『ヴェネツィアの冒険家マルコポーロ伝』を野次馬読書2026年09月23日

『ヴェネツィアの冒険家マルコポーロ伝』(ヘンリー・H・ハート/幸田礼雅訳/新評論)
 32年前の1994年に出たマルコ・ポーロ評伝の翻訳書を古書で入手して読んだ。

 『ヴェネツィアの冒険家マルコポーロ伝』(ヘンリー・H・ハート/幸田礼雅訳/新評論)

 マルコ・ポーロに関しては、『東方見聞録』『マルコ・ポーロ』(海老澤哲雄/世界史リブレット)で多少の知識は得ている。モンゴル史家の杉山正明はマルコ・ポーロの実在を疑っており(『モンゴルが世界史を覆す』)、私はその見解に説得力を感じている。杉山正明は「マルコ・ポーロと呼ばれる誰か」が存在したとは考え、それは「元朝において異なるポジションにいた複数の西洋人」だろうと推定している。彼らの見聞に基づいた『東方見聞録』の史料価値は認めている。

 実在が疑わしいマルコ・ポーロという人物の評伝をなぜ読もうと思ったのか。シルクロード学の泰斗・岩村忍(1905-1988)の著書『マルコ・ポーロ』(岩波新書)について、ウィキペディアに次の記述があったからである。

 「没後もロングセラーとして版を重ねていた『マルコ・ポーロ』(岩波新書)は、アメリカの東洋学者ヘンリー・H・ハートの著書"MARCO POLO"(原著1942年刊)の剽窃の疑いが濃いことが当該書の日本語訳『ヴェネツィアの冒険家:マルコ・ポーロ伝』刊行時に訳者の幸田礼雅によって判明し、以後は重版されていない。」

 ヘェーと思い、その訳書と岩波新書を読み比べたくなった。単なる野次馬読書である。まず、ハートの『ヴェネツィアの冒険家マルコポーロ伝』を読んだ。

 原著の初版は1942年、本書は1967年の改訂版の訳書である。一般向け解説書で、多くの史料を引用している。メインの史料はもちろん『東方見聞録』であり、多様な異本をふまえてマルコの生い立ち、中国への旅行、ヴェネツィアへの帰国を描いている。

 期待したほどにユニークな評伝ではなかったが、期待に無理があったのだと思う。フィクションに走らずにマルコの人物像を描くのは難しい。

 『東方見聞録』に基づいた記述は評伝としては単調になる。『東方見聞録』はマルコからの聞き書きの書であり、マルコは自身の人生や身辺の出来事は語っていない。見解や感想も吐露しない。そんな『東方見聞録』だけがマルコ自身にアプローチする手がかりだから、誠実にマルコ像を描こうとすれば、多少の推測を交えてもぼんやりした人物像しか描出できない。

 著者は同時代を描いたさまざまな史料によって、マルコが生きた時代やマルコが訪れた地域を描き、評伝をふくらませている。解説書としては面白いが、補足史料でマルコの姿が鮮明に浮かび上がるわけでない。

 マルコが実在したことを前提に『東方見聞録』の内容を信頼するなら、こんな評伝になるだろうと思う。著者は、マルコが「話を盛った」可能性については検討していない。

 本書で面白いのは、『東方見聞録』に基づかないヴェネツィア帰国後のマルコの後半生の話である。同時代の人々から『東方見聞録』はフィクションと見なされ、誰もマルコの話を信用しない。マルコは頑固な吝嗇家の老人になる。著者は「晩年の厳しく頑固なマルコと、著作に現れた若い彼とをどう一致させるかは難しい問題だ」と述懐している。

 ヴェネツィアの公文書館には1324年に他界したマルコ・ポーロという人物の記録があり、マルコの後半生は、それらの史料に基づいて描かれている。杉山正明は、記録が残っているこの人物と『東方見聞録』の語り手が同一人物である保証はないとしている。だが、マルコが実在したと考えるなら、同一人物と見なさざるを得ず、後半生の変貌を描くしかないようだ。

アンティオキア千年の歴史は視点を変えた古代ローマ史2026年09月07日

『地中海都市の興亡:アンティオキア千年の歴史』(G・ダウニー/小川英雄訳/新潮選書/1986.8)
 かつて小アジアにあった都市アンティオキアに関する歴史書を読んだ。古書で入手して積んでいた古い翻訳書である。

 『地中海都市の興亡:アンティオキア千年の歴史』(G・ダウニー/小川英雄訳/新潮選書/1986.8)

 アンティオキアは前300年にセレウコス朝創始者のセレウコス1世が建設したヘレニズムの都市である。その後ローマ帝国のシリア属州の中心都市として栄え、キリスト教の五本山の一つにもなる。ビザンツ時代には、ペルシアやイスラムに占領されていた時期もある。第1回十字軍はこの都市をセルジューク朝から奪還し、アンティオキア公国とした(1098年)。現在はトルコ南部の小さな町アンタキヤである。

 私が本書を読もうと思ったのは、『ローマ帝国衰亡史』(ギボン)のささやかな輪読会が十字軍のアンティオキア攻囲戦に差しかかったからである。18世紀の人ギボンは次のように書いている。

 「われわれがアンティオキアの描写に際して、アレクサンドロスやアウグストゥスの後継者たちの時代の古典的な壮麗さと、トルコ人による今日の荒廃の光景の中間状況を定義することは必ずしも容易でない。」(中野好之訳)

 この文章の「今日の荒廃」は18世紀のオスマン帝国による荒廃を指す。ギボンは、ヘレニズムやローマ時代の壮麗と18世紀の荒廃の中間にあたる十字軍時代のアンティオキアの姿に思いをはせている。この文章を読んで、以前に購入した本書を思い出したのである。

 本書の著者は1908年生まれの米国の歴史家で、1930年代にアンティオキアの発掘にも関わっている。全12章の本書はアンティオキアを含むシリア地域のやや詳しい歴史解説である。「オリエントの麗しい冠」と題する第10章は他の章と趣が異なり、モザイク画などの発掘物を紹介している。

 本書のプロローグには、18世紀にアンティオキアを訪れたフランス人画家が描いた銅版画6枚が載っている。廃墟の光景である。「それらの廃墟の絵は何世代もの旅行家や学者たちを魅了した」と解説している。ギボンも見たかもしれない廃墟の絵に感動した。

 本書は前300年のアンティオキア建設から7世紀半ばまでの約千年を記述し、それ以降については「アラブ人、十字軍、トルコ人のもとにおけるアンティオキアの歴史は本書の範囲外」としている。11世紀の十字軍時代に関心のある私にはやや期待外れだ。だが、十分に面白かった。

 著者が対象としているのは「ギリシア・ローマ的な都市としてのアンティオキア」であり、それはアラブ軍(イスラム)によるアンティオキア占領で終焉をむかえる。「ギリシア・ローマ的」という表現に西欧中心的な見方の匂いをかすかに感じる。アンティオキア市民は、自分たちの先祖はアテネからの入植者だという言い伝えを誇りにしていたそうだ。

 山を背にした平地にあるアンティオキアは城壁で囲まれた難攻不落の都市と言われた。だが、山側の城壁が弱点だったそうだ。意外である。

 本書のメインはシリア属州視点のローマ史であり、私の知らないことや失念している事項が頻出する。勉強になった。ゼノビアやユリアヌスなど興味深い人物への言及が楽しい。

 キリスト教の異端とされたアリウス派や単性論の状況の説明も詳しい。シリアで単性論が根強く普及した状況が興味深い。260年、サモサタのパウロがアンティオキアの司教に選出されたとの記述に少し驚いた。かすかに記憶がある名前だ。かなり以前、7~9世紀のキリスト教の異端パウロ派について調べたことがある(これもギボンの輪読会のせいだ)。あのとき、パウロ派という名の起源の一説に3世紀のサモサタのパウロという記述があった。本書はその3世紀の人物を詳述している。パルミラの女王ゼノビアとも関連しているそうだ。ヘェーと思った。

19世紀を知りたくて『近代ヨーロッパの情熱と苦悩(世界の歴史22)』を読んだ2026年08月31日

『近代ヨーロッパの情熱と苦悩(世界の歴史22)』(谷川稔・北原敦・鈴木健夫・村岡健次/中央公論社/1999.2)
 19世紀ヨーロッパを概説した中公版『世界の歴史』第22巻を読んだ。

 『近代ヨーロッパの情熱と苦悩(世界の歴史22)』(谷川稔・北原敦・鈴木健夫・村岡健次/中央公論社/1999.2)

 私は19世紀に関心がある。どんな時代だったか体感できればとも思う。日本なら幕末・維新を含む江戸末期から明治、77歳の私には曾祖父母あるいはその父母の時代であり、かろうじて現代と地続きに感じられる時代なのだ。

 19世紀を知りたいと思った契機は、ピケティが『21世紀の資本』で21世紀は19世紀のような格差社会になるかもしれないと指摘していたからだ。最近読んだ『新書 世界現代史』は、現代の世界が弱肉強食のジャングルの掟が通用する19世紀に向かっていると警告していた。19世紀がどんな時代だったか把握したくなる。

 『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』と題する本書は4人の筆者が地域別に執筆する4部構成になっている。

 第1部 フランスとドイツ――国民国家へのはるかな道(谷川稔)
 第2部 自由を求める南ヨーロッパ(北原敦)
 第3部 19世紀ロシアの嵐(鈴木健夫)
 第4部 ヴィクトリア時代イギリスの光と影(村岡健次)

 ナポレオン後のウィーン体制の崩壊から第一次世界大戦前夜までのヨーロパを「英独」「伊」「露」「英」に分けて概説している。第2部を「イタリア」でなく「南ヨーロッパ」としているのに含蓄がある。近代国家形成という主題は共通だが、4人の筆者が奏でる4つの地域の歴史のトーンはかなり異なる。四者四様の壮大な変奏曲のような1巻だ。

 第1部は新たな希望に見えた国民国家の功罪、第2部はバラバラ統合の悲喜劇、第3部は皇帝と農奴の国の革命前夜の苦悩、第4部は産業革命の帝国の繁栄が秘めた陰影――そんな論議を奏でている。フランス・ドイツの理念のカラ回り、イタリアの情念のカラ回り、ロシアの苦悩のカラ回り、イギリスの帝国主義傲慢のカラ回りにも見えて、かなり面白い。

 本書を読んでいて、5カ月前に拾い読みしていたのを思い出した。ドーデの『最後の授業』に関する部分で、その一部を以下のようにわがブログに引用していた。

 《『最後の授業』批判の根底には、国民を構成する要素は言語や人種だというドイツ的な考え方があるそうだ。それに対してフランスでは、国民の観念を「国家がかかげる基本原理を共有しようとする意志」に求める考え方が有力だそうだ(谷川稔『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』より)》

 ドイツ語方言のアルザス語を話すアルザス地方はフランスかドイツかという国民国家の課題である。ドイツ的な考え方もフランス的な考え方も、自国を正当化するイデオロギー性がある。19世紀は「イデオロギー」「理念」「神話」の力が歴史を大きく動かした時代かもしれない。

 谷川氏の指摘で初めて知ったのだが、19世紀なかばを過ぎても国語としてのフランス語は成立していなかったそうだ。フランス語とはまったく異なる少数言語地帯がフランス国内に多数存在し、識字率も低かったらしい。

 ヨーロッパの19世紀を読みながら、日本の19世紀とさほど変わらないなと感じた。日本がヨーロパを手本にした面が大きいのだろうが、ヨーロッパも日本もそれぞれにストラッグルしている。雑駁な印象だが。

 本書には時代を表現した19世紀文学がいくつか登場する。ピケティはバルザックやオースティンを援用して19世紀の格差社会を描出していた。バルザック、ユゴー、デュマなど「パリの王様」を始め、ゾラディケンズドストエフスキーなど19世紀文学は大物が目白押しだ。ヴィクトリア朝を知るにはシャーロック・ホームズも欠かせない。歴史書とフィクションの双方から19世紀を探るのが興味深い。

 で、21世紀を見通すのに19世紀の歴史は役立つか。役立つと思うが、具体的にはよくわからない。ヒントは山積している。ヒントが多すぎて、私のたよりない頭では整理が難しい。

2冊を並行読書した気になる『オリエント世界の発展(世界の歴史4)』2026年08月25日

『オリエント世界の発展(世界の歴史4)』(小川英雄・山本由美子/中央公論社/1997.7)
 中央公論社が1996年から1999年にかけて刊行した『世界の歴史』(全30巻)を古書で安価に購入したのは約10年前、気ままに関心が向いた巻を読んでいる。全巻読破は不透明だが、次の第4巻を読んだ。実は第1~3巻と第5~11巻は既読で、第4巻の穴あきが気がかりだったのだ。

 『オリエント世界の発展(世界の歴史4)』(小川英雄・山本由美子/中央公論社/1997.7)

 オリエント史としては『人類の起源と古代オリエント(世界の歴史1) 』が新バビロニア帝国までを描いていて、本巻はアケメネス朝からサーサーン朝までと地中海アジア(アナトリアからパレスチナあたり)の歴史を描いている。穴埋め気分で読み始めたが、意外と面白く読めた。

 年初に『ペルシア帝国』(足利惇氏)を読んだばかりだし、この数年で『古代メソポタミア全史』(小林登志子)、『古代オリエント全史』(小林登志子)、『ペルシア帝国』(青木健)なども読んでいたので、比較的スムーズに読めたのだろう。と言っても、読んだ本の内容の大半は蒸発している。時々、遠い微かな記憶がよみがえる気分になった。ヘェーと思う新たな知見も多かった。それも以前に読んだ内容かもしれない。失念していれば、私にとっては新たな知見だ。

 本書の著者・小川英雄氏(1935-2016)の『ローマ帝国の神々』や訳書『ミトラの密儀』(キュモン)、山本由美子氏(1946-)の『マニ教とゾロアスター教』は以前に読んだことがある。本書は二人の分担執筆で、章ごとに執筆者が交代する構成である。

 本書を読了して、二冊の別々の本を並行して読んだ気分になった。章ごとの執筆者を意識しながら読んだせいかもしれない。章ごとに関連してるのだが、二人のトーンは少し異なる。

 小川氏が担当しているのはアナトリアとシリア・パレスティナ地域で、それを「地中海アジア」と呼んでいる。ユダヤ教やキリスト教が発生した場所であり、その歴史にウエイトを置いている。「一神教発生の地、地中海アジアの歴史」とでも題するような内容だ。

 山本氏が担当しているのはイラン地域である。エラム、メディア、アケメネス朝、パルティア朝、サーサーン朝やゾロアスター教について解説している。「ペルシア帝国の歴史」と題する内容だ。

 山本氏が担当したペルシアに関しては、ペルシア人が書き残した史料は少ない。碑文やヘロドトスの『歴史』など外部の史料が手掛かりになる。『歴史』などギリシア人視点の史料を批判的に相対化して解説しているのが興味深い。パルティアは後続のサーサーン朝によって意図的に評価が貶められたとの指摘も面白い。サーサーン朝がパルティアの文化や宗教を承継していることを実証的に解説している。

 小川氏はイスラエルで発掘調査にも携わった考古学者である。本書でも発掘調査に関する記述が多い。ユダヤ人の歴史に関しては旧約聖書に基づく記述が多いのが気になった。多少は旧約聖書を史料批判的に扱ってもいいのではと思った。

 エジプトが一神教を採用したアマルナ時代がユダヤ教につながっているという指摘には少し驚いた。両者に関連があるとは知らなかった。

 本書の末尾で、小川氏はローマのミトラス教に言及し、次のように述べている。

 「ポントス王ミトリダテス6世の軍隊の敗残兵の中には地中海の諸民族の出身者がいたが、その中にはミトラスの信仰に詳しい者がいて、海賊に加わった後にミトラス教を興したと推測されている。」

 これは、ミトラス教がローマの新興宗教だという指摘に思える。昨年、『異教のローマ:ミトラス教とその時代』(井上文則)で驚いた点である。30年前からわかっていたようだ。キュモンの翻訳者である小川氏は、井上氏が紹介した「キュモンの定説の崩壊」を認識していたのだろうか。門外漢の私には、よくわからない。

『コーランを知っていますか』(阿刀田高)は読みやすくて面白い2026年08月22日

『コーランを知っていますか』(阿刀田高/新潮文庫)
 先日読んだ『中央アジアのイスラーム』が消化不良気味だったので、口直し気分で次の文庫本を読んだ。

 『コーランを知っていますか』(阿刀田高/新潮文庫)

 阿刀田氏の解説本シリーズは読みやすく、古典の眼目を把握した気にしてくれる。至芸だと思う。今後の人生でコーランを読むことはないと思っている私にとって、本書は手頃な解説書だ。

 本文の前に読んだ巻末の解説で、イスラム研究者の池内恵氏が「要を得た入門書」「私自身がいつかこういう本を書いてみたかった」と太鼓判を押している。

 本書を読むと、コーランが旧約聖書や新約聖書の内容をどのような形で取り込んでいるかがわかる。と言っても、コーランは旧約聖書や新約聖書に比べるとストーリー性が乏しいそうだ。

 著者は「旧約聖書は古代ユダヤ王国の建国史」「新約聖書はイエス・キリストの伝記」としたうえで、「コーランは親父の説教」と喝破している。親父と言ってもただの親父ではない。「神」である。

 親父の説教はくどい。あまり論理的でなく、いきなりドカンとくる。事実誤認や牽強付会もある。断片的な言いようは、わかりにくい。しかし、親の意見と冷酒はあとになって効く――こんな例えを読むだけで、コーランの世界が何となく見えてくる。

 ナルホドと感心したのは「コーランは詩歌、神の音楽」という指摘である。このくだりで、万葉の女流歌人・額田王の歌を取り上げ、詩歌は内容が月並みで非論理的でも、言葉の美しさ、調子の快さ、イメージのすばらしさで名歌になると述べている。説得的だ。コーランのアラビア語からの翻訳が禁じられてきた理由もわかる。詩歌の翻訳は難しい。原語の朗誦でなければつかめないものがあるのだろうと思う。

 本書はコーランの内容を紹介・解説しつつ、マホメッドの生涯を語り、正統カリフ時代からウマイヤ朝、アッバース朝へのイスラム史を概説し、スンニ派やシーア派などの成立にも言及している。行き届いた入門書だ。

 原典に触れたことのない私が言うのは変だが、コーランの概要と雰囲気をつかめた気がした。

小冊子『中央アジアのイスラーム』は難物だった2026年08月19日

『中央アジアのイスラーム』(濱田正美/世界史リブレット/山川出版社
 先日読んだ『ユーラシア文明の旅』(加藤九祚)の巻末のエッセイで、著者は中央アジアのイスラム教がアラブ諸国のイスラム教に比べてどのような特徴があるかを考察していた。このテーマについて、もう少し知りたいと思い、次のブックレットを読んだ。

 『中央アジアのイスラーム』(濱田正美/世界史リブレット/山川出版社)

 90頁の冊子なので短時間でこなせるだろうと読み始めたが、これがなかなかの難物だった。未知の固有名詞(人名・宗派名)の奔流と、私にはトリビアルに思える議論の頻出で、内容がなかなか頭に入ってこない。

 本書は、一般読者向けの解説書というよりは、研究者を目指す入門者向けの圧縮記述的な概説書のように思えた。何とか読了したものの、木が繁茂する森を彷徨った感覚で、そこがどんな森だったかはつかめていない。再読三読で熟読すればいいのだとは思うが。

 そんな読書だったが、興味深く感じたことを羅列する。

 ・中央アジアのイスラームは、イスラーム化以前の宗教・哲学などの影響のもとに形成された。
 ・論理的弁証による護教論としてのイスラーム神学はヘレニズムの影響を受けて発生した。
 ・中央アジアのイスラームにはギリシア哲学、マズダ教との類似性がある。
 ・イブン・スィーナーのイスラーム哲学は、アリストテレス哲学と新プラトン主義を可能な限り矛盾なくイスラームに接合することで生まれた。
 ・哲学はイスラーム世界ではマージナルな存在で、いっさいの思弁を否定する反知性主義的伝統が強固だった。
 ・9世紀から11世紀は知性主義が優勢だったが、それは例外的な時期だった。
 ・スーフィズム(神秘主義)発生の要因として、グノーシス説を含むヘレニズム思想、マズダ教、マニ教、さらにはインドのヴェーダンタや仏教の影響が論じられてきた。
 ・スーフィー(神秘家)には遍歴を事とする者があり、そのその足跡が中央アジアの奥地にまでおよんだ可能性は高い。
 ・スーフィーの聖者の墓にはメッカにもまさる聖地とみなされるものもあった。

『シルクロードの古代都市』のテーマはバクトリア2026年08月17日

『シルクロードの古代都市:アムダリヤ遺跡の旅』(加藤九祚/岩波新書/2013.9)
 加藤九祚の本を続けて読んだ(『シルクロードの大旅行者たち』 『ユーラシア文明の旅』 『シルクロード文明の旅』 『完本 天の蛇』)流れで、最晩年の新書を読んだ。

 『シルクロードの古代都市:アムダリヤ遺跡の旅』(加藤九祚/岩波新書/2013.9)

 加藤九祚、91歳のときの著書である。本書出版から3年後の2016年9月、加藤九祚はウズベキスタンの発掘現場で倒れ、客死する。加藤九祚は多くの著書・訳書を残しているが、私にとって本書は7冊目だ。

 国立民族博物館教授、創価大学教授などを歴任した加藤九祚は、76歳(1998年)で大学を辞めた後、ウズベキスタンの考古学研究所と共同でウズベキスタン南部テルメズ郊外のカラテパ遺跡発掘に着手し、94歳で没するまで発掘作業を続けた。

 本書は、加藤九祚が携わったカラテパ遺跡を語っているのだろうと推測していたが、少し違っていた。カラテパに近い三つの重要な遺跡(マルギアナ(メルヴ)、アイハヌム、タフティ-サンギン)について、同時代の学者たちの研究成果をふまえて紹介している。これらはすべてアムダリヤ(アム河、オクサス)流域の遺跡であり、共通テーマはバクトリアのようだ。

 バクトリアは前6世紀中頃にアケメネス朝に征服され、アレクサンドロスの時代にはポリス風の都市が建設され、セレウコス朝の治下に入った後にバクトリア王国(グレコ・バクトリア)として独立する。アフガニスタン北部にあった典型的なヘレニズムの国である。中国資料では大夏と呼ばれ、前140年頃に大月氏に滅ぼされ、その後にクシャン王国が成立する。

 青銅器時代の遺跡マルギアナ(トルククメニスタン)はバクトリアの西方にある。現在のアムダリヤはここを流れていないが、かつての大河アムダリヤはアラル海だけでなくカスピ海にも流れ込んでいて、この地もアムダリヤ流域だった。現在のアムダリヤはアラル海の手前で砂漠に消えている。青銅器時代からマルギアナとバクトリアには共通の文化があったらしい。

 アイハヌムはグレコ・バクトリア期の都市遺跡で、ギリシア風の劇場跡や体育場跡があり、多くの美術品が出土している。加藤九祚は2001年から年刊の個人雑誌を発行していた。その雑誌のタイトルが『アイハナム』だった。

 タフティ-サンギンにはオクス神殿跡がある。アムダリア河神に献げられた神殿である。アイハヌムはギリシア人の都市だったが、タフティ-サンギンにはバクトリア人とギリシア人が混在していたらしい。オクス神殿は荒涼たる河岸にあった。加藤九祚は、この地が渡河点だったことに大きな意味があると推測している。

 初期ヘレニズム時代までのバクトリアはゾロアスター教の国で、オクス神殿でも拝火儀礼が行われていた。本書末尾では、原ゾロアスター教や宗教改革者ツァラトゥストラ(ゾロアスター)についてかなり詳しく解説している。この部分も興味深い。

 バクトリアやヘレニズムを語る本書にカラテパ遺跡はほとんど登場しない。しかし、「あとがき」では、加藤九祚が「あざみの歌」の替歌として作詞した「カラテパ発掘のうた」を三番まで掲載している。やはり、愛嬌のある学者だ。

『ユーラシア文明の旅』に続いて『シルクロード文明の旅』を読んだ2026年08月09日

『シルクロード文明の旅』(加藤九祚/中公文庫/1994.3)
先日読んだ『ユーラシア文明の旅』の続編にあたる次の文庫本を読んだ。

 『シルクロード文明の旅』(加藤九祚/中公文庫/1994.3)

 自家版『続・ユーラシア文明の旅』(1991年刊)に加筆した「書き下ろし」文庫である。ユーラシア大陸を西から東へカバーする次の5つの旅を記録している。

(1) オデッサからカルムィキアまでの旅(1989.5.9~6.27)
(2) アシュハバードからアルマ・アタへの旅(1991.4.19~6.17)
(3) 西域北道からパミール・ヒンドゥクシュの旅(1990.8.3~8.26)
(4) 青海から西域南道の旅(1992.7.29~8.18)
(5) サハリンと沿海州の旅(1991.3.1~3.18)

 1989年から1992年にかけてのこれらの旅は、ソ連崩壊(1991.12)に続く中央アジア5カ国独立の時期に重なり、当時の現地の空気が感じられて興味深い。

 著者が訪ねた地の大半は私には未知の場所である。と言っても、私もタジキスタン(ソグディアナ)新疆ウイグル自治区カザフ&キルギスなどへの観光旅行をしており、行ったことがある場所が多少は登場する。それが懐かしくて楽しい。

 タジキスタンのペンジケント遺跡に関して、サマルカンドから近くて観光客が期待できるので整備すべきだと述べている。その通りだが、サマルカンドとペンジケントの間には国境があり、バスを乗り換えて徒歩で越える手続きが面倒だったなと思い出した。で、気づいた。著者が訪れた時、まだ国境がなくスムーズに通行できたのだ。

 ホージェンド(タジキスタン)の「場ちがい」に豪華なコルホーズ宮殿を見学した著者は、一般のコルホーズ員の生活はどうなっているのだろうと考える。著者の28年後、私も同じ建物を見学し、「元コルホーズ事務所」と聞いて著者と似たことを思った。

 本書には著者の人柄や個性が反映されている。(2)はユネスコ調査団の旅で各国の研究者が参加していた。旅の途中の報告会でイスタンブールから来た大学教授が、トルコ族を鼓吹するやや政治的発言をし、議論になる。その教授の発言を不愉快に感じた著者は、毅然として政治的発言をたしなめる。著者の気概が伝わってくる。

 本書は旅行記であると同時に、シルクロード研究者たちの成果を紹介する解説書でもある。ソグド人やクロライナ(鄯善=楼蘭)の歴史について、かなり詳しく解説していて、勉強になる。研究の現状について次のような記述もある。

 「(…)ソグド研究者たちはこれまでほとんど欧米露の学者であったが、今では日本でも吉田豊ら新進の研究者が育っていることは喜ばしい。また、ウイグル語でも森安孝夫梅村坦らの人々が進出している。」

 この分野の泰斗たちも34年前は新進だった。当然のことではあるが、感慨深い。

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【追記】
 旧ソ連時代、イシク・クル湖は外国人立ち入り禁止だった。加藤九祚は(2)の旅(ユネスコのシルクロード調査)で、1991年6月にイシク・クル湖を訪れている。『シルクロード 歴史地図の歩き方』(長澤和俊 監修、吉村貴 著)は、この地に初めて入った日本人を長澤和俊と田島信義としている。カザフとキルギスの招きで1992年に行ったそうだ。だが、その1年前に加藤九祚が行っていたようだ。