紅テントの『泥人魚』は唐十郎追悼公演になった2024年05月07日

 3日前(2024.5.4)唐十郎が亡くなった。84歳だった。訃報を知ったのは一昨日(5月5日)、唐十郎の戯曲『泥人魚』を読んだ直後だった。私は半世紀前に紅テント(状況劇場)に魅せられ何度も足を運んだ。唐十郎の訃報に時代の変転を感じる。

 戯曲『泥人魚』は観劇準備のために読んだ。劇団唐組が『泥人魚』を再演(初演は2003年)すると知り、チケットを手配した。花園神社での初日は2024年5月5日、唐十郎逝去の翌日だった。私は昨日(5月6日)の公演を観た。

 私は3年前、シアターコクーン公演の『泥人魚』(演出:金守珍、出演:宮沢りえ、風間杜夫、他)を観ている。あのときは戯曲を読んでいなかった。もちろん、それでも十分に面白かった。今回は事前に戯曲を読んで、多少は「わかった気分」を増やそうと思い、戯曲を古書で入手した。

 戯曲のオビには「読売文学賞、紀伊国屋演劇賞、鶴屋南北戯曲賞トリプル受賞」とある。3年前に観た芝居の戯曲を読むのだから頭に入りやすいだろうと思ったが、そうでなっかた。観劇の記憶は薄れていて、漫然と読んでいると、わけがわからなくなる。この戯曲には伊東静雄の詩、島尾敏雄の小説などが登場するので、伊東静雄の詩を確認し、島尾敏雄の『島の果て』を読み返した。

 『泥人魚』は諫早湾のギロチン堤防がモチーフだとは承知しているが、戯曲の「あとがき」には少々驚いた。朝日新聞の諫早通信局を通して現地取材した様子や戯曲発想の発火点になった事物について具体的に記述している。唐十郎の妄想世界の根にあるリアリズムが意外に深いと知った。

 ギロチン堤防を巡る実情を知り、伊東静雄の詩、島尾敏雄の小説などを確認したうえで戯曲を再読すると、これらの素材を唐十郎の言葉で書き替えているのが確認できた。戯曲に散りばめられている様々な素材(伊東静雄、島尾敏雄、浦上天主堂、人間魚雷、天草四郎、他)を強引にデフォルメしたうえで、一貫性のあるイメージに収斂させていると気づいた。

 その「気づき」は観劇によって強固になった。戯曲を繰り返し読んでもわからないことが、役者たちの台詞で聞いているとすっきりわかってくる。唐十郎の芝居は「よくわからないが面白い」という感想を抱くことが多い、だが、役者が演ずる姿を観て、『泥人魚』はかなり明晰な芝居だと感じた。

 現地取材に基づいた芝居で、長崎や諫早を想起させる素材を多用しているにもかかわらず、芝居の舞台は東京のブリキ加工店になっている。これも暗示的だ。ギロチン堤防や登場人物たちの葛藤の普遍性が浮き上がってくる。

 終演後の恒例の役者紹介の後、客席の照明を落とした暗闇の中、唐十郎の歌声が流れた。「ある夕方のこと 風がおいらに伝えたさ この町の果てで あの子が死にかけているていると…」――『さすらいの唄』だ。劇中で聞いた記憶はないが、LPレコード『唐十郎 四角いジャングルで唄う』で繰り返し聞いた懐かしい唄である。暗闇のなかで唐十郎の若くて力強い唄声をじっと聞いていると、目頭が熱くなってきた。