ベケットの『エンドゲーム』は終末世界の不条理劇 ― 2026年05月25日
新国立劇場小劇場で『エンドゲーム』(作:サミュエル・ベケット、翻訳:岡室美奈子/演出:小川 絵梨子/出演:近江谷太朗、佐藤直子、田中英樹、中山求一郎)を観た。ベケットの不条理劇である。
ベケットの芝居は『ゴドーを待ちながら』しか観たことがなく、戯曲もこの有名作以外は読んでいない。他の作品も観たいと思い、チケットを手配した。
「エンド・ゲーム」はチェス用語だそうだ。勝敗がほぼ決した終盤、チェックメイトに至るまでの数手を指し続けねばならない段階を表している。この芝居は、終わろうとしている世界、あるいは終わってしまった世界の話なのだ。
シェルターのような殺風景な空間が舞台である。高い位置に窓が二つあり、脚立を使えば外が見える。上手の窓からは陸、下手の窓からは海が見えるが、外界は死滅した世界だ。
登場人物は4人。キャスター付き肘掛け椅子に座ったハムは盲目でサングラス姿、かつての独裁者のようでもあり、威張っている。ハムに反発しながも仕えているクロヴは足を引き摺っている。片隅には大きなゴミバケツが二つ並んでいる。その中にはハムの両親と思しきナッグとネルが入っている。二人は時おりゴミバケツから上半身を出して話す。二人とも両足を失っている。そんな人物たちが、とりとめのない会話をくり広げる。
「世界の終わり」を暗喩的にではなく、かなり具体的に舞台化しているのに少し驚いた。SFに近い不条理劇だ。自由に動き回れるのはクロヴだけなのに、そのクロヴが盲目で車椅子のハムの支配から抜け出せないという状況が面白い。終末世界にまでも持続する人間社会の妙だ。
登場人物たちは皆、世界がほとんど終わっていて、自分たちの運命も終わりに瀕していると知っている。世界がまだ終わっていないとすれば、その終わりは明日かもしれないし、百年先かもしれないし、1万年先かもしれない――そこに大差はないと考えれば、『エンド・ゲーム』は現実世界を映した芝居に見えてくる。
ベケットの芝居は『ゴドーを待ちながら』しか観たことがなく、戯曲もこの有名作以外は読んでいない。他の作品も観たいと思い、チケットを手配した。
「エンド・ゲーム」はチェス用語だそうだ。勝敗がほぼ決した終盤、チェックメイトに至るまでの数手を指し続けねばならない段階を表している。この芝居は、終わろうとしている世界、あるいは終わってしまった世界の話なのだ。
シェルターのような殺風景な空間が舞台である。高い位置に窓が二つあり、脚立を使えば外が見える。上手の窓からは陸、下手の窓からは海が見えるが、外界は死滅した世界だ。
登場人物は4人。キャスター付き肘掛け椅子に座ったハムは盲目でサングラス姿、かつての独裁者のようでもあり、威張っている。ハムに反発しながも仕えているクロヴは足を引き摺っている。片隅には大きなゴミバケツが二つ並んでいる。その中にはハムの両親と思しきナッグとネルが入っている。二人は時おりゴミバケツから上半身を出して話す。二人とも両足を失っている。そんな人物たちが、とりとめのない会話をくり広げる。
「世界の終わり」を暗喩的にではなく、かなり具体的に舞台化しているのに少し驚いた。SFに近い不条理劇だ。自由に動き回れるのはクロヴだけなのに、そのクロヴが盲目で車椅子のハムの支配から抜け出せないという状況が面白い。終末世界にまでも持続する人間社会の妙だ。
登場人物たちは皆、世界がほとんど終わっていて、自分たちの運命も終わりに瀕していると知っている。世界がまだ終わっていないとすれば、その終わりは明日かもしれないし、百年先かもしれないし、1万年先かもしれない――そこに大差はないと考えれば、『エンド・ゲーム』は現実世界を映した芝居に見えてくる。

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