池澤夏樹氏の『科学する心』は文学的科学エッセイ2019年06月07日

『科学する心』(池澤夏樹/集英社インターナショナル)
 作家で詩人の池澤夏樹氏の次の本を読んだ。

 『科学する心』(池澤夏樹/集英社インターナショナル)

 文学書ではなく科学エッセイである。考えてみれば、彼の単著を読むのはこれが初めてである。新聞や雑誌で池澤夏樹氏の文章を読むことは多いし、彼が編纂した沖縄関連の本を読んだことはある。だが、小説や詩は読んでいない。避けていたのではなく機会がなかったに過ぎない。

 池澤夏樹氏のイメージは文学への造詣が深い「いかにも文学者らしい文学者」である。父親は福永武彦(加田怜太郎)だし、個人で世界文学全集や日本文学全集を編集している。『世界文学を読みほどく』なんていう著書もある。そんな池澤氏が大学では物理学を専攻していたと聞いたことはある。

 本書を読むと池澤氏が科学への造詣も深い科学好きだとわかる。理系出身の小説家は少なくないし、科学と文学は対立するものではない。一人の人間のなかに「科学する心」と「文学する心」の両方がある方が自然だと思う。私自身も「理系」「文系」という言葉や区分けを使うことがあるが、それを人間の分類に使うのは間違いだと思う。

 閑話休題。『科学する心』はまことに文学的な科学エッセイだった。自身の「科学する体験」が語られているだけでなく、自分が書いた小説や詩への言及や引用も多い。科学をテーマに自身の身体を通して人間や人類のありようを考察するというスタイルが科学好き文学者的である。

 12編のエッセイの中で私好みだったのは「進化と絶滅と愛惜」「体験の物理、日常の科学」「『昆虫記』の文学性」の3編である。進化は進歩ではなく人類が今あるのは運がよかっただけという話は歴史の見方に役立つ。科学は知識ではなく五感をもって自然に向き合う姿勢という考えには納得できる。ファーブル vs ダーウィンは興味深い科学史話である。

 本書では多くの科学書が紹介されていて、著者の語り口に乗せられてつい読んでみたくなる。世の中はワクワクさせてくれる本にあふれていそうだが、わが人生にそのすべてを読む時間は与えられていない。