ヘンテコな小説が新たにヘンテコな映画に……『美しい星』2017年08月11日

『美しい星』映画のチラシと単行本
 今年5月に封切られた映画『美しい星』(監督・吉田大八)をキネカ大森で観た。封切り時に観ようと思いつつ時間が経ち、東京ではこの小さな映画館で夜だけの上演になっていた。上演状況を見ると興行的にはイマイチなのかもしれない。

 私が三島由紀夫の『美しい星』(新潮社)を読んだのは半世紀前の高校生の頃だ。SF少年だった私は、『金閣寺』に圧倒されてもいたので、純文学のスター作家のSFということで身構えて読んだ。読み始めてすぐ、これは通常のSFではなく思弁小説だと了解した。ヘンテコなものを読んだという読了時の印象だけが残り、月日の経過とともに内容の大半は失念した。

 今回、映画を観るのに先立って小説を半世紀ぶりに再読した。その読後感は10代の時とさほど変わらないと思う(記憶が霞んでいるので確言できない)。

 文体は格調高くて思わせぶりだが、登場人物の多くはどこか卑小で、カラマーゾフの大審問官を彷彿させる大議論のシーンもパロディに見えてくる。フルシチョフ、ケネディ、池田勇人など当時の政治家の固有名詞が出てくるアップ・ツー・デートな小説でもある。作者はややコミカルで軽薄とも思われる線を狙っていたようにも思える。

 この小説には三島由紀夫という固有名詞も登場する。白鳥座61番星という「不吉な」星を故郷とする悪役一行が歌舞伎座の十一代團十郎襲名披露興行の「暫」や「勧進帳」を観劇する。続いて上演される三島由紀夫の新作については「こんな小説書きの新作物なんか見るに及ばない」と言って席を立って銀ブラをするのだ。作家が楽しんで書いている。

 そんな具合に肩を抜いた通俗に見せながら、作家の抱いている暗い哲学を潜り込ませているようなので、やっかいでヘンテコな小説なのだ。

 映画を観るために小説を再読し、あらためてこの小説の映画化は容易でないと感じた。そして、どんな映画になっているのか興味が高まった。

 映画は時代設定を現代に移行させ、原作では大学教授風の高等遊民だった主人公をテレビの気象予報士に変えている。だから、冒頭からの展開は原作からはかけ離れていて、三島由紀夫の世界とは別の物語を観ている気分になった。

 映画の展開はどんどんヘンテコになっていくが、それは小説から受けたヘンテコさとは異質に思えた。脈絡をつかみにくい、わけのわからないヘンテコさなのだ。にもかかわらず、映画が進行するに従って映画の世界が三島由紀夫世界に次第に近づいていくように感じられた。

 映画はコミカルでシュールでわかりにくい箇所もある。観終えて、この映画は1962年を舞台にした原作のヘンテコさを2017年を舞台に再現したものだと思え、小説と映画は通底していると感じられた。小説もコミカルでシュールだったと気づいたのだ。

 「ヘンテコ」とは、にわかには面白いかつまらないかの判断ができず、解釈が難しく評価困難ということであり、咀嚼に時間がかかるということでもある。軽薄さと重厚さ、フィジカルとメタフィジカルをほぼ同じ比重で表現するからこんな作品になる。わかりやすさを目指していないので読み解くのは大変だ。

 三島由紀夫は『美しい星』執筆後、ドナルド・キーン宛ての手紙で「これは実にへんてこりんな小説なのです。しかしこの十ヶ月、実にたのしんで書きました」と述べているそうだ。この映画の監督・吉田大八も「実にへんてこりんな映画を作りました」とだれかに語っているのかもしれない。

十数年前に買った『青春の終焉』をついに読了2017年08月08日

『青春の終焉』(三浦雅士/講談社)、朝日新聞夕刊(2017年7月26日)
◎新聞記事がきっかけで…

 十数年前に購入して書架の片隅で眠っていた『青春の終焉』(三浦雅士/講談社)を読んだ。

 きっかけは先月(2017年7月26日)の朝日新聞夕刊に載っていた「時代のしるし」という記事だ。三浦雅士氏が2001年刊行の『青春の終焉』について語ったインタビュー記事で、『「若さ」を軸に解いた社会と文学』という見出しがついている。

 この記事を読み、未読で気がかりのまま十数年が経過していたた本書に取り組む気になった。読み始めてみると、想定したほどに固い内容ではなく、比較的短時間で面白く読了できた。

◎サブタイトルは「1960年代試論」

 本書には「1960年代試論」というサブタイトルが付されている。しかし、表紙や扉にサブタイトルの表記はなく、目次の前のページに表記されているだけだ。冒頭の「はしがき --- 1960年代か?」で、サブタイトルへの言及がある。要は、本書の背景には「1960年代試論」という必然的目論見があるが、本書全体は1960年代論ではない、そういうことのようだ。

 1948年生まれの私にとって、学生として生きた1960年代の記憶は鮮明で、思い入れのある時代だ。著者の三浦雅士氏は私より2歳上の1946年生まれ、若くして異能の編集者と呼ばれ、30代に『私という現象』でデビューした評論家である。30年以上前に『私という現象』を読んで感心した記憶があり、ほぼ同世代の三浦雅士氏が1960年代を語るなら面白くなりそうだと期待して読み始めた。

◎「当たり前」を否定する奇説

 どんな人にも青春はあり、齢を重ねれば終わる --- それはいつの時代にも繰り返されてきた当たり前のことに思える。その「当たり前」を否定し、「青春」とは18世紀に発生し1960年代に終焉した特殊な現象だとするのが本書の主張である。驚くべき奇説だ。読む前からそんな主旨の本だとは了解してたが、どんな論理展開で読者を説得するのか興味があった。

 本書は全15章に「はしがき」と「あとがき」がついて484ページの長編評論である。やや厚い本ではあるが、冒頭の「はしがき」と最初の章「青春の終焉」を読めば主張のあらましは把握できる。後の章は材料を変えた変奏曲で、繰り返し感がある。しかし、退屈はしない。多様な作家や思想家の作品を援用しながら手を変え品を変えの知的力業には感心する。名人芸を観ているようだ。

 「青春という現象」とはブルジョア階級の勃興によって18世紀ヨーロッパに発生した。それは「青春という病」とも言えるもので、伝染病のようにロシア、日本、中国に伝播し、19世紀から20世紀の思想・文学を席巻し、1960年代に終焉した.。そんな主張を裏付けるために動員された小説・評論家の数はおびただしい。

 本書に登場する主な作家・評論家・思想家の一部を羅列すると、小林秀雄、三島由紀夫、中村光夫、大岡昇平、江藤淳、平野謙、夏目漱石、柳田国男、本多秋五、ドストエフスキイ、バフチン、太宰治、吉本隆明、花田清輝、山崎正和、小田切秀雄、色川大吉、吉田健一、丸谷才一、石川淳、坪内逍遥、滝沢馬琴、大田南畝、吉川英治、唐木順三、和辻哲郎、ニーチェ、ヘーゲル、マルクス、サルトル、フーコー、レヴィストロース、川端康成、石原慎太郎、村上龍、村上春樹、ルカーチ、ベルジャーエフ、大江健三郎、廣松渉、谷川俊太郎、ベンヤミン、手塚治虫などなどで、言及されている固有名詞はこれに倍する。

 もちろん私は本書で言及されている作品の大半を読んでいないし、人生の残りも少ないのでそれらに手を伸ばすことはないだろう。

◎文学史+思想史+出版業史

 『青春の終焉』におびただしい固有名詞が登場するのは、著者が編集者的手腕で18世紀以降の文学史・思想史の一種の整理・総括を試みているからである。それが文学史・思想史にとどまらず出版業史にもなっているところが興味深い。『朝日ジャーナル』の変遷、講談社と岩波書店の役割分担、かつて流行した文学全集各巻への作家の割り当ての変遷、文学全集の編集に誰が関わっていたかなど、面白い視点だ。

◎馬琴に一章

 また、本書で少々異様に感じたのは滝沢馬琴が大きく取り上げられていることだ。分量としてはドストエフスキイと同格だ。

 作者は「馬琴の影」という一章を費やして『南総里見八犬伝』が青春の書である論証を試みている。そして、江戸と明治の文学に断絶を観るのではなく連続を観るべきだと主張している。私は、政治や文化に関しては同様のことを感じていながら、近代文学は明治に始まったと思い込んでいたので、蒙を啓かれた気がした。

◎私の青春が終わっているのは確かだが…

 本書を読了して、18世紀に発生した「青春」が1960年代の終わったという著者の主張を十分に理解・納得できたわけではなく、強引な展開に思えるところもあった。

 しかし、現代の状況をあらためて把握できた気分にもなった。1948年生まれの私は、私たちが若い頃(1960年代だ!)に熱中したアレヤコレヤ(本、etc)に21世紀の若い人たちが無関心なことに軽い苛立ちを覚えていた。それは、古代から現代に至るいつの時代にも繰り返されてきた「いまの若者は…」という嘆き、ありふれた世代間確執に思えていた。だが、本書の主張が正しければ、そんなに普遍的なものではなく、1960年代に青春とその終焉を体験した私たち世代だけが感じる大きな段差ということになる。本当だろうか。自分だけが特殊だと思い込むのはまさに「青春という病」の症例だと思われるが…。

『関ヶ原』(司馬遼太郎)と『影武者徳川家康』(隆慶一郎)をセット読み2017年07月30日

『関ヶ原(上)(中)(下)』(司馬遼太郎/新潮文庫)、『影武者徳川家康(上)(中)(下)』(隆慶一郎/新潮文庫)
◎猛暑日には司馬遼太郎?

 猛暑日が続くとグッタリして読書意欲も減退する。そんな中で手が伸びたのが司馬遼太郎の『関ヶ原(上)(中)(下)』(新潮文庫)だった……そんな動機は司馬遼太郎に失礼だろうか。だが、その語り口には猛暑に喘ぐ読者をも引き込んでいく独特の飄々とした力がある。今回、『関ヶ原』を読んで、あらためてそう感じた。

 『関ヶ原』全3巻はかなり以前に古書で入手し書架に積んでいた。その隣には『影武者徳川家康(上)(中)(下)』(隆慶一郎/新潮文庫)も積んでいる。この二つはいずれセットで読むつもりで並べていたのだ。

 隆慶一郎が面白いと友人から薦められたのは20年以上昔で、気がかりな作家だったがアッという間に年月は流れた。彼の代表作とおぼしき『影武者徳川家康』を古書で入手したのが1年近く前。タイトルからおよその内容は推測できるが、家康に関してさほどの知識もないので、小説を楽しむには事前に司馬遼太郎の『関ヶ原』あたりを読んでおくのがいいと考え、同じ時期に『関ヶ原』も購入した。

 そんな事情で書架に積んでいた『関ヶ原』に手が伸びたのは猛暑に加えて、来月末に映画が公開されると知ったのもきっかけだった。

 『関ヶ原』は雑事をこなしつつも1日1冊の快調なペースで読了した。続いて取り組んだ『影武者徳川家康』は予想した以上に歯ごたえのある面白い小説で、多少の時間を要した。

◎暗い政治手法は徳川家の家風?

 『関ヶ原』は石田三成に焦点を当てた歴史小説で、徳川家康は悪役に近い。家康は老獪な権謀術数のタヌキ、三成は横柄で器量はないが魅力的な人物に描かれている。司馬遼太郎の歴史小説は人物論エッセイに近く、そこが面白い。

 この小説は「石田三成+謀臣・島左近」vs「徳川家康+謀臣・本多正信」という構図になっていて、冒頭近くで徳川側について以下のように述べられている。

 「密偵、暗殺などの暗い政治手段は、徳川家の家風にしみついた固有のしみというべきもので、この悪癖は幕末までなおらなかった。
 家康の性格といっていい。
 あるいは、家康をたすけ、家康の気質をのみこんで謀(はかりごと)をたてている参謀筆頭の本多正信のこのみでもあったろう。」

 なかなか手厳しい見解であり、司馬遼太郎は家康が好きでなかったと思われる。そんな家康が元・豊臣家臣たちを取り込んで周到に「東軍」を形成していくのに対し、三成側の「西軍」は内部に不協和があり、これでは「西軍」が勝てるわけはないと思えてくる。

 短時間で終了した決戦では「西軍」に勝機があったものの、作者が魯鈍と見なす小早川秀秋の寝返りで「東軍」が征する。戦さとは実際にやってみなければ結果がわからないものだ。

 本書の最終章は、それまではあまり登場しなかった黒田如水に関する記述で幕を閉じる。如水は『関ヶ原』を機に密かに天下取りを狙っていたという踏み込んだ話になっている。やや意外な面白い終幕だと思った。

◎『影武者徳川家康』は緻密で大胆な深い小説

 『影武者徳川家康』では、司馬遼太郎の『関ヶ原』で活躍した島左近や本多正信が中心人物として活躍する。それだけで、セット読みは正解であったとひそやかに満足した。

 『影武者徳川家康』の冒頭は関ヶ原である。そこで家康は暗殺され、影武者が家康に入れ替わる。その影武者が関ヶ原以後の16年間を家康として采配をふるい、生を全うするまでの物語である。そんな大胆な設定ではあるが、荒唐無稽な面白小説ではなく律義に史料をふまえた歴史小説になっているのに驚いた。

 家康入れ替わり説は以前からあったそうだが、隆慶一郎はそれを緻密に検証し己の推理を交えて一篇の歴史小説に仕上げている。文庫本の解説(縄田一男)によれば、作者は小説執筆前に歴史学者・小和田哲也氏から「影武者説に関しては正しいと断言することはできないが、また違うと断じる確たる証拠もない。あなたがそういう作品を書くことは、今日の歴史学にとっても大いに刺激になるだろう」という見解を得ていたそうだ。

 そんな「史実らしさ」に加えて網野義彦の史学が大いに取り込まれていて、小説の中に「公界」「無縁」「アジール」などという言葉が出てくるのにも驚いた。家康に入れ替わった影武者の出自は「無縁」であり、家康に入れ替わってからは「公界」の実現を目指していたとう話になっている。司馬遼太郎の指摘する「徳川家の暗い政治手法」を体現するのは2代将軍秀忠家であり、それに対抗するのが影武者家康である。読みようによってはかなり深い物語だ。

◎誰も加齢には勝てない

 『関ヶ原』と『影武者徳川家康』を読了してあらためて認識したのは、秀吉や家康のように野望を達成したように見える人間も、結局のところ加齢に勝つことはできなかったという事実だ。彼らの若い敵方から見れば、どうにも勝てない相手に対しては時間が最終的解決手段になる。いつの時代にも通用する厳然たる現実である。それが69歳を目前にした私の感慨でもある。

『サピエンス全史』を読んで小松左京の『未来の思想』を想起2017年07月10日

『サピエンス全史:文明の構造と人類の幸福(上)(下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田裕之訳/河出書房新社)
 ベストセラーと喧伝されている『サピエンス全史:文明の構造と人類の幸福(上)(下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田裕之訳/河出書房新社)を読んだ。評判通りの面白い本だった。

 『サピエンス全史』という邦訳タイトルから人類史の概説書と思ったが、科学エッセイ風でとても読みやすい。冒頭に近い「不面目な秘密」という項では、かつてはホモ・サピエンスと時代を共にしていたホモ・サピエンス以外の「人類」(ネアンデルタール人など)がなぜ生き延びなかったを解説している。興味深い視点の考察で引き込まれる。本書にはこのようなツカミが随所にあり、読者を飽きさせない。

 本書は次の4部構成になっている。

   第1部 認知革命
   第2部 農業革命
   第3部 人類の統一
   第4部 科学革命
 
 つまり、歴史をマクロな視点で俯瞰しているのだ。地球上のあちこちで発生した様々な出来事や歴史的局面がすっきりと整理整頓統合されていて、普通の歴史書では得られない景色が見えてくる。数百万年という時間を見晴らしよく一望した気分になれるのは得難い体験だ。

 また、本書はわかりやすい「共同幻想論」でもある。ホモ・サピエンス進化の引金となった「認知革命」とは「共同幻想」の発生に他ならない。神話にはじまり、宗教、貨幣、国民、資本主義、共産主義、帝国などをすべて似たような概念(共同幻想)として記述しているのは、把握しやすい整理だと思う。

 「第2部 農業革命」の最初の章のタイトルは「農耕がもたらした繁栄と悲劇」で、狩猟採集から農耕への移行は人口拡大という繁栄をもたらしたが、個々の人々の生活は悪化したと述べている。多くの人々は狩猟採集の時代より不幸になったというのだ。意外な指摘だ。にわかには信じがたいが、著者の論述を読んでいると、そうだったのかなという気になってくる。

 著者がなぜそんな指摘をしたかは、終わり近くの「文明は人類を幸福にしたか」を読むと納得できる。ただし、この章の問題提起は回答のない課題に思われる。

 本書を読んでいてジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を連想した。だが、読み終える頃には、むしろ小松左京の『未来の思想:文明の進化と人類』(中公新書)が想起された。

 半世紀前に読んだ『未来の思想』の内容を憶えているわけではない。ただ、「汝ら何ものか? いずこより来たりしか? いずこへ行くか?」というエピグラフは記憶に刻まれている(ゴーギャンの絵を知ったのは後日だ)。そして、人類の文明史全般をコンパクトに要領よくまとめ、その未来像を情報化革命を踏まえて模索するマクロ思考に感心した印象は残っている。『サピエンス全史』の読後感は半世紀前に『未来の思想』に抱いた感慨に似ている。

『子午線の祀り』(演出・主演:野村萬斎)への満足と興ざめ2017年07月07日

 世田谷パブリックシアターで上演中の『子午線の祀り』(演出・主演:野村萬斎)を観た。高名な木下順二の代表作である。私はこの芝居の謎めいたタイトルは以前から知っていたが、その内容は全く知らなかった。木下順二は、敬して遠ざける…というか関心外の存在だった。

 とは言うものの、私が生まれて初めて身銭を切って観た「新劇」は劇団民芸の『オットーと呼ばれる日本人』で、戯曲は木下順二だった。1960年代後半の高校生の頃だ。当時は「新劇」はブンガク的価値の高いアリガタイものという思い込みもあり、滝沢修のボソボソとした科白を聞きながら、これがホンモノの芝居なのかと感心した記憶がある。

 その後も民芸や俳優座の「新劇」をいくつか観たが、やがて紅テントや黒テントをはじめ多様なアングラ演劇(=同時代演劇)に接するようになり、私の中で「新劇」は急速に色あせていき、木下順二も関心外の劇作家になった。

 だが、時は流れ星は移り、野村萬斎が『子午線の祀り』を上演すると知って食指が動いた。『子午線の祀り』という玄妙で宇宙的な題名が何を意味するのか、以前から気にかかっていたことに気づき、その内容を知りたいと思ったのだ。芝居の案内を見て、平家物語が題材だとわかったが、それが子午線とどう関係するかがわからない。

 タイトルの意味を知ろうと岩波文庫『子午線の祀り・沖縄:木下順二戯曲集IV』を入手した。戯曲を読んで、子午線と平家物語の関連は了解できた。月が子午線を横切ると海の潮の満ちてくる、それによる潮流の反転が壇ノ浦の戦いの帰趨を決めた……単純に言えば、そんな芝居になっている。

 やはり木下順二は知的な劇作家だ。平家物語を題材に人間の織りなす「歴史」を時空を超えた地点から俯瞰する作りになっている。「子午線」の謎は解けたが「祀り」もわかりにくくい言葉だ。英訳版では木下順二の指示で「祀り」を「Requiem」と訳していると知り、なるほどと思った。「歴史」を俯瞰するレクイエムとはカッコよすぎる。

 この芝居の初演(綜合演出・宇野重吉)が1979年だと知り、意外だった。もっと古い時代の「新劇」だと思っていた。1979年ならばアングラ・ブームが一段落した後だし、安部公房が実験演劇のために立ち上げた「安部公房スタジオ」が終焉した年でもあり、すでに「新劇」という言葉があまり使われなくなっていたと思う。そんな時代だからこそ、「新劇」を超えて「歌舞伎」「能」「群読」を取り入れた不思議な舞台になったのだろう。

 『子午線の祀り』は1979年の初演以来何度も上演されているそうだ。野村萬斎演出の今回の舞台が私には初見だったが、十分に楽しむことができた。初演以来継続していると思われる武満徹の超現実的な音楽も効果的だ。この芝居のクライマックスは、月が子午線を横切り、潮目が反転して平家退勢となり、貴人たちが海のもくずとなっていくシーンである。野村萬斎演ずる平知盛の「見るべき程の事は見つ」という辞世の名科白を聞きながら、私自身も、2階席から天空浮遊気分で舞台を俯瞰して「見るべき程の舞台は見つ」という心境になった。

 以下は蛇足に近い。観劇の数日後「源平合戦:壇ノ浦の決着」(石井進/週刊朝日百科:日本の歴史1/1986.4)という記事を読み、目から鱗が落ちる気分がした。

 壇ノ浦の戦いにおける潮流の反転については『平家物語』に明に描かれているわけではない。この記事によれば、大正時代に黒坂勝美という人が当時の潮の流れを研究し、潮流の反転が平家を壊滅させたとし、その説がひろく受け入れられたそうだ。そんな説明の後、筆者の石井進氏は次のように述べている。

 「また、船舶史家石井謙治氏は、同一潮流上に乗った両軍軍船の相対速度は同一となるから、科学的には潮流と勝敗は無関係だと断定され、ここに至って黒坂説は根本的に再検討されねばならなくなったのが現状であり、これに代わる定説はまだ出ていない。」

 壇ノ浦が源平の船舶同士の合戦だったならば、月が子午線を横切って潮流が反転しても、それは源平どちらにとっても有利でも不利でもない。科学的に考えれば、天空の状況は海上の合戦とは無関係なのだ。『子午線の祀り』観劇直後の身には興ざめなことである。

『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』は刺激的で異界の夢のようだ2017年07月02日

『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(水野和夫/集英社新書)
 資本主義の終焉を主張する水野和夫氏の新著『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(集英社新書)を読んだ。2年前に読んだ前著『資本主義の終焉と歴史の危機』と似た内容のようで、あえて読むこともないと思ったが「閉じていく帝国」という概念が気になって購入した。

 前著でも私は水野氏の主張に納得したわけではなく、今回の『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』も、そこで展開されている論旨をそのまま受け容れることはできなかった。興味深い指摘は多いがマクロな話とミクロな話に加えて著者の思い込みのような概念が入り混じっていて、何とも評価が難しい。

 本書は経済学の本ではなく、歴史、科学史、哲学、宗教、社会学、地政学、文学などを援用して21世紀の世界のありようを述べている。

 著者の主張によれば現代とは、500年続いた近代が終わり、800年続いた資本主義が終わり、かつまたノアの方舟に始まった蒐集の時代が終わろうとしている大転換期である。かなりの時間軸だ。

 蒐集、資本主義、近代システムが終わった後は経済成長のない定常状態を目指さねばならず、21世紀は国民国家を超えた「閉じた帝国」が割拠する時代になるという。「閉じた帝国」とは「世界帝国」を目指さない「地域帝国」であり、米国、EU、ロシア、中国などだ。そんな21世紀は中世を参照した新中世と呼ぶような時代になるそうだ。

 あまりに風呂敷が大きすぎて、不思議なモノを読んだというのが正直な感想だ。刺激的な本だったのは間違いない。歴史の大きな流れや「国民国家」という概念についてはボチボチと自ら検証して行きたいという気になった。

 水野氏は「国民国家」(著者はそれを「主権国家」とも呼ぶ)が、資本に対抗したり安全保障を考えるには小さすぎ、人々の日々の活動に対処するには大きすぎる中途半端なものだと見なしている。だから、「地域帝国」と「地方政府」という形態になるのが望ましいと述べる。面白い視点だと思う。水野氏の視点とはずれるかもしれないが、「国民国家」を乗り越えるべき歴史的存在と考える「国民国家論」には興味がある。

 ゼロ成長、定常状態という経済をイメージするのは私には難しい。生命という現象や宇宙という存在との整合性を感じにくいからだ。生物には誕生から死までの成長曲線があり、現代の宇宙論は定常宇宙という安心できる概念を否定し膨張宇宙という気持ち悪い状態を肯定している。福岡伸一氏によれば生命とは動的平衡だそうだから、定常状態を動的平衡と捉えればいいのかもしれないが…。

 本書の「あとがき」で、富山県利賀村で上演された鈴木忠志の芝居が出てきたのには驚いた。水野氏は利賀村で上演された「世界の果てからこんにちは」を観て、「資本主義の終焉」というインスピレーションを得たそうだ。私はこの芝居を観たことはないが、若い時に一度だけ利賀村まで足を運んで鈴木忠志の芝居を観たことがある。交通の便の悪い山間の利賀村まで行って芝居を観るのは、俗世から隔絶した空間での非日常的体験だった。本書の「あとがき」までを読み終えて、俗世を離れた異界で観た夢を描いた本を読んだ気がした。

大黒屋光太夫の歴史小説を読んで「鎖国」について考えた2017年06月23日

『おろしや国酔夢譚』(井上靖/文春文庫)、 『大黒屋光太夫』(吉村昭/新潮文庫)
◎エカチェリーナ宮殿で江戸時代を思った

 今月上旬のロシア観光旅行から帰国後、大黒屋光太夫を扱った次の歴史小説2編を続けて読んだ。

  『おろしや国酔夢譚』(井上靖/文春文庫)
  『大黒屋光太夫』(吉村昭/新潮文庫)

 サンクトペテルブルグ近郊のエカチェリーナ宮殿の絢爛豪華な内部を見学しているとき、日本語ガイドのロシア人女性が次のような解説をした。

 「この広間は日本にも関連があります。エカチェリーナ2世はここで大黒屋光太夫を謁見しました。大黒屋光太夫は『おろしや国酔夢譚』という映画にもなっています。この映画はロシアのテレビで放映されたこともあります」

 江戸時代にロシアに漂着した船頭を題材に井上靖が『おろしや国酔夢譚』という小説に書いているとは知っていたが、未読の小説なので詳細は知らなかった。エカチェリーナ2世が奔放な啓蒙女帝で興味深い人物だとの断片的知識と関心はあったが、その女帝が漂着した日本人を謁見したとは知らなかった。その謁見から二百数十年後の現場に立ち、大黒屋光太夫という人物が身近に感じられ、帰国したら『おろしや国酔夢譚』を読もうと思った。

◎大黒屋光太夫の波乱万丈と帰国後の苦さ

 そんなわけで『おろしや国酔夢譚』を読んだ。この本の扉には大黒屋光太夫の足取りを描いた地図が載っている。これを眺めるだけでも、茫漠たる気分になる。

 1782年に伊勢から江戸に向けて出航した大黒屋光太夫ら17人は暴風のためアリューシャン列島の小島に漂着する。その後、ロシア本土の東岸へ移動し、その間に約半数が絶命する。そしてシベリアを西へ西へと移動しイルクーツクへ至る。船頭の大黒屋光太夫は皇帝に帰国を嘆願するため、さらに西のペテルブルグにまで赴き、ようやく帰国許可を得て、来た道を東へと引き返し、東端のオホーツク港からラクスマンの船で帰国する。出航から約10年が経過しており帰国できたのは3人、その内の一人は根室で絶命する。函館で幕府に引き渡され江戸に帰還したのは大黒屋光太夫と磯吉の2人だけだった。この10年の足跡の地図は日本とヨーロッパを往復する広大な地図だ。

 その足跡をたどった『おろしや国酔夢譚』を興味深く読み進めることができた。特にペテルブルグにたどり着くまでの艱難辛苦が圧巻だ。そして、帰国後は江戸にとどめ置かれ軟禁状態になる最終章の苦さが印象深い。帰国したいという切望がかなった後、自分たちは見てはならないものを見てきてしまったので幽閉されざるを得ないという感覚にとらわれる。望郷の切望がかなった後の現実への覚醒と酔夢譚のおりなす綾である。

◎井上靖から37年後の吉村昭の『大黒屋光太夫』

 『おろしや国酔夢譚』をネットで注文するとき、同じ題材を扱った吉村昭の『大黒屋光太夫』という小説の存在を知った。『おろしや国酔夢譚』を読了し、大黒屋光太夫に関する物語の概要はわかった気分になったが、同じ人物を吉村昭はどう料理しているか興味がわき『大黒屋光太夫』も読んだ。

 同じ題材ではあるが、井上靖版がやや史談風なのに対し吉村昭版はやや物語風で、水主の磯吉や庄蔵などの造形はかなり異なっている。そして、帰国後の描写が大きく異なる。

 井上靖の『おろしや国酔夢譚』の刊行は1966年、吉村昭の『大黒屋光太夫』の刊行は2003年で、37年の隔たりがあり、吉村昭の方がより豊富な史料を活用しているようだ。新潮文庫版『大黒屋光太夫』に収録されている著者の「文庫版あとがき」や川西政明氏の解説を読むとその辺の事情がわかる。

 1966年頃には大黒屋光太夫が江戸で幽閉状態にあったというのが定説だったが、その後の史料研究でそれは否定されているらしい。大黒屋光太夫や磯吉は故郷への一時帰還も許され、かなり自由にすごしていたそうだ。江戸に居住させられたのは、いつ来航するかわからないロシアへの備えの一環だったらしい。『おろしや国酔夢譚』の印象深いあの最終章の苦さは、史実とは少し異なっているようだ。

 とは言え、大黒屋光太夫や磯吉が異国で過ごした日々を酔夢のように感じ、故国で過ごす現実の日々に時として違和感をもったであろうとは推測できる。

◎「鎖国」とはどういう現実だったのか

 『おろしや国酔夢譚』と『大黒屋光太夫』を読んで、あらためて「鎖国」とは何であったかを検討してみたくなった。「鎖国」とは幕末になって外国からの圧力をかわすための方便として使われた言葉であって、江戸時代の日本は事実上は鎖国していなかったという新説を聞いたことがある。井上靖版と吉村昭版でも鎖国に関する扱いが微妙に違っているように思える。だが、大黒屋光太夫の前には厳然と「鎖国」という現実が存在しているようにも見える。江戸時代の役人、学者、商人、庶民たちが鎖国や海外をどうとらえていたのか興味深い。

ロシアにはロシア文学の名残があった2017年06月15日

左上:プーシキン像、右上:ドストエフスキー像、左中:プーシキン、右中:ゴーゴリー、左下:ドストエフスキー、右下:トルストイ
 モスクワ2泊、サンクトペテルブルグ3泊のロシア観光ツアーに参加、あわただしくアッという間に終わり、足が疲れた。初めてのロシア旅行で特に自分に課したテーマはなく、知らない寒い国の様子を垣間見たいと思った。

 モスクワもサンクトペテルブルグも予想したほどに寒くはなかった。1週間前は雪だったそうだが、半袖でもOKの気候で、準備したダウンジャケットの出番はなかった。帰国した6月13日の東京はロシア以上に寒く、ロシアで不要だったダウンを着るはめになった。

 見学したのは主に旧宮殿とロシア正教の教会だ。クレムリンもエルミタージュ美術館も元は宮殿だし、トレチャコフ美術館は商人の元邸宅とは言え教会を併設している。

 豪壮な宮殿を観て回ると、あらためて帝政時代のロシア皇帝への富の偏在が実感される。また、教会を観て回ると、社会主義時代にも生き延びたロシア正教の根深さを感じる。

 そんな感想とは別に、ロシアにはやはりロシア文学の名残が色濃く残っているのが意外だった。私も大学時代にはロシア文学に魅かれた時期があり、人並みにロシア文学には関心があるが、今回のツアーとロシア文学つなげて考えてはいなかった。一般の観光旅行のつもりだった。それでも、行く先々で文学者の銅像(ドストエフスキー、プーシキンなど)や肖像画(プーシキン、ゴーゴリー、ドストエフスキー、トルストイなど)に遭遇し、軽い感動を憶えた。

 サンクトペテルブルグ市内をバスで観光しているとき、日本語ガイドのロシア人女性が「ここから見える通りが『罪と罰』のラスコリーニコフが住んでいた場所です」と案内してくれた。もちろん、ラスコリーニコフは実在の人物ではない。だが、かつての住人として人々の記憶に定着しているのかもしれない。

 しばらく行くと「左手に見えるのがゴーゴリのハナの家です」と案内してくれた。「ハナ」が「花」に聞こえ、ゴーゴリーに「花」という作品があったかなあと考えているうちにバスは現場を通過し、ハッとした。その家のドアの上には立派な「鼻」のオブジェが飾られていた。それを見て、ゴーゴリーに『鼻』という珍妙な短篇があったと思い出した。自分の体から分離した鼻が上司になる話だったと思う。もちろん、実話である筈がない。でも、その家は実在していた。

 ラスコリーニコフの家も「鼻」の家もバスの車窓か眺めただけで、写真も撮れなかった。いつの日か、ロシア文学をテーマにロシアの街歩きをするのも一興だと思えた。と言っても、かつて読んだロシア文学の大半は忘れてしまっているし、あの重厚長大な作品群を読み返す元気はない…今のところ。

 ロシアで着なかったダウンを東京で着るはめになったように、忘却していた宿題を持ち帰ってしまったような気分だ。

二つの科学雑誌の特集記事が暗示する困った時代2017年06月06日

 『日経サイエンス 2017年7月号』の特集記事は「トランプvs科学 Post-truthに抗う」だ。科学雑誌らしからぬ政治的な見出しで目を引く。ほぼ同じ時期に発売の『NATIONAL GEOGRAPHIC 2017年6月号』の特集記事は「なぜ人間は嘘をつくか」で、この記事もトランプ大統領に触れている。

 二つの科学雑誌の最新号がトランプ大統領登場に触発されたと推測される特集を組んでいるのに、メディアの敏感さを感じると同時に、21世紀初頭において世界史は転機に晒されているようにも感じられる。

 『NATIONAL GEOGRAPHIC』の特集は、人間は誰でも嘘をつくという事実をふまえて、人の進化や子供の成長にからめて「嘘をつく」という行為を解説したうえで、この行為を社会心理学的に論じている。

 『日経サイエンス』の特集記事は、科学的知見やデータを軽視するトランプ大統領の反科学的な態度を取り上げ、それが今後の米国の科学政策へ及ぼす影響を案じている。

 二つの記事が共通して取り上げているトランプ大統領の「嘘」に関するエピソードが二つある。就任式の観衆の数がオバマ大統領の時より多かったという主張と「ワクチンは自閉症を引きおこす」という主張だ。前者は映像やデータから間違いなのは明らかだし、ワクチンに関する主張は学問的には否定されている。しかし、大統領は主張を変えない。不思議な話であるが、そんな時代に入ってしまったのだと考えるしかない。

 こんな記事を読んでいると、ヒトラーのナチス時代が想起される。アーリア人が最優秀でユダヤ人が劣等人種だという主張には科学的根拠も証拠もない。当時の科学者や知性ある人々の多くはヒトラーの主張が間違っていると分かっていた。にもかかわらず、ヒトラーは合法的に政権を奪取し、大衆は独裁者を支持し、その社会はホロコーストへと突き進んでいく。そんな20世紀の暗い教訓を21世紀になってかみしめなければならないのだから、人類は容易には進歩しないものだと思う。

 二つの記事が共通して指摘しているのは、インターネットの発展によって嘘や偽情報の伝播が容易になり、21世紀特有の社会学的な問題が現出している点である。ヒトラーの時代よりも情況は悪化しつつあるのかもしれない。大変なことである。

アウシュヴィッツ強制収容所に行った2017年05月27日

(上)第1収容所入口、(下)第収容所入口
 先週、約1週間のポーランド観光ツアーに参加した。20人余りの団体の大半は私と同じ高齢者で、男性より女性の方が多い。ポーランドはヨーロッパのやや外れにあり、他の国々は見尽くしてポーランドを選んだというツアー・リピーターが多いように思われた。

 このツアーにはオプショナルで「アウシュヴィッツ強制収容所見学」が含まれいて、私の目当てはこれだった。アウシュヴィッツに関しては様々な本や映像で一通りのことは知っているつもりだが、現場の雰囲気を体感しながら歴史の暗部を振り返ってみたいと思ったのだ。

 アウシュヴィッツはポーランド第2の都市クラクフ(かつてのポーランド王国の首都)からバスで2時間ばかりの場所にある。オプショナルなので、アウシュヴィッツに行かない人はクラクフで自由行動となっていたが、ツアー参加者の全員がアウシュヴィッツ行きを選択した。ちょっと意外だった。

 アウシュヴィッツには公式のガイドがいる。そこには唯一の日本語公式ガイド・中谷剛氏がいる。中谷氏は『アウシュヴィッツ博物館案内』(凱風社)という著書もあり、私も事前にその本を読んでいた。その本には次のような一節がある。

 「アジアからの訪問者も年々増えている。特に韓国からの訪問者が多く、2011年は4万3000人に上った。日本からの見学者は年間1万300人に増えた。ヨーロッパの見学者の74%が14歳から25歳までの若年層であるのに対し、遠距離のせいもあってか、アジア----特に日本----からの訪問者はお年を召した方が中心であるのは、ある意味で残念なことだ。」
 
 アウシュヴィッツでのわれわれのガイドは中谷剛氏だった。上記の本が書かれた2011年には日本からの来訪者は1万人程度だったが、その後も来訪者は増加し、昨年は3万人を超えたそうだ。中谷氏がガイドできるのは1日に2回なので、すべての日本人のガイドはできなくなっているそうだ。日本人来訪者の大半が高齢者なのは変わらない。

 中谷氏のガイドはユダヤ人迫害のかつてのドイツの状況を現代の排外主義風潮、ヘイトスピーチ、ポピュリズムなどと重ね合わせて解説する部分もあり、含蓄に富んでいた。中谷氏ならずとも、高齢者ではなくい日本の若い人々もここを見学しやすくなればと思った。

 1948年生まれの私にとってアウシュヴィッツ強制収容所は生まれる数年前まで存在した同時代の事象という感覚がある。しかし、21世紀の若者にとっては、遠い過去の歴史上の出来事だろう。だからこそ、歴史に学ぶ場としてのアウシュヴィッツの現代的意義は増大する。

 アウシュヴィッツの現場に立って、あの有名な「ARBEIT MACHT FREI」の文字がある門は意外と小さく感じた。第一収容所全体も思ったほど広くはない。陳列されている犠牲者の様々な遺品や頭髪の山には息を飲むしかない。第二収容所のビルケナウは広大だった。

 われわれのグループに10年ほど前にもアウシュヴィッツに来たという無口な高齢者がいて、ビルケナウをもっとゆっくり見学できないだろうかと要望したが、それはかなわなかった、私が彼に「なぜ、2回も来たのですか」と尋ねると「何度でも来たい」という答が帰ってきた。そもそもの来訪のきっかけはフランクルの『夜と霧』を読んだことだそうだ。そんな人もいるのだ。

 ポーランド政府観光局が制作した日本語の冊子があり、アウシュヴィッツを含めて13の世界遺産を紹介している。アウシュヴィッツ以外の世界遺産は見開きか4頁で紹介しているのに、アウシュヴィッツだけは1頁だ。ドイツ人が作った強制収容所を観光地として宣伝したくないという観光局の気持ちはわかる。景勝地や歴史的建造物など他の世界遺産と異質なのは確かだ。

 だが、アピールの方法が難しくても、重要な遺跡であるアウシュヴィッツへの多くの人々の来訪を促すべきだ。現地を訪れて強くそう思った。