「ルーヴル美術館展」でルネサンス絵画を鑑賞 ― 2026年10月22日
新国立美術館で開催中の「ルーヴル美術館展」に行った。さほど大規模でなく、観て回るのにちょうどいい点数の展示だった。
目玉はダ・ヴィンチの『《女性の肖像》、誤って付された別称《美しきフェロニエール》』である。やたらと長いタイトル表示だ。最後の展示室に特別扱いで展示されていた。サイズは63.5×44.5㎝、さほど大きくはない。
この目玉作品、チラシには目元を超拡大した写真があり、細かなひび割れまで写っている。サイズが小さいので、本物を眼前で眺めても写真のようなひび割れを容易には視認できない。目力(めぢから)のある肖像画である。視線が合うと、「何見てんのよ」と些末なひび割れを確認しようとする態度を𠮟られた気がした。
今回の展示には、ダ・ヴィンチ作と混同されていた『《女性の肖像》、通称《美しきフェロニエール》』(ロンバルディアの画家)という作品も展示している。「美しきフェロニール」はフランス国王フランソワ1世(在1515-1547)の愛妾とされた女性だが、今日では架空の人物と見なされているそうだ。
展示場に入って最初に目に飛び込むのは『ヴェネツイア共和国の使節団を迎えるダマスクス総督』(ヴェネツィアの画家)という1511年頃の大きな絵である。ダマスクスの建物や多くの人物を端整に描いている。商業都市国家ヴェネツイアとアラブ世界の交流を示す歴史画にも見え、興味を引かれた。
目玉はダ・ヴィンチの『《女性の肖像》、誤って付された別称《美しきフェロニエール》』である。やたらと長いタイトル表示だ。最後の展示室に特別扱いで展示されていた。サイズは63.5×44.5㎝、さほど大きくはない。
この目玉作品、チラシには目元を超拡大した写真があり、細かなひび割れまで写っている。サイズが小さいので、本物を眼前で眺めても写真のようなひび割れを容易には視認できない。目力(めぢから)のある肖像画である。視線が合うと、「何見てんのよ」と些末なひび割れを確認しようとする態度を𠮟られた気がした。
今回の展示には、ダ・ヴィンチ作と混同されていた『《女性の肖像》、通称《美しきフェロニエール》』(ロンバルディアの画家)という作品も展示している。「美しきフェロニール」はフランス国王フランソワ1世(在1515-1547)の愛妾とされた女性だが、今日では架空の人物と見なされているそうだ。
展示場に入って最初に目に飛び込むのは『ヴェネツイア共和国の使節団を迎えるダマスクス総督』(ヴェネツィアの画家)という1511年頃の大きな絵である。ダマスクスの建物や多くの人物を端整に描いている。商業都市国家ヴェネツイアとアラブ世界の交流を示す歴史画にも見え、興味を引かれた。
『メソポタミアのボート三人男』は歴史を遡る川旅 ― 2026年10月20日
辺境作家・高野秀行氏の新作を読んだ。
『メソポタミアのボート三人男』(高野秀行/集英社/2026.6)
ユーフラテス川、ティグリス川の源流をゴムボートで旅(探検?)したレポートである。場所はトルコ東南部、住民の多くはクルド人だ。
本書刊行は今年6月だが、ボート旅のメインは2018年なので8年前、補足的な再訪が2024年である。本書刊行に時間がかかった理由は本書を読めばわかる。複合的要因があったが、ボート旅の面白さや意義を語る難しさが大きかったようだ。
私も本書を読むまで「ボート旅」がピンと来なかった。急流を川下りする冒険、源流から河口までの大旅行などをイメージしたが、まったく違っていた。
ボート三人男と言っても、一人用ゴムボート(バックラフトと言う)で川を下るのは筆者と「隊長」の二人、三人目は車で道路を行く現地ガイドである。車はボートに伴走するのではない。毎朝、キャンプ地(基本的には町や村)で川に漕ぎ出す二人を見送ると、事前に決めた次のキャンプ地の町か村に車で行き、ボートの到着を待つだけである。
筆者らは車で源流を探索し、そこから何日かかけてボートで川を下る。転覆の危険回避のためルートは慎重に選ぶ。「土地のいちばん低いところを行く」のが川旅の醍醐味で、周囲を見上げながらの旅である。ゴールは自分たちで決める。私は泥水の川旅をしたいとは思わないが、川旅の哲学のようなものは伝わってくる。
本書を読みながら、これは『イラク水滸伝』の姉妹編だと気づいた。『イラク水滸伝』は、ティグリス川とユーフラテス川が合流する河口の湿地帯の話だった。あの探検とボート旅は時期も重なっている。「隊長」も同一人物だ。筆者は両大河の河口と源流をほぼ同時期に制覇し、河口を描いた『イラク水滸伝』を先に上梓したのだ。
本書によって、トルコ、イラク、イランにまたがって在住するクルド人のやや複雑な事情を垣間見ることができた。イラク北部にクルディスタン自治区があることを初めて知った。
アレヴィーという不思議な信仰も初めて知った。シーア派の一派らしいが、信徒はモスクに行かず、コーランを読まず、1日5回のお祈りもせず、断食もせず、酒も飲む。トルコの全人口の10~20%がアレヴィーだという。かなりの人数だ。
本書には「川と歴史は遡るべし」という名言も登場し、筆者はギョベクリテペを訪問する。農業や都市の始まりの歴史を塗り替えると言われている人類最古の巨大遺跡である。農業が始まる以前、狩猟採集民が建設した宗教施設とされている。人類は定住生活に入る前にどのようにして巨大宗教施設を造りあげたのだろうか。
筆者は、ギョベクリテペの建造者を「阪神タイガースのファンや浦和レッズのサポーターが定期的にその「聖地」へ通い、試合を見るだけでなく、力を合わせて巨大なスタジアムを建設してしまったというようなイメージだろうか」と表現している。筆者らしい秀逸な見立てだ。
『メソポタミアのボート三人男』(高野秀行/集英社/2026.6)
ユーフラテス川、ティグリス川の源流をゴムボートで旅(探検?)したレポートである。場所はトルコ東南部、住民の多くはクルド人だ。
本書刊行は今年6月だが、ボート旅のメインは2018年なので8年前、補足的な再訪が2024年である。本書刊行に時間がかかった理由は本書を読めばわかる。複合的要因があったが、ボート旅の面白さや意義を語る難しさが大きかったようだ。
私も本書を読むまで「ボート旅」がピンと来なかった。急流を川下りする冒険、源流から河口までの大旅行などをイメージしたが、まったく違っていた。
ボート三人男と言っても、一人用ゴムボート(バックラフトと言う)で川を下るのは筆者と「隊長」の二人、三人目は車で道路を行く現地ガイドである。車はボートに伴走するのではない。毎朝、キャンプ地(基本的には町や村)で川に漕ぎ出す二人を見送ると、事前に決めた次のキャンプ地の町か村に車で行き、ボートの到着を待つだけである。
筆者らは車で源流を探索し、そこから何日かかけてボートで川を下る。転覆の危険回避のためルートは慎重に選ぶ。「土地のいちばん低いところを行く」のが川旅の醍醐味で、周囲を見上げながらの旅である。ゴールは自分たちで決める。私は泥水の川旅をしたいとは思わないが、川旅の哲学のようなものは伝わってくる。
本書を読みながら、これは『イラク水滸伝』の姉妹編だと気づいた。『イラク水滸伝』は、ティグリス川とユーフラテス川が合流する河口の湿地帯の話だった。あの探検とボート旅は時期も重なっている。「隊長」も同一人物だ。筆者は両大河の河口と源流をほぼ同時期に制覇し、河口を描いた『イラク水滸伝』を先に上梓したのだ。
本書によって、トルコ、イラク、イランにまたがって在住するクルド人のやや複雑な事情を垣間見ることができた。イラク北部にクルディスタン自治区があることを初めて知った。
アレヴィーという不思議な信仰も初めて知った。シーア派の一派らしいが、信徒はモスクに行かず、コーランを読まず、1日5回のお祈りもせず、断食もせず、酒も飲む。トルコの全人口の10~20%がアレヴィーだという。かなりの人数だ。
本書には「川と歴史は遡るべし」という名言も登場し、筆者はギョベクリテペを訪問する。農業や都市の始まりの歴史を塗り替えると言われている人類最古の巨大遺跡である。農業が始まる以前、狩猟採集民が建設した宗教施設とされている。人類は定住生活に入る前にどのようにして巨大宗教施設を造りあげたのだろうか。
筆者は、ギョベクリテペの建造者を「阪神タイガースのファンや浦和レッズのサポーターが定期的にその「聖地」へ通い、試合を見るだけでなく、力を合わせて巨大なスタジアムを建設してしまったというようなイメージだろうか」と表現している。筆者らしい秀逸な見立てだ。
『小説ヒトラー』第Ⅱ巻にはヒトラーユーゲントの少年登場 ― 2026年10月17日
佐藤賢一の『小説ヒトラー』、第Ⅰ巻に続いて第Ⅱ巻を読んだ。
『小説ヒトラー 第Ⅱ巻 戦前篇』(佐藤賢一/集英社)
ヒトラーが首相に就任した1933年1月30日からポーランド侵攻(第二次大戦開戦)の1939年9月1日までの7年間を描いている。この7年は、ヒトラーの伝記では最も面白い怒涛の興隆期であり、近代史としても興味深い時代だ。ヒトラーという異能の人物を中心にして歴史が動いた時代とも言える。
第Ⅰ巻は、ヒトラー視点の他にゲッベルス視点、ヒムラー視点の描写で展開したので、その調子が続くかと思っていた。だが、第Ⅱ巻では描出する世界の拡がりに対応して視点も多様になる。ゲッベルスもヒムラーも相対化される。
架空の人物と思われるザール地方の少年ハンスも登場する。独仏の国境地帯のザール地方は国際連盟の管理下にあったが、1935年1月、住民投票によってドイツに復帰する。このとき15歳だった金髪碧眼長身のハンスはヒトラーに魅せられてヒトラーユーゲントに入る。後に親衛隊員となりゲシュタポの下っ端として働き、能力が評価されて親衛隊士官学校に入学、第Ⅱ巻末で20歳になる。ハンス視点の成長譚と目撃談に小説的な面白さがある。
第Ⅰ巻も『ヒトラー全記録』(阿部良男/柏書房)を座右に詳細年表を参照しながら小説を読み進めた。
1933年1月30日、ヒトラーが首相に就任したとき、ナチ党(本書ではエン・エスと表記)は第1党とは言え過半数に満たず、入閣したのはゲーリングとフリックのみの連立政権だった。だが、2カ月後の3月24日には全権委任法可決でヒトラーに権力が集中し、6月末までにエン・エス以外の政党が解散、7月14日には政党新設禁止法が成立し、独裁体制が確立する。手品のような半年だ。
小説は政党を解散に追いつめていくさまを生々しく描いていて面白い。国会議事堂放火についても小説ならではの推測による陰謀劇に仕立てている。
第Ⅱ巻が描く主な出来事は以下の通りだ。
1934年6月 レーム粛清(長いナイフの夜)
1936年3月 ラインラント進駐
1936年8月 ベルリンでオリンピック大会
1938年3月 オーストリア併合
1938年9月 ミュンヘン協定でズデーテンラントを併合
1939年3月 チェコを併合、スロヴァキアを保護国化
1939年8月 独ソ不可侵条約締結
1939年9月 ポーランド侵攻
歴史事象の展開を小説として描くと、省略の多い駆け足気味になる。登場人物も振り付け通りに演じる木偶人形になりやすい。そんな中で、レームの姿が印象に残った。役者である。
ミュンヘン協定に至る緊迫した内幕劇も面白かった。チェコを切り捨てたチェンバレンに対してヒトラーがイギリスを「怖い国だな」との感慨を抱くのが興味深い。小説でしか描けない心理である。
『小説ヒトラー 第Ⅱ巻 戦前篇』(佐藤賢一/集英社)
ヒトラーが首相に就任した1933年1月30日からポーランド侵攻(第二次大戦開戦)の1939年9月1日までの7年間を描いている。この7年は、ヒトラーの伝記では最も面白い怒涛の興隆期であり、近代史としても興味深い時代だ。ヒトラーという異能の人物を中心にして歴史が動いた時代とも言える。
第Ⅰ巻は、ヒトラー視点の他にゲッベルス視点、ヒムラー視点の描写で展開したので、その調子が続くかと思っていた。だが、第Ⅱ巻では描出する世界の拡がりに対応して視点も多様になる。ゲッベルスもヒムラーも相対化される。
架空の人物と思われるザール地方の少年ハンスも登場する。独仏の国境地帯のザール地方は国際連盟の管理下にあったが、1935年1月、住民投票によってドイツに復帰する。このとき15歳だった金髪碧眼長身のハンスはヒトラーに魅せられてヒトラーユーゲントに入る。後に親衛隊員となりゲシュタポの下っ端として働き、能力が評価されて親衛隊士官学校に入学、第Ⅱ巻末で20歳になる。ハンス視点の成長譚と目撃談に小説的な面白さがある。
第Ⅰ巻も『ヒトラー全記録』(阿部良男/柏書房)を座右に詳細年表を参照しながら小説を読み進めた。
1933年1月30日、ヒトラーが首相に就任したとき、ナチ党(本書ではエン・エスと表記)は第1党とは言え過半数に満たず、入閣したのはゲーリングとフリックのみの連立政権だった。だが、2カ月後の3月24日には全権委任法可決でヒトラーに権力が集中し、6月末までにエン・エス以外の政党が解散、7月14日には政党新設禁止法が成立し、独裁体制が確立する。手品のような半年だ。
小説は政党を解散に追いつめていくさまを生々しく描いていて面白い。国会議事堂放火についても小説ならではの推測による陰謀劇に仕立てている。
第Ⅱ巻が描く主な出来事は以下の通りだ。
1934年6月 レーム粛清(長いナイフの夜)
1936年3月 ラインラント進駐
1936年8月 ベルリンでオリンピック大会
1938年3月 オーストリア併合
1938年9月 ミュンヘン協定でズデーテンラントを併合
1939年3月 チェコを併合、スロヴァキアを保護国化
1939年8月 独ソ不可侵条約締結
1939年9月 ポーランド侵攻
歴史事象の展開を小説として描くと、省略の多い駆け足気味になる。登場人物も振り付け通りに演じる木偶人形になりやすい。そんな中で、レームの姿が印象に残った。役者である。
ミュンヘン協定に至る緊迫した内幕劇も面白かった。チェコを切り捨てたチェンバレンに対してヒトラーがイギリスを「怖い国だな」との感慨を抱くのが興味深い。小説でしか描けない心理である。
四半世紀前の書『国民国家論の射程』を読んでみた ― 2026年10月13日
何年か前に古書で入手していた次の本を読んだ。20世紀末の1998年、28年前に出た本である。
『国民国家論の射程:あるいは<国民>という怪物について』(西川長夫/柏書房/1998.4)
本書を入手した経緯は失念した。国民国家に関する文章に本書への言及があり、ネット古書店に注文したのだと思う。先日読んだ『国民国家とナショナリズム』(この本も20世紀末刊行)巻末の参考文献リストで本書が目に入り、それが契機で未読棚の本書を繙いた。
国民国家(英:Nation-state、仏:Etat-nation)はフランス革命によって出現した。国民国家は何らかの一体感をもつ国民を構成員とする。現在、世界のほとんどすべての国が国民国家であり、現代は国民国家の時代である。
本書のサブタイトル「あるいは<国民>という怪物について」が示唆しているように、国民国家批判の書である。戦争になれば他国の人間を殺すことも辞さないのが「<国民>という怪物」である。
著者・西川長夫(1934-2013、フランス文学者)についてウィキペディアは「近年の国民国家論および国民国家批判の学問的潮流を作った」と述べている。
本書のサブタイトルを見たとき、山カッコの<国民>にむずがゆい懐かしさをおぼえた。半世紀以上昔の私の学生時代、文章表現に山カッコ < > を使用するのが流行した。言葉で掬いきれない何かを暗示する符牒のようでもあり、ある種のカッコよさがあった。使いすぎると滑稽になる。
本書を読了した私の読後感は、山カッコに感じるむずがゆさに似たものがある。国民国家というイデオロギーに挑戦する本書は、新たなイデオロギーを模索しているのだと思う。28年前に同時代の書として読んでいれば、大いに共感したかもしれない。いまの私は課題の複雑さに草臥れてリラックスしたい気分だ。
本書巻末のエッセイ「国民国家論から見た「戦後」――国民国家のゆくえ」で、著者は「国民国家がゆらぎはじめている」と指摘し、それが国民国家の終焉を予告する変化であることを願うと述べている。それから四半世紀、国民国家はまだ終りそうにない。
著者が「あとがき」で述べているように、本書は論文集ではない。エッセイや講演の集成である。著者の感興や感慨などの肉声が伝わってきて読みやすい。国民国家論とウォーラーステインの世界システム論との関連、文明と文化の対立、明治維新とフランス革命の比較検討、講座派vs労農派の評価など興味深い話題も多い。いろいろ教えられた。
日本の戦後の歴史学は「革命のための歴史学」だったが、1960年代以降は潮目が変わり革命史家たちは多数の読者を失った、という述懐も面白い。
『国民国家論の射程:あるいは<国民>という怪物について』(西川長夫/柏書房/1998.4)
本書を入手した経緯は失念した。国民国家に関する文章に本書への言及があり、ネット古書店に注文したのだと思う。先日読んだ『国民国家とナショナリズム』(この本も20世紀末刊行)巻末の参考文献リストで本書が目に入り、それが契機で未読棚の本書を繙いた。
国民国家(英:Nation-state、仏:Etat-nation)はフランス革命によって出現した。国民国家は何らかの一体感をもつ国民を構成員とする。現在、世界のほとんどすべての国が国民国家であり、現代は国民国家の時代である。
本書のサブタイトル「あるいは<国民>という怪物について」が示唆しているように、国民国家批判の書である。戦争になれば他国の人間を殺すことも辞さないのが「<国民>という怪物」である。
著者・西川長夫(1934-2013、フランス文学者)についてウィキペディアは「近年の国民国家論および国民国家批判の学問的潮流を作った」と述べている。
本書のサブタイトルを見たとき、山カッコの<国民>にむずがゆい懐かしさをおぼえた。半世紀以上昔の私の学生時代、文章表現に山カッコ < > を使用するのが流行した。言葉で掬いきれない何かを暗示する符牒のようでもあり、ある種のカッコよさがあった。使いすぎると滑稽になる。
本書を読了した私の読後感は、山カッコに感じるむずがゆさに似たものがある。国民国家というイデオロギーに挑戦する本書は、新たなイデオロギーを模索しているのだと思う。28年前に同時代の書として読んでいれば、大いに共感したかもしれない。いまの私は課題の複雑さに草臥れてリラックスしたい気分だ。
本書巻末のエッセイ「国民国家論から見た「戦後」――国民国家のゆくえ」で、著者は「国民国家がゆらぎはじめている」と指摘し、それが国民国家の終焉を予告する変化であることを願うと述べている。それから四半世紀、国民国家はまだ終りそうにない。
著者が「あとがき」で述べているように、本書は論文集ではない。エッセイや講演の集成である。著者の感興や感慨などの肉声が伝わってきて読みやすい。国民国家論とウォーラーステインの世界システム論との関連、文明と文化の対立、明治維新とフランス革命の比較検討、講座派vs労農派の評価など興味深い話題も多い。いろいろ教えられた。
日本の戦後の歴史学は「革命のための歴史学」だったが、1960年代以降は潮目が変わり革命史家たちは多数の読者を失った、という述懐も面白い。
劇団唐ゼミ公演『ベンガルの虎』は新鮮だった ― 2026年10月10日
横浜の沢渡中央公園の青テントで劇団唐ゼミ公演『ベンガルの虎』(作:唐十郎、演出:中野敦之:出演:津内口淑香、米澤剛志、今井勝法、谷洋介、丸山正吾、他)を観た。劇団唐ゼミの芝居は昨年エコー劇場で『少女仮面』を観た。青テント観劇は初めてである。
劇団唐ゼミは20年前から青テント公演を続けてきたが、テントの老朽化のため今回が最後の青テント公演だそうだ。今後の活動形態をあらためて検討するらしい。
『ベンガルの虎』の初演は1973年の状況劇場の紅テント、私はおそらくこの初演を観ているが記憶が定かでない。5年前に観た新宿梁山泊の紫テント公演『ベンガルの虎』は憶えている。風間杜夫が72歳でテント芝居に初出演した。『ベンガルの虎』は『唐版・ビルマの竪琴』とも呼ばれる作品で、日本兵の遺骨が眠る「白骨街道」がキーワードのひとつだ。
今回の観劇に先立って戯曲をあらためて読み返し、劇団唐ゼミのホームページで中野敦之氏の解説などもチェックした。横国大の唐ゼミの門下生・中野氏の戯曲の読みは深い。教えられる点も多い。
今回の公演のチラシには多少の違和感をおぼえた。軽妙でコミカルなタッチが「白骨街道」にそぐわない。「君、ホントに生キテル?」というコピーも意味不明に思えた。だが、中野氏の解説を参照しながら戯曲を読んでいるうちに、このチラシは中野氏の「読み」を反映していると思えてきた。
唐十郎の世界は重層的で夢幻的だが、いじましくてコミカルな面もある。ビルマに残った水島が供給する白骨を素材に、帰国した隊長たちが東京下町でハンコ屋を営んでいるという話はいじましくてコミカルだ。
この芝居のヒロイン・水島カンナは、初演時に唐十郎が李礼仙にアテ書きしたと思われる魅力的な役だ。ビルマに残って僧形で遺骨を弔うあの水島の妻という設定である。チラシにある「君、ホントに生キテル?」の「君」は水島カンナを指している。これは、私にとっては大きな発見だった。
唐十郎世界で登場人物たちが時間や空間を超えるのは珍しくない。その人物が生きているのか死んでいるのか定かでない場合もある。今まで、そんな異世界を漫然と受け容れながら観劇を楽しんできた気がする。だが、作者は自由奔放に時空を超えているのではなく、作劇には論理的とも言える必然があり、それを見通せば、より面白く芝居を堪能できる。劇団唐ゼミの公演は、そのことをあらためて教えてくれた。
戯曲を素直に読めば、水島カンナは太平洋戦争より前の時代に、女衒事業家・村岡伊平治によってカンボジアのバッタンバンに連れて来られた女郎マサノの子である。マサノは駆け落ちで死亡、その遺体は行李に入れて日本に送付される。死に瀕したマサノから生まれた子が水島カンナで、母の遺体と共に行李で日本に送られてきたという。生きているのがおかしいし、水島の妻でもあり得ない。
水島カンナが使っている定期券は「錦糸町―鶯谷、水島カンナ、29歳」とあり、発行日は昭和32年となっている。「今は昭和32年ではないっ!」という台詞(初演は昭和48年)もある。期限切れの定期を使い続け、それをお守りのように保持している彼女の姿は、現世に生きていない存在の暗示なのだ。
この芝居は、ビルマ戦線で果てて「白骨街道」となった死者たちに、それ以前の時代にバッタンバンで果てた多くの女郎(ラシャメン)たちを重ねている。むしろ、後者がメインかもしれない。
唐十郎はト書きにとんでもない表現を書き込むことがある。『ベンガルの虎』冒頭のト書きは次のように始まる。
「死んだものは今、いずこなる河をさまよっているのだろう。黄泉の国にたどりついたか。否、土の中で未だに熟れた森の夢を見つづける。息をふさがれ、思い出ばかりをかみしめる。そして、思い出も又、死臭をあげるのだ。ここは一つの町。それでいて水の底。舞台は水に悩まされる東京下町。(…)」
舞台上での朗読を聞きたくなるようなト書きだ。
劇団唐ゼミは20年前から青テント公演を続けてきたが、テントの老朽化のため今回が最後の青テント公演だそうだ。今後の活動形態をあらためて検討するらしい。
『ベンガルの虎』の初演は1973年の状況劇場の紅テント、私はおそらくこの初演を観ているが記憶が定かでない。5年前に観た新宿梁山泊の紫テント公演『ベンガルの虎』は憶えている。風間杜夫が72歳でテント芝居に初出演した。『ベンガルの虎』は『唐版・ビルマの竪琴』とも呼ばれる作品で、日本兵の遺骨が眠る「白骨街道」がキーワードのひとつだ。
今回の観劇に先立って戯曲をあらためて読み返し、劇団唐ゼミのホームページで中野敦之氏の解説などもチェックした。横国大の唐ゼミの門下生・中野氏の戯曲の読みは深い。教えられる点も多い。
今回の公演のチラシには多少の違和感をおぼえた。軽妙でコミカルなタッチが「白骨街道」にそぐわない。「君、ホントに生キテル?」というコピーも意味不明に思えた。だが、中野氏の解説を参照しながら戯曲を読んでいるうちに、このチラシは中野氏の「読み」を反映していると思えてきた。
唐十郎の世界は重層的で夢幻的だが、いじましくてコミカルな面もある。ビルマに残った水島が供給する白骨を素材に、帰国した隊長たちが東京下町でハンコ屋を営んでいるという話はいじましくてコミカルだ。
この芝居のヒロイン・水島カンナは、初演時に唐十郎が李礼仙にアテ書きしたと思われる魅力的な役だ。ビルマに残って僧形で遺骨を弔うあの水島の妻という設定である。チラシにある「君、ホントに生キテル?」の「君」は水島カンナを指している。これは、私にとっては大きな発見だった。
唐十郎世界で登場人物たちが時間や空間を超えるのは珍しくない。その人物が生きているのか死んでいるのか定かでない場合もある。今まで、そんな異世界を漫然と受け容れながら観劇を楽しんできた気がする。だが、作者は自由奔放に時空を超えているのではなく、作劇には論理的とも言える必然があり、それを見通せば、より面白く芝居を堪能できる。劇団唐ゼミの公演は、そのことをあらためて教えてくれた。
戯曲を素直に読めば、水島カンナは太平洋戦争より前の時代に、女衒事業家・村岡伊平治によってカンボジアのバッタンバンに連れて来られた女郎マサノの子である。マサノは駆け落ちで死亡、その遺体は行李に入れて日本に送付される。死に瀕したマサノから生まれた子が水島カンナで、母の遺体と共に行李で日本に送られてきたという。生きているのがおかしいし、水島の妻でもあり得ない。
水島カンナが使っている定期券は「錦糸町―鶯谷、水島カンナ、29歳」とあり、発行日は昭和32年となっている。「今は昭和32年ではないっ!」という台詞(初演は昭和48年)もある。期限切れの定期を使い続け、それをお守りのように保持している彼女の姿は、現世に生きていない存在の暗示なのだ。
この芝居は、ビルマ戦線で果てて「白骨街道」となった死者たちに、それ以前の時代にバッタンバンで果てた多くの女郎(ラシャメン)たちを重ねている。むしろ、後者がメインかもしれない。
唐十郎はト書きにとんでもない表現を書き込むことがある。『ベンガルの虎』冒頭のト書きは次のように始まる。
「死んだものは今、いずこなる河をさまよっているのだろう。黄泉の国にたどりついたか。否、土の中で未だに熟れた森の夢を見つづける。息をふさがれ、思い出ばかりをかみしめる。そして、思い出も又、死臭をあげるのだ。ここは一つの町。それでいて水の底。舞台は水に悩まされる東京下町。(…)」
舞台上での朗読を聞きたくなるようなト書きだ。
ライブハウスの芝居で筒井康隆の先見性を感じた ― 2026年10月09日
南青山のライブハウスMANDALAで筒井康隆の『如菩薩団』が原作の芝居『やむなしぃ~』(翻案・演出:小川結子、出演:市川恭之介、太田旭紀、堤和悠樹、寺村恵理加、ばばゆりな、丸山夏歩、髄、小川結子)を観た。筒井康隆の傑作短編の舞台化だと知ってチケットを手配した。私には未知の若い人々による作品である。
前半は音楽ライブで、芝居のテーマソングを含めて3曲の演奏があった。ワインを飲みながら演奏を聞いているとまさにライブハウス気分になる。続いて同じメンバーによる芝居が始まった。ライブハウスだから舞台装置はない。8人の役者たちは、パイプ椅子、ハンガー、ハンガーラックなどを駆使して、ステージだけでなくフロアや通路で芝居を展開する。テント芝居とは違う臨場感がある。
『如菩薩団』とは中流家庭の上品な主婦たちによる強盗団である。昼間、PTA役員を装って高級邸宅に入り込み、女主人や女中を縛り上げ、現金・食品・下着などを盗む。宝石などの高級品には手を出さない。足がつくからだ。つましい物品や現金を、家計の足しにするために8人で山分けにするだけである。口封じのため女主人や女中は殺す。何度も繰り返しているので殺人技術は鮮やかだ。コスパの悪い殺人に思えるが、ペイする殺人があるわけでもない。印象に残る怖い短編である。
『如菩薩団』の舞台化で『やむなしぃ~』と名付けたのは、やむを得ない犯罪の含意だろう。テーマソングを聞くと「やむことがない」の意味も含めているようだ。若い役者やミュージシャンたちがこの芝居を演じるのは、やはり現代にマッチしていると感じたのだと思う。舞台を観ながら、あらためて筒井康隆の先見性に思い至った。
筒井作品にはネットやメディアの現状を予見したような『48億の妄想』『おれに関する噂』などがある。『如菩薩団』も、中流層の貧困化と格差拡大、トクリュウなどの現状を予見した作品に見えてくる。
前半は音楽ライブで、芝居のテーマソングを含めて3曲の演奏があった。ワインを飲みながら演奏を聞いているとまさにライブハウス気分になる。続いて同じメンバーによる芝居が始まった。ライブハウスだから舞台装置はない。8人の役者たちは、パイプ椅子、ハンガー、ハンガーラックなどを駆使して、ステージだけでなくフロアや通路で芝居を展開する。テント芝居とは違う臨場感がある。
『如菩薩団』とは中流家庭の上品な主婦たちによる強盗団である。昼間、PTA役員を装って高級邸宅に入り込み、女主人や女中を縛り上げ、現金・食品・下着などを盗む。宝石などの高級品には手を出さない。足がつくからだ。つましい物品や現金を、家計の足しにするために8人で山分けにするだけである。口封じのため女主人や女中は殺す。何度も繰り返しているので殺人技術は鮮やかだ。コスパの悪い殺人に思えるが、ペイする殺人があるわけでもない。印象に残る怖い短編である。
『如菩薩団』の舞台化で『やむなしぃ~』と名付けたのは、やむを得ない犯罪の含意だろう。テーマソングを聞くと「やむことがない」の意味も含めているようだ。若い役者やミュージシャンたちがこの芝居を演じるのは、やはり現代にマッチしていると感じたのだと思う。舞台を観ながら、あらためて筒井康隆の先見性に思い至った。
筒井作品にはネットやメディアの現状を予見したような『48億の妄想』『おれに関する噂』などがある。『如菩薩団』も、中流層の貧困化と格差拡大、トクリュウなどの現状を予見した作品に見えてくる。
ヨーロッパの国民国家形成の過程は多様 ― 2026年10月07日
20世紀末に刊行された次の世界史リブレットを読んだ。
『国民国家とナショナリズム』(谷川稔/世界史リブレット/山川出版社/1999.10)
著者は、先々月読んだ『近代ヨーロッパの情熱と苦悩(世界の歴史22)』の「第1部 フランスとドイツ――国民国家へのはるかな道」の執筆者だ。あの本の刊行は1999年2月、本書は1999年10月、ほぼ同時期だ。内容も重なっている。実は、『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』で谷川稔氏の名を知り、その言説に興味がわいたので、ネット検索で本書を見つけて入手したのだ。
歴史書は一度読んだだけでは頭に残りにくい。同じ著者の似た内容の本を読むと「再読+α」に近い読書体験になり、頭に入りやすい。
本書はドイツ、フランス、イギリスを事例に国民国家意識がどのように形成されてきたかを解説している。この三国の国民国家形成の過程は同じではない。それぞれが個別の事情をかかえていて、それぞれ独特の形で国民国家になっていく。三者三様だ。日本は明治の時代にドイツを手本に国民国家を作ろうとしたが、日本もまたヨーロッパ諸国とは状況が異なっていた。
国民国家意識は自然に発生したわけではなく、一部の人々の意思や政策に基づいて形成され、徐々拡がってきたものだと思える。
国民国家やナショナリズムは、やっかいな課題である。肯定的な側面と否定的な側面があり、乗り越えるべき対象でもある。そんな課題に取り組むには、現在の国民国家がどんな歴史過程で形成されたかを理解しなければならない。本書はそのための概説書である。
言語や人種を指標にした国民形成(ドイツ)は排外主義的国民意識につながりやすいし、普遍主義的原理に基づいた国民形成(フランス)は傲慢な同化政策を生み出しやすい。
フランスでアカデミックな歴史学が確立したのは革命後だそうだ。次の指摘が面白い。
「絶対王権が神から授けられたものとして、教会に聖別されたように、共和国の建国神話は「科学的」歴史学によって聖別されたのである。」
著者はアンダーソンの『想像の共同体』にしばしば言及し、国民国家はフィクションという考えを否定し、皮膚感覚の次元で定着した国民意識という現実を直視しなければならないとしている。と言っても『想像の共同体』を否定しているのではなく、その誤読を指摘しているようだ。想像の共同体であっても、それは歴史的産物であり実体もそなえている。
本書刊行の20世紀末、ヨーロッパではEUが発足する一方でユーゴスラビアが解体し紛争が勃発する。国民国家のレベルを超えた統合と、エスニック意識の発揚による国家解体である。人間がかかえる共同体意識の多層性をどのように捉えるのか、多様な共同体意識が共存する世界をどのように制御していくのか、問題は複雑だ。
『国民国家とナショナリズム』(谷川稔/世界史リブレット/山川出版社/1999.10)
著者は、先々月読んだ『近代ヨーロッパの情熱と苦悩(世界の歴史22)』の「第1部 フランスとドイツ――国民国家へのはるかな道」の執筆者だ。あの本の刊行は1999年2月、本書は1999年10月、ほぼ同時期だ。内容も重なっている。実は、『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』で谷川稔氏の名を知り、その言説に興味がわいたので、ネット検索で本書を見つけて入手したのだ。
歴史書は一度読んだだけでは頭に残りにくい。同じ著者の似た内容の本を読むと「再読+α」に近い読書体験になり、頭に入りやすい。
本書はドイツ、フランス、イギリスを事例に国民国家意識がどのように形成されてきたかを解説している。この三国の国民国家形成の過程は同じではない。それぞれが個別の事情をかかえていて、それぞれ独特の形で国民国家になっていく。三者三様だ。日本は明治の時代にドイツを手本に国民国家を作ろうとしたが、日本もまたヨーロッパ諸国とは状況が異なっていた。
国民国家意識は自然に発生したわけではなく、一部の人々の意思や政策に基づいて形成され、徐々拡がってきたものだと思える。
国民国家やナショナリズムは、やっかいな課題である。肯定的な側面と否定的な側面があり、乗り越えるべき対象でもある。そんな課題に取り組むには、現在の国民国家がどんな歴史過程で形成されたかを理解しなければならない。本書はそのための概説書である。
言語や人種を指標にした国民形成(ドイツ)は排外主義的国民意識につながりやすいし、普遍主義的原理に基づいた国民形成(フランス)は傲慢な同化政策を生み出しやすい。
フランスでアカデミックな歴史学が確立したのは革命後だそうだ。次の指摘が面白い。
「絶対王権が神から授けられたものとして、教会に聖別されたように、共和国の建国神話は「科学的」歴史学によって聖別されたのである。」
著者はアンダーソンの『想像の共同体』にしばしば言及し、国民国家はフィクションという考えを否定し、皮膚感覚の次元で定着した国民意識という現実を直視しなければならないとしている。と言っても『想像の共同体』を否定しているのではなく、その誤読を指摘しているようだ。想像の共同体であっても、それは歴史的産物であり実体もそなえている。
本書刊行の20世紀末、ヨーロッパではEUが発足する一方でユーゴスラビアが解体し紛争が勃発する。国民国家のレベルを超えた統合と、エスニック意識の発揚による国家解体である。人間がかかえる共同体意識の多層性をどのように捉えるのか、多様な共同体意識が共存する世界をどのように制御していくのか、問題は複雑だ。
昭和天皇の末弟・三笠宮の生涯は興味深い ― 2026年10月06日
2016年に100歳で亡くなった三笠宮を描いた新書が出たので、入手して読んだ。
『三笠宮:昭和天皇末弟の近現代史』(舟橋正真/中公新書)
三笠宮はオリエント史の研究者でもあった。ある先生から三笠宮と居酒屋で歓談した話を聞いたことがある。居酒屋の外にはSPが立っていたそうだ。
私は59年前の十代の頃、三笠宮の講演を聞いたことがある。1967年に文藝春秋が刊行開始した『大世界史』(全26巻)の第1巻のタイトルは「ここに歴史はじまる」、執筆者は三笠宮崇仁だった。この歴史叢書刊行を記念して文藝春秋は三笠宮の講演会を開催した。十代の私は古代オリエントに関心はなかったが、天皇の弟が喋る姿を見たいというミーハー気分で聞きに行った。
半世紀以上前に出た「ここに歴史はじまる」を読んだのは11年前、六十代になってからである。その後、多少は古代史の本も読むようになり、オリエント史への関心もわいてきた。本書を読んだ動機の一つは、オリエント史研究者としての三笠宮の活動や位置づけを知りたいと思ったことにある。
その点に関して、本書は期待はずれだった。皇族としての三笠宮の活動や発言の記録がメインで、学者としての三笠宮については簡単に触れているだけだ。中近東文化センターの設立やトルコでの遺跡発掘に関して、三笠宮が資金調達に尽力したと聞いたことがあるが、本書はそんな事情には言及していない。学問の世界で三笠宮がどう評価されているかの記述もない。
と言っても、かなり興味深い伝記である。特に前半の1960年(三笠宮45歳)頃までが面白い。私の知らなかった三笠宮の人物像が描かれている。
昭和天皇の皇弟たちは陸軍か海軍に入ることになっていて、末弟の三笠宮は乗馬が好きだったので陸軍を選ぶ。陸軍士官学校、陸軍大学で学び、陸軍参謀として南京に派遣され、「皇軍」の残虐行為を知り、聖戦に対する信念を喪失する。三笠宮が軍に提出した「支那事変に対する日本人としての内省」という文書は「危険文書」として回収・廃棄される。
戦後の三笠宮は皇室の民主化を願い、かなり自由に発言する。「アカハタ」にインタビュー記事が載ったこともあるそうだ。天皇制廃止論者の色川大吉氏などとも交流している。「紀元節」復活(建国記念日の制定)には歴史学者の立場から反対を表明する。
昭和天皇はそんな三笠宮に批判的で、両者の間には確執があった。昭和天皇の次のような見解が面白い。
《「動機に余り結果を考えられぬ傾向」のある三笠宮の性質や行いについて、天皇は「陸軍風」と称し、「自然行われぬとき、結果を構わず、誰にでも発表するくせ」があると厳しく断じる。つまり、三笠宮の行動について、独断専行を是とする陸軍教育の悪影響と見ていたのである。》
不思議な見方である。立場によってはそのように見えるのかと妙に感心した。
『三笠宮:昭和天皇末弟の近現代史』(舟橋正真/中公新書)
三笠宮はオリエント史の研究者でもあった。ある先生から三笠宮と居酒屋で歓談した話を聞いたことがある。居酒屋の外にはSPが立っていたそうだ。
私は59年前の十代の頃、三笠宮の講演を聞いたことがある。1967年に文藝春秋が刊行開始した『大世界史』(全26巻)の第1巻のタイトルは「ここに歴史はじまる」、執筆者は三笠宮崇仁だった。この歴史叢書刊行を記念して文藝春秋は三笠宮の講演会を開催した。十代の私は古代オリエントに関心はなかったが、天皇の弟が喋る姿を見たいというミーハー気分で聞きに行った。
半世紀以上前に出た「ここに歴史はじまる」を読んだのは11年前、六十代になってからである。その後、多少は古代史の本も読むようになり、オリエント史への関心もわいてきた。本書を読んだ動機の一つは、オリエント史研究者としての三笠宮の活動や位置づけを知りたいと思ったことにある。
その点に関して、本書は期待はずれだった。皇族としての三笠宮の活動や発言の記録がメインで、学者としての三笠宮については簡単に触れているだけだ。中近東文化センターの設立やトルコでの遺跡発掘に関して、三笠宮が資金調達に尽力したと聞いたことがあるが、本書はそんな事情には言及していない。学問の世界で三笠宮がどう評価されているかの記述もない。
と言っても、かなり興味深い伝記である。特に前半の1960年(三笠宮45歳)頃までが面白い。私の知らなかった三笠宮の人物像が描かれている。
昭和天皇の皇弟たちは陸軍か海軍に入ることになっていて、末弟の三笠宮は乗馬が好きだったので陸軍を選ぶ。陸軍士官学校、陸軍大学で学び、陸軍参謀として南京に派遣され、「皇軍」の残虐行為を知り、聖戦に対する信念を喪失する。三笠宮が軍に提出した「支那事変に対する日本人としての内省」という文書は「危険文書」として回収・廃棄される。
戦後の三笠宮は皇室の民主化を願い、かなり自由に発言する。「アカハタ」にインタビュー記事が載ったこともあるそうだ。天皇制廃止論者の色川大吉氏などとも交流している。「紀元節」復活(建国記念日の制定)には歴史学者の立場から反対を表明する。
昭和天皇はそんな三笠宮に批判的で、両者の間には確執があった。昭和天皇の次のような見解が面白い。
《「動機に余り結果を考えられぬ傾向」のある三笠宮の性質や行いについて、天皇は「陸軍風」と称し、「自然行われぬとき、結果を構わず、誰にでも発表するくせ」があると厳しく断じる。つまり、三笠宮の行動について、独断専行を是とする陸軍教育の悪影響と見ていたのである。》
不思議な見方である。立場によってはそのように見えるのかと妙に感心した。








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