座談会『中世の風景(上)(下)』は手ごわかった ― 2018年02月04日
蒙古襲来前後の日本の中世の本を数冊読んだのを機に、この時代の概説書をもう少し読んでみようと思い、次の新書を古書で入手した。
『中世の風景(上)(下)』(阿部謹也・網野善彦・石井進・樺山紘一/中公新書)
30年以上前の1981年刊行の新書である。ある記事で本書が著名な日本中世の研究者(網野善彦、石井進)と西洋中世研究者(阿部謹也、樺山紘一)の座談会をまとめたものと知り、興味をもった。阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男』は数年前に面白く読んだ。網野善彦の『無縁・公界・楽』『蒙古襲来』は先月読んだばかりだ。石井進、樺山紘一の著書を読んだことはないが、よく目にする名で記事をいくつか読んでいる。
門外漢の私でも知っているこの4人の名を見て「豪華メンバー」どだと思った。あまりに専門的な本は敬遠だが、座談会なら読みやすそうだ。『中世の風景』というタイトルも親しみやすくていい。私には手ごろな新書に思えた。
読み始めてすぐ、大きな勘違いをしていたことに気づいた。難しいのだ。座談会なので「歴史よもやま話」とか「碩学に聞く」といった雰囲気を想定していたが、そんな一般人向けの啓蒙概説書ではなかった。
考えてみれば、啓蒙的な座談会や対談は、その分野の専門家でない司会者や対談相手(形式的には一般読者に近い立場の人)が専門家からその研究分野の話を聞き出すという形になる。ところが、本書の座談会の参加者は全員が第一線の研究者であり、素人の司会者はいない。その研究分野は日本中世史、西洋中世史と微妙に異なっている。ということは、研究者同士がそれぞれの研究成果をもちよって侃々諤々の議論を展開することになるのは当然だ。研究者や史学科の学生には興味深い内容だろうが、門外漢の素人がこの豪華メンバーの議論についていくのは大変である。
ついていくのが難しい内容だと気づきギブアップしようとも思ったが、理解できなくて当然と居直って読み進めた。中身をきちんと理解できなくても興味深い話題もあり、議論の雰囲気がなんとなくわかればよしとした。話し言葉の節々に研究者たちの本音に近い事情を垣間見た気にもなった。
本書は上下2巻で10のテーマが取り上げられ、それぞれのテーマごとに一人が研究報告的な問題提起をし、それを4人で議論する形になっている。テーマと冒頭の発言者は次の通りだ。
1. 海・山・川(石井進)
2. 職人(網野善彦)
3. 馬(阿部謹也)
4. 都市(樺山紘一)
5. 音と時(阿部謹也)
6. 農業(樺山紘一)
7. 売買・所有と法・裁判(石井進)
8. 家(網野善彦)
9. 自由(網野善彦)
10. 異端(樺山紘一)
歴史の本にしてはやや異様にも感じられる内容だが、「社会史」という方法の研究テーマはこんな具合になるようだ。興味深い切り口ではある。
座談会の中で研究者たちが面白がっていても、その面白さが素人の読者にはわからないという場面も多かった。だが、馬の鐙、鞍、蹄鉄がもたらした社会変化の話などはわかりやすくて面白かった。網野善彦の水田中心史観批判や樺山紘一の異端論なども興味深かった。
本書の何か所かで『無縁・公界・楽』が論議の材料となっていて、そのインパクトを見たように思えた。
日本の中世と西洋の中世に意外に多くの共通点があり、その時代に社会の大きな変革があったことを知ったのは収穫だった。だが、その社会変革の内容を十分には理解できたわけではない。
研究者たちの侃々諤々を聞いていると、その該博とディティールへのこだわりに感心し、敬して遠ざかりたいと思ってしまう。同時に、自分も多少は勉強せねばという気分にもなる。本書を読み返して中世の社会変革の内容を勉強すべきか…
『中世の風景(上)(下)』(阿部謹也・網野善彦・石井進・樺山紘一/中公新書)
30年以上前の1981年刊行の新書である。ある記事で本書が著名な日本中世の研究者(網野善彦、石井進)と西洋中世研究者(阿部謹也、樺山紘一)の座談会をまとめたものと知り、興味をもった。阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男』は数年前に面白く読んだ。網野善彦の『無縁・公界・楽』『蒙古襲来』は先月読んだばかりだ。石井進、樺山紘一の著書を読んだことはないが、よく目にする名で記事をいくつか読んでいる。
門外漢の私でも知っているこの4人の名を見て「豪華メンバー」どだと思った。あまりに専門的な本は敬遠だが、座談会なら読みやすそうだ。『中世の風景』というタイトルも親しみやすくていい。私には手ごろな新書に思えた。
読み始めてすぐ、大きな勘違いをしていたことに気づいた。難しいのだ。座談会なので「歴史よもやま話」とか「碩学に聞く」といった雰囲気を想定していたが、そんな一般人向けの啓蒙概説書ではなかった。
考えてみれば、啓蒙的な座談会や対談は、その分野の専門家でない司会者や対談相手(形式的には一般読者に近い立場の人)が専門家からその研究分野の話を聞き出すという形になる。ところが、本書の座談会の参加者は全員が第一線の研究者であり、素人の司会者はいない。その研究分野は日本中世史、西洋中世史と微妙に異なっている。ということは、研究者同士がそれぞれの研究成果をもちよって侃々諤々の議論を展開することになるのは当然だ。研究者や史学科の学生には興味深い内容だろうが、門外漢の素人がこの豪華メンバーの議論についていくのは大変である。
ついていくのが難しい内容だと気づきギブアップしようとも思ったが、理解できなくて当然と居直って読み進めた。中身をきちんと理解できなくても興味深い話題もあり、議論の雰囲気がなんとなくわかればよしとした。話し言葉の節々に研究者たちの本音に近い事情を垣間見た気にもなった。
本書は上下2巻で10のテーマが取り上げられ、それぞれのテーマごとに一人が研究報告的な問題提起をし、それを4人で議論する形になっている。テーマと冒頭の発言者は次の通りだ。
1. 海・山・川(石井進)
2. 職人(網野善彦)
3. 馬(阿部謹也)
4. 都市(樺山紘一)
5. 音と時(阿部謹也)
6. 農業(樺山紘一)
7. 売買・所有と法・裁判(石井進)
8. 家(網野善彦)
9. 自由(網野善彦)
10. 異端(樺山紘一)
歴史の本にしてはやや異様にも感じられる内容だが、「社会史」という方法の研究テーマはこんな具合になるようだ。興味深い切り口ではある。
座談会の中で研究者たちが面白がっていても、その面白さが素人の読者にはわからないという場面も多かった。だが、馬の鐙、鞍、蹄鉄がもたらした社会変化の話などはわかりやすくて面白かった。網野善彦の水田中心史観批判や樺山紘一の異端論なども興味深かった。
本書の何か所かで『無縁・公界・楽』が論議の材料となっていて、そのインパクトを見たように思えた。
日本の中世と西洋の中世に意外に多くの共通点があり、その時代に社会の大きな変革があったことを知ったのは収穫だった。だが、その社会変革の内容を十分には理解できたわけではない。
研究者たちの侃々諤々を聞いていると、その該博とディティールへのこだわりに感心し、敬して遠ざかりたいと思ってしまう。同時に、自分も多少は勉強せねばという気分にもなる。本書を読み返して中世の社会変革の内容を勉強すべきか…
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