歴史を理系の視点で考察した板倉聖宣氏が逝去2018年02月10日

訃報記事、『日本史再発見:理系の視点から』(板倉聖宣/朝日新聞社/1993年)、同書掲載の図表
 本日(2018年2月10日)の朝日新聞朝刊に科学教育の板倉聖宣氏の訃報が載っていた。87歳の老衰死とある。扱いがちょっと小さいなと思った。

 仮説実験授業法の提唱者で『ぼくらはガリレオ』をはじめ多くの著作がある人だ。私は教育とは無縁だが板倉聖宣氏のファンだった。約30年前、偶然に京王線の電車内で板倉聖宣氏と言葉を交わしたこともあり、その経緯は4年前のブログに書いた。

 訃報に接して驚いたのは、ほんの2週間ほど前、板倉聖宣氏の消息が気になってネット検索し、Wikipediaで氏のご存命を確認したばかりだったからだ。

 なぜ気になったのか。それは大河ドラマ『西郷どん!』のせいである。第1回と2回は全部観たが、それ以降は録画したものを早送りで観ただけだ。陳腐な作りが目につき、いまのところあまり興味がわかない。

 その『西郷どん!』の中で、百姓たちは白米など食べたことがないという表現があり、引っかかった。板倉聖宣氏が『歴史の見方考え方』(仮説社/1986年)で、統計データに基づいて「江戸時代の農民がもっとも多く食べていたのは米」と指摘していたからだ。同様の指摘を示す図表が『日本史再発見:理系の視点から』(朝日新聞社/1993年)にも掲載されている。

 単純化して言えば、当時の主食物生産量の約6割は米であり、人口比の少ない武士と町人だけで食べきれる量ではなく、多くの農民は主に米を食べていたと考えざるを得ない、ということである。

 わかりやすい説なので納得できた。そんな記憶があったので『西郷どん!』の「白米を食べたことがない百姓たち」が気になったのだ。武士が食べきれなかった米を薩摩ではすべて焼酎にしたとも思えない。大河ドラマはフィクションとは言え学者が時代考証をしていると考えられる。歴史学者たちが板倉聖宣氏の説をどう評価しているのかが気になり、ネットを検索してみた。私の調べ方が悪いのか、何もわからなっかた。詳しい方にご教示いただければうれしい。

 そんなわけで板倉聖宣氏の消息を検索し、その直後に訃報に接した。合掌。

『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』で塩野七生ワールドの愉楽を味わう2018年02月08日

『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)(下)』(塩野七生/新潮社)
◎中世モノと言えばこの本もあった

 昨年末から中世の本をいくつか読んでいて、未読本に積んであったこの本を思い出した。

 『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)(下)』(塩野七生/新潮社)

 刊行時(2013年12月)に購入し、いずれ読もうと思いつつ放置していた。最近読んだ『中世の風景(上)(下)』(中公新書)の終盤で樺山紘一がフリードリッヒ二世に言及していたので本書を想起した。

 読み始めると引き込まれ、ハードカバーの上下2巻を二日で一気読みした。やはり、塩野七生の歴史エッセイは面白い。『ローマ人の物語』(文庫本で43冊)、『海の都の物語』(文庫本で6冊)を読了したのは7年前で、久々に塩野七生ワールドの愉楽を味わった。

 塩野七生は女・司馬遼太郎のようでありながら別種の魅力もある。女性目線の歯切れのいい人物論・男性論・リーダー論は妙に説得的で教訓的だ。小説仕立てではないのに歴史上の人物が生き生きと身近に感じられ、塩野七生の眼鏡にかなったイイ男(主人公)に読者も感情移入されてしまう。

 フリードリッヒ二世はヨーロッパ中世後期に活躍した神聖ローマ帝国皇帝で、1194年に生まれて1250年に没している。日本なら鎌倉時代の人で、3代将軍源実朝より2歳若い。ヒトラーが敬愛した18世紀プロセンのフリードリッヒ二世(大王)とは別人で、高校世界史の教科書にはあまり登場しない。だが、歴史上の重要人物なのは間違いない。

 私がフリードリッヒ二世を知ったのは、かなり前に『神聖ローマ帝国』(菊池良生/講談社現代新書)を読んだときで、とても印象深い魅力的人物だと思った。今回、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』読み、あらためてこの開明的人物に惹かれた。

◎「笑うしかない」が伝染する歴史エッセイ

 塩野七生はフリードリッヒ二世を「中世に生きながらも200年後のルネサンスに向かう扉を開いた人」と位置付けている。早熟の天才で、中世に生きた近代人だったのだ。早く生まれすぎたにもかかわらず、時代とのおりあいをつけることもでき、ローマ法王との対立を繰り返しながらヨーロッパ随一の皇帝として生涯を全うしている。たいしたものだ。

 本書が面白いのは、主人公に対抗するローマ法王たちがいかにも悪役らしい悪役になっている点だ。塩野七生の「聖職者嫌い」「学者嫌い」が反映されているというより、史料をベースに歴史を組み立ててみると、こんな見方にならざるを得ないと述べているように見える。

 ローマ法王の「法王が太陽で、皇帝は月」という考えに対してフリードリッヒ二世は「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」というイエスの教えで対抗したという見立ては簡明でわかりやすい。フリードリッヒ二世の目指していたものは「政教分離」「法治国家」だという整理も明解だ。こんな歯切れのよさが塩野七生の歴史エッセイの魅力の一つだ。

 それと、今回気づいたのは「笑うしかない」「笑ってしまう」というフレーズが多いことだ。「呆れ返るしかない」も目についた。フリードリッヒ二世や法王たちの言動をたどりながら、著者は笑ったり呆れたりして歴史を楽しんでいる。それが読者に伝染してくるから塩野七生の歴史エッセイは面白い。

 菊池良生の『神聖ローマ帝国』もフリードリッヒ二世を魅力的に描いていて、その中に「当代随一のニヒリスト」と形容している箇所がある。だが、塩野七生はフリードリッヒ二世をニヒリストとは見ていないようだ。死の床で「死ねば何もない」と言ったという年代記作者の説を否定し、「死ねば何もない」などとは思っていなかったのではないか、と述べている。作者の主人公への愛情を感じた。

◎19世紀になって評価され始めた人物

 本書を読了して、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』でフリードリッヒ二世への言及があったかどうか気になった。かなり以前に読んでいるが記憶にない。

 あの長大な史書の後半は、西ローマ帝国滅亡の後、東ローマ帝国が滅亡する15世紀までのヨーロッパ・中東の歴史を描いている。その中にフリードリッヒ二世の時代も含まれる。18世紀啓蒙思想の人だったギボンはキリスト教にも辛辣だった。ギボンが法王と皇帝との対立をどう描いているのだろうかとページを繰ってみた。フリードリッヒ二世という人名が一カ所だけ出てくるが事績への言及はなく、無視に近い。

 調べてみると、法王と対立したフリードリッヒ二世は、後世の教会史研究者たちに「専制的で放縦な無信仰者」と批判されたせいか、あまり評価されてこなかったようだ。19世紀になって歴史家ブルクハルトがフリードリッヒ二世を「王座上の最初の近代人」と評してから注目されはじめたのだ。18世紀のギボンがフリードリッヒ二世に着目しなかった事情がわかった。

 歴史上の人物の評価の変遷は面白い。

座談会『中世の風景(上)(下)』は手ごわかった2018年02月04日

『中世の風景(上)(下)』(阿部謹也・網野善彦・石井進・樺山紘一/中公新書)
 蒙古襲来前後の日本の中世の本を数冊読んだのを機に、この時代の概説書をもう少し読んでみようと思い、次の新書を古書で入手した。

 『中世の風景(上)(下)』(阿部謹也・網野善彦・石井進・樺山紘一/中公新書)

 30年以上前の1981年刊行の新書である。ある記事で本書が著名な日本中世の研究者(網野善彦、石井進)と西洋中世研究者(阿部謹也、樺山紘一)の座談会をまとめたものと知り、興味をもった。阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男』は数年前に面白く読んだ。網野善彦の『無縁・公界・楽』『蒙古襲来』は先月読んだばかりだ。石井進、樺山紘一の著書を読んだことはないが、よく目にする名で記事をいくつか読んでいる。

 門外漢の私でも知っているこの4人の名を見て「豪華メンバー」どだと思った。あまりに専門的な本は敬遠だが、座談会なら読みやすそうだ。『中世の風景』というタイトルも親しみやすくていい。私には手ごろな新書に思えた。

 読み始めてすぐ、大きな勘違いをしていたことに気づいた。難しいのだ。座談会なので「歴史よもやま話」とか「碩学に聞く」といった雰囲気を想定していたが、そんな一般人向けの啓蒙概説書ではなかった。

 考えてみれば、啓蒙的な座談会や対談は、その分野の専門家でない司会者や対談相手(形式的には一般読者に近い立場の人)が専門家からその研究分野の話を聞き出すという形になる。ところが、本書の座談会の参加者は全員が第一線の研究者であり、素人の司会者はいない。その研究分野は日本中世史、西洋中世史と微妙に異なっている。ということは、研究者同士がそれぞれの研究成果をもちよって侃々諤々の議論を展開することになるのは当然だ。研究者や史学科の学生には興味深い内容だろうが、門外漢の素人がこの豪華メンバーの議論についていくのは大変である。

 ついていくのが難しい内容だと気づきギブアップしようとも思ったが、理解できなくて当然と居直って読み進めた。中身をきちんと理解できなくても興味深い話題もあり、議論の雰囲気がなんとなくわかればよしとした。話し言葉の節々に研究者たちの本音に近い事情を垣間見た気にもなった。

 本書は上下2巻で10のテーマが取り上げられ、それぞれのテーマごとに一人が研究報告的な問題提起をし、それを4人で議論する形になっている。テーマと冒頭の発言者は次の通りだ。

 1. 海・山・川(石井進)
 2. 職人(網野善彦)
 3. 馬(阿部謹也)
 4. 都市(樺山紘一)
 5. 音と時(阿部謹也)
 6. 農業(樺山紘一)
 7. 売買・所有と法・裁判(石井進)
 8. 家(網野善彦)
 9. 自由(網野善彦)
 10. 異端(樺山紘一)

 歴史の本にしてはやや異様にも感じられる内容だが、「社会史」という方法の研究テーマはこんな具合になるようだ。興味深い切り口ではある。

 座談会の中で研究者たちが面白がっていても、その面白さが素人の読者にはわからないという場面も多かった。だが、馬の鐙、鞍、蹄鉄がもたらした社会変化の話などはわかりやすくて面白かった。網野善彦の水田中心史観批判や樺山紘一の異端論なども興味深かった。

 本書の何か所かで『無縁・公界・楽』が論議の材料となっていて、そのインパクトを見たように思えた。

 日本の中世と西洋の中世に意外に多くの共通点があり、その時代に社会の大きな変革があったことを知ったのは収穫だった。だが、その社会変革の内容を十分には理解できたわけではない。

 研究者たちの侃々諤々を聞いていると、その該博とディティールへのこだわりに感心し、敬して遠ざかりたいと思ってしまう。同時に、自分も多少は勉強せねばという気分にもなる。本書を読み返して中世の社会変革の内容を勉強すべきか…

蒙古襲来の頃、マルコ・ポーロは元にいた2018年01月28日

『マルコ・ポーロ 東方見聞録』(月村辰雄・久保田勝訳/岩波書店)
 日本を「黄金の国」と紹介したマルコ・ポーロの『東方見聞録』の名は小学生の頃から知っていたが、その後の半世紀以上の人生で、この高名な書を読んでみたいと思ったことはなかった。にもかかわらず、先日読んでしまった。気まぐれ人生の一寸先は闇だ。

 『東方見聞録』を読む気になったのは、小学館版『日本の歴史』の『蒙古襲来』(網野善彦)と中公版『日本の歴史』の『蒙古襲来』(黒田俊雄)を続けて読み、その両方にマルコ・ポーロの『東方見聞録』に関する記述があったからだ。

 『東方見聞録』が元寇に言及していると知り、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を読んでいて元寇に関する記述に遭遇してささやかな感動を覚えた気分を思い出し、『東方見聞録』への興味がわいた。

 私が読んだのは次の版だ。

 『マルコ・ポーロ 東方見聞録』(月村辰雄・久保田勝訳/岩波書店)

 ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロ(1254年~1324年)は17歳のとき父・叔父に連れられて東方へ旅立ち、元の大都(北京)でクビライ・カーンの行政官を務めたりして、41歳になって帰国する。文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)の時代に東アジアに在住していた鎌倉時代末期の人である。

 『東方見聞録』は帰国後にルスティッケロという著述家がマルコ・ポーロの話を文章化したもので、当時は写本の時代なのでいろいろな版が伝えられている。私の読んだ岩波書店版は原本に近い版の翻訳だそうだ。

 マルコ・ポーロに関しては、元の大都まで行ってないとか、マルコ・ポーロは実在しないなどの見解もあり、『東方見聞録』には謎が多い。だが、この本がコロンブスをはじめ後の西洋人に多大な影響を与えたのは間違いない。

 本書には信じがたい奇跡や魔法の話も多く、かなり話を盛っている。マルコ・ポーロの個人的体験談や感想は少なく、情報を収集した地誌に近い。ユーラシア大陸全体からアフリカ東岸にいたるまでの数多くの地名が出てくるのには驚いた。訪問はしていないと明記しているのは日本とマダカスカルぐらいで、他の地域をすべて踏破しているとすれば大旅行である。

 マルコ・ポーロがビルマのパガンも訪れているのには感激した。私は遺跡群の町パガンに2回行ったことがあり、多くの寺院遺跡を残したパガン王朝が滅びたのが鎌倉時代末期だと聞いていた。だから、本書のパガンの件りは期待しながら読んだ。しかし、通り一遍の簡単な記述で終わっていた。がっかりである。

 『東方見聞録』全体を読んで、いちばん魅力的に見える地域は日本である。宮殿の屋根も床も純金で、大量の宝石(真珠のことらしい)を産すると書いてある。クビライ・カーンが日本征服を企てたのは、その富が目当てだったとある。本書を読んで日本を目指す冒険家が出てくるのは当然だと思える。

 元寇に関する記述は全般に史実離れしていて、ほとんどフィクションだ。また、次のような記述もある

 「この島(サパング=日本)の住民もインド(東南アジアのことか?)のすべての島々の住民も、敵を捕虜としてその身代金が支払われない時には、捕虜を捕まえた者は友人や親類を集め、皆で捕虜を殺し、その肉を焼いて食べてしまう。そして、これが世界で最高の味の肉だといっている。」

 日本人は人食い人種になっている。しかも、日本に関する記述の直前に前書きの形で「それらは驚くべき事柄であるが、嘘の一つも混じらぬ真実の話である」との念押しまである。常套句かもしれないが、これを信じた人も少なくはなかっただろう。

 いずれにしても『東方見聞録』は『驚異の書』と呼ばれるにふさわしい奇書だと確認できた。

中公版『日本の歴史8 蒙古襲来』(黒田俊雄)も面白かった2018年01月27日

『日本の歴史8 蒙古襲来』(黒田俊雄/中央公論社)
 『蒙古襲来』(網野善彦)、『蒙古襲来と神風』(服部英雄)を読んだ余波で中公版『日本の歴史』の蒙古襲来の巻も読んだ。

 『日本の歴史8 蒙古襲来』(黒田俊雄/中央公論社)

 小学館版『日本の歴史』の『蒙古襲来』(網野善彦)の刊行は1974年9月、本書はそれからさらに9年前の1965年9月刊行だ。

 本書を読もうと思ったのは、せっかく読んだ蒙古襲来前後の歴史知識を多少なりとも定着できればと考えたこともあるが、服部英雄氏が近著『蒙古襲来と神風』で批判した「通説・定説を無批判に孫引きしてきた概説書」に本書が該当するかどうかを確認したいと思ったからだ。

 結論から言うと、服部英雄氏の批判に該当する通説・定説の踏襲が多いのは確かだった。だが「神風」を持ち上げているわけではなく、カッコつきの「神国日本」という1章をたてて、神風神話の成立を検証している。武士の記録に「神風」が登場しないのは、当時の武士にはまだ「国家」という意識が芽生えていなかったからだとしているのは面白い見解だ。

 本書の著者の黒田俊雄氏は戦後の多くの歴史研究者と同様にマルキシズムの学者だから「神風史観」には批判的である。

 服部英雄氏が定説・通説の元凶とした『元寇の新研究』(池内宏/1931年)が本書の元になっているのは確かだ。黒田俊雄氏は池内宏氏をリスペクトし、付録の月報の対談(相手は村松剛氏)で次のように述べている。

 「池内さんがなされたような仕事が戦前ちゃんとあるのに、ほとんど一般に知られていないということは残念だと思いますね。池内さんの仕事はいまの東洋史の水準から見ると足りないところがあるそうですけれども、しかし、元寇をモンゴル・高麗の側から見ようとした画期的な試みを、専門の学者の枠内にとじこめておいて、一般の人の知識にさせなかったことは残念だと思います。」

 50年以上前は、そんな状況だったようだ。

 本書には『八幡愚童記』からの引用も多い。服部英雄氏が「八幡神がいかに偉大な神であるか、それを愚かな童に諭すための宣伝書で、史料的価値は疑わしい」としている史料である。そんな史料を何度も引用して「史実」を記述している。しかし、後段になると「神風」の神威を説く霊験譚が『八幡愚童記』だとも述べている。史料として活用しながらも、宣伝書と批判しているのだ。

 これは、黒田俊雄氏が不見識なのではなく、そういう歴史記述を楽しんでいるのだと思う。というのは、『太平記』も似たような扱いをしているからだ。『太平記』を「文芸作品」「講釈師の元祖」と決めつけたうえで、歴史記述の一環としてその内容を紹介している。そこに史実のいくぶんかは反映されていると考えているからだ。なかなかの芸である。

 実は、私は本書に面白さはあまり期待していなかった。網野義彦氏の『蒙古襲来』ほどに面白くはないフツーの概説書だろうと思っていた。だが、黒田俊雄氏の『蒙古襲来』には網野義彦氏の同名書と甲乙つけがたい面白さがあった。

 黒田俊雄氏の『蒙古襲来』は網野義彦氏と同様に鎌倉幕府滅亡にいたる政治・経済・宗教・社会の描写がメインで蒙古襲来は遠景になっている。史料による実例紹介がふんだんに盛り込まれているのが興味深い。著者の感慨や感想を交えた自由な筆致で歴史を記述しているのが面白い。最終章のラストを鎌倉で発掘された910体の人骨で締めくくっているのも印象的だ。

目から鱗の『蒙古襲来と神風』(服部英雄/中公新書)2018年01月17日

『蒙古襲来と神風:中世の対外戦争の真実』(服部英雄/中公新書)
 網野善彦の『蒙古襲来』を読んだせいで、本屋の新書売り場に積まれていた次の本が目に止まった。昨年(2017年)11月25日発行で、著者は1949年生まれの歴史学者だ。

 『蒙古襲来と神風:中世の対外戦争の真実』(服部英雄/中公新書)

 この本、非情に面白かった。蒙古襲来に関する通説・定説を否定した本で、目から鱗が落ちる気分を味わった。

 専門家向けの論文に近い細かな議論が多く、それを門外漢の私が評価できるわけではない。だが論旨は説得的で、私は著者の主張に納得してしまった。

 本書は「神風」(=台風)が蒙古を撃退したという通説を否定し、「神風」という幻想が太平洋戦争における特攻隊にまで影響及ぼしたことを痛切に批判している。

 蒙古襲来とは文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の2回であり、私が子供の頃から抱いていたイメージは「2回とも蒙古軍は台風で大きな被害を受けて撤退し、当時の人はこの台風を神風と呼んだ」といったものだ。

 現代の歴史学者たちは、台風が蒙古を撤退させたという単純な見方をしているわけではない。『もういちど読む山川日本史』(山川出版社/2009年)では、文永の役は暴風雨とは関連づけられていないし、弘安の役における大暴風雨を撤退の大きな要因としつつも別の要因もあげている。網野善彦の『蒙古襲来』(1974年)も似たような見解だ。

 とは言え、暴風雨(=台風)にかなりのウエイトをおいているのは確かだし、私を含めて一般の人間の多くは「蒙古襲来=台風」のイメージを強くもっている。

 服部英雄氏は弘安の役で台風が襲来した事実を認めたうえで、史料の検討をふまえて、暴風雨の後も戦争が継続し、実際に参戦した武士たちは「神風が蒙古軍を撤退させた」などとは考えてもいなかったはずだと指摘している。

 にもかかわらず「神風」が強調されたのは、戦場から離れた場所(京都や鎌倉)で蒙古退散を祈祷していた公家や寺社が自分たちの祈祷の効果の喧伝に暴風雨(=神風)を大いに利用したからである。また、撤退した蒙古・高麗側も言い訳に暴風雨を強調した記録を残している。わかりやすい話だ。それが現在の私たちにまで何等かの影響を与えているのだ。

 本書の眼目は「神風史観」を否定するという単純な点にあるのではなく、蒙古襲来の史料を再検討し、通説・定説をひとつずつ丁寧にくつがえしている点にある。

 蒙古襲来に関しては東京帝国大学教授・池内宏の『元寇の新研究』(1931年)が不動の定説とされ、次々に孫引きされてきたそうだ。著者は次のように批判している。

 「歴史学研究者はこの戦前の著書を自ら熟読し、引用された史料類を再検討するという作業はしておらず、ただただ引用をくりかえした。思考停止のままの拡散である。」

 私の知らない世界の話なので著者の見解の当否は判断できない。当たっているとすれば80年間の思考停止だ。驚くしかない。

網野善彦の『無縁・公界・楽』は面白くて刺激的2018年01月08日

『[増補]無縁・公界・楽:日本中世の自由と平和』(網野善彦/平凡社ライブラリー)
 年末に『応仁の乱』(呉座勇一/中公新書)を読んで頭の中が少し日本中世モードになったのを機に、かねてから気になっていた次の本を読んだ。

 『[増補]無縁・公界・楽:日本中世の自由と平和』(網野善彦/平凡社ライブラリー)

 網野善彦の代表作で、初版は1978年、増補版が1987年、私が読んだ平凡社ライブラリー版が刊行されたのが1996年である。

 網野善彦の高名は以前から知っていたが、まとまった著作を読むのは数年前の『日本の歴史をよみなおす』(ちくま学芸文庫)に次いで2冊目にすぎない。『日本の歴史をよみなおす』は非農民や海洋に着目したとても面白い本で、網野善彦史観の概要を把握できた気分になっていた。『無縁・公界・楽』を読了して、その気分は浅薄な早やとちりだったと感じた。

 学術書に近いと思っていた『無縁・公界・楽』は想像していた以上にパッションの書だった。洋の東西から人類史までも視野に入れたスケールの大きさに驚いた。素人目にもかなり強引で大胆な論旨が展開されていて、確かに面白い。ひろげた「風呂敷」がうまく結ばれているかどうかはわからないが刺激的な内容だ。話題の書となり物議をかもしたのもよくわかる。

 「増補版」の約三分の一が初版の後に書き加えられた「補注」「補論」で、その多くは初版への批判に対する反論であり、この部分も面白い。門外漢の私が批判や反論の当否を判断することはできないが、辛辣な批判で指摘された事項をある程度は受け容れつつも見解の主旨を貫徹する著者の情熱に感服した。

 学問において信念と認識は別物であり、思い込みによって事実を変えることはできないだろう。だが、情熱がなければ歴史解釈の追求はできないとも思う。

 私が、それと知らずに網野善彦の文章に初めて接したのは1986年4月、『週刊朝日百科 日本の歴史(第1号)』を手にした時だった。当時、朝日新聞出版局は立て続けに週刊の大判百科を刊行していて、1986年4月からのテーマは「日本歴史」。図解の日本史百科に食指は動かなかったが、「(第1号)源氏と平氏」を手にし、その内容が高校日本史などで習った内容とは全く切り口の異なるユニークなものだと気づき、その魅力に惹かれて全133冊の購読を決めた。

 この「(第1号)源氏と平氏」の責任編集が網野善彦・石井進で、巻頭の「アジアと海の舞台を背景に」の執筆者が網野善彦だった。網野善彦はその他にも「(第3号)遊女・傀儡・白拍子」「(第6号)海民と遍歴する人びと」「(第12号)後醍醐と尊氏」「(第19号)庭」「(第28号)楽市と駆込寺<アジールの内と外>」「(第51号)税・交易・貨幣」などの責任編集をしている。私が「アジール」と言う言葉を知ったのもこの週刊百科によってだと思う。

 『週刊朝日百科 日本の歴史』が出た頃、すでに『無縁・公界・楽』は刊行されていて、網野善彦は話題の歴史学者だったはずだ。私がその名を認識したのは後年になってからだが、名前を認識する前からその魅力は感じていた。

 そんな記憶をたどれるのは、『週刊朝日百科 日本の歴史』全133冊を私自身が合本製本して今も手元に保存しているからだ。「製本」は私の趣味の一つである。

話題の『応仁の乱』をやっと読了2018年01月05日

『応仁の乱』(呉座勇一/中公新書)
◎若い頃を思い出す見栄読書

 硬い内容の新書なのにベストセラーになって注目を集めていた『応仁の乱:戦国時代を生んだ大乱』(呉座勇一/中公新書)をこの年末に読んだ。発行は一昨年(2016年)の10月、話題につられて購入したのは昨年の春頃。なかなか読む気になれず積んだままだった。

 昨年末、同世代の友人4人での忘年会でこの本が話題になり、私だけが読んでいないことが判明し、少々あせった。それが年末になって本書を読んだ動機である。

 そんな動機の見栄読書は久々の体験だ。私たちの学生時代には動機不純な背伸びした見栄読書が多かったと思う。歯が立たない本にまで見栄で手を出すのである。バカげたことではあるが、そんな読書でもいくぶんかは本当の興味にもつながることもあり、多少の効用はあったと思う。本の売れ行きにも幾分かは貢献したかもしれない。ひるがえって、本が売れない時代の現代の若者たちは……

 などと定番の年寄りの繰言を語りたくなったが、本書の著者は私の息子と同い年(1980年生まれ)と気づき、年月の流れを感じるとともに若い学者の活躍に感服した。繰言からは何も生まれない。

◎ウォーミングアップして読み始める

 閑話休題。私は日本史では現代日本と地続きで考察できる幕末維新に最も関心があり、中世への興味は高くない。本書をパラパラとめくると馴染みの薄い固有名詞が頻出している。本書をなかなか読み始める気になれなかった由縁である。

 読む前に、まずは『もういちど読む山川日本史』で高校日本史レベルの応仁の乱を復習し、本書に取りかかった。出だしはなかなか面白い。若い学者が現在の研究成果に基づいて従来の見解の見直しを展開している趣で興味深い。応仁の乱を目撃した二人の興福寺の高僧(経覚、尋尊)の日記をベースに記述するというスタイルも臨場感があっていい。興福寺の人事などはまったく未知の世界の話なので勉強になる。

◎尺取虫のような読書

 興味深く読み始めたのだが、次第にわかりにくくなっていく。多くの人名が出てきて争闘、提携、寝返り、和解、赦免などをくり返すので、うかうか読んでいるとわけがわからなくなる。ゴチャゴチャした話を読んでいると頭が朦朧としてきて眠くなる。あきらめて読書姿勢のまま眠気に身をゆだねて居眠りする。しばらくして寝覚め、頭が多少スッキリしたら数ページ戻って、読書を再開する。本書の前半部分はそんな尺取虫のような遅々とした読書のくり返しだった。

 半醒半睡の状態でうつらうつらと本書の内容を反芻していると、本書の登場人物の武将たちも、寝覚めの夢うつつの状態では、現在の自分の状況が不分明になり、只今現在の味方が誰で敵が誰なのか混乱することがあったのではなかろうかなどと、いらぬ心配をした。

◎やはり面白かった

 居眠りを繰り返しながら半分ぐらい読むと登場人物たちの関係がある程度は頭に入って読みやすくなり、後半は興味深く読み進めることができた。

 本書を読了して、応仁の乱における人間模様の変転にあきれると共にその複雑さを知った。本書には同時代人のミクロの目で歴史の眺める面白さと、後世の目で歴史の趨勢を俯瞰する面白さの両方があり、そのかねあいがいい。固有名詞を整理したうえで再読したくなる。読みやすい本ではないにもかかわらずベストセラーになった理由が少しわかった気がした。

 さほど関心のなかった日本中世の歴史を読み、どの国のどの時代の歴史変動であっても、それを詳細に考察すればそれなりに面白く、そこからさまざまな興味深い知見をくみとることができるという、当然のことを再認識した。

来年の大河を機に『翔ぶが如く』を読んだが…2017年12月24日

『翔ぶが如く』(司馬遼太郎/文春文庫)
◎西郷隆盛は苦手

 私は日本史では幕末維新に関心があるが、西郷隆盛は苦手である。評価が難しい人物なので、遠ざかりたいという気分がある。だから、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』は、いつかは読まねばと思いつつ敬遠していた。文庫本で10冊と長大なうえに題材が西郷隆盛だから手を出しかねていた。

 その『翔ぶが如く』(文春文庫)全10冊をこの年末に古書で入手し、半月足らずで読み終えた。きっかけもちろん来年の大河ドラマだ。私は大河のファンではなく大半は観ていない。だが、年末になって来年の大河関連本が書店の店頭に並ぶと多少は気になる。

 来年の大河ドラマ『西郷どん』の原作は林真理子で、『翔ぶが如く』は何年か前にすでに大河ドラマになったそうだ。でも、年末の本屋の店頭には『翔ぶが如く』も平積みになっている。いつかは読むなら、いまがチャンスだと思った。『西郷どん』を観るか否かはわからない。主人公の鈴木亮平はいい役者なので多少は観るかもしれない。

◎西郷隆盛とは何者か

 『翔ぶが如く』は歴史エッセイに近いので、読了しても大長編を読んだという気分ではなく、司馬遼太郎の蘊蓄に富んだ長時間の座談につきあったという気分になる。毎日新聞に4年にわたって連載された作品で、同じような話や見解の繰り返しもあるが、それがさほど気にならないのも座談だからであり、それによって当方の理解が多少は定着する。

 読後感は『坂の上の雲』に近い。扱っている時代の前後関係から『坂の上の雲』の前に発表した作品かと思ったが、調べてみると『翔ぶが如く』の方が後だった。明治時代に誕生した軍隊が昭和の硬直した軍閥へと変貌するさまへの苦い見解は二つの作品に共通している。

 『翔ぶが如く』は明治5年頃から西南戦争終結の明治10年までを扱っていて、西郷隆盛が最も活躍した幕末は遠景になっている。だから、西郷の伝記ではない。

 本書を読んで、薩摩の国柄、征韓論、明治の太政官政府の様子、台湾出兵などについての理解が深まり、西南戦争の詳細を知ることができた。その意味では有益だった。しかし、西郷隆盛とは何者であるかは依然としてよくわからない。

◎把えがたい人物

 本書の始めの方で作者は西郷隆盛とは何者か、なぜ人気があるのかと自問し「会ってみなけらばわかない」という不思議な述懐をしている。それは、この小説は「西郷隆盛に会う」ことを目指しているという宣言にも思えた。

 しかし、終盤になっても次のように書かれている。

 「要するに西郷という人は、後世の者が小説をもってしても評論をもってしても把えがたい箇所がある(…)。西郷は、西郷に会う以外にわかる方法がなく、できれば数日接してみなければその重大な部分がわからない」

 そう述べる作者は西郷隆盛をもてあましているようにも思える。カリスマのカリスマ性を信者でない人間が論理の言葉で説明するのは難しい。わかりやすさとわかりにくさが混在しているのでややこしい。

 かつて半藤一利氏が「西郷隆盛は毛沢東のような人」と述べているのを読んで、ナルホドと感じたことがある。だが、それは幕末までの西郷隆盛であって、明治以降には当てはまりにくい。

 坂本竜馬が西郷隆盛を評した「釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。」という言葉がある。この例えで言えば、私は西郷を大きく叩くことができないようだ。

 そんなことを考えていると来年の大河ドラマが心配になってきた。「後世の者が小説をもってしても評論をもってしても把えがたい箇所」をドラマで表現できるだろうか。

映画『ハイドリヒを撃て!』を観て小説『HHhH』を読んだ2017年12月07日

 ナチス統治下のプラハでナチス高官ハイドリヒが暗殺され、その報復としてヒトラーがチェコの一つの村をせん滅したという話はどこかで読んだ記憶がある。だが、その詳細はおぼろだった。下高井戸シネマで『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』という映画が上演されていると知り興味がわき、観に行った。

 『ハイドリヒを撃て!』は迫力のあるいい映画で、1942年に発生したハイドリヒ暗殺という史実への関心が高まった。この事件が第二次大戦史やナチス・ドイツ史の中でどの程度のウエイトを占めているかはよくわからないが、チェコの人々にとっては記憶にとどめるべき歴史的大事件だったようだ。

 映画のパンフレットで、ハイドリヒ暗殺はすでに過去2回映画化されていると知った。『死刑執行人もまた死す』(1943年)、『暁の7人』(1975年)という映画だ。前者は事件発生翌年の映画で脚本はブレヒトだそうだ。

 ハイドリヒ暗殺はロンドンのチェコスロバキア亡命政府から送り込まれたパラシュート部隊の戦士によって実行される。パラシュート部隊の戦士たちは教会の納骨堂に潜伏し、ナチスとの壮絶な銃撃戦のすえ水攻めによって全滅(7人)する。

 映画を観たあと、わが本棚に次の未読本があることを思い出した。
 
 『HHhH プラハ、1942年』(ローラン・ビネ/高橋啓訳/東京創元社)

 今年5月のアウシュヴィッツ訪問を前に何冊かの関連本に目を通した。その折に人に薦められて購入したが、冒頭の数ページを読んだだけで放り出していた。

 この本を読み通せなかったのは、アウシュヴィッツが直接のテーマでないということもあるが、私が想定したような普通のノンフクションではなく私小説的でわかりにくい語り口に馴染めなかったからだ。

 映画でハイドリッヒ暗殺の概要を知ってから本書に再び取り組むと、その面白さに引き込まれ一気に読了できた。

 この本は「ハイドリヒ暗殺の事実に迫る本を書く」ということを語る「小説」で、メタノンフクションとでも言うべき不思議な本だ。司馬遼太郎の長大なエッセイ風歴史小説とも異なり、1972年生まれの著者の一人称は翻訳では「僕」であり、僕の私生活への言及も随所に織り込まれている。

 にも関わらず、ハイドリッヒ暗殺を扱った立派なノンフィクションにもなっている。「HHhH」という不思議なタイトルは「Himmlers Hirn heiβt Heydrich(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)」という意味らしい。ハイドリヒがヒムラーの頭脳と呼ばれるナチス・ナンバー3の存在だったことは事実かもしれないが、それが本書のメインテーマとは思えない。なぜこんなタイトルをつけたのかは謎だ。

 本書読了後、ネット検索をしていてこの小説が今年映画化され、日本でも来年公開予定だと知った。タイトルは『HHhH』のようだ。ハイドリヒ暗殺をテーマにした4本目の映画だ。ハイドリヒ暗殺は、それほどに人々の興味を引き付け続ける事件なのだとあらためて認識した。