2025下半期に読んだ本のマイ・ベスト32026年01月02日

 2025年下半期に読んだ本のマイ・ベスト3を選んだ。

『爆弾犯の娘』(梶原阿貴/ブックマン社)
『秘められたベルリン使節:ヘディンのナチ・ドイツ日記』(金子民雄/中公文庫)
『進化という迷宮:隠れた「調律者」を追え』(千葉聡/講談社現代新書)

 私の関心領域に「シルクロード史」と「ヒトラー&ナチス史」がある。2025年9月に西域シルクロードを旅した関連でヘディンの本を何冊か読んだ。『秘められたベルリン使節』は私の二つの関心領域が交差する本だった。

2025年に読んだ本のマイ・ベスト32026年01月02日

 昨年読んだ本の前半ベスト3後半ベスト3の計6点から、2025年に読んだ本のベスト3を選んだ。前半・後半に分けるのは、わが記憶力の射程が6カ月程度だからである。◎を付した赤字が年間ベスト3である。

◎『酒を主食とする人々:エチオピアの科学的秘境を旅する』(高野秀行/本の雑誌社)
◎『異教のローマ:ミトラス教とその時代』(井上文則/講談社選書メチエ)
 『族長の秋』(ガルシア・マルケス/堤直訳/集英社)
◎『爆弾犯の娘』(梶原阿貴/ブックマン社)
 『秘められたベルリン使節:ヘディンのナチ・ドイツ日記』(金子民雄/中公文庫)
 『進化という迷宮:隠れた「調律者」を追え』(千葉聡/講談社現代新書)

 常識を超える事実に驚いたのが『酒を主食とする人々』、私の知識が覆る驚きを感じたの『異教のローマ』だった。『爆弾犯の娘』は私の娘世代の親世代への視線にたじろいだ。

 昨年は『族長の秋』『カラマーゾフの兄弟』(再々々読)など名作・古典を面白く読んだが、齢を重ねるとフィクションに心震える感受性が鈍化しているかもしれない。

《過去のベスト3》
2020年に読んだ本のベスト3
2021年に読んだ本のベスト3
2022年に読んだ本のベスト3
2023年に読んだ本のベスト3
2024年に読んだ本のベスト3

初春大歌舞伎の「女殺油地獄」に引き込まれた2026年01月05日

 歌舞伎座で初春大歌舞伎の「昼の部」と「夜の部」を通しで観た。演目は以下の通りだ。

《昼の部
 當午歳歌舞伎賑(あたるうまどしかぶきのにぎわい)
 〈正札附根元草摺〉
 〈萬歳〉
 〈木挽の闇爭〉
 蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)
 実盛物語(源平布引滝)

《夜の部》
 女暫(おんなしばらく)
 鬼次拍子舞(おにじひょうしまい)
 女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)

 昼の部の1番目は曾我兄弟の仇討ちをベースにした祝祭的な演目で正月気分になる。「蜘蛛絲梓弦」は尾上右近が八変化の早替わりで楽しませてくれる。七変化までは女郎蜘蛛の精が化けた魔物だが、最後の変化は女郎蜘蛛を退治す武将だった。

 昼の部最後の「実盛物語」は有名な演目だが私は初見だ。かなりヘンな話である。

 夜の部の1番目は荒事の「暫」を女形が演じるという不思議な趣向で、本来は團十郎が演じる特徴的な大きな四角の大紋袖の姿で女形の中村七之助が登場した。見栄を切ったあと「ああ恥ずかしい」とつぶやくのが面白い。ラストの六方では、中村七之助のSOSに応じて舞台番の松本幸四郎が現れて七之助に六方を教えるという楽屋落ち的な芝居で笑わせてくれた。

 今回の観劇の私の目当ては夜の部最後の「女殺油地獄」である。近松門左衛門のこの高名作品を私はまだ舞台で観ていなかった。観劇前に台本は読んだ。今回の公演は与兵衛(殺す役)とお吉(殺される役)がダブルキャストで、Aプロは松本幸四郎と坂東新悟、Bプロは中村隼人と中村米吉である。私が観たのはBプロだ。

 若い中村隼人が演じる「女殺油地獄」は緊張感と迫力があり、とてもよかった。目出度い正月気分にそぐわないかもしれないが、舞台に引き込まれた。佐藤信らが現代劇にアレンジした気分がわかる。

 私の席は花道から2列目だった。花道から2列目までの座席には畳んだビニル―シートが置いてあり、「女殺油地獄の最後にお使いください」とあった。アングラのテント芝居の最前列は、舞台から飛んでくる水などから身を守るためのビニールシートが用意されることがある。歌舞伎座でもテント芝居と似たビニールシートが用意されるのかと驚いた。

 舞台で与兵衛が油まみれになって滑って転ぶシーンは、本物の油を使っているように見えた。どんな油かはわからないが、あの油が飛んでくると大変かもしれない。油まみれになった与兵衛が花道を駆けて引っ込むとき、多少は期待したのだが、さほど飛び散っているようには見えなかった。

21年前に出たイランの概説書を読んだ2026年01月07日

『イランを知るための65章』(岡田恵美子、北原圭一、鈴木珠里編著/明石書房/2004年9月)
 来月(2026年2月)末からイラン旅行を予定している。にわか勉強のため、21年前に出版された次の本を古書で入手して読んだ。

 『イランを知るための65章』(岡田恵美子、北原圭一、鈴木珠里編著/明石書房/2004年9月)

 手軽に読めそうな本と思ったが意外に手強かった。50人以上のイラン研究者がそれぞれの研究対象を紹介するエッセイ集に近く、話題は多岐にわたる。文学、芸術、宗教、歴史から政治、経済、社会、地理、生活にいたるまでの広範なテーマに接し、多様なイメージが目まぐるしく脳内を去来した。頭がクラクラしてくる。読了には思いの他の時間を要した。

 本書から得た知見は多い。まずは、イランという文明圏が歴史的にも地理的にも多層で複雑だと再認識した。イラン系、アラブ系、トルコ系という大雑把なくくりでは捉えきれない多様な民族は複雑だ。ゾロアスター教にイスラームのアレコレが重なった宗教的な心性も複雑だ。

 本書には小学生時代をイランで過ごした日本人研究者の報告もある。イランの小学校では「書取」「作文」「算数」「幾何」の4教科に重点を置いており、筆者は「作文」だけはどうしてもイラン人にかなわなかったそうだ。イラン人は小さいときから家庭での詩のやりとりに慣れていて美文調の文章が巧みだそうだ。本書に『シャー・ナーメ(王書)』などの叙事詩がくり返し登場する理由が少しわかった気がした。

 本書が出た2004年、まだ日本との直行便が就航していた(2010年まで)。大統領は改革派のハータミー(第1期は1997~2001、第2期は2001~2005)だった。先日読んだ『物語イランの歴史』(宮田律/2002.9)と同じように、本書もまたイランの改革路線が進展していくだろうと見ているように思える。だが、その後の20年の歴史はそう単純ではなく紆余曲折を重ねている。

 本書には2003年のノーベル平和賞を受賞したイラン人女性弁護士シーリーン・エバーディを紹介するコラムもあり、彼女が大統領選に出馬すれば一波乱あるだろうと期待を寄せている。ネットで調べると、2009年には貸金庫に保管していたノーベル平和賞のメダルと賞状が当局に押収され、エバーディはイギリスに亡命したそうだ。

ファド歌手ROCAシリーズの完全版を読んだ2026年01月09日

 いしいひさいちが自費出版した『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』を読んだのは2年前だった。その後、朝日新聞の「ののちゃん」に吉川ロカが登場することはなく、このシリーズは終了しているのだと思っていた。だが、その後も書き下ろし自費出版などで継続していた。そして、昨年6月には一般書籍としてコンプリート版が出版されていた。

 出版から半年以上経ってこの本に気づき、すぐに入手して読んだ。

 『ROKAコンプリート』(いしいひさいち/徳間書店)

 わが故郷・岡山県玉野市がモデルの「たまのの市」出身のファド歌手・吉川ロカを描いたマンガである。このコンプリート版は自費出版した次の3冊をまとめて1冊にしている。

 (1)『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』
 (2)『花の雨が降る――ROCAエピソード集』
 (3)『金色に光る海――ROCA短編集』

 (1)と(2)は4コマが中心だが、いずれも最後の1編だけは数ページの話になっている。(3)は4コマではなく、すべてが数ページのマンガだ。

 既読の(1)は、ファド歌手を目指す女子高生・吉川ロカと、彼女の友人で年上の同級生・柴島美乃の話である。姉御肌の柴島美乃は港の運搬業者の娘で落第をくり返している暴力的な不良である。柴島美乃の祖父が経営する柴島商会は暴力団に近い。(1)のラストでは、音楽事務所と契約してプロ歌手への足がかりをつかんだ吉川ロカに柴島美乃からメールが届く。そこには「潮時だと思う。ウチはヤバイ筋だからいずれ問題になる。まだ間に合う。オレとかいなかったことにしろ。もう連絡するな。じゃあな。」とあった。吉川ロカは音楽事務所の窓から外に向かって「ゴメンナサイ」とうつむく。泣かせる惜別シーンだ。

 (2)(3)は(1)の続編ではなく、(1)とほぼ同じ時代設定の話になっている。それでも面白い。(1)(2)(3)はそれぞれ印象的なラストシーンで終わる。(1)と(3)は1頁1コマ、(2)は見開きで1コマの大画面だ。

 その(2)の見開き大画面に驚き、感動した。著者は「映画『天国と地獄』のモノマネです。」と述べている。あのモノクロ映画は、煙突から赤い煙が出るシーンだけ、煙がカラーになっていた。マンガでその手法を使っているのだ。ページを開いた瞬間、色の着いたゴミが挟まっていると思って指でこすり、それが着色印刷だと気づき、ドキッとした。

 この見開き大画面がスゴイのは、(1)のラストシーンと見事につながっている点である。(2)のラストシーンを見てはじめて、(1)の懐旧的なラストシーンの背後にある事情を知ることができた。いしいひさいちの構想力に感心した。

 私は本書を読むまで「吉川→よしかわ」「柴島→しばじま」と思っていたが、本書冒頭の人物紹介のフリガナで「吉川→きっかわ」「柴島→くにじま」だと知った。(1)にフリガナはなかったと思うが「鬼吉川」などの言葉が登場するので注意深く読めば「きっかわ」とわかったはずだ。いしいひさいちは細かい所にイロイロ忍ばせている。

オール男性の宮本亜門演出『サド侯爵夫人』を観た2026年01月11日

 紀伊國屋サザンシアターで『サド侯爵夫人』(作:三島由紀夫、演出:宮本亜門、出演:成宮寛貴、東出昌大、三浦涼介、大鶴佐助、首藤康之、加藤雅也)を観た。三島戯曲の最高峰と言われる芝居である。

 昨年1月の「三島由紀夫生誕百年のつどい」というイベントをネット動画で観た。このイベントで村松英子と対談した宮本亜門が「今年は『サド侯爵夫人』に挑戦する」と述べていたので心待ちにしていた。宮本亜門演出の三島作品を観るのは『ライ王のテラス』に続いて2本目である。

 この芝居の登場人物6人は全員女性である。今回の公演はそれを男性が演じている。私は14年前に蜷川幸雄演出の『サド侯爵夫人』を観たが、あのときも男優が6人の女性を演じていた。18世紀末フランスの貴婦人たちの会話劇という異世界めいた舞台を構築するには、リアルな女優より異形の男優の方が適しているのかもしれない。

 開幕時刻、まだ客席の灯りが点いているとき、舞台中央に男が現れ、何かアナウンスをする気配で立つ。客席のざわめきが次第におさまるが、男は無言のまま数分間立ち続ける。そして「三島由紀夫自決5年前の作品」と叫び、舞台後方へ去る。彼は家政婦シャルロット役の首藤康之だった。もちろん戯曲にはない趣向だ。

 この前口上を聞いたとき、私はドキッとした。観劇前日、この戯曲の執筆時期が気になり、自決(1970年11月)の5年前の1965年だと確認した。そして、この時期は文学者・三島由紀夫の最盛期だったのではと感じたばかりだった。

 『サド侯爵夫人』は『文芸 1965年11月号』に発表された。私が高校2年のときだ。私はこの雑誌で『サド侯爵夫人』を読んだ。その雑誌はいまも保管している。古書で入手した雑誌なので、読んだのは発表から1年ほど経ってからのような気がする。戯曲発表と同時に『サド侯爵夫人』は劇団NLTで上演(出演:丹阿弥律子、村松英子、他)、新聞などで大きく取り上げられた。当時の好評が記憶に残っている。

 あらためて1965年という時期を振り返ってみる。三島由紀夫はまだ自衛隊に体験入隊していないし、盾の会も発足していない。川端康成のノーベル文学賞受賞(1968年)の3年前で、三島由紀夫は日本人初のノーベル文学賞受賞者になると目されていた。自作を自ら脚色・監督・主演した映画『憂国』を完成させ、ライフワーク『豊穣の海』の第1作『春の海』の連載を開始したのが1965年である。

 そんな時期に発表した『サド侯爵夫人』は、優雅で華麗な台詞を交錯させながら時代と状況が変転していく三幕劇である。この芝居にサド侯爵は登場しない。ほぼ全編、サド侯爵の行状や人間像を巡る女性たちの会話で成り立っている。

 第1幕は1772年、サド侯爵は逃亡中である。第2幕は6年後の1778年、サド侯爵は獄中にいる。第3幕は12年後の1790年、フランス革命勃発後の騒然とした時代である。革命によってサド侯爵は牢獄から解放され帰ってくる。老いたサド侯爵が屋敷の戸口に到着したと家政婦が告げるシーンで幕になる。よくできた構成だ。

 貴婦人を演じる男優たちに違和感はまったくない。衣装はやや抽象的なロングドレスである。サド侯爵夫人のルネ(成宮寛貴)は白、他の夫人たちは黒と色分けしている。ルネの妹アンヌ(三浦涼介)だけはドレスでなく露出度の高いエロチックな衣装だ。アンヌの位置づけを鮮明にする仕掛けだろう。

 この公演のラストシーンには驚いた。帰還したサド侯爵を拒絶したルネは修道院に向かう。舞台中央に立ったルネは客席に背を向けて舞台奥へ歩いて行く。そのとき。白いドレスを脱ぎ捨てて全裸になるのだ。この世の俗事を脱ぎ捨て、男も女も超えた人間ならざる者へ脱皮する姿を表しているようにも見える。男優起用ならではの演出だと思った。

イラン旅行中止2026年01月13日

 2月末に予定したイラン旅行が中止になった。残念だが仕方ない。

 私がイラン旅行を検討していた昨年11月頃、一般の旅行会社のイランツアーはなかった。外務省が出す危険レベルは3(渡航中止勧告)だった。だが、友人のツテでイラン旅行の企画があると知り、参加を決めた(参加者は8人)。外務省は昨年は11月26日、イランの危険レベルを3(渡航中止勧告)から2(不要不急の渡航はやめろ)に引き下げた。

 イランは古代からの長い歴史をもつ国で、日本との関わりも深い。調べるほどに魅力的な国だと思えた。イラン旅行への参加を決め、頭の中はイラン・モードになり、『バンダルの塔』『イランを知るための65章』などの関連書も読んだ。

 昨年6月にイスラエルとの12日間戦争があったが、当分は小康状態が続くと思っていた。だが、見通しは外れた。イラン通貨の急速な下落が引き金で抗議活動が始まったのは昨年12月28日、それが体制変換を迫る動乱にまで発展する可能性があるという。イラン国民の多くが現体制には批判的で、政権も一枚岩ではないらしい。そこにイスラエルや米国などの外部勢力がいろいろな形で介入し、先行きは不透明である。

 外務省は一昨日(2022年1月11日)、イランの危険レベルを2から3に引き上げた。今後の情勢を注視していくしかない。私の老体が動くうちにイラン旅行が実現することを期待しているが。

イランの深層にはペルシア帝国がある2026年01月15日

『ペルシア帝国(世界の歴史 9)』(足利惇氏/講談社/1977.7)
 イラン旅行準備で『イランを知るための65章』に続いて次の歴史概説書を読んだ。

 『ペルシア帝国(世界の歴史 9)』(足利惇氏/講談社/1977.7)

 本書を読んでいる途中でイラン旅行中止が決まったが、読みかけた本なのでそのまま読了した。

 約半世紀前に出た講談社版『世界の歴史』(全25巻)の1冊である。著者は足利尊氏の末裔で日本のイラン学の泰斗・足利惇氏(1901-1983年)である。私は高校生のとき(1965年頃)に読んだ何かの座談会でこの人の名を知った。戦前の少年時代、歴史の授業で足利尊氏が登場する前、教師に呼ばれて「君の先祖の尊氏を逆臣として語るが悪く思わないように」と言われたそうだ。記憶に残る話だった。

 最近になって、その足利惇氏がイラン学の学者だったと知った。著者への興味から、イラン史勉強の一環として本書を読もうと思い、古書で入手した。足利惇氏は昭和天皇と同い年の学友で、本書が出たとき76歳だった。

 本書は、アーリア民族の移動や文明の形成から、アケメネス朝ペルシア、ヘレニズム時代、アルケサス朝パルティアを経てササン朝ペルシアに至る歴史を概説している。私は2年前、本書と同じ時代と地域を扱った新書『ペルシア帝国』(青木健)を読んでいるが、その内容はほとんど蒸発している。本書を読んでいても、未知の地名や人名が頻出し、読み進めるのに時間を要した。

 パルティアの王子といわれた仏教僧・安世高という人物も本書で初めて知った。弟に位を譲って出家し、後漢の洛陽に赴いて仏教経典を漢訳したそうだ。仏教がパルティアにまで広がっていたことに驚いた。

 1973年にイランで建国2500年の祭典がキュロス2世(大王)の墓前で行われたという話にも驚いた。アケメネス朝のキュロス2世(大王)はマッサゲタイの女王の軍との戦いで戦死する(前530年)。その墓は、かつてアレクサンドロスも参拝したと言われている。1973年は、イラン革命前のパフラヴィー国王の時代だ。イランの建国をアケメネス朝としていたようだ。イスラムとは別のイランのナショナリズムを感じる。現在はどうなっているのだろうか。

 イランがイスラムになる直前までを記述した本書は、イスラム化した後もイランの伝統は継続したと強調している。ササン朝滅亡に関しては次のように述べている。

 「しかし、イラン人は、ササン王朝の滅亡と古代宗教の喪失のいかんにかかわらず、依然として存在し、古来から基本的に伝わる民族精神は死滅することなかった。そして文化の面においても、バグダードのイスラム政権下のものからしだいに離脱独立し、近代ペルシアの絢爛たる文化を開花させていった。」