『玄宗皇帝』(伴野朗)で大唐の春を偲ぶ2020年08月06日

『玄宗皇帝』(伴野朗/徳間文庫)
 吉備真備や玄昉が留学生として過ごした唐は玄宗皇帝の時代だった。玄宗と言えば楊貴妃を連想するが、同時に中国が魅力的に輝いていた国際都市・長安のイメージも重なる。天平時代に関する本を続けて読んだ流れで、次の歴史小説を読んだ。

 『玄宗皇帝』(伴野朗/徳間文庫)

 この小説は1997年に『長安物語:光と影の皇帝玄宗』の題で刊行され、2000年の文庫化の際に改題したそうだ。

 伴野朗の小説は乱歩賞の『五十万年の死角』しか読んだことがなく、ミステリーや冒険小説の作家とのイメージが強かった。『玄宗皇帝』は楊貴妃との絡みをメインにした波乱万丈のエンタメ物語と思って読み始めたが、予想とは違った。玄宗の生きた中国を語る史談に近く、おびただしい人名と役職名が次々と登場し、随所に漢詩が挿入されていて、すらすらと読み進めるのは難しい。史実のディティールを噛みしめながら味わう、やや歯ごたえのある小説だった。

 この歴史小説は玄宗の生涯を描いているが、玄宗周辺の人物だけでなく、同時代に生きた李白、杜甫、白居易、阿部仲麻呂、鑑真なども登場し、時代の様相を点描していくスタイルになっている。その意味で元のタイトル『長安物語』の方が内容に合っていると思えた。

 玄宗は27歳で即位し、その治世は44年に及び、77歳で没する。本書のプロローグは死の床にある孤独な玄宗が、亡き楊貴妃を想いながら昏睡していく場面である。玄宗が臥せっている宮殿の外は春たけなわである。作者は次のように描いている。

 「――長安の春。それは、彼が築いた絢爛たる大唐の春であった。」

 印象的な表現だ。玄宗の没したとき、すでに唐は衰退期に入っていることを想えば、なおさらである。
 
 本書の前半約三分の一は、玄宗の即位までの話で、この部分の主人公は、かの則天武后(玄宗の祖母)である。あの凄まじい女帝の時代を生き抜いて台頭していく玄宗(当時は李隆基)を描いたこの部分が私には最も面白かった。

 物語の中盤、玄宗が息子の妃だった楊貴妃を自分のものにする際、玄宗が民の声を慮って悩むシーンも面白い。玄宗は唐王朝が遊牧民である鮮卑の血を引くことを意識していて、「子の妻妾を取り上げるとは、いかにも遊牧民だ」と見られるのを気にしているのである。

 小説の終盤は安史の乱で、安禄山がクローズアップされる。安禄山が胡人と突厥の混血であることは明示しているが、乱の動機を安禄山の楊貴妃への思慕としている。近年の学界では、この反乱を中央ユーラシア史の観点で捉え「早すぎた征服王朝」とみなしているらしい。20年前のこの歴史小説にそんな視点が反映されていないのは、いたしかたない。

 いずれ、本書の漢詩紹介の部分だけでもじっくりと読み返してみたい。