井上靖の西域短篇『楼蘭』を読んだ2021年11月17日

『楼蘭』(井上靖/新潮文庫)
 私にとって井上靖は遠い記憶の中の作家だ。半世紀以上昔の中学・高校時代に読んだいくつかの小説に感銘を受けたが、その後は関心外の作家だった。齢を重ねてシルクロード史に関心を抱くようになり、井上靖の「西域モノ」が気がかりになり未読の『楼蘭』を読んだ。

 『楼蘭』(井上靖/新潮文庫)

 本書は12篇の短篇集である。『楼蘭』は『敦煌』のような長編小説ではなく50頁ほどの短篇である。いまや敦煌は人々が押しよせる観光地になっているらしいが、タクラマカン砂漠に埋もれた楼蘭はいまだに秘境であり、ロマンあふれる謎を秘めている。

 短篇『楼蘭』はエッセイ風の叙事詩的年代記で、古代人が波乱万丈を繰り広げる物語ではない。結末部では1500年周期で移動するヘディンの「さまよえる湖」に言及し、悠久の時間を超えて現代と古代をつなでいる。「さまよえる湖」に魅せられていた高校生の頃にこの小説を読んでいれば、うっとりと感動したと思う。だが、「さまよえる湖」が否定されている現在の読後感は多少しらける。でも、楼蘭や鄯善に関する具体的なイメージを紡ぐことができた。

 この短篇集で不意打ちだったのは『異域の人』である。私はこの短篇を高校1年の時に読んでいる。自発的に読んだのではない。古典の授業中に若い教師が「井上靖の『異域の人』は最後の文章がいい」と語ったので、角川文庫の薄い短篇集『異域の人』を買って読んだのである。その短篇のラストの「むなしさ」の印象はかすかに残っている。だが、小説の内容はまったく失念している。(あの教師は、後に国立劇場研究員を経て千葉大教授になった、高名な歌舞伎研究者・服部幸雄先生である)

 今回、半世紀以上を経て『異域の人』を再読し、この小説が班超の話だとあらためて知った。高校1年のときにこの小説をどう読んだかの記憶は全くよみがえってこない。当時、班超の名を知っていたはずがない。背伸びし無理して読んだのだろう。ラストの印象は半世紀以上昔とさはど変わらない。この半世紀が長いようにも短いようにも思える。

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