『黄金のビザンティン帝国』で多少の知識整理2022年12月04日

『黄金のビザンティン帝国:文明の十字路の1100年』(ミシェル・カプラン/井上浩一監修/知の再発見双書/創元社)
 目下、ビザンツ帝国がマイブーム、次の本も読んだ。

 『黄金のビザンティン帝国:文明の十字路の1100年』(ミシェル・カプラン/井上浩一監修/知の再発見双書/創元社)

 創元社のこの翻訳双書は図版中心のコンパクトな作りで、短時間で楽しく読了できるのが有難い。

 本書を読んで、「キリスト教帝国」と「ギリシア哲学の継承」という相反する事象を両立させたビザンティン帝国の不思議をあらためて感じた。ギリシア哲学はキリスト教的ではないので、ユスティニアヌス(6世紀)はアテナイの学院を閉鎖する。しかし、10-11世紀になるとギリシア哲学研究が復活し、ギリシア哲学の保持・継承がビザンティン帝国の大きな特徴になるのだ。

 本書はビザンツ帝国の商業や農業をやや詳しく解説している。それは、驕れる帝国の失敗の歴史でもある。国際都市コンスタンティノープルは東西の商人が集まる交易都市として栄えるが、交易の主導権はヴェネチア人などに奪われていく。ビザンティンの貴族が職人や商人を蔑視し、豊かな市民層をエリート層に吸収できなかったからである。

 農業に関しては、西ヨーロッパやイスラム世界では時代が進むとともに農業の生産性が上がったのに、ビザンティン世界では1100年の間、農業の生産性は変わらなかった。初期には先進的だったビザンティン農業は10世紀には遅れたものになった。貴族中心の都市型の国家だったからだろうか。

 「ローマ帝国」と自称するビザンティン帝国は中華思想の帝国であり、コンスタンティノープルは周辺の国々が憧れる「世界の中心」だった。しかし、繁栄した中央がやがては周辺勢力に追い抜かれ、ついには敗れる――普遍的に繰り返される構図のように思える。

 本書で初めて知ったトリビアルな知識もある。宮殿の「黄金の広間」「主謁見場」を表す「クリュソトリクリノス」の意味である。ギリシア語で「クリュソ」は「黄金」、「トリクリノス」は「古代ローマ人が横臥して食事する寝椅子を備えた食堂」で、この言葉は「黄金の横臥食卓部屋」という意味になる――ということは別の本で知った。なぜこんな命名をしたか不思議だった。

 本書によれば「皇帝はキリストを演じようとし、最後の晩餐を真似て、宮殿の宴の間(クリュソトリクリノス)の祝宴に12人の会食者を招いた」そうだ。謁見の広間を「キリスト主催の最後の晩餐の場」に重ねたので「黄金の横臥食卓部屋」と呼ばれたわけである。

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