かなり古い岩波新書『玄奘三蔵』をやっと読了 ― 2025年08月08日
岩波新書の『玄奘三蔵、シルクロードを行く』に続いて次の岩波新書を読んだ。
『玄奘三蔵:史実西遊記』(前嶋信次/岩波新書/1952.7 第1刷、1966.11 第21刷)
73年前(!)に出た岩波新書である。私が入手したのは半世紀以上前の学生時代だと思う。読了しないまま書架に眠っていた。『玄奘三蔵、シルクロードを行く』の「あとがき」と『玄奘三蔵:西域・インド紀行』の「解題」の両方が、この新書を「名著」と言及していた。かすかな記憶を頼りに書棚を探索し、本書を発見した。
著者・前嶋信次(1903-1983)はイスラム学者、東洋史家である。私は数年前に著者の『イスラム世界』と『イスラムの陰に』を読み、その独特の語り口に不思議な魅力を感じた。
本書冒頭で、著者は西暦600年頃を激動の時代としている。聖徳太子、ムハンマド、唐の太宗、玄奘らの時代である。日本への仏教渡来を「このややどぎつい、深みのある文化を、われらの祖先たちは、おそれたり、あこがれたりしていた」と表現し、600年頃を次のように描写している。
「世界史の流れは俄にすさまじい勢を示し、さかまき、うずまき、天地をどよもし、無邊際に巨浪をつらねて流れ出したかのような感をあたえる。それでいて決して暗い感じではない。」
そして、玄奘を次のように紹介している。
「大きな期待に何となく胸の高鳴るをおぼえる黎明の時に、黄河の南、中原のかたほとりに眉目うるわしく、健やかな男の子が生まれ出て本篇の主人公となるのである。」
高揚感あふれる前嶋節の玄奘伝への期待が高まる。だが、本編は『大慈恩寺三蔵法師伝』、『大唐西域記』、『続高僧伝』をベースにしたオーソドックスの玄奘の伝記だった。「生い立ち」「旅立ち」「往路」「インドでの勉強と周遊」「帰路」「帰国後の訳経事業」をバランスよく記述している。
往路で玄奘がバクトラ(かつてのバクトリア王国の中心地)を訪問したときの記述で、この地が後の『千夜一夜物語』に関連していると指摘している。あの長大な物語の翻訳者でもある著者らしい挿話で楽しい。
本書で印象に残ったのは、インドでは仏教が衰退期にあることへの玄奘への嘆きである。『大唐西域記』にも荒廃した寺院の記述は多いが、描写は抑制的でヒンズー教への具体的な言及はない。本書は、それをきちんと描き、次のように記述している。
「佛滅後千五百年で大釋迦ムニの教は、インドから消え去るであろうと云う豫言が行われていた。その徴候を玄奘は各地で見ているのである。」
仏陀ゆかりの地を巡る旅は廃墟巡りに近い。祇園精舎は荒れはて、菩提樹の下で玄奘は次のように嘆く。
「今萬里の異域からはるばるとここに辿りついて見れば、佛法はその發祥の地で衰え、観音像は砂中に沈もうとしている。この玄奘は何の故にかくも罪業が深いのであろうか……」
そんなインドではあるが、玄奘はナーランダー寺院で戒賢から5年にわたって学び、さらには4年かけて南インドを周遊してナーランダー寺院に戻る。所期の目的をほぼ果たした玄奘は、膨大な経典を持って帰国の途につくのである。仏教が廃れつつあっても、なおインドには仏教の本場としての底力があった。底知れぬ国だと思う。
『玄奘三蔵:史実西遊記』(前嶋信次/岩波新書/1952.7 第1刷、1966.11 第21刷)
73年前(!)に出た岩波新書である。私が入手したのは半世紀以上前の学生時代だと思う。読了しないまま書架に眠っていた。『玄奘三蔵、シルクロードを行く』の「あとがき」と『玄奘三蔵:西域・インド紀行』の「解題」の両方が、この新書を「名著」と言及していた。かすかな記憶を頼りに書棚を探索し、本書を発見した。
著者・前嶋信次(1903-1983)はイスラム学者、東洋史家である。私は数年前に著者の『イスラム世界』と『イスラムの陰に』を読み、その独特の語り口に不思議な魅力を感じた。
本書冒頭で、著者は西暦600年頃を激動の時代としている。聖徳太子、ムハンマド、唐の太宗、玄奘らの時代である。日本への仏教渡来を「このややどぎつい、深みのある文化を、われらの祖先たちは、おそれたり、あこがれたりしていた」と表現し、600年頃を次のように描写している。
「世界史の流れは俄にすさまじい勢を示し、さかまき、うずまき、天地をどよもし、無邊際に巨浪をつらねて流れ出したかのような感をあたえる。それでいて決して暗い感じではない。」
そして、玄奘を次のように紹介している。
「大きな期待に何となく胸の高鳴るをおぼえる黎明の時に、黄河の南、中原のかたほとりに眉目うるわしく、健やかな男の子が生まれ出て本篇の主人公となるのである。」
高揚感あふれる前嶋節の玄奘伝への期待が高まる。だが、本編は『大慈恩寺三蔵法師伝』、『大唐西域記』、『続高僧伝』をベースにしたオーソドックスの玄奘の伝記だった。「生い立ち」「旅立ち」「往路」「インドでの勉強と周遊」「帰路」「帰国後の訳経事業」をバランスよく記述している。
往路で玄奘がバクトラ(かつてのバクトリア王国の中心地)を訪問したときの記述で、この地が後の『千夜一夜物語』に関連していると指摘している。あの長大な物語の翻訳者でもある著者らしい挿話で楽しい。
本書で印象に残ったのは、インドでは仏教が衰退期にあることへの玄奘への嘆きである。『大唐西域記』にも荒廃した寺院の記述は多いが、描写は抑制的でヒンズー教への具体的な言及はない。本書は、それをきちんと描き、次のように記述している。
「佛滅後千五百年で大釋迦ムニの教は、インドから消え去るであろうと云う豫言が行われていた。その徴候を玄奘は各地で見ているのである。」
仏陀ゆかりの地を巡る旅は廃墟巡りに近い。祇園精舎は荒れはて、菩提樹の下で玄奘は次のように嘆く。
「今萬里の異域からはるばるとここに辿りついて見れば、佛法はその發祥の地で衰え、観音像は砂中に沈もうとしている。この玄奘は何の故にかくも罪業が深いのであろうか……」
そんなインドではあるが、玄奘はナーランダー寺院で戒賢から5年にわたって学び、さらには4年かけて南インドを周遊してナーランダー寺院に戻る。所期の目的をほぼ果たした玄奘は、膨大な経典を持って帰国の途につくのである。仏教が廃れつつあっても、なおインドには仏教の本場としての底力があった。底知れぬ国だと思う。
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