1973年に出た『箱男』を読み返した2024年09月03日

『箱男』(安部公房/新潮社/1973年3月)
 『箱男』(安部公房/新潮社/1973年3月)

  51年ぶりに『箱男』を再読した。現在公開中の映画『箱男 The Box Man』を観る前に読み返しておこうと思ったのである。半世紀前の読後感はかなり蒸発している。

 再読して、こんなメタフィクションだったのかと思った。「これは箱についての記録である。ぼくは今、この記録を箱のなかで書き始めている。」という書き出しで始まる小説は、記録の書き手がだれなのかが大きくゆらいでいく。初読のときから、奇妙な語りだとの印象は受けたが、手の込んだ仕掛けが潜んでいるとまでは認識しなかった。

 箱の中という世界を通して、世界の入れ子構造を裏返して眺めるような小説である。確かに難解だ。

 11年前に出た『安部公房とわたし』(山口果林)には、次のような気がかりな記述がある。

 「『箱男』を冷静に読むことは難しい。いつもギリギリの瀬戸際のような、逢瀬の記憶の断片と小説が重なってしまうのだ。私へのラブレターだと言った安部公房の言葉は、冗談ばかりとも思えなかった。」

 安部公房は私小説とは無縁の作家だが、その作品に愛人・山口果林との関係が投影されていると見なすのは興味深い。「救急車のサイレンが聞こえてきた。」という印象的なフレーズで終了する『箱男』の終盤は、確かにひとつのラブストーリーとも言える。

 読み返して新たに気づいたのは、「医師」の供述書にある生年月日が「昭和元年三月七日」になっていることだ。これは存在しない日付である。昭和元年は12月25日から31日までしかない。また、3月7日は安部公房の誕生日である。『砂の女』の仁木順平の生年月日は昭和2年3月7日だった。安部公房は1924年(大正13年)3月7日生まれなので、誕生日が同じ登場人物たちは作者より少し若い設定ということになる。

 ――そんな些細なことに何か意味があるかは不明だが、仮想の自身を小説の人物に投影させているように思えてしまう。そんな気分で安部公房を読むのも面白い。

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