40年前の「NHK特集・シルクロード」のノスタルジー2020年09月18日

◎40年前には観ていない番組を追体験

 今年(2020年)の夏、NHKのBSプレミアムで『シルクロード』を再放送しているのに気づき録画した。録画できたのは全12回のうちの9回で、それを夕食後に一つずつ観た。

 この高名な『NHK特集シルクロード』が放映されたのは40年前の1980年、私は31歳の会社員だった。当時、話題の番組だった記憶はあるが、私は観ていない。ロマンあふれる面白そうな番組だろうと思いつつも、そんなロマンに浸る時間も心の余裕もなかったように思う。

 40年の時を隔ててこの古い番組を観て、番組に連動して出版された本を読みたくなり、古書で全6巻を入手して読んだ。録画しそこねた回も観たくなり、NHKオンデマンドで観た。40年前にタイムスリップして『日中共同取材・シルクロード』の追体験である。

◎テレビ放映に並行して書籍も刊行

 この番組は、以下のように月1回のペースで放映された。

 1 遙かなり長安(1980年4月7日放映)
 2 黄河を越えて~河西回廊1000キロ~(1980年5月5日放映)
 3 敦煌(1980年6月2日放映)
 4 幻の黒水城(1980年7月7日放映)
 5 楼蘭王国を掘る(1980年8月4日放映)
 6 流砂の道~西域南道2000キロ~(1980年9月1日放映)
 7 砂漠の民~ウイグルのオアシス・ホータン~(1980年10月6日放映)
 8 熱砂のオアシス トルファン(1980年11月3日放映)
 9 天山を貫く~南彊鉄道~(1980年12月1日放映)
 10 天山南路 音楽の旅(1981年1月5日放映)
 11 天馬のふるさと~天山北路~(1981年2月2日放映)
 12 民族の十字路~カシュガルからパミールへ~(1981年3月2日放映)

 取材は1979年4月に始まり1980年9月に終了している。取材地は中国国内のみで、外国メディアがシルクロード取材を認められたのはこれが最初だったそうだ。日中共同取材のプロジェクトで、中国人スタッフにとっても西域取材は新鮮だったように見える。

 テレビ放映と並行して、取材スタッフ執筆の『シルクロード 絲綢之路』というシリーズ本が日本放送出版協会からほぼ隔月で出版された。

 『第1巻 長安から河西回廊へ』(陳舜臣・NHK取材班/1980.4.10)
 『第2巻 敦煌―砂漠の大画廊』(井上靖・NHK取材班/1980.6.10) 
 『第3巻 幻の楼蘭・黒水城』(井上靖・岡崎敬・NHK取材班/1980.8.10)
 『第4巻 流砂の道:西域南道を行く』(井上靖・長澤和俊・NHK取材班/1980.10.10)
 『第5巻 天山南路の旅:トルファンからクチャへ』(陳舜臣・NHK取材班/1981.1.10)
 『第6巻 民族の十字路:イリ・カシュガル』(司馬遼太郎・NHK取材班/1981.3.10)

 大半の巻がテレビ番組2回分で1冊になっているが、第2巻は1回分、第5巻が3回分である。放映と出版にタイムラグがないのが立派だ。

◎テレビではわからない話も書籍に載っている

 書籍は取材記録や多くのカラー写真に加えて、同行した作家や研究者のエッセイが載っている。また、取材のウラ話の紹介もあり、中国事情を垣間見ることができて面白い。

 中国の国営テレビ局・中国中央電視台との共同取材で、事前準備をしたうえでの取材ではあるが、いろいろと不測の困難もあったようだ。軍事施設やミサイル基地があると思われる立ち入り禁止地域を迂回する場面もあるし、中国人カメラマンだけに撮影が許可された場所もある。

 この取材の終点はカシュガルのさらに西、アフガニスタンとの国境に近いパミールである。ソ連のアフガニスタン侵攻は1979年12月だから、それからさほど日時は経っていない。国境地帯の緊迫感が伝わってくる取材を読みながら、40年経過しても事態がほとんど変わっていないことに暗然とした。

◎40年前と現在

 この番組でシルクロードの古跡や自然に惹かれるのは確かだが、それ以上に40年前の中国の姿を興味深く眺めた。私は西域には行ったことがなく、現在の様子を知っているわけではないが、この番組に映っている中国の姿はいまでは様変わりしていると思われる。

 人の話によれば、いまでは、観光地化したシルクロードに玄奘の巨大な石像や張騫の騎馬大像が建ち、世界遺産に登録されたシルクロード全体が巨大なテーマパークの様相を呈しているらしい。

 また、この番組で紹介されている多様な少数民族たちがいまも伝統的な暮らしを維持できているかは疑わしい。40年前のこの番組には中国の「初々しい素朴さ」のようなものが反映されているが、現在の中国にそんなものがあるとは思えない。つい最近も、内モンゴル自治区でのモンゴル語教育の問題が報じられたし、ウイグル族への人権侵害も深刻だ。「中華民族」をつくりあげようとする現代中国の姿には危うさしかない。

 NHKは、その後もシルクロードの続編をいくつか制作しているようだが、40年前のこの番組にはノスタルジーがある。

森安孝夫氏の新著『シルクロード世界史』は意欲的な歴史書2020年09月16日

『シルクロード世界史』(森安孝夫/講談社選書メチエ/2020.9.9)
◎力の入った序章

 歴史学者・森安孝夫氏の 『シルクロードと唐帝国』 を読んだのは昨年6月だった。唐の時代にシルクロードで活躍したソグド人をクローズアップした内容に惹かれ、関連書を読んだ後に再読したが、錯綜した時代様相は、まだわが頭には定着していない。その森安氏が新たな概説書を上梓したので、早速入手して読んだ。

 『シルクロード世界史』(森安孝夫/講談社選書メチエ/2020.9.9)

 歴史教育の現状を懸念し、現代歴史学の使命を説く序章「世界史を学ぶ理由」は、前著『シルクロードと唐帝国』の序章「本当の「自虐史観」とはな何か」と同じように力が入っている。著者の熱意が伝わってくる。

 著者はハラリの『サピエンス全史』に言及し、前半は普遍的だが後半は欧米中心になると指摘し、次のように述べている。

 「これまで世界史というタイトルを付けて出版された著書は日本でも海外でも枚挙に暇ないが、いくら探しても本当の世界史といえるものは見たことがない。」

 こう断言したうえで、諦観に近い次のような見解を吐露している。

 「やはり一人一人の歴史学者は、自分の緻密な研究を通じて獲得した歴史観に基づいて、可能な限り視野を広げた歴史像を提示することを使命とすべきであって、それ以上を望むのは無理なようである。」

 著者のいう「本当の世界史」とは「史料批判と実証に基づいた、フィクションではない世界史像の提示」と推測される。タイトルに「世界史」を付した本書は、不可能性の「本当の世界史」を遠く夢見つつ紡いだ「森安世界史」である。

◎マクロとミクロが混ざった歴史概説

 本書は中央ユーラシアのシルクロードを視点にした歴史概説書で、著者はシルクロードを「近代以前においてユーラシアの東西南北を結んだ高級商品のネットワークであり文化交流の舞台」と定義している。そして、近代以前のユーラシアを、ウォーラーステインの近代世界システム論(私は未読)に倣って「前近代世界システム」とし、次のように描出している。

 「北方の遊牧国家側が不足する資源・財物を南方の農耕国家側から獲得する手段として侵攻・略奪と表裏一体で「歳幣」「徴税」「交易」という複数の回路を構築し、それによって吸収した財源・財貨を国内で再分配することによって国家を運営するシステム」

 本書の前半では、このようにマクロな歴史を描き、後半ではウイグル文書などの史料に基づいたミクロな歴史を描いている。読了すると「マクロなくしてミクロなし、ミクロなくしてマクロなし」という気分になる。

◎ソグド語と古ウイグル語

 本書索引には研究者名も載っていて、最も頻出するのが吉田豊氏である。吉田豊氏はソグド語が解読できる日本で唯一人の研究者である。古ウイグル語が解読できる日本人は森安孝夫氏を含めて10人ほどだそうだ。吉田豊氏と森安孝夫氏が連携したソグド文書、ウイグル文書解読による研究成果の紹介は、歴史研究の現場の空気を多少なりとも感じることができ、門外漢をもワクワクさせる。

◎ソグド人とペルシア人はちがう

 著者は近代史学において「胡」はイラン人、ペルシア人を指すという間違った解釈が蔓延したと嘆いている。隋唐時代の胡人はソグド人で、ソグド人とはゾグディアナを故地とするイラン系の人々である。私は、イラン系もイランもペルシアも似たようなものだと思っていたが、それは間違いのようだ。考えてみれば、ササン朝ペルシアとソグディアナは同じではない。

 著者は次のように述べている。

 「そうした学界の影響は、一般向けの小説やジャーナリズムにも及び、例えば松本清張の古代史に関する著述などを通じて、「胡」をペルシアとする説が広く流布していった。」

 本書は、私が数カ月前に読んでソグド人の話だと感動した 松本清張の『眩人』 には言及していない。だが、あの小説も間違った解釈に基づいていることになりそうだ。松本清張がヒントにした『続日本紀』の波斯人・李密翳はペルシア人であってソグド人ではないのだ。松本清張は『眩人』において、胡人・康許生(架空の人物)が来日にあたって李密翳と改名したとしているので、ソグド人がペルシア人に化けたと解釈してもいいのだが……

◎マニ教絵画の驚き

 本書の末尾では、21世紀になって多数のマニ教絵画が日本で発見された「事件」を紹介している。私には初耳の話である。学者たちの興奮が伝わってくる胸躍る内容に、歴史のミクロとマクロが絡み合う面白さを感じた。

『シルクロード』を読んで重層的歴史地図がほしくなった2020年09月09日

『シルクロード』(長澤和俊/講談社学術文庫)
 中央ユーラシア史関連の概説書を何冊か読んだが、この地域のゴチャゴチャはなかなか頭に定着しない。情けない頭の中を少しでも整理できればと思って、次の本を読んだ。

 『シルクロード』(長澤和俊/講談社学術文庫)

 1993年刊行の文庫オリジナルの概説書で、大学での「内陸アジア史」の講義ノートを底本にしているそうだ。紀元前から現代に至るシルクロードの歴史を網羅的に解説した教科書的な本で、知識の整理に適している。

 中央ユーラシアの歴史を東西交渉という視点から年代別に概説し、青銅器の時代から現代まで、人やモノの移動が続いてきたことを語っている。

 シルクロードの西端といえば、普通はローマを想起するが、本書の「第11章 イスラム世界の成立と展開」の製紙法伝播の解説を読んで、西端はモロッコ、イベリア半島といえることに気づいた。中国からイスラムに伝わった製紙法は北アフリカを経由してイベリア半島からヨーロッパに入っている。この章では、バグダードでは9世紀にギリシアの古典文献のアラビア語訳が刊行されていることを述べ、ヨーロッパより5世紀早くルネサンスが展開したと指摘している。

 中央ユーラシア史で苦労するのは地名である。同じ場所が自称・他称などさまざまな呼び方をされることが多い。現地のカタカナ名と中国の漢字名があり、時代によって変化するし、そこを支配した部族名が地名のように使われることも多く、部族は時代とともに移動するので混乱する。

 そんなわかりにくい場所のひとつがバクトリアである。本書はバクトリアについてかなり詳しく説明していて、大月氏、大夏、トカロイ族、吐火羅、トハリスタンなどとの関連が多少は整理できた。

 だが、本書にもっと多くの歴史地図が挿入されていればと思った。中央ユーラシアの歴史をイメージするには全地域を一望できる年代ごとの地図が必要である。紀元前から現代までの、少なくとも100年おき、できれば30年おきぐらいの地図があればうれしい。どこかにそんな歴史地図がないだろうか。

『大唐の春』で唐の魅力を堪能2020年09月04日

『大唐の春(大世界史4)』(石田幹之助・田中克己/文藝春秋
 半世紀以上前に出た文藝春秋の『大世界史』(全26巻)の第9巻『絹の道と香料の島(大世界史9)』(護雅夫・別枝達夫)に続いて次の第4巻も読んだ。

 『大唐の春(大世界史4)』(石田幹之助・田中克己/文藝春秋)

 『絹の道と香料の島』を読んでいて、既刊の『大唐の春』読了を前提にした記述に何度か遭遇した。シルクロードの最盛期が唐の時代に重なるからである。まだ読んでいない本巻を読まねばと思った。

 この巻が未読だったのには、言い訳がましい理由がある。本巻の著者・石田幹之助には本巻と似たタイトルの『長安の春』という著書がある。昭和の初めに刊行された後、何度も版を改めて刊行された高名な書である。いろいろな本が『長安の春』に言及しているので、何年か前に東洋文庫の増訂版を入手したが、歯ごたえのある本で、パラパラと拾い読みしただけである。『大唐の春』を読む前に、まずは『長安の春』を読まねばと思いつつ年月が経過した。

 今回、『長安の春』はうっちゃたまま『大唐の春』を読むことにした。本書は共著である。石田幹之助が執筆中に病気になり田中克己に手伝ってもらったそうだ。全18章のうち11章が石田幹之助、7章が田中克己の執筆である。本書刊行時(1967年)、石田幹之助は75歳、田中克己は55歳、石田幹之助は芥川龍之介と一高同級の友人だったそうだ。

 本書は三国志の時代から書き起こし、五胡十六国、北朝・南朝、隋などを経て唐が滅亡するまでを描いている。教科書的な通史ではなく、史実を記述しつつ独特なテーマの解説や論評が散りばめられた史談である。当時の小説の人物の言動や伝説の紹介を通して時代を語ったりもしていて、面白く読める。碩学のご隠居さんの自由奔放な歴史談義を拝聴している気分になる。現代との対比に「紅衛兵」や「黒い霧」などが出てきて、刊行時の1960年代を思い出した。

 基本的に漢族と漢族の文化という視点で書かれていてる。匈奴をはじめ多様な「蛮族」の活躍も描かれてはいるが、「蛮族」支配のもとでも「蛮族」は漢族の文化に感化され、同時に漢族の文化は外来の文化を取り込むことでより豊かになっていった、というのが基本ストーリーである。最近は中央ユーラシア視点の本を読むことが多いので、こんなスタンダードな視点がかえって新鮮に見える。

 本書で印象に残るのは唐の風俗の紹介である。「長安の紅白歌合戦」「国際スポーツ競技」「市井の風俗」などの章は、著者が興に乗ってアレコレと語っている風で、面白いし微笑ましい。

 終章で著者(石田)は唐を次のように総括している。

 「唐代の特色は、どこからどこまで、世界的・国際的ということにつきる。政治面においても、軍事面においても、一般文化面においても、徹頭徹尾、世界的・国際的であったという一語につきる。これを裏からいえば、非シナ的・非国民的ということになる。」

 やはり唐は魅力のある時代である。

『絹の道と香料の島』は16世紀頃までの東西交渉史2020年08月30日

『絹の道と香料の島(大世界史9)』(護雅夫・別枝達夫/文藝春秋)
 『草原とオアシスの人々』(護雅夫)に続いて、同じ著者の次の本を読んだ。

 『絹の道と香料の島(大世界史9)』(護雅夫・別枝達夫/文藝春秋)

 刊行は1968年、かなり昔の本だ。私が大学生の頃に出た文藝春秋の『大世界史』(全26巻)を古書で一括購入したのは数年前、ボチボチ読んではいるが大半は未読で、本巻もまだ読んでなかった。

 前半はシルクロード(絹の道)の歴史で護雅夫が執筆、後半は「香料の島」を目指す「地理上の発見」の歴史で別枝達夫が執筆している。前半は、スキタイや匈奴が中央ユーラシアの草原で活躍する紀元前の時代からパクス・タタリカ(モンゴル世界帝国による平和)の15世紀までを描き、後半は16世紀の「大航海時代」を描いている。全体で紀元前から16世紀頃までの東西交渉史である。

 『絹の道と香料の島』は秀逸なタイトルだと思うが、やはり前半と後半では視点や舞台が大きく異なり、2冊の別の本を読んだ気分になる。前半と後半をつなぐキーは、東西で活躍したイスラム商人である。

 前半のラストで鄭和の遠征(1405年~1433年)に言及している。2万人以上の大船団が明からアフリカ東岸にまで赴いた大遠征だが、著者はそれを「イスラム商船がきりひらいた航路にのっておこなわれた」とし、ヴァスコ・ダ・ガマの航海についても、次のように述べている。

 「ヨーロッパ人にとってはまぎれもなく「発見」であったろうが、アジアのひとびと、とくにイスラム商人にとっては、「発見」でもなんでもなかったのである。」

 そのカッコつきの「地理上の発見」の16世紀を描いたのが後半で、主役はポルトガルとスペインである。エンリケ航海王が企画したアフリカ南端を越えるインド航路の「発見」、コロンブスやアメリゴ・ヴェスプッチの航海、コルテスやピサロによる中南米征服、マゼランの世界一周などの物語は、ヨーロッパ視点からはワクワクする探検譚の連続である。面白い時代と思う。だが、前半に続けて後半を読むと少し白ける。

 世界史視点に立てば、当時の文明国はイスラムであり、「地理上の発見」は傲慢な蛮族ヨーロッパの蛮行に見える。レコンキスタで意気盛んなポルトガル、スペインの後ろ盾にはローマ教皇がいる。新「発見」の土地はローマ教皇に届け出れば領有権を認められたそうだ。ローマ教皇が承認した1494年の条約では、ポルトガルとスペインによる地球の二分(境界は西経46度37分)が決められたらしい。ポルトガルやスペインが日本を「発見」したなら、現在の岡山県から東はスペイン領、西はポルトガル領である。イヤハヤである。

 本書前半ではシルクロードの三つのルート(草原ルート、オアシスルート、海上ルート)の歴史をわかりやすく概説している。

 紀元前のスキタイや匈奴の時代に主流だったのは、カスピ海の北方を通る草原ルートで、遊牧騎馬民族の往来によって西のスキタイ文化がモンゴル高原を経て日本にまで伝わったらしい。ヘロドトスがこのルートに言及しているにもかかわらず、スキタイの衰亡とともにこのルートは忘れられ、ヘロドトス以降のギリシア人はカスピ海を北洋から入り込んだ入り江と考えていたそうだ。地理的知識が後退する例として面白い。

 本書で興味深かったのは西ウイグル王国(天山ウイグル王国)の重要性の指摘である。中央アジアには元々はインド・ヨーロッパ系の白色人種が住んでいたが、現在、この地域はトルコ化されている。インド・ヨーロッパ系の国はタジキスタンだけである。中央アジアがトルコ化していく第一歩が西ウイグル王国なのである。それは、遊牧国家による間接支配ではなく「移住」による直接統治だったからである――なるほどと納得した。

『草原とオアシスの人々』(護雅夫)は批判と主張の書2020年08月27日

『草原とオアシスの人々(人間の世界歴史7)』(護雅夫/三省堂)
『草原とオアシス』(山田信夫)に続いて、似たタイトルの次の本を読んだ。

 『草原とオアシスの人々(人間の世界歴史7)』(護雅夫/三省堂)

 「人間の世界歴史」という叢書の1冊で1984年の刊行である。先日読んだ『宋と中央ユーラシア(世界の歴史7)』で梅村坦氏は、本書の著者を「突厥史研究に偉大な足跡を残して1996年末に他界した護雅夫」と紹介し、ソグド人の活躍に関する文章を引用していた。

 本書は歴史概説書というよりは、著者の意見表明と研究発表の書で、やや専門的な内容だが、興味深く読めた。

 著者は、中央ユーラシアの草原とオアシスの人々の歴史を概説しつつ、間野英二氏の「脱シルクロード論」への批判を展開している。この論争については、 『シルクロードと唐帝国』(森安孝夫) で知り、発端となった 『中央アジアの歴史』 も読んだ。学者の論争を外野から眺めるのは面白い。

 「脱シルクロード論」とは、中央アジアの歴史を東西交渉で見ることを否定し、南北の関係を重視し、外部からの視点ではなく内側から中央アジア史を解明しなければならないという「論」である。著者は本書において、この「脱シルクロード論」を強く批判している。門外漢の私が学者の論争を評価できるわけではないが、著者の批判の内容は私には納得できるものだった。

 本書のもう一つの柱は、突厥の信仰や儀礼(シャーマニズム)に関する考察と、突厥碑文と呼ばれるオルホン碑文とイェニセイ碑文に関する著者の研究結果の紹介である。かつてモンゴル高原に暮らしていた古代トルコ人の様子を探求する学術的な内容で、門外漢がその論旨展開についていくのは骨が折れる。それでも、雰囲気をつかむことはでき、面白く読めた。

 終章の「草原世界とオアシス世界」では長期にわたって活躍したソグド人への言及が多い。ここでは、間野氏の見解を紹介し、その成果を評価しつつも、随所で間野批判を展開している。そして、次の言明で締めくくっている。

 「中央アジアは「東西交渉史からは独立した、完結した一つの小世界」では断じてない。まさしく、中央アジア史は、その独自・固有の歴史を中心にすえつつも、「八方にらみ」の歴史でなければならぬのである。わたしは、この言葉によって、この蕪雑きわまる小著をとじたいと思う。」

『草原とオアシス』(山田信夫)で中央ユーラシア史のややこしさ再認識2020年08月25日

『草原とオアシス(ビジュアル版世界の歴史10)』(山田信夫/講談社)
『ウイグル人』(トルグン・アルマス)を読んだのがきっかけで中央アジア史・中央ユーラシア史の概説書を2冊読んだ。この際、未読で積んである関連本をかたづけようという気分になり、まず次の本を読んだ。

 『草原とオアシス(ビジュアル版世界の歴史10)』(山田信夫/講談社)

 先日読んだ『宋と中央ユーラシア(世界の歴史7)』で梅村坦氏は、本書の著者・山田信夫氏の天山ウイグル国に関する興味深い文書研究(仏教僧侶養子)を紹介していた。

 本書は中央ユーラシアの草原地域とオアシス地域の歴史を、匈奴・スキタイが活躍する紀元前の時代から清とロシアが進出してくる19世紀まで概説している。1985年刊行なので、中央アジアの国々がソ連の一部だった時代の本である。

 「ビジュアル版世界の歴史」という叢書は、全ページの半分以上が写真、地図、図表などで、本文は各ページの半分以下である。本文の量が少ないので短時間で読めそうに思えるが、そうでもない。写真や図表の説明文をきちんと読んでいくと、意外に時間がかかる。これらは必ずしも本文に連動した挿絵や註釈ではなく、独立したコラムに近い。本文で触れていない踏み込んだ話題も多い。不明な事項を用語集などで確認して咀嚼しようとすると時間を要するのである。

 私の頭の中にある中央ユーラシア史の知識を整理するつもりで読み始めたが、新たな知見が多く、大いに勉強になった。わが頭に残っているものの少なさを確認したということでもある。

 この地域の人々は、氏族や部族などの人間集団を形成し、それが連合したり支配したり支配されたりしながら、あちらこちらに移動する。地名と部族名と国名の関係がゴチャゴチャになりやすい。人間集団を整理して考えるには〇〇系(トルコ系、モンゴル系、チベット系、イラン系…)、〇〇部族、〇〇人、〇〇国などの関係を把握しなければならないが、それが容易でない――本書を読んで、それをあらためて認識した。本書の説明が丁寧だからである。

 それにしても、広大な地域の地図が時間軸で多様に変化するさまを把握するには、頭の中に3次元の地図年表を構成する必要がある。この地域の部族や国は単に移動するだけでなく、分離や連合をくり返し、重なり合う(支配・被支配、同化・混合など)ことも多い。呼び名も他称・自称・総称などが複合するのでややこしい。整理して理解するのは容易ではない。

 本書の用語はやや特殊に思えた。中国人はテュルクを突厥と書いたと指摘したうえで、552年(現在のトルコ共和国が民族上の建国の年とした年)創建の突厥をテュルク国と表記し、その後の分裂でできた西突厥はオンオクと表記している。南突厥は南突厥である。中国との距離感での使い分けだろうか。

 一般にウイグル国と呼ばれている国はトクズオグズ国(トクズは九)と呼んでいる。トルコ系の部族連合の国で、ウイグルはその中の一部族なので、あえてトクズオグズ国と呼んでいるようだ。

 と言って、ウイグル族を軽視しているのではない。甘州ウイグル王国の子孫たちは元、明の時代にも少数民族として存在したと指摘しているし、天山ウイグル王国はカルル国、カラハンを経て現代につながっているとし、次のように述べ江いる。

 「元朝の支配下に置かれてからも、この国を形成したトルコ系民族は畏吾児すなわちウイグルの名のもとで先進文明国人として活躍していた。そしてその後も民族として衰えることはなく、それが現在のウイグル人につながっていることは、いうまでもない。」

 現代のウイグル人と古代ウイグルに断絶があるという見方ではない。

中央ユーラシアのエネルギーが歴史を動かした2020年08月16日

『宋と中央ユーラシア(世界の歴史7)』(伊原弘・梅村坦/中央公論社)
 頭の中でゴチャゴチャしている中央アジア史の整理のため『内陸アジア』(間野英二・他)に続いて次の歴史概説書を読んだ。

 『宋と中央ユーラシア(世界の歴史7)』(伊原弘・梅村坦/中央公論社)

 第1部「宋と高麗」を伊原弘氏、第2部「中央ユーラシアのエネルギー」を梅村坦氏が執筆している。私の当面の関心は中央アジア史なので、後半の第2部を読むだけでいいかとも思ったが、1冊の本にまとまっているのだから第1部をふまえての第2部だろうと考え直し、頭から読んだ。

 第1部を読み始めてすぐ、これは一定の知識がある人を対象にしたエッセイに近いと気づき、大急ぎで高校世界史参考書の宋の部分に目を通し、そのうえで第1部にとりかかった。

 第1部の語り口は独特である。宋の歴史の解説・説明というよりは、宋の歴史をどう見るかを論じたエッセイに近い。見解への疑義や研究課題の提示もあり、想定読者は史学科の学生レベルに思える。私はついて行くのがしんどく、少し面食らたが、慣れてくると高級座談を拝聴している気分になり、それなりに楽しめた。

 宋は読書人(士大夫)の時代だそうだが、そんな時代を語るのに呼応した叙述に思えてきた。

 第2部「中央ユーラシアのエネルギー」は記述対象を絞り込むことによって全体の見晴らしがよくなる歴史概説である。わかりやすく、勉強になった。

 昨年の夏、間野英二氏の 『中央アジアの歴史』 に続いて梅村坦氏の 『内陸アジア史の展開』 を読んだが、はからずも今夏も間野氏の著作(『内陸アジア』)に続けて梅村氏の本書を読む巡り合わせになった。

 第2部は宋(南宋も含む)の時代(10世紀~13世紀)に、宋の周囲で活躍した4つの遊牧民の国をメインに叙述している。その4つとは天山ウイグル王国、キタン=遼、ジュシェン=金、タングート=西夏である。宋を含めて5つの国(人間集団)の絡み合いと興亡を、中央ユーラシア全域を見渡す視野と、唐の時代からフビライの時代までを見通す時間スパンで眺めている。

 中央ユーラシアを視座に「中華」を相対化した歴史の見方を提示するのが本書の眼目で、中央ユーラシアのエネルギーによって歴史が動くさま描いている。

 終章は「現代からの視点」というタイトルでいくつかの課題を提示している。20世紀になって復活したウイグルの「民族」名称についても論じている。15世紀以降にウイグルというアイデンティティが徐々に消えていった原因を分析したうえで、著者は次のように述べている。

 「新疆の現在のウイグル人たちにとって、自民族の歴史は一貫していなければならないものであろう。たとえ各種「民族」集団の混交などがあっても、また確たる証拠が少なくても、遠い過去へ、学問的に立証されているよりも前の時代にまでさかのぼって自民族の歴史を認識しようとする傾向がある。それは、ときに民族分裂主義と中国政府当局から批判されながらも、現代のの民族のアイデンティティを求めようとして潜在しつづける。わかりやすい例としてウイグルをみたが、「民族」の問題が、それにかぎったことではないことは、いうまでもない。」

 まことに、近代が生み出した「民族」とはやっかいなものである。

中国で発禁の『ウイグル人』は民族を考える材料になる2020年08月11日

『ウイグル人』(トルグン・アルマス/東綾子/集広舎)
 中国では発禁の次の歴史書を読んだ。奇書に近い。

 『ウイグル人』(トルグン・アルマス/東綾子/集広舎)

 この本は日経新聞(2020年3月21日)の書評で知った。「身命を賭した未完の歴史書」という見出しに惹かれ、すぐにネット注文を試みたが、版元在庫切れだった。それから数ヵ月、都心の大型書店の棚を眺めていて本書を発見、すぐに購入した。2020年4月10日の2刷(1刷は2019年12月20日)である。書評が出た後に増刷したようだ。

 ウイグル人でイメージするのは、中国の新疆ウイグル自治区において中央政府から理不尽な扱いを受けている人々であり、同時に歴史書に登場する北方騎馬民族の一つである。この両者が同じか否かを森安孝夫氏が『シルクロードと唐帝国』で論じていたのが印象に残っている。だから、本書に関心を抱いた。

 本書は天安門事件から4ヵ月後の1989年10月に出版され、すぐに発禁になり、年末には書店から消えたそうだ。著者はウイグル人の作家で、2001年に77歳で亡くなっている。ウイグル人の歴史をかなり詳しく語った本だが、14世紀頃までで唐突に終わっている。天安門事件による情況悪化を見て、未完の原稿を急遽出版したらしい。

 原書はウイグル語で書かれている。本書はウイグル語からの日本語訳で、総ルビなのが異様である。日本語を勉強中の中国人(ウイグル人)を意識しているのかもしれない。訳者あとがきによれば、新疆では徹底した漢語教育がなされ、ウイグル語が話せても読み書きができない世代が生まれてきているそうだ。

 で、そもそも「ウイグル人」とは何か、という問題である。森安孝夫氏は『シルクロードと唐帝国』(初版)において「古い時代のウイグルが民族集団として活躍するのは唐帝国からモンゴル帝国(元朝)の時代までであり、それ以後ウイグルの名前はいったん消滅する」として、次のように述べている。

 「それが二十世紀前半になって東トルキスタンの政治的統一の必要に迫られた時、かつて栄光に包まれていたウイグルの名前を全体名称として採用するのである。つまり本来ウイグルではない旧カラハン朝治下のカシュガル人・コータン人までもウイグルと呼ぶようになったのであり、古代ウイグル史を専門とする私に言わせれば、こうした新ウイグルは偽ウイグルである。しかも古ウイグルはイスラム教徒(ムスリム)ではない。」

 この「偽ウイグル」という表現が、日本に留学中の現代ウイグル人の間で物議をかもし、森安氏は文庫本版ではこの表現を削除して書き直した。論旨を変えたわけではない。森安氏はウイグル人などの少数民族をすべて含めて「中華民族」をでっち上げようとしている中国の政策に批判的である。

 近代になってできた「民族」という概念で古い歴史を見ようとすると、いろいろ無理が出てくる。特に「ウイグル人」の活躍する中央アジアでは、トルコ系、モンゴル系、イラン系などの多くの部族が移動を繰り返しながら混ざり合ってきたのでややこしい。こんな世界において、近代の概念である民族のルーツを語ろうとすると、限りなくフィクションに近づく。

 本書巻末の解説で三浦小太郎氏は、平均的な日本の歴史学者の本書への見解は「著者トルグン・アルマスのウイグル・ナショナイズムに基づく主観的な歴史書であり、現在の中国政府の一方的な歴史観への抵抗としての意義はあるが、内容的には誇張や問題が多い」という結論に落ち着く、としている。

 高校世界史程度の知識しかない私に本書の評価は無理だが、それでも、あれもこれもウイグル人にしてしまうのには驚いた。8世紀頃から活躍したウイグル人はトルコ系の遊牧騎馬民である。中央アジアでは様々なトルコ系の部族が活躍しているので、著者はそれらの部族の中に多くの「ウイグル人」および「同胞民族」を見いだしているようだ。次のような記述もある。

 「ウイグル人の祖先と同胞民族は匈奴、アクフン(エフタル)、ヨーロッパ・フン、高車、突厥、ウイグル・カガン国、カラハン朝、天山ウイグル国、セルジューク朝、ガズナ朝といった世界的に有名な国家を建てた。」

 また、一般的には世界帝国を築いたモンゴルの末裔はトルコ人に同化したと言われているが、それを「ウイグル人に同化した」と表現している。

 そんな本だが、「ウイグル人」という言葉にこだわらずに読めば、トルコ化とイスラム化がキーワードの、かなり詳しい中央アジア史の本であり、勉強になる。民族や国家と歴史との関係を考える材料にもなる。

 本書はウイグル視点なので漢族を相対化しようとしているが、モンゴル征服王朝への見方が漢族視点に思えた。イスラム視点なのかもしれない。

『玄宗皇帝』(伴野朗)で大唐の春を偲ぶ2020年08月06日

『玄宗皇帝』(伴野朗/徳間文庫)
 吉備真備や玄昉が留学生として過ごした唐は玄宗皇帝の時代だった。玄宗と言えば楊貴妃を連想するが、同時に中国が魅力的に輝いていた国際都市・長安のイメージも重なる。天平時代に関する本を続けて読んだ流れで、次の歴史小説を読んだ。

 『玄宗皇帝』(伴野朗/徳間文庫)

 この小説は1997年に『長安物語:光と影の皇帝玄宗』の題で刊行され、2000年の文庫化の際に改題したそうだ。

 伴野朗の小説は乱歩賞の『五十万年の死角』しか読んだことがなく、ミステリーや冒険小説の作家とのイメージが強かった。『玄宗皇帝』は楊貴妃との絡みをメインにした波乱万丈のエンタメ物語と思って読み始めたが、予想とは違った。玄宗の生きた中国を語る史談に近く、おびただしい人名と役職名が次々と登場し、随所に漢詩が挿入されていて、すらすらと読み進めるのは難しい。史実のディティールを噛みしめながら味わう、やや歯ごたえのある小説だった。

 この歴史小説は玄宗の生涯を描いているが、玄宗周辺の人物だけでなく、同時代に生きた李白、杜甫、白居易、阿部仲麻呂、鑑真なども登場し、時代の様相を点描していくスタイルになっている。その意味で元のタイトル『長安物語』の方が内容に合っていると思えた。

 玄宗は27歳で即位し、その治世は44年に及び、77歳で没する。本書のプロローグは死の床にある孤独な玄宗が、亡き楊貴妃を想いながら昏睡していく場面である。玄宗が臥せっている宮殿の外は春たけなわである。作者は次のように描いている。

 「――長安の春。それは、彼が築いた絢爛たる大唐の春であった。」

 印象的な表現だ。玄宗の没したとき、すでに唐は衰退期に入っていることを想えば、なおさらである。
 
 本書の前半約三分の一は、玄宗の即位までの話で、この部分の主人公は、かの則天武后(玄宗の祖母)である。あの凄まじい女帝の時代を生き抜いて台頭していく玄宗(当時は李隆基)を描いたこの部分が私には最も面白かった。

 物語の中盤、玄宗が息子の妃だった楊貴妃を自分のものにする際、玄宗が民の声を慮って悩むシーンも面白い。玄宗は唐王朝が遊牧民である鮮卑の血を引くことを意識していて、「子の妻妾を取り上げるとは、いかにも遊牧民だ」と見られるのを気にしているのである。

 小説の終盤は安史の乱で、安禄山がクローズアップされる。安禄山が胡人と突厥の混血であることは明示しているが、乱の動機を安禄山の楊貴妃への思慕としている。近年の学界では、この反乱を中央ユーラシア史の観点で捉え「早すぎた征服王朝」とみなしているらしい。20年前のこの歴史小説にそんな視点が反映されていないのは、いたしかたない。

 いずれ、本書の漢詩紹介の部分だけでもじっくりと読み返してみたい。