コロナ時代の芝居はどんな具合か、確認したくて……2020年08月01日

 新コロナ感染者が拡大している本日(2020.8.1)、やや後ろめたく思いつつ、パルコ劇場で上演中の『大地』(作・演出:三谷幸喜、出演:大泉洋、山本耕史、他)を観た。
 
 この芝居、Social distancing Version と謳い、コロナ対策に万全を期していると報道されている。演劇には大逆風のこの時代に上演される芝居がどんなものか、それを目撃するチャンスはいましかない、と思ったのである。家族の制止を振り切って土曜日の渋谷に出かけた。

 劇場に足を運ぶのは、2月24日に国立小劇場で文楽を観て以来、約半年ぶりである。3月から5月にかけて4回の観劇(『タルチェフ/無名塾/サンシャイン劇場』『三月大歌舞伎・昼の部・夜の部/歌舞伎座』『普通の人々/劇団青い鳥/「劇」小劇場』『少女仮面/一糸座/ザ・スズナリ』)を予定していたが、すべてが公演中止になった。

 パルコ劇場は、入場時に靴底と手を消毒、検温もあった。ロビーに制服の看護師が二人待機しているのは、少し芝居がかっている。座席は一人おきの半分である。前後左右に人がいないと、隣の席に荷物を置くことができ、ゆったりした気分で観劇できる。

 もちろん観客はマスク着用だが、役者はマスクなどは着けてない。ソーシャル・ディスタンスを意識した演出になっているらしいが、不自然さは感じなかった。不自然がむしろ自然に見えるのが芝居である。

 三谷幸喜の芝居を観るのは初めてだ。不思議な設定の芝居である。ある独裁国家の収容所に入れられた役者たちの話で、コメディの要素も盛り込まれているが、苦い味もある。意外にオーソドックスな構えの芝居だと思った。

 冒頭とラストで、三谷幸喜のアナウンスが流れる。カーテン・コールが一通り終わった終演時のアナウンスは「これ以上拍手をしても役者は出て来ません。観客のみなさんは速やかに帰ってください」という主旨で、確かに Social distancing Version だと感じた。

岡山文庫の『吉備真備の世界』は読みやすくて面白い2020年08月03日

『吉備真備の世界』(中山薫/岡山文庫/日本文教出版/2001.2)
 私は岡山県出身なので「岡山文庫」は昔から知っている。岡山の出版社(岡山県教職員組合の外郭団体)が刊行している岡山テーマの文庫である。この「岡山文庫」に吉備真備に関する本があると知り、さっさく入手して読んだ。

 『吉備真備の世界』(中山薫/岡山文庫/日本文教出版/2001.2)

 この本がめっぽう面白く、勉強になった。コンパクトだが濃い。私としては吉備真備本の決定版である。

 私は、吉備真備が岡山ゆかりの人物だから関心があるのではない。遣唐使船で玄昉とともに平城京に来た胡人(ソグド人)を描いた松本清張の小説『眩人』を 読んだのを契機に、玄昉と行動をともにしていた吉備真備が気がかりな存在になったのである。

 本書の著者は県立高校に38年間勤務したのち、岡山大学の非常勤講師を務めた研究者である。吉備真備ゆかりの真備町在住で、真備町教育委員長も務めたそうだ。本書は偏狭な郷土贔屓目線の偉人伝などではない。全国区レベルあるいは世界史レベルで冷静に吉備真備を描いている。

 一般向けの本なので読みやすくてわかりやすい。しかも、かなり深い。読みやすいのは、引用史料を現代文に読み下しているからである。その点について、著者は「あとがき」で次のように述べている。

 「読み下しには、筆者の独断的解釈を避けるように努めたが、読み下し自体、筆者の解釈が入るものである。出来れば原典に当たり、筆者の読み下し文そのものも批判的にお読みいただければ筆者にとって、この上ない幸いである。」

 好感のもてる述懐で、「原典に当たり」という語句に著者の思いが感じられる。著者は本書において、研究者たちが「原典に当たる」ことを怠って孫引きなどで「誤り」を拡散させている状況を憂いているからである。

 本書の直前に人物叢書の『吉備真備』(宮田俊彦)を読んでいたのは正解だった。著者・中山薫氏は『吉備真備』(宮田俊彦)を「現在、吉備真備研究では最も権威ある著作」として、宮田氏の見解を随所で紹介している。だが全般的には、中山氏は宮田氏に批判的である(宮田氏は本書刊行以前に没している)。宮田氏の記述の誤りをいくつか指摘し、宮田氏の見解への異論も展開している。そんな箇所を興味深く読めたのは、宮田氏と中山氏の著作を続けて読んだからである。

 宮田氏の見解への中山氏の異論の一つは、大宰府に左遷された真備が遣唐副使に任命された理由である。宮田氏は、高齢の真備が船旅で発病することを期する藤原仲麻呂の下心があったのでは、と推測している。中山氏は、この遣唐使には重要な任務があったため、仲麻呂は余人をもって代えがたい真備を「しぶしぶ追加任命した」のでは、と推測している。

 また、大宰府の真備が70歳にして造東大寺長官として都に復帰(復権)した件について、この人事を決めた人物を、宮田氏は孝謙天皇とし、中山氏は藤原仲麻呂としている。宮田氏の見解は常識的で理解しやすい。中山氏の見解は、仲麻呂が真備を取り込もうとして都に呼び戻したが、上洛した真備は政界の底流を見て仲麻呂に与することの危険を察した、というものである。

 私は門外漢なので研究者たちの見解を評価することはできない。だが、本書を読む限りでは著者・中山氏の見解に説得力を感じた。

 本書は史料をベースに真備の生涯を検討しているだけでなく、史実とは別物の説話や伝説も史料として紹介し、後世、真備がどう見られてきたかを辿っていて、この部分も面白い。著者自身は真備の人物評には控えめだが、折々の真備の心情を推測した表現があり、おのずと真備の人物像が浮かび上がってくる。

 本書の「はしがき」では、真備が留学した時代の長安にはキリスト教(ネストリウス派)、ゾロアスター教、マニ教などが存在したと紹介し、真備は国際都市・長安で政治、経済、文化、人間の多様性を学んだはずだと推測している。非常に興味深い話で、この推測に呼応した本文の展開を期待したが、残念ながら、それはなかった。直接史料が存在しないからだろう。

『玄宗皇帝』(伴野朗)で大唐の春を偲ぶ2020年08月06日

『玄宗皇帝』(伴野朗/徳間文庫)
 吉備真備や玄昉が留学生として過ごした唐は玄宗皇帝の時代だった。玄宗と言えば楊貴妃を連想するが、同時に中国が魅力的に輝いていた国際都市・長安のイメージも重なる。天平時代に関する本を続けて読んだ流れで、次の歴史小説を読んだ。

 『玄宗皇帝』(伴野朗/徳間文庫)

 この小説は1997年に『長安物語:光と影の皇帝玄宗』の題で刊行され、2000年の文庫化の際に改題したそうだ。

 伴野朗の小説は乱歩賞の『五十万年の死角』しか読んだことがなく、ミステリーや冒険小説の作家とのイメージが強かった。『玄宗皇帝』は楊貴妃との絡みをメインにした波乱万丈のエンタメ物語と思って読み始めたが、予想とは違った。玄宗の生きた中国を語る史談に近く、おびただしい人名と役職名が次々と登場し、随所に漢詩が挿入されていて、すらすらと読み進めるのは難しい。史実のディティールを噛みしめながら味わう、やや歯ごたえのある小説だった。

 この歴史小説は玄宗の生涯を描いているが、玄宗周辺の人物だけでなく、同時代に生きた李白、杜甫、白居易、阿部仲麻呂、鑑真なども登場し、時代の様相を点描していくスタイルになっている。その意味で元のタイトル『長安物語』の方が内容に合っていると思えた。

 玄宗は27歳で即位し、その治世は44年に及び、77歳で没する。本書のプロローグは死の床にある孤独な玄宗が、亡き楊貴妃を想いながら昏睡していく場面である。玄宗が臥せっている宮殿の外は春たけなわである。作者は次のように描いている。

 「――長安の春。それは、彼が築いた絢爛たる大唐の春であった。」

 印象的な表現だ。玄宗の没したとき、すでに唐は衰退期に入っていることを想えば、なおさらである。
 
 本書の前半約三分の一は、玄宗の即位までの話で、この部分の主人公は、かの則天武后(玄宗の祖母)である。あの凄まじい女帝の時代を生き抜いて台頭していく玄宗(当時は李隆基)を描いたこの部分が私には最も面白かった。

 物語の中盤、玄宗が息子の妃だった楊貴妃を自分のものにする際、玄宗が民の声を慮って悩むシーンも面白い。玄宗は唐王朝が遊牧民である鮮卑の血を引くことを意識していて、「子の妻妾を取り上げるとは、いかにも遊牧民だ」と見られるのを気にしているのである。

 小説の終盤は安史の乱で、安禄山がクローズアップされる。安禄山が胡人と突厥の混血であることは明示しているが、乱の動機を安禄山の楊貴妃への思慕としている。近年の学界では、この反乱を中央ユーラシア史の観点で捉え「早すぎた征服王朝」とみなしているらしい。20年前のこの歴史小説にそんな視点が反映されていないのは、いたしかたない。

 いずれ、本書の漢詩紹介の部分だけでもじっくりと読み返してみたい。

96歳で逝去した外山滋比古氏は手品師のような文章家2020年08月07日

朝日新聞記事、『伝達の美学:「受け手」の可能性』(外山滋比古/三省堂/1973.3)
 外山滋比古氏が96歳で亡くなった。多くの本を書いた人である。わが書架には外山氏の著書が13冊並んでいる。その多くは四十代の頃(20年以上昔)に続けて読んだもので、読後感はぼやけて融合している。だが、二十代のはじめに読んだ次の本の印象は鮮明に残っている。

 『伝達の美学:「受け手」の可能性』(外山滋比古/三省堂/1973.3)

 これは、私が初めて読んだ外山氏の著作で、私にとっては「思い出の本」である。
 
 当時(1974年)、私は会社員だった。入社2年目の私に「新聞広告に関する20枚の論文を書け」との業務命令があった。業界団体の懸賞論文に若手が順繰りで応募させられるのである。「情報産業」という言葉に眩さがあった時代で、学生気分を多少引きずっていた私は、少し背伸びして俄か仕込みで情報環境論の文献をあさり、それをベースに論文をデッチ上げようとした。しかし、頭の中は混迷を深めるばかりで一向にまとまらない。

 そんな時に出会ったのが『伝達の美学』である。本書を読んで、一気に目の前が開け、私の書きたいことが見えた。おかげで、本書を援用して何とか論文を仕上げることができた。選考結果は「佳作」というギリギリのお情け点だった。

 本書は、情報の「受け手」の創造性に着目し、近代文化が経験するこのなかった受け手社会が出現する可能性を論じている。外山氏の語り口は平明で明快だが、その論旨は易しくはない。私も十全に理解できたわけではない。

 後日、外山氏の初期の著者『近代読者論』『修辞的残像』などを読み、『伝達の美学』の背景にある思想を知ったが、それでもやはり難しい。250万部のベストセラー『思考の整理学』にしても、すらすらと読めるエッセイでありながら、かなり抽象度の高い難解な本に思える。

 外山氏は、かなり難しい抽象的な事を平明・軽妙に語ることができる手品師のような文章家だったと思う。

中国で発禁の『ウイグル人』は民族を考える材料になる2020年08月11日

『ウイグル人』(トルグン・アルマス/東綾子/集広舎)
 中国では発禁の次の歴史書を読んだ。奇書に近い。

 『ウイグル人』(トルグン・アルマス/東綾子/集広舎)

 この本は日経新聞(2020年3月21日)の書評で知った。「身命を賭した未完の歴史書」という見出しに惹かれ、すぐにネット注文を試みたが、版元在庫切れだった。それから数ヵ月、都心の大型書店の棚を眺めていて本書を発見、すぐに購入した。2020年4月10日の2刷(1刷は2019年12月20日)である。書評が出た後に増刷したようだ。

 ウイグル人でイメージするのは、中国の新疆ウイグル自治区において中央政府から理不尽な扱いを受けている人々であり、同時に歴史書に登場する北方騎馬民族の一つである。この両者が同じか否かを森安孝夫氏が『シルクロードと唐帝国』で論じていたのが印象に残っている。だから、本書に関心を抱いた。

 本書は天安門事件から4ヵ月後の1989年10月に出版され、すぐに発禁になり、年末には書店から消えたそうだ。著者はウイグル人の作家で、2001年に77歳で亡くなっている。ウイグル人の歴史をかなり詳しく語った本だが、14世紀頃までで唐突に終わっている。天安門事件による情況悪化を見て、未完の原稿を急遽出版したらしい。

 原書はウイグル語で書かれている。本書はウイグル語からの日本語訳で、総ルビなのが異様である。日本語を勉強中の中国人(ウイグル人)を意識しているのかもしれない。訳者あとがきによれば、新疆では徹底した漢語教育がなされ、ウイグル語が話せても読み書きができない世代が生まれてきているそうだ。

 で、そもそも「ウイグル人」とは何か、という問題である。森安孝夫氏は『シルクロードと唐帝国』(初版)において「古い時代のウイグルが民族集団として活躍するのは唐帝国からモンゴル帝国(元朝)の時代までであり、それ以後ウイグルの名前はいったん消滅する」として、次のように述べている。

 「それが二十世紀前半になって東トルキスタンの政治的統一の必要に迫られた時、かつて栄光に包まれていたウイグルの名前を全体名称として採用するのである。つまり本来ウイグルではない旧カラハン朝治下のカシュガル人・コータン人までもウイグルと呼ぶようになったのであり、古代ウイグル史を専門とする私に言わせれば、こうした新ウイグルは偽ウイグルである。しかも古ウイグルはイスラム教徒(ムスリム)ではない。」

 この「偽ウイグル」という表現が、日本に留学中の現代ウイグル人の間で物議をかもし、森安氏は文庫本版ではこの表現を削除して書き直した。論旨を変えたわけではない。森安氏はウイグル人などの少数民族をすべて含めて「中華民族」をでっち上げようとしている中国の政策に批判的である。

 近代になってできた「民族」という概念で古い歴史を見ようとすると、いろいろ無理が出てくる。特に「ウイグル人」の活躍する中央アジアでは、トルコ系、モンゴル系、イラン系などの多くの部族が移動を繰り返しながら混ざり合ってきたのでややこしい。こんな世界において、近代の概念である民族のルーツを語ろうとすると、限りなくフィクションに近づく。

 本書巻末の解説で三浦小太郎氏は、平均的な日本の歴史学者の本書への見解は「著者トルグン・アルマスのウイグル・ナショナイズムに基づく主観的な歴史書であり、現在の中国政府の一方的な歴史観への抵抗としての意義はあるが、内容的には誇張や問題が多い」という結論に落ち着く、としている。

 高校世界史程度の知識しかない私に本書の評価は無理だが、それでも、あれもこれもウイグル人にしてしまうのには驚いた。8世紀頃から活躍したウイグル人はトルコ系の遊牧騎馬民である。中央アジアでは様々なトルコ系の部族が活躍しているので、著者はそれらの部族の中に多くの「ウイグル人」および「同胞民族」を見いだしているようだ。次のような記述もある。

 「ウイグル人の祖先と同胞民族は匈奴、アクフン(エフタル)、ヨーロッパ・フン、高車、突厥、ウイグル・カガン国、カラハン朝、天山ウイグル国、セルジューク朝、ガズナ朝といった世界的に有名な国家を建てた。」

 また、一般的には世界帝国を築いたモンゴルの末裔はトルコ人に同化したと言われているが、それを「ウイグル人に同化した」と表現している。

 そんな本だが、「ウイグル人」という言葉にこだわらずに読めば、トルコ化とイスラム化がキーワードの、かなり詳しい中央アジア史の本であり、勉強になる。民族や国家と歴史との関係を考える材料にもなる。

 本書はウイグル視点なので漢族を相対化しようとしているが、モンゴル征服王朝への見方が漢族視点に思えた。イスラム視点なのかもしれない。

複雑な内陸アジア史をコンパクトに復習2020年08月13日

『内陸アジア(地域からの世界史 6)』(間野英二・中見立夫・堀直・小松久男/朝日新聞社/1992.7)
 トルグン・アルマスの 『ウイグル人』 は、思いっきりウイグル人視点の中央アジア史で、あれもこれもウイグル人になっていた。歴史の見方はそれぞれだろうが、一般的な見方の確認を兼ねて中央アジア史をおさらいしておこうと思い、次の本を読んだ。

 『内陸アジア(地域からの世界史 6)』(間野英二・中見立夫・堀直・小松久男/朝日新聞社/1992.7)

 古代から現代までの内陸アジア史を約200ページで概説したコンパクトな歴史書である。かなり以前に入手して未読だった。4人の研究者による共著で、「18世紀まで」と「19世紀以降」の2部に分かれている。全体の7割に近い「Ⅰ 紀元前から18世紀まで」は間野英二氏が執筆している。

 昨年の夏、間野氏の 『中央アジアの歴史』 『バーブル:ムガル帝国の創設者』 を読んだが、その内容がおぼろになってきてたので、本書が復習になった。

 第1部で、この地域の歴史は草原の遊牧民とオアシス都市の定住民との対立と相互依存が絡み合った歴史であり、トルコ化とイスラーム化という大きな流れがあることを再認識した。もちろん、ウイグル人も大きなウエイトを占めている。チンギス・ハーンの登場に関して、次のように記述している。

 「9世紀におけるウイグル王国(744-840)の崩壊後、実におよそ350年という長い年月を経て、モンゴリアに、ふたたびひとりのハーンが支配する強力な遊牧国家が誕生したのである。」

 19世紀以降を記述した第2部は「モンゴルとチベット」「中国と内陸アジア」「ロシア・ソ連と内陸アジア」の地域別になっていて、3人の執筆者がそれぞれの地域の19世紀以降の歴史を概説している。私はこの地域の現代史はほとんど知らなかったので、勉強になった。

 なぜモンゴルが独立できてチベットは独立できなかったのか、新疆ウイグル自治区はどのようにしてできたのか、中央アジアの五つの国(カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギス)の産業や国境ができる経緯など、興味深い問題がいろいろ提示されている。

 「現代のウイグル」については、1934-35年頃から公用されはじめ定着していった民族名とし、次のように述べている。

 「トルコ系言語を使い、オアシスに定住し、イスラーム教徒であって、清朝以来の中国領に住んでいる、あるいは住んでいた人びとがウイグル族とされた。要するに中国支配の下のトルコ系イスラーム教徒定住民がウイグル人となったわけで、民族が国境によって創られたということができる。」

 本書はソ連崩壊の翌年(1992年)の発行なので、それ以降に発生したタジキスタン内戦などは語られていない。それにしても、清朝末期とロシア帝政の19世紀から現代までの約200年、大国のはざまの内陸アジア地域の情況変転は目まぐるしい。この地域に限ったことではないが……

中央ユーラシアのエネルギーが歴史を動かした2020年08月16日

『宋と中央ユーラシア(世界の歴史7)』(伊原弘・梅村坦/中央公論社)
 頭の中でゴチャゴチャしている中央アジア史の整理のため『内陸アジア』(間野英二・他)に続いて次の歴史概説書を読んだ。

 『宋と中央ユーラシア(世界の歴史7)』(伊原弘・梅村坦/中央公論社)

 第1部「宋と高麗」を伊原弘氏、第2部「中央ユーラシアのエネルギー」を梅村坦氏が執筆している。私の当面の関心は中央アジア史なので、後半の第2部を読むだけでいいかとも思ったが、1冊の本にまとまっているのだから第1部をふまえての第2部だろうと考え直し、頭から読んだ。

 第1部を読み始めてすぐ、これは一定の知識がある人を対象にしたエッセイに近いと気づき、大急ぎで高校世界史参考書の宋の部分に目を通し、そのうえで第1部にとりかかった。

 第1部の語り口は独特である。宋の歴史の解説・説明というよりは、宋の歴史をどう見るかを論じたエッセイに近い。見解への疑義や研究課題の提示もあり、想定読者は史学科の学生レベルに思える。私はついて行くのがしんどく、少し面食らたが、慣れてくると高級座談を拝聴している気分になり、それなりに楽しめた。

 宋は読書人(士大夫)の時代だそうだが、そんな時代を語るのに呼応した叙述に思えてきた。

 第2部「中央ユーラシアのエネルギー」は記述対象を絞り込むことによって全体の見晴らしがよくなる歴史概説である。わかりやすく、勉強になった。

 昨年の夏、間野英二氏の 『中央アジアの歴史』 に続いて梅村坦氏の 『内陸アジア史の展開』 を読んだが、はからずも今夏も間野氏の著作(『内陸アジア』)に続けて梅村氏の本書を読む巡り合わせになった。

 第2部は宋(南宋も含む)の時代(10世紀~13世紀)に、宋の周囲で活躍した4つの遊牧民の国をメインに叙述している。その4つとは天山ウイグル王国、キタン=遼、ジュシェン=金、タングート=西夏である。宋を含めて5つの国(人間集団)の絡み合いと興亡を、中央ユーラシア全域を見渡す視野と、唐の時代からフビライの時代までを見通す時間スパンで眺めている。

 中央ユーラシアを視座に「中華」を相対化した歴史の見方を提示するのが本書の眼目で、中央ユーラシアのエネルギーによって歴史が動くさま描いている。

 終章は「現代からの視点」というタイトルでいくつかの課題を提示している。20世紀になって復活したウイグルの「民族」名称についても論じている。15世紀以降にウイグルというアイデンティティが徐々に消えていった原因を分析したうえで、著者は次のように述べている。

 「新疆の現在のウイグル人たちにとって、自民族の歴史は一貫していなければならないものであろう。たとえ各種「民族」集団の混交などがあっても、また確たる証拠が少なくても、遠い過去へ、学問的に立証されているよりも前の時代にまでさかのぼって自民族の歴史を認識しようとする傾向がある。それは、ときに民族分裂主義と中国政府当局から批判されながらも、現代のの民族のアイデンティティを求めようとして潜在しつづける。わかりやすい例としてウイグルをみたが、「民族」の問題が、それにかぎったことではないことは、いうまでもない。」

 まことに、近代が生み出した「民族」とはやっかいなものである。

つげ義春ワールドにはまった夏2020年08月21日

『ガロ 増刊号 つげ義春特集』(1968.6)、『ガロ 増刊号 つげ義春特集②』(1971.4)他
 猛暑の日々、つげ義春の世界に、はまってしまった。きっかけは調布の床屋である。私が行く床屋の亭主は高校時代の同級生で、読み終えた本を人に貸与する癖がある。

 先日は、つげ義春の『貧困旅行記』(新潮文庫)を手渡された。マンガではなくエッセイである。「お客さんにもらった本だからあげるよ」と言われ、ありがたく受領した。

 今年(2020年)の2月、朝日新聞の夕刊に老齢のつげ義春氏の元気そうな写真が載っていた。「つげ義春さん仏漫画特別賞」という小さな記事だった。先月の日経新聞の「春秋」は、コロナに絡めてつげ義春の「海辺の叙景」に言及していた。そんなこともあり、手渡された文庫本に食指が動いた。

 つげ義春のマンガは半世紀前の学生時代にかなり読んだ。文章を読んだ記憶はあまりない。『貧困旅行記』の冒頭の「蒸発旅日記」を読んで、つげ義春ワールドに引きずり込まれてしまった。手紙を二、三度やりとりしただけの面識のない女性をたよって九州へ旅立つ話である。結婚して住みつくつもり――に唖然とする。

 『貧困旅行記』を読み終え、学生時代に購入して今も大事に保存している『ガロ』の増刊号2冊を再読した。

 『ガロ 増刊号 つげ義春特集』(1968.6)
 『ガロ 増刊号 つげ義春特集②』(1971.4)

 1968年の増刊号の巻頭は「ねじ式」(書おろし)である。私は「ねじ式」をリアルタイムで読み、衝撃を受け、このとき「つげ義春」というマンガ家を認識した。この増刊号は12編のマンガ作品が収録されているだけでなく、つげ義春論4編、随筆3編が載っている。随筆のひとつはつげ義春自身による密航の話である。

 1971年の増刊号『つげ義春特集②』は9編のマンガ作品が収録されていて、評論などは掲載されていない。

 手元の2冊で21編のマンガを再読しただけではモノ足りなく、古書で以下の文庫本マンガ選集を購入して読んだ。

 『無能の人・日の戯れ』(つげ義春/新潮文庫)
 『義男の青春・別離』(つげ義春/新潮文庫)
 『蟻地獄・枯野の宿』(つげ義春/新潮文庫)

 この3冊で計43編が収録されている。『ガロ』増刊号との重複は2編だけだが、他にも読んだ記憶のある作品が何編かあった。つげ義春には私マンガ風の作品が多いので、つい作者自身への関心が高まる。で、次のエッセイ風文庫本も古書で入手して読んだ。

 『新版 つげ義春とぼく』(つげ義春/新潮文庫)
 『私の絵日記』(藤原マキ/ちくま文庫)

 前者は夢日記、回想記。旅行記などで構成されていて、その内容がマンガ作品と重なりあう。作者は虚実皮膜の不思議な人だと思える。

 『私の絵日記』の作者・藤原マキはつげ義春夫人で、状況劇場の初期の女優である。私が状況劇場の芝居を観始めたのは1969年12月で、藤原マキはその少し前に退団しているから、私は彼女の舞台を観たことはない。しかし、その名前は伝説の役者として知っていた。今回、つげ義春ワールドに入り込み、ネット検索で彼の妻が藤原マキと知って驚いた。

 『私の絵日記』は夫・つげ義春と息子との3人家族の日常を絵と文で綴った日記で、ほのぼのとした素朴な味わいがある。この絵日記に状況劇場時代の思い出や名残りは出てこない。意外な作風だと思った。

 藤原マキは1999年に癌で亡くなり、それ以降、つげ義春はマンガ作品を発表していない。この文庫本は藤原マキ逝去後の刊行で、巻末に「妻、藤原マキのこと」と題したつげ義春の文章(談話)が収録されている。そこで次ように語っている。

 「この絵日記では、ささやかな生活を大切にしているという雰囲気になっていますよね。でも、実際はそうでなく「非凡なぬるま湯のような生活は嫌だ、太く短く生きたい」というのが彼女の口癖でしたね。むしろ家庭に波風を立て、ぬるま湯を沸騰させたかったようでした。それは劇団にいたとき、しょっちゅう酒盛りなどの派手な雰囲気に馴染んでいたからなのでしょう。」

 亭主が作品と作者のギャップを指摘しているのである。似たようなギャップはつげ義春という作者とその作品の間にもあるように思える。

ビジュアルブック『つげ義春:夢と旅の世界』を堪能2020年08月23日

『つげ義春:夢と旅の世界』(つげ義春・山下裕二・戌井昭人・東村アキコ/	とんぼの本/新潮社)
 つげ義春がクセになり、新潮社のビジュアルブック・シリーズ「とんぼの本」の『つげ義春』を読んだ。

 『つげ義春:夢と旅の世界』(つげ義春・山下裕二・戌井昭人・東村アキコ/ とんぼの本/新潮社)

 「ねじ式」「紅い花」「ゲンセンカン主人」の原画(作者蔵)を全ページ収録し、他にも印象的なコマを多く掲載している。つげ義春の旅写真や風景画と共にインタビュー、解説記事、年譜などで構成したビジュアルな本である。

 つげ義春のインタビュー記事が興味深かった。精神科に長く通っていたのは、医師が出した薬のせいで、通院をやめて薬をやめたら治ったという話は、真実はどうであれ、面白い自己認識の逸話だ。音楽はバッハ以前のクラシック、文学は私小説という趣味は、いかにもつげ義春風である。

 つげ義春は白土三平や水木しげるなどの「ガロ」に近い人だが、若い頃に手塚治虫や赤塚不二夫との交流もあったそうだ。次のように語っている。

 「トキワ荘には、まだ赤塚さんたちが入られる前、手塚(治虫)さんが一人で住んでおられた時に訪ねたこともありました。マンガ家になろうと思い立ち、原稿料がいくらくらいか訊きに行ったんですが、きちんと対応してくれて、親切でしたよ。」

 「若い時は赤塚さんと親しくしていたんですよ。(…)まだ(赤塚が)デビュー前で、トキワ荘に移ってからも、彼だけがなかなか芽が出ないんですね。ぼくがトキワ荘を訪ねても、相手をしてくれるのは、赤塚さんくらいでした。」

 手塚治虫の話は「生活者」つげ義春をほうふつさせる。赤塚不二夫との交流を知って、赤塚不二夫が何かの雑誌に「ねじ式」のパロディ「バカ式」を描いていたのを思い出した。ラストのコマは「このネジを締めると、ぼくはタリラリラーンとなるのです」だった。あれは旧友へのオマージュだったのかと思った。念のためにネットで調べると「バカ式」は長谷邦夫の作品で「ねじ式」「天才バカボン」を混合したパロディだった。おのれの記憶のいいかげんさをあらためて知った。

 また、このインタビューで自身のマンガについて次のようにも述べている。

 「私小説風にすると、自分のことも適当に入れるので実話のように誤解されることがよくありますね。」

 つげワールドは、マンガもエッセイも現実の世界から妙にズレた異世界を描いている。架空の実話なのである。

『草原とオアシス』(山田信夫)で中央ユーラシア史のややこしさ再認識2020年08月25日

『草原とオアシス(ビジュアル版世界の歴史10)』(山田信夫/講談社)
『ウイグル人』(トルグン・アルマス) を読んだのがきっかけで中央アジア史・中央ユーラシア史の概説書を2冊読んだ。この際、未読で積んである関連本をかたづけようという気分になり、まず次の本を読んだ。  『草原とオアシス(ビジュアル版世界の歴史10)』(山田信夫/講談社)

 先日読んだ 『宋と中央ユーラシア(世界の歴史7)』 で梅村坦氏は、本書の著者・山田信夫氏の天山ウイグル国に関する興味深い文書研究(仏教僧侶養子)を紹介していた。

 本書は中央ユーラシアの草原地域とオアシス地域の歴史を、匈奴・スキタイが活躍する紀元前の時代から清とロシアが進出してくる19世紀まで概説している。1985年刊行なので、中央アジアの国々がソ連の一部だった時代の本である。

 「ビジュアル版世界の歴史」という叢書は、全ページの半分以上が写真、地図、図表などで、本文は各ページの半分以下である。本文の量が少ないので短時間で読めそうに思えるが、そうでもない。写真や図表の説明文をきちんと読んでいくと、意外に時間がかかる。これらは必ずしも本文に連動した挿絵や註釈ではなく、独立したコラムに近い。本文で触れていない踏み込んだ話題も多い。不明な事項を用語集などで確認して咀嚼しようとすると時間を要するのである。

 私の頭の中にある中央ユーラシア史の知識を整理するつもりで読み始めたが、新たな知見が多く、大いに勉強になった。わが頭に残っているものの少なさを確認したということでもある。

 この地域の人々は、氏族や部族などの人間集団を形成し、それが連合したり支配したり支配されたりしながら、あちらこちらに移動する。地名と部族名と国名の関係がゴチャゴチャになりやすい。人間集団を整理して考えるには〇〇系(トルコ系、モンゴル系、チベット系、イラン系…)、〇〇部族、〇〇人、〇〇国などの関係を把握しなければならないが、それが容易でない――本書を読んで、それをあらためて認識した。本書の説明が丁寧だからである。

 それにしても、広大な地域の地図が時間軸で多様に変化するさまを把握するには、頭の中に3次元の地図年表を構成する必要がある。この地域の部族や国は単に移動するだけでなく、分離や連合をくり返し、重なり合う(支配・被支配、同化・混合など)ことも多い。呼び名も他称・自称・総称などが複合するのでややこしい。整理して理解するのは容易ではない。

 本書の用語はやや特殊に思えた。中国人はテュルクを突厥と書いたと指摘したうえで、552年(現在のトルコ共和国が民族上の建国の年とした年)創建の突厥をテュルク国と表記し、その後の分裂でできた西突厥はオンオクと表記している。南突厥は南突厥である。中国との距離感での使い分けだろうか。

 一般にウイグル国と呼ばれている国はトクズオグズ国(トクズは九)と呼んでいる。トルコ系の部族連合の国で、ウイグルはその中の一部族なので、あえてトクズオグズ国と呼んでいるようだ。

 と言って、ウイグル族を軽視しているのではない。甘州ウイグル王国の子孫たちは元、明の時代にも少数民族として存在したと指摘しているし、天山ウイグル王国はカルル国、カラハンを経て現代につながっているとし、次のように述べ江いる。

 「元朝の支配下に置かれてからも、この国を形成したトルコ系民族は畏吾児すなわちウイグルの名のもとで先進文明国人として活躍していた。そしてその後も民族として衰えることはなく、それが現在のウイグル人につながっていることは、いうまでもない。」

 現代のウイグル人と古代ウイグルに断絶があるという見方ではない。