。

 ゲーテと言えば晩年に至るまで恋愛をし「もっと光を!」という最期の言葉で生涯を終えた向日的な文豪というイメージがある。その作品をまともに読んだことはない。数年前に文庫本で『ファウスト』を購入したものの積んだままだ。その未読の『ファウスト』を差し置いて、ネット古書店で入手した『イタリア紀行』を読むことになってしまった。

 きっかけはシチリア旅行に備えて読んだ『シチリア歴史紀行』(小森谷慶子/白水社)という本で次の一節の接したからだ。

 「やや聞き飽きた感のあるゲーテの名言をもじりたくはないのだが、私もやはり次のように感じずにはいられない。シチリアという世界の鍵を開けることなしには、イタリアのことはもちろん、地中海世界のことなど何も理解できはしないのだ、と。」

 ゲーテの名言は知らないが、この一節でゲーテに『イタリア紀行』なる書があることを思い出し、旅行記なら読みやすかろうと興味がわいたのだ。

◎上巻と中巻が面白い

 ゲーテは25歳で発表した『若きウェルテルの悩み』で有名になり、32歳でヴァイマル公国の宰相になるも、37歳の時に休暇を願い出てイタリアへ旅立つ(1786年9月)。帰国するのは2年後だ。その2年間に故国の知人・友人あてに書いた報告書風の書簡をまとめたのが『イタリア紀行』だ。

 ゲーテが長期滞在したのはローマで、ナポリやシチリアも訪ねている。訳本の上巻は故国を出てからローマに至るまでの報告だ。途中、ヴェネチアには16日間滞在しているがフィレンツエには3時間しか滞在していない。中巻はナポリとシチリアの報告だ。ナポリ滞在中のゲーテはシチリア旅行を逡巡していて、結局行く決断をし、1787年3月29日にナポリ出港、5月17日に帰港している。約1カ月半のシチリア旅行だ。

 この上巻と中巻は初めての風物に触れる新鮮な体験や興味深いエピソードが綴れていて面白い。

 下巻はローマに戻ってからの約10カ月間の滞在記で、美術品鑑賞や自身の創作活動の報告が中心でやや退屈である。

◎イタリアという地域概念

 ゲーテがイタリア旅行をした18世紀。イタリアという統一国家は存在しない。ヴェネチアはヴェネチア共和国、フィレンツエはトスカーナ大公国、ローマは教皇領、ナポリとシチリアはスペイン・ブルボン家の王国だった。

 本書にはそんなややこしい状態を反映した記述も多少はある。しかし、むしろ当時の欧州人にとってイタリアという地域概念はすでに明確だったように感じられた。

 ヨーロッパを把握するには国という概念だけでなく、地域、民族、さらには◎◎家という汎国家的な王家のからみ具合を捉えねばならないと再認識した。ややこしいことである。

◎ゲーテは自然科学が好き

 意外に思ったのはゲーテの関心が芸術作品や遺跡だけでなく岩石や植物などの自然科学の領域に及んでいることだ。後者のウエイトの方が大きいようにさえ感じられる。

 噴火中のヴェスヴィオ火山に登った話には驚いた。ゲーテはポンペイ遺跡よりは熔岩や火口への関心が高い。降り注ぐ噴石の合間を縫って熔岩を観察し火口を覗こうとさえしている。一歩間違えれば遭難していたはずだ。

 シチリア旅行においてはシラクサ訪問をパスした経緯も面白い。パレルモを出発して古代遺跡などを巡りながらメッシーナを目指していたゲーテは、シチリアはイタリアの穀倉といわれているのにそれらしい風景に出会わないのを不思議に思いガイドに質問する。ガイドは「それを得心なさるにはシラクサを通らず、斜にこの国を横切って行かなければなりません。そうすれば小麦のたくさん産する地方を御覧になれましょう」と答える。

 そこでゲーテはシラクサ行きの中止を決める。古代ギリシア・ローマ時代に高名だった町を訪ねるよりは、現代の穀倉地帯を見る方が重要だと判断したわけだ。現世への関心の高さに感心する。さすがゲーテだ。

◎ゲーテに世俗人の愛嬌あり

 ゲーテの旅行は変名を使った「おしのび」の旅行だった。しかし、随所で「ウェルテル」の作者とバレて、それなりの楽しそうに振舞っている。また、故国に送り続けていた報告書によってローマへの憧れを喚起された友人・知人たちが大挙してローマに来ようとしているのを知り、あせってそれを阻止しているのも面白い。せっかくの「人払い」が無駄になってしまうからだ。自業自得だと思うが、愛嬌を感じる。

 『イタリア紀行』を読んでいると、ゲーテが「文豪」ではなく世俗に生きる等身大の人物に見えてくる。それが収穫だった。

◎ゲーテの名言

 なお、本書を読みながら、『シチリア歴史紀行』で言及されていた「聞き飽きたゲーテの名言」探索も試みた。それは次の一節のようだ。

 「シチリアなしのイタリアというものは、われわれの心中に何らの表象をも作らない。シチリアにこそすべてに対する鍵があるのだ。」

◎蛇足

 『イタリア紀行』を読みながら密かに期待していたのはギボンの『ローマ帝国衰亡史』への言及だ。ギボンはゲーテよリ12歳年長の英国人だ。ゲーテは英語も読解できたので(本書にそれを裏付けるエピソードもある)、刊行時から評判だった『ローマ帝国衰亡史』を読んでいた可能性は高い。しかしギボンへの言及はなかった。古代ローマの遺跡を巡りつつも、文明の滅亡という陰気な物語よりは現世の陽光を楽しんでいたようだ。

西部邁の自死はズシンときいてくる2018年02月11日

『ファシスタたらんとした者』(西部邁/中央公論新社)、『保守の真髄:老酔狂で語る文明の紊乱』(西部邁/講談社現代新書0)
 西部邁の自死から3週間以上が経過した。時間の経過とともに、私があの自死にかなりの衝撃を受けていると自覚した。

 自ら予告し続けた自死であり、己の論理あるいは哲学にかなった「合理的」とも言える自死だが、そんな自死を実行できる人が多いとは思えない。明晰なのに釈然としない。私たちが自分の将来(老残)を考えるとき、西部邁の影がチラチラしそうな予感がする。

   このブログに書いたように、西部邁自死の直後に『ソシオ・エコノミクス』と『寓喩としての人生』をひもといてはみたものの、この20年ばかりは彼の新著は読んでいなかった。ネットで検索すると、持続的にかなりの著作をものしている。この1年でも次の2冊を刊行している。

 『ファシスタたらんとした者』(中央公論新社/2017.6.10)
 『保守の真髄:老酔狂で語る文明の紊乱』(講談社現代新書/2017.12.20)

 自身の思想遍歴を述べた『ファシスタたらんとした者』は『寓喩としての人生』とかぶる部分も多いが、その後の約20年も含まれていて言葉の芸もあり一気に読めた。やや批判的に江藤淳や三島由紀夫の自死も論じている。三島を論じるのは、自分が自死を決めたということだとも述べている。

 『保守の真髄』は語り下ろしの新書で、あの粘着質で嫋嫋かつ朗朗とした理屈っぽいおしゃべりを延延と聞かされている気分になる。自身の見解と思想の概略だけでも語り尽くそうという執念を感じる。難解な部分も多い。十全には理解できず、賛同しがたい見解もあるがトータルの雰囲気は納得できる。

 2冊とも自死の必然性に言及していて、死の影が色濃く漂っている。だが、死ぬ死ぬと自分を自死に追い込んでいるようには感じられない。自分のことは自分で決めると坦々と自死を予告しているだけだ。

 西部邁は、自身を大多数からは理解されない真正保守と位置づけ、自身が奇矯な人物と見なされているように述べている。確かに一見奇矯に見える発言もあるが、実は極めて常識的・合理的でまっとうな考えの人に思える。個人と公共のバランス重視、 民主政が衆愚政治に陥る危険、熱狂への警戒、近代合理主義批判、人間の全体性回復などは非常識ではなく常識である。ただし、論理の究極が逆説に漂着することもあり得る。

 西部邁が私のような一般人と異なっているのは、妙に頭がよすぎるところだ。理数的な理解力をベースに社会科学全般を渉猟し、どの学問もが半端なものだと見抜き、それらを統合する大思想を紡ぎたいと夢見たようだ。壮大な視点からは、人が安易には操作できるはずもない社会の複雑さを理解しようとしない大多数の人間が愚か者に見えたのだろう。

 『保守の真髄』のオビには「大思想家・ニシベ」とある。漢字でなくカタカナになっているのが愛嬌で、多少の悲哀も感じる。

 それにしても、この本の最終章「人工死に瀕するほかない状況で病院死と自裁死のいずれをとるか」は身につまされた。

歴史を理系の視点で考察した板倉聖宣氏が逝去2018年02月10日

訃報記事、『日本史再発見:理系の視点から』(板倉聖宣/朝日新聞社/1993年)、同書掲載の図表
 本日(2018年2月10日)の朝日新聞朝刊に科学教育の板倉聖宣氏の訃報が載っていた。87歳の老衰死とある。扱いがちょっと小さいなと思った。

 仮説実験授業法の提唱者で『ぼくらはガリレオ』をはじめ多くの著作がある人だ。私は教育とは無縁だが板倉聖宣氏のファンだった。約30年前、偶然に京王線の電車内で板倉聖宣氏と言葉を交わしたこともあり、その経緯は4年前のブログに書いた。

 訃報に接して驚いたのは、ほんの2週間ほど前、板倉聖宣氏の消息が気になってネット検索し、Wikipediaで氏のご存命を確認したばかりだったからだ。

 なぜ気になったのか。それは大河ドラマ『西郷どん!』のせいである。第1回と2回は全部観たが、それ以降は録画したものを早送りで観ただけだ。陳腐な作りが目につき、いまのところあまり興味がわかない。

 その『西郷どん!』の中で、百姓たちは白米など食べたことがないという表現があり、引っかかった。板倉聖宣氏が『歴史の見方考え方』(仮説社/1986年)で、統計データに基づいて「江戸時代の農民がもっとも多く食べていたのは米」と指摘していたからだ。同様の指摘を示す図表が『日本史再発見:理系の視点から』(朝日新聞社/1993年)にも掲載されている。

 単純化して言えば、当時の主食物生産量の約6割は米であり、人口比の少ない武士と町人だけで食べきれる量ではなく、多くの農民は主に米を食べていたと考えざるを得ない、ということである。

 わかりやすい説なので納得できた。そんな記憶があったので『西郷どん!』の「白米を食べたことがない百姓たち」が気になったのだ。武士が食べきれなかった米を薩摩ではすべて焼酎にしたとも思えない。大河ドラマはフィクションとは言え学者が時代考証をしていると考えられる。歴史学者たちが板倉聖宣氏の説をどう評価しているのかが気になり、ネットを検索してみた。私の調べ方が悪いのか、何もわからなっかた。詳しい方にご教示いただければうれしい。

 そんなわけで板倉聖宣氏の消息を検索し、その直後に訃報に接した。合掌。

『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』で塩野七生ワールドの愉楽を味わう2018年02月08日

『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)(下)』(塩野七生/新潮社)
◎中世モノと言えばこの本もあった

 昨年末から中世の本をいくつか読んでいて、未読本に積んであったこの本を思い出した。

 『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)(下)』(塩野七生/新潮社)

 刊行時(2013年12月)に購入し、いずれ読もうと思いつつ放置していた。最近読んだ『中世の風景(上)(下)』(中公新書)の終盤で樺山紘一がフリードリッヒ二世に言及していたので本書を想起した。

 読み始めると引き込まれ、ハードカバーの上下2巻を二日で一気読みした。やはり、塩野七生の歴史エッセイは面白い。『ローマ人の物語』(文庫本で43冊)、『海の都の物語』(文庫本で6冊)を読了したのは7年前で、久々に塩野七生ワールドの愉楽を味わった。

 塩野七生は女・司馬遼太郎のようでありながら別種の魅力もある。女性目線の歯切れのいい人物論・男性論・リーダー論は妙に説得的で教訓的だ。小説仕立てではないのに歴史上の人物が生き生きと身近に感じられ、塩野七生の眼鏡にかなったイイ男(主人公)に読者も感情移入されてしまう。

 フリードリッヒ二世はヨーロッパ中世後期に活躍した神聖ローマ帝国皇帝で、1194年に生まれて1250年に没している。日本なら鎌倉時代の人で、3代将軍源実朝より2歳若い。ヒトラーが敬愛した18世紀プロセンのフリードリッヒ二世(大王)とは別人で、高校世界史の教科書にはあまり登場しない。だが、歴史上の重要人物なのは間違いない。

 私がフリードリッヒ二世を知ったのは、かなり前に『神聖ローマ帝国』(菊池良生/講談社現代新書)を読んだときで、とても印象深い魅力的人物だと思った。今回、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』読み、あらためてこの開明的人物に惹かれた。

◎「笑うしかない」が伝染する歴史エッセイ

 塩野七生はフリードリッヒ二世を「中世に生きながらも200年後のルネサンスに向かう扉を開いた人」と位置付けている。早熟の天才で、中世に生きた近代人だったのだ。早く生まれすぎたにもかかわらず、時代とのおりあいをつけることもでき、ローマ法王との対立を繰り返しながらヨーロッパ随一の皇帝として生涯を全うしている。たいしたものだ。

 本書が面白いのは、主人公に対抗するローマ法王たちがいかにも悪役らしい悪役になっている点だ。塩野七生の「聖職者嫌い」「学者嫌い」が反映されているというより、史料をベースに歴史を組み立ててみると、こんな見方にならざるを得ないと述べているように見える。

 ローマ法王の「法王が太陽で、皇帝は月」という考えに対してフリードリッヒ二世は「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」というイエスの教えで対抗したという見立ては簡明でわかりやすい。フリードリッヒ二世の目指していたものは「政教分離」「法治国家」だという整理も明解だ。こんな歯切れのよさが塩野七生の歴史エッセイの魅力の一つだ。

 それと、今回気づいたのは「笑うしかない」「笑ってしまう」というフレーズが多いことだ。「呆れ返るしかない」も目についた。フリードリッヒ二世や法王たちの言動をたどりながら、著者は笑ったり呆れたりして歴史を楽しんでいる。それが読者に伝染してくるから塩野七生の歴史エッセイは面白い。

 菊池良生の『神聖ローマ帝国』もフリードリッヒ二世を魅力的に描いていて、その中に「当代随一のニヒリスト」と形容している箇所がある。だが、塩野七生はフリードリッヒ二世をニヒリストとは見ていないようだ。死の床で「死ねば何もない」と言ったという年代記作者の説を否定し、「死ねば何もない」などとは思っていなかったのではないか、と述べている。作者の主人公への愛情を感じた。

◎19世紀になって評価され始めた人物

 本書を読了して、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』でフリードリッヒ二世への言及があったかどうか気になった。かなり以前に読んでいるが記憶にない。

 あの長大な史書の後半は、西ローマ帝国滅亡の後、東ローマ帝国が滅亡する15世紀までのヨーロッパ・中東の歴史を描いている。その中にフリードリッヒ二世の時代も含まれる。18世紀啓蒙思想の人だったギボンはキリスト教にも辛辣だった。ギボンが法王と皇帝との対立をどう描いているのだろうかとページを繰ってみた。フリードリッヒ二世という人名が一カ所だけ出てくるが事績への言及はなく、無視に近い。

 調べてみると、法王と対立したフリードリッヒ二世は、後世の教会史研究者たちに「専制的で放縦な無信仰者」と批判されたせいか、あまり評価されてこなかったようだ。19世紀になって歴史家ブルクハルトがフリードリッヒ二世を「王座上の最初の近代人」と評してから注目されはじめたのだ。18世紀のギボンがフリードリッヒ二世に着目しなかった事情がわかった。

 歴史上の人物の評価の変遷は面白い。

既死者になった西部邁の自伝を読み返した2018年01月26日

『ソシオ・エコノミクス』(西部邁/中央公論社/1975.10.30)、『寓喩としての人生』(西部邁/徳間書店/1998.6.30)
 先日(1月21日)、西部邁が78歳で自死した。このニュースに接し、江藤淳の自死を想起した。妻に先立たれ自身の健康の衰えを自覚した保守派論客の自死に共通点を感じたのだ。だが、続報記事や過去の著作に目を通し、江藤淳のケースとは異なると思えてきた。

 私は西部邁の考え方に共鳴しているわけではないがファンだった時期がある。この人の名を知ったのは1975年の処女出版『ソシオ・エコノミクス』(中央公論社)を書店の店頭で手にした時だから、かなり昔だ。この本に出会った話は過去のブログ(唐牛健太郎の伝記の感想)に書いた。

 その後、西部邁はテレビに出演する論客になり多くの著書を世に出した。私は初期の5~6冊に目を通した。どれも、やや粘着質ながら論理的かつ浪漫的で陶酔的でもあるニシベ節とも言うべき独特な魅力の本だった。

 訃報に接し、『ソシオ・エコノミクス』をパラパラとめくり返し、『寓喩としての人生』(徳間書店/1998年6月)を読み返した。

 40年前には難解に感じた『ソシオ・エコノミクス』は、やや晦渋ではあるものの、現在の目から見ると意外にわかりやすい。経済学批判をベースに社会学やラディカル・エコノミクスクスを中心に社会科学の全体性の構築を目指す「稚気」にも近い初々しさを感じる。

 『寓喩としての人生』は59歳の時点で綴った自伝で抜群に面白い。著者の人生が興味深いのは確かだが、その人生のあれこれに関する「語り」に引き込まれる。ニシベ節全開である。歴史意識を語るなかで過去・現在・未来の人間を指す「既死者」「未死者」「未生者」という独特の言葉が出てくるのも興味深い。寓喩という言葉でゴチャゴチャと自伝執筆の言い訳をするのも愛嬌のある説得的な芸になっている。

 「未死者」から「既死者」へ移行してしまった西部邁は、その10日前のインタビューで「近年繰り返していた自らの自殺の話」をし、「数週間後には自分は生きていない」と語っていたそうだ。20年前の『寓喩としての人生』には次のような一節もある。

 「安楽死とか尊厳死とかいったような形容は私の最も嫌うところだ。それらは人間礼賛の成れの果ての表現にすぎない。あえていえば、単純死としての自殺、それが理想の死に方だとすべきではないのか。」

 西部邁の自死は江藤淳ではなく三島由紀夫の自死に近かったのかもしれない。

網野善彦の『無縁・公界・楽』は面白くて刺激的2018年01月08日

『[増補]無縁・公界・楽:日本中世の自由と平和』(網野善彦/平凡社ライブラリー)
 年末に『応仁の乱』(呉座勇一/中公新書)を読んで頭の中が少し日本中世モードになったのを機に、かねてから気になっていた次の本を読んだ。

 『[増補]無縁・公界・楽:日本中世の自由と平和』(網野善彦/平凡社ライブラリー)

 網野善彦の代表作で、初版は1978年、増補版が1987年、私が読んだ平凡社ライブラリー版が刊行されたのが1996年である。

 網野善彦の高名は以前から知っていたが、まとまった著作を読むのは数年前の『日本の歴史をよみなおす』(ちくま学芸文庫)に次いで2冊目にすぎない。『日本の歴史をよみなおす』は非農民や海洋に着目したとても面白い本で、網野善彦史観の概要を把握できた気分になっていた。『無縁・公界・楽』を読了して、その気分は浅薄な早やとちりだったと感じた。

 学術書に近いと思っていた『無縁・公界・楽』は想像していた以上にパッションの書だった。洋の東西から人類史までも視野に入れたスケールの大きさに驚いた。素人目にもかなり強引で大胆な論旨が展開されていて、確かに面白い。ひろげた「風呂敷」がうまく結ばれているかどうかはわからないが刺激的な内容だ。話題の書となり物議をかもしたのもよくわかる。

 「増補版」の約三分の一が初版の後に書き加えられた「補注」「補論」で、その多くは初版への批判に対する反論であり、この部分も面白い。門外漢の私が批判や反論の当否を判断することはできないが、辛辣な批判で指摘された事項をある程度は受け容れつつも見解の主旨を貫徹する著者の情熱に感服した。

 学問において信念と認識は別物であり、思い込みによって事実を変えることはできないだろう。だが、情熱がなければ歴史解釈の追求はできないとも思う。

 私が、それと知らずに網野善彦の文章に初めて接したのは1986年4月、『週刊朝日百科 日本の歴史(第1号)』を手にした時だった。当時、朝日新聞出版局は立て続けに週刊の大判百科を刊行していて、1986年4月からのテーマは「日本歴史」。図解の日本史百科に食指は動かなかったが、「(第1号)源氏と平氏」を手にし、その内容が高校日本史などで習った内容とは全く切り口の異なるユニークなものだと気づき、その魅力に惹かれて全133冊の購読を決めた。

 この「(第1号)源氏と平氏」の責任編集が網野善彦・石井進で、巻頭の「アジアと海の舞台を背景に」の執筆者が網野善彦だった。網野善彦はその他にも「(第3号)遊女・傀儡・白拍子」「(第6号)海民と遍歴する人びと」「(第12号)後醍醐と尊氏」「(第19号)庭」「(第28号)楽市と駆込寺<アジールの内と外>」「(第51号)税・交易・貨幣」などの責任編集をしている。私が「アジール」と言う言葉を知ったのもこの週刊百科によってだと思う。

 『週刊朝日百科 日本の歴史』が出た頃、すでに『無縁・公界・楽』は刊行されていて、網野善彦は話題の歴史学者だったはずだ。私がその名を認識したのは後年になってからだが、名前を認識する前からその魅力は感じていた。

 そんな記憶をたどれるのは、『週刊朝日百科 日本の歴史』全133冊を私自身が合本製本して今も手元に保存しているからだ。「製本」は私の趣味の一つである。

来年の大河を機に『翔ぶが如く』を読んだが…2017年12月24日

『翔ぶが如く』(司馬遼太郎/文春文庫)
◎西郷隆盛は苦手

 私は日本史では幕末維新に関心があるが、西郷隆盛は苦手である。評価が難しい人物なので、遠ざかりたいという気分がある。だから、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』は、いつかは読まねばと思いつつ敬遠していた。文庫本で10冊と長大なうえに題材が西郷隆盛だから手を出しかねていた。

 その『翔ぶが如く』(文春文庫)全10冊をこの年末に古書で入手し、半月足らずで読み終えた。きっかけもちろん来年の大河ドラマだ。私は大河のファンではなく大半は観ていない。だが、年末になって来年の大河関連本が書店の店頭に並ぶと多少は気になる。

 来年の大河ドラマ『西郷どん』の原作は林真理子で、『翔ぶが如く』は何年か前にすでに大河ドラマになったそうだ。でも、年末の本屋の店頭には『翔ぶが如く』も平積みになっている。いつかは読むなら、いまがチャンスだと思った。『西郷どん』を観るか否かはわからない。主人公の鈴木亮平はいい役者なので多少は観るかもしれない。

◎西郷隆盛とは何者か

 『翔ぶが如く』は歴史エッセイに近いので、読了しても大長編を読んだという気分ではなく、司馬遼太郎の蘊蓄に富んだ長時間の座談につきあったという気分になる。毎日新聞に4年にわたって連載された作品で、同じような話や見解の繰り返しもあるが、それがさほど気にならないのも座談だからであり、それによって当方の理解が多少は定着する。

 読後感は『坂の上の雲』に近い。扱っている時代の前後関係から『坂の上の雲』の前に発表した作品かと思ったが、調べてみると『翔ぶが如く』の方が後だった。明治時代に誕生した軍隊が昭和の硬直した軍閥へと変貌するさまへの苦い見解は二つの作品に共通している。

 『翔ぶが如く』は明治5年頃から西南戦争終結の明治10年までを扱っていて、西郷隆盛が最も活躍した幕末は遠景になっている。だから、西郷の伝記ではない。

 本書を読んで、薩摩の国柄、征韓論、明治の太政官政府の様子、台湾出兵などについての理解が深まり、西南戦争の詳細を知ることができた。その意味では有益だった。しかし、西郷隆盛とは何者であるかは依然としてよくわからない。

◎把えがたい人物

 本書の始めの方で作者は西郷隆盛とは何者か、なぜ人気があるのかと自問し「会ってみなけらばわかない」という不思議な述懐をしている。それは、この小説は「西郷隆盛に会う」ことを目指しているという宣言にも思えた。

 しかし、終盤になっても次のように書かれている。

 「要するに西郷という人は、後世の者が小説をもってしても評論をもってしても把えがたい箇所がある(…)。西郷は、西郷に会う以外にわかる方法がなく、できれば数日接してみなければその重大な部分がわからない」

 そう述べる作者は西郷隆盛をもてあましているようにも思える。カリスマのカリスマ性を信者でない人間が論理の言葉で説明するのは難しい。わかりやすさとわかりにくさが混在しているのでややこしい。

 かつて半藤一利氏が「西郷隆盛は毛沢東のような人」と述べているのを読んで、ナルホドと感じたことがある。だが、それは幕末までの西郷隆盛であって、明治以降には当てはまりにくい。

 坂本竜馬が西郷隆盛を評した「釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。」という言葉がある。この例えで言えば、私は西郷を大きく叩くことができないようだ。

 そんなことを考えていると来年の大河ドラマが心配になってきた。「後世の者が小説をもってしても評論をもってしても把えがたい箇所」をドラマで表現できるだろうか。

クセになるカズオ・イシグロの世界2017年12月10日

『遠い山なみの光』(カズオ・イシグロ/小野寺健訳/ハヤカワepi文庫)、『浮世の画家』(カズオ・イシグロ/飛田茂雄訳/ハヤカワepi文庫)、『日の名残り』(カズオ・イシグロ/土屋政雄訳/ハヤカワepi文庫)、『充たされざる者』(カズオ・イシグロ/古賀林幸訳/ハヤカワepi文庫)、『わたしたちが孤児だったころ』(カズオ・イシグロ/入江真佐子訳/ハヤカワepi文庫)、『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ/土屋政雄訳/ハヤカワepi文庫)
◎付和雷同でイシグロの本を買う

 本日(12月10日)はノーベル賞授賞式だ。カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞のニュースの接したときは少し驚いた。名前や評判を知っているだけで作品を読んだことはなかった。比較的若い作家と思っていたが、私より若いというだけで、単に当方が年を取ったにすぎないと気づいた。

 受賞ニュースの翌日、都心の大型書店に立ち寄ったがイシグロの本は品切だった。11月下旬になると、わが駅前の本屋の店頭にもイシグロの本が平積みになった。すべて早川書店(日本語版翻訳権を独占しているようだ)の文庫本で全8点。それがうず高く積まれているのは壮観だ。

 自分が付和雷同の俗人だと自覚しつつ代表作と報道されている次の2点を購入した。

 『わたしを離さないで』(土屋政雄訳/ハヤカワepi文庫)
 『日の名残り』(土屋政雄訳/ハヤカワepi文庫)

◎SF仕立ての記憶語り小説『わたしを離さないで』

 まず『わたしを離さないで』を読んだ。臓器提供のために育成されているクローン人間が主役のSF仕立てだとは聞いていた。坦々とした語り口の端正な小説だった。事前知識なしに読むと衝撃を受けるかもしれないが、状況を明に告発する内容ではなく、主人公たちは運命を受け容れながら日々を生きているように見える。それを記憶語りの形で描出した不思議な世界だ。数年前に読んだ清冽な小説『火山のふもとで』(松家仁之)を連想した。

◎『日の名残り』は繊細な懐旧談…

 続いて『日の名残り』を読んだ。ナチス台頭の時代から現代までのヨーロッパ史を背景にした繊細な懐旧談で、過ぎ去った時代への郷愁と感慨がわき出てくる。

 『わたしを離さないで』も『日の名残り』も静謐な一人称小説で、語りの大半は回想である。語っている「今」と回想の往復に妙味があり、その回想が本当の記憶かねつ造された記憶かが不分明だ。私たちが感得している世界とはこのようにあいまいで異形であり、それこそが人間社会だと感じさせられる。

◎小津映画のような『浮世の画家』

 代表作2つを読めば十分だろうと思っていたが、2作を読み終えると、やはり日本を扱った作品も読んでみたくなった。日本が舞台の小説は次の2作だ。

 『浮世の画家』(飛田茂雄訳/ハヤカワepi文庫)
 『遠い山なみの光』(小野寺健訳/ハヤカワepi文庫)

 少し迷った末、カバー裏の紹介文から『浮世の画家』を選択した。戦時中の画業のせいで戦後には批判の対象になった画家の話とのことで、もしかして藤田嗣治がモデルかなとの興味がわき、この小説に手が伸びたのだ。読んでみると、老画家の一人称の小津安二郎の映画のような話で、フジタとの関連は感じなかった。

 『浮世の画家』に、ないものねだりの多少の期待外れも感じ、読了前には『遠い山なみの光』の方も読まなねばという気分になり、駅前に行ったついでに『遠い山なみの光』も購入した。この時にはイシグロの一人称世界に中毒になりかかっていたようだ。

◎『遠い山なみの光』はシュール

 長崎出身でイギリス在住の日本人女性が長崎で過ごした遠い過去を回想する『遠い山なみの光』はかなり異様で面白かった。人生の回想のようでありながら肝心な所をサラリと省略し、断片だけで全体を想像させる手法に感心した。

 語り手の女性とその回想に登場する友人の女性がオーバラップしていて、実はこの二人は同一人物だというシュールな話にも思えてくる。記憶にはそのような不思議な作用もありそうな気がする。

◎溶融と可塑の『充たされざる者』

 当初は2冊のつもりが4冊になり、これで十分のはずだったが、4冊読了すると、当初から気がかりだった『充たされざる者』(古賀林幸訳/ハヤカワepi文庫)を購入してしまった。ノーベル賞のテレビニュースで一人の評論家が「不条理小説『充たされざる者』が一番いい」と語っていたのが記憶に残り、当初はこの1作だけを読もうとも思っていた。だが、本屋の店頭でその厚さに圧倒され敬遠していたのだ。

 『充たされざる者』は900ページ以上あり、他の長編の3倍ほどの長さだ。確かにカフカ世界か夢日記のようだが、この大長編はほんの数日の話で読みにくくはない。長さも感じなかった。

 他の長編と同様に回想の多い一人称だが、これはかなり不思議な一人称だ。語り手ではなく語られる人間の記憶や心象までが一人称で語られているのだ。登場人物の多くは語り手の分身に近く人々の心象や記憶や溶融している。さらに時間や空間も溶融していて、世界の不思議な可塑性を描いているように思える。

◎探偵登場の『わたしたちが孤児だったころ』

 分厚い『充たされざる者』で打ち止めにしようと思いつつ、それでは終わらず、続いて『わたしたちが孤児だったころ』(入江真佐子訳/ハヤカワepi文庫)も読んでしまった。

 『わたしたちが孤児だったころ』は上海で少年期を過ごしたイギリス人の一人称で、主人公の両親は太平洋戦争前夜の上海で行方不明になっている。両親の失踪後、主人公はイギリスで教育を受け「探偵」になる。坦々とした一人称にかかわらずホームズを彷彿とさせる社交界の名士の探偵という設定はかなりシュールだ。ミステリー仕立ての終盤には引き込まれた。

◎全体で一つの世界

 私が読んだ6つの長編を発表順に並べると次のようになる。

  1982年『遠い山なみの光』
  1986年『浮世の画家』
  1989年『日の名残り』
  1995年『充たされざる者』
  2000年『わたしたちが孤児だったころ』
  2005年『わたしを離さないで』

 私はイシグロが23年にわたって発表してきた6作品を1カ月足らずの間に読んだわけだ。作家のデビュー当時から作家と足並みをそろえて読み継いできた読者にとっては、イシグロは多彩な変貌を遂げてきた作家に見えるかもしれない。舞台は多様に広がり、作風も郷愁譚から不条理世界、探偵小説、SFと様々だ。

 だが、短時間でまとめ読みすると、これらの小説が独立した別々の小説ではなく全体で一つのイシグロ・ワールドを語った一つの壮大な小説に見えてくる。それは、主人公が一人称で坦々と語る静謐で切ない記憶の世界である。

 本屋の店頭に積まれている未読のイシグロ本は『忘れられた巨人』(2015年)と『夜想曲集』(短編集)の2冊だ。クセになる中毒性のある作家なので、いずれこの2冊も読みそうな予感はある。だが年内は別の本に移ろうと思っている。

「筒井康隆自作を語る#4」に行った2017年11月13日

「筒井康隆自作を語る#4」のポスター、『筒井康隆コレクションⅦ 朝のガスパール』(日下三蔵・編/出版芸術社)
 11月12日、『筒井康隆コレクション』(全7巻)完結を記念したトークイベント「筒井康隆自作を語る#4」に行った。会場で、予約していた『筒井康隆コレクションⅦ 朝のガスパール』(日下三蔵・編/出版芸術社)も入手した。

 83歳の筒井康隆氏は元気で、今も文芸誌に短編小説を発表している。この調子で行けば、まだ何冊も新作(短編集。ひょっとした長編も)が出そうだ。

 あい変わらずの軽妙で知的なトークだが、最後(?)の長編『モナドの領域』は、神を登場させることで「神は存在しないということを書いた。だから最後の小説だ」との述懐に明晰な作家精神を感じた。近作短篇は耄碌ハチャメチャ作風だが、約20年前からあえて「老人」を演じているとポロリと語るところにこの作家のエネルギーを感じた。

 筒井康隆氏は短編も長編もたくさんあり、どれもが独特の傑作であり、どれが一番かは読者も判断に迷う。自ら「代表作がない作家」と語り「このままでは『時をかける少女』の作家と記憶されそうだ。それでもいいのだが…」とつぶやく姿が印象的だった。代表作と思える作品が多すぎる作家なのだ。

 『筒井康隆コレクション』(全7巻)はメインの作品の他に落穂ひろい風にレアな文章を収集収録しているのが魅力だ。今回入手した第7巻には、1966年に発行された「SF新聞 創刊号」に載った「SFを追って」が収録されていた。私はこの「SF新聞 創刊号」を発行当時購入し、その後も大事に保管してきたはずなのだが、いつの間にか紛失してしまった。「SFを追って」を読み返し、往時の記憶が懐かしくよみがえってきた。

ミュシャの巨大連作『スラヴ叙事詩』の前に立ちすくんで…2017年04月07日

 国立新美術館で開催中の『ミュシャ展』に行った。ミュシャと言えばあのシャレた装飾的なポスターを想起する。私もミュシャのポスターは好きだ。

 だが『ミュシャ展』のメインは華麗なポスターではなく『スラヴ叙事詩』と題する20点の巨大絵画だ。パリでポスター画家として成功したミュシャが祖国チェコに戻ってこんな絵画を制作していたとは、今回の『ミュシャ展』の報道に接するまでは知らなかった。

 フライヤーで紹介されている『原故郷スラヴ民族』をはじめとする20点の大きさに圧倒された。『原故郷スラヴ民族』は610×810cm、他の作品も似たようなサイズだ。これだけ大きいと会場が多少混雑していても鑑賞にさほどの支障がないのが有難い。

 この巨大絵画をチェコからどうやって運んで来たのか気になった。610×810cmの板を船に載せるのは可能かもしれないが、都会の道路をトラックで運搬できるとは思えない。帰宅後ネットで調べて、絵画をクルクル巻いて運んだと判明した。痛まないのか心配だが、専門家の仕事だから大丈夫なのだろう。

 『ミュシャ展』で感激したのは、一部ではあるが写真撮影が可能になっていることだ。海外の美術館では写真撮影OKの所があるが、日本では珍しいと思う。なぜ全部ではなく一部なのだろうと思った。混雑時の写真撮影が鑑賞の妨げになるかの実験的試みかもしれない。

 それはさておき『スラヴ叙事詩』という連作を眺めながら、スラヴ民族とは何だろうという基本的な疑問がわいた。ヨーロッパにはラテン民族、ゲルマン民族、スラヴ民族がいると習ったのは中学生の頃だが、歴史を学ぶにつれてそんなに単純ではなさそうな気がしてきた。ヨーロッパに住む人々の〇△民族、□◇人というアイデンティティは複雑すぎて理解不能だ。

 最近読んだティモシー・スナイダーの『ブラッドランド』『ブラックアース』もヨーロッパの国民国家、民族自決を背景にした歴史書で、人種や民族とは何かを考えざるを得ない内容だった。

 私自身の中に日本人という意識があるのは確かだが、島国育ちのせいか、ことさらに人種・民族を意識せずに生きてきた。そんな呑気な人間だから、ミュシャが巨大絵画群にぶつけたスラヴ人意識とは何であったか、孤高なのか連帯なのか反発なのか郷愁なのかイマイチ理解できない。