『東方見聞録』を再読した ― 2025年07月12日
世界史リブレット人の『マルコ・ポーロ』を読んでから、7年前に読んだ『東方見聞録』を再読した。
『マルコ・ポーロ 東方見聞録』(月村辰雄・久保田勝一訳/岩波書店)
7年前に読んだときの記憶は、日本に関する記述以外はほとんど蒸発している。再読しながら、何度も「こんなトンデモナイことを…」と思った。ラストも唐突で、尻切れトンボである。
本書の巻末には訳者の月村辰雄氏による「マルコ・ポーロを原典で読む――中世フランス語版『東方見聞録』訳者あとがき」と題する文章がある。これを読むと、本書がやや特殊な『東方見聞録』だとわかる。作家ルスティッケロがマルコ・ポーロの話を文章化したとされる『東方見聞録』には多くの版がある。本書は最も原本に近いと思われる版の翻訳である。
本書は原典の挿絵の多くを転載している。挿絵画家がマルコに取材して描いた絵ではなく、文章を元に挿絵画家が想像して描いたものである。挿絵からは14世紀ヨーロッパの人々が東方に抱いていたイメージを知ることができる。だが、その絵柄は当時のクビライの世界の景色とはかなりかけ離れていると思われる。
本書は、14世紀ヨーロッパの人々が接したであろう『東方見聞録』の再現にウエイトを置いている。原典をそのまま提示するのは意義深いだろうが、その分、私のような門外漢には把握しにくい部分もありそうだ。他の版の翻訳を読んだうえで読むべき本だったかもしれないと思った。
本書に訳者の「注」は随所にあるが、私には不十分だった。マルコの話にはホラ話と思えるものが多い。もちろん、史実や同時代の記録と合致する記述もあるだろうが、門外漢にはその腑分けが難しい。そんな点を丁寧に注釈してくれればありがたい。
『東方見聞録』を再読して、「実見記」「体験記」的な話が少ないと感じた。地誌や出来事に関する伝聞と思われる記述が大半である。日本に関する記述や「蒙古襲来」のてんまつも伝聞で、史実ばなれしている。単調に感じられる部分もある。だから、マルコ・ポーロという人物のイメージが浮かび上がって来ない。
本書で印象に残ったのは、クビライの帝国で流通している紙幣の解説である。当時、ヨーロッパに紙は伝播していたはずだが、紙幣に似たものがあったかどうか、私は知らない。本書の「大カーンがどのようにして証書のような木の樹皮を通貨とし、それを全領土に通用させているか」という項目では「大カーンは錬金術師の秘宝を理にかなった方法で完璧に我がものにしている」と述べている。
全般的には、キリスト教への配慮に満ちた「見聞録」だと思えた。マルコはキリスト教徒だし、14世紀ヨーロッパの風潮や事情もあったろうが、キリスト教を讃える書に近い。もちろん、クビライも讃えているが、クビライはキリスト教に多大な関心をもっているように描いている。
ある意味、ホラ男爵の物語のような書である。広く読まれた本だが、当時の人々はどう読んだのだろうか。コロンブスのように黄金の国ジパングに憧れた人もいるだろうが、ホラ話と思った人も多かったのではと思える。
『マルコ・ポーロ 東方見聞録』(月村辰雄・久保田勝一訳/岩波書店)
7年前に読んだときの記憶は、日本に関する記述以外はほとんど蒸発している。再読しながら、何度も「こんなトンデモナイことを…」と思った。ラストも唐突で、尻切れトンボである。
本書の巻末には訳者の月村辰雄氏による「マルコ・ポーロを原典で読む――中世フランス語版『東方見聞録』訳者あとがき」と題する文章がある。これを読むと、本書がやや特殊な『東方見聞録』だとわかる。作家ルスティッケロがマルコ・ポーロの話を文章化したとされる『東方見聞録』には多くの版がある。本書は最も原本に近いと思われる版の翻訳である。
本書は原典の挿絵の多くを転載している。挿絵画家がマルコに取材して描いた絵ではなく、文章を元に挿絵画家が想像して描いたものである。挿絵からは14世紀ヨーロッパの人々が東方に抱いていたイメージを知ることができる。だが、その絵柄は当時のクビライの世界の景色とはかなりかけ離れていると思われる。
本書は、14世紀ヨーロッパの人々が接したであろう『東方見聞録』の再現にウエイトを置いている。原典をそのまま提示するのは意義深いだろうが、その分、私のような門外漢には把握しにくい部分もありそうだ。他の版の翻訳を読んだうえで読むべき本だったかもしれないと思った。
本書に訳者の「注」は随所にあるが、私には不十分だった。マルコの話にはホラ話と思えるものが多い。もちろん、史実や同時代の記録と合致する記述もあるだろうが、門外漢にはその腑分けが難しい。そんな点を丁寧に注釈してくれればありがたい。
『東方見聞録』を再読して、「実見記」「体験記」的な話が少ないと感じた。地誌や出来事に関する伝聞と思われる記述が大半である。日本に関する記述や「蒙古襲来」のてんまつも伝聞で、史実ばなれしている。単調に感じられる部分もある。だから、マルコ・ポーロという人物のイメージが浮かび上がって来ない。
本書で印象に残ったのは、クビライの帝国で流通している紙幣の解説である。当時、ヨーロッパに紙は伝播していたはずだが、紙幣に似たものがあったかどうか、私は知らない。本書の「大カーンがどのようにして証書のような木の樹皮を通貨とし、それを全領土に通用させているか」という項目では「大カーンは錬金術師の秘宝を理にかなった方法で完璧に我がものにしている」と述べている。
全般的には、キリスト教への配慮に満ちた「見聞録」だと思えた。マルコはキリスト教徒だし、14世紀ヨーロッパの風潮や事情もあったろうが、キリスト教を讃える書に近い。もちろん、クビライも讃えているが、クビライはキリスト教に多大な関心をもっているように描いている。
ある意味、ホラ男爵の物語のような書である。広く読まれた本だが、当時の人々はどう読んだのだろうか。コロンブスのように黄金の国ジパングに憧れた人もいるだろうが、ホラ話と思った人も多かったのではと思える。
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