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    <title>仮寓ダークマター</title>
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    <pubDate>Thu, 02 Jul 2026 01:26:57 +0900</pubDate>
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      <title>現代版『テンペスト』の『コテンペスト』な賑やかなコメディ</title>
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      <pubDate>Wed, 01 Jul 2026 15:41:37 +0900</pubDate>
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      <description>　本多劇場で『コテンペスト』（シェイクスピア「テンペスト」より、脚本・演出:村上大樹、出演：小手伸也、鈴木保奈美、片桐仁、崎山つばさ、松田凌、他）を観た。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　チラシに“「テンペスト」の設定を現代に置き換え大胆に翻案！　怪優・小手伸也が「そろそろシェイクスピアに挑戦したい」曲者たちと巻き起こす爆笑の嵐！”とある。面白そうに思えてチケッチを入手した。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2025/04/14/9768335" target="\\\_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;『テンペスト（嵐）』&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;は、昨年4月の「俳優座劇場さよなら公演」で観た。孤島を舞台にした妖精や魔術が出てくる芝居なので、どのように現代化するのだろうと思った。チラシには「小手伸也 舞台初主演！！」とある。小手（コテ）のテンペストだから「コテンペスト」のようだ。小手伸也は私にとって未知の役者だと思っていたが、2年前に観た別役実の不条理劇&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2024/04/07/9673997" target="\\\_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;『カラカラ天気と五人の紳士』&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;に出ていた。観劇後にパンフレットを読んで気づいた。テレビ出演も多いらしい。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　舞台は、地方都市の百貨店「天平ストア」の本館から遠く離れた「別館」である。客がほとんど来ない別館は孤島と呼ばれ、別館への人事異動は島流しと言われている。客の来ない別館には下着売場と仏具売場しかない。シェイクスピアの孤島を地方百貨店の別館というナンセンス・コメディ的シュールな場所に設定にしたのに感心した。面白い芝居が湧き出てきそうな設定だ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　この芝居、確かに『テンペスト』の面影はあるもののエネルギッシュな現代的コメディーだった。原作の主人公は孤島に流された元ミラノ大公プロスペローだが、『コテンペスト』の主役は別館に流された黒須太郎（プロスペロー）にこき使われる妖精オジサンである。小手伸也が妖精オジサンこと内木弁慶を演じる。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　この芝居で初めて「コテる」という言葉を知った。コテコテの芝居がかった演技でコケることを表す演劇用語（？）で、小手伸也の演技に由来するそうだ。『コテンペスト』は、役者全員がコテることを恐れない賑やかなコメディである。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　と同時に、演劇への情熱を表した芝居でもある。主人公・内木弁慶は芝居を辞めた元劇団員という設定で、妖精オジサンになることで演劇に復帰する。天平ストアには役者志望のアルバイトもいる。このアルバイト、おかしな事情から社長への道が拓けるが、それを捨てて役者への道につき進む。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　シェイクスピアへのリスペクトと演劇愛を秘めたメタ・コメディだと思った。&lt;Br&gt;
</description>
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      <dc:subject>演劇</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>『シャープさんフラットさん』はメタ・コメディ</title>
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      <pubDate>Sun, 28 Jun 2026 00:49:44 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-06-28T15:51:22+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-06-28T00:50:36+09:00</dcterms:created>
      <description>　紀伊國屋サザンシアターでKERA CROSS公演『シャープさんフラットさん』（作：ケラリーノ・サンドロヴィッチ、演出：マギー、出演：柄本時生、高梨臨、安達祐実、田中俊介、トリンドル玲奈、他）を観た。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　初演は2008年（ナイロン100℃）だそうだ。私は初見である。劇団から逃亡した劇作家・演出家を主人公にしたメタ・コメディ、つまりコメディを語るコメディである。作者はこの作品を半自伝劇と述べている。バブル絶頂からバブルが崩壊する1990年以降の数年を時代背景にしている。懐かしくて面白かった時代だ。芝居も面白い。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　東京から車で3時間ほどの北アルプスを望むサナトリウムが舞台である。サナトリウムと言っても、都会生活の喧騒から逃れてきた人々が暮らす高級リゾートホテルに近い。劇団の仕事を投げ出した主人公が逃げ込んだ先が、このバブルっぽい施設なのだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　「シャープさんフラットさん」はNHKの1960年代の音楽クイズ番組の題名だが、芝居のなかであのクイズ番組への言及はない。このサナトリウムに暮らす人々が世の標準から半音ズレていることを表しているようだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ケラリーノ・サンドロヴィッチはナンセンス・コメディからスタートした演劇人である。上演パンフレットでは次のように語っている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　“本作は「もしもあの頃、あのままナンセンスのみを書き続けていたら、自分はどうなっていたか？」。そんな想像を転がしながら書いた。”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　この芝居を観ながら、「コメディ」や「笑い」の難しさと不思議をあらてめて感じた。いつの時代にも誰もを笑わせる「普遍的な笑い」というものがあると思うが、人はそれだけを面白いと感じるわけではない。世代や地域の違いによって面白さの基準は異なる。ある人々にとって笑えるモノが、他の人々にはどこが面白いかわからないということは多い。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　主人公がサナトリウムに逃亡した一因は、ナンセンス・コメディを追究する自身の「笑い」が他の人々の「笑い」とズレてきていると感じたことだ。これは、かなり深くて難しいテーマだ。「笑い」の質は多数決で決まるものではないと思うが、独善的自己満足で決まるものでもない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　メタ・コメディは、やや苦くて面白い。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>演劇</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>若い日本人のキルギス冒険譚を読んだ</title>
      <link>https://dark.asablo.jp/blog/2026/06/25/9861775</link>
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      <pubDate>Thu, 25 Jun 2026 08:33:08 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-06-25T00:23:17+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-06-24T21:43:22+09:00</dcterms:created>
      <description>　来月キルギスへ行くのでネット書店で「キルギス」を検索すると『草原の国キルギスで勇者になった男』という本が出てきた。キルギスで格闘家になった話かと思ったが、オビに&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2025/02/28/9757664" target="\\\_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;高野秀行&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;氏が「こんなヘンでこんなに凄い冒険家は見たことがない」と推薦している。ヘンで凄い辺境作家・高野氏がヘンで凄いというので購入、読了した。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　『草原の国キルギスで勇者になった男』（春間豪太郎／新潮社／2020.10）&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　オビで謳っている通り「ヘンで凄い新時代の冒険譚」だった。とても面白い。著者は1990年生まれの「冒険家」である。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　21世紀の現代、秘境とされる地域は減少し、探検や冒険の領域は狭まっている。そんな時代にも「冒険家」が存在することを本書で納得した。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　家庭や社会との違和感を抱き続けていた著者は、大学時代にフィリピンで消息不明になった友人の捜索・救出で「冒険」に目覚め、アフリカ冒険などを通じて新時代の冒険家になっていく。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　著者は自身の冒険をリアルRPG（ロールプレイングゲーム）と名付けている。ロバと自作の荷車でモロッコ1000Km野宿旅をしたとき、ゲームの世界に迷い込んだように感じたそうだ。リアルRGPとは、言語、交渉術など各種スキルをレベルアップさせ、さまざまなアイテムを入手し、仲間を得ながら課題を段階的にクリアしていく冒険である。ゲームの世界なら落命してもリトライできるが、リアルRPGではそうはいかない。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　本書のキルギス冒険（2017年）で、著者は自身にいくつかの課題を課している。「馬を入手して乗馬で旅する」「羊を連れて雪山を越える」などのステージが課題だ。そんな課題の意義はよくわからないが、著者の意気込みには説得力がある。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　冒険の過程でスキルアップを図るのがリアルRGPだが、事前準備も周到だ。元々、言語、プログラミング、交渉などの能力が高い著者は、出発前に医療技術（船舶衛生管理者）や馬に関する知識も習得している。バックパックには、野宿のためのテントや寝袋の他に、スマホやドローンなどの電子機器から医療器具までさまざまなアイテムを詰め込んでいる。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　キルギスに入国した著者は現地で馬を購入する。このとき乗馬経験はなかったそうだ。次のように述べている。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　「おれには乗馬経験がない。なぜなら、事前に習得してしまうと今回の計画では不確定要素がほとんどなくなり、冒険ではなくなってしまうと考えたからだ。」&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　ヘンにストイックな冒険家である。著者は、これまでの冒険の経験から善人と悪人の区別がつくそうだ。よくしてくれそうな人に近づき、危害を加えそうな人を避ける能力があると自認している。キルギスの旅の途中、悪人と思われる人物からお茶に誘われる。断ろうと思ったが、自分の識別能力の精度を確かめるために誘いに乗る。その人物はやはり悪人で、スマホを盗られそうになる。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　本書で驚いたのは「誘拐婚」に出くわした話だ。私がキルギスの誘拐婚を知ったのは13年前、『ナショナルジオグラフィック　日本語版』（2013年7月号）を読んだときだ。日本人女性カメラマンによる&lt;a href="https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20130619/354942/" target="\\\_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;「キルギス　誘拐婚の現実」という記事&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;は衝撃的だった。女性を連れ去り花婿一家が総出で説得して強引に結婚させる「誘拐婚」が現在もあるという。もちろん法律では禁じられている。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　著者の冒険は野宿旅だが、現地の人の家に泊めてもらうことが多い。ある集落で青年に声をかけると歓待され、若い婚約者を紹介される。青年は「街で出会って、キルギスの伝統的なやり方で口説いたんだ」と話す。それは誘拐婚だった。その日は、婚約者の両親が初めて訪問してくるイベントの日だった。著者は婚約者から、この結婚を望んでいないと聞かされる。両親が訪ねて来たら結婚が確定するので来てほしくないと思っている。だが、すでに諦めているという。結局、著者は結婚が確定する食事会に同席することになる。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　本書によって、13年前に読んだ『ナショナルジオグラフィック』の記事を思い出し、古い雑誌を探し出して読み返した。「誘拐婚が伝統というのは間違いで、ソ連時代になってからの事象を伝統と思い込んでいる人が増えた」との学者の指摘を紹介していた。&lt;Br&gt;
</description>
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      <dc:subject>旅行</dc:subject>
      <dc:subject>本</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>マッサゲタイの女王を描いた小説があった！</title>
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      <pubDate>Mon, 22 Jun 2026 13:47:18 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-06-22T16:04:54+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-06-22T13:48:45+09:00</dcterms:created>
      <description>　史上最初の世界帝国は前550年にオリエントを統一したアケメネス朝ペルシアだと思う。建国者キュロス2世は、メディア、リュディア、バビロニアを征服し、エジプトに赴く前にカスピ海東岸の騎馬民族マッサゲタイに遠征し、その地で戦死する。マッサゲタイを率いていたのは女王トミリュスである。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　マッサゲタイや女王トミリュスに関する史料は少ない。ヘロドトスが『歴史』でキュロス2世のマッサゲタイ遠征と戦死の経緯を述べているが、岩波文庫版で10頁ほど（巻１、201-216）に過ぎない。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　5年前、この女王を描いたカザフスタン映画&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2021/01/18/9338673" target="\\\_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;『女王トミリュス』&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;の存在を知り、プライムビデオで視聴した。世界史ではマイナーな存在の映画化に驚いたが、最近になって、そのマッサゲタイ女王を描いた日本人女性作家の小説『マッサゲタイの戦女王』があると知り、もっと驚いた。小説の刊行は2010年、映画制作の2019年より前だ。その小説の文庫版を入手して読んだ。文庫化の際に改題している。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　『夢の王国 彼方の楽園：マッサゲタイの戦女王』（篠原悠希／光文社文庫／2024.4）&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　この小説は、映画と同様に少女が女王へと成長し、キュロス2世を倒す強い存在になっていく姿を描いている。しかし、トミュリスの人物造型や状況設定は映画とはまったく異なる。小説の方が深くて広い。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　小説に登場する実在の地名や人名は原音に近い表記になっている。以下のような具合だ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　トミュリス→タハーミラィ&lt;Br&gt;&#13;
　キュロス→クルシュ&lt;Br&gt;&#13;
　ペルシア→ファールス&lt;Br&gt;&#13;
　アケメネス→ハカーマニシュ&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　一般に馴染みのある表記（ギリシア語）ではない表記によって、歴史小説というよりは異世界物語の雰囲気になった気がする。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　ヘロドトスは、キュロス2世のマッサゲタイ遠征の発端を次のように描いている。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　「当時マッサゲタイでは、夫に先立たれたトミュリスという名の女が女王であった。キュロスは使者を通じ、自分の妻に迎えたいと称してこの女王に求婚した。しかしトミュリスは、キュロスが求めているのは自分ではなくて、マッサゲタイの王位であることを見抜き、彼の来訪を拒絶したのである。」（松平千秋訳）&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　その後、トミュリスの若い息子がキュロスの謀略によって自死に追い込まれるなどの経緯があり、両軍の会戦となり、キュロスは戦場で落命する。トミュリスはキュロスの首を切り落とし「私は生き永らえ戦いにはそなたに勝ったが、所詮はわが子を謀略にかけて捕えたそなたの勝ちであった」（松平千秋訳）と嘆く。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　小説はヘロドトスの記述を踏まえている。しかし、その背後に奇想天外とも言える壮大な物語を盛り込んでいる。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　クルシュ（キュロス）の戦死は前529年だが、その二十数年前、クルシュ24歳、タハーミラィ（トミュリス）15歳のとき、二人はメディアの首都エクバ―タナの宮殿で出会っていた。メディアの属国ファールス（ペルシア）の王子で客分の人質のような立場だったクルシュは、タハーミラィとの密会の場で自分が構想する楽園のような国の姿を語る。文庫版のタイトル『夢の王国 彼方の楽園』はそれを表している。二人は互いに意識し合う仲だったのだ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　二十数年を経て「諸王の王」と呼ばれるようになったクルシュの「求婚」は領土的野心によるのもではなくクルシュの本心だったかもしれない――それが、この小説の眼目だと思う。人間の成長譚と愛憎劇に国家興亡と建国物語を絡めた歴史ロマンである。&lt;Br&gt;
</description>
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      <dc:subject>歴史</dc:subject>
      <dc:subject>文学</dc:subject>
      <dc:subject>本</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>訪問予定のアク・ベシム遺跡の予習をした</title>
      <link>https://dark.asablo.jp/blog/2026/06/20/9861009</link>
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      <pubDate>Sat, 20 Jun 2026 15:40:37 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-06-21T12:15:53+09:00</dcterms:modified>
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      <description>　来月予定しているカザフ・キルギス旅行で、私の目当ての一つはアク・ベシム遺跡である。その予習として次の本を読んだ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　『アク・ベシム遺跡を掘る』（山内和也・齋藤茂雄編／勉誠社／2025.4）&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　キルギスのアク・ベシムは旧ソ連時代に発掘された遺跡だ。2016年からは帝京大学がキルギス科学アカデミーと共同で発掘調査を進めている。発掘調査の中心人物である帝京大学文化財研究所所長の山内和也教授らが編んだ本書は、論文・コラム二十数編を収録している。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　アク・ベシム遺跡に関しては、先月（2026.5.16）の日経新聞社会面に「唐・武則天時代の寺か　キリギスで階段見つかる」というニュースが載っていた。アク・ベシム遺跡にある寺院跡が、武則天が各地に建てた大雲寺と推測されていることは、本書収録のいくつかの論文が言及している。記事の眼目は階段の発見であり、山内教授は「この発見でここが中央アジア最大の唐代仏教寺院の大雲寺だと確信した」と語っている。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　アク・ベシム遺跡はかつてはスイヤブと呼ばれ、シルクロードの交易都市として繁栄し、唐の軍事拠点である砕葉鎮城もあった。ソグド人の都市と唐の軍事拠点が隣接した都市遺跡である。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　私にとっては、玄奘との関連が興味深い。玄奘がインドに行く途中に立ち寄った西突厥の可汗の拠点がスイヤブ（素葉城）だ。玄奘は可汗から多大な支援を受けることになり、その後の旅がスムーズになる。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　私は昨年9月に&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2025/09/22/9804862" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;新疆ウイグル地区のツアー&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;に参加し、玄奘の足跡遺跡をいくつか見学した。あのツアーの前に&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2025/07/25/9791279" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;『大唐西域記』&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;や&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2025/08/02/9793335" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;『大慈恩寺三蔵法師伝』&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;に目を通し、玄奘関連の本をいくつか読み、玄奘の「にわかファン」になった。だから、本書収録の「玄奘が見たスイヤブ」（山内和也）はとても面白かった。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　また、先日読んだ小説&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2026/06/12/9859581" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;『天涯の戦旗：タラス河畔の戦い』&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;の主人公である&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E7%92%B0" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;杜環&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;が、本書収録の複数の論文に出てくる。知ったばかりの人物との再会に感激した。スイヤブ（砕葉城）に大雲寺があったとの記録を残したのは杜環だそうだ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　本書収録の論文のテーマは多岐にわたる。発掘品の研究に関しても、植物の種や動物の骨までも含んでいて多様だ。地球科学や医学を援用した研究もある。あらためて、遺跡の発掘調査という学問の壮大さを知った。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　巻末には「アク・ベシム遺跡を活用した観光開発」というコラムも収録している。執筆者は元JICAの開発コンサルタントだ。アク・べシム遺跡は世界遺産に登録されているものの、多くの地元住民はその価値を知らず無関心だそうだ。見学者向けに整備されているわけでもない。どんな所なのか、訪問が楽しみである。&lt;Br&gt;
</description>
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      <dc:subject>歴史</dc:subject>
      <dc:subject>本</dc:subject>
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      <title>25年前に出たシルクロードのガイド本を読んだ</title>
      <link>https://dark.asablo.jp/blog/2026/06/17/9860598</link>
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      <pubDate>Wed, 17 Jun 2026 21:56:32 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-06-18T10:49:43+09:00</dcterms:modified>
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      <description>　シルクロードや中央アジアは私の関心領域である。その地理も歴史も広大無辺だから一端をなでているに過ぎない。来月（2026年7月）、中央アジアのカザフスタンとキルギスを巡るツアーに参加するのも、シルクロードの片鱗に触れてみたいからである。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　7年前に&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2019/08/21/9143753" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;タジキスタンに行った&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;とき、『地球の歩き方』の中央アジア編を購入した。あのガイドブックにカザフやキルギスも入っているはずだと思って本棚を探したが見つからない。本を解体して必要部分だけを旅行に持参した気がする。バラバラにしたので処分したのかもしれない。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　仕方なく新たに『地球の歩き方 中央アジア』を入手しようと思い、ネット検索して驚いた。2024年に出た「2025～2026版」の新本はなく、古書に8000円以上の値がついている。入手は断念した。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　その代替の気分で25年前に出た次の新書を古書で入手した。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　『シルクロード 歴史地図の歩き方』（長澤和俊 監修、吉村貴 著／プレイブックス／青春出版社／2001.11）&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　監修の&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2020/09/09/9293777" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;長澤和俊&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;はシルクロードの研究者、著者はフリーの編集者である。シルクロードの主要都市の遺跡や遺物を紹介し、その歴史を概説したガイドブックである。読んでいると、歴史に詳しい旅行ガイドの説明を聞いている気分になる。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　コンパクトにまとまっていて読みやすいが、残念なガイドブックだ。地図と写真がほとんどないのだ。このテの本には詳しい地図と豊富な写真が必須だと思う。本文に出てくる地名を地図上で確認できないのはつらいし、遺跡や遺物のすばらしさを文章だけで説明されても味気ない。歴史や伝説の概説が適度に詳しいのは本書の取柄だ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　私の目当ては、来月訪問予定のビシュケクである。ビシュケクに関する記述は12ページほどあり、興味深く読んだ。25年前に出た本書は、この地を「旧ソ連が色濃く残る」と紹介している。まだレーニン像が建っていると書いてあるが、現在も健在なのだろうか。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　訪問予定のイシク・クル湖は、旧ソ連時代には外国人は立ち入り禁止で、この湖を初めて訪れた日本人の一人が本書の監修者・長澤和俊だそうだ。雪解け水が流れ込むだけで、流れ出る川のないこの湖の水位は上昇し続けていて、13世紀から現在までに100メートル上昇したという。玄奘（602-664）がインドへの往路でこの湖畔を通過しているが、その道も湖に沈んでいる。湖底に遺跡が眠る不思議な湖である。&lt;Br&gt;
</description>
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      <dc:subject>歴史</dc:subject>
      <dc:subject>本</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>インゲンの支柱について考えたこと</title>
      <link>https://dark.asablo.jp/blog/2026/06/14/9859934</link>
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      <pubDate>Sun, 14 Jun 2026 10:02:51 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-06-14T10:04:15+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-06-14T10:04:15+09:00</dcterms:created>
      <description>　１カ月ぶりに八ケ岳南麓の山小屋へ行き、畑作業をした。今年はジャガイモとインゲンを作っている。畑は雑草だらけで草取りが大変だった。１カ月前に芽かきをしたジャガイモは大きく育ち、花が咲いている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　問題はインゲンである。１カ月前に種を植えたインゲン（つるあり）は、30センチほどに成長し、支柱がないので地を這い、つるが互いにからまっていた。もっと早く来て支柱を立てるべきだった。時間がとれなくて遅くなってしまったのだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　雑草を取り、互いにからまったつるを解きほぐし、支柱を立て、ヒモで誘引した。ヨコに伸びたものを無理にタテに誘引したので、順調に育つか多少の不安がある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そこで、ふと思った。これまでは、手引書通りに発芽してから間引きし、支柱を立てていた。この手順だと私のような手抜き農作業では手遅れになる恐れがある。種を植える前にまず支柱を立て、支柱の回りに種植えする方が合理的ではなかろうか。支柱があっても間引きに問題はないはずだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　来年もインゲン作りを続けるかは不明だが、もし続けるなら、来年は種植え前に支柱を立てようと思う。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>山小屋暮らし＆畑</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>タラス河畔の戦いを描いた小説があった！</title>
      <link>https://dark.asablo.jp/blog/2026/06/12/9859581</link>
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      <pubDate>Fri, 12 Jun 2026 07:19:54 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-06-13T14:16:01+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-06-12T07:24:01+09:00</dcterms:created>
      <description>　私は来月（2026年7月）、中央アジアのカザフスタンとキルギスを巡るツアーに参加する予定である。目当ては&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%96" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;アク・ベシム遺跡（砕葉＝スイアブの遺構）&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;とタラス川古戦場の見学だ。関連書を検索していて、&lt;a href="https://www.y-history.net/appendix/wh0302-109.html" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;タラス河畔の戦い&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;を扱った小説があると知り、早速入手して読んだ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　『天涯の戦旗：タラス河畔の戦い』（小前亮／朝日新聞出版／2011.10 ）&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　著者は大学院でアジア・イスラーム史を専攻した小説家で、多くの歴史小説を書いている。私は本書で初めてこの作家を知った。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　751年のタラス河畔の戦いは高校世界史の教科書にも載っている。と言っても「アッバース朝と唐がタラス河畔で戦い、唐が敗れた。唐の捕虜によって製紙法がイスラーム世界へ伝わった」とあるだけだ。それ以上のことは私も知らない。かなりマイナーな「戦い」だと思う。それが小説になっていることに驚いた。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　『天涯の戦旗』は重厚な歴史小説とは言えない。かなり「軽い」物語で、読みやすい。史実をどの程度ふまえた小説かは不明だが、教科書で2行程度の情報を拡張できたことに満足した。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　この小説には実在の人物が何人も登場する。将軍・&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E4%BB%99%E8%8A%9D" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;高仙芝&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;という名にはかすかな記憶があったが、他は未知の人物ばかりだ。人物が登場するたびにネット検索し、その人物に関する情報の有無を確認した。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　人物や情景を具体的にイメージできるのは歴史小説や歴史ドラマの利点だと思う。史実と違っているとしても、何等かのイメージを抱かないと歴史は把握しにくい。イメージで興味を喚起したうえで史実へのアプローチを図るしかない。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　本書によって、作者が造型した実在の人物たちのイメージが私の頭に転写された。そのうち忘れてしまうだろうが、その前にさらなる情報によってイメージを深化できればとも思う。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　この小説が「軽い」のは、狂言回しの杜環という人物が軽いからでもある。クチャの安西都護府に派遣されてきた長安の名家の若者で、美女と美酒には目がなく、仕事に関してはやる気がない。なまけ者で戦争嫌いの臆病者である。作者が創造した架空の人物だろうと思ったが、検索するとウィキペディアに載っていた。「タラス河畔の戦いで捕らえられた、数少ない中国人の一人」とある。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E7%92%B0" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;杜環&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;に関する史料は少ないらしい。この小説における杜環の人物像は作者の想像力に負うところが大きいと思う。こんな杜環という人物を中心に据えているので、この小説は面白くなっている。&lt;Br&gt;
</description>
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      <dc:subject>歴史</dc:subject>
      <dc:subject>文学</dc:subject>
      <dc:subject>本</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>ブッカー賞の『台湾漫遊鉄道のふたり』は面白い</title>
      <link>https://dark.asablo.jp/blog/2026/06/10/9859280</link>
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      <pubDate>Wed, 10 Jun 2026 16:07:26 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-06-10T17:30:21+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-06-10T16:09:10+09:00</dcterms:created>
      <description>　先月（2026年5月）、台湾作家の『台湾漫遊鉄道のふたり（英訳版）』が国際ブッカー賞に選ばれたとの&lt;a href="https://www.asahi.com/articles/ASV5N23LLV5NUCVL01KM.html" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;ニュース&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;が流れた。ノーベル賞の登竜門と言われる賞で、東アジアの受賞者は韓国のハン・ガン（2024年ノーベル文学賞）に続いて二人目だそうだ。日本語訳が3年前に出ていると知り、入手して読んだ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　『台湾漫遊鉄道のふたり』（楊双子／三浦裕子訳／中央公論新社）&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　読み始めると止まらず、一気に読了した。タイトルはノホホンとした旅行エッセイ風だ。オビには「日本統治下の台湾を型破りな“大食い女”ふたりが駆け抜ける」とあり、楽しげだ。確かに書き出しではオモシロ美食旅行記に思える。だが、次第に雰囲気が変化していく。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　また、この小説には巧妙な仕掛けがほどこされている。冒頭でかすかな違和感をおぼえたが、話が面白いのでそんな違和感を忘れてドンドン読み進め、最後になってナルホドと思った。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　時代は昭和13年、舞台は日本統治下の台湾である。日本の売れっ子作家・青山千鶴子が台湾の婦人団体の招待で台湾を訪れる。千鶴子は台湾各地での講演会をこなし、現地の新聞にエッセイを書きつつ、旺盛な食欲で現地の料理を食べつくしていく。同行する通訳は4歳下の王千鶴である。千鶴子の秘書的な働きもする千鶴は福建省にルーツを持つ本島人（台湾人）で、千鶴子のために料理も作る。二人の美食の旅は約１年にもおよぶ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　事前に青山千鶴子のモデルは林芙美子だと聞いていた。と言っても、私は林芙美子の小説を読んだことはない。映画『放浪記』（主演：高峰秀子）は観たことがある。井上ひさしが林芙美子を描いた芝居&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2024/11/03/9728859" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;『太鼓たたいて笛ふいて』&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;（主演：大竹しのぶ）も観ている。その片々たる情報に基づく林芙美子のイメージと青山千鶴子はあまり重ならない。林芙美子を素材のひとつとして作者が造型した独特の女流作家だと思う。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　この小説は「美食」と「二人の女性の交流の顛末」が二本柱で、物語全体がメタフィクションになっている。巧妙な展開と仕掛けの小説だ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　物語は千鶴子の一人称であり、千鶴子の美食旅行記という体裁になっている。その軽妙な文章のなかで、自分では友達だと思っている千鶴との関係が微妙に変化していくさまを描いている。雑駁にまとめれば、日本統治下における支配層である日本人と被支配層の本島人との交流における千鶴子の鈍感さを描いている。物語の終盤で千鶴子は「私は傲慢で愚鈍でどうしようもない大馬鹿者だ！」と綴ることになる。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　この小説を読んでいて不思議な気がしたのは、翻訳小説を読んでいるとは思えなかった点である。日本人女流作家のエッセイを読んでいる錯覚に陥りそうになる。中国語の原文や英訳本では味わえない気分だと思う。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　本書の扉には「臺灣漫遊録　青山千鶴子」とある。私が読み始めに違和感をいだいた扉である。本書の原題は『臺灣漫遊録』であり、「戦前の台湾を旅した日本人作家・青山千鶴子の長らく絶版となっていた自伝的小説を、楊双子が発掘し、新たに中文に訳した作品」と謳って出版されたそうだ。青山千鶴子を実在の作家に見せるための関係者の文章なども収録されている。もちろん、すべてがフィクションである。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　日本語から中国語に翻訳された「漫遊録」をさらに日本語に翻訳したのが本書である。青山千鶴子は虚構の存在だが、本書に登場する食べ物はすべて実在するそうだ。食べ物の写真も見たいと思った。そんな写真を掲載すると本書全体の雰囲気が異質なものになりそうだとは思うが。&lt;Br&gt;
</description>
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      <dc:subject>文学</dc:subject>
      <dc:subject>本</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>古い岩波新書『十字軍』は面白かった</title>
      <link>https://dark.asablo.jp/blog/2026/06/06/9858576</link>
      <guid>https://dark.asablo.jp/blog/2026/06/06/9858576</guid>
      <pubDate>Sat, 06 Jun 2026 15:26:04 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-06-06T15:39:18+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-06-06T15:27:20+09:00</dcterms:created>
      <description>　50年以上前の1974年に出た次の岩波新書を古書で入手して読んだ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　『十字軍：その非神話化』（橋口倫介／岩波新書／1974.11 第1刷、1992.4 第22刷）&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　私が入手したのは1992年発行の22刷。著者・橋口倫介（1921-2002）は研究者で上智大学長も務めた。専攻はヨーロッパ中世史・教会史である。私は5年前に読んだ&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2021/02/24/9350396" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;『十字軍物語』&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;（塩野七生）で本書を知った。塩野氏は『十字軍物語』の「読者に――文庫版まえがき」で次のように述べている。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　「今（2018年）からならば半世紀近くも昔になる1974年に岩波新書から、上智大教授であった橋口倫介著の『十字軍』が刊行されています。（…）（中世のヨーロッパとオリエントの対決という）意味の十字軍史ならば、また一般の読者向けに書かれた学者の著作ということならば、いまだに橋口先生の岩波新書しかないのです。」&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　塩野氏は戦後日本で十字軍の本が少ないと指摘し、その理由を戦争アレルギーのせいだとしている。私はうがちすぎと感じたが『十字軍物語』は面白く堪能した。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　あの時は岩波新書まで読もうとは思わなかったが、後に&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2026/04/25/9850666" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;ギボンの輪読会&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;のために十字軍関連書を多少読むようになった。先月、古書で入手した&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2026/05/11/9853734" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;『十字軍という聖戦』&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;（八塚春児）を読んでいて、橋口倫介の名に再会した。八塚氏（1951-）は京大の学生時代に橋口氏の集中講義を受講し、十字軍研究に進んだそうだ。『十字軍という聖戦』の「あとがき」では「本書を橋口先生に捧げたい」と述べている。八塚氏の本文には橋口氏の『十字軍』を最新の視点で相対化して紹介している箇所もある。で、その古い岩波新書を読みたくなった。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　本書は、1096年の第1回十字軍から1270年の十字軍でルイ9世がチュニスで客死するまで約200年の十字軍の歴史を、原史料の紹介や後世の研究者の見解を織り込みながらコンパクトに概説している。多少学術的でありつつ記述は簡明で読みやすい。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　著者は十字軍を「聖地巡礼」と「エルサレム解放」を目的としたものとし、異端攻撃のアルビジョア十字軍などは「十字軍ならざる十字軍」として対象から外している。現在の研究者の見解とは異なるように思えるが、著者の見解の方が明解でわかりやすい。アメリカの&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2026/03/30/9845176" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;イラン攻撃を「十字軍」&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;とするのは比喩か冗談だ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　十字軍に参加した諸侯・騎士を一人二役の役者に例えているのが面白い。彼らは戦士と巡礼の早変りをくり返し、敬虔な信徒であり、かつ虐殺者だったとしている。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　本書には民衆史観という言葉がしばしば登場する。その観点から民衆十字軍も巡礼の一種として評価している。本書の34年後に出た『十字軍という聖戦』では、弟子筋の八塚氏が民衆十字軍（農民十字軍）について次のように述べている。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　「橋口倫介が『十字軍』（岩波新書）の中で「民衆史観」という名のもとに紹介したように、これ（農民十字軍）が高く評価された時代もあったが、最近ではあまり重視されない傾向にある」&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　エルサレムを交渉で奪還したフリードリヒ２世の評価も橋口氏と八塚氏は少し異なる。橋口氏はかなり評価しているが、八塚氏は「過大に評価すべきでない」としている。時代の流れとともに研究者たちの見解が変化しているのだろうか。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　私が本書で驚いたのは十字軍とモンゴルとの関係である。後期の十字軍がモンゴルの支援を期待し、ルイ９世がルブルクをカラコルムに派遣したことは知っていたが、両者の関係が進展したとは思っていなかった。本書によれば、1260年にモンゴル・十字軍共同作戦でダマスカス占領が実現したそうだ。モンゴル側の将軍キトボカはネストリウス派のキリスト教徒だった。その後、モンケ・ハンの訃報でモンゴルの主力は撤退し、現地に残ったキトボカは戦死、モンゴルと十字軍の交流は途絶したそうだ。&lt;Br&gt;
</description>
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      <dc:subject>歴史</dc:subject>
      <dc:subject>本</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>映画でしか知らない『十二人の怒れる男』の舞台を観た</title>
      <link>https://dark.asablo.jp/blog/2026/06/03/9858001</link>
      <guid>https://dark.asablo.jp/blog/2026/06/03/9858001</guid>
      <pubDate>Wed, 03 Jun 2026 01:10:36 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-06-03T13:49:55+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-06-03T01:12:33+09:00</dcterms:created>
      <description>　博品館劇場で『十二人の怒れる男』（作：レジナルド・ローズ、訳：小田島恒志・小田島則子／演出：松森望宏／出演：和田琢磨、中村梅雀、相葉裕樹、モロ師岡、大鶴義丹、佐藤B作、他）を観た。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　後にパロディも作られた有名作である。ヘンリー・フォンダ主演の映画（1957年）をテレビで観たのはかなり昔だ。今回の観劇前、あのモノクロ映画をプライム・ビデオで再度観た。12人の陪審員の密室劇である。当初は有罪11人無罪1人だったのが、緊迫した討議の過程で次第に無罪を支持する陪審員が増え、最終的には全員一致で無罪になる。展開の面白さは秀逸、法廷モノの古典と言える。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　今回の観劇で、私の勘違いが判明した。遠い昔、あのモノクロ映画を観て、この映画は演劇の映画化だと思った。一つの部屋で12人が議論や罵倒を重ねていく展開は実に演劇的だ。私は『十二人の怒れる男』は芝居がオリジナルで、あの有名映画は芝居の映画化だと思っていた。だから、『十二人の怒れる男』の上演を知ったとき、映画のオリジナルの芝居を確認したくてチケットを購入した。だが、調べてみると、テレビドラマが最初で、続いて映画化され、その後に舞台になったらしい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そんな経緯はともかく、演劇向きの話なのは確かだ。だが、舞台を観ながら12人という登場人物は多すぎ、12人を識別するのはかなり大変だと感じた。と言っても、この人数を減らせば話が成り立たない。12人全員一致でなければ評決できないという設定がスリリングであり、この前提がなければドラマは成立しない。観客には12人を識別しなければならない義務と楽しみがある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　私は観劇直前にあのモノクロ映画を観ていたので、舞台上の役者に映画の役者を重ねるような観方になってしまった。これはマイナスだった。映画のイメージにひきずられると、妙な対比気分になり、あまり意味のない違和感を抱いたりもして舞台に没入しにくくなる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　若い役者たちの演技を堪能するには頭のネジを少しゆるめ、新鮮な気分で臨まねばならいない――そんな反省的感慨がわいた。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>演劇</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>吉田羊の『リチャード三世』はシンプルで面白い</title>
      <link>https://dark.asablo.jp/blog/2026/05/31/9857530</link>
      <guid>https://dark.asablo.jp/blog/2026/05/31/9857530</guid>
      <pubDate>Sun, 31 May 2026 16:15:22 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-06-01T09:38:28+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-05-31T16:16:23+09:00</dcterms:created>
      <description>　パルコ劇場でシェイクスピアの『リチャード三世』（訳：松岡和子／演出：森新太郎／出演：吉田羊、愛希れいか、中越典子、赤澤遼太郎、増子倭文江、浅野雅博、星智也、清田智彦、篠井英介、渡辺いっけい）を観た。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
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　森新太郎演出、吉田羊主演のシェイクスピアを観るのは&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2021/10/17/9432943" target="\\\_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;『ジュリアス・シーザー』&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;、&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2024/05/13/9683798" target="\\\_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;『ハムレットQ1』&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;に続いて3作目だ。上演時間3時間（休憩20分含む）のテンポのいい現代的なシェイクスピアだった。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　昨年、加藤義宗主演の&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2025/06/17/97830412022/12/24/9550003" target="\\\_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;『リチャード三世』&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;を観たときに福田恒存訳の戯曲を読んだ。今回は観劇前に松岡和子訳を入手して読んだ。歴史劇は事前に人間関係を把握しておかないとわかりにくい。『リチャード三世』はランカスター家とヨーク家の私闘と言える薔薇戦争末期の話で、登場する貴族たちの姻戚関係がゴチャゴチャしている。対立関係の系図を頭に入れておく方が芝居を楽しめる。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　舞台は上段と下段の水平二段のいたってシンプルな造りで、大道具も背景もない。役者たちの衣装もシンプルで現代的だ。リチャードの白いジャケット、スタンリー卿の赤いジャケットは白薔薇、赤薔薇を現わしているのだろう。中世の話というよりは、陰謀、派閥抗争、冷酷な人事が渦巻く現代の企業社会に見えてくる。現代風の衣装に王冠の姿はオーナー社長だ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　そんななかで、芝居全体に呪いをかける存在の元王妃マーガレットが特異である。王だった夫や皇太子だった息子をヨーク家（白薔薇）に殺害されたランカスター家（赤薔薇）の大立者だが衣装は赤ではなく黒だ。顔に赤い血がにじんだ不気味なメイクでマーガレットを演じる女形・篠井英介の姿は遠い過去から現れた怨霊に見える。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　悪人リチャードを演じる吉田羊のせむしを強調した演技に違和感はなく、熱演のなかにコミカルな要素もあり、余裕さえ感じた。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　この芝居の登場人物は50人近いが役者は10人、リチャード役の吉田羊以外の9人は一人で複数の役を入れ替わり立ち代わり演じる。この趣向がテンポいい展開につながっている。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　芝居終盤、戦場の夜の場面、リチャード三世と仇役リッチモンド（後のヘンリー七世）が二手に分かれて眠っているとき、リチャードに殺された亡霊たちが現れ、リチャードには呪いの言葉、リッチモンドには勝利の予言を語りかける。戯曲では亡霊は11人だが、役者が10人の今回の舞台の亡霊は8人に減らしている。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　ラストは、有名なリチャードの次の台詞である。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　「馬だ！　馬をよこせ！　代りに俺の王国をくれてやる、馬！」&lt;Br&gt;&#13;
　（A horse! A horse! My kingdom for a horse!)&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　この台詞の直後にリチャードは戦死、幕となる。戯曲ではこの後にスタンリー卿とリッチモンド会話する場面があるが、今回の上演では省いている。リチャード戦死で幕が下がり、また幕が上がり、赤いマントで後向きの王冠姿が現れる。赤マントだから新たな国王リッチモンド（ヘンリー七世）だと思ったが、振り返ると無言のリチャード三世（吉田羊）だった。そこで終幕である。意表をつかれた。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　戯曲ではリッチモンドが白薔薇と赤薔薇の和解を宣言するので、それを表しているのかもしれない。あるいは、後年のリチャード再評価を反映した終幕だろうか。&lt;Br&gt;
</description>
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      <dc:subject>演劇</dc:subject>
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      <title>不思議な契機で大昔に読んだ２冊を再読</title>
      <link>https://dark.asablo.jp/blog/2026/05/29/9857111</link>
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      <pubDate>Fri, 29 May 2026 00:13:14 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-06-08T23:33:19+09:00</dcterms:modified>
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      <description>◎不思議な暗合&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ふとした経緯で、38年前に読んだ『文章読本』（向井敏）と61年前に読んだ『たそがれに還る』（光瀬龍）を続けて再読した。いずれも記憶の彼方の本であり、この2冊に何の関連もない筈だったが…。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　先日、ネット検索していて不意打ちのように『文章読本』（向井敏）を称賛する文章に出会った。昔読んだ本だなと思い出し、本棚の奥から引っ張り出してパラパラと拾い読みし、元に戻した。向井敏（1930-2002）という著者はこの本で初めて知った――そう思っていた。他の著書は読んだことがない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　その夜、ベッドに入ったとき、急に高校時代（60年前だ）に読んだ光瀬龍（1928-1999）の『たそがれに還る』が頭に浮かんだ。私をSFに引きずり込んだ遠い昔の懐かしい小説だ。そのまま寝ようと思ったが、目が冴えて起き出し、本棚の奥から『たそがれに還る』を取り出した。冒頭部分に目を通したくなったのだ。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　その古い本を開くと黄ばんだ切り抜きが出てきた。『図書』（1984年1月）の記事だった。『「青の魚座」という名の星座をご存知だろうか。」という書き出しの『たそがれに還る』に言及した記事である。「青の魚座」は光瀬龍の宇宙年代記シリーズに登場する架空の星座だ。記事の著者は向井敏、昼間に想起した『文芸読本』の著者だ。私には馴染みのない固有名詞との再度の遭遇に驚いた。私は『文章読本』を読む4年前にこの著者の記事を読み、切り抜き、挟み込んだようだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　不思議な暗合に少々慄然とし、『文章読本』と『たそがれに還る』を再読せねば、という気分に追い込まれた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
◎2冊ともやや期待外れ&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　『文章読本』（向井敏／文藝春秋／1988.11）	&#13;&lt;br&gt;
　『たそがれに還る』（光瀬龍／早川書房／1964.11）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　この2冊、それぞれに印象深い。向井敏の『文章読本』には、天使人語や野間宏の評論を悪文の例としてコテンパンにした辛口痛快本のイメージがある。『たそがれに還る』は茫漠たる宇宙的無常観の光瀬節にしびれた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　かなりの期待感で数十年ぶりに読み返したのだが、2冊ともやや期待外れだった。私の感性が摩耗したせいもあるだろうが、この程度の内容だったのかの思いにとらわれた。年月の経過は恐ろしい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
◎『文章読本』はかなり文芸趣味&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　向井敏の『文章読本』は、天使人語（1984.12.17）、野間宏、大江健三郎らの文章をあげつらった冒頭に迫力があるだけに、竜頭蛇尾を感じた。共感できる指摘も多いが、著者の文芸趣味を聞かされている気分になる。文章の良し悪しに一般的基準があるとは思うが、多分に個人の感覚に依る部分もある。シャレタ文章と気もち悪い文章は紙一重だ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そもそも、世の中に山ほどある「文章読本」は斎藤美奈子の『文章読本さん江』によって粉砕されてしまった気配もある。斎藤美奈子は向井本を「文芸批評的」としている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
◎諦観と詠嘆の叙事詩&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　『たそがれに還る』は光瀬龍36歳のときの処女長編である。初読の後、何度か部分的に読み返した筈だ。エピグラフ「人、うたた情ありて　たそがれに還る」は記憶に刻まれいるし、冒頭の宇宙港の情景は鮮烈だった。今回読み返して、忘れている部分も多いと気づいた。道具立てのレトロ感は仕方ないが、展開がやや雑で強引だ。そこに独特の魅力があるとも言えるが。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　60年前にこのSFを読んだときは、本格的なハード宇宙小説に思えた。いま読み返すと詩的箴言を散りばめた諦観と詠嘆の叙事詩である。地球があっさり滅亡しても、主人公らの営為は坦々と進行していく。オイオイと思いつつスゴさも感じる。瑕疵を補ってあまりある初々しい魅力があるのは確かだ。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>文学</dc:subject>
      <dc:subject>本</dc:subject>
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      <title>ライブハウスで『あの、愛の一群たち』を観た</title>
      <link>https://dark.asablo.jp/blog/2026/05/27/9856774</link>
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      <pubDate>Wed, 27 May 2026 00:11:51 +0900</pubDate>
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      <description>　南青山MANDALAで『あの、愛の一群たち』（作：清水邦夫、演出：富澤正幸、出演：南谷朝子、大西多摩江、都築香弥子、他）を観た。先日、事前に&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2026/05/22/9855848" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;戯曲&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;を読んだばかりだ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　この南青山のライブハウスで芝居を観るのはイヨネスコの&lt;a href="https://dark.asablo.jp/blog/2026/04/17/9849121" target="_blank"&gt;&lt;Font Color="#0000FF"&gt;『授業』&lt;/Font&gt;&lt;/a&gt;に続いて2度目である。『授業』は登場人物が少ないシンプルな舞台で、ライブハウスの小さなステージに最適だった。『あの、愛の一群たち』はシンプルとは言い難い芝居なので、あの小さなステージがどんな劇空間になるのだろうと期待した。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　配布された配役表に「語り手」という役がある。戯曲にはない役なので不思議に感じたが、芝居が始まると同時に判明した。「語り手」はト書を読む役だった。大道具や小道具がないリーディング芝居に近く、舞台衣装の役者たちは、台本を手にしたまま客席に向かってしゃべる。音楽や効果音はステージ後方のドラムセットの奏者が担当し、ライブ感がある。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
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　舞台装置がないので、ト書の語りを聞きながら頭の中で大道具や小道具を想像する。これは新鮮な観劇体験だった。自分が劇の制作に参加しているような気分になる。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
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　『あの、愛の一群たち』は、狂気をはらんだ3人の女性を中心にした「幻かもしれない男」を巡る重層的な話である。40歳近くの独身女性「ふね」は15年ぶりに日本海沿いの故卿に戻り、古い屋敷を改造した郷土資料館を訪れる。そこで、裸足の不思議な女性「しのぶ」に出会う。彼女はこの屋敷の娘で、精神病院から、夫に会うために脱走してきたらしい。そして、しのぶの姉「ぎん」が登場する。彼女は郷土資料館の主である。ぎんの夫らしき「影」のような館長も登場する。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　しのぶの夫は実在するのか幻の人物なのか、はたまたふねの弟が実はしのぶの夫なのか――女性たちの会話のなかで状況は二転三転していく。たどり着いた状況が正解か否かも不明だ。&lt;Br&gt;&lt;Br&gt;&#13;
&#13;
　この劇には「朱鷺」「火事」「来襲する鼓笛隊」などが効果的に登場し、その不気味な異世界的イメージが現実世界に侵入してくる。登場人物が詠みあげる高村光太郎の詩「雷獣」「ぼろぼろな駝鳥」が幻の姿をふらませる。人は己れのなかに幻を紡ぎ、幻を追求していく――それこそが人が生きていくことの実相に思えてくる芝居だった。&lt;Br&gt;
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      <title>ベケットの『エンドゲーム』は終末世界の不条理劇</title>
      <link>https://dark.asablo.jp/blog/2026/05/25/9856414</link>
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      <pubDate>Mon, 25 May 2026 00:44:13 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-05-25T00:58:16+09:00</dcterms:modified>
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      <description>　新国立劇場小劇場で『エンドゲーム』（作：サミュエル・ベケット、翻訳：岡室美奈子／演出：小川 絵梨子／出演：近江谷太朗、佐藤直子、田中英樹、中山求一郎）を観た。ベケットの不条理劇である。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ベケットの芝居は『ゴドーを待ちながら』しか観たことがなく、戯曲もこの有名作以外は読んでいない。他の作品も観たいと思い、チケットを手配した。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　「エンド・ゲーム」はチェス用語だそうだ。勝敗がほぼ決した終盤、チェックメイトに至るまでの数手を指し続けねばならない段階を表している。この芝居は、終わろうとしている世界、あるいは終わってしまった世界の話なのだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　シェルターのような殺風景な空間が舞台である。高い位置に窓が二つあり、脚立を使えば外が見える。上手の窓からは陸、下手の窓からは海が見えるが、外界は死滅した世界だ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　登場人物は4人。キャスター付き肘掛け椅子に座ったハムは盲目でサングラス姿、かつての独裁者のようでもあり、威張っている。ハムに反発しながも仕えているクロヴは足を引き摺っている。片隅には大きなゴミバケツが二つ並んでいる。その中にはハムの両親と思しきナッグとネルが入っている。二人は時おりゴミバケツから上半身を出して話す。二人とも両足を失っている。そんな人物たちが、とりとめのない会話をくり広げる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　「世界の終わり」を暗喩的にではなく、かなり具体的に舞台化しているのに少し驚いた。SFに近い不条理劇だ。自由に動き回れるのはクロヴだけなのに、そのクロヴが盲目で車椅子のハムの支配から抜け出せないという状況が面白い。終末世界にまでも持続する人間社会の妙だ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　登場人物たちは皆、世界がほとんど終わっていて、自分たちの運命も終わりに瀕していると知っている。世界がまだ終わっていないとすれば、その終わりは明日かもしれないし、百年先かもしれないし、１万年先かもしれない――そこに大差はないと考えれば、『エンド・ゲーム』は現実世界を映した芝居に見えてくる。&lt;br&gt;
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