“21世紀の『三人姉妹』”はかなり苦い2025年05月18日

 PARCO劇場で『星の降る時』(作:ベス・スティール、翻訳:小田島則子、演出:栗山民也、出演:江口のり子、那須凛、三浦透子、段田安則、秋山菜津子、他)を観た。現代イギリスの劇作家の新作翻訳劇である。

 チラシからはどんな芝居かよくわからない。新聞記事で「チェーホフの『三人姉妹』の変奏曲」と紹介しているのを読んで食指が動いた。

 ロンドン近郊のかつて栄えた炭鉱町の家族の話である。炭鉱労働者だった父(段田安則)には三人の娘がいる。長女(江口のり子)は働きながら一家を支えている。亭主は失業中、娘が二人いる。次女(那須凛)は結婚と離婚をくり返し、今は実家を出ている。本日は三女(三浦透子)の結婚式。相手はポーランド移民の若い事業家である。

 結婚式には家族が集合する。姉妹の母は故人だが、にぎやかでやっかいな叔父や叔母もやって来る。移民の新郎の家族は来ない。三女の結婚式の一日を描いた家庭劇は、結婚式準備で慌ただしい日常から始まり、家族崩壊をはらんだ三姉妹の乱舞で終わる。

 緊張感とユーモアが錯綜する舞台には観客を引き付ける力がある。当然ながら、19世紀のチェーホフ世界とはかなりかけ離れている。にもかかわらず、21世紀と19世紀に通底する「鬱屈した生きにくさ」が伝わってくる。それは、時代の変転に翻弄されながら生きる人々がつくる社会が生み出す普遍的な姿かもしれない。

 英国の炭鉱町は米国のラストベルトを連想させる。失業や偏見などは現代的な課題だと気づき暗然とする。

 芝居の軸は長女ヘーゼルである。主婦でありながら倉庫で働く労働者であり、移民への偏見も抱いている。彼女は失業中の夫の妻であり、二児の母だが、妻や母という立場より「長女」としての存在感にウエイトがある。

 この芝居を観て、「三人姉妹」という取り合せの面白さと強靭さをあらためて感じた。三姉妹の配剤を多様に駆使すれば世界を捉えることができそうな気がする。乱舞するしかない三姉妹という不思議な幕切れを観ながら、そんな幻覚を抱いた。

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