鴻上尚史演出の『日本人のへそ』を観た ― 2022年12月08日
東京芸術劇場シアターウエストで『日本人のへそ』(作:井上ひさし、演出:鴻上尚史、出演:小沢道成、小野川晶、久ヶ沢徹、鷺沼恵美子、他)を観た。「虚構の劇団 解散公演」と銘打った公演である。私は、鴻上尚史氏の舞台を観たことがない。「虚構の劇団」は15年前、若手に育成のために立ち上げた劇団らしい。解散なら最後の機会ではないかと思い、劇場に足を運んだ。
『日本人のへそ』は井上ひさしの初期作品である。私は昨年3月、この芝居を初めて観た(演出:栗山民也、出演:井上芳雄、小池栄子他)。着想てんこ盛りのエネルギーあふれる舞台だった。
あらためてこの作品を観て、井上ひさしが若さの勢いでものした壮大なコントのような芝居だと感じた。ミュージカルの要素が多いコメディである。メッセージ性もある。
この芝居で最も印象に残るのは、ヘレンと呼ばれる女性の半生記である。それは、東北の寒村から集団就職で上京した少女が、クリーニング屋勤めからスタートしてストリッパーを経て政界の大物の東京夫人へ登りつめていく物語である。ただし、これは劇中劇である。上演するのは吃音者たち、吃音治療のための上演という構図になっている。
吃音治療劇とその劇中の物語という枠組みが面白いが、その枠組みが輻輳していく展開がミソである。観客は、舞台上の役者は単に役を演じているのか、役を演じる役を演じているのか、どこまでが虚構なのか、こんがらがってくる。芝居が終わっても、そこもまた芝居の中、という状況がくり返されると、「この世は舞台、人はみな役者」という感慨がわいてくる。
以前に観たとき、この芝居のラストは芝居の冒頭に戻っていると思っていたが、よく考えると、そうではなく、劇中劇の構図が変化していたと気づいた。
観劇後、『日本人のへそ』というタイトルについて考えてみた。芝居に「日本人のへそ」という言葉は出てこない。舞台上で晒されるストリッパーたちのへそを示しているのだろか。劇中歌で「日本のボス」という言葉がくり返し歌われる。「日本のボス」は最終的には天皇を示しているように見える。それが「へそ」かもしれない。
『日本人のへそ』は井上ひさしの初期作品である。私は昨年3月、この芝居を初めて観た(演出:栗山民也、出演:井上芳雄、小池栄子他)。着想てんこ盛りのエネルギーあふれる舞台だった。
あらためてこの作品を観て、井上ひさしが若さの勢いでものした壮大なコントのような芝居だと感じた。ミュージカルの要素が多いコメディである。メッセージ性もある。
この芝居で最も印象に残るのは、ヘレンと呼ばれる女性の半生記である。それは、東北の寒村から集団就職で上京した少女が、クリーニング屋勤めからスタートしてストリッパーを経て政界の大物の東京夫人へ登りつめていく物語である。ただし、これは劇中劇である。上演するのは吃音者たち、吃音治療のための上演という構図になっている。
吃音治療劇とその劇中の物語という枠組みが面白いが、その枠組みが輻輳していく展開がミソである。観客は、舞台上の役者は単に役を演じているのか、役を演じる役を演じているのか、どこまでが虚構なのか、こんがらがってくる。芝居が終わっても、そこもまた芝居の中、という状況がくり返されると、「この世は舞台、人はみな役者」という感慨がわいてくる。
以前に観たとき、この芝居のラストは芝居の冒頭に戻っていると思っていたが、よく考えると、そうではなく、劇中劇の構図が変化していたと気づいた。
観劇後、『日本人のへそ』というタイトルについて考えてみた。芝居に「日本人のへそ」という言葉は出てこない。舞台上で晒されるストリッパーたちのへそを示しているのだろか。劇中歌で「日本のボス」という言葉がくり返し歌われる。「日本のボス」は最終的には天皇を示しているように見える。それが「へそ」かもしれない。

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