『サピエンス全史』を読んで小松左京の『未来の思想』を想起2017年07月10日

『サピエンス全史:文明の構造と人類の幸福(上)(下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田裕之訳/河出書房新社)
 ベストセラーと喧伝されている『サピエンス全史:文明の構造と人類の幸福(上)(下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田裕之訳/河出書房新社)を読んだ。評判通りの面白い本だった。

 『サピエンス全史』という邦訳タイトルから人類史の概説書と思ったが、科学エッセイ風でとても読みやすい。冒頭に近い「不面目な秘密」という項では、かつてはホモ・サピエンスと時代を共にしていたホモ・サピエンス以外の「人類」(ネアンデルタール人など)がなぜ生き延びなかったを解説している。興味深い視点の考察で引き込まれる。本書にはこのようなツカミが随所にあり、読者を飽きさせない。

 本書は次の4部構成になっている。

   第1部 認知革命
   第2部 農業革命
   第3部 人類の統一
   第4部 科学革命
 
 つまり、歴史をマクロな視点で俯瞰しているのだ。地球上のあちこちで発生した様々な出来事や歴史的局面がすっきりと整理整頓統合されていて、普通の歴史書では得られない景色が見えてくる。数百万年という時間を見晴らしよく一望した気分になれるのは得難い体験だ。

 また、本書はわかりやすい「共同幻想論」でもある。ホモ・サピエンス進化の引金となった「認知革命」とは「共同幻想」の発生に他ならない。神話にはじまり、宗教、貨幣、国民、資本主義、共産主義、帝国などをすべて似たような概念(共同幻想)として記述しているのは、把握しやすい整理だと思う。

 「第2部 農業革命」の最初の章のタイトルは「農耕がもたらした繁栄と悲劇」で、狩猟採集から農耕への移行は人口拡大という繁栄をもたらしたが、個々の人々の生活は悪化したと述べている。多くの人々は狩猟採集の時代より不幸になったというのだ。意外な指摘だ。にわかには信じがたいが、著者の論述を読んでいると、そうだったのかなという気になってくる。

 著者がなぜそんな指摘をしたかは、終わり近くの「文明は人類を幸福にしたか」を読むと納得できる。ただし、この章の問題提起は回答のない課題に思われる。

 本書を読んでいてジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を連想した。だが、読み終える頃には、むしろ小松左京の『未来の思想:文明の進化と人類』(中公新書)が想起された。

 半世紀前に読んだ『未来の思想』の内容を憶えているわけではない。ただ、「汝ら何ものか? いずこより来たりしか? いずこへ行くか?」というエピグラフは記憶に刻まれている(ゴーギャンの絵を知ったのは後日だ)。そして、人類の文明史全般をコンパクトに要領よくまとめ、その未来像を情報化革命を踏まえて模索するマクロ思考に感心した印象は残っている。『サピエンス全史』の読後感は半世紀前に『未来の思想』に抱いた感慨に似ている。

大黒屋光太夫の歴史小説を読んで「鎖国」について考えた2017年06月23日

『おろしや国酔夢譚』(井上靖/文春文庫)、 『大黒屋光太夫』(吉村昭/新潮文庫)
◎エカチェリーナ宮殿で江戸時代を思った

 今月上旬のロシア観光旅行から帰国後、大黒屋光太夫を扱った次の歴史小説2編を続けて読んだ。

  『おろしや国酔夢譚』(井上靖/文春文庫)
  『大黒屋光太夫』(吉村昭/新潮文庫)

 サンクトペテルブルグ近郊のエカチェリーナ宮殿の絢爛豪華な内部を見学しているとき、日本語ガイドのロシア人女性が次のような解説をした。

 「この広間は日本にも関連があります。エカチェリーナ2世はここで大黒屋光太夫を謁見しました。大黒屋光太夫は『おろしや国酔夢譚』という映画にもなっています。この映画はロシアのテレビで放映されたこともあります」

 江戸時代にロシアに漂着した船頭を題材に井上靖が『おろしや国酔夢譚』という小説に書いているとは知っていたが、未読の小説なので詳細は知らなかった。エカチェリーナ2世が奔放な啓蒙女帝で興味深い人物だとの断片的知識と関心はあったが、その女帝が漂着した日本人を謁見したとは知らなかった。その謁見から二百数十年後の現場に立ち、大黒屋光太夫という人物が身近に感じられ、帰国したら『おろしや国酔夢譚』を読もうと思った。

◎大黒屋光太夫の波乱万丈と帰国後の苦さ

 そんなわけで『おろしや国酔夢譚』を読んだ。この本の扉には大黒屋光太夫の足取りを描いた地図が載っている。これを眺めるだけでも、茫漠たる気分になる。

 1782年に伊勢から江戸に向けて出航した大黒屋光太夫ら17人は暴風のためアリューシャン列島の小島に漂着する。その後、ロシア本土の東岸へ移動し、その間に約半数が絶命する。そしてシベリアを西へ西へと移動しイルクーツクへ至る。船頭の大黒屋光太夫は皇帝に帰国を嘆願するため、さらに西のペテルブルグにまで赴き、ようやく帰国許可を得て、来た道を東へと引き返し、東端のオホーツク港からラクスマンの船で帰国する。出航から約10年が経過しており帰国できたのは3人、その内の一人は根室で絶命する。函館で幕府に引き渡され江戸に帰還したのは大黒屋光太夫と磯吉の2人だけだった。この10年の足跡の地図は日本とヨーロッパを往復する広大な地図だ。

 その足跡をたどった『おろしや国酔夢譚』を興味深く読み進めることができた。特にペテルブルグにたどり着くまでの艱難辛苦が圧巻だ。そして、帰国後は江戸にとどめ置かれ軟禁状態になる最終章の苦さが印象深い。帰国したいという切望がかなった後、自分たちは見てはならないものを見てきてしまったので幽閉されざるを得ないという感覚にとらわれる。望郷の切望がかなった後の現実への覚醒と酔夢譚のおりなす綾である。

◎井上靖から37年後の吉村昭の『大黒屋光太夫』

 『おろしや国酔夢譚』をネットで注文するとき、同じ題材を扱った吉村昭の『大黒屋光太夫』という小説の存在を知った。『おろしや国酔夢譚』を読了し、大黒屋光太夫に関する物語の概要はわかった気分になったが、同じ人物を吉村昭はどう料理しているか興味がわき『大黒屋光太夫』も読んだ。

 同じ題材ではあるが、井上靖版がやや史談風なのに対し吉村昭版はやや物語風で、水主の磯吉や庄蔵などの造形はかなり異なっている。そして、帰国後の描写が大きく異なる。

 井上靖の『おろしや国酔夢譚』の刊行は1966年、吉村昭の『大黒屋光太夫』の刊行は2003年で、37年の隔たりがあり、吉村昭の方がより豊富な史料を活用しているようだ。新潮文庫版『大黒屋光太夫』に収録されている著者の「文庫版あとがき」や川西政明氏の解説を読むとその辺の事情がわかる。

 1966年頃には大黒屋光太夫が江戸で幽閉状態にあったというのが定説だったが、その後の史料研究でそれは否定されているらしい。大黒屋光太夫や磯吉は故郷への一時帰還も許され、かなり自由にすごしていたそうだ。江戸に居住させられたのは、いつ来航するかわからないロシアへの備えの一環だったらしい。『おろしや国酔夢譚』の印象深いあの最終章の苦さは、史実とは少し異なっているようだ。

 とは言え、大黒屋光太夫や磯吉が異国で過ごした日々を酔夢のように感じ、故国で過ごす現実の日々に時として違和感をもったであろうとは推測できる。

◎「鎖国」とはどういう現実だったのか

 『おろしや国酔夢譚』と『大黒屋光太夫』を読んで、あらためて「鎖国」とは何であったかを検討してみたくなった。「鎖国」とは幕末になって外国からの圧力をかわすための方便として使われた言葉であって、江戸時代の日本は事実上は鎖国していなかったという新説を聞いたことがある。井上靖版と吉村昭版でも鎖国に関する扱いが微妙に違っているように思える。だが、大黒屋光太夫の前には厳然と「鎖国」という現実が存在しているようにも見える。江戸時代の役人、学者、商人、庶民たちが鎖国や海外をどうとらえていたのか興味深い。

アウシュヴィッツ強制収容所に行った2017年05月27日

(上)第1収容所入口、(下)第収容所入口
 先週、約1週間のポーランド観光ツアーに参加した。20人余りの団体の大半は私と同じ高齢者で、男性より女性の方が多い。ポーランドはヨーロッパのやや外れにあり、他の国々は見尽くしてポーランドを選んだというツアー・リピーターが多いように思われた。

 このツアーにはオプショナルで「アウシュヴィッツ強制収容所見学」が含まれいて、私の目当てはこれだった。アウシュヴィッツに関しては様々な本や映像で一通りのことは知っているつもりだが、現場の雰囲気を体感しながら歴史の暗部を振り返ってみたいと思ったのだ。

 アウシュヴィッツはポーランド第2の都市クラクフ(かつてのポーランド王国の首都)からバスで2時間ばかりの場所にある。オプショナルなので、アウシュヴィッツに行かない人はクラクフで自由行動となっていたが、ツアー参加者の全員がアウシュヴィッツ行きを選択した。ちょっと意外だった。

 アウシュヴィッツには公式のガイドがいる。そこには唯一の日本語公式ガイド・中谷剛氏がいる。中谷氏は『アウシュヴィッツ博物館案内』(凱風社)という著書もあり、私も事前にその本を読んでいた。その本には次のような一節がある。

 「アジアからの訪問者も年々増えている。特に韓国からの訪問者が多く、2011年は4万3000人に上った。日本からの見学者は年間1万300人に増えた。ヨーロッパの見学者の74%が14歳から25歳までの若年層であるのに対し、遠距離のせいもあってか、アジア----特に日本----からの訪問者はお年を召した方が中心であるのは、ある意味で残念なことだ。」
 
 アウシュヴィッツでのわれわれのガイドは中谷剛氏だった。上記の本が書かれた2011年には日本からの来訪者は1万人程度だったが、その後も来訪者は増加し、昨年は3万人を超えたそうだ。中谷氏がガイドできるのは1日に2回なので、すべての日本人のガイドはできなくなっているそうだ。日本人来訪者の大半が高齢者なのは変わらない。

 中谷氏のガイドはユダヤ人迫害のかつてのドイツの状況を現代の排外主義風潮、ヘイトスピーチ、ポピュリズムなどと重ね合わせて解説する部分もあり、含蓄に富んでいた。中谷氏ならずとも、高齢者ではなくい日本の若い人々もここを見学しやすくなればと思った。

 1948年生まれの私にとってアウシュヴィッツ強制収容所は生まれる数年前まで存在した同時代の事象という感覚がある。しかし、21世紀の若者にとっては、遠い過去の歴史上の出来事だろう。だからこそ、歴史に学ぶ場としてのアウシュヴィッツの現代的意義は増大する。

 アウシュヴィッツの現場に立って、あの有名な「ARBEIT MACHT FREI」の文字がある門は意外と小さく感じた。第一収容所全体も思ったほど広くはない。陳列されている犠牲者の様々な遺品や頭髪の山には息を飲むしかない。第二収容所のビルケナウは広大だった。

 われわれのグループに10年ほど前にもアウシュヴィッツに来たという無口な高齢者がいて、ビルケナウをもっとゆっくり見学できないだろうかと要望したが、それはかなわなかった、私が彼に「なぜ、2回も来たのですか」と尋ねると「何度でも来たい」という答が帰ってきた。そもそもの来訪のきっかけはフランクルの『夜と霧』を読んだことだそうだ。そんな人もいるのだ。

 ポーランド政府観光局が制作した日本語の冊子があり、アウシュヴィッツを含めて13の世界遺産を紹介している。アウシュヴィッツ以外の世界遺産は見開きか4頁で紹介しているのに、アウシュヴィッツだけは1頁だ。ドイツ人が作った強制収容所を観光地として宣伝したくないという観光局の気持ちはわかる。景勝地や歴史的建造物など他の世界遺産と異質なのは確かだ。

 だが、アピールの方法が難しくても、重要な遺跡であるアウシュヴィッツへの多くの人々の来訪を促すべきだ。現地を訪れて強くそう思った。

那覇市の映画館で『アラビアの女王』を観た2017年04月15日

 今週前半は沖縄・那覇市で過ごした。県庁前の「パレットくもじ」9階の映画館「シネマパレット」で『アラビアの女王』を上映中だった。東京で見逃した映画だ。

 『アラビアのロレンス』の女性版で、実話に基づいた「イラク建国の母」の物語と聞いていたので、欧州・中東の近代史の勉強になりそうで興味があった。その映画を那覇で観ることができた。期待したような歴史物語ではなく恋愛映画に近い作りではあったが、20世紀中東史への関心を喚起する話だった。

 この映画の主人公は、アラビアのロレンスより20歳年長の英国の貴婦人・ガートルード・ベルである。私はこの映画で初めてアラビアで活躍したこの女性のことを知った。

 映画は史実をベースにしたフィクションだが、砂漠のシーンに魅了された。砂漠と言えば『アラビアのロレンス』と『眼には眼を』が印象深いが、そんな過去の映画を彷彿とさせる砂漠の映像だ。

 主演はニコール・キッドマンで、美しき女親分が従者を引き連れて砂漠の部族を歴訪する話だ。その歴訪を観ていると往年のテレビ番組「兼高かおる世界の旅」を連想し、ガートルード・ベルが兼高かおるに重なって見えてきた。

 また、「西のかた陽関を出ずれば故人なからん」という漢詩や「蒙古放浪の唄」などが醸し出す大時代的砂漠ロマンの世界も想起され、砂漠へと旅立つシーンにうっとりした。

 と言っても、この映画の歴史的な背景にはサイクス=ピコ協定などイギリスの二枚舌、三枚舌外交がある。砂漠を旅行く駱駝の隊列にロマンを感じても、この映画に登場するイギリス人たちの活躍に素直に納得するわけにはいかない。『アラビアの女王』はあえてそんな葛藤を避けた内容になっているのだが…

 沖縄の地でこの映画を観ていると、20世紀の中東と21世紀の沖縄に通底するものがあるように思えてきた。

ホロコーストを掘り下げた『ブラックアース』は啓蒙の書だ2017年04月04日

『ブラックアース:ホロコーストの歴史と警告(上)(下)』(ティモシー・スナイダー/池田年穂訳/慶應義塾大学出版会)
 米国の歴史家ティモシー・スナイダーの『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン大虐殺の真実(上)(下)』を読んだので、その続編的な位置づけの次の本を半ば義理のような気分で読んだ。

 『ブラックアース:ホロコーストの歴史と警告(上)(下)』(ティモシー・スナイダー/池田年穂訳/慶應義塾大学出版会)

 著者は1969年生まれ、原著は2015年9月、翻訳版は2016年7月刊行。比較的若い学者の最近の著作で、従来の観方を更新する新たな見解の本に思える。

 『ブラッドランド』と『ブラックアース』、タイトルも翻訳版の表紙の雰囲気もよく似ている(出版社は異なる)。扱っている時代も地域もほぼ同じだ。前者は、1933年から1945年の間にドイツとソ連に挟まれた地域で発生した約1,400万人にのぼる「大量殺人」の史実を描いている。その1,400万人の内の540万人がホロコーストで殺されたユダヤ人だった。後者はこのホロコーストの内実を描いている。

 ホロコーストの歴史は『ブラッドランド』においてもかなり語られている。ホロコーストについて新たに大部の著作を書くのは材料の二重売りではないか、正直言って読む前にはそんな気もした。続けて読むと多少の重複感があるのは確かだ。しかし『ブラックアース』は『ブラッドランド』とは切り口の異なる本で、著者があえて本書を世に問う動機が了解できた。

 本書はホロコーストの実態とその由縁を丁寧に掘り起こし、21世紀の世界においてもホロコーストに似た事態が発生する可能性を警告している。

 ナチス時代にドイツのユダヤ人がドイツ人に大量に殺されたのがホロコーストではない、というのが本書の一つの指摘だ。殺されたユダヤ人の大半はドイツ以外の地域に在住していた人々であり、ドイツ以外の場所で殺されている。その殺害にはドイツ人以外の多くの人々が関わっている。

 大量殺害を可能にした大きな要因が「国家の破壊」にあるという見解が本書の眼目だ。大規模なホロコーストはナチスやソ連によって国家が破壊された地域で発生している。傀儡政権であってもまがりなりにも国家の形が存続していた地域のユダヤ人の生存率は、国家が破壊された地域の生存率よりかなり高かったそうだ。

 本書には「アウシュヴィッツの逆説」という章がある。アウシュヴィッツだけを観ていてはホロコースト全体を見誤るというのが著者の指摘だ。アウシュヴィッツで殺されたユダヤ人は約100万人で、収容者の生存率は約10パーセントだ。ホロコースト全体で540万人が殺されている。アウシュヴィッツはホロコースト後期の一部を担っているに過ぎず、アウシュヴィッツ以前にすでに大量のユダヤ人が殺害されていた。

 アウシュヴィッツのガス室という秘密めいた場所にホロコーストを押し込めると「そんなことになっているとは知らなかった」という主張の裏付けになる。だが、ガス室以前に大量のユダヤ人が銃殺されており、多くの一般の人々がそれを感知していたらしい。アウシュヴィッツだけに注目すると、国家の破壊による無法地域の発生というホロコーストの前提条件が観えにくくなるとも著者は指摘している。

 生存率10パーセントをどう観るかも微妙だ。著者は次のように述べている。

 「アウシュヴィッツに送られるとされていたドイツ支配下のユダヤ人の方が、アウシュヴィッツに送られるとされていなかったドイツ支配下のユダヤ人たちより生き延びる可能性が高かった。これが「アウシュヴィッツの逆説」であるし、国家がどのように破壊されたか、ないし破壊されなかったかを考慮して、はじめてその逆説を解明できる。」

 啓蒙的で興味深い見解である。

『ブラッドランド』で20世紀前半の「大量殺人」に暗然とする2017年03月15日

『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン大虐殺の真実(上)(下)』(ティモシー・スナイダー/布施由紀子訳/筑摩書房)
 本日(2017年3月15日)投票のオランダ下院選挙では「イスラムはナチスより悪質」と主張する極右政党がどこまで伸びるか注目されている。選挙結果はまだわからないが、そんな日に、ヒトラーとスターリンの怖ろしさが伝わってくる次の本を読了した。

 『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン大虐殺の真実(上)(下)』(ティモシー・スナイダー/布施由紀子訳/筑摩書房)

 ドイツとソ連に挟まれたポーランドとその周辺地域において、1933年から1945年の間に発生したヒトラーとスターリンによる「大量殺人」を描いた本である。現在のポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国にまたがるこの地域を著者はブラッドランド(流血地帯)と名付けている。

 この地域における大量殺人はドイツがポーランドに侵攻した第二次世界大戦勃発によって始まったのではない。ロシア革命の後、スターリンが権力の座につき、工業国家建設のためにウクライナの農地と農民を活用しようとしたときから始まったのである。それは人為的に飢餓を発生させる政策になり、ウクライナでは330万人の餓死者が出た。

 330万人という死者数は実感しにくいし、想像の範囲を超える。大量殺人という言葉でイメージできるのは数十人程度からせいぜい数百人までで、それを超えると個々の死の積み重ねを想像しにくくなる。新聞の死亡者リスト掲載も難しくなる。

 大災害になると犠牲者の規模は大きくなる。東日本大震災の死者は2万人弱、関東大震災の死者は10万人余りで、この数字でも途方に暮れる。戦争の犠牲者で見ても、広島原爆が約20万人、長崎原爆が約14万人。それと桁が違う330万人の餓死者はとんでもない数字である。石碑に名簿を刻むのも困難な数字だ。

 だが、330万人はブラッドランドにおける大量殺人のはじまりに過ぎず、その後1945年までの間に総計1,400万人が殺されたのだ。これは戦死を含まない数字で、人為的餓死、銃殺、ガス殺などの犠牲者の数だ。人間の文明がこれだけの数の人を殺したという事実に暗然とするしかない。

 著者が推計した1,400万人の内訳は以下の通りだ。

  ・ソ連の政策で餓死させられたウクライナにのソ連国民 330万人
  ・ソ連で政策的に処刑された70万人の内、西部のソ連国民 30万人
  ・独ソの軍隊に射殺されたポーランド国民(主に指導層) 20万人
  ・ドイツ占領下で餓死させられたソ連国民 420万人
  ・ドイツにガス殺または射殺されたユダヤ人 540万人
  ・ベラルーシ、ワルシャワでドイツに殺害された民間人 70万人

 その詳細は本書で詳しく語られている。ヒトラーが主にユダヤ人や敵国民を殺害しているのに対してスターリンは自国民も大量に殺害している。この地帯に住む人々の民族意識・政治信条・国籍はさまざまでアイデンティティも複雑だから、大量殺人の実相は多様だ。著者はこの大量殺人を「数」に還元するのではなく個々の人々の死であることを繰り返し強調している。

 ホロコーストと言えばアウシュヴィッツを連想するが、アウシュヴィッツは生き残った人々の証言が多いために有名になったのであり、ブラッドランドにおける大量殺人の一部に過ぎない。そのことをあらためて認識した。

 本書を読めば、ヒトラーもスターリンも悪魔的に怖い人物に思えてくるが、ほんの数十年前に発生した大量殺人の責任をこの二人だけに負わせるわけにはいかない。人類は犠牲者ではなく加害者だとの視点が必要だ。歴史から学ぶべきことは多い。

『台湾海峡一九四九』は読み応えのある歴史ルポ2017年03月08日

 『台湾海峡一九四九』(龍應台/天野健太郎訳/白水社)
 最近、私的に台湾への関心が高まり、関連本を何冊か立て続けに読み、『非情城市』『湾生回家』などの映画も観た。先月末の2月28日は白色テロ二・二八事件から70周年の節目で新聞でも関連記事が掲載されていて、興味深く読んだ。

 そんなマイブームの中で読んだ『台湾海峡一九四九』(龍應台/天野健太郎訳/白水社)は読み応えがあった。タイトルを見るとハードボイルド小説にも見えるが、台湾と中国の現代史を扱ったルポルタージュだ。原題は『大江大海一九四九』、2009年に発行され台湾と香港で大ベストセラーになり、中国では禁書扱いだが海賊版が売れているそうだ。私は、そんなことを最近まで知らなかった。

 著者は1952年生まれの女性作家・評論家で、台湾の文化省の初代大臣、夫はドイツ人で息子はドイツで暮らしているそうだ。19歳になるその息子から「家族の歴史を知りたい」と言われたのをきっかけに執筆したのが『台湾海峡一九四九』だ。

 1949年とは蒋介石の国民党が台湾に撤退した年であり、中華人民共和国ができた年でもある。著者はこの年に焦点を当て、1945年の日本敗戦から国共内戦を経て1949年に至る歴史変動に翻弄されたさまざまな人の物語をレポートしている。

 私より4歳若い1952年生まれの著者が1949年を体験しているわけではないので、自分の親も含めた多くの年長者への取材や記録をベースにいろいろな物語を紡ぎだしている。著者の家族の話ではなく、台湾と中国の地に生きた多様な人々の歴史物語になっている。

 本書で私が初めて知った歴史事象も多い。日中戦争さなかの学生の大規模な集団疎開の話には驚いた。教師に引率された学生たちは広大な大陸を集団で放浪しながら時に勉強するという生活を続け、その中で多くの学生や教師の命が失われていくのだ。また、国共内戦における長春包囲戦の凄惨さにも驚く。中国で禁書扱いになっている理由も分かる。

 著者は台湾の外省人だ。国共内戦の敗者でありながら台湾の支配層となった人々の末裔である。そのせいか、視点が複眼的で柔軟だ。日本敗戦のとき、台湾の人々は自分たちが勝者なのか敗者なのか判然としなかった、つまり、世代によって感じ方が違っていたという話も面白い。

 そもそも、歴史事象には勝者と敗者を容易には判定できないケースも多そうだ。視座によって見え方が違ってくることもある。そう思うと同時に、本書を読みながら勝者と敗者のパラドックスのようなものも感じた。勝者の歴史認識は硬直化し貧困になり、敗者の歴史認識は柔軟になり豊かになるように思える。

『アウシュヴィッツを志願した男』は不条理小説のようなノンフィクション2017年02月07日

『アウシュヴィッツを志願した男:ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ』(小林公二/講談社)
 ポーランドのピレツキ大尉という人物は未知の人だった。先日読んだ小説『また、桜の国で』にちょっとだけ名前が出てくる。そのピレツキ大尉に関する次の本が面白いと聞き、読んでみた。

 『アウシュヴィッツを志願した男:ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ』(小林公二/講談社)

 確かに面白いノンフィクションだ。一気に読んだ。この本、タイトルもサブタイトルも長い。内容を伝えたいという意気込みはわかるが、もう少しコンパクトで適切なタイトルがなっかったかと思う。「三度死ぬ」という惹句は気合の入れすぎでかえってわかりにくい。

 ピレツキ太尉は「三度死ぬ」と呼びたくなる数奇な運命を辿ったポーランド軍人で、勇敢で志の高い人物だったようだ。その数奇な運命は以下の通りだ。

 1939年9月、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発、ポーランド全土をナチスが占領し、ポーランド政府はフランス(後にイギリス)に亡命する。その時、38歳の騎兵少尉ピレツキはAK(国内軍)としてワルシャワで地下活動に従事する。

 1940年6月、ナチスはポーランド砲兵宿舎を強制収容所に改造しアウシュヴィッツと名付ける。そこにはユダヤ人やポーランド兵が収容された。ピレツキは収容所の実態を調査し収容所内に地下組織を作るため、自ら志願して囚人としてアウシュヴィッツに潜入、収容所内から独自のルートで報告書を発信する。彼がアウシュヴィッツにいたのは1940年9月から1943年4月までの948日、最後は身に危険が迫ったと察知し二人の仲間と共に脱走する。

 アウシュヴィッツを脱出したピレツキはワルシャワに戻りAKの大尉となり、再び地下活動に従事し、1944年8月のワルシャワ蜂起に参戦する。ワルシャワ蜂起は失敗に終わり、ピレツキは逮捕されドイツの収容所に入れられるが、ベルリン陥落によって解放される。

 ピレツキがドイツで自由の身になった頃、祖国ポーランドはソ連赤軍によって「解放」され、イギリスにあった亡命政府ではなくソ連の影響下にある社会主義者による政権が誕生し、AKは非合法化されていた。ピレツキは社会主義政権を抑圧者とみなし、祖国に潜入し諜報活動を開始するが、逮捕され、拷問による尋問を受ける。

 このとき、面会に来た妻にピレツキが呟いた次の言葉がすごい。

 「ここでの拷問に比べれば、アウシュヴィッツなど子供の遊びだ」

 ピレツキを拷問で取り調べたポーランド軍人はナチス占領時代を共産主義者として生き抜いたユダヤ人だった。

 そして、かつては同志だった人々による裁判でピレツキは死刑を宣告され、1948年5月、極秘裏に銃殺される。

 ピレツキの家族(妻と息子、娘)がピレツキの処刑を知ったのは40年以上が経過した1989年で、1990年にはピレツキは名誉回復される。その後、切手になったり、多くの学校にピレツキの名が冠されたりしているそうだ。
 
 本書はそんな有為転変のノンフィクションだから面白くないわけがない。ヒトラーも怖いが、スターリンはそれ以上に怖い。そんな気分になる。だが、そんな単純発想だけで片付けてはいけないだろう。英米も十分にずるいし、ポーランド亡命政府やAKが正義とも言い切れない。さまざまな立場の人や組織がそれぞれ己の条理を通そうとしていて、その絡み合いが人々に不条理を課している。

 ポーランドの現代史は、人の世の不条理の教科書のように見える。

台湾の歴史と現状がこんなに「面白い」とは…2017年02月03日

『台湾:四百年の歴史と展望』(伊藤潔/中公新書)、『台湾とは何か』(野嶋剛/ちくま新書)
◎新書2冊で台湾入門

 私の亡母は日本統治下の台湾生まれで、小学低学年まで台湾で過ごしたそうだ。子供の頃、母や祖母から台湾の話を聞かされた記憶はあるが、台湾への関心が高まったわけではない。高校日本史と新聞ナナメ読みで得た断片的な知識しかない。

 ふと、自分が台湾についてあまり知らないことに気づき、台湾について少し勉強しようと思いたち、次の2冊の新書を読んだ。

 『台湾:四百年の歴史と展望』(伊藤潔/中公新書)
 『台湾とは何か』(野嶋剛/ちくま新書)

 この2冊、どちらも抜群に面白い。日本の隣、沖縄のすぐ先にこんなにも興味深い「国」が存在しているのに、今までその「面白さ」に気づかなかった。

◎中国や日本との絡む宿命

 『台湾:四百年の歴史と展望』は20年以上前の1993年8月初版で、私の読んだのは2016年9月の22版、ロングセラーだ。著者は台湾で生まれて日本に帰化した歴史学者、本書は16世紀の大航海時代から李登輝による民主化進展までの台湾の歴史を記述している。

 台湾の歴史が興味深いのは、それがひとつの島国の歴史ではなく、隣接する中国や日本と絡んだ複雑な様相を呈するからだ。

 中国の王朝が明から清に替わる頃の台湾の状況が、第二次世界大戦終結後、毛沢東に敗れた蒋介石が中華民国ごと逃げ込んできたときの様子と重なり、似たようなことがくり返されるこの島の宿命を感じた。

 日本の敗戦で日本統治が終わってから後の台湾の歴史は圧巻だ。一通りのことは知っているつもりだったが、こんなにもいろいろな事象が絡み合っていたとは知らなかった。その歴史を「面白い」と言うのは不謹慎かもしれない。大変だったと言うべきか。

 本書の「あとがき」で著者は次のように記述している。

 「小著は12章からなり、「終章」はない。台湾を故郷とする私の願いを込めてのことであり、台湾が永遠にこの地球に在りつづけることを、心から希求してやまないからである。」

 台湾ならではの切実なメッセージだ。

◎台湾の玄妙な現状が把握できる『台湾とは何か』

 『台湾:四百年の歴史と展望』の記述は、李登輝が登場して民主化が進む1990年代の初めで終わっている。その後の台湾の状況を描いたのが2016年5月刊行の『台湾とは何か』だ。著者は元朝日新聞記者で、台北支局長も務めた台湾通だ。

 蒋介石の息子・蒋経国の死去によって1988年に総統になった李登輝は、1996年には初の総統直接選挙を実施して総統に当選し、2000年まで総統を務める。その後の総統は、陳水扁(民進党)が8年、馬英九(国民党)が8年、2016年からは蔡英文(民進党)と政権交代をくり返している。

 本書は台湾の現代史をふり返りつつ台湾の現状を中国・日本との絡みを交えて詳しくレポートしている。台湾の民主化進展と中国の経済発展、そして必然的な世代交代によって台湾の状況が昔とは大きく変化している。だが、将来展望はあくまで「現状維持」というのが微妙だ。台湾に住む人のアイデンティティの分析も興味深い。「例外」と「虚構」を現実とせざるを得ない事情は何とも不思議で複雑で玄妙な現実である。

 『台湾:四百年の歴史と展望』とは異なり『台湾とは何か』には「終章」がある。そのタイトルは「日本は台湾とどう向き合うべきか」だ。著者が本書で告発しているのは、日本人の多くが台湾に関して「思考停止」になっている点だ。私自身にも思い当たるふしがある。

◎失念していた隣国

 先日読んだ小説『また、桜の国で』はポーランドの近代史をふまえた物語だった。ポーランドは地図上から何度も消えた国だ。ポーランドに限らず、大国と地続きで隣接するヨーロッパの国々は歴史の動きに翻弄されて大変だなあと思い、島国わが日本は何はともあれハッピーだったなどと感じた。

 2冊の新書を読んで、はるかヨーロッパにまで思いを馳せなくても、すぐ隣国に大国や歴史の波に翻弄されている島国があることに気づき、それを失念したことを反省した。

 日本史を単一民族の歴史と捉えるのではなく、樺太や千島列島から沖縄、台湾までを視野に入れて展望しなければ、21世紀の世界のありようも見えてこない。

直木賞落選の『また、桜の国で』は骨太で面白い2017年01月30日

『また、桜の国で/須賀しのぶ/祥伝社』
 先日発表になった第156回直木賞に落選した『また、桜の国で/須賀しのぶ/祥伝社』を読んだ。直木賞を逃した理由がわからないでもないが、私には凡百の受賞作よりは面白く読め、感服した。

 この小説の値打は題材だ。舞台はポーランドのワルシャワ、時代は1938年のミュンヘン会談から1944年のワルシャワ蜂起までの6年間。ただし、その前後の話も少しだけある。1920年、シベリアにいたポーランド孤児を日本が救出した逸話と大戦終結から8年経った1953年の後日談だ。主人公はワルシャワの日本大使館に勤務する若き外交官・棚倉慎、彼の母親は日本人だが父親はロシア革命で亡命を余儀なくされたロシア人だ。

 構えの大きいこの舞台設定がいい。最初のシーンはベルリンからワルシャワに向かう夜行列車だ。赴任地に向かう主人公は車内でドイツ系ポーランド人のユダヤ人青年と知り合いになる。壮大な近代史ドラマを予感させる書き出しだ。

 その予感通り物語は以下の史実を組み込みながら展開していく。

  1938.9.28 ミュンヘン会談でズデーデン地方のドイツへの割譲決まる
  1939.8.23 ドイツとソ連が不可侵条約調印
  1939.8.28 独ソ不可侵条約により平沼内閣総辞職
  1939.9.1 ドイツ軍がポーランドに侵攻。第二次大戦終勃発
  1939.9.3 イギリス、フランスがドイツに宣戦
  1939.9.17 ソ連軍がポーランドに侵攻
   1939.9.27 ポーランドがドイツに降伏
  1940.6.14 ドイツ軍がパリ占領
  1940.9.27 日独伊三国同盟調印
  1941.6.22 ドイツ軍、ソ連侵攻。独ソ戦開始
  1942.7.22 ワルシャワ・ゲットーでユダヤ人虐殺
  1943.2.27 カチンの森事件発覚(ポーランド将校の大量の遺体発見)
  1944.8.1 ワルシャワ蜂起

 この小説を読んでいると、これらの歴史的事件をリアルタイムに体験している気分になり、近代史のおさらいになる。と言っても、歴史小説というよりは冒険小説に近い。やや感傷的で甘い感情に流れる部分もある。直木賞の選考委員たちからは文学性が低くて通俗的と見なされたのかもしれない。だが、物語に大きな破綻はなく、人種・民族・国家を問う今日的テーマも秘めらている。骨太で直球勝負の気持ちよさがある小説だ。

 もっとハードボイルドに仕立てた方がより面白くなったように思える。

 ◆◆◆注意!! 以下、ネタバレあり◆◆◆

 この小説の背景には、かつて日本がポーランド孤児を救出した話がある。私はこの小説を読むまでこの史実を知らなかったが、書籍やマンガにもなっているようだ。ロシア革命後の1919年、ポーランドとソビエトの戦争が始まり、シベリアに多くのポーランド孤児が残された。その孤児を救済したのが日本だった。1920年から1922年にかけて765名のポーランド孤児を受け入れ、孤児たちは日本各地で1年ほど生活した後、ポーランドへ帰還した。

 小説では、主人公の棚倉慎は幼少期に同年代のこのポーランド孤児と接する。巧みな仕掛けだ。

 主人公の父親はロシアから亡命者した植物学者で、自宅のピアノでショパンの『革命のエチュード』を奏でるような人だ。ショパンはポーランドを代表する作曲家である。日本の外交官である主人公の風貌は日本人離れしていてスラブ系に近い。ユニークな設定だ。

 私はこの小説の途中から、主人公の父親は実はロシア人ではなくポーランド人だろうと推理した。ロシア革命の時に日本に亡命してきたロシア人の中には、ロシア人を偽装したポーランド人も多数含まれていたという記事を読んだことがあるからだ。父親は息子に自分がポーランド人であることを秘匿しているが、息子はどこかの時点からそれに気付いていた。そして最後にそのことが明かされるという展開を予想していた。

 しかし、その推理と予想は外れた。残念だ。ロシア人としてロシア語を話すがショパンを奏でる父親が実はポーランド人だった、とした方がより面白くなったと思うのだが……