『21世紀の資本』のとりあえずの読後感 ― 2015年01月11日
◎『21世紀の資本』と小説2冊を並行読み
話題の『21世紀の資本』(トマ・ピケティ/山形浩生ほか訳/みすず書房)を読了した。並行して『ゴリオ爺さん』(バルザック/平岡篤頼訳/新潮文庫)と『マンスフィールド・パーク』(オースティン/大島一彦訳/中公文庫)も読んだ。こんな並行読書になったのは、『21世紀の資本』がぶ厚い大判のハードカバー(約700ページ)で、重いからだ。持ち歩くのはしんどいので自宅で読むことにした。旅行や外出の時には文庫本の小説を読み、3冊並行して読み進めることになった。
と言っても、この3冊はバラバラではなく関連本である。年末に『21世紀の資本』の「はじめに」(これだけで38ページある)を読んだ後で年末年始旅行に出たのだが、その長文の「はじめに」ではいくつかの古典小説に言及していた。その中の『ゴリオ爺さん』が気になった。20年以上前に購入した文庫本を読まずに放置しているのを思い出してしまったのだ。この機会に19世紀の世界名作を繙くのも一興だと思い、色褪せた新潮文庫の『ゴリオ爺さん』を旅行に持参した。
旅行中に『ゴリオ爺さん』を読了し、年明けの帰宅後は『21世紀の資本』に取り組んだ。「第3章 資本の変化」で『マンスフィールド・パーク』に言及しているのが気になり、この小説をネットで購入した。外出時の電車の中では『マンスフィールド・パーク』、自宅では『21世紀の資本』を読んだ。そして、大部の『21世紀の資本』読了の翌日、文庫本としてはやや厚いこの小説を読了した。並行して読んだ3冊は私の頭の中では混然となっている。この状況はピケティの意図にもかなっているのではと、勝手に推測している。この厚い経済書の魅力の一つは、トリビアルな事項の積み重ねにあると思われるからだ。
◎ピケティは5分でわかるか
それにしても、いまピケティが有卦に入っている。新聞やテレビでくり返し取り上げられ、本屋の店頭の雑誌にはピケティ関連の記事が目白おしだ。米国で50万部を超えるベストセラーになり、先月始めに刊行された日本語版もすでに13万部だそうだ。ぶ厚い経済書がこれだけ売れるのは異常らしい。今月末、本人が来日するそうなので、さらにブームが広がるかもしれない。
「1時間でわかる」とうたう解説本や「5分でわかる」と銘打った雑誌記事も目にする。この大著を読了したうえで、それらの記事のいくつかにも目を通し、たしかに『21世紀の資本』の要点を5分で把握するのは可能だろうとは思った。
一回通読しただけでの感想だが、本書の概要は数ページに圧縮できそうな気がする。私は本書に取り組む前からテレビや新聞の情報で本書の要点は知っていた気がする。そもそも「はじめに」の中で本書の要点は開示されている。それは概ね次のようなことだ。
・300年にわたるデータ分析により、格差が拡大してことがわかった。
・格差が拡大するのは「資本収益率>経済成長率」という状況が持続するからだ。
・20世紀に格差縮小が見られたのは世界大戦ショックによる一時的傾向だった。
・このままでは、21世紀は19世紀と似た格差社会になる可能性が高い。
・格差拡大抑制には世界的な資本への累進課税がいい。現状では困難だが。
では、「はじめに」だけを読めば、残りの数百ページは読まなくてもいいのか。もちろん、そんなことはない。大長編小説の醍醐味はダイジェストで得ることができない。それと同じで、本書には数百ページを読んで得られる魅力と感興がある。それを要約するのは難しい。量は質なりだ。
◎読みにくくはない
『21世紀の資本』は読みにくい専門書ではない。経済理論の本でもない。経済がテーマだが歴史書のようでもある。また、福祉国家ではなく「社会国家」という概念を提示し、政治的な提言も盛り込まれている。ピケティは巻末で「政治歴史経済学」を提唱している。本書はそのような世界へ読者を誘う一般書だと見なせる。
経済の現在を論じる本の多くの視野は、せいぜい50~60年前までのように思えるが、本書では常に19世紀から21世紀までの長い期間を考察している。西暦0年からの2000年にわたる考察もある。この時間感覚が経済の本としては新鮮である。歴史に学ぼうとするなら、少なくともこのぐらいの時間は頭に入れておかねばならないということだろう。
本書を読んでいると、頭の回転の速いやや早口な人の長広舌を聞いているような気分になる。脱線気味のトリビアに思える話題も面白いし、それが脱線でなく視界が開ける仕掛けだったりもする。くり返しが多いように思えるが、その分、頭には入りやすい。ページ数が多いので読むのに多少の時間がかかるのはいたしかたないが、さほど長さを感じなかった。
◎『ゴリオ爺さん』を読んで正解
なお、「はじめに」の後、本編に入る前に『ゴリオ爺さん』を読了したのは正解だった。ピケティは文学への関心も高いようで、本書には多くの小説が登場する。中でも『ゴリオ爺さん』の登場頻度が高い。労働所得と相続所得の比較に関するこの小説のエピソードがくり返し引用されるのだ。もちろん、小説を読んでいなくても本書の理解に支障はない。しかし、読んでおいた方がピケティが論じる世界に感情移入しやすくて楽しめる。
『マンスフィルド・パーク』は、ピケティが19世紀の海外資産に関連して引用しているのを見て読み始めた。だから、ピケティの言説を想起しながら小説を読み進める按配だった。「18世紀、 19世紀の小説には、お金がいたるところに登場する」などのピケティの指摘もあらためて確認できた。これも楽しい読書体験だった。
ちなみに『21世紀の資本』に登場するその他の文学作品を洗いだしてみると、次の通りだ。
『ジェルミナール』(ゾラ)、『オリバー・ツイスト』(ディケンズ)、『レ・ミゼラブル』(ユーゴー)、『分別と多感』『説得』(オースティン)、『スワン家の方へ』(プルースト)、『モンテ・クリスト伯』、『風と共に去りぬ』、『セザール・ビロトー』(バルザック)、『ワシントン・スクエア』(ヘンリー・ジェイムス)、『戦争と平和』、『イビスカス』(アレクセイ・N・トルストイ)
もれがあるかもしれない。私にとっては大半が未読で、知らない作品もいくつかある。これら文学作品への言及が必然的なものか単なる文学趣味かはどうでもいい。ページを増やす一因になっているかもしれないが、楽しい本にしているのはたしかだ。
ベストセラー『21世紀の資本』の影響でバルザックなど19世紀文学の文庫本の売上に経済効果が波及すれば、同慶の至りだ
話題の『21世紀の資本』(トマ・ピケティ/山形浩生ほか訳/みすず書房)を読了した。並行して『ゴリオ爺さん』(バルザック/平岡篤頼訳/新潮文庫)と『マンスフィールド・パーク』(オースティン/大島一彦訳/中公文庫)も読んだ。こんな並行読書になったのは、『21世紀の資本』がぶ厚い大判のハードカバー(約700ページ)で、重いからだ。持ち歩くのはしんどいので自宅で読むことにした。旅行や外出の時には文庫本の小説を読み、3冊並行して読み進めることになった。
と言っても、この3冊はバラバラではなく関連本である。年末に『21世紀の資本』の「はじめに」(これだけで38ページある)を読んだ後で年末年始旅行に出たのだが、その長文の「はじめに」ではいくつかの古典小説に言及していた。その中の『ゴリオ爺さん』が気になった。20年以上前に購入した文庫本を読まずに放置しているのを思い出してしまったのだ。この機会に19世紀の世界名作を繙くのも一興だと思い、色褪せた新潮文庫の『ゴリオ爺さん』を旅行に持参した。
旅行中に『ゴリオ爺さん』を読了し、年明けの帰宅後は『21世紀の資本』に取り組んだ。「第3章 資本の変化」で『マンスフィールド・パーク』に言及しているのが気になり、この小説をネットで購入した。外出時の電車の中では『マンスフィールド・パーク』、自宅では『21世紀の資本』を読んだ。そして、大部の『21世紀の資本』読了の翌日、文庫本としてはやや厚いこの小説を読了した。並行して読んだ3冊は私の頭の中では混然となっている。この状況はピケティの意図にもかなっているのではと、勝手に推測している。この厚い経済書の魅力の一つは、トリビアルな事項の積み重ねにあると思われるからだ。
◎ピケティは5分でわかるか
それにしても、いまピケティが有卦に入っている。新聞やテレビでくり返し取り上げられ、本屋の店頭の雑誌にはピケティ関連の記事が目白おしだ。米国で50万部を超えるベストセラーになり、先月始めに刊行された日本語版もすでに13万部だそうだ。ぶ厚い経済書がこれだけ売れるのは異常らしい。今月末、本人が来日するそうなので、さらにブームが広がるかもしれない。
「1時間でわかる」とうたう解説本や「5分でわかる」と銘打った雑誌記事も目にする。この大著を読了したうえで、それらの記事のいくつかにも目を通し、たしかに『21世紀の資本』の要点を5分で把握するのは可能だろうとは思った。
一回通読しただけでの感想だが、本書の概要は数ページに圧縮できそうな気がする。私は本書に取り組む前からテレビや新聞の情報で本書の要点は知っていた気がする。そもそも「はじめに」の中で本書の要点は開示されている。それは概ね次のようなことだ。
・300年にわたるデータ分析により、格差が拡大してことがわかった。
・格差が拡大するのは「資本収益率>経済成長率」という状況が持続するからだ。
・20世紀に格差縮小が見られたのは世界大戦ショックによる一時的傾向だった。
・このままでは、21世紀は19世紀と似た格差社会になる可能性が高い。
・格差拡大抑制には世界的な資本への累進課税がいい。現状では困難だが。
では、「はじめに」だけを読めば、残りの数百ページは読まなくてもいいのか。もちろん、そんなことはない。大長編小説の醍醐味はダイジェストで得ることができない。それと同じで、本書には数百ページを読んで得られる魅力と感興がある。それを要約するのは難しい。量は質なりだ。
◎読みにくくはない
『21世紀の資本』は読みにくい専門書ではない。経済理論の本でもない。経済がテーマだが歴史書のようでもある。また、福祉国家ではなく「社会国家」という概念を提示し、政治的な提言も盛り込まれている。ピケティは巻末で「政治歴史経済学」を提唱している。本書はそのような世界へ読者を誘う一般書だと見なせる。
経済の現在を論じる本の多くの視野は、せいぜい50~60年前までのように思えるが、本書では常に19世紀から21世紀までの長い期間を考察している。西暦0年からの2000年にわたる考察もある。この時間感覚が経済の本としては新鮮である。歴史に学ぼうとするなら、少なくともこのぐらいの時間は頭に入れておかねばならないということだろう。
本書を読んでいると、頭の回転の速いやや早口な人の長広舌を聞いているような気分になる。脱線気味のトリビアに思える話題も面白いし、それが脱線でなく視界が開ける仕掛けだったりもする。くり返しが多いように思えるが、その分、頭には入りやすい。ページ数が多いので読むのに多少の時間がかかるのはいたしかたないが、さほど長さを感じなかった。
◎『ゴリオ爺さん』を読んで正解
なお、「はじめに」の後、本編に入る前に『ゴリオ爺さん』を読了したのは正解だった。ピケティは文学への関心も高いようで、本書には多くの小説が登場する。中でも『ゴリオ爺さん』の登場頻度が高い。労働所得と相続所得の比較に関するこの小説のエピソードがくり返し引用されるのだ。もちろん、小説を読んでいなくても本書の理解に支障はない。しかし、読んでおいた方がピケティが論じる世界に感情移入しやすくて楽しめる。
『マンスフィルド・パーク』は、ピケティが19世紀の海外資産に関連して引用しているのを見て読み始めた。だから、ピケティの言説を想起しながら小説を読み進める按配だった。「18世紀、 19世紀の小説には、お金がいたるところに登場する」などのピケティの指摘もあらためて確認できた。これも楽しい読書体験だった。
ちなみに『21世紀の資本』に登場するその他の文学作品を洗いだしてみると、次の通りだ。
『ジェルミナール』(ゾラ)、『オリバー・ツイスト』(ディケンズ)、『レ・ミゼラブル』(ユーゴー)、『分別と多感』『説得』(オースティン)、『スワン家の方へ』(プルースト)、『モンテ・クリスト伯』、『風と共に去りぬ』、『セザール・ビロトー』(バルザック)、『ワシントン・スクエア』(ヘンリー・ジェイムス)、『戦争と平和』、『イビスカス』(アレクセイ・N・トルストイ)
もれがあるかもしれない。私にとっては大半が未読で、知らない作品もいくつかある。これら文学作品への言及が必然的なものか単なる文学趣味かはどうでもいい。ページを増やす一因になっているかもしれないが、楽しい本にしているのはたしかだ。
ベストセラー『21世紀の資本』の影響でバルザックなど19世紀文学の文庫本の売上に経済効果が波及すれば、同慶の至りだ
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