怪作『カラマーゾフの妹』の題名は『カラマーゾフの兄妹』の方がよかった2012年08月24日

『カラマーゾフの妹』(高野史緒/講談社)
◎冒頭は秀逸なパロディ

 江戸川乱歩賞受賞作『カラマーゾフの妹』(高野史緒/講談社)は怪作であり傑作でもある。本屋の店頭で平積みの表紙を眺めたときはさほど食指は動かなかった。それでも手にしてみた。そして、冒頭の「著者より」を読んで惹きつけられた。この冒頭部分がドストエフスキーの巨大な傑作のパロディになっていたからだ。

◎ドストエフスキーの奇怪な世界

 私が『カラマーゾフの兄弟』を読んだのは45年前の19歳のときだ。あのときの衝撃はまだ記憶に残っている。その後、ドストエフスキーの小説のほとんどすべてを読んだが、いまでも記憶が鮮明なのは『カラマーゾフの兄弟』と『悪霊』だ。2作品ともいずれ再読しようと思いながら、いまだに再読はしていない。

 半世紀近く昔に読んだにもかかわらず『カラマーゾフの兄弟』の内容はかなり憶えている。その後、『カラマーゾフの兄弟』に言及した文章に接することが何度かあり、内容が反芻されてきたせいかもしれない。
 今でも印象深く憶えているのは、『カラマーゾフの兄弟』を読む前に目を通した付録の文章だ。私が読んだのは河出書房の世界文学全集版で、その全集に挟みこまれた月報に「不可能性の作家」というタイトルの文章があった。冒頭は以下の通りだ。

 「ドストエフスキイの作品に触れたとき、恐らく誰もが直ぐ感ずることは、眼前の机の上に置かれたこの小説はむこうの書棚のなかに並んでいる多くの小説とはまったく質が違っているということであろう。」

 この文章を読んでもその意味するところは理解できなかったが、この断定的な文章に惹かれて『カラマーゾフの兄弟』を読み始めたように思う。
 そして、『カラマーゾフの兄弟』を読了したとき、この文章の筆者の言う通りだと思った。「不可能性の作家」の筆者は埴谷雄高である。その後、私は埴谷雄高に傾倒するのだが、月報の文章を読んだ時点では私にとって未知の筆者名だった。

 ドストエフスキーは、この世の現実の延長とは無縁の「もうひとつの現実(精神活動の極北のようなものか?)」を描いてしまった。それは、あたかも天文学者が一般人には感知できない宇宙空間の実相を開示しているようでもある。埴谷雄高はそのように考えて、ドストエフスキーの小説は他の多くの小説とは質が違うと述べているようだ。

 読めば誰でも感じるように、ドストエフスキーの世界は異常で奇怪な精神活動の世界である。

◎ミステリーの要素からアクロバットのような続編を構築

 『カラマーゾフの妹』は奇怪な精神活動に満ちたドストエフスキー世界とはひとまず無縁の現実世界の小説である。にもかかわらず、きちんと『カラマーゾフの兄弟』の続編にもなっている。『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』などは思弁的哲学的小説であると同時に大衆文学的要素を含む犯罪小説でもある。その後者の要素だけでも十分に堪能できるので、『カラマーゾフの妹』のような続編も成り立ち得るのだ。
 
 冒頭の「著者より」で明示されているように、現存の『カラマーゾフの兄弟』は二部構成の長大な小説の第一部である、「重要な部分」は第一部の13年後(当時の現在)を描いた第二部に属している。しかし、ドストエフスキーは第一部を書きあげて80日後に59歳で亡くなってしまった。
 『カラマーゾフの兄弟』の続編(第二部)の内容を推測した文章はいくつか読んだことがあるが、後世の作家による続編そのものに接したことはなかった。超有名作品だから、続編にチャレンジする作家がいてもおかしくない。どこかにそんな作品があるのかもしれないが、原典が巨大すぎて多くの作家は尻ごみするのだろう。

 『カラマーゾフの妹』はミステリーという切り口で続編を描いている。冒頭の「著者より」ではパロディあるいはパスティーシュを感じたが、本編はやや正統的でありつつさまざまなガジェットが用意されている。
 ミステリーなのでネタばれになる恐れもあるが、私は本書に『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険:ワトソン博士の未発表手記による』に似た面白さを感じた。自分の家庭教師だったモリアリティ教授を大悪人だと妄想しているホームズが密かにフロイトの治療を受けさせられるパロディ小説である。『カラマーゾフの妹』にフロイト自身は登場しないが、似たような人物が現れる。ホームズという言葉も出てくる。バベッジ、エイダ、ヴェルヌまでからんできてSF風味が出てくるのは楽しい。そもそもドストエフスキーとSFには多少の親和性があると思える。

 そのような奇想天外な部分もある本書を読んでいるときの私の気分は、オリンピックの体操競技をハラハラしながら眺めている状況に似ていた。アクロバットのような演技に感嘆すると同時に、どこかで破綻するのではという危惧も抱きながら読み進めた。材料は秀逸なのに料理がイマイチという残念な小説が多いからだ。しかし、ところどころで危うさを感じさせるところもうまくクリアしている。着地もきちちんと決まった。ホッとした。著者の大胆不敵なチャレンジに拍手したい。

◎『カラーマーゾフの妹』への改題は残念

 本書は江戸川乱歩賞受賞作で、巻末には選評が掲載されている。それを読むと、選考時のタイトルは『カラーマーゾフの兄妹』になっている。事情は不明だが刊行時に『カラーマーゾフの妹』に改題したようだ。この改題には賛成できない。どう考えても『カラーマーゾフの兄妹』の方が秀逸だ。

 『カラーマーゾフの兄妹』だと『カラーマーゾフの兄弟』のパロディだと明確になる。そもそも『カラーマーゾフの兄弟』というタイトルが意味深いのだ。何種類もある邦訳のほとんどが『カラーマーゾフの兄弟』であって『カラーマーゾフ兄弟』ではない.。「石原兄弟」ではなく「石原の兄弟」と表記するのと同じだ。これは、「カラマーゾフ」が単なる姓ではなくいろいろな意味を秘めた修飾語になっているからだ(江川卓の「謎とき『カラーマーゾフ兄弟』」による)。
 『カラーマーゾフの妹』だと修飾語としての「カラマーゾフ」が弱くなる。そもそも、この続編に「妹」を登場させる必然性は『カラーマーゾフの兄弟』を『カラーマーゾフの兄妹』に読みかえるという点にしかない。タイトルを『カラーマーゾフの妹』にしたのでは、その必然性がなくなり、「妹」を登場させる意味が逆に薄弱になってしまう。「カラマーゾフ」が何を指しているかも不明瞭だ。

 私が本屋の店頭で『カラマーゾフの妹』というタイトルを見てあまり惹かれなかったのは、何か違和感があったからだ。『カラーマーゾフの兄妹』あるいは『カラーマーゾフの姉妹』などのタイトルなら、ためらわずに手にしたと思う。

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_ 笑う社会人の生活 - 2013年08月16日 22時27分

小説「カラマーゾフの妹」を読みました。

著者は 高野 史緒

あの「カラマーゾフの兄弟」の続編を描くという
その事件の真犯人までを書いたミステリー

この発想というか、やり方は斬新で!

いろいろと賛否ありそうだが
その手法があったかというか・・・

ちなみに乱歩...