中国で発禁の『ウイグル人』は民族を考える材料になる2020年08月11日

『ウイグル人』(トルグン・アルマス/東綾子/集広舎)
 中国では発禁の次の歴史書を読んだ。奇書に近い。

 『ウイグル人』(トルグン・アルマス/東綾子/集広舎)

 この本は日経新聞(2020年3月21日)の書評で知った。「身命を賭した未完の歴史書」という見出しに惹かれ、すぐにネット注文を試みたが、版元在庫切れだった。それから数ヵ月、都心の大型書店の棚を眺めていて本書を発見、すぐに購入した。2020年4月10日の2刷(1刷は2019年12月20日)である。書評が出た後に増刷したようだ。

 ウイグル人でイメージするのは、中国の新疆ウイグル自治区において中央政府から理不尽な扱いを受けている人々であり、同時に歴史書に登場する北方騎馬民族の一つである。この両者が同じか否かを森安孝夫氏が『シルクロードと唐帝国』で論じていたのが印象に残っている。だから、本書に関心を抱いた。

 本書は天安門事件から4ヵ月後の1989年10月に出版され、すぐに発禁になり、年末には書店から消えたそうだ。著者はウイグル人の作家で、2001年に77歳で亡くなっている。ウイグル人の歴史をかなり詳しく語った本だが、14世紀頃までで唐突に終わっている。天安門事件による情況悪化を見て、未完の原稿を急遽出版したらしい。

 原書はウイグル語で書かれている。本書はウイグル語からの日本語訳で、総ルビなのが異様である。日本語を勉強中の中国人(ウイグル人)を意識しているのかもしれない。訳者あとがきによれば、新疆では徹底した漢語教育がなされ、ウイグル語が話せても読み書きができない世代が生まれてきているそうだ。

 で、そもそも「ウイグル人」とは何か、という問題である。森安孝夫氏は『シルクロードと唐帝国』(初版)において「古い時代のウイグルが民族集団として活躍するのは唐帝国からモンゴル帝国(元朝)の時代までであり、それ以後ウイグルの名前はいったん消滅する」として、次のように述べている。

 「それが二十世紀前半になって東トルキスタンの政治的統一の必要に迫られた時、かつて栄光に包まれていたウイグルの名前を全体名称として採用するのである。つまり本来ウイグルではない旧カラハン朝治下のカシュガル人・コータン人までもウイグルと呼ぶようになったのであり、古代ウイグル史を専門とする私に言わせれば、こうした新ウイグルは偽ウイグルである。しかも古ウイグルはイスラム教徒(ムスリム)ではない。」

 この「偽ウイグル」という表現が、日本に留学中の現代ウイグル人の間で物議をかもし、森安氏は文庫本版ではこの表現を削除して書き直した。論旨を変えたわけではない。森安氏はウイグル人などの少数民族をすべて含めて「中華民族」をでっち上げようとしている中国の政策に批判的である。

 近代になってできた「民族」という概念で古い歴史を見ようとすると、いろいろ無理が出てくる。特に「ウイグル人」の活躍する中央アジアでは、トルコ系、モンゴル系、イラン系などの多くの部族が移動を繰り返しながら混ざり合ってきたのでややこしい。こんな世界において、近代の概念である民族のルーツを語ろうとすると、限りなくフィクションに近づく。

 本書巻末の解説で三浦小太郎氏は、平均的な日本の歴史学者の本書への見解は「著者トルグン・アルマスのウイグル・ナショナイズムに基づく主観的な歴史書であり、現在の中国政府の一方的な歴史観への抵抗としての意義はあるが、内容的には誇張や問題が多い」という結論に落ち着く、としている。

 高校世界史程度の知識しかない私に本書の評価は無理だが、それでも、あれもこれもウイグル人にしてしまうのには驚いた。8世紀頃から活躍したウイグル人はトルコ系の遊牧騎馬民である。中央アジアでは様々なトルコ系の部族が活躍しているので、著者はそれらの部族の中に多くの「ウイグル人」および「同胞民族」を見いだしているようだ。次のような記述もある。

 「ウイグル人の祖先と同胞民族は匈奴、アクフン(エフタル)、ヨーロッパ・フン、高車、突厥、ウイグル・カガン国、カラハン朝、天山ウイグル国、セルジューク朝、ガズナ朝といった世界的に有名な国家を建てた。」

 また、一般的には世界帝国を築いたモンゴルの末裔はトルコ人に同化したと言われているが、それを「ウイグル人に同化した」と表現している。

 そんな本だが、「ウイグル人」という言葉にこだわらずに読めば、トルコ化とイスラム化がキーワードの、かなり詳しい中央アジア史の本であり、勉強になる。民族や国家と歴史との関係を考える材料にもなる。

 本書はウイグル視点なので漢族を相対化しようとしているが、モンゴル征服王朝への見方が漢族視点に思えた。イスラム視点なのかもしれない。