40年後の「解説」で『日本の歴史』を楽しむ2017年09月07日

中公文庫版の『日本の歴史 第13巻 第14巻 第15巻』
 市立図書館の書架に中公文庫の『日本の歴史』全26巻が並んでいた。1965年から1967年にかけて刊行された中央公論社のベストセラー叢書『日本の歴史』の文庫版だ。私は数年前に元版の函入ハードカバー版全31冊(別巻5冊を含む)を5千円で購入し、ボチボチ読んでいる。

 図書館の文庫版を手にすると「解説」が付加されていた。この文庫版の刊行は2005年なので、原著刊行の約40年後に書かれた「解説」だ。40年という年月は世代交代には十分な時間で、見晴らしのいい時点からの「解説=評価」が期待できる。その「解説」を読んでみたいと思い、最近読んだ第13巻、第14巻、第15巻を借り出した。

 この3冊の解説者とその肩書は以下の通りだ。

 『第13巻 江戸開府/根岸茂夫(國學院大学教授)』
 『第14巻 鎖国/池内敏(名古屋大学大学院教授)』
 『第15巻 大名と百姓/青木美智男(専修大学教授)』

 解説者は原著者の弟子あるいは後輩にあたる研究者のようだ。この3編の「解説」は史学の門外漢である私には難しかった。十分には理解できないが、読み応えはあった。研究者が学界における研究動向のあれやこれやを解説しているので話が専門的になってしまう。それでも学界の議論の雰囲気が伝わってきて、それなりに面白かった。

 3人の解説者はそれぞれに原著の意義を評価しつつ、その後の研究によって見直しが必要になってきた事項や新たに重視されはじめてきた事柄などを指摘している。例えば次のような指摘だ。

 ・近世の朝廷という存在への着目が高まり、朝幕関係の研究が進んだ。
 ・あまり評価されていなかった秀忠の政治の評価が高まった。
 ・対外関係史におけるアイヌ、琉球、朝鮮との関係の研究が進んだ。
 ・第14巻で述べられている「鎖国」理解は、現在では乗り越えられている。
 ・慶安御触書は慶安期には存在しなかった。

 他にもいろいろあり、興味深い事項も多いが簡単にまとめるのは難しい。

 3つの「解説」を読み、約半世紀前の『日本の歴史』と約40年後の「解説」をセットで読むのは「当たり」だと思った。新たに刊行された通史や概説書を読むより、時間を経た二種類の文章を読む方がダイナミックで面白い。今後、書架の『日本の歴史』のどれかを読むときは、続けて市立図書館の文庫版の「解説」も読もうと思う。

 この「解説」自体すでに10年以上昔のものだから最新の研究動向はまた変わっているかもしれない。それは、とりあえず気にしない。10年前の視点で50年前を見るだけでも十分に興味深い。

『江戸開府』を補完する『鎖国』『大名と百姓』を読む2017年09月03日

『日本の歴史14 鎖国』(岩生成一/中央公論社) 、『日本の歴史15 大名と百姓』(佐々木潤之助/中央公論社)
◎三巻でワンセットとは言うものの…

 先日読んだ中央公論版『日本の歴史13 江戸開府』(辻達也)の「はしがき」で著者は次のように書いていた。

 「わたしが江戸幕府を中心に述べるこの巻と、海外との関係を中心とする「鎖国」の巻と、諸藩および農村の歴史を中心とする「大名と百姓」の巻と、この三巻によって近世の社会全体が確立してゆく過程が叙述されるわけである。通例この三巻に相当する部分はひとまとめにされるものであるが、あえて三巻に分け、それだけページ数を多く割り当てたことは、『日本の歴史』全二十六巻の構成における一つの特色といいうるであろう。」

 つまり、三巻でワンセットだと述べているのだ。『江戸開府』を読んだだけでは中途半端だと言われているようで落ち着かない。強制された気分で次の続巻も読んでしまった。

  『日本の歴史14 鎖国』(岩生成一/中央公論社)
  『日本の歴史15 大名と百姓』(佐々木潤之助/中央公論社)

 読んでみると、『鎖国』『大名と百姓』の2巻は『江戸開府』とはかなりトーンが異なる内容だった。三巻ワンセットとは言うものの、第13巻の『江戸開府』には鎖国や百姓への言及もあり、江戸初期の歴史を把握するには第13巻だけで十分だったと思えた。もちろん、第14巻、第15巻がつまらなかったわけではないが…。

◎鎖国以前の国際化を再認識

 『鎖国』は、むしろタイトルを「近世海外交流史」とでもした方が適切な内容で、1543年の鉄砲伝来から鎖国後の1700年までの1世紀半を描いている。史料の紹介や引用が多く、海外から日本に来た人々や日本から海外へ行った人々の姿が具体的に描かれている。臨場感があり、ロマンも感じる。

 本書では、海外にできた日本町に関して著者の実地調査をふまえてかなり詳しく述べている。あらためて、往時の日本人の海外雄飛のさまに感心した。海外貿易の規模が意外に大きかったことも知り、認識を新たにした。

 キリシタンに関する叙述も面白い。イエズス会の他にもフランシスコ会、ドミニコ会などいろいろ渡来し複雑だ。禁教で弾圧されることを承知であえて日本上陸を目指す宣教師たちにも驚かされる。また、天正少年使節(1582年出航、1590年帰国)と支倉常長遣欧使(1613年出航、1620年帰国)の経緯・てんまつの比較も興味深い。

 最近の教科書では「鎖国」という語をあまり使わず「四つの口(長崎、対馬、琉球、松前)」の説明がなされているそうだが、1966年刊行の本書には当然ながらそんな記述はない。とは言え、鎖国の時代にも海外とつながっていたというトーンにはなっている。「鎖国」という言葉は1802年になってはじめた使われたとの説明もある。

◎農村の古文書解読で社会の変容を解明

 『大名と百姓』は難儀な本だった。『鎖国』には大量の史料が引用されていたが、『大名と百姓』はそれ以上に古文書解読のオンパレードだ。一般人向けの歴史概説書と言うよりは、大学の史学科学生向けの研究現場からのレポート披露の趣がある。紹介史料にまつわる研究者の名前もたくさん出てくる。

 本書で紹介されるメインの古文書は農村の旧家に眠っていた文書で、検地・年貢など農村の実態を伝えている。著者はその解読を通じて百姓の具体的な姿を描き出すとともに大きなトレンド(家父長的農業→自立した小百姓)も解明しようとしている。

 読み始めてすぐに面くらい、途中で投げ出そうかとも思ったが、大名家のお家騒動や佐倉宗吾伝説の紹介・分析など興味深い話もあり、何とか通読した。と言っても古文書に出てくるさまざまな数字の細か検討などは読み飛ばした。検討結果を大雑把につかめればいいという気分の読書時間だった。

 江戸時代の百姓の実態への興味が高揚し、時間ができたとき、じっくり精読すればかなり面白く読める本だろうと思った。

歴史小説の補完に歴史概説書『江戸開府』を読む2017年08月26日

『日本の歴史13 江戸開府』(辻達也/中央公論社)
◎家康・秀忠・家光の50年史

 『関ヶ原』(司馬遼太郎)を皮切りに家康関連の歴史小説(『影武者徳川家康』『城塞』『覇王の家』を続けて読み、これを機に小説ではない歴史書で史実のあらましを掴んでおこうという気分になり、次の本も読んでみた。

  『日本の歴史13 江戸開府』(辻達也/中央公論社)

 半世紀前に出版されたベストセラー歴史叢書の1冊だ。古い本だが、最近の学説を知りたいという大それた動機はなく、300年以上昔の出来事の概要を知るには十分だと思った。

 この巻はおおむね関ヶ原から家光死去までのの50年、つまり家康・秀忠・家光の徳川三代50年を幕政中心に叙述している。50年というのは本書が刊行されてから現在までの時間とほぼ同じであり、68歳になった私から見れば長くもあり短くもある時間で、1巻の歴史概説書に収めるには手ごろな時間に思える。

◎やはり家康は狸親父

 小説でないにもかかわらず、本書を読み終えると江戸開府50年に歴史ドラマを感じた。小説のネタになりそうなドラマチックなあれこれが散りばめれている。本書の前半は大阪の陣までで、大きな出来事はそこまでのように思えるが、その後の約20年間の出来事も興味深い。

 本書のメイン登場人物はやはり家康であり、著者の家康像は「狸親父」に近い。家康が狸親父といわれたのは、家康73歳のときの大阪の陣での狡猾なやりかたに由来するそうだが、その50年前、家康23歳のときの三河一向一揆への対応で「その狸ぶりは遺憾なく発揮されている」と著者は指摘している。また、家康の性格を示す「忍」は忍耐であるとともに残忍の忍であるとも述べている。

 家康の多大な業績を評価した上での寸評だが、家康はやはり嫌われキャラだ。

◎普遍的な「文吏派 vs 武功派」

 本書で面白く思ったのは、石田三成と本多正信・正純が類似しているとの指摘だ。石田三成は豊臣家の文吏派で武功派の加藤清正、福島正則らから嫌われ、豊臣家の武功派が家康に与したために関ヶ原で敗れた。本多正信・正純の親子は家康と秀忠のブレーンで、いわば徳川家の文吏派である。彼らは関ヶ原や大阪の陣で徳川を勝利に導いた功労者だが、その後失脚する。

 秀吉の近習である武功のない三成が赫々たる武功のある家臣から嫌われ、家康・秀頼の近習だった本多正信・正純が徳川家の古くからの家臣から嫌われる…確かに似た構造だ。

 著者は三成に対する武功派の反発を中央専制指向への抵抗と見ている。天下一統は中央専制だが家康を含む武将たちはそれに抵抗したのだ。納得できる見解だ。

 三成らの中央専制に反発した家康も関ヶ原以降は専制的中央政権指向になる。自分が「中央」になったのだから当然だ。そして幕政の基礎固めを始める。この段階で本多正信が逝去し正純が失脚したのは、個人の時代から組織の時代へと移行したからだと著者は説明している。ナルホドと思った。

 権力者に近いブレーンと実績を積み上げてきた現場との対立は現代の企業にも見られる普遍的構造に見える。オーナー社長の世代交代の際には周辺を巻き込んだドラマが発生することも多い。そこには妬みなどの心理的理由を超えたさまざまな内実がある。江戸開府の頃の歴史を読みながら、歴史は人間ドラマの繰り返しだという感が強まった。

◎現代の「かぶき者」は…

 本書の末尾近くに「かぶき者」に関する記述があり、次のように書かれている。

 「現今でいえば、先年流行した太陽族とか、近ごろ話題となったみゆき族など、さしずめ「かぶきたる体」である。」

 1966年3月刊行の時代を感じさせる例えで、私は非常に面白く読んだ。私の世代にはわかりやすいが21世紀の若い人に伝わるだろうか。

 1950年代の「太陽族」や1960年代の「みゆき族」を現代の何に置き換えればいいのか考えてみたが思い浮かばない。「かぶき者」がいない時代になったのか、私がすでに時代から取り残されて現状を把握できないのか、どちらなのかよくわからない。

司馬遼太郎の『城塞』『覇王の家』で家康像を探る2017年08月21日

司馬遼太郎の『城塞』『覇王の家』で家康像を探る
 先月、『関ヶ原』(司馬遼太郎)、『影武者徳川家康』(隆慶一郎)を読んだので、その印象が残っているうちに家康関連の歴史小説を読んでおこうと思い、次の2編を読んだ。

 『城塞(上)(中)(下)』(司馬遼太郎/新潮文庫)
 『覇王の家(上)(下)』(司馬遼太郎/新潮文庫)

 『城塞』は関ヶ原後の大阪冬の陣・夏の陣、『覇王の家』は家康そのものを描いた小説である。

 元来、私は徳川家康にさほどの関心はなく、老獪なタヌキ親父という通俗的イメージと「経営者のアイドル」という胡乱なイメージを持っていただけだ。私が十代の頃(半世紀前)、山岡壮八の『徳川家康』という長大な小説(現在、文庫本26巻になっている)が「経営者の指南書」としてブームになった。私はその現象を冷ややかに眺め、若者には無縁の本だと思っていた。

 つい最近、大学時代の友人と飲んでいて、私と関心領域が重なっていると感じていた理系の彼が高校時代に山岡壮八の『徳川家康』を読破していたと知った。驚愕・感心すると同時に人間の多様性とおのれの狭量を再認識した。

 『関ヶ原』を読んだとき、国民作家・司馬遼太郎が家康を権謀術数のイヤな人物に描いているのを少し意外に思った。狡猾な人物という印象だけが残り、「経営者のアイドル」という要素が感じられなかったからだ。『城塞』と『覇王の家』で司馬遼太郎が家康をどう観ているか再確認したいと思った。

 『城塞』の家康のイメージは『関ヶ原』と連続した老獪なタヌキ親父だった。だが、『覇王の家』の家康像はやや異なっている。律義な合理主義者でありながら狂気を帯びることもあったと述べられている。家臣を無条件で信頼するという美徳を持っていたという指摘や「人のあるじ」であることの不自由さを自覚し、自分をそんな存在だと規制していたとの見解も示されている。これらは「経営者の指南書」につながるかもしれない。

 ちなみに、これらの作品の発表年は『関ヶ原』が1966年、『城塞』が1972年、『覇王の家』が1973年である。作者の家康観が年とともに変化したわけではなく、作品のスタイルによって叙述の視点や濃淡が異なっているのだと思われる。

 『関ヶ原』と『城塞』は、「関ヶ原の戦い」「大阪冬の陣・夏の陣」という大事件を巡って蠢く人々の人間ドラマであり、主人公らしき人物はいるものの基本的には群像劇だ。そこに作者の多様な人物論がおりこまれている。『覇王の家』は家康の生涯を検証しながら、その後幕末までの時代精神も俯瞰しようとした史談である。物語としての面白さは『関ヶ原』『城塞』にあり、歴史を鳥の目で見る妙味は『覇王の家』にある。

 司馬遼太郎は『覇王の家』において家康の「農民性」「閉鎖性」「独創性のなさ」などを指摘し、それがその後の日本の気風を形成したとみなしている。次のような記述もある。

 「信長や秀吉は貨幣経済に力点を置き、さらに国家貿易を考え、国家そのもを富ましめようとしたが、家康の経済観は地方の小さな農村領主の域から一歩も出ず、結局この家康の思想が徳川政権のつづくかぎりの財政体質になり、財政の基礎を米穀に置きつづけるようになり、勃興してくる商業経済に対抗するのにひたすら節約主義をもってし、そのまま幕末までつづく。」

 「徳川幕府は、進歩と独創を最大の罪悪として、三百年間、それを抑制しつづけた。あらたに道具を発明する者があればそれを禁じ、新説に対しては妖言・異説としてそれを禁じた。異とは独創のことである。異を立ててはならないというのが徳川幕府をつらぬくところの一大政治思想であり、そのもとはことごとく家康がつくった。家康の性格がそうさせたものとみていい。」

 手厳しい見解である。どこまで当たっているか、私には判断できない。家康の影響も大きかったろうが、それに対抗する精神活動も育まれたのではなかろうかとも思えるのだが…。

 『覇王の家』はやや尻切れトンボの小説である。家康誕生以前の三河の情況概説から始まり、小牧・長手久の事後処理の家康45歳までが語られ、次の章はいきなり「その最期」というタイトルで、74歳で家康が没する場面になる。没するまでの30年間(その間に家康の関東入国、秀吉逝去、関ヶ原、大阪の陣など大事件が続く)はバッサリと省略されている。『関ヶ原』『城塞』と重複するから飛ばしたのだろうか。45歳までで家康像は語り尽くせたと作者が判断したのかもしれない。

 いずれにしても『関ヶ原』『城塞』『覇王の家』と続けて読んだのは正解だったと密かに自己満足した。

『関ヶ原』(司馬遼太郎)と『影武者徳川家康』(隆慶一郎)をセット読み2017年07月30日

『関ヶ原(上)(中)(下)』(司馬遼太郎/新潮文庫)、『影武者徳川家康(上)(中)(下)』(隆慶一郎/新潮文庫)
◎猛暑日には司馬遼太郎?

 猛暑日が続くとグッタリして読書意欲も減退する。そんな中で手が伸びたのが司馬遼太郎の『関ヶ原(上)(中)(下)』(新潮文庫)だった……そんな動機は司馬遼太郎に失礼だろうか。だが、その語り口には猛暑に喘ぐ読者をも引き込んでいく独特の飄々とした力がある。今回、『関ヶ原』を読んで、あらためてそう感じた。

 『関ヶ原』全3巻はかなり以前に古書で入手し書架に積んでいた。その隣には『影武者徳川家康(上)(中)(下)』(隆慶一郎/新潮文庫)も積んでいる。この二つはいずれセットで読むつもりで並べていたのだ。

 隆慶一郎が面白いと友人から薦められたのは20年以上昔で、気がかりな作家だったがアッという間に年月は流れた。彼の代表作とおぼしき『影武者徳川家康』を古書で入手したのが1年近く前。タイトルからおよその内容は推測できるが、家康に関してさほどの知識もないので、小説を楽しむには事前に司馬遼太郎の『関ヶ原』あたりを読んでおくのがいいと考え、同じ時期に『関ヶ原』も購入した。

 そんな事情で書架に積んでいた『関ヶ原』に手が伸びたのは猛暑に加えて、来月末に映画が公開されると知ったのもきっかけだった。

 『関ヶ原』は雑事をこなしつつも1日1冊の快調なペースで読了した。続いて取り組んだ『影武者徳川家康』は予想した以上に歯ごたえのある面白い小説で、多少の時間を要した。

◎暗い政治手法は徳川家の家風?

 『関ヶ原』は石田三成に焦点を当てた歴史小説で、徳川家康は悪役に近い。家康は老獪な権謀術数のタヌキ、三成は横柄で器量はないが魅力的な人物に描かれている。司馬遼太郎の歴史小説は人物論エッセイに近く、そこが面白い。

 この小説は「石田三成+謀臣・島左近」vs「徳川家康+謀臣・本多正信」という構図になっていて、冒頭近くで徳川側について以下のように述べられている。

 「密偵、暗殺などの暗い政治手段は、徳川家の家風にしみついた固有のしみというべきもので、この悪癖は幕末までなおらなかった。
 家康の性格といっていい。
 あるいは、家康をたすけ、家康の気質をのみこんで謀(はかりごと)をたてている参謀筆頭の本多正信のこのみでもあったろう。」

 なかなか手厳しい見解であり、司馬遼太郎は家康が好きでなかったと思われる。そんな家康が元・豊臣家臣たちを取り込んで周到に「東軍」を形成していくのに対し、三成側の「西軍」は内部に不協和があり、これでは「西軍」が勝てるわけはないと思えてくる。

 短時間で終了した決戦では「西軍」に勝機があったものの、作者が魯鈍と見なす小早川秀秋の寝返りで「東軍」が征する。戦さとは実際にやってみなければ結果がわからないものだ。

 本書の最終章は、それまではあまり登場しなかった黒田如水に関する記述で幕を閉じる。如水は『関ヶ原』を機に密かに天下取りを狙っていたという踏み込んだ話になっている。やや意外な面白い終幕だと思った。

◎『影武者徳川家康』は緻密で大胆な深い小説

 『影武者徳川家康』では、司馬遼太郎の『関ヶ原』で活躍した島左近や本多正信が中心人物として活躍する。それだけで、セット読みは正解であったとひそやかに満足した。

 『影武者徳川家康』の冒頭は関ヶ原である。そこで家康は暗殺され、影武者が家康に入れ替わる。その影武者が関ヶ原以後の16年間を家康として采配をふるい、生を全うするまでの物語である。そんな大胆な設定ではあるが、荒唐無稽な面白小説ではなく律義に史料をふまえた歴史小説になっているのに驚いた。

 家康入れ替わり説は以前からあったそうだが、隆慶一郎はそれを緻密に検証し己の推理を交えて一篇の歴史小説に仕上げている。文庫本の解説(縄田一男)によれば、作者は小説執筆前に歴史学者・小和田哲也氏から「影武者説に関しては正しいと断言することはできないが、また違うと断じる確たる証拠もない。あなたがそういう作品を書くことは、今日の歴史学にとっても大いに刺激になるだろう」という見解を得ていたそうだ。

 そんな「史実らしさ」に加えて網野義彦の史学が大いに取り込まれていて、小説の中に「公界」「無縁」「アジール」などという言葉が出てくるのにも驚いた。家康に入れ替わった影武者の出自は「無縁」であり、家康に入れ替わってからは「公界」の実現を目指していたとう話になっている。司馬遼太郎の指摘する「徳川家の暗い政治手法」を体現するのは2代将軍秀忠家であり、それに対抗するのが影武者家康である。読みようによってはかなり深い物語だ。

◎誰も加齢には勝てない

 『関ヶ原』と『影武者徳川家康』を読了してあらためて認識したのは、秀吉や家康のように野望を達成したように見える人間も、結局のところ加齢に勝つことはできなかったという事実だ。彼らの若い敵方から見れば、どうにも勝てない相手に対しては時間が最終的解決手段になる。いつの時代にも通用する厳然たる現実である。それが69歳を目前にした私の感慨でもある。

『サピエンス全史』を読んで小松左京の『未来の思想』を想起2017年07月10日

『サピエンス全史:文明の構造と人類の幸福(上)(下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田裕之訳/河出書房新社)
 ベストセラーと喧伝されている『サピエンス全史:文明の構造と人類の幸福(上)(下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田裕之訳/河出書房新社)を読んだ。評判通りの面白い本だった。

 『サピエンス全史』という邦訳タイトルから人類史の概説書と思ったが、科学エッセイ風でとても読みやすい。冒頭に近い「不面目な秘密」という項では、かつてはホモ・サピエンスと時代を共にしていたホモ・サピエンス以外の「人類」(ネアンデルタール人など)がなぜ生き延びなかったを解説している。興味深い視点の考察で引き込まれる。本書にはこのようなツカミが随所にあり、読者を飽きさせない。

 本書は次の4部構成になっている。

   第1部 認知革命
   第2部 農業革命
   第3部 人類の統一
   第4部 科学革命
 
 つまり、歴史をマクロな視点で俯瞰しているのだ。地球上のあちこちで発生した様々な出来事や歴史的局面がすっきりと整理整頓統合されていて、普通の歴史書では得られない景色が見えてくる。数百万年という時間を見晴らしよく一望した気分になれるのは得難い体験だ。

 また、本書はわかりやすい「共同幻想論」でもある。ホモ・サピエンス進化の引金となった「認知革命」とは「共同幻想」の発生に他ならない。神話にはじまり、宗教、貨幣、国民、資本主義、共産主義、帝国などをすべて似たような概念(共同幻想)として記述しているのは、把握しやすい整理だと思う。

 「第2部 農業革命」の最初の章のタイトルは「農耕がもたらした繁栄と悲劇」で、狩猟採集から農耕への移行は人口拡大という繁栄をもたらしたが、個々の人々の生活は悪化したと述べている。多くの人々は狩猟採集の時代より不幸になったというのだ。意外な指摘だ。にわかには信じがたいが、著者の論述を読んでいると、そうだったのかなという気になってくる。

 著者がなぜそんな指摘をしたかは、終わり近くの「文明は人類を幸福にしたか」を読むと納得できる。ただし、この章の問題提起は回答のない課題に思われる。

 本書を読んでいてジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を連想した。だが、読み終える頃には、むしろ小松左京の『未来の思想:文明の進化と人類』(中公新書)が想起された。

 半世紀前に読んだ『未来の思想』の内容を憶えているわけではない。ただ、「汝ら何ものか? いずこより来たりしか? いずこへ行くか?」というエピグラフは記憶に刻まれている(ゴーギャンの絵を知ったのは後日だ)。そして、人類の文明史全般をコンパクトに要領よくまとめ、その未来像を情報化革命を踏まえて模索するマクロ思考に感心した印象は残っている。『サピエンス全史』の読後感は半世紀前に『未来の思想』に抱いた感慨に似ている。

大黒屋光太夫の歴史小説を読んで「鎖国」について考えた2017年06月23日

『おろしや国酔夢譚』(井上靖/文春文庫)、 『大黒屋光太夫』(吉村昭/新潮文庫)
◎エカチェリーナ宮殿で江戸時代を思った

 今月上旬のロシア観光旅行から帰国後、大黒屋光太夫を扱った次の歴史小説2編を続けて読んだ。

  『おろしや国酔夢譚』(井上靖/文春文庫)
  『大黒屋光太夫』(吉村昭/新潮文庫)

 サンクトペテルブルグ近郊のエカチェリーナ宮殿の絢爛豪華な内部を見学しているとき、日本語ガイドのロシア人女性が次のような解説をした。

 「この広間は日本にも関連があります。エカチェリーナ2世はここで大黒屋光太夫を謁見しました。大黒屋光太夫は『おろしや国酔夢譚』という映画にもなっています。この映画はロシアのテレビで放映されたこともあります」

 江戸時代にロシアに漂着した船頭を題材に井上靖が『おろしや国酔夢譚』という小説に書いているとは知っていたが、未読の小説なので詳細は知らなかった。エカチェリーナ2世が奔放な啓蒙女帝で興味深い人物だとの断片的知識と関心はあったが、その女帝が漂着した日本人を謁見したとは知らなかった。その謁見から二百数十年後の現場に立ち、大黒屋光太夫という人物が身近に感じられ、帰国したら『おろしや国酔夢譚』を読もうと思った。

◎大黒屋光太夫の波乱万丈と帰国後の苦さ

 そんなわけで『おろしや国酔夢譚』を読んだ。この本の扉には大黒屋光太夫の足取りを描いた地図が載っている。これを眺めるだけでも、茫漠たる気分になる。

 1782年に伊勢から江戸に向けて出航した大黒屋光太夫ら17人は暴風のためアリューシャン列島の小島に漂着する。その後、ロシア本土の東岸へ移動し、その間に約半数が絶命する。そしてシベリアを西へ西へと移動しイルクーツクへ至る。船頭の大黒屋光太夫は皇帝に帰国を嘆願するため、さらに西のペテルブルグにまで赴き、ようやく帰国許可を得て、来た道を東へと引き返し、東端のオホーツク港からラクスマンの船で帰国する。出航から約10年が経過しており帰国できたのは3人、その内の一人は根室で絶命する。函館で幕府に引き渡され江戸に帰還したのは大黒屋光太夫と磯吉の2人だけだった。この10年の足跡の地図は日本とヨーロッパを往復する広大な地図だ。

 その足跡をたどった『おろしや国酔夢譚』を興味深く読み進めることができた。特にペテルブルグにたどり着くまでの艱難辛苦が圧巻だ。そして、帰国後は江戸にとどめ置かれ軟禁状態になる最終章の苦さが印象深い。帰国したいという切望がかなった後、自分たちは見てはならないものを見てきてしまったので幽閉されざるを得ないという感覚にとらわれる。望郷の切望がかなった後の現実への覚醒と酔夢譚のおりなす綾である。

◎井上靖から37年後の吉村昭の『大黒屋光太夫』

 『おろしや国酔夢譚』をネットで注文するとき、同じ題材を扱った吉村昭の『大黒屋光太夫』という小説の存在を知った。『おろしや国酔夢譚』を読了し、大黒屋光太夫に関する物語の概要はわかった気分になったが、同じ人物を吉村昭はどう料理しているか興味がわき『大黒屋光太夫』も読んだ。

 同じ題材ではあるが、井上靖版がやや史談風なのに対し吉村昭版はやや物語風で、水主の磯吉や庄蔵などの造形はかなり異なっている。そして、帰国後の描写が大きく異なる。

 井上靖の『おろしや国酔夢譚』の刊行は1966年、吉村昭の『大黒屋光太夫』の刊行は2003年で、37年の隔たりがあり、吉村昭の方がより豊富な史料を活用しているようだ。新潮文庫版『大黒屋光太夫』に収録されている著者の「文庫版あとがき」や川西政明氏の解説を読むとその辺の事情がわかる。

 1966年頃には大黒屋光太夫が江戸で幽閉状態にあったというのが定説だったが、その後の史料研究でそれは否定されているらしい。大黒屋光太夫や磯吉は故郷への一時帰還も許され、かなり自由にすごしていたそうだ。江戸に居住させられたのは、いつ来航するかわからないロシアへの備えの一環だったらしい。『おろしや国酔夢譚』の印象深いあの最終章の苦さは、史実とは少し異なっているようだ。

 とは言え、大黒屋光太夫や磯吉が異国で過ごした日々を酔夢のように感じ、故国で過ごす現実の日々に時として違和感をもったであろうとは推測できる。

◎「鎖国」とはどういう現実だったのか

 『おろしや国酔夢譚』と『大黒屋光太夫』を読んで、あらためて「鎖国」とは何であったかを検討してみたくなった。「鎖国」とは幕末になって外国からの圧力をかわすための方便として使われた言葉であって、江戸時代の日本は事実上は鎖国していなかったという新説を聞いたことがある。井上靖版と吉村昭版でも鎖国に関する扱いが微妙に違っているように思える。だが、大黒屋光太夫の前には厳然と「鎖国」という現実が存在しているようにも見える。江戸時代の役人、学者、商人、庶民たちが鎖国や海外をどうとらえていたのか興味深い。

アウシュヴィッツ強制収容所に行った2017年05月27日

(上)第1収容所入口、(下)第収容所入口
 先週、約1週間のポーランド観光ツアーに参加した。20人余りの団体の大半は私と同じ高齢者で、男性より女性の方が多い。ポーランドはヨーロッパのやや外れにあり、他の国々は見尽くしてポーランドを選んだというツアー・リピーターが多いように思われた。

 このツアーにはオプショナルで「アウシュヴィッツ強制収容所見学」が含まれいて、私の目当てはこれだった。アウシュヴィッツに関しては様々な本や映像で一通りのことは知っているつもりだが、現場の雰囲気を体感しながら歴史の暗部を振り返ってみたいと思ったのだ。

 アウシュヴィッツはポーランド第2の都市クラクフ(かつてのポーランド王国の首都)からバスで2時間ばかりの場所にある。オプショナルなので、アウシュヴィッツに行かない人はクラクフで自由行動となっていたが、ツアー参加者の全員がアウシュヴィッツ行きを選択した。ちょっと意外だった。

 アウシュヴィッツには公式のガイドがいる。そこには唯一の日本語公式ガイド・中谷剛氏がいる。中谷氏は『アウシュヴィッツ博物館案内』(凱風社)という著書もあり、私も事前にその本を読んでいた。その本には次のような一節がある。

 「アジアからの訪問者も年々増えている。特に韓国からの訪問者が多く、2011年は4万3000人に上った。日本からの見学者は年間1万300人に増えた。ヨーロッパの見学者の74%が14歳から25歳までの若年層であるのに対し、遠距離のせいもあってか、アジア----特に日本----からの訪問者はお年を召した方が中心であるのは、ある意味で残念なことだ。」
 
 アウシュヴィッツでのわれわれのガイドは中谷剛氏だった。上記の本が書かれた2011年には日本からの来訪者は1万人程度だったが、その後も来訪者は増加し、昨年は3万人を超えたそうだ。中谷氏がガイドできるのは1日に2回なので、すべての日本人のガイドはできなくなっているそうだ。日本人来訪者の大半が高齢者なのは変わらない。

 中谷氏のガイドはユダヤ人迫害のかつてのドイツの状況を現代の排外主義風潮、ヘイトスピーチ、ポピュリズムなどと重ね合わせて解説する部分もあり、含蓄に富んでいた。中谷氏ならずとも、高齢者ではなくい日本の若い人々もここを見学しやすくなればと思った。

 1948年生まれの私にとってアウシュヴィッツ強制収容所は生まれる数年前まで存在した同時代の事象という感覚がある。しかし、21世紀の若者にとっては、遠い過去の歴史上の出来事だろう。だからこそ、歴史に学ぶ場としてのアウシュヴィッツの現代的意義は増大する。

 アウシュヴィッツの現場に立って、あの有名な「ARBEIT MACHT FREI」の文字がある門は意外と小さく感じた。第一収容所全体も思ったほど広くはない。陳列されている犠牲者の様々な遺品や頭髪の山には息を飲むしかない。第二収容所のビルケナウは広大だった。

 われわれのグループに10年ほど前にもアウシュヴィッツに来たという無口な高齢者がいて、ビルケナウをもっとゆっくり見学できないだろうかと要望したが、それはかなわなかった、私が彼に「なぜ、2回も来たのですか」と尋ねると「何度でも来たい」という答が帰ってきた。そもそもの来訪のきっかけはフランクルの『夜と霧』を読んだことだそうだ。そんな人もいるのだ。

 ポーランド政府観光局が制作した日本語の冊子があり、アウシュヴィッツを含めて13の世界遺産を紹介している。アウシュヴィッツ以外の世界遺産は見開きか4頁で紹介しているのに、アウシュヴィッツだけは1頁だ。ドイツ人が作った強制収容所を観光地として宣伝したくないという観光局の気持ちはわかる。景勝地や歴史的建造物など他の世界遺産と異質なのは確かだ。

 だが、アピールの方法が難しくても、重要な遺跡であるアウシュヴィッツへの多くの人々の来訪を促すべきだ。現地を訪れて強くそう思った。

那覇市の映画館で『アラビアの女王』を観た2017年04月15日

 今週前半は沖縄・那覇市で過ごした。県庁前の「パレットくもじ」9階の映画館「シネマパレット」で『アラビアの女王』を上映中だった。東京で見逃した映画だ。

 『アラビアのロレンス』の女性版で、実話に基づいた「イラク建国の母」の物語と聞いていたので、欧州・中東の近代史の勉強になりそうで興味があった。その映画を那覇で観ることができた。期待したような歴史物語ではなく恋愛映画に近い作りではあったが、20世紀中東史への関心を喚起する話だった。

 この映画の主人公は、アラビアのロレンスより20歳年長の英国の貴婦人・ガートルード・ベルである。私はこの映画で初めてアラビアで活躍したこの女性のことを知った。

 映画は史実をベースにしたフィクションだが、砂漠のシーンに魅了された。砂漠と言えば『アラビアのロレンス』と『眼には眼を』が印象深いが、そんな過去の映画を彷彿とさせる砂漠の映像だ。

 主演はニコール・キッドマンで、美しき女親分が従者を引き連れて砂漠の部族を歴訪する話だ。その歴訪を観ていると往年のテレビ番組「兼高かおる世界の旅」を連想し、ガートルード・ベルが兼高かおるに重なって見えてきた。

 また、「西のかた陽関を出ずれば故人なからん」という漢詩や「蒙古放浪の唄」などが醸し出す大時代的砂漠ロマンの世界も想起され、砂漠へと旅立つシーンにうっとりした。

 と言っても、この映画の歴史的な背景にはサイクス=ピコ協定などイギリスの二枚舌、三枚舌外交がある。砂漠を旅行く駱駝の隊列にロマンを感じても、この映画に登場するイギリス人たちの活躍に素直に納得するわけにはいかない。『アラビアの女王』はあえてそんな葛藤を避けた内容になっているのだが…

 沖縄の地でこの映画を観ていると、20世紀の中東と21世紀の沖縄に通底するものがあるように思えてきた。

ホロコーストを掘り下げた『ブラックアース』は啓蒙の書だ2017年04月04日

『ブラックアース:ホロコーストの歴史と警告(上)(下)』(ティモシー・スナイダー/池田年穂訳/慶應義塾大学出版会)
 米国の歴史家ティモシー・スナイダーの『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン大虐殺の真実(上)(下)』を読んだので、その続編的な位置づけの次の本を半ば義理のような気分で読んだ。

 『ブラックアース:ホロコーストの歴史と警告(上)(下)』(ティモシー・スナイダー/池田年穂訳/慶應義塾大学出版会)

 著者は1969年生まれ、原著は2015年9月、翻訳版は2016年7月刊行。比較的若い学者の最近の著作で、従来の観方を更新する新たな見解の本に思える。

 『ブラッドランド』と『ブラックアース』、タイトルも翻訳版の表紙の雰囲気もよく似ている(出版社は異なる)。扱っている時代も地域もほぼ同じだ。前者は、1933年から1945年の間にドイツとソ連に挟まれた地域で発生した約1,400万人にのぼる「大量殺人」の史実を描いている。その1,400万人の内の540万人がホロコーストで殺されたユダヤ人だった。後者はこのホロコーストの内実を描いている。

 ホロコーストの歴史は『ブラッドランド』においてもかなり語られている。ホロコーストについて新たに大部の著作を書くのは材料の二重売りではないか、正直言って読む前にはそんな気もした。続けて読むと多少の重複感があるのは確かだ。しかし『ブラックアース』は『ブラッドランド』とは切り口の異なる本で、著者があえて本書を世に問う動機が了解できた。

 本書はホロコーストの実態とその由縁を丁寧に掘り起こし、21世紀の世界においてもホロコーストに似た事態が発生する可能性を警告している。

 ナチス時代にドイツのユダヤ人がドイツ人に大量に殺されたのがホロコーストではない、というのが本書の一つの指摘だ。殺されたユダヤ人の大半はドイツ以外の地域に在住していた人々であり、ドイツ以外の場所で殺されている。その殺害にはドイツ人以外の多くの人々が関わっている。

 大量殺害を可能にした大きな要因が「国家の破壊」にあるという見解が本書の眼目だ。大規模なホロコーストはナチスやソ連によって国家が破壊された地域で発生している。傀儡政権であってもまがりなりにも国家の形が存続していた地域のユダヤ人の生存率は、国家が破壊された地域の生存率よりかなり高かったそうだ。

 本書には「アウシュヴィッツの逆説」という章がある。アウシュヴィッツだけを観ていてはホロコースト全体を見誤るというのが著者の指摘だ。アウシュヴィッツで殺されたユダヤ人は約100万人で、収容者の生存率は約10パーセントだ。ホロコースト全体で540万人が殺されている。アウシュヴィッツはホロコースト後期の一部を担っているに過ぎず、アウシュヴィッツ以前にすでに大量のユダヤ人が殺害されていた。

 アウシュヴィッツのガス室という秘密めいた場所にホロコーストを押し込めると「そんなことになっているとは知らなかった」という主張の裏付けになる。だが、ガス室以前に大量のユダヤ人が銃殺されており、多くの一般の人々がそれを感知していたらしい。アウシュヴィッツだけに注目すると、国家の破壊による無法地域の発生というホロコーストの前提条件が観えにくくなるとも著者は指摘している。

 生存率10パーセントをどう観るかも微妙だ。著者は次のように述べている。

 「アウシュヴィッツに送られるとされていたドイツ支配下のユダヤ人の方が、アウシュヴィッツに送られるとされていなかったドイツ支配下のユダヤ人たちより生き延びる可能性が高かった。これが「アウシュヴィッツの逆説」であるし、国家がどのように破壊されたか、ないし破壊されなかったかを考慮して、はじめてその逆説を解明できる。」

 啓蒙的で興味深い見解である。