つげ義春ワールドにはまった夏2020年08月21日

『ガロ 増刊号 つげ義春特集』(1968.6)、『ガロ 増刊号 つげ義春特集②』(1971.4)他
 猛暑の日々、つげ義春の世界に、はまってしまった。きっかけは調布の床屋である。私が行く床屋の亭主は高校時代の同級生で、読み終えた本を人に貸与する癖がある。

 先日は、つげ義春の『貧困旅行記』(新潮文庫)を手渡された。マンガではなくエッセイである。「お客さんにもらった本だからあげるよ」と言われ、ありがたく受領した。

 今年(2020年)の2月、朝日新聞の夕刊に老齢のつげ義春氏の元気そうな写真が載っていた。「つげ義春さん仏漫画特別賞」という小さな記事だった。先月の日経新聞の「春秋」は、コロナに絡めてつげ義春の「海辺の叙景」に言及していた。そんなこともあり、手渡された文庫本に食指が動いた。

 つげ義春のマンガは半世紀前の学生時代にかなり読んだ。文章を読んだ記憶はあまりない。『貧困旅行記』の冒頭の「蒸発旅日記」を読んで、つげ義春ワールドに引きずり込まれてしまった。手紙を二、三度やりとりしただけの面識のない女性をたよって九州へ旅立つ話である。結婚して住みつくつもり――に唖然とする。

 『貧困旅行記』を読み終え、学生時代に購入して今も大事に保存している『ガロ』の増刊号2冊を再読した。

 『ガロ 増刊号 つげ義春特集』(1968.6)
 『ガロ 増刊号 つげ義春特集②』(1971.4)

 1968年の増刊号の巻頭は「ねじ式」(書おろし)である。私は「ねじ式」をリアルタイムで読み、衝撃を受け、このとき「つげ義春」というマンガ家を認識した。この増刊号は12編のマンガ作品が収録されているだけでなく、つげ義春論4編、随筆3編が載っている。随筆のひとつはつげ義春自身による密航の話である。

 1971年の増刊号『つげ義春特集②』は9編のマンガ作品が収録されていて、評論などは掲載されていない。

 手元の2冊で21編のマンガを再読しただけではモノ足りなく、古書で以下の文庫本マンガ選集を購入して読んだ。

 『無能の人・日の戯れ』(つげ義春/新潮文庫)
 『義男の青春・別離』(つげ義春/新潮文庫)
 『蟻地獄・枯野の宿』(つげ義春/新潮文庫)

 この3冊で計43編が収録されている。『ガロ』増刊号との重複は2編だけだが、他にも読んだ記憶のある作品が何編かあった。つげ義春には私マンガ風の作品が多いので、つい作者自身への関心が高まる。で、次のエッセイ風文庫本も古書で入手して読んだ。

 『新版 つげ義春とぼく』(つげ義春/新潮文庫)
 『私の絵日記』(藤原マキ/ちくま文庫)

 前者は夢日記、回想記。旅行記などで構成されていて、その内容がマンガ作品と重なりあう。作者は虚実皮膜の不思議な人だと思える。

 『私の絵日記』の作者・藤原マキはつげ義春夫人で、状況劇場の初期の女優である。私が状況劇場の芝居を観始めたのは1969年12月で、藤原マキはその少し前に退団しているから、私は彼女の舞台を観たことはない。しかし、その名前は伝説の役者として知っていた。今回、つげ義春ワールドに入り込み、ネット検索で彼の妻が藤原マキと知って驚いた。

 『私の絵日記』は夫・つげ義春と息子との3人家族の日常を絵と文で綴った日記で、ほのぼのとした素朴な味わいがある。この絵日記に状況劇場時代の思い出や名残りは出てこない。意外な作風だと思った。

 藤原マキは1999年に癌で亡くなり、それ以降、つげ義春はマンガ作品を発表していない。この文庫本は藤原マキ逝去後の刊行で、巻末に「妻、藤原マキのこと」と題したつげ義春の文章(談話)が収録されている。そこで次ように語っている。

 「この絵日記では、ささやかな生活を大切にしているという雰囲気になっていますよね。でも、実際はそうでなく「非凡なぬるま湯のような生活は嫌だ、太く短く生きたい」というのが彼女の口癖でしたね。むしろ家庭に波風を立て、ぬるま湯を沸騰させたかったようでした。それは劇団にいたとき、しょっちゅう酒盛りなどの派手な雰囲気に馴染んでいたからなのでしょう。」

 亭主が作品と作者のギャップを指摘しているのである。似たようなギャップはつげ義春という作者とその作品の間にもあるように思える。