眉村卓の老境作品に老人力を感じた2025年12月07日

『夕焼けのかなたへ』(眉村卓/双葉文庫/2017.12)、『歳月パラパラ』(眉村卓/出版芸術社/2014.7)
 眉村卓の生前最後の短篇集とエッセイ集を読んだ。『筒井康隆自伝』を契機に日本SF第1世代へ思いを馳せ、読みたくなったのだ。

 『夕焼けのかなた』(眉村卓/双葉文庫/2017.12)
 『歳月パラパラ』(眉村卓/出版芸術社/2014.7)

 眉村卓は2019年11月3日、84歳で逝った。その日私は彼の長編『カルタゴの運命』を読了した。フシギな暗合に慄然とした。逝去後に遺作長編『その果てを知らず』が出版されたが、生前に出た最後の本が上記2冊だと思う。前者が短篇集、後者はエッセイ集だが、両者の印象は混ざり合う。

 晩年の眉村卓の小説はエッセイのようであり、小説はエッセイのようだ。自分の脳内に浮かぶ世界のアレコレをのびのびと描く老人力を感じる。コレデイイノダという気ままな脱力という形の力量である。

 この二冊には懐旧の空気が色濃く流れている。旧友や駅が多く登場する。それは現実の旧友や駅ではなく、ひとときの異世界に誘う扉である。幻の旧友と幻の駅は老境の景色にマッチする。

 短篇小説では「峠」、エッセイでは「『燃える傾斜』を書いた頃」が印象に残った。

 「峠」は、80歳の老作家が会社員時代に短期間過ごした町を訪ねる追憶譚である。追憶に、あり得たかもしれない別の自分が重なる。齢を重ねた誰もが抱く心境である。

 「『燃える傾斜』を書いた頃」を読んでいると、私が『燃える傾斜』を読んだ60年ほど前(高校時代だ)の記憶がよみがえり、追憶を共有しているような気分になった。『燃える傾斜』は、眉村卓が会社員時代に発表したデビュー作である。このエッセイでは、SFマガジン編集長の福島正実がこの作品について「彼はまだまだ、うんとまだまだですよ」と語った、と述べている。

 福島正実のコメントは私も憶えている。エッセイには「PR雑誌か何か」とあるが、正確には「別冊宝石」(1964年3月)の座談会での発言である。石川喬司が「眉村卓が去年『燃える傾斜』という力作を出しました。」と述べ、それに応えた福島正実は「眉村氏の場合は、つまり作品の完成度としてまだまだ、たいへんにまだまだだと思うのです。(…)あの作品はまだまだSFマニアのものであっても、SFというジャーナリズムに受けいれられたジャンルの小説ではない、と。そういう感じが僕はするわけなんですがね。」と発言している。

 私が『燃える傾斜』を読んだのは「別冊宝石」を読んだ後だった。福島発言を追認する気分で読んだように思う。しかし、記憶に残る作品になった。