ギリシア悲劇は神話世界を構成するひとつの要素2019年10月13日

『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫)
 今週、シアターコクーンで海老蔵主演の『オイディプス』観劇予定なので、泥縄気分で次の本を読んだ。

 『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫)

 ギリシア悲劇は今年6月に読んだ『ギリシア悲劇Ⅰ アイスキュロス』に続いて2冊目で、少し慣れてきたせいか意外に面白くスラスラと読了できた。

 ソポクレスはアイスキュロスの約30年後の人でヘロドトスと同時代人である。100編以上の劇を書いたそうだが、完全な形で残っているのは本書に収録されている以下の7編である。

 アイアス
 トラキスの女たち
 アンティゴネ
 エレクトラ
 オイディプス王
 ピロクテテス
 コロノスのオイディプス

 とりあえず「オイディプス王」だけを読めばいいかと思って、最初にこの作品を読んだが、それでは物足りず他の6編も読んでしまった。

 「アンティゴネ」「コロノスのオイディプス」はオイディプス王に関連した話である。「エレクトラ」はアイスキュロスの「オレスティア」に関連している。

 ギリシア悲劇はソポクレスやアイスキュロスなど劇作家によるまったくの創作ではなく、当時の人々が共有していたであろう伝承・伝説・神話を題材にした作家独自の切り口の舞台表現である。だから、ホメロスの叙事詩やギリシア神話などをある程度知っていないと、その演劇世界に入り込むのが難しい。

 私は「イリアス」や「オデッセイ」は子供向けの簡略なものを中学生の頃に読んだだけで、その記憶もおぼろである。それでも本書を楽しめたのは、ネットで手軽に神話や伝説の人物や事件を検索できるからである。

 ギリシア神話に関しては昨年数冊の本を読み、そのゴチャゴチャと込み入った森のような世界にいささか呆然としたことがある。考えてみれば、ギリシア悲劇そのものが神話や伝承を構成する要素のひとつなのである。神話的世界を表現する最適の方法が演劇だったと思う。

 ソポクレスの劇にも女神アテナ、ヘラクレスなどが登場人物の一人として舞台に現れるし、登場人物がさまざまな神の名を口にするシーンが多い。そんな神の中で、しばしば言及されるのがエリニュス(復讐の女神)である。エリニュスの存在感が大きいのが「悲劇」の由縁かもしれない。

海賊行為の被害を描いた『ローマ亡き後の地中海世界』2019年10月11日

『ローマ亡き後の地中海世界:海賊、そして海軍(1)(2)(3)(4)』(塩野七生/新潮文庫)
 塩野七生氏の『ローマ亡き後の地中海世界』を読んだ。

 『ローマ亡き後の地中海世界:海賊、そして海軍(1)(2)(3)(4)』(塩野七生/新潮文庫)

 『ローマ人の物語』や『海の都の物語』を読んだ後、いずれ読まねばと思っていた作品である。久々の塩野ワールド体験だが、やはり塩野氏には読まされてしまう。雑用をこなしつつ文庫本4冊を1日1冊ペースで読んだ。面白かった。

 本書巻末には、著者が自身の関連既刊書と本書との関係を解説した「附録」があり、次のように述べている。

 「『海の都の物語』上下二巻/これはもう、『ローマ亡き後の地中海世界』と対を成す作品。舞台は地中海。時代も、古代ローマ滅亡後の一千年と同じ。/ちがうのは「海の都」はヴェネツィアに立って地中海を見ているのに対し、「亡きあとの地中海」のほうは、地中海の中央にいて東西南北に視線をめぐらせていることのみである。」

 この記述通りの内容で、主な舞台は南イタリア、南仏、シチリア、北アフリカ、ギリシア、小アジアとかなり広範囲である。特に地中海の真ん中に位置するシチリアの存在感が大きい。著者は「一言で言えば、「歴史が厚い」のがシチリアなのである。」と述べている。たまたま昨年、シチリア史の概説書を数冊読んでいたのでいい復習になった。

 本書は西ローマ帝国滅亡の5世紀から。海賊行為を禁止した19世紀のパリ宣言までの地中海世界を描いている。古代末期から中世、ルネサンスを経て近代に至る長い時間であり、この間にヨーロッパ世界を中心に展開される「世界史」は本書の遠景に霞んでいる。本書の背景の「世界史」をもう少し勉強せねばという気分になる。

 本書のサブタイトルは「海賊、そして海軍」である。海賊と海軍の区別はあいまいで、かなり融合している。地中海の一千年は海賊&海軍が横行した時代である。略奪や拉致という海賊行為が、非合法と合法のはざまで古代から近代まで連綿と続いていたことに驚かされる。

 塩野氏は魅力的な人物に焦点をあてて歴史を記述する作風で、本書にも魅力的は指導者や悪役が多く登場する。だが、それだけでなく、海賊行為の被害者となった多くの名もなき人々の境遇にも言及している。それが印象に残った。人類はつい昨日まで野蛮だったのである。それがすでに克服されたかどうかはわからない。

ハンニバルの闘い続けた生涯2019年10月02日

『ハンニバル:地中海世界の覇権をかけて』(長谷川博隆/講談社学術文庫)
 カルタゴの歴史を読んでいると、ハンニバルという人物の占めるウエイトの大きさをあらためて感じる。カルタゴ本を続けて読んだ行きがかりで次の本も読んだ。

 『ハンニバル:地中海世界の覇権をかけて』(長谷川博隆/講談社学術文庫)

 ハンニバルについてはかなり以前に『ハンニバル戦記』(塩野七生)と『ハンニバル戦争』(佐藤賢一)を読んでいる。前者は史談、後者は小説で、その内容は頭の中ですでに霞んでいるが、面白かったという印象は残っている。

 今回読んだ『ハンニバル』は歴史学者が一般向けに書いた評伝である。歴史学者らしく、史料の検討をベースにハンニバルの生涯をたどっている。著者がハンニバルに感情移入しているとは思わないが、それでもハンニバルの魅力が十分に伝わってくる。波乱の生涯を強い意志で送った人物だと思う。

 カルタゴ一般の史料と同様にハンニバルに関してもカルタゴ側のものはなく、敵方であるローマ人やギリシア人の文献が残っているだけである。だから、ローマを正当化するバイアスがかかっている可能性が高い。著者は、そんなバイアスを検討して史料批判を積み上げながらハンニバル像を紡ぎ出している。歴史学者のアプロ―チ方法が垣間見えて興味深い。

 本書が描くハンニバル像は、ヘレニズムの教養と地中海世界視野の構想力をもった人物である。軍略に長けているだけでなく高い政治力も備えている。

 ザマの戦いで敗れたときハンニバルは40代半ばで、ここでハンニバル大活躍の時代は終わったように見える。だが、その後19年間生きる。その後半生では、大政治家としてカルタゴ復興を主導するも、結局は亡命を余儀なくされ、高名な亡命者としてシリアなどで活躍する。本書はハンニバルの後半生19年間についても乏しい史料をベースに、その境遇と足跡を辿っている。それは最期まで闘い続けた姿である。

絵で読む『カルタゴの興亡は『サランボー』の副読本になる2019年09月29日

『カルタゴの興亡:甦る地中海国家』(ズディヌ・ベシャウシュ/森本哲郎監修/「知の再発見」双書/創元社)
 創元社の「知の再発見双書」は「絵で読む世界文化史」と銘打ったコンパクトな図鑑風の翻訳書シリーズである。写真や図がメインなので、短時間で楽しく読了できる。この双書のカルタゴ本を読んだ。

 『カルタゴの興亡:甦る地中海国家』(ズディヌ・ベシャウシュ/森本哲郎監修/「知の再発見」双書/創元社)

 カルタゴ興亡史の概説と思って読み始めたが、興亡史の解説は第1章で終了し、以下の5章はカルタゴ発掘に関わる話である。

 ローマによる徹底的破壊でBC146年に消滅したカルタゴは、2世紀にはローマ属州の大都市として甦り、西ローマの衰亡期にはアフリカに侵入したバンダル族の首都となる。それもビザンティン帝国に攻め落とされ、その後にはイスラム教徒に征服される。そんな歴史の多層に埋もれたカルタゴの発掘は容易ではない。

 カルタゴ遺跡の調査・発掘はすでに11世紀から始まっているが、それから千年ほどの間に多くの物が持ち去られたそうだ。本書によって、発掘が破壊でもあると再認識した。

 本書で驚いたのは、フローベルの『サランボー』に関して多くのページを費やしている点である。この小説読了の直後に手にしたので大いに楽しめた。

 本書の冒頭9ページは『サランボー』の9葉のカラー挿絵で埋められている。本文中にも多くの挿絵が載っていて、小説の引用もあり、フローベルのカルタゴ訪問にも言及している。この小説の影響は強く、カルタゴ遺跡にはサランボーと呼ばれる聖域があるそうだ。それは「幼児犠牲」が行われたとされる場所である。

 フローベルが『サランボー』で描いた「幼児犠牲」を本書は批判的に検討している。発表当時から「フローベルは、カルタゴに敵意を抱いているギリシア・ラテンの作家の文献を信用しすぎている」との非難や反発があったそうだ。この問題に関しては考古学的な検証も進んでいるが、未だに結論は出ていない。『通商国家カルタゴ』(栗田伸子・佐藤育子)でも幼児犠牲に関する考古学研究の現状を「賛否両論ある」と紹介していた。

古代カルタゴを濃密に描いた小説『サランボオ』2019年09月27日

『サランボオ(上)(下)』(フローベル・神部孝訳/角川文庫)
 最近、続けて読んだ『通商国家カルタゴ』『カルタゴ興亡史』『カルタゴ人の世界』に共通しているのは、3冊いずれもフローベルの小説『サランボオ』に言及していることである。

 私は数年前にカルタゴを題材にしたこの小説の存在を知り、古書で入手したものの、読みにくそうなので未読のまま積んでいた。カルタゴ本がこぞって取り上げているからには読まねばなるまいと思い、ついにこの小説を読んだ。

 『サランボオ(上)(下)』(フローベル・神部孝訳/角川文庫)

 この角川文庫は1989年刊行の4版だが初版は1957年、旧字・旧仮名の小さな活字で、地名の多くは漢字(ギリシア→希臘、ローマ→羅馬、エジプト→埃及など)だ。訳者は1938年に夭折しているから、戦前の訳文である。画数がやたらと多い旧字を小さな活版活字で読むのは老眼には少々つらいが、何とか読了した。

 『ボバリー夫人』で高名なフローベルは、19世紀フランス文学を代表するバルザックとゾラの中間世代の作家だが、この小説から19世紀の雰囲気を読み取るのは難しい。古代カルタゴが舞台の歴史小説に19世紀を求めるのが無理だとしても、「ボバリー夫人は私だ」と述べたフローベルが何ゆえにこの歴史小説を書いたのか、よくわからない。

 『サランボオ』の発表は1862年、日本では幕末だ。発表年を考えれば、古色蒼然たる時代がかった訳文が原作の雰囲気を反映しているようにも思えてくる。

 この小説は、第一次ポエニ戦争直後の紀元前241年にカルタゴで勃発した傭兵戦争(リビア戦争)を扱っている。サランボオは将軍アミルカアル(ハミルカル)の娘である。ということはハンニバルの姉になる。この小説でハンニバルは幼い子供としてチラリと登場するだけである。

 カルタゴ本を何冊か読んだばかりの私は、傭兵戦争について多少の知識が残っていて、この歴史小説を興味深く読むことができた。何の予備知識もないと、この小説世界に入り込むのは難しいかもしれない。

 歴史小説には歴史書にないイメージ喚起力がある。濃密な描写によって古代カルタゴの世界を体験している気分になる。それは小説家が紡ぎ出した世界であって歴史の実相とは言えない。歴史小説は史実をネタにしたフィクションである。だが、小説を読むような疑似体験なしに歴史を把むのは難しい。歴史を知るには、さまざまなイメージを積み重ねていくしかないのである。

 この小説には通商で蓄財したアミルカアル(ハミルカル)が、自身の財を細かく点検して回るシーンがある。歴史書で得た彼のイメージと違い、意外に感じた。だが、よく考えれば有りうるシーンだと気づいた。

 宗教儀式のシーンも多い。問題の「幼児犠牲」も出てくる。だが、全般的にはカルタゴが特殊な世界とは感じられない。古代世界における神への接し方や宗教儀式は、カルタゴもローマも似たり寄ったりだと思える。それを描く小説家は、やはり近代人の目で眺めている。そこに、かすかに19世紀を感じた。

 『サランボオ』読了後、ネット検索をしていて、来月(2019年10月)、岩波文庫で『サラムボー(上)』刊行予定との情報を得た。新訳のようだ。古書でしか入手できない忘れられた小説だと思っていたが、そうでもなさそうである。

『カルタゴ人の世界』は歴史学者の論点が覗える本2019年09月25日

『カルタゴ人の世界』(長谷川博隆/筑摩書房)
 『通商国家カルタゴ』(栗田伸子・佐藤育子/講談社学術文庫)、『カルタゴ興亡史』(松谷健二/中公文庫)に続いて次の本を読んだ。

 『カルタゴ人の世界』(長谷川博隆/筑摩書房)

 著者はローマ史研究家で、モムゼンの『ローマの歴史』(第2回ノーベル文学賞)の翻訳者でもある。2017年に89歳で亡くなっている。1991年刊行の本書はカルタゴに関するエッセイ集である。論文を一般向けに再編集した文章がメインなので、やや煩瑣な学者の議論が多い。読みやすくはないが、学者がどんな事を論点にしているのかを覗うことができて、それなりに面白い。

 本書を読んでいると、カルタゴに関してはギリシア・ローマ側の史料しかないことのもどかしさが伝わってくる。ローマ側の史料はローマにとっての不都合を隠蔽している可能性が高く、限られた史料から何が隠蔽されているかを探らねばならないのある。

 通商国家カルタゴの文化は貧弱だっとの指摘は多く、著者も「カルタゴ文化」の影の薄さを検討している。ローマはカルタゴの農業書を翻訳し、カルタゴの農業技術や農業経営を取り入れたが、哲学や文学はほとんど受け継いでいない。著者は次のように述べている。

 「ローマをして受容しかねるなにものかがあった、否、端的には吸収を促すような文化的オリジナリティがそこには欠落していたからといえないだろうか」

 と言っても、カルタゴが文化後進地帯だったわけではない。かのハンニバルはヘレニズム的な教養人であり、ヘレニズム文化はカルタゴを通してヌミディアに伝わっている。

 また、カルタゴに関してよく話題になる「幼児犠牲」についても論じている。それが本当に行われたかについては、行われただろうと推測している。ただし、あまり歯切れはよくない。

 いずれにしても、カルタゴは多くの謎を残して消えていった都市国家だったのである。

『カルタゴ興亡史』(松谷健二)は「喩え」が面白い2019年09月23日

『カルタゴ興亡史:ある国家の一生』(松谷健二/中公文庫)
 『通商国家カルタゴ』(栗田伸子・佐藤育子/講談社学術文庫)を読んでカルタゴ関連本をもう少し読みたくなった。ネット検索して、まず次の文庫本を入手した。

 『カルタゴ興亡史:ある国家の一生』(松谷健二/中公文庫)

 著者の松谷健二という名はドイツSFの翻訳者と同じなので同姓同名の別人と思ったが、同一人物だった。元大学教授の松谷氏は『宇宙英雄ペリー・ローダン』シリーズなどの翻訳のかたわら歴史書や小説も書いていたそうだ。1998年に69歳で亡くなっている。本書の元の単行本は1991年刊行である。

 書き出しは軽妙なエッセイ風で読みやすそうに思えた。だが、複雑な歴史をかなり詳しく解説しているので頭が混乱してくる。エンタメ小説のようにスラスラとは読めない。人名と地名の奔流を追うのが大変である。カルタゴには同名の異人が多い(ハノン、ハスドゥルバル、ハミルカム他)のも悩ましい。

 著者の感慨が随所に折り込まれているのが楽しい。シチリアの諸都市、ギリシアの諸都市とカルタゴが絡んだシチリア争奪の歴史は合従連衡の連続で特にゴチャゴチャしている。それを記述する著者の語り口は次の通り。

 「まさに同じことの繰り返しで、書いているとうんざりするほどだが、当事者はそれどころではない。」「話はまだシチリアのギリシア世界を中心につづく。しばらくご辛抱いただきたい。なにしろ資料はギリシア側ばかりで、カルタゴのことはそれを通してのぞく他ないのだから。」

 本書の「あとがき」で著者は、森本哲郎の『ある通商国家の滅亡:カルタゴの遺書』を意識したであろう感想を述べている。森本哲郎はロ―マをアメリカ、カルタゴを日本に擬して「エコノミックアニマル・日本」ヘ警鐘を鳴らしたが、著者はカルタゴと日本がそっくりという見方に首をひねっている。似ている点もあれば違っている点もあり、日本が教訓とする国家はいくらでもあると述べている。その通りだと思う。

 とは言うものの、松谷氏も本書の中で古代の世界を興味深い見立てで解説している。

 ポエニ戦争以前のギリシアとシチリア(ギリシアの植民都市群)の関係を往年の英国とアメリカに見立てているのはわかりやすい。シュラクサイは本国のどの都市より強大なニューヨークである。ギリシア本国は一つの国ではないので、アテナイ、コリントはイングランド、スパルタをスコットランドに見立てている。

 他にも、時代状況によってスパルタをプロシアに見立てたり、ローマを英国に見立てたり、ローマのカルタゴ観は中世ヨーロッパの人がユダヤ人に抱いた感情に似ていると指摘したりしている。こういう喩えは、さほど厳密ではなくてもイメージ形成の助けになる。人間の歴史の多くは多様な繰り返しなので、似た状況はいろいろ発見できそうに思える。

 また、第一次ポエニ戦争の頃のギリシア系シチリア人に関する次のような記述も面白い。

 「シチリアのギリシア人にとり、カルタゴは彼らと似た面をもつ文明国だったが、イタリアはどうしても半野蛮国としか見えなかったのである。」

 カルタゴが滅亡する紀元前146年までの歴史は、ローマが半野蛮国を脱して文明国になっていく歴史と見ることもできる。新鮮な視点である。

「ロンメル」という「英雄」の実像にアプローチする面白さ2019年09月14日

『「砂漠の狐」ロンメル:ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』(大木毅/角川新書)
 先日読んだ『独ソ戦』(岩波新書)の著者・大木毅氏は今年3月に次の新書も出している。

 『「砂漠の狐」ロンメル:ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』(大木毅/角川新書)

 『独ソ戦』が面白かったので『ロンメル』も読んだ。この2冊、記述の構造が似ている。一般の日本人の「独ソ戦」や「ロンメル」に関する知識が1970~1980年代の理解に留まっていることを懸念し、最新の研究成果紹介をふまえた概説書になっている。

 ロンメルは最もポピュラーな第二次大戦のドイツ軍人である。私は中学生の頃に「砂漠の狐・ロンメル」を知ったが、詳しいことは知らないまま半世紀以上が経過した。ヒトラーやナチズム関連の本で得たロンメルのイメージは次の2点だけである。

 ・アフリカ戦線で英国軍を翻弄した優秀な将軍だったが結局は敗退した。
 ・ヒトラー暗殺への関与が疑われ自殺を強いられ、引替えに「国葬」になった。

 本書によってロンメルの実像をある程度つかむことができ、「英雄」の等身大の姿に面白さを感じた。著者は軍人としてのロンメルの能力を次のように評価している。

 「勇猛果敢、戦術的センスに富み、下級指揮官としては申し分なかった。さりながら、昇進し、作戦的・戦略的な知識や経験が要求されるにつれ、その能力は限界を示しはじめた(…)軍・軍集団司令官にはふさわしくない短所が目立ってきたのである。」

 ロンメルは当時のドイツでは有名な英雄だった。その背景には、ロンメル自身に自己宣伝の要素があり、宣伝大臣ゲッベルスが国民の士気高揚のためにロンメルを実際以上の名将として英雄に祭り上げたという事情があったそうだ。

 どこの世界にも、いつの時代にもありそうな話である。おそらく、ロンメル自身も自分は名将だと思っていたはずである。

 ロンメルはプロイセン出身ではなく、幼年学校、士官学校、陸軍大学校というキャリアを歩んでいない。軍人としての経歴は傍流だが、第一次大戦では指揮官として大きな活躍をし、戦後は自身の体験をふまえた戦術教科書『歩兵は攻撃する』を執筆、ベストセラーになっている。

 ヒトラー政権になり、ロンメルはヒトラーの寵愛を受けて出世していく。伍長から総統になったヒトラーが、国防軍のエリートよりロンメルを寵愛した心理はよくわかる。

 アフリカ戦線の末期、撤退を決意したロンメルに対してヒトラーは死守命令を発する。その頃からロンメルのヒトラーへの不信が強まる。

 ロンメルがヒトラー暗殺に関与していたか否かについては、いまだに結論は出ていないそうだ。本書では、ロンメルが「総統は殺されねばならない」と言明していた可能性は高いとしている。

 また著者は、ロンメルには「戦士として、闘争の対手を尊重する美点」があったと述べている。捕虜になったフランス軍人や亡命ドイツ人を射殺せよとの命令は無視したそうだ。骨のある人だったようだ。人格と自己宣伝は両立するのかもしれない。

敗者は語らず……『通商国家カルタゴ』2019年09月12日

『通商国家カルタゴ』(栗田伸子・佐藤育子/講談社学術文庫)
 フェニキア・カルタゴはギリシア・ローマ史の脇役(時には副主人公)として登場することが多く、それなりの存在感はある。だが、その姿は私の頭の中では断片的である。フェニキア・カルタゴ史の全体像を把みたいと思い、次の本を読んだ。

 『通商国家カルタゴ』(栗田伸子・佐藤育子/講談社学術文庫)

 本書は2009年刊行の『興亡の世界史』第3巻を文庫化したものである。カルタゴに関しては3年前に『ある通商国家の興亡:カルタゴの遺書』(森本哲郎/PHP文庫)を読んだが、あの本は歴史書というよりバブル期日本への警世の書だった。警世部分だけが記憶に残り、「歴史書」部分はほとんど失念している。だから、かなり新鮮な気持で本書のカルタゴ史に取り組んだ。

 フェニキアは現在のレバノンあたりの古称で、カルタゴはフェニキア人が現在のチュニジアに作った古代植民都市である。

 本書は紀元前二千年紀の東地中海世界の記述から始まる。大昔である。フェニキア人が登場するのは、東地中海世界が青銅器時代から鉄器時代へ移行する頃(BC1200年頃~BC1050年頃)で、彼らのカルタゴへの本格的入植が始まるのがBC730~720年頃。そして、第3次ポエニ戦争でカルタゴが滅亡するのはBC146年である。

 この千年近いフェニキア・カルタゴの通史である本書には、神話や伝説への言及から最近の考古学の成果紹介までが盛り込まれている。私が昨年旅行したシチリア古跡に関わる記述も多い。古代史の面白さを堪能できた。

 地中海東岸にフェニキアという国家が存在したわけではなく、フェニキアは独立した都市国家群の呼称である。優秀な船乗りだったフェニキア人は地中海世界の国際商人で、それぞれの都市が地中海の各地に植民都市を築いた。その姿にソグド商人を連想した。主力商品の一つが「奴隷」というのも共通している。時代は大きくかけ離れていて、陸路と海路という違いもあるが、時代や地域を越えて似たような「商人」が存在したことに歴史の面白さを感じた。人間の行動の普遍性にすぎないかもしれないが。

 本書によって、カルタゴ人の書いた文献史料は現存しないと知った。森本哲郎氏は『ある通商国家の興亡』において「カルタゴ人は商業にのみ関心をもち、文化を生み出さなかった」と非難していた。彼らは自らの歴史を記述することに無関心だったのかもしれない。だが本書の著者は、文献史料が現存しないのは第3次ポエニ戦争の徹底的な破壊によって焼失・散逸したせいだとしている。

 今日まで残っているカルタゴに関する文献史料は、カルタゴの敵対者だったギリシア人やローマ人が残したものである。著者は次のように述べている。

 「カルタゴ史、むろんフェニキア史もそうであるが、今の我々が手にすることができる史料のほとんどは、あるいは隣人であり、ある時は敵対者であった他者から見た「カルタゴ像」に他ならない」

 歴史記述にバイアスがかかるのは世の常とは言え、当事者の書いたものがまったく残っていないのは、カルタゴ人には気の毒なことである。著者は、近年の考古学研究によって「伝承」と「考古学的遺物」の間の溝が修復されつつあると述べている。興味深い話である。

『モンゴル帝国の興亡』(杉山正明)はモンゴル史の基本図書2019年09月07日

『モンゴル帝国の興亡(上)(下)』(杉山正明/講談社現代新書)
 今年1月に読んだ『全世界史』(出口治明)で杉山正明という歴史学者の名を知り、これまでに『クビライの挑戦』『遊牧民から見た世界史』『モンゴル帝国と長いその後』『大モンゴルの時代』(北川誠一氏と共著)を面白く読んだ。そして今回、次の本を読んだ。

 『モンゴル帝国の興亡(上)(下)』(杉山正明/講談社現代新書)

 この新書が刊行されたのは約四半世紀前の1996年、私が読んだ版は上巻が16刷(2016.11)、下巻が3刷(2017.8)、ロングセラーである。

 本書刊行後に杉山氏が著したモンゴル史の本を何冊か読んでいるので、何となくモンゴル史を把握した気になっていて、復習気分で読んだ。読み終えて、本書こそがモンゴルの歴史を知るための基本図書だと認識した。

 上巻に「軍事拡大の時代」、下巻に「世界経営の時代」というサブタイトルがついた本書は、テムジンがチンギス・カンと号してモンゴル・ウルスが誕生する1206年に始まり、クビライの末裔の大カアン殺害でクビライ王朝が滅亡する1388年に終わる200年弱の「モンゴル帝国興亡」を綴った通史である。

 モンゴル帝国はユーラシア大陸の東西に拡がり、この時代から人類は「世界史」の世に突入する。杉山氏が他の著書で主張している「中国視点や西欧視点を脱却したモンゴル評価」は本書にも十分に盛り込まれている。本書は、モンゴル帝国の通史であると同時に、国際化と多極化を描いたマクロな世界史の書である。

 クビライの時代、モンゴル帝国は軍事国家から通商国家へとシフトしていき、それを担ったのは「イラン系ムスリム商業勢力」と「ウイグル商業勢力」である。この二つの勢力に、かつての「ソグド商人」が溶解していった姿が重なって見えて興味深かった。

 別の本で「中央アジアにおいてモンゴルはトルコ化した」と読んだことがあるが、杉山氏は本書で「中央ユーラシアに住むトルコ系の人々のほとんどが『準モンゴル』になった」と表現している。見方の違いに思えて面白い。

 当然のことながら、モンゴルとヨーロッパとの交渉に関する記述も多い。この時代のヨーロッパは、神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世、教皇インノケンティウア4世、フランス王ルイ9世らが活躍した十字軍終幕期である。私は以前に塩野七生氏の『皇帝フリードリッヒ2世の生涯』を読んで、この近代人的な皇帝に共感していた。だが、本書でのフリードリッヒ2世は影が薄い。ラシード・アッディーンの『集史』にもとづいて次のように記述されている。

 「ヨーロッパ最大の権力者は、文句なくローマ教皇だとされる。それに次ぐのは、フランス王である。神聖ローマ皇帝という名のドイツ王の力は、モンゴルの目にはささやかなものに映った。おそらくそれが、現実の姿であった。」

 ヨーロッパ側からの東方への関心・交渉という視点ではこうなるのだろう。いずれにしても、当時のモンゴル帝国から見たヨーロッパは西の果ての後進地域である。世界がそんな姿の時代だったのである。