佐藤優氏の『国家の罠』には観劇的な面白さがある2019年05月11日

『国家の罠:外務省のラスプーチンと呼ばれて』(佐藤優/新潮文庫)
 佐藤優氏は大量の本を書いている。その何冊かは読んだことがあり、情報や諜報に長けた知識人だとは認識している。彼の「デビュー作」である『国家の罠』は未読だった。それを今回読んだ。

 『国家の罠:外務省のラスプーチンと呼ばれて』(佐藤優/新潮文庫)

 単行本刊行は14年前、その2年後には文庫化されている。本書の存在は刊行時から知っていたが、タイトルだけで内容が推測できるような気がして敬遠していた。それを読む気になったのは2カ月ほど前に、佐藤氏が高校時代に東欧・ソ連を個人旅行した記録『十五の夏』を読んだからである。この高校生がどんな経緯で「起訴休職外務事務官」となったかに興味がわいた。

 『国家の罠』は自らが体験した国策捜査の実態と自分を切り捨てた外務省の実情を述べた本であり、概ね私の予感したような内容だった。思ったほどに告発調ではなく坦々と自身の体験と見解を「歴史の証言」として語り、2030年には関連文書が公開されるので、そのときに自分が正しいと明らかになるだろうとしている。その自信が見事である。

 予感した以上に面白かったのは、著者と検察官とのやりとりである。著者が誠実な検察官をリスペクトとしているので、奇妙な悲喜劇のようなシーンが繰り広げられている。

 佐藤優氏の本は面白いのだが自画自賛的な記述が多いのは少し辟易する。検察官が著者に対して述べる「格好つけている。もう、面倒なんだから」というセリフに共感したくなる。

 ラスト近くの法廷での最終陳述は圧巻である。ヘーゲルの『精神現象学』から説き起こし、ケインズやハイエクを援用しつつ国策捜査を解読し、おのれの無罪を主張している。評論としては実に面白いが、裁判官は辟易したのではなかろうか。もちろん、このやや衒学的な最終陳述に裁判官が説得されるわけではない。しかし、法廷という舞台で展開される芝居としては、なかなかの名場面である。

『榎本武揚 シベリア日記』で榎本の好奇心・探検心を再認識2019年01月13日

『榎本武揚 シベリア日記』(講談社編/講談社学術文庫)
◎ペテルブルグからシベリア経由で帰国

 榎本武揚関連の評伝や小説を数冊を読み、いよいよ本人が書き残した『シベリア日記』を読んだ。

 『榎本武揚 シベリア日記』(講談社編/講談社学術文庫)

 榎本没後100年の2008年に刊行された本書には『シベリア日記』の他に『渡蘭日記』と書簡3通も収録されている。

 箱館戦争に敗れて投獄された榎本武揚は1872年(明治5年)に釈放され、北海道開拓使を勤めた後、1974年に対ロシア領土問題処理のため特命全権公使・海軍中将としてペテルブルグに赴任する。

 4年間の海外任務を終えて1878年(明治11年。榎本43歳)、帰国の途につく。ルートはシベリア経由である。ペテルブルグ出発は1878年7月26日、小樽到着は同年10月4日、2カ月余のシベリア横断の記録が『シベリア日記』である。

◎埋もれていた『シベリア日記』

 榎本武揚がシベリアを横断したのは西南戦争の翌年、西郷・大久保・木戸らが相次いで没し、幕末の争乱が一段落した時期である。なぜか『シベリア日記』は公表されず、榎本没後27年の昭和10年に発見される。昭和10年代に3回出版されたそうだが非売品や少部数のためあまり知られず、講談社学術文庫版の本書で日の目を見た。

 当時、ペテルブルグからの帰国は船旅が常識で、シベリア横断は榎本武揚の好奇心と探検心のあらわれである。同行の日本人は3人(留学生2人、書記官1人)いて、ロシア当局は日本の高官がシベリア横断旅行を支障なく遂行できるよう各地に通達を発している。

◎幅広い関心領域

 この日記を読んで、次のようなことを感じた。

 ・主要な町で厚待遇を受け、大名旅行のようである。
 ・と言うものの、拷問のような馬車や南京虫に悩まされる苛酷な旅である。
 ・榎本の関心領域は、土壌・植生・鉱工業・経済・軍備・言語・民族と幅広い。
 ・夏の旅のせいか、極寒のイメージはあまりない。
 ・やはり、当時のシベリアには囚人が多い。
 ・美人目撃の記述が散見される。
 ・シベリアだけでなく満州や蒙古への関心も強い。

 旅の後半で黒龍江(アムール河)を船で下るとき次のような感想を述べている。

 「実に亜細亜中屈指の良河にして、欧州のダニューブ北米のミシシッピーとただちに比較し得るものなり」

 国際人・榎本武揚の識見を感じる。

◎18歳のとき蝦夷に行っていた

 また、この日記の中に次の記述があるのにも注目した。

 「予かつて二十五年前、石狩川を航過せしとき河鮫の網に罹かりしこと聴きたり」

 25年前と言えば18歳のときである。榎本は昌平坂学問所卒業後、蝦夷・樺太に行ったとされているが、証拠文書が乏しいと聞いたことがある。この日記は証拠のひとつだと思った。

◎幕末留学生の『渡蘭日記』

 『渡蘭日記』は幕末にオランダ留学するときの航海日記で、バタビアからセントヘレナ島まで寄港地なしの帆船の旅の坦々とした記録である。

 洋上、マグロを釣り上げ、留学生たちは刺身で食べたいと思うがに野蛮と思われるのでオランダ人に言い出せず、不味く調理された煮魚に辟易する場面などが面白い。

 洋上が晴れていても島の上に雲がかかっていることが多いという指摘は、私が航海したときの経験と同じで共感したが、榎本は「ただ、雲容の模様、自ずから異なれり」と記している。幕末の人が私より深く観察しているのに敬服した。

◎解説文も歴史的文書では?

 本書の巻末には次の二つの解説が載っている。

 「両日記の解説 -- 榎本武揚小伝」(廣瀬彦太)
 「学術文庫版解説」(佐々木克)

 後者の筆者は幕末史の著名な歴史学者で妥当な解説文だが、前者の解説がヘンである。文体や内容から昭和10年代に刊行された『日記』の解説文と思われる。廣瀬彦太という人はウィキペディアにも載っていない。「生年1882年、没年1968年」とはわかった。「両日記の解説 -- 榎本武揚小伝」なる解説は歴史的文書として扱われるべきものと思われるが、本書には何の説明もない。不親切である。

ひとつの榎本武揚像を提示した『かまさん』2019年01月09日

『かまさん:榎本武揚と箱館共和国』(門井慶喜/祥伝社文庫)
 榎本武揚を描いた『航』(綱淵謙錠)、『小説榎本武揚』(童門冬二)に続いて次の歴史小説を読んだ。

 『かまさん:榎本武揚と箱館共和国』(門井慶喜/祥伝社文庫)

 文庫本のオビに「祝 直木賞受賞」とあるが本書が受賞したのではない(『銀河鉄道の父』で2017年下半期の直木賞受賞)。この作家の小説を読むのは初めてで、本書の「あとがき」で知ったのだが、作者の「慶喜」という名は歴史好きの父がつけた本名だそうだ。悪く言われることも多い最後の将軍の名を背負ったことに同情したくなる。本書にも作者の名が影を落としている。

 『かまさん』はコミックかテレビドラマのような軽快な展開で読みやすい。榎本武揚が開陽丸を回航して帰国し横浜に入港するシーンから始まり、箱館戦争で降伏するシーンで終わる小説である。榎本武揚の生涯でもっとも派手な時期を扱っていて、主人公の「かまさん(釜次郎=武揚)」はやたらと元気で威勢がいい。勝海舟ともジャレあうように仲がよく、佐々木譲の『武揚伝』などとはかなりテイストが違う。

 史実を材料にかなりデフォルメしたフィクションだなと思いつつ読み進めたが、中盤を過ぎたあたりから、これも一つの歴史解釈を提示した小説だと気づいた。

 この小説の面白いのは、「共和国」を目指していた榎本軍に比べて、封建制を引きずっていると思えた新政府軍の方がより近代化されていると榎本が気づき、それが降伏を受け容れた根本の理由だと見なしている点だ。新政府軍が藩を超えた日本という共通の理念の下に動いているなら、それと別に独立国を建てる意義はないと考えるのである。

 明治政府に都合のいい後付け論理にも見えるが、そんな解釈もあり得なくなないだろう。

 徳川慶喜が大阪城から脱出して開陽丸で江戸に向かったとき、大阪に取り残された開陽丸艦長の榎本武揚は呆然として「俺たちは、見すてられたんだなあ」とつぶやく。その榎本武揚が箱館戦争の終結時には、自身の心境と徳川慶喜の姿を重ね、心の中で「慶喜さんは、えらい人だ」と感じるのが本書のミソである。

童門冬二の『小説榎本武揚』は座談のような小説2019年01月07日

『小説榎本武揚:二君に仕えた奇跡の人材』(童門冬二/祥伝社)
 綱淵謙錠の『航』に続けて童門冬二の『小説榎本武揚』を読んだ。

 『小説榎本武揚:二君に仕えた奇跡の人材』(童門冬二/祥伝社/1997年9月)

 著者はおびただしい数の歴史書を書いている元都庁幹部の歴史作家で、私も何冊かは読んでいる。

 『小説榎本武揚』は榎本武揚の出自から北海度開拓使出仕までを描いている。だが肝心の箱館戦争のくだりはほとんど省略している。開陽丸を回航して激動の日本に帰国し、榎本武揚が勝海舟から「不在のツケを払え」と言われたと思うと、アッと言う間に榎本は辰の口の牢の住人になっていて、出牢したら小説も終盤になる。こいう取捨選択もありかと感心した。

 この小説は丁寧な伝記というより、博識な横丁のご隠居さんの榎本武揚に関する奔放な座談の趣がある。話題が時間を越えて行ったり来たり脇道に入ったりする。精粗混在、繰り返しもあるのが愛嬌で、蘊蓄座談を楽しく拝聴している気分になる。

 著者は下町の江戸っ子だそうで、榎本武揚を山の手精神のインテリ江戸っ子として描いている。勝海舟も山の手精神の江戸っ子だが榎本とは気質が違い、著者は榎本の方に好感を抱いているようだ。

 本書で面白いと感じたのは榎本の助命に尽力した福沢諭吉の描き方である。福沢は榎本に対して屈辱感のようなわだかまりがあったという見方は、後の「痩せ我慢の説」につながっているようにも思える。

 土方歳三が箱館戦争で戦死せずに榎本と一緒に入牢していたならば榎本の助命は難しかったかもしれないという指摘もあり、歴史の機微を感じた。

綱淵謙錠の『航』は開陽丸の生涯を語っている2019年01月06日

『航(こう) 榎本武揚と軍艦開陽丸の生涯』(綱淵謙錠/新潮社)
 1986年に出版された榎本武揚がらみの歴史小説を読んだ。

 『航(こう) 榎本武揚と軍艦開陽丸の生涯』(綱淵謙錠/新潮社)

 漢字一文字の題名が多いこの歴史作家の小説を読むのは初めてである。史料の引用や検討を中心に淳淳と語っていく作風は芳醇なウィスキーをチビリチビリ舐めるような味わいがある。

 この小説、「榎本武揚の生涯」ではなく「開陽丸の生涯」の物語である。幕府は軍艦運用にかかわる技術習得のため榎本武揚ら15人を留学生としてオランダに派遣し、同じ頃、最新軍艦をオランダに発注する。留学生たちは軍艦を受け取って日本へ回航する役目も与えられる。その最新軍艦・開陽丸が竣工したのは1866年7月、榎本武揚らを乗せて日本に到着したのが1867年3月、北海道の江差沖で座礁・沈没したのが1868年11月である。本書の最終章で開陽丸の最期を次のように語っている。

 「開陽丸の航海はそこで永遠に停止した。1866年12月1日(和暦・慶応2年10月25日)オランダのフリッシンゲン港を出発して日本回航の途にのぼってから1868年12月28日(明治元年11月15日)まで、まる二年と二十七日の航海であった。同時に、榎本の北航の夢も半ば破れたといってよいだろう。」

 この約二年間の話が「航」と題するこの小説の後半分である。前半分は、それ以前の約四年間を語っている。冒頭は榎本武揚ら留学生を乗せて出帆した商船がジャワで遭難するシーンである。そして、何とかオランダに辿り着いて留学生活をおくるさまが留学生らの日記や回想録をベースにていねいに語られている。

 後半より前半の方が面白い。私にとって未知の内容が多かったからである。遠い異国で幕末動乱の断片的な風聞に接しながら勉学に励む留学生たちの姿に惹かれ、つい感情移入したくなる。また、あの時期にヨーロッパの地を踏んだ日本人が意外に多かったことも興味深い。世界認識において当時の若者と現代の若者にさほどの違いはないように思えた。

榎本武揚は開拓精神と探検心の人だ2018年12月30日

『近代日本の万能人 榎本武揚』(榎本隆充・高成田亨編/藤原書店)
 榎本武揚は1908年に73歳で亡くなった。没後100年の2008年に出版された次の本を年末になってやっと読了した。

 『近代日本の万能人 榎本武揚』(榎本隆充・高成田亨編/藤原書店)

 執筆者は32人、座談会・講演記録・コラムなどもまじえたムック風のボリュームたっぷりの書籍で、内容は多岐にわたる。こまぎれに読んでいたので全部を読了するのに時間がかかった。

 編者の榎本隆充氏は榎本武揚の曽孫である。「近代日本の万能人」という言葉が示すように、箱館戦争以降の明治になってからの榎本武揚の業績に焦点を当てた記事が多い。

 榎本武揚は武士・軍人であり、国際法に明るく語学に長けた有能な外交官であり、科学者でもあり技術者でもあった。前半生で敗軍の将となったせいか、後半生は自己主張を抑えながらの活躍だったように見える。

 本書を読んで、榎本武揚は万能人であり、その本質は開拓精神と探検心にあると思えた。開拓と探検……何とも魅力的な言葉である。

 没後100年に刊行された本書は榎本武揚の再評価・正当な評価を目論んでいたのだと思う。本書刊行から10年、再評価が進んでいるようにはあまり思えない。

「筒井康隆展」で松浦寿輝氏との対談を聞いた2018年12月09日

 世田谷文学館で約2カ月間開催された「筒井康隆展」は本日(2018年12月9日)で閉幕である。昨日は同館の1階文学サロンで筒井康隆氏と松浦寿輝氏の記念対談があり、それを聞きに行った。

 「筒井康隆展」の展示を観るのは昨日を含めて2回目で、この作家の全貌を巨大年譜と多彩な現物で表現した空間を堪能した。私は高校生の頃から半世紀以上にわたる筒井康隆ファンなので、展示場を巡っていると自分自身の半生をたどっているような気分にとらわれた。

 松浦寿輝氏との対談は筒井康隆作品を巡る多岐にわたる話題にあふれていて面白かった。筒井康隆氏が創作意欲の背後に「社会への怒り」があると発言したのには少し驚いた。考えてみれば、すぐれた文学作品の多くは「社会への怒り」の表現のように思えてきた。人間は社会的動物だから、非常に個人的で内面的なことを語っても、それは「社会への怒り」の表現になりうる。

 筒井康隆氏は84歳だが、創作意欲は衰えていない。もう長編を書く予定はないと言いながらも「読者からテーマを募集しようか」との発言もあった。期待できそうだ。

榎本武揚の生涯とグローバルな世界史との関連を解読2018年11月28日

『榎本武揚から世界史が見える』(臼井隆一郎/PHP新書)
 榎本武揚という名がタイトルに付されている次の新書を読んだ。

 『榎本武揚から世界史が見える』(臼井隆一郎/PHP新書)

 著者はドイツ・ヨーロッパ文化論の学者で、本書は榎本武揚をネタに世界史のアレコレを縦横に語る歴史エッセイである。私の知らない人物や事項がふんだんに盛り込まれていて、やや衒学的かつ文学的なところもあり、消化するのに少々骨が折れた。強引なこじつけに思える見解もあるが刺激的で面白い本である。

 本書冒頭の「北溟有魚」と題する章は、極東における欧米の捕鯨とオホーツク海にまで波及したクリミア戦争を絡めた話になっている。18歳の榎本は幕府海防掛目付・堀利熈の部下として蝦夷・樺太に赴く。長崎で幕府に交渉を迫ったロシアのプチャーチンは、交渉場所を樺太のコルサロフに指定される。樺太での交渉担当者は堀利熈だったが、プチャーチンはそこに現れない。クリミア戦争の敵国イギリスがオホーツク海の制海権を握っていたからである。そんな逸話とメルヴィルの『白鯨』を織り込んだ鯨油文明の話が絡んでいて気宇壮大である。

 著者は、榎本の生涯は「クリミア戦争で始まり、日露戦争戦争で終わった」とし、世界史的な事象に榎本の生涯がどう絡んでいるかを語っている。クリミア戦争はヨーロッパの国民国家形成時代の幕開けを告げる世界戦争であり、日露戦争終結の時点で世界は第一次世界大戦への陣形整備を完了する。つまり、榎本の生きた時代とは国民国家が領土国家として成立し、領土の確定と取り合いに終始した時代だった。それが著者の見方である。

 19世紀から20世紀初頭にかけての国民国家成立の物語を主旋律としたこの歴史エッセイは、欧米、ロシア、日本、中国、朝鮮から南米の事情にまで言及している。その中で特にドイツに焦点をあてている。統一ドイツが存在しない状態からプロイセンを中心にした国民国家が形成され、それが大きな力をつけていく過程が日本の近代化と照応しているからである。

 本書の舞台回しは榎本とは別にもう一人いる。マックス・フォン・ブラントというプロイセンの軍人外交官である。榎本と直接の関わりは少ないが、日本との関わりは深い。著者は次のように紹介している。

 「ブラントは1835年生まれ。1836年生まれの榎本武揚とはほぼ同年齢である。プロセン人ブラントと旧幕臣・榎本武揚とは、幕末から戊辰戦争を越えて朝鮮をめぐる日清・日露戦争に至るまで、対照的な軌跡を描いていくことになる。」

 榎本やブラントをはじめ多様な人物を配した逸話を語りながら、その個別で具体的な事象を世界史的・地球的なマクロな視点で解読しているのが本書の面白さである。

榎本武揚は科学技術のマイナス面にも直面していた2018年11月26日

『榎本武揚と明治維新:旧幕臣の描いた近代化』(黒瀧秀久/岩波ジュニア新書)
 『榎本武揚と明治維新:旧幕臣の描いた近代化』(黒瀧秀久/岩波ジュニア新書)

 2017年12月に出版された榎本武揚に関するコンパクトな概説書である。榎本武揚は東京農業大学の創始者であり、著者はその縁で榎本への関心を深めた東京農業大学の教授である。

 本書には次のような一節がある。

 「2016年に行われた日経ホールでの榎本シンポジウム後、「蝦夷共和国」に加わった子孫で北海道在住の人々は、榎本のことを語り継ぐに際し、未だに“総裁”の名称を敬愛を込めて呼ぶと語られたことに驚きと歴史の重みを改めて感じざるをえなかった」

 これを読んで2年前に残念な思いをした記憶がよみがえった。ある日、新聞を広げると「東京農業大学創立125周年記念シンポジウム:創設者 榎本武揚を再評価する」という広告が目に飛び込んできた。榎本武揚がテーマとは珍しく、ぜひとも参加したい思った。しかし、日程が私の長期旅行と重なっていて参加申し込みを断念した。

 そんな個人的記憶再生もあり、本書を興味深く読了した。榎本の業績紹介をメインにした内容で、箱館戦争以降の業績に多くの頁を割いている。獄中で書き綴った“実践的ハウ・ツー集成”『開成雑俎』の紹介も面白い。その中の一例として「鶏や家鴨の卵を孵化させる方法」の記述を具体的に取り上げていて、農大関係者らしい着眼だと思った。

 コンパクトなジュニア新書ではあるが、加茂儀一の『榎本武揚』が触れていない事項もいくつか取り上げている。なかでも驚いたのは足尾鉱毒事件との関わりである。

 足尾鉱毒事件は榎本が農商務大臣の時の事件であり、榎本はその責任を痛感して農商務大臣を辞任した後、一切の公職から手を引いたそうだ。著者の黒瀬氏は、榎本がこの事件をどのように認識していたかについて考察している。西欧の科学技術に通暁した優れた技術者であった榎本は、科学技術がもたらすマイナス面にも直面せざるを得なかったのである。

 榎本武揚の生涯には歴史変動の時代の多様な課題が反映されている。

榎本武揚の評伝でその魅力を再認識2018年11月24日

『榎本武揚』(加茂儀一/中公文庫)
◎榎本武揚の評伝は少ない

 佐々木譲の小説『武揚伝(上)(中)(下)』(中公文庫)を読んだのを契機に榎本武揚に関するものを読みたくなり、次の評伝を読んだ。

 『榎本武揚』(加茂儀一/中公文庫)

 元版は1960年刊行、中公文庫になったのが1988年、いずれも古書でしか入手できない。現在入手できる榎本武揚の評伝はこの本ぐらいしかない。

 著者の加茂儀一氏は小樽商大の学長を勤めた技術史家である。「まえがき」によれば、小樽商大学長時代に榎本武揚に関心を抱いた加茂氏は、榎本の全体像を伝える伝記が皆無だと知って本書を執筆したそうだ。

 榎本の死後52年目の1960年刊行の本書は「榎本の伝記としては先駆的な意義をもつ著作」(綱淵謙錠の文庫版解説より)とされている。本書刊行から半世紀以上経過しているが、他に榎本の評伝がほとんど出ていないのが意外である。やはり不人気な人物なのか。

◎全開運転の前半生、韜晦抑制の後半生

 榎本武揚の生涯は箱館戦争終結までの前半生(34歳まで)と獄中生活を経て政府高官として活躍する後半生(34歳~73歳)に分かれる。小説『武揚伝』は前半生だけの物語だったが、文庫本で約600頁のこの評伝は前半生と後半生がほぼ半分ずつの分量でバランスはいい。

 とは言っても、オランダ留学から箱館戦争に至る前半生が波乱に富んでいて面白いのに対し、後半生はさまざまな局面におけるピンチヒッター的活躍の積み重ねで印象がやや散漫になる。前半生がおのれの意思で突き進む全開運転だったのに対し、薩長藩閥政権の中で元幕臣として生きる後半生はおのれの業績に口をつぐむ自己韜晦の抑制運転のように見える。

◎「共和国」という言葉は出てこない

 加茂氏は薩長による幕末の討幕運動に肯定的で、幕藩体制という封建制度を突き崩すための必然と見ている。薩長に反発した榎本の評伝だからといって著者が反薩長なのではない。

 戊辰戦争における榎本たちの抵抗を「感情的」とみなし、勝海舟と榎本武揚の比較では勝の方を高く評価している。勝が幕府を超えて大局的に時代を見る理性の人物だったのに対し、榎本は幕臣という意識が強すぎる感情の人物だったとしている。

 箱館を制覇したとき、榎本が選挙で総裁に選ばれたことを述べてはいるが、この評伝には「蝦夷共和国」とか「共和国」という言葉は登場しない。「朝廷からは国賊と呼ばれていたのに反して、外国からは一政府としての礼遇を受け、決して謀反人として扱われなかった。榎本軍にとっては誠に光栄の至りであると同時に、わが国史上においても特筆すべき事柄である。」との記述はある。

 幕末維新の変動を必然的な近代化と見なす加茂氏の見解は1960年頃にはスタンダードな考えだったのかもしれない。私は幕府対薩長をもっと相対的に評価していいのではと思っている。

◎榎本の福沢諭吉評価 

 本書で面白く思ったのは榎本の福沢諭吉評価である。福沢諭吉は晩年、『痩我慢の説』において勝と榎本の「変節」を厳しく糾弾し、それが今日までの榎本の低評価につながっているとも言われている。だが、榎本が獄中にいたとき、福沢は榎本の助命活動をし、榎本の求めに応じて書籍の差し入れなどもしている。

 このとき、差し入れられた書籍の内容に失望した榎本が家族に宛てた手紙に次の一節がある。

 「実は此方一同福沢の不見識には驚き入申候、もそつと学問のある人物と思ひしところ存外なりとて半ば歎息致候、是位の見識の学者にても百人余の弟子ありとは、我邦未だ開化文明の届かぬ事知るべし」

 榎本の学問のレベルが当時の日本の標準を超えていたのだろうが、なかなかの言いようである。晩年の福沢の榎本批判の根がこんなところにあったのかもしれない。


◎榎本は全能人

 この評伝の骨子は、榎本の生涯にわたる事跡を掘り起こし、同時代人には見過ごされてきた事柄を高く評価している点にある。榎本は語学の天才(オランダ語、ロシア語、フランス語、ドイツ語、英語、蒙古語、ラテン語ができた)であり、化学や鉱物学をはじめ多様な科学技術への造詣が深く、国際法に通暁した外交官であり、実証的なヒューマニストでもあった。著者が箱館戦争に至る榎本を「感情の人」と見なしているのは、豪胆なヒューマニストとして評価しているのかもしれない。

 著者は「世界史における大きな変革期はつねに全能な人間を生み出す」と述べ、榎本を明治維新という変革期に出現した全能人としている。

 全能人を一般人が正当に評価するのは容易ではないが、やはり榎本は興味尽きない人物である。