「ギリシャ」でなく「ギリシア」?!2021年01月16日

 学問の世界で「ギリシャ」と表記するとバカにされると聞いたことがある。「ギリシア」と表記しなければならないそうだ。気にしたことがなかったので「ヘェー」と思った。

 新聞は「ギリシャ」と表記しているし(『朝日新聞の用語の手引き』にも明記)、外務省ホームページの国名一覧も「ギリシャ」だ。なのに、学問の世界では「ギリシア」らしい。

 手元の書籍の表題を調べると大多数が「ギリシア」だった。掲示写真は7つの出版社(筑摩書店、岩波書店、新潮社、集英社、中央公論社、講談社、河出書房)の書籍の背表紙で、すべて「ギリシア」である。『広辞苑』も『大辞林』も「ギリシア」だった。

 教科書の表記は、中学の「歴史」(東京書籍、帝国書院)は「ギリシャ」で、高校の「世界史」(山川出版)は「ギリシア」だった。ややこしい。

 この表記は出版社ごとに決まっているわけではなく、書籍ごとに異なるようだ。中公文庫の『世界史』(マクニール)や新潮文庫の『全世界史』(出口治明)は「ギリシャ」である。朝日新聞は「ギリシャ」だが、朝日新聞社刊行の『週刊朝日百科 世界の歴史』は「ギリシア」である。

 私たちの発声は「ギリシア」より「ギリシャ」に近い。一般向けは「ギリシャ」、専門性が高いと「ギリシア」という、よくわからない区分けがあるのかもしれない。旅行記なら「ギリシャ」、歴史を語るなら「ギリシア」のように思える。

 ちょっと気になるのが、ビジネスマン出身の大学学長・出口治明氏である。『全世界史』も『哲学と宗教全史』も「ギリシャ」だ。全然気にしていないのか、あえて「ギリシャ」なのか……前者のような気がする。

外苑いちょう並木が内側から色づくはなぜだろう?2020年11月30日

 本日(2020.11.30)、所用で外苑前に行ったついでに青山通りからいちょう並木を撮影した。2週間前には緑だったいちょうが黄色くなっていた。例年なら「いちょう祭」の時期だが今年は中止だそうだ。

 絵画館を望むこの典型的な遠近法風景にはトリックがある。青山通り側のいちょうより絵画館側のいちょうの方が少し低くなっていて、遠近法風景を強調させているそうだ。

 それはともかく、いちょうの色づきに差があるのが不思議だ。この並木は両側とも2列ずつになっていて、内側の方が早く黄色くなる。毎年、外側は色づくのが遅い。なぜだろうか。

「たまのの市」のマンガの横に玉野市の記事!2020年11月20日

 どうでもいい話であり、気づいた人も多いとは思うが、本日(2020年11月20日)の朝日新聞朝刊社会面に、面白い偶然の一致があった。

 連載マンガ『ののちゃん』に「たまのの市」を明示するコマがあり、そのすぐ横に「たまのの市」のモデル玉野市の記事が載っていたのだ。

 東京本社版の社会面に岡山県玉野市の記事が載ることは滅多にない。玉野市出身のいしいひさいち氏の『ののちゃん』の舞台が玉野市をモデルにした「たまのの市」だとは広く知られているが、マンガに「たまのの」という単語が登場することは多くはない。

 本日のマンガの1コマ目には「たまのの駅前将棋センター」と明示されている。隣りの記事では玉野市の造船所(ののちゃんの父の勤務先のモデル)で新型護衛艦の進水式があったと報じている。このマンガと記事の遭遇を盲亀の浮木、優曇華の花と見なすのは言い過ぎだろうか。

 こんなことに私が感動したのは、私が岡山県玉野市出身だからである。小学校の頃は学校から進水式見学に行ったものだ。何年か前に久々に玉野市を訪れたとき、駅前に「ふるさと たまの! ののちゃんの街」というノボリが立っていた。

「僕は何故、泣いちっちっなんだ?」2020年10月22日

 先月、歌手の守屋浩が81歳で亡くなった。私たち団塊世代が小中学生の頃のスターだった。たまたま手にした週刊誌の追悼記事に、彼のヒット曲『僕は泣いちっちっ』のレコードジャケットが載っていた。それを見て中学時代の社会科の教師を思い出した。

 中学2年のとき(1962年)の担任は他校から転任してきた寡黙で筋肉質の社会科教師だった。「元・刑事」との噂が飛び交ったが、それはガセだった。スゴ味のある風貌で声は低く、ついたあだ名は「忠治」――国定忠治からの連想である。

 その「忠治」が社会科の授業中に、みんなに向かってボソリと質問した。
 「僕は何故、泣いちっちっなんだ?」
 ややドスの効いた低音と「泣いちっちっ」のアンバランスに唖然とし、一瞬、何を訊かれているかわからなかった。

 誰かが指され、おずおずと「恋人が東京に行ったからです」と答えた気がする。

 私の通っていた中学は岡山県の瀬戸内海沿岸にあった。田舎の中学だから、東京を知っている生徒は少なく、東京への憧れは強かった。

 守屋浩は、東京へ行った恋人を追って僕も東京に行きたいという切ない思いを軽快に歌っていた。教師の質問は、東京への人口集中という社会現象の説明につながったのだと思うが、「泣いちっちっ」の衝撃以外の授業の記憶は残っていない。

 私は高校の途中で、親の転勤で東京に引っ越し、それ以降ずーっと東京暮らしである。あらためて『僕は泣いちっちっ』は当時の人口動態を反映した歌謡曲だったと思う。

「西武門哀歌」の謎 --- 「ジン」とは何か?2019年11月15日

加藤登紀子『日本哀歌集/知床旅情』のLPとCD
◎「西武門」は何と読むか

 年に数回沖縄に行くようになって、那覇市の「西武門」という地名が心に残った。初詣で賑わう波上宮近くの交差点やバス停にこの表記があり、何と読むのか気になりつつ数年が経過し、最近になってネットで読み方を調べた。その結果、いろいろなことがわかり、新たな疑問もわいた。

 「西武門」は「にしんじょう」と読む。「西武門節」という古い沖縄民謡があるそうだ。辻遊郭の娼妓の情歌である。波上宮近くの辻という地域は今も風俗店が多い。

◎「西武門節」と「西武門哀歌」

 「西武門節」を元に川田松夫(沖縄県職員)が作詞・作曲した「西武門哀歌」があり、加藤登紀子が歌ったそうだ。それをネットで聞くことができた。

 「西武門哀歌」は私には聞きなれた曲だった。大学時代(約半世紀前)に購入し何度も繰り返し聞いてきた加藤登紀子のLPアルバム『日本哀歌集/知床旅情』に収録されている曲である。後年このLPのCD版も購入し、今は私のipodにも入っている。

 若い頃に「西武門哀歌」という曲名を目にした記憶もかすかによみがえってきた。そのときは「せいぶもん」ってどこにある門だろうとチラッと考えただけで、そのまま忘れていた。

 この曲をあらためて聞いて、この曲の歌詞に意味不明の箇所があり、それを半世紀も聞き流してきたことに思い当たった。

◎「ジン」とは何か?

 「西武門哀歌」には「ジン」という印象的な言葉が出てくるが、その意味がわからないのである。この言葉は次の三カ所に出てくる。

 (1)夢を見たよ夢を/ジンと夢にようて
 (2)ジャミも濡れたようて/ジンとジャミも濡れた
 (3)思いばかりようて/ジンと思いばかり

 「にしんじょう」という読み方を知ったのを機に「ジン」が何かを解明しようと調べてみた。しかしわからない。

 酒の「ジン」なら(2)がおかしい(「ジャミ」は三線だろう)。沖縄方言で「お金」を「ジン」と呼ぶらしいが、それでは意味が通らない。人名でもなさそうだ。

 ふと思い浮かんだのが琉球歌の「娘ジントーヨー」である。調べてみると「ジントーヨー」は「本当だよ」という意味である。「ジントー」は「本当」という意味だそうだ。

 ここからは私の推測である。LPやCDに添付の歌詞には「ジンと」とあるが、これは「ジントー」の誤記で「本当に」という意味ではなかろうか。それだと何とか意味が通る。

 「ジン」の意味を知っている方の教えを請いたい。

◎LPとCDの違い

 『日本哀歌集/知床旅情』のLPとCDを並べて眺めていて、LPの「西武門哀歌」がCDでは「西武門節」になっているのに気づいた。曲は同じでタイトルが変更されている。「西武門節」は「西武門哀歌」の元歌である。ネットで「西武門節」を聞くことができるが、それは「西武門哀歌」とは別物である。CD化に際してなぜ「西武門節」に変更したのか、謎である。

 他にもLPとCDに違いがある。LPにあった「竹田の子守唄」がCDには収録されていない。「竹田の子守唄」をネット検索して、この唄には部落問題絡みのいろいろな経緯があることを知った。CDに収録されなかったのには何か事情があるのだろう。それが何かはわからない。

台湾から与那国島への「3万年前の航海」報告会見を聞いた2019年07月18日

 日本記者クラブで「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」報告会見があった。プロジェクト代表の海部陽介・国立科学博物館人類史研究グループ長と二人の漕ぎ手(原康司キャプテンと田中道子さん)が会見した。

 旧石器時代にわれわれの先祖が大陸から海を渡って来たことを「沖縄ルート」で実証するプロジェクトで、今月上旬、手漕ぎの丸木舟による台湾から与那国島への航海が成功した。

 私は1年前、このプロジェクトの「漕ぎ手募集説明会」のチラシを図書館で見かけた時から興味を抱いていた。だから、成功のニュースにはひときわ感動した。

 今回の会見で航海の詳細を聞き、あらためてこのプロジェクトの意義を理解し、3万年前の技術だけによる公開の難しさを知った。航海時間は30時間から40時間の見込みだったが実際には45時間かかったそうだ。

 3万年前、台湾は大陸の一部だった。当時も今も黒潮が流れていて、昔の潮流も推測でき、漂流では台湾から沖縄の諸島に流れ着くことができないと実証されている。だから、太古の人は己の意思で海を渡ったと推測される。

 与那国島と台湾の距離は100キロ、天候がよければ与那国島から台湾は見える。台湾の標高は与那国島に比べてはるかに高い。台湾から与那国島は見えないとも言われていたが、海部氏は現地調査し、海岸からは見えなくても高い山からは与那国島が見えることを確認したそうだ。

 与那国島は台湾の東方100キロにあるが、今回の航海の距離は225キロである。黒潮の流れを想定して南方から北東に向かう航海になるからである。それは地図を観て理解していたが、漕ぎ手たちは北東ではなく東南東に向かって漕いだと知って驚いた。潮の流れとの格闘であり、潮に乗る制御なのである。

 地球は丸いから海上から与那国島が見えるのは50キロ圏内に入ってからである。当然、出発地から島は見えない。それでも3万年前の人類は島を目指して海に漕ぎ出して行ったのである。その動機が何だったのはわからないが、探求心だったと思いたい。

日本の「貧者のサイクル」に古代ローマの奴隷制を連想2019年03月20日

 昨日の日経新聞1面トップの「賃金水準 世界に劣後」という記事は衝撃的だった。

 日本の時給は過去20年間で9%減少し、最低賃金は台湾や韓国より低くなっているそうだ。格差拡大で時給ベースで働く人の賃金が伸び悩んでいるとは聞いてはいたが、ここまで悪化しているとは知らなかった。

 コンビニや外食チェーンなどでは留学生アルバイトとおぼしき外国人を多く見かけるが、日本の賃金が外国人労働者を惹きつける時代は終わりつつあるのだろうか。

 この記事によれば、低賃金が持続しているため、そのような仕事の生産性が向上せず、付加価値の高い仕事への転換も遅れて「貧者のサイクル」ができているという。

 日本の生産性について次のような記述もある。

 「なぜ生産性が上がらないのか。逆説的だが、日本の企業が賃上げに慎重な姿勢を続けてきたことが生産性の低迷を招いたとの見方がある」

 これを読んで、本村凌二氏の『教養としてのローマ史の読み方』のなかの一節を想起した。ローマの奴隷制度がイノベーションの遅れを招いたとの指摘である。蒸気機関の原理は古代ローマの時代にすでに知られていたが、それが産業革命につながらなかったのは、奴隷労働への依存に自足していたためイノベーションへのインセンティブがなかったからである。それがローマの経済衰退の一因だという。

 現代日本がローマ衰退の後追いをすることがないよう、知力と胆力のある人材の輩出を期待するしかない。

日食を写真撮影2019年01月06日

 本日(2019年1月6日)午前の日食、東京都調布市は曇天だが雲の隙間から時折日がさし、何とか観察できた。

ネコ特集『週刊朝日』の売れ行き好調は目出度いが…2018年12月24日

 『週刊朝日』の先週号(2018.12.28号)は売り切れ店続出だそうだ。理由は「ネコ特集」、私には理解できない現象である。

 同誌のホームページに次のような紹介文が載っていた。

 「創刊95年超の歴史の中で、初めて表紙にネコを起用したのは昨年12月。発売初日から飛ぶように売れ、各地の書店で完売御礼となりました。読者のみなさんの熱いリクエストに応え、今年は「愛猫に食べさせたい自家製ごはん」「模様でわかるネコの性格診断」といった特集記事も盛りだくさん。さらに充実した誌面をつくりました。」

 ネコ特集は昨年に続いて2回目で、ネコを表紙に起用したのは95年の歴史の中で昨年が初めてとある。これを読んで、ハテナと思い、書棚の奥を探索すると、ネコが表紙の1982年の週刊朝日が出てきた。36年前にもネコを表紙に起用しているではないか。

 と言っても、1982年のネコ表紙は「パソコン特集」の増刊号であり、増刊号だから保存していたのだ。週刊朝日は翌1983年にも「パソコン特集」増刊号を出していて、その表紙もネコである。増刊号はカウント外なのか。

 こんなことを書いていると、重箱の隅をつつく小言幸兵衛の心地になり、自分がめっきり爺さんになった気がしてくる。

飛べないメジロ始末記2018年10月30日

 ベランダでカミさんが「キャー」と叫んだ。小鳥が死にそうになっているという。突然、空から落ちて来たそうだ。

 小さな鳥がわが家のベランダで仰向けになってピクピク動いている。そっと手で表向きにしたが、うずくまった姿勢でかすかに体を動かすだけだ。どうしていいかわからず、そのまま放置した。

 1時間ほど経って見に行くと、その場所にいない。あたりを見回すと、チョンチョンとベランダを歩き回っている。そのうち飛び立つだろうと期待した。

 しばらくたって見に行くと、その小鳥は仰向けになっていた。手で元に戻してやると、またチョンチョンと歩き出す。しばらく歩いて、羽根をはばたかせて飛ぼうとするとすってんとひっくり返って仰向けになる。そうなると自力では元に戻れないようだ。やっかいな小鳥である。

 よく観察すると、右の翼がはばたくだけで左の翼はまったく動かない。これではすぐには飛び去りそうにない。夕暮れも迫ってきた。仕方なくわが家で保護することにした。高さ15センチしか飛べないのだから鳥かごは必要ない。屋内のベビーバスに入れた。

 カミさんが図鑑で調べて、その小鳥はメジロだと判明した。わが家に鳥の飼育法の本はない。庄野潤三の『メジロの来る庭』という本はあるが、もちろん飼育教本ではない。ネットを検索すると、いろいろな情報が出てきた。メジロは捕獲や飼育が法律で禁止されているそうだ。にもかかわらず飼育法の記事もあるし、メジロの餌もいろいろ販売されている。

 ネットの情報をもとにミカンを与えるとよく食べる。とりあえず餌も注文した。ミカンをついばむ姿はかわいい。ベビーバスの中で落ち着いたメジロは無理にはばたこうとはせず、仰向けになることもない。

 通販で届いた餌はミカンに塗って与えた。しっかりミカンを食べるものの、いつになったら飛べるようになるかわからない。動物病院に連れていけばいいのだろうが、そもそも飼育禁止の動物である。

 メジロを保護して2日目、落ち着いて考えてみると、やっかいな小鳥である。餌は毎日与えねばならず、寿命は3~5年だという。メジロがいては旅行もできない。旅行中は人にあずけるとしても、違法行為に巻き込むことになる。

 どうしたものかと思案し、日本野鳥の会に相談しようと思いつき、そのホームページを見ると「よくある質問」に「けがをした鳥を保護したのですが、どうしたらよいでしょうか?」という項目があった。回答には、当面の緊急措置の解説に続いて「必ず各都道府県の野生鳥獣担当機関に連絡し、指示を仰いでください」とある。

 その回答に従って、東京都多摩環境事務所自然環境課鳥獣保護管理担当に電話を入れると、担当者が引き取りに来た。購入したばかりの餌も引き取ってくれた。引き取った野鳥は獣医の診断を受け、回復すれば保護した場所で放すそうである。

 飛べないメジロ一羽にもきちんと対応する行政にあらためて感心し、文明の力のようなものを感じた。わが家に3泊して引き取られて行ったメジロが回復して自然に還る日が来ることを祈っている。