初演から43年目に歌舞伎『椿説弓張月』を観た2012年05月15日

横尾忠則氏の2枚のポスター(上)と今回の歌舞伎のポスターとチラシ(下)
 地下鉄の駅構内のポスターで五月花形歌舞伎(新橋演舞場)夜の部が『椿説弓張月』(主演・市川染五郎)だと知り、「これは観ておかねば」と思った。そして、昨夜観てきた。歌舞伎を観るのは久しぶりだ。

 『椿説弓張月』を観なければと考えたのは、ポスターのせいである。と言っても、今回の上演ポスターではなく、40年以上昔の初演時の横尾忠則氏のポスターだ。

 馬琴の読本を原作に三島由紀夫が歌舞伎化・演出した『椿説弓張月』が国立劇場で初演されたのは1969年11月、三島自決の1年前だった。
 当時、大学生だった私は歌舞伎にはあまり関心がなかったが、横尾忠則氏制作の『椿説弓張月』のポスターには大いに惹かれた。あの頃、三島由紀夫は世間の耳目を集めるマルチ・タレントだったが、横尾忠則氏はそれ以上に注目されるスーパースターだった。
 歌舞伎『椿説弓張月』がメディアに取り上げられるときも、このポスターが話題になることが多かったように思う。何かの雑誌の折り込み付録がこのポスターの複製だった。本物よりはサイズの小さい印刷物だったが、私はその付録ポスターを自室の壁に貼っていた。本物のポスターはニューヨークのメトロポリタン美術館にも保存されていると聞いたこともある。

 そして長い年月を経て、いまから10年ほど前、私は神田の古本屋で『椿説弓張月』ポスターを入手した。シルクスクリーンのB1サイズ(103×72.8cm)で、かなりの迫力がある。
 購入した後で気付いたのだが、このポスターは画集などに掲載されているものと配色が異なっている。黒と青が反転しているのだ。印刷ミスの稀覯版ではと、ネットで調べているうちに、横尾忠則氏のサイトに出会い、そこで質問したところ、横尾氏ご本人から「セカンド・バージョンです」との返事をいただいた。
 その後、歌舞伎座での再演時のオフセット印刷のポスター(こちらは色は反転していない)も入手し、わが家の玄関の壁には時計をはさんで2枚の『椿説弓張月』が仰々しく飾られている。

 そんなわけで私は、学生時代の日々も現在もほぼ毎日、視線の片隅に『椿説弓張月』のポスターを感じながら暮らしているのだ。
 ところが私は、馬琴の『椿説弓張月』は未読だし、歌舞伎の『椿説弓張月』も観ていなかった。ポスターを独立した作品として眺めているので、それで不都合はない。とは言うものの、やはり、三島由紀夫や馬琴への礼を失しているような気もしていた。

 私が五月花形歌舞伎『椿説弓張月』を観なければと考えたのは、そんな事情による。原作を未読の私は、『椿説弓張月』は「保元の乱に敗れて伊豆大島に流されて源為朝が、琉球へ渡って悪者退治の大活躍をする気宇壮大な物語」という程度の知識しかなかった。歌舞伎を観るにあたって、簡単な原作の口語訳を読み、三島由紀夫の台本『椿説弓張月』(「三島由紀夫全集第24巻」所収)も読んだ。歌舞伎は事前に台本を読んでおく方が楽しめると考えているからだ。

 歌舞伎『椿説弓張月』を観て「やはり歌舞伎は動く錦絵だなあ」という平凡ではあるが心地よい感興にひたる時間を過ごせた。また、歌舞伎は台本を読むだけでは楽しむことはできないという当然のことを再認識した。現代戯曲なら、戯曲そのものを文学作品として読み、自分なりの想像力で鑑賞できる。しかし、歌舞伎台本だけで舞台空間を感じるのは私には無理である。

 歌舞伎を観終えて、あらためて『椿説弓張月』初演時のことを考えてみた。三島事件の1年前、三島由紀夫はすでに自決を決意していたのだろうか。初演時の作者自身の解説には次のようなことが書かれている(「三島由紀夫全集第24巻」解題)。

  〔英雄為朝はつねに挫折し、つねに決戦の機を逸し、つねに死へ、「故忠への回帰」に心を誘はれる。彼がのぞんだ平家征伐の花々しい合戦の機会はつひに彼を訪れないのである。
   あらゆる戯曲が告白を内包してゐる、といふのは私の持論だが、作者自身のことを云へば、為朝のその挫折、その花々しい運命からの疎外、その「未完の英雄」のイメージは、そしてその清澄高邁な性格は、私の理想の姿であり、力を入れて書いた(略)〕

 1年後の自決を予感しているように読めなくもないが、自己演出過剰の人だったので、作家の本心はよくわからない。
 あの1969年頃は、世の中、何が起こってもおかしくないという予感と期待にあふれていた。世情は騒然としていて「沖縄奪還」も一つの大きな政治課題だった。沖縄はベトナム戦争の基地でもあった。

 歌舞伎『椿説弓張月』の下の巻は琉球王国が舞台である。これについて、三島由紀夫自身、次のように演出を解説している。

  〔近ごろ流行のツーリズムの悪弊である安つぽい「現地主義」を大胆に捨てて、すべて日本の歌舞伎衣装に、ただ琉球の染物を用ひて、あくまで無知蒙昧な歌舞伎芝居に徹したのである〕

 ここで言う「ツーリズム」が何を指して言っているのか、私には不明瞭だ。確かに、下の巻の舞台はエキゾチックな南島風の錦絵場面ではなく、むしろ平凡である。
 初演時の1969年は沖縄返還の3年前で、沖縄はパスポートがなければ行けない遠い所だった。そして、日米の間にある「奪還」すべき政治課題の地でもあった。あの頃、私たちは3年後に沖縄が返還されるとは考えていなかった。また、米国がベトナムから撤退を余儀なくされることになるとも考えていなかった。
 そんな情況が『椿説弓張月』の上演に影響しているとは考えにくいが、その気になれば沖縄にまつわるさまざまな課題を台本の裏に潜り込ませることは可能だったようにも思える。それをあえてしなかったと宣言しているのが上記の文章と見るのはうがちすぎだろうか。

 奇しくも本日(2012年5月15日)は沖縄の本土復帰40周年の日である。馬琴が源氏の末裔と琉球王国にまつわる伝奇ロマンを世に出して200年経った。
 横尾忠則氏の2枚のポスターは幻想的な青い海と不気味な黒い海を背景にしている。この2枚を並べて眺めると、沖縄にまつわる現実と伝奇が時空を越えてうねっているように見えてくる。

われわれ自身の中のニヒリズムにどうむきあうか2012年05月02日

『反・幸福論』(佐伯啓思/新潮新書/2012.1)、『資本主義はニヒリズムか』(佐伯啓思・三浦雅士/新書館/2009.10)
 『反・幸福論』(佐伯啓思/新潮新書/2012.1)
 『資本主義はニヒリズムか』(佐伯啓思・三浦雅士/新書館/2009.10)

 タイトルに惹かれて『反・幸福論』(佐伯啓思/新潮新書)を読んだ。「人はみな幸せになるべきなんて大ウソ」「日本の伝統精神のなかには、人の幸福などはかないものだ、という考えがありました」などのオビの惹句にも興味をそそられた。

 読み終えると、少し気分が鬱してきた。行き詰まった世界に生きているような暗い気分になる。その気分を再確認したいと思ったわけではないが、続いて『資本主義はニヒリズムか』(佐伯啓思・三浦雅士/新書館)も読んだ。数年前に購入し、冒頭部分を読んだだけでそのままになっていたので、この機会に読んでおこうと思ったのだ。

 『反・幸福論』は東日本大震災の体験をふまえて、「末世」にも似た現代社会におけるわれわれの精神状況を述べている。
 『資本主義はニヒリズムか』は、リーマンショックによって発生した金融危機を背景に出版された本だ。タイトルは疑問文だが、内容は「現代の金融資本主義はニヒリズムでしかありえない」と言い切っている。

 佐伯啓思氏は現代社会の根底にあるニヒリズムに深い関心をもつ研究者だ。自身が虚無主義者というわけではないだろうがニヒリズムへの言及が多い。以前に読んだ『現代文明論』では、「西欧近代の帰結である現代文明はニヒリズム状態に気付かない究極のニヒリズムに到達している」と指摘していた。

 今回読んだ二つの本もニヒリズム状態を論じた現代文明論だ。その指摘が間違っているとは思わないが、それをどうすべきかは見えない。

 『反・幸福論』を読み始める前、この本は現代の世相を批判して新たな生き方を提示している内容かなと思っていた。しかし、超然とした境地を説く痛快な人生訓・処世訓の書ではなかった。

 「人は幸福でなければならない」という強迫観念が不幸をもたらすという指摘やポジティブ・シンキング批判には共感できる。佐伯氏は、このような現代人の「不幸な」精神状況のよってきたるゆえんを、自由・平等・幸福追求などを至上とする西欧的近代化の必然の帰結と見なしている。それゆえに根が深く、克服が難しいのだという。この指摘が正しいか否か、私には早急には判断できないが、一定の説得力はある。

 現代のニヒリズム状態を克服する思想の萌芽として佐伯氏が提示している概念は「徳」「善」「死生観」「宮沢賢治の自然観」「法然の他力本願・悪人正機説」などである。至高な精神性の追究のようだが、私にはわからない。まだ、ついて行けない。

 『資本主義はニヒリズムか』は、佐伯啓思氏、三浦雅士氏の論文と二人の対談で構成されている。経済学者と文芸評論家という組み合わせを意外に感じたが、二人とも「思想界」の論客なので話はかみあっている。特に「資本主義はニヒリズムか」というタイトルの対談が面白かった。
 
 この対談で、三浦氏から「司馬遼太郎については…」と尋ねられた佐伯氏が司馬遼太郎史観を批判した指摘は興味深かった。明治の日露戦争まではよかったが、その後の昭和の軍部が間違えたという司馬史観を否定しているのだ。昭和を擁護するのかなと思ったら、そもそもの明治のスタート(特に大久保利通)から間違えたのだという説だった。傾聴に値する。

 また、1980年代に経済学のパラダイム・チェンジがあったという話も興味深かった。いまごろにになって「そうだったのか」と納得した。
 私は経済学の門外漢で、社会人になって「経済学を勉強しておかなければ…」という強迫観念でいくつか本を読んだ。1970年代の終わりで、サムエルソン、ガルブレイスなどが花形だった。佐伯氏によれば、1970年代には「シカゴ学派」「ケインズ主義経済学」「新古典派経済学」「ラディカル・エコノミクス」「制度学派」「ケンブリッジ学派」などが並立していた。まさに、私が経済学の「お勉強」をしていた頃の懐かしき経済学群だ。
 ところが、1980年前後には市場競争万能のシカゴ学派だけが残ったそうだ。いちばん科学的に見えたのが勝因だという。世の中の状況を眺めれば、確かに市場競争万能のようには見える。だが、うかつにも、経済学者にきちんと指摘されるまでは、経済学の世界がそんなに乱暴なことになっているとは知らなかった。
 いま、大学生はどのような経済学の教科書を使っているのだろうか。版を重ねていたサムエルソンの『経済学』はもう古くなっているのだろうか。

 佐伯啓思氏は私と同じ団塊世代だが、同世代意識を振りまわすような軽薄な人ではない。頭脳は明晰で、該博な知識をベースに自分自身の思想を紡いでいる人だと思う。
 私はその思想に必ずしも共感しているわけではないが、『反・幸福論』の「あとがき」を読んでニヤリとさせられた。あがた森魚の「赤色エレジー」について語っているのだ。
 「赤色エレジー」は林静一のマンガで、その世界を歌にしたのがあがた森魚だった。かすれ声で「幸子の幸はどこにある」という印象的なフレーズを嫋々と歌いあげる下駄ばきジーンズ姿は印象的だった。そんな歌を取り上げるところに、どうしようもない同世代を感じてしまう。当時から、陰々滅々とした暗さで話題だったあの歌を、佐伯教授は学生とのカラオケで披露したそうだ。そして、あまりの受けの悪さに、二度と歌うことをやめたそうだ。

 この「あとがき」を読みながら、吉本隆明が引用していた太宰治の『右大臣実朝』の次の一節が頭に浮かんだ。

 アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。

ジャガイモ植えながら、世のいいかげんさを考えた2012年04月25日

ジャガイモを植えた畑
 八ヶ岳山麓の小さな山小屋に行って、庭の畑にジャガイモを植えた。
 2年前からたわむれに野菜作りの真似ごとをしている。山小屋へは一カ月に一回行くか行かないかなので、ロクな世話はできない。ダメモトの畑だが、昨年までにインゲン、キュウリ、ゴーヤ、ホウレンソウなどが収穫できた。
 野菜作りのきっかけは、現地の友人からインゲンの種をもらったことだった。その後、野菜作りの入門書を購入し、それに従って一応の肥料なども与えている。

 元来、私は畑仕事にはまったく興味がなかったし、農作業が好きなわけでもない。しかし、ズルズルと続けている。
 だれかに強制されたわけではなく、野菜が食べたかったわけでもなく、野菜作り興味もなかったのに、なんとなく始めてみると、つい続けてしまう。確かに、収穫できれば楽しい。それが多少のインセンティブにはなっているのだろうが、収穫できなくても仕方ないという気分もある。
 われながら、いいかげんな態度だと思う。イヤイヤやっているのではないが、好きでやっているのでもなく、何となくやっている。人間とは自分自身にとっても謎だなとも思う。

 それはともかく、今年はじめてジャガイモを植えたのは、多くの野菜が連作ができなくて(本にそう書いてある)、植えるものがなかったからだ。

 野菜作りの入門書は2冊購入した。何でも入門書は2冊以上読んだ方がいい。1冊だけだと、その内容を盲目的に信ずるしかない。2冊読むと、ひとつの野菜の栽培方法についても、同じ記述もあれば多少違った記述もあり、考え方が相対化され、少し視界が広がる。
 記述の違う部分については、より詳しい専門書などで原理に遡って理解を深めれば、記述の違いの根拠もわかり、頭がすっきりするかもしれない。しかし、いまのところ、そこまで勉強する余裕はない。
 野菜作りの入門書の記述の違いを発見することによって私が会得するのは「ここらへんはいいかげんでもかまわないのだろうな」という自分勝手な解釈と判断である。

 ジャガイモを栽培するには、ホームセンターで種イモを買ってくる。私は「男爵」と「メイクイーン」を少量ずつ購入した。
 この種イモを包丁で切って畑に植えるのだが、タネ芋の植え方の説明が二つの入門書で次のように異なっていた。

 (A) 種イモを、一片が20~30gになるように切り分けます。(略)切り口を3~4日ほど乾かしてから、畑に植え付けます。

 (B) 一片が50g以上の大きさで、2~3芽つくように必ず縦に切り分ける。そのまま植えても大丈夫だが、切り口から腐敗しない安全を期すために、草木灰をまぶす。

 一片が「20~30g」と「50g以上」ではどちらを取るか迷うが、そもそも切ったジャガイモの重さ確認する計りが手元にない。すべての種イモを半分に切って、それでよしとした。

 切ってすぐ植えるのか、3~4日乾かすかは大きな違いだ。私がこの記述を読んだのは、山小屋へ出発する前日の夜だった。種イモをそのまま持って行く準備をしていたのだが、あわてて種イモを二つに切り、それを持って行くことにした。
 それにしても、3~4日も乾かす時間的余裕はない。幸い、山小屋には薪ストーブがあり、その中には灰が残っている。で、1日だけ乾かした切り口にその灰をまぶして植えることにした。
 2冊の本の折衷策を採ったわけだ。どちらかの方法を選択するのではなく、方法を折衷するという中途半端な態度は、最悪の結果を招く可能もあるだろう。今回の件は、切り口の腐敗防止策のようなので大丈夫だとは思うが。

 そんなこんなで、入門書を読みながら野菜を作っていると、中途半端な知識と中途半端な実践が生み出すさまざまな成果を体験でき、世の中の事象の厳しさといいかげんさを知ることもできる。簡単に言えば、許容度と複雑さの習得とも言える。
 それが、私がズルズル細々と農作業を続けている理由かもしれない。

『ふしぎなキリスト教』の影響で吉本隆明「マチウ書試論」を読み返した2012年04月22日

 『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎×大澤真幸)を読了すると、遠い昔に読んだ吉本隆明の「マチウ書試論」を読み返してみたくなった。

 吉本隆明が87歳で亡くなってから1カ月が過ぎ、雑誌では吉本隆明追悼記事が目立ち、テレビでも追悼番組が流れたりする。そんなことも、吉本隆明を読み返したくなった背景にある。

 団塊世代の一人だった私は、御多分に漏れず吉本隆明に惹かれた時期があり、それなりの影響を受けていると思う。しかし、吉本隆明を理解したという気はしていない。

 本棚に並んでいる吉本隆明の著作を数えてみると48冊あった。読了したのは半分もないだろう。手垢に汚れた本もあるが、大半は拾い読みした本だ。

 この48冊の中で最初に購入したのが『藝術的抵抗と挫折』であり、この本の冒頭の「マチウ書試論」が、私が初めて読んだ吉本隆明の文章である。

 「マチウ書試論」を読んだのは1968年の秋、私は19歳の大学生で、世の中は騒然としていた。そのころ、すでに吉本隆明の勇名は学生たちのあいだに轟いていた。『共同幻想論』はまだ出版されていなかったが、吉本隆明はスゴイという話はあちこちから耳に入ってきた。
 今から思えば滑稽なほどに思いつめて右往左往していた私は、吉本隆明という人が何を言っているのかを知らなければならないと思った。そんな強迫観念から古本屋で購入したのが『藝術的抵抗と挫折』だった。

 著者が吉本隆明という理由だけで購入した本の巻頭の評論が「マチウ書試論」だった。政治評論・文芸評論の本だとの認識はあったが、何が書かれているかの予備知識はなかった。
 本文を読み始める前に読んだ「あとがき」に「『マチウ書』というのは、いわゆる『マタイ伝』のことであり、わたしはここで勝手に『マチウ書』とかえてしまった」とあったので、聖書がテーマだとはわかった。勝手に名前を変えてしまった理由はわからなかったが、そのことだけでも、わけのわからないスゴイことをする人だなと感じた。

 そして、とにかく頭から、初めて手にした吉本隆明の本を読み始めた。読み進めながら、かなり面食らった。なぜ、原始キリスト教という浮世離れしたテーマなのだろうとの違和感があった。しかし、展開される内容には、妙になまなましい迫力があった。キリスト教やユダヤ教に関する知識が乏しい私には難解で、書いてあることの大半は理解できなかったが、聖書の「作者」を論じているところに驚きを感じた。

 曲がりなりにも読了したのは、理解できようが理解できなからろうが、これを読了しなければ世界をとらえることはできず、おれはバカになってしまうという奇妙な強迫観念によるものだった。読了して「これが吉本隆明なのか」という畏怖と感慨を抱いた。

 その後、かなりの吉本隆明の文章を読むことになるが、最初に読んだ「マチウ書試論」は強烈なパンチだった。初めて出会った吉本隆明の文書が、同時代の情況論や威勢のいい論争文ではなく、カッコいい詩でもなく、わけがわからない「マチウ書試論」だったことは、私にとっての「刷りこみ」になったようだ。懐が深く物事の本質を見通す怖い人だと感じてしまったのだ。

 とにかく、「マチウ書試論」については「内容はよく理解できなかったがスゴイ評論だった」という印象だけが残り、長い年月が過ぎ去った。

 そして、吉本隆明逝去から約1カ月が過ぎて「マチウ書試論」を読み返してみたくなったのだ。読み返すにあたって、事前に「マタイ福音書」(中央公論の「世界の名著」収録の前田護郎訳)に目を通した。

 読み返した「マチウ書試論」は面白かった。相変わらず理解できない部分は多いが、昔読んだときよりは多少はわかったような気がした。原始キリスト教の成立を考察したこの評論は、ある社会情況のなかで「思想家」の手によっていかに「思想」が創られたかを論じている。ユダヤ教に対する憎悪から倫理神を生み出した「マチウ書」の作者を史上屈指の思想家と見なす視点が面白い。

 1968年に初読して以来の再読だと思っていたが、読み返していくなかで、その後も再読している痕跡を発見した。情けないことに再読しても理解できず、再読の記憶は失われていたようだ。

 「マチウ書試論」の最終部分で「関係の絶対性」という言葉が登場する。今回の再読でこの懐かしい言葉に出会うまで、それも失念していた。昔、「関係の絶対性」という言葉を呪文のようにくり返す友人がいた。

 「関係の絶対性」は吉本隆明ワールドのキーワードのひとつだ。しかし、理解しやすい言葉ではない。「マチウ書試論」では次のように語られている。

 「秩序にたいする反逆、それへの加担というものを、倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という視点を導入することによってのみ可能である」(注:「関係」という単語に傍点あり)

 わかったようなわからないような言説だ。「マチウ書試論」のサブタイトルが「反逆の倫理」となっている所以はここにあるのだろう。

 今回の再読で、今ごろになって「マチウ」は「マタイ」のフランス語読みだと知った。吉本隆明がフランス語版の聖書をテキストにしたために「マチウ」に変えたようだ。
 この評論のタイトルが「マタイ福音書試論」あるいは「マタイ伝試論」だったならば、いかにも宗教論めいていて、謎めいた暗さがなくなってしまう。「マチウ書試論」というタイトルには、詩人の才がある。さすがだ。

 さて、久々に吉本隆明を読み返してみて、あらためて、吉本隆明とは何者だったのだろうかという思いがわいてきた。
 もとより、いまさら吉本隆明の全貌をつかもうという意欲も気力もない。ただ、気になる存在ではある。

 いずれ、図書館に行って、新聞や雑誌に掲載された夥しい追悼記事に目を通して、だれがどのように評価・総括しているかを眺めてみたい。そのうえで、自分なりに、吉本隆明のどのあたりの著作を検討すべきかを考えてみたい。
 それが、衰えはじめているであろう脳への刺激になればと思う。

2冊の新書本で「キリスト教の手のひら」を感じた2012年04月15日

『世界の陰謀論を読み解く:ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ』(辻隆太郎/講談社現代新書)、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎×大澤真幸/講談社現代新書)
 エンターテインメントとしての陰謀論は面白い。この世の出来事の背後には、実は、われわれの知らない秘密結社の壮大な陰謀があり、その暗躍によって歴史が動いている。そう考えると、ワクワクする世界が浮かび上がってくる。「実は…」というドンデン返しが繰り返されるミステリ的な醍醐味も味わえる。ただし、妄想があまりにとりとめなくふくらみ過ぎると白けてくる。
 虚実の境が朦朧としているエンタメ陰謀論にはどの程度の信ぴょう性があるのだろかという興味から、次の新書本が目に止まった。

 『世界の陰謀論を読み解く:ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ』(辻隆太郎/講談社現代新書)

 面白い本だった。しばしば陰謀の担い手とされる「ユダヤ」「フリーメーソン」「イルミナティ」に関する要領のいい解説書という面もあり、有用だった。ユダヤはともかく、フリーメーソンやイルミナティに関する知識がほとんどない私にとっては有り難い本だ。

 本書は単なる解説書ではなく、陰謀論批判の啓蒙書でもある。著者は陰謀論を「何でもかんでも『陰謀』で説明しようとする荒唐無稽で妄想狂的(パラノイアック)な主張」と規定している。そのような「トンデモ主張」への批判が本書のメインテーマだ。私は著者の主張に共感できた。

 本書の真髄は、批判対象の「トンデモ主張」にキリスト教が大きな影を落としているという指摘にある。これは、私にとってはやや意外な展開だった。著者は次のように述べている。

 「キリスト教と陰謀論が結びつかなければならない必然性はまったくないのだが、事実としてキリスト教信仰は陰謀論の言説に大きな影響を与えてきた」

 現代社会に蔓延する「悪しきこと」の多くは、近代化という歴史の流れが引き起こした弊害とみなすべきである。だが、陰謀論者たちは、その「悪しきこと」をユダヤやフリーメーソンあるいはイルミナティが企てた陰謀の結果だと主張する。そのような主張を受け入れる人びとの多くは、古き良き秩序を重んじるキリスト教徒(主に福音派)だと著者は指摘している。

 そもそもユダヤ、フリーメーソン、イルミナティなどはキリスト教と無関係な存在ではなく、それぞれにキリスト教と絡み合っている。だから、世界の陰謀論とキリスト教は複雑に結びついていることになる。
 基本的にはキリスト教とは無縁に生きてきた大多数の日本人にとっては、容易には把握しがたい世界だ。

 宗教学の若い研究者である著者は、自身の関心領域について、本書の「あとがき」で次のように述べている。

 「僕のもともとの関心は宗教と社会の軋轢、あるいは宗教的暴力や宗教的熱狂に関するものだ。簡単に言えば、宗教の負の側面を明るみに出すことに興味があった。」

 ユニークでわかりやすい問題意識だ。著者は、陰謀論の発生をキリスト教の負の側面としてとらえているのだ。

 陰謀論への俗な興味から本書を手に取ったのだが、読了すると、キリスト教についてもう少し知りたくなった。そして、本屋に平積みになっている次の本を続けて読んだ。

『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎×大澤真幸/講談社現代新書)

 2012年新書大賞のベストセラーである。評判通りに面白くて刺激的な内容だった。著名な二人の社会学者の対談で、高等講談(含む・漫談)を聞いているような楽しさを満喫した。『世界の陰謀論を読み解く』より面白いのは、著者の貫録の違いもあり、いたしかたない。

 私はキリスト教に「不寛容な一神教」というイメージをもっている。塩野七生氏の『ローマ人の物語』を読んだ影響も大きい。しかし、本書によれば、キリスト教は単純な一神教ではなく、ユダヤ教にイエス・キリストを付加し、無理を重ねて作り上げた奇妙な一神教のようだ。
 その奇妙な一神教が西欧文明社会を作るバックボーンになっていることの解明がスリリングで面白い。

 特に、一神教と科学の関係の説明に蒙を啓かれた。自然科学がキリスト教の副産物であるという指摘には驚いた。
 この世界(宇宙)は神が創ったものであり、神の計画を明らかにしようと、自然の解明に取り組んだ結果として科学が生まれたのだそうだ。そう考えてみると、科学と宗教について私が漠然と抱いていた疑問(優秀な物理学者がカソリックの神父である不思議など)が氷解してくる。

 ことは自然科学だけではない。西洋における哲学の発展もキリスト教がもらしたものであり、宗教を完全に否定しているように見えるマルクス主義さえもが、キリスト教が生み出したものだというのだ。驚嘆すべき指摘だ。二人の対談を読んでいると、この指摘に納得させられてしまうのが、本書のふしぎである。

 マルクス主義の誕生にはキリスト教の「陰謀」がある…などと主張するとトンデモ陰謀論になってしまう。もちろん、本書はそれを「陰謀」と指摘しているわけではないが、それにかなり近い危うい面白さを感じてしまう。

 孫悟空はいくら飛び回っても釈迦の手のひらから外に出ることができなかた。本書を読むと、釈迦の手のひらではなく「キリスト教の手のひら」を感じる。われわれの現代文明は、宗教の軛を脱しているように見えながら、実はキリスト教の手のひらの上に花開いているだけなのだろうか。そう考えると、この世は壮大な陰謀の上に成り立っているようにも見えてくる。

 世界が陰謀に満ちていると考えるのは、もちろん不合理な誇大妄想である。しかし、さまざまな妄想の羽根を広く緻密に展開してみるのは、ある種の思考訓練になりそうな気がする。大きな物語と身近な世界とを自由に往来できれば頭の体操になりそうだ。

 2冊の本を読んで、そんな妄想を抱いた。

三木卓、津村節子の連れ合い回顧談で「私小説とは…」を考える2012年04月11日

『紅梅』(津村節子/文藝春秋)、『K』(三木卓/「群像」2002年2月号)
ベテラン作家の私小説風の長編を二つ続けて読んだ。

『K』(三木卓/「群像」2012年2月号)
『紅梅』(津村節子/文藝春秋)

 前者は亡くなった妻の、後者は亡くなった夫の回想と看病の話だ。
 1カ月ほど前の朝日新聞の文芸時評で斉藤美奈子が『K』を取り上げて、「困ったなあ、グッと来ちゃったぜ」と書いていた。その時評の中で『紅梅』との連想にも言及していた。斉藤美奈子の文章は面白いので、つい『K』読んでみる気になった。「群像」は図書館で借りた。

 三木卓の小説を読むのは初めてだと思う。津村節子も高校生の頃に芥川賞候補作・受賞作を読んで以来だ。つまり、二人とも私にとっては馴染みの作家ではない。関心領域外の作家とも言える。

 しかし、2作品とも読みやすく、興味深く読了できた。この数年、私にとって初めての比較的若い現代作家(吉田修一、冲方丁、万城目学、伊坂幸太郎、佐藤友哉、角田光代、室積 光など)の小説を読むたびに、「何か違うな」という違和感があった。しかし、この2作品にそのような違和感を抱くことはなかった。
 自分より若い作家の小説に共感できず、年配作家の私小説を面白く感じるのは、まぎれもなく老化だと思う。元来、私は私小説などを好むタチではなかった筈なのだ…。

 三木卓の妻「K」は福井桂子という詩人だったそうだ、津村節子の夫は、記録文学の吉村昭氏だ。斉藤美奈子が指摘しているように『K』と『紅梅』は、物書き同士の結婚と死別の記録という共通点がある。

 この二作品を比べると『K』の方が面白い。Kこと福井桂子という人があまりにユニークだからだ。三木卓はKとの出会いから死別までの47年間を描いたこの小説の冒頭で「たしかに夫婦でありいっしょに暮したのだが、つまるところ、ぼくには、この人がよくわからなかった」と書いている。これは恐ろしくも面白い含蓄のある感慨だ。わからないことを提示するのは小説の機能である。
 長編『K』は、この冒頭の感慨を敷衍する物語であり、悲しい死別後にも残った「??」という気分に、人生というつかの間のうたかたを感じる。

 吉村昭氏が死の床にあって、自ら点滴やカテーテルをひきむしって死んだという壮絶な話は聞いていた。だから、その様子を書いたであろう『紅梅』には関心があり、『K』を読んだのきっかけに『紅梅』も読んだ。

 まず、びっくりしたのは吉村昭氏が舌癌だったということだ。私と同病だ。私は2003年に舌癌に罹り、放射線照射の後、舌の腫瘍切除と腹直筋による舌再建の手術を受けた。その後、癌は再発していないが舌の可動域は狭くなり、かなり不自由だ。
 吉村昭氏は腫瘍切除という選択肢は採らず、放射線源を患部に挿入する小線源療法を採った。小線源療法は最新の効果的な療法で、私の場合もその選択肢はあったが、私は切除を選んだ。

 同じ舌癌患者ということで『紅梅』を一気に読んだが、妻から見た私事・些事の垂れ流しのような印象が残る小説だった。実名を使わず、オブラートに包んだような説明文で固有名詞を暗示する表現法にも違和感を覚えた。「回想・吉村昭」といった割り切った書き方にした方が読みやすいと思う。私小説作家・津村節子には、吉村昭的な記録文学手法には抵抗があるのかもしれないが。

 私小説特有の挟雑物がやや目ざわりだったが、末尾の「情の薄い妻に絶望して死んだのである。育子はこの責めを、死ぬまで背負っていゆくのだ」という記述には「小説」を感じた。私小説の味わいというべきか。

 斉藤美奈子は『K』を「私小説ではなく他小説と呼びたくなる」と述べている。
 「私小説」「他小説」「記録文学」それぞれに接点はあり、似ている部分もありながら、かなり違いもありそうだ。この三つに対応する津村節子、三木卓、吉村昭が、それぞれに違うように。
 そして、どんな方法でも「わからない」を「わかった」に転換するのではなく、「わからなさ」を掘り下げるだけのように思える。