『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』で塩野七生ワールドの愉楽を味わう ― 2018年02月08日
◎中世モノと言えばこの本もあった
昨年末から中世の本をいくつか読んでいて、未読本に積んであったこの本を思い出した。
『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)(下)』(塩野七生/新潮社)
刊行時(2013年12月)に購入し、いずれ読もうと思いつつ放置していた。最近読んだ『中世の風景(上)(下)』(中公新書)の終盤で樺山紘一がフリードリッヒ二世に言及していたので本書を想起した。
読み始めると引き込まれ、ハードカバーの上下2巻を二日で一気読みした。やはり、塩野七生の歴史エッセイは面白い。『ローマ人の物語』(文庫本で43冊)、『海の都の物語』(文庫本で6冊)を読了したのは7年前で、久々に塩野七生ワールドの愉楽を味わった。
塩野七生は女・司馬遼太郎のようでありながら別種の魅力もある。女性目線の歯切れのいい人物論・男性論・リーダー論は妙に説得的で教訓的だ。小説仕立てではないのに歴史上の人物が生き生きと身近に感じられ、塩野七生の眼鏡にかなったイイ男(主人公)に読者も感情移入されてしまう。
フリードリッヒ二世はヨーロッパ中世後期に活躍した神聖ローマ帝国皇帝で、1194年に生まれて1250年に没している。日本なら鎌倉時代の人で、3代将軍源実朝より2歳若い。ヒトラーが敬愛した18世紀プロセンのフリードリッヒ二世(大王)とは別人で、高校世界史の教科書にはあまり登場しない。だが、歴史上の重要人物なのは間違いない。
私がフリードリッヒ二世を知ったのは、かなり前に『神聖ローマ帝国』(菊池良生/講談社現代新書)を読んだときで、とても印象深い魅力的人物だと思った。今回、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』読み、あらためてこの開明的人物に惹かれた。
◎「笑うしかない」が伝染する歴史エッセイ
塩野七生はフリードリッヒ二世を「中世に生きながらも200年後のルネサンスに向かう扉を開いた人」と位置付けている。早熟の天才で、中世に生きた近代人だったのだ。早く生まれすぎたにもかかわらず、時代とのおりあいをつけることもでき、ローマ法王との対立を繰り返しながらヨーロッパ随一の皇帝として生涯を全うしている。たいしたものだ。
本書が面白いのは、主人公に対抗するローマ法王たちがいかにも悪役らしい悪役になっている点だ。塩野七生の「聖職者嫌い」「学者嫌い」が反映されているように見える。
ローマ法王の「法王が太陽で、皇帝は月」という考えに対してフリードリッヒ二世は「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」というイエスの教えで対抗したという見立ては簡明でわかりやすい。フリードリッヒ二世の目指していたものは「政教分離」「法治国家」だという整理も明解だ。こんな歯切れのよさが塩野七生の歴史エッセイの魅力の一つだ。
それと、今回気づいたのは「笑うしかない」「笑ってしまう」というフレーズが多いことだ。「呆れ返るしかない」も目についた。フリードリッヒ二世や法王たちの言動をたどりながら、著者は笑ったり呆れたりして歴史を楽しんでいる。それが読者に伝染してくるから塩野七生の歴史エッセイは面白い。
菊池良生の『神聖ローマ帝国』もフリードリッヒ二世を魅力的に描いていて、その中に「当代随一のニヒリスト」と形容している箇所がある。だが、塩野七生はフリードリッヒ二世をニヒリストとは見ていないようだ。死の床で「死ねば何もない」と言ったという年代記作者の説を否定し、「死ねば何もない」などとは思っていなかったのではないか、と述べている。作者の主人公への愛情を感じた。
◎19世紀になって評価され始めた人物
本書を読了して、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』でフリードリッヒ二世への言及があったかどうか気になった。かなり以前に読んでいるが記憶にない。
あの長大な史書の後半は、西ローマ帝国滅亡の後、東ローマ帝国が滅亡する15世紀までのヨーロッパ・中東の歴史を描いている。その中にフリードリッヒ二世の時代も含まれる。18世紀啓蒙思想の人だったギボンはキリスト教にも辛辣だった。ギボンが法王と皇帝との対立をどう描いているのだろうかとページを繰ってみた。フリードリッヒ二世という人名が一カ所だけ出てくるが事績への言及はなく、無視に近い。
調べてみると、法王と対立したフリードリッヒ二世は、後世の教会史研究者たちに「専制的で放縦な無信仰者」と批判されたせいか、あまり評価されてこなかったようだ。19世紀になって歴史家ブルクハルトがフリードリッヒ二世を「王座上の最初の近代人」と評してから注目されはじめたのだ。18世紀のギボンがフリードリッヒ二世に着目しなかった事情がわかった。
歴史上の人物の評価の変遷は面白い。
========
【後日の追記】
このブログを書いた後、よく確認すると、ギボンは十字軍を扱った59章でフリードリッヒ二世の十字軍の経緯を3ページにわたって詳しく記述していた。18世紀のギボンは、当時は評価されていなかったフリードリッヒをしっかり認識していたのだ。
昨年末から中世の本をいくつか読んでいて、未読本に積んであったこの本を思い出した。
『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)(下)』(塩野七生/新潮社)
刊行時(2013年12月)に購入し、いずれ読もうと思いつつ放置していた。最近読んだ『中世の風景(上)(下)』(中公新書)の終盤で樺山紘一がフリードリッヒ二世に言及していたので本書を想起した。
読み始めると引き込まれ、ハードカバーの上下2巻を二日で一気読みした。やはり、塩野七生の歴史エッセイは面白い。『ローマ人の物語』(文庫本で43冊)、『海の都の物語』(文庫本で6冊)を読了したのは7年前で、久々に塩野七生ワールドの愉楽を味わった。
塩野七生は女・司馬遼太郎のようでありながら別種の魅力もある。女性目線の歯切れのいい人物論・男性論・リーダー論は妙に説得的で教訓的だ。小説仕立てではないのに歴史上の人物が生き生きと身近に感じられ、塩野七生の眼鏡にかなったイイ男(主人公)に読者も感情移入されてしまう。
フリードリッヒ二世はヨーロッパ中世後期に活躍した神聖ローマ帝国皇帝で、1194年に生まれて1250年に没している。日本なら鎌倉時代の人で、3代将軍源実朝より2歳若い。ヒトラーが敬愛した18世紀プロセンのフリードリッヒ二世(大王)とは別人で、高校世界史の教科書にはあまり登場しない。だが、歴史上の重要人物なのは間違いない。
私がフリードリッヒ二世を知ったのは、かなり前に『神聖ローマ帝国』(菊池良生/講談社現代新書)を読んだときで、とても印象深い魅力的人物だと思った。今回、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』読み、あらためてこの開明的人物に惹かれた。
◎「笑うしかない」が伝染する歴史エッセイ
塩野七生はフリードリッヒ二世を「中世に生きながらも200年後のルネサンスに向かう扉を開いた人」と位置付けている。早熟の天才で、中世に生きた近代人だったのだ。早く生まれすぎたにもかかわらず、時代とのおりあいをつけることもでき、ローマ法王との対立を繰り返しながらヨーロッパ随一の皇帝として生涯を全うしている。たいしたものだ。
本書が面白いのは、主人公に対抗するローマ法王たちがいかにも悪役らしい悪役になっている点だ。塩野七生の「聖職者嫌い」「学者嫌い」が反映されているように見える。
ローマ法王の「法王が太陽で、皇帝は月」という考えに対してフリードリッヒ二世は「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」というイエスの教えで対抗したという見立ては簡明でわかりやすい。フリードリッヒ二世の目指していたものは「政教分離」「法治国家」だという整理も明解だ。こんな歯切れのよさが塩野七生の歴史エッセイの魅力の一つだ。
それと、今回気づいたのは「笑うしかない」「笑ってしまう」というフレーズが多いことだ。「呆れ返るしかない」も目についた。フリードリッヒ二世や法王たちの言動をたどりながら、著者は笑ったり呆れたりして歴史を楽しんでいる。それが読者に伝染してくるから塩野七生の歴史エッセイは面白い。
菊池良生の『神聖ローマ帝国』もフリードリッヒ二世を魅力的に描いていて、その中に「当代随一のニヒリスト」と形容している箇所がある。だが、塩野七生はフリードリッヒ二世をニヒリストとは見ていないようだ。死の床で「死ねば何もない」と言ったという年代記作者の説を否定し、「死ねば何もない」などとは思っていなかったのではないか、と述べている。作者の主人公への愛情を感じた。
◎19世紀になって評価され始めた人物
本書を読了して、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』でフリードリッヒ二世への言及があったかどうか気になった。かなり以前に読んでいるが記憶にない。
あの長大な史書の後半は、西ローマ帝国滅亡の後、東ローマ帝国が滅亡する15世紀までのヨーロッパ・中東の歴史を描いている。その中にフリードリッヒ二世の時代も含まれる。18世紀啓蒙思想の人だったギボンはキリスト教にも辛辣だった。ギボンが法王と皇帝との対立をどう描いているのだろうかとページを繰ってみた。フリードリッヒ二世という人名が一カ所だけ出てくるが事績への言及はなく、無視に近い。
調べてみると、法王と対立したフリードリッヒ二世は、後世の教会史研究者たちに「専制的で放縦な無信仰者」と批判されたせいか、あまり評価されてこなかったようだ。19世紀になって歴史家ブルクハルトがフリードリッヒ二世を「王座上の最初の近代人」と評してから注目されはじめたのだ。18世紀のギボンがフリードリッヒ二世に着目しなかった事情がわかった。
歴史上の人物の評価の変遷は面白い。
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【後日の追記】
このブログを書いた後、よく確認すると、ギボンは十字軍を扱った59章でフリードリッヒ二世の十字軍の経緯を3ページにわたって詳しく記述していた。18世紀のギボンは、当時は評価されていなかったフリードリッヒをしっかり認識していたのだ。
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