『供述によるとペレイラは……』は文体で読ませる小説だ ― 2022年12月22日
次の翻訳小説を一気読みした。
『供述によるとペレイラは……』(アントニオ・タブッキ/白水Uブックス/須賀敦子訳/白水社)
先日(2022.12.14)の日経夕刊で歴史家・藤原辰史氏が本書を「まあ。騙されたと思って読んでくれへん。キーンと冷え切った文体がたまらん。読後の余韻がまたいいねん」と似非関西弁(自称)で紹介していた。素直な私は、騙されたつもりで本書を読んだ。いい小説だった。
タブッキは私には未知のイタリアの作家だ。原著が出たのは1994年、1996年には訳書刊行、白水Uブックスに収録されて以降も版を重ねているようだ。藤原氏が指摘している通り須賀敦子の流麗な訳文が見事である。もちろん、原著の文章がよさを映しているのだと思うが。
舞台はポルトガル、時代は1938年、第二次大戦前夜である。隣国スペインで共和国政府とフランコの内戦が始まって2年目、前年にはゲルニカ空爆もあった。
主人公ペレイラ(ポルトガル人)は大新聞の社会部記者から小さな新聞の文芸部長に転身した年配の新聞記者、妻に先立たれて一人暮らしである。その主人公が、自分の息子世代の若者(イタリア系ポルトガル人)を契約記者として雇おうとするシーンから物語は始まる。
当時のポルトガル政府はフランコ支持でフランスとは対立していたようだ。そんな時代の体制派の新聞で働く年配記者の内面と行動を描いた小説である。比較的シンプルなストーリーだが、叙述が独特だ。
全編が「供述によるとペレイラは……と語っている」という表現で進行する。まるで調書だ。だが、ペレイラの細やかな内面にまで立ち入っているのが不自然である。神の視点での記述にも感じられる。ペレイラが自分自身に対して供述しているようにも思える。不思議な気分になる叙述だ。文体がプロットを超えた小説だと思った。
この小説には、ドーデの『最後の授業』が出てくる。『最後の授業』はナショナリズム鼓吹の要素が強く、いろいろ問題があると読んだことがある。本書でも、愛国主義的な重要アイテムとして登場する。だから、後段になって『最後の授業』を相対化する展開になるのではと期待した。だが、そんな逸脱はなかった。
『供述によるとペレイラは……』(アントニオ・タブッキ/白水Uブックス/須賀敦子訳/白水社)
先日(2022.12.14)の日経夕刊で歴史家・藤原辰史氏が本書を「まあ。騙されたと思って読んでくれへん。キーンと冷え切った文体がたまらん。読後の余韻がまたいいねん」と似非関西弁(自称)で紹介していた。素直な私は、騙されたつもりで本書を読んだ。いい小説だった。
タブッキは私には未知のイタリアの作家だ。原著が出たのは1994年、1996年には訳書刊行、白水Uブックスに収録されて以降も版を重ねているようだ。藤原氏が指摘している通り須賀敦子の流麗な訳文が見事である。もちろん、原著の文章がよさを映しているのだと思うが。
舞台はポルトガル、時代は1938年、第二次大戦前夜である。隣国スペインで共和国政府とフランコの内戦が始まって2年目、前年にはゲルニカ空爆もあった。
主人公ペレイラ(ポルトガル人)は大新聞の社会部記者から小さな新聞の文芸部長に転身した年配の新聞記者、妻に先立たれて一人暮らしである。その主人公が、自分の息子世代の若者(イタリア系ポルトガル人)を契約記者として雇おうとするシーンから物語は始まる。
当時のポルトガル政府はフランコ支持でフランスとは対立していたようだ。そんな時代の体制派の新聞で働く年配記者の内面と行動を描いた小説である。比較的シンプルなストーリーだが、叙述が独特だ。
全編が「供述によるとペレイラは……と語っている」という表現で進行する。まるで調書だ。だが、ペレイラの細やかな内面にまで立ち入っているのが不自然である。神の視点での記述にも感じられる。ペレイラが自分自身に対して供述しているようにも思える。不思議な気分になる叙述だ。文体がプロットを超えた小説だと思った。
この小説には、ドーデの『最後の授業』が出てくる。『最後の授業』はナショナリズム鼓吹の要素が強く、いろいろ問題があると読んだことがある。本書でも、愛国主義的な重要アイテムとして登場する。だから、後段になって『最後の授業』を相対化する展開になるのではと期待した。だが、そんな逸脱はなかった。

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