『世界史の誕生:モンゴルの発展と伝統』はユニークで刺激的2019年06月01日

『世界史の誕生:モンゴルの発展と伝統』(岡田英弘/ちくま文庫)
 モンゴル史関連の本(『遊牧民から見た世界史』『モンゴル帝国と長いその後』『大モンゴルの時代』など)を続けて読んだ流れで、以前から気になっていた次の本を読んだ。

 『世界史の誕生:モンゴルの発展と伝統』(岡田英弘/ちくま文庫)

 2年前に86歳で亡くなった岡田英弘氏はユニークな歴史学者と仄聞しているが、私には本書が初体験である。この文庫本の原著は1992年刊行されている。

 著者は冒頭部分で1206年当時の日本、東アジア、中央アジア、ヨーロッパなどの状況を概説し、続いて次のような衝撃的な宣告をくだす。

 「1206年の春、モンゴル高原の片隅に遊牧民が集まって、チンギス・ハーンを自分たちの最高指導者に選挙した事件は、こうした、東は太平洋から西は大西洋に及ぶ、ユーラシア大陸の国々には、ほとんど知られず、知っていてもたいした関心を呼ぶようなことではなかった。しかし彼らこそ知らなかったが、この事件は、世界史のなかで最大の事件であった。つまりこの事件が、世界史の始まりだったのである。」

 1206年以前の歴史は世界史とは言えないという主張なのだ。著者によれば、歴史とは文化である。それを次のように説明している。

 「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである。」

 文化は人間の集団によって違うから、歴史も人間の集団ごとに違う。人類共通の歴史(世界史)は簡単にには可能にならない。その容易ならざる人類共通の歴史、つまり世界史という文化が可能になったのが1206年だというのだ。明快な見解だ。

 だが次の断言には驚いた。

 「世界広しといえども、自前の歴史文化を持っている文明は、地中海文明と、中国文明の二つだけである」

 地中海文明、中国文明以外の多くの文明には歴史という文化要素がないそうだ。ヘロドトスを生んだ地中海文明と、司馬遷を生んだ中国文明の二つだけが歴史という文化を生み出したというのである。他の文明(たとえば日本)も自身の歴史を記述しているように思えるが、それらは対抗的に地中海文明や中国文明の歴史文化を借用してきたにすぎないそうだ。かなり大胆な主張である。

 モンゴルなどの遊牧民に着目する歴史の見方は中華中心史観や西欧中心史観を否定するものだと思っていたので、中華と西欧を特別視する著者の見解に驚いた。

 だが、ヘロドトスも司馬遷も地中海文明、中国文明に制約された独自の歴史という文化を生んだだけで、その二つは混じり合うことのない別物で世界史になり得なかったとも述べている。この見解はなんとなく納得できる。

 1206年のチンギス・ハーン登場以降、中国文明も地中海文明もモンゴル文明に飲み込まれてしまい、二つの文明がつながり、二つの歴史文化が接触する。そこに生れた新たな歴史文化こそが世界史を可能にする歴史文化だというのが著者の見解である。

 1303年、イル・ハーン・カザンのユダヤ人宰相ラシード・ウッディーンが編纂した『集史』を「モンゴル帝国の出現とともに、単一の世界史が初めて可能になったことを明らかに示すのもである。」と著者は評価している。

 以上は本書のおおまかな骨子であり、それに関連したさまざまな指摘や見解が本書には散りばめられている。そのひとつひとつが私には刺激的で。考えさせられることが多い。

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