『理不尽な進化』はびっくりするほど面白いが難しい2019年06月26日

『理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ』(吉川博満/朝日出版社)
 進化論に関するとても面白い本を読んだ。

 『理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ』(吉川博満/朝日出版社)

 先日読んだ『科学する心』(池澤夏樹)で本書を知った。池澤氏は次のように紹介していた。

 「これ(絶滅)については2014年に出た吉川博満の『理不尽な進化』(朝日出版社)という本が必読。ぼくはこの本によって文字通り蒙を啓かれた。まるで新しい生物の姿を教えられた。」

 進化論には関心があるので「必読」と言われれば読まないわけにはいかない。巻末の著者紹介によれば吉川博満氏は「哲学、卓球、犬猫鳥、ロック、映画、単車などに関心がある文筆業」で、科学者ではない。本書の序章は「私たちは進化論が大好きである。」というフレーズで始まる。進化論好きが高じて進化論を深く考察する本書が誕生したようだ。

 文章は読みやすくユーモアに富んでいる。進化論の面白さにグイグイ引き込まれていくが、決してわかりやすい本ではない。本書によって進化論の歴史や最新の進化学説を把握できるが、本書の主目的は「人類にとって進化論とは何か」というややこしいテーマである。後半になると哲学的展開になり、かなり難解である。

 池澤氏の「ぼくはこの本によって文字通り蒙を啓かれた」という感想はよくわかる。私も同じ気持ちである。わが書架には進化論に関する一般向け概説書は20冊ばかり並んでいるが、本書を読んで、自分が進化論をいかに浅薄にしかとらえていなかったかを知った。

 進化が進歩とは別物だとは了解していたつもりだったが、進化の理不尽さ不条理性を明快に指摘されると、やはりびっくりする。そして、進化論が内包する「歴史性」「哲学性」の迷路にたじろいでしまう。本書の終り近くの次の一節が印象に残った。

 「1957年、ときの知識人の帝王ジャン=ポール・サルトルは、「マルクス主義はわれわれの時代の乗り超え不可能な哲学である」と宣言した。サルトルにとって哲学とは、時代と社会を支配する理念である。近代の第一期におけるそれはデカルトとロック、第二期はカントとヘーゲル、そして第三期(当時)はマルクス主義である、というわけだ。(…)いま私は、「ダーウィニズムこそ、われわれの時代の乗り超え不可能な哲学である」と叫びたい気分である(もし冥途のサルトルが「やっぱりマルクス主義は取り消し」と言ったならダーウィニズムはマルクス主義と交代ということになるし、いまなお譲らなければ四つ目の王座を用意することになるだろう)。

【蛇足】
 本書の終わりの方でギリシア詩人アイスキュロスの「ハリネズミと狐」に関する一節が紹介されている。私はたまたま今月初めにアイスキュロスの現存全作品(といっても文庫本1冊)を読んだばかりである。「ハリネズミと狐」は思い出すことができず、わが記憶力の頼りなさを嘆きつつ調べてみると、この一節はギリシア悲劇詩人アイスキュロスではなくギリシア詩人アルキロコスのもののようだ。

池澤夏樹氏の『科学する心』は文学的科学エッセイ2019年06月07日

『科学する心』(池澤夏樹/集英社インターナショナル)
 作家で詩人の池澤夏樹氏の次の本を読んだ。

 『科学する心』(池澤夏樹/集英社インターナショナル)

 文学書ではなく科学エッセイである。考えてみれば、彼の単著を読むのはこれが初めてである。新聞や雑誌で池澤夏樹氏の文章を読むことは多いし、彼が編纂した沖縄関連の本を読んだことはある。だが、小説や詩は読んでいない。避けていたのではなく機会がなかったに過ぎない。

 池澤夏樹氏のイメージは文学への造詣が深い「いかにも文学者らしい文学者」である。父親は福永武彦(加田怜太郎)だし、個人で世界文学全集や日本文学全集を編集している。『世界文学を読みほどく』なんていう著書もある。そんな池澤氏が大学では物理学を専攻していたと聞いたことはある。

 本書を読むと池澤氏が科学への造詣も深い科学好きだとわかる。理系出身の小説家は少なくないし、科学と文学は対立するものではない。一人の人間のなかに「科学する心」と「文学する心」の両方がある方が自然だと思う。私自身も「理系」「文系」という言葉や区分けを使うことがあるが、それを人間の分類に使うのは間違いだと思う。

 閑話休題。『科学する心』はまことに文学的な科学エッセイだった。自身の「科学する体験」が語られているだけでなく、自分が書いた小説や詩への言及や引用も多い。科学をテーマに自身の身体を通して人間や人類のありようを考察するというスタイルが科学好き文学者的である。

 12編のエッセイの中で私好みだったのは「進化と絶滅と愛惜」「体験の物理、日常の科学」「『昆虫記』の文学性」の3編である。進化は進歩ではなく人類が今あるのは運がよかっただけという話は歴史の見方に役立つ。科学は知識ではなく五感をもって自然に向き合う姿勢という考えには納得できる。ファーブル vs ダーウィンは興味深い科学史話である。

 本書では多くの科学書が紹介されていて、著者の語り口に乗せられてつい読んでみたくなる。世の中はワクワクさせてくれる本にあふれていそうだが、わが人生にそのすべてを読む時間は与えられていない。

『独楽の科学』で「全日本製造業コマ大戦」を知り感動2019年01月17日

『独楽の科学:回転する物体はなぜ倒れないのか』(山崎詩郎/ブルーバックス/講談社)
 先月(昨年だ)中旬、歯医者の待合室で手にした『週刊文春』の「私の読書日記」で池澤夏樹氏が『独楽の科学』『ジャイロモノレール』を取り上げていた。記事を読み終えないうちに診療の順番が来た。気がかりな印象が宙づりのように残ったが、『ジャイロモノレール』は昨年末に入手して読んだ。そして、その読後記憶が何とか残っているうちにもう一冊も読むことができた。

 『独楽の科学:回転する物体はなぜ倒れないのか』(山崎詩郎/ブルーバックス/講談社)

 本書の導入部はコマの回転に関する力学的な解説で、たまにこういう文章を読むと頭の整理整頓をしている心地がする。

 だが、本書で俄然面白いのは「全日本製造業コマ大戦」の記録である。本書を読むまで、こんな世界があるとは知らなかった。2つのコマを土俵の上に投げ、相手を場外に飛ばすか、相手より長く回っていれば勝ちという対戦で、コマには直径2センチ以下、高さ6センチ以下という制約がある。

 この単純な対戦のために多くの製造業が技術の粹を集めて精密で奇抜なコマを開発しているそうだ。ネットで検索すると「コマ大戦」の動画がいくつかあり、試合の様子がよくわかる。

 著者の物理学的な解説のはじめの方を読んでいると理想的な最強のコマが自ずから決まるように思えてくる。ところがそんな単純な話ではなく、「戦うコマ」はさまざまな工夫によって進化し続けているそうだ。下町製造業の力強さが感じられる意外な話にびっくりすると同時に感動した。

 私は人類の歴史の「進歩」にはいささか懐疑的になっているが、小さな手廻しコマの奥深さを知り、創意工夫を続ける人類に愛おしさを感じた。

『ジャイロモノレール』にワクワクした2018年12月31日

『ジャイロモノレール』(森博嗣/幻冬舎新書
 大晦日の忙中閑にとても面白い刺激的な新書を読んだ。

 『ジャイロモノレール』(森博嗣/幻冬舎新書)

 著者は工学の研究者でミステリー作家だそうだ。私には未知の人で本書が初体験である。

 「ジャイロ」も「モノレール」も何となくわかるが、「ジャイロモノレール」という言葉は知らない。ジャイロで安定させるモノレールだろうと想像できるが聞いたことはない。

 ジャイロモノレールは100年前の先端技術で実用実験もされていたそうだが、現在は忘れられた技術になっている。著者の森博嗣氏は昔の文献をもとにジャイロモノレールの復元を目指し、模型を実作している。本書はジャイロモノレールの理論の解説であり、実作の記録である。

 ジャイロモノレールを単に「ジャイロで安定させたモノレール」ぐらいに考えたのは早とちりで、そこにはかなり複雑な理論とメカニズムがあることを知った。ジャイロの不思議と面白さをあらためて感じることもできた。

 模型でジャイロモノレールを作るというのは簡単な作業ではなく、その制作記にはワクワクさせられる。レトロなメカニズムには独特の魅力がある。私には無理だが、模型好き・工作好きの友人に本書を紹介して挑戦させたいと思った。

 この著者がどんなミステリー作品を書いているのかにも興味がわき、小説も読んでみたくなった。

「ウナギ博士」塚本勝巳氏の会見に参加2018年08月12日

 「ウナギ博士」塚本勝巳氏の「ウナギの未来と日本」という会見が日本記者クラブであった。塚本氏は日本ウナギの産卵場所が西マリアナ海嶺であることをつきとめ、世界で初めて天然ウナギ卵を採取した世界的な海洋生物学者である。

 冒頭、塚本氏は「ウナギ博士」と呼ばれることに抵抗があったとユーモラスに語った。ウナギだけを研究してきたわけでなく、他の魚も含めて主に魚の回遊を研究してきたからである。だが、今ではあきらめて「ウナギ博士」を受け容れているそうだ。

 何年か前に読んだ塚本氏の『ウナギ大回遊の謎』(PHPワールドサイエンス新書)でもアユの回遊に関する興味深い話が紹介されていた。とは言え、生物学的にはともかく食文化におけるウナギの存在感は圧倒的に大きく、「ウナギ博士」という語感には広がりがある。塚本氏の会見も多岐にわたる面白い内容だった。

 ウナギ研究には「生態」「養殖」「資源」「保全」などの分野があり、「生態」「養殖」では日本は世界のトップ、それも30年ぐらい水をあけたダントツだそうだ。頼もしい限りである。とは言え「資源」「保全」の研究はまだまだらしい。将来にわたってウナギを食べ続けられるよう、この分野にも若い頭脳が挑戦してほしい…と手前勝手に願望した。

「知らない」ということを知ったつもりになるという錯覚2018年08月04日

『知ってるつもり:無知の科学』(スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック/土方奈美訳/早川書房)
 タイトルに惹かれて次の本を読んだ。

 『知ってるつもり:無知の科学』(スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック/土方奈美訳/早川書房)

 著者の二人は米国の認知科学者だ。本書に接するまで「認知科学」という言葉に馴染みがなかった。人間の知性の働きを研究する学問だそうだ。本書を読んだ印象では、心理学や脳科学などをベースに自然科学と社会科学のまじわる領域を研究する学問のようだ。

 人間はおのれが自覚している以上に無知であり、物事を知っていると思っているのは錯覚である、というのが本書の指摘である。人間が存外無知であるにもかかわらず人類は複雑な装置や仕組みを作り出してきた。人間は認知的分業する動物で、人類が数々の偉業を達成できたのは「コミュニティの知」の力によるそうだ。言われてみれば、そんな気がする。

 人間の知性の働きにコミュニティが大きくかかわっているという指摘は興味深い。人間の考えは所属するコミュニティの影響を大きく受けているので、個人の考えを変えるのは容易ではない。考えを変えるということはコミュニティからの離脱につながる重大事になりかねない。これはかなり大きな課題だ。

 コミュニティの知にはプラスもマイナスもあり、「グループシンク(集団浅慮)」という現象も紹介されている。ネットの共鳴箱効果もその一例で、これも現代的な課題だ。

 本書は自分が無知であることを認識せよと主張しているようだが、無知である人間が「知ってるつもり」の錯覚におちいるのは、そもそも人間がそのようにできているからであり、それが進化の結果だとも述べている。無知であることを自覚しつつ錯覚に自身をゆだねる---結構ややこしい生き方になりそうである。

科学で解明できない「神」を科学者はなぜ信じるのか2018年08月02日

『科学者はなぜ神を信じるのか:コペルニクスからホーキングまで』(三田一郎/ブルーバックス/講談社)
 三田一郎氏は素粒子物理学者であると同時にカトリックの聖職者である。2008年にノーベル物理学賞を受賞した「小林・益川理論」の実証に貢献した世界的な物理学者だ。私は9年前に三田氏の講演会で少しお話をさせていただいたことがあり、そのときの感想は以前のブログに書いた。

 その三田氏の次の新著を新聞広告で知り、さっさく購入して読んだ。

 『科学者はなぜ神を信じるのか:コペルニクスからホーキングまで』(三田一郎/ブルーバックス/講談社)

 私は無宗教で神を信じていない。私よりはるかに頭脳明晰な物理学者がなぜ神を信じているのか、その不思議が解明できるかと思って本書を読んだ。読み終えて、科学者が神をどのようにとらえているかの理解は少し深まった。

 本書は基本的には地動説から現代宇宙論に至るまでの科学史概説であり、それは「神業」の領域がどんどん狭められてきた歴史である。マクロな宇宙の構造や起源からミクロな素粒子までが徐々に解明されていく物語にはワクワクさせられる。

 著者によれば、神の領域を狭めてきた偉大な科学者の多くは神の存在を感じていたそうだ。無神論とみなされている学者(アインシュタイン、ディラック、ホーキングなど)も神を意識していたはずだというのが著者の見解だ。

 カトリック教会はガリレオを断罪したが、1992年になって教皇ヨハネ・パウロ2世はガリレオに謝罪する。ほんの26年前だ。三田氏は、この謝罪がなければ自分も教会から離れただろうと述べている。部外者には推し量りがたい心境だ。倫理ではなく自然科学的「真理探究」に宗教が関わることへの違和感はある。

 最終章の「最後に言っておきたいこと --- 私にとっての神」では、素粒子研究者である自分が神を信じるに至った経緯を述べている。「積極的無宗教」を標榜する益川敏英氏への反論が面白い。神を信じることは思考停止ではなく、「もう神は必要ない」と探求の「無限のいたちごっこ」をやめてしまうことこそが思考停止だとの見解だ。説得されたわけではないが何となく納得させられてしまう。だが、モヤモヤしたものは残る。

脳科学の入門書は私の脳に何をもたらしたのだろうか2018年07月17日

『進化しすぎた脳』(池谷裕二/ブルーバックス/講談社)、『単純な脳、複雑な「私』(池谷裕二/ブルーバックス/講談社)
 脳科学を少し勉強しようと思い次の2冊を読んだ。

(1)『進化しすぎた脳』(池谷裕二/ブルーバックス/講談社)
(2)『単純な脳、複雑な「私』(池谷裕二/ブルーバックス/講談社)

 この2冊、脳科学の研究者である著者が高校生を相手に実際に講義した内容をライブ風にまとめたもので、元は朝日出版社から2004年と2009年に刊行され、その後ブルーバックス版になったものだ。この2冊には次のような長いサブタイトルがついている。

(1)中高生と語る「大脳生理学」の最前線
(2)または、自分を使い回しながら進化した脳をめぐる4つの講義

 脳科学を少し勉強しようと考えた直接のきっかけは『脳の意識 機械の意識:脳神経科学の挑戦』(渡辺正峰/中公新書)を読んで、脳への興味がわいたからだ。

 ずいぶん昔に養老孟司の『唯脳論』読んで感心した記憶があり、何年か前に『超常現象の科学:なぜ人は幽霊が見えるのか』(リチャード・ワイズマン・文藝春秋)という本を面白く読んだこともある。そんな知見をベースに友人たちに「ほとんどの超常現象は脳内現象だよ」と知ったかぶりの吹聴をしたこともある。だが、胸に手をあてて考えると自分が脳について何も知らないことに気づき、入門書を何冊か読まねばと思ったのだ。

 『進化しすぎた脳』と『単純な脳、複雑な「私」』は脳科学の現状を垣間見るには恰好の入門書で、勉強にも刺激にもなった。講義を聞く高校生たちが優秀なのに圧倒されるが、そんな若い高校生に混じって池谷先生の謦咳に接している気分になる。

 この2冊のタイトル、門外漢には何を言っているのかよくわからない。特に(2)のタイトルとサブタイトルはディ―プだ。取っ付きにくい書名である。街頭で人を誘い込もうとするようなタイトルではなく、ストレートに内容の主旨を表したタイトルだ。だから、読了してはじめて書名の意味を了解できた。読み終えると、わかりやすい素敵な書名に思えてくる。脳は勝手だ。

 この2冊で脳の不思議を十分に感得できたが、とくに「あいまいさ」や「ゆらぎ」という要素が面白い。「あいまいさ」や「ゆらぎ」がある故に脳は機能しているという論旨には驚かされたし、体なくして脳はないという指摘も説得的で面白かった。

 本書で楽しいのは著者が研究対象である脳を「アホなやつ」「カワイイやつ」などと客観視して愛しんでいる箇所だ。しかし、終盤になって、脳を使って脳を考えるというリカージョン(再帰)とそのパラドックスを解説する局面になると、にわかにややこしくなってくる。謎も深まる。ある意味では見事な展開だ。

 単純に見えながら途方もなく複雑な脳というものを対象にした脳科学の魅力の一端を見せてもらった。

「意識」が自然科学の対象になっていることの驚異2018年05月02日

『脳の意識 機械の意識:脳神経科学の挑戦』(渡辺正峰/中公新書)
◎「まえがき」でワクワクさせられる

 朝日新聞(2018.1.21)と日経新聞(2018.1.20)の書評に取り上げられていて興味を喚起された次の新書をやっと読んだ。

 『脳の意識 機械の意識:脳神経科学の挑戦』(渡辺正峰/中公新書)

 書評を目にした直後に近所の本屋の新書コーナーを探索したが見つからなかった。売れ行き好調のようだ。後日、3版を入手した。

 まず「まえがき」にびっくりする。

 「未来のどこかに時点において、意識の移植が確立し、機械の中で第二の人生を送ることが可能になるのはほぼ間違いないと私は考えている。」

 「読者のみなさんも、意識が脳に宿ることの真の不思議さを実感できた暁には、天地がひっくり返るごとき衝撃を味わうはずだ。」

 「肝心なのは(…)、脳のどこにもブラックボックス(未知の仕組み)が隠されていないことを実感してもらうことだ。ブラックボックスがないのに意識が宿る、これこそが衝撃なのだ。」

 刺激的で挑戦的な記述に否応なくワクワクさせられる。

◎脳科学の本

 本書のテーマは「意識」であり、冒頭にデカルトの「我思う、ゆえに我あり」が紹介される。しかし、哲学を検討する書ではない。タイトルに「機械の意識」という言葉があるが、人工知能の将来を構想する工学書でもない。脳科学の本だ。脳神経科学における先端的研究分野の現場レポートである。

 先端的研究の話だから難解だ。私は半分も理解できなかった。にもかかわらず、研究現場の臨場感が伝わってきて面白く読了できた。再読したいとも思った。再読すれば、多少は理解が深まるかもしれない。

 よく理解できなながらも、脳科学において「意識の発生」を追求する研究テーマがあり、それがいかに重要かがわかった。同時に、われわれの脳の不思議を再認識した。われわれが生きている「現実」は脳が作り出している「仮想現実」だという指摘は興味深い。納得せざるを得ないと思う。

◎夢の中で新聞を読めるか

 脳が作り出す仮想現実としての夢の説明にも驚いた。目覚めている時の「仮想現実」に比べて夢の「仮想現実」は解像度が低いそうだ。だから、夢の中では大きな字は読めても新聞のような小さな字は読めないらしい。自身の夢で確かめたくなる話だ。

◎意識の自然則

 本書が大胆なのは「自然則」を検討している点だ。自然則とは、「万有引力の法則」「光速度一定の法則」などのように、他の法則から導くことのできない、科学の根幹を成す法則である。著者は「意識とは何か」を解明する「意識の自然則」を追求している。そして一つの仮説を提示している。

 「意識の自然則」の研究紹介はスリリングで圧巻とも言える。十全には理解できないものの刺激的な読書体験だった。

◎ネズミの意識

 それにしても「意識」の研究現場ではマウスやラットの脳を使っていると知り、かなり驚いた。もちろん人間の脳を実験材料に使うのが難しいのはわかるが、脳科学の研究においてはネズミの脳の延長に人間の脳があり、ネズミの脳にも「意識」が発生しているとみなしているわけだ。確かに哲学ではなくサイエンスだ。

◎記憶についても知りたい

 人間の意識の機械への移植の検討も驚異のテーマだ。著者は、それが可能になるだろうとの立場だ。「記憶」の移植にも言及されているが、あまり詳しく述べられていない。煩雑になり過ぎるからかもしれない。脳研究の最先端で記憶がどのように解明されているか知りたいと思った。

早トチリで買った新書で思いがけず科学史のおさらい2018年03月13日

『〈どんでん返し〉の科学史:蘇る錬金術、天動説、自然発生説』(小山慶太/中公新書)
 書店の店頭に次の新刊新書が平積みされていた。

 『〈どんでん返し〉の科学史:蘇る錬金術、天動説、自然発生説』(小山慶太/中公新書)

 まず、タイトルに目を奪われた。オビの「まさか、錬金術が現代によみがえるとは!」にもびっくりした。手に取って目次をパラパラとめくっただけで、すぐに購入してしまった。現代科学の最前線の驚異を報告するビックリ本だと思ったのだ。

 帰宅して「まえがき」読み、早トチリに気づいた。「蘇る錬金術」とは核物理学による元素変換のことであり、「蘇る天動説」とは宇宙の相対座標のことであり、「蘇る自然発生説」とは原始生命は有機高分子から発生しただろうという話である。暗黒エネルギーは21世紀のエーテルに相当するという記述もある。要は科学史の啓蒙書である。

 「どんでん返し」という視点から科学史を振り返っているのが本書のミソであり、最先端のビックリ大発見の本ではなかった。目次を冷静に見れば内容はわかるのだが、本書を店頭で手にした私は妙なかん違いをしていた。トンデモ科学やエセ科学は私が最も警戒するものなのに、いったい何を期待して本書を購入したのだろうか。精神状態がおかしかったのかもしれない。

 おのれの早トチリを呪いつつも本書を読み進めた。科学史関連の本を読むには久しぶりなので、学生時代の遠い記憶がよみがえってくるような新鮮で懐かしい気分になった。

 本書は「蘇る錬金術」「転変をつづける宇宙像」「復活した不可秤物質」「回帰する生命の自然発生説」の4章から成り、それぞれ以下のような科学史のトピックを解説している。

 ・元素論、錬金術、原子構造の発見、太陽の核融合
 ・コペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン
 ・カロリック(熱素)、光子、量子力学、フォノン、重力波、ヒッグス場
 ・微生物の発見、進化論、DNA、生命と物質

 まさにコンパクトな科学史の本である。科学史は私の興味分野の一つだ。私にとっての新たな知見もいろいろあり、面白く読了できた。想定外に科学史の本を読んでしまい、もっときちんと科学史を勉強しなければなあ、という気分になった。と言っても、残された人生の時間は限られているからなあ、とも思った。