エコノミストと社会学者の新書4冊読んで霧の中へ2015年01月25日

『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫/集英社新書)、『資本主義という謎』(水野和夫、大澤真幸/NHK出版新書)、『社会学入門』(見田宗介/岩波新書)、『不可能性の時代』(大澤真幸/岩波新書)
 水野和夫氏の『資本主義の終焉と歴史の危機』という新書が売れていると聞いていたが、なかなか手にする気がしなかった。タイトルだけで内容の推測がつき、経済書というよりはざっくりとしたキワモノ文明論のような気がして、読むまでもなかろうと見過ごしていた。

 だが、ピケティの『21世紀の資本』を読んだのを機に『資本主義の終焉と歴史の危機』を読んだ。ピケティが主に19世紀から21世紀の近代を分析しているのに対し、水野和夫氏は15世紀後半から21世紀までの長い期間を考察している。ピケティの本以上に歴史の本である。現状認識はかなりシビアだが、その主張に納得できたわけではない。もう少し理解を深められればと考え、続いて関連新書を3冊読んだ。

 まとめて読んだ4冊を発行年月順に並べると以下の通りだ(読んだ順は④①②③)。

①『社会学入門』(見田宗介/岩波新書/2006.4)
②『不可能性の時代』(大澤真幸/岩波新書/2008.4)
③『資本主義という謎』(水野和夫、大澤真幸/NHK出版新書/2013.2)
④『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫/集英社新書/2014.3)

 水野和夫氏はエコノミスト(リフレ派の経済学者からは「反経済学」の人と見られている)、見田宗介氏と大澤真幸氏は社会学者だが、この4冊は次のように関連している。④の1年前に出版された③は水野氏と大澤氏の対談本で、④で展開される水野氏の見解はすでに③でほぼ語られている。大澤氏のツッコミが入っているぶん、こちらの方が面白いし幅がある。この③で展開される大澤氏の現代社会把握のベースになっているのが②であり、②のベースになっているのが大澤真幸氏の先生にあたる見田宗介氏の①である。実は④にも①を援用している箇所がある。

 エコノミストと社会学者の新書がこのようにからみあっているのは、ここで展開されているテーマがあまりにもマクロでつかみ所がないからだ。「資本主義は終わろうしているのか」「近代は終わろうとしているのか」という漠然とした問題に取り組むには、いろいろな切り込み方が必要なのだろう。

 私は社会学の門外漢であり、社会学とは何かがよくわかってはいない。①で見田氏は社会学者たちを「領域を横断する知性たち」と呼び、彼らの探究は結果として「越境する知」になると述べている。そう言われても、何事にでも言及してしまうこの学問にいささかの胡乱さを感じることがないわけでもない。しかし、②や③で大澤真幸氏が、この世界の来し方と行く末を、経済学や歴史学や文学などを横断する学識を手掛かりに果敢に解明しようとしている姿勢には感嘆せざるを得ない。衒学的コジツケや知的アクロバットに見える箇所があるにせよ、社会学者の「知の挑戦」恐るべしと思う。

 で、この4冊はそれなりに刺激的だった。だが、4冊の新書を読んで何らかの回答が得られたわけではない。「資本主義」や「近代」が行き詰まりつつあることは了解できても、この先どうなるのか、どうするべきなのかは霧の中だ。そもそも、経済活動の定常状態、ゼロ成長の持続ということがあり得るのか、それはどんな社会なのか、そういったことが私の当面の関心事だが、これは回答のない設問なのかもしれない。