西欧中心史観でない世界史を追究した『世界史序説』 ― 2024年05月24日
先月(2024年4月)からEテレで始まった『3か月でマスターする世界史』を視聴している。西欧中心史観ではない世界史を概説する番組である。かなり面白い。番組講師・岡本隆司氏(東洋史、近代アジア史の研究者)への関心から次の著書を読んだ。
『世界史序説:アジア史から一望する』(岡本隆司/ちくま新書/2018.7)
新書本1冊で語るザックリした世界史である。東洋史学の視点からの新たな世界史像を提示する熱気が伝わってくる。ウォーラーステインの「世界システム論」も依然として西洋中心であるとし、次のように述べている。
「(西欧中心史観の)脱却が叫ばれて久しい。筆者の見聞するかぎりでも、ウォーラーステインで脱却し、フランクでまた脱却、グローバル・ヒストリーでまたまた脱却した、といわれた。これで閲すること三十年、けっきょく脱却できていない。」
脱却できないのは、近代以前の東洋史の検討が不十分ということもあるが、歴史学そのものが近代西欧でできた学問であるという難しい事情もあるようだ。
著者は新たな世界史像を描くにあたって、梅棹忠夫が提示した「生態史観」の「梅棹地図」を援用している。楕円中央の右上から左下に乾燥地帯ベルトが斜めに走り、その周囲を湿潤地帯とし、楕円内に東・南・西アジアを配している。楕円の両端に西ヨーロッパと日本がある。『文明の生態史観』を読んだのは半世紀以上昔の学生時代で、その内容はほとんど失念しているが、日本と西欧がひとまとめだった印象が残っている。その「生態史観」が本書でよみがえっているのに驚いた。同時になるほどと思った。
遊牧と農耕の関わりをキイに歴史を描くのが東洋史を視点にした世界史のポイントのようだ。「遊牧と農耕という世界」の埒外にあるのが、東西の辺境である西欧と日本ということになる。
西欧中心史観の見直しは私の関心領域である。以前に読んだ『遊牧民から見た世界史』(杉山正明)、『世界史の誕生』(岡田英弘)、『シルクロード世界史』(森安孝夫)などによって、中央ユーラシアを視点にした歴史の見方の面白さを知った。本書も中央ユーラシアにウエイトを置いた世界史で、上記の著者や著作にも言及している。
本書で面白いと思ったのはオリエント世界の捉え方である。ギリシア・ローマや地中海までもオリエント世界と見なしている。テレビ番組の講座では、ローマ史家の井上文則氏がローマをオリエントと見ることに異論を呈していた。いろいろな見方があると思うが、ギリシア・ローマが発展して西欧世界になったとするのが短絡的なのは確かだと思う。
私が興味を抱いている人物の一人である神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世についての著者の見解も面白い。「最初の近代人」と呼ばれたこの人物を次のように見ている。
「リアルタイムな視点からかれを呼ぶなら、むしろシチリア人・地中海人、あるいはオリエント人というべきだろう。」
そして、宗教的に寛容な都会人がオリエント人、農村を根拠地に異教徒の排斥に勤しむのを西欧人とし、オリエント人だったフリードリヒ2世が西欧世界(キリスト教世界)のリーダーたる神聖ローマ皇帝としてふるまわねばならなかったことの矛盾について述べている。とても興味深い。
『世界史序説:アジア史から一望する』(岡本隆司/ちくま新書/2018.7)
新書本1冊で語るザックリした世界史である。東洋史学の視点からの新たな世界史像を提示する熱気が伝わってくる。ウォーラーステインの「世界システム論」も依然として西洋中心であるとし、次のように述べている。
「(西欧中心史観の)脱却が叫ばれて久しい。筆者の見聞するかぎりでも、ウォーラーステインで脱却し、フランクでまた脱却、グローバル・ヒストリーでまたまた脱却した、といわれた。これで閲すること三十年、けっきょく脱却できていない。」
脱却できないのは、近代以前の東洋史の検討が不十分ということもあるが、歴史学そのものが近代西欧でできた学問であるという難しい事情もあるようだ。
著者は新たな世界史像を描くにあたって、梅棹忠夫が提示した「生態史観」の「梅棹地図」を援用している。楕円中央の右上から左下に乾燥地帯ベルトが斜めに走り、その周囲を湿潤地帯とし、楕円内に東・南・西アジアを配している。楕円の両端に西ヨーロッパと日本がある。『文明の生態史観』を読んだのは半世紀以上昔の学生時代で、その内容はほとんど失念しているが、日本と西欧がひとまとめだった印象が残っている。その「生態史観」が本書でよみがえっているのに驚いた。同時になるほどと思った。
遊牧と農耕の関わりをキイに歴史を描くのが東洋史を視点にした世界史のポイントのようだ。「遊牧と農耕という世界」の埒外にあるのが、東西の辺境である西欧と日本ということになる。
西欧中心史観の見直しは私の関心領域である。以前に読んだ『遊牧民から見た世界史』(杉山正明)、『世界史の誕生』(岡田英弘)、『シルクロード世界史』(森安孝夫)などによって、中央ユーラシアを視点にした歴史の見方の面白さを知った。本書も中央ユーラシアにウエイトを置いた世界史で、上記の著者や著作にも言及している。
本書で面白いと思ったのはオリエント世界の捉え方である。ギリシア・ローマや地中海までもオリエント世界と見なしている。テレビ番組の講座では、ローマ史家の井上文則氏がローマをオリエントと見ることに異論を呈していた。いろいろな見方があると思うが、ギリシア・ローマが発展して西欧世界になったとするのが短絡的なのは確かだと思う。
私が興味を抱いている人物の一人である神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世についての著者の見解も面白い。「最初の近代人」と呼ばれたこの人物を次のように見ている。
「リアルタイムな視点からかれを呼ぶなら、むしろシチリア人・地中海人、あるいはオリエント人というべきだろう。」
そして、宗教的に寛容な都会人がオリエント人、農村を根拠地に異教徒の排斥に勤しむのを西欧人とし、オリエント人だったフリードリヒ2世が西欧世界(キリスト教世界)のリーダーたる神聖ローマ皇帝としてふるまわねばならなかったことの矛盾について述べている。とても興味深い。
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