映画『ちいさな独裁者』を観て考えたこと2019年06月05日

 第二次大戦末期ドイツでの実話をベースにした映画『ちいさな独裁者』を観た。脱走兵がたまたま見つけた将校の制服を身にまとい、将校のふりをして将校としてふるまうなかで、部隊からはぐれた兵士たちを自身の部下として従わせ、権力をふるっていく話である。

 ニセ将校の制服はズボンが長すぎて合っていない。にもかかわらず、彼は総統の特別任務を負った将校として権力を行使し続けることができ、収容所では脱走兵たちの虐殺を命ずる。

 この映画、はじめのうちは主人公がニセ将校とバレるのではないかという緊迫感が面白いのだが、その面白さが途中から逆転する。彼の部下や周囲の軍人たちの何人かは、彼がニセモノかもしれないと気づいているようなのだ。にもかかわらず、彼に利用価値があると判断してその命令に従っているように見える。 ニセモノゆえのカタチ(制服)に忠実な過激なふるまいが他者を圧倒するというところもある。

 この構造は、「おおきな独裁者」ヒトラー自身にもあてはまる所があるし、現代の政治家の某や某にもあてはまるような気がする。ニセモノだとわかっていて内心では馬鹿にしているのだが、利用価値という時代の空気のせいでニセモノをあたかもホンモノのように扱ってしまう。

 その結果、どうなるか。ニセモノはがホンモノに変貌することもあるかもしれないが、悲惨なことになる可能性が高い。