『中世ヨーロッパ』に続いて『ヨーロパ中世』を読んだ ― 2025年04月27日
中央公論版「世界の歴史(旧版)」の『中世ヨーロッパ』に続いて、数十年も書架に眠っていた河出書房版「世界の歴史」の似たタイトルの巻を読んだ。
『ヨーロパ中世(世界の歴史9)』(鯖田豊之/河出書房新社/1969.1)
先日読んだ『中世ヨーロッパ』は1962年の本だった。本書の刊行は1969年1月。これも古い。挟み込み「月報」の「編集部だより」には、大学紛争のさなか執筆者との連絡が大変だったとある。私が学生の頃に出た本だ。時代を感じる。
同じ題材の本を読んだ直後なので、本書は比較的すらすらと読めた。
本書冒頭の導入部はシャーロック・ホームズの『赤髪連盟』の話だ。ヨーロッパでは髪の色、眼の色、鼻の形などの違う人が共存している。混血が進んでいるのだ。それゆえに、生まれてくる自分の子供の髪の色などを両親があらかじめ正確に知るのは難しいそうだ。混血のヨーロッ人にとってインターナショナルな関係は身近である。だが、その関係はヨーロッパ世界の内部にしかおよばない。そんなヨーロッパ世界はどのように形成されてきたか。その探究が本書のテーマである。
まずはゲルマン民族の大移動である。ゲルマン人は、東ゴート、西ゴート、ヴァンダル、ブルグンド、ランゴバルド、スゥェビ、フランク、アングル、サクソンなど多様である。彼らが先住のケルト人やローマ人と混ざり合ってヨーロッパができていく。
本書でヘェーと思ったのは、フランク人のカトリック化が早かった理由である。ゲルマン人の多くはキリスト教アリウス派だったとは知っていたが、フランクは遅れた部族だったのでアリウス派ではなく古ゲルマンの多神教世界だったそうだ。そのため、カトリックへ改宗が容易だった。フランク人の王クローヴィスがカトリックに改宗したため、彼の征服戦争は異端のアリウス派を倒す「聖戦」となり、支配領域が拡大した。と言っても、「遅れた部族」の改宗が生活態度にどれほどの影響をあたえたは、はなはだ疑わしいと著者は述べている。
本書は随所で日本との比較をまじえてヨーロッパを語っている。仏教伝来とキリスト教化、武士道と騎士道などなどである。共通点もあれば違いもあり、ヨーロッパの姿がより鮮明に浮かび上がってくる。
王族の血統に関する日本とヨーロッパとの比較も興味深い。ヨーロッパには血統権原理だけでなく選挙原理もあり、二つの原理の拮抗関係のなかで次期の王が決まってきたそうだ。豪族たちによる国王選挙が血統権をつきくずすこともあった。日本は血統権が万能だが、ヨーロッパはそうではない。
ヨーロッパにおいても、国王に息子がいれば世襲相続は容易である。だが、直系の子孫が絶えた場合、何等かの血のつながりがある人物が当然に王になれるわけではない。当然に世襲相続できるのは直系の息子だけである。血統権原理の日本ならば、血のつながりがあれば直系でなくても世襲相続できる。
本書は、イギリスにおけるノルマン朝からプランタジネット朝への移行を例に説明している。ノルマン朝のイギリス国王ヘンリー1世に息子がなく、娘のマチルダしかいなかった。マチルダとアンジュー伯ジョフロアの息子がイギリス国王ヘンリー2世となる。ヘンリー2世はプランタジネット朝(アンジュー家)の開祖となる。この件について、著者は次のように述べている。
「日本的観念からすれば、イギリス国王になると同時に、ノルマン家の相続人になってもよさそうなものである。ところが、実際はそうでなかった。イギリス国王になったにもかかわらず、新しい王家の創始者になった。」
この箇所を読んで、かすかな違和感をおぼえた。血統権原理の日本なら、血のつながりがあるのだから息子が母親の実家を相続できるという話だと思う。一般的には、息子がいなければ娘に婿をとり、その子が相続するというのはよくある話だ。だが、日本の喫緊の課題である天皇家に関して、現状では当てはまらない。男系男子に拘泥し、女系は認めていない。だから、上記の「日本的観念」にアレッと感じたのだ。1969年当時と現在で「日本的観念」が変わったとも考えにくい。
日本が万世一系にこだわっているのに対して、インターナショナルで、かつ直系子孫のみを重視するヨーロッパは万世一系という考えが乏しく、王朝交代がフツーだったように見える。日本の万世一系は明治になって登場した概念にすぎないらしいが。
『ヨーロパ中世(世界の歴史9)』(鯖田豊之/河出書房新社/1969.1)
先日読んだ『中世ヨーロッパ』は1962年の本だった。本書の刊行は1969年1月。これも古い。挟み込み「月報」の「編集部だより」には、大学紛争のさなか執筆者との連絡が大変だったとある。私が学生の頃に出た本だ。時代を感じる。
同じ題材の本を読んだ直後なので、本書は比較的すらすらと読めた。
本書冒頭の導入部はシャーロック・ホームズの『赤髪連盟』の話だ。ヨーロッパでは髪の色、眼の色、鼻の形などの違う人が共存している。混血が進んでいるのだ。それゆえに、生まれてくる自分の子供の髪の色などを両親があらかじめ正確に知るのは難しいそうだ。混血のヨーロッ人にとってインターナショナルな関係は身近である。だが、その関係はヨーロッパ世界の内部にしかおよばない。そんなヨーロッパ世界はどのように形成されてきたか。その探究が本書のテーマである。
まずはゲルマン民族の大移動である。ゲルマン人は、東ゴート、西ゴート、ヴァンダル、ブルグンド、ランゴバルド、スゥェビ、フランク、アングル、サクソンなど多様である。彼らが先住のケルト人やローマ人と混ざり合ってヨーロッパができていく。
本書でヘェーと思ったのは、フランク人のカトリック化が早かった理由である。ゲルマン人の多くはキリスト教アリウス派だったとは知っていたが、フランクは遅れた部族だったのでアリウス派ではなく古ゲルマンの多神教世界だったそうだ。そのため、カトリックへ改宗が容易だった。フランク人の王クローヴィスがカトリックに改宗したため、彼の征服戦争は異端のアリウス派を倒す「聖戦」となり、支配領域が拡大した。と言っても、「遅れた部族」の改宗が生活態度にどれほどの影響をあたえたは、はなはだ疑わしいと著者は述べている。
本書は随所で日本との比較をまじえてヨーロッパを語っている。仏教伝来とキリスト教化、武士道と騎士道などなどである。共通点もあれば違いもあり、ヨーロッパの姿がより鮮明に浮かび上がってくる。
王族の血統に関する日本とヨーロッパとの比較も興味深い。ヨーロッパには血統権原理だけでなく選挙原理もあり、二つの原理の拮抗関係のなかで次期の王が決まってきたそうだ。豪族たちによる国王選挙が血統権をつきくずすこともあった。日本は血統権が万能だが、ヨーロッパはそうではない。
ヨーロッパにおいても、国王に息子がいれば世襲相続は容易である。だが、直系の子孫が絶えた場合、何等かの血のつながりがある人物が当然に王になれるわけではない。当然に世襲相続できるのは直系の息子だけである。血統権原理の日本ならば、血のつながりがあれば直系でなくても世襲相続できる。
本書は、イギリスにおけるノルマン朝からプランタジネット朝への移行を例に説明している。ノルマン朝のイギリス国王ヘンリー1世に息子がなく、娘のマチルダしかいなかった。マチルダとアンジュー伯ジョフロアの息子がイギリス国王ヘンリー2世となる。ヘンリー2世はプランタジネット朝(アンジュー家)の開祖となる。この件について、著者は次のように述べている。
「日本的観念からすれば、イギリス国王になると同時に、ノルマン家の相続人になってもよさそうなものである。ところが、実際はそうでなかった。イギリス国王になったにもかかわらず、新しい王家の創始者になった。」
この箇所を読んで、かすかな違和感をおぼえた。血統権原理の日本なら、血のつながりがあるのだから息子が母親の実家を相続できるという話だと思う。一般的には、息子がいなければ娘に婿をとり、その子が相続するというのはよくある話だ。だが、日本の喫緊の課題である天皇家に関して、現状では当てはまらない。男系男子に拘泥し、女系は認めていない。だから、上記の「日本的観念」にアレッと感じたのだ。1969年当時と現在で「日本的観念」が変わったとも考えにくい。
日本が万世一系にこだわっているのに対して、インターナショナルで、かつ直系子孫のみを重視するヨーロッパは万世一系という考えが乏しく、王朝交代がフツーだったように見える。日本の万世一系は明治になって登場した概念にすぎないらしいが。
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