カザフ&キルギス旅行記(3) --- タラス河畔の古戦場2026年07月18日

 私にとって今回のツアーの目当ての一つがタラス河の古戦場の見学だった。唐がアッバース朝に敗れた751年のタラス河畔の戦いについては、高校世界史の簡略な知識しかなく、その場所も明確には認識していなかった。ツアーでタラス河の古戦場を見学すると知り、私自身の歴史地理の認識を深化できると思った。と言っても、古戦場は遺跡ではなく、かつて戦争があった場所に過ぎない。さほどの所ではなくても、現場に立つことが重要だ。

 旅行準備段階で気分を盛り上げるため、この戦いを扱った歴史小説『天涯の戦旗』を読むなど多少の知識は仕入れた。

 タラス河畔の戦いの場所については、現在のキルギスとしている資料が多い。だが、今回のツアーではキルギスからカザフスタンに移動した後、古戦場を見学することになっている。地図で調べるとカザフスタンにタラズという町があり、その西方のキルギスにタラスという町がある。似た地名の町が両国にあるのだ。

 現地のキルギス人の日本語ガイドはキルギスのタラス出身だった。彼の話によれば、カザフ語のタラズとキルギス語のタラスは同じで、「戦い」という意味だそうだ。751年のタラス河畔の戦い以前から、かの河はタラス河(戦いの河)と呼ばれていた。

 タラス河は現在もキルギスからカザフスタンに向かって流れている。戦いがあった場所は現在の国境を含むかなり広い範囲だったらしい。アッバース朝は20万人、唐は10万人と言われる規模の戦いだった。古戦場はキルギスとカザフスタンにまたがっていたようだ。

 現地に赴いてみると、思った通り何もない場所だった。丘の上から眼下の川を見下ろすだけである。「河」より「川」の表記がふさわしい。川幅は数十メートル程度で、水浴を楽しんでいる人も見える。

 川を眺望する丘はイスラームの廟が建つ場所で、聖人の大きな銅像も立っている。バスが見学場所に近づき、その銅像が見えたとき、タラス河畔の戦いに勝利したアッバース朝の将軍の銅像が立っているのかと勘違いしたが、まったく違っていた。

 そもそも、現地住民の大半はこの地でタラス河畔の戦いがあったことなど知らないそうだ。川を見下ろす場所には、古戦場を示す標識などは何もない。現地の人は、われわれのような観光客を見て、なぜ外国人がイスラームの廟をお参りに来ているのだろうといぶかしんでいるらしい。この場所に来る観光客のほとんどは日本人だという。

 丘から見下ろすタラス川は751年当時に比べると川幅がかなり狭くなっている。当時の川幅は500メートルだったという。「川」ではなく「河」だ。

 往時の光景は心眼でしか見えない。現地の空気を吸い、現在の光景を眺めながら、頭の中で千数百年昔の様子を幻視する――そんなタラス河畔古戦場の見学だった。

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