シャーロック・ホームズ全編読み返し第3弾(終) ― 2024年05月01日
先月から始めたシャーロック・ホームズ全9冊読み返し計画、第1弾の初期3冊、脂の乗った中期3冊に続いて次の後期3冊を読了し、全60編読み返しを完了した。
『恐怖の谷』(コナン・ドイル/日暮雅道訳/光文社文庫)
『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』(コナン・ドイル/日暮雅道訳/光文社文庫)
『シャーロック・ホームズの事件簿』(コナン・ドイル/日暮雅道訳/光文社文庫)
『恐怖の谷』は長編、『…最後の挨拶』は短編7編、『…事件簿』は短編12編だ。いずれも昔読んだ作品のはずだが、ほとんどの内容を失念していて、初読と同じようなワクワク・ドキドキ読書だった。
長編『恐怖の谷』は『緋色の研究』『四つの署名』と似た二部構成で、前半で事件は一応解決し、後半は事件の元にになった過去の物語になる。『恐怖の谷』は一部だけでなく二部にも謎解きの要素があり、独立した二つの面白い小説を読んだ気分になる。だがその分、前半と後半の繋がりがやや希薄に感じられる。
あらためて気づいたのは『恐怖の谷』がモリアーティ教授絡みの話になっている点だ。モリアーティが登場するのは『最後の事件』と『空き家の冒険』だけと思っていたが、『恐怖の谷』は『最後の事件』以前の時代設定で、物語の背後にモリアーティの影がある。やや無理にモリアーティに言及しているようにも感じるが、犯罪界のナポレオンの実在性を強調したいドイルの工夫だろう。
『…最後の挨拶』と『…事件簿』には「まえがき」がついている。前者はワトソン、後者はドイルによるものだ。昔読んだ新潮文庫版に「まえがき」はなかった。トクした気分になった。
大半の短編の内容は失念していたが『瀕死の探偵』だけはよく憶えていた。小学生の時に初めて読んだホームス物だからである。講談社の『少年少女世界文学全集』には『緋色の研究』と『瀕死の探偵』が収録されていて、この2編が私のホームズ初体験だった。最も昔に読んだものが最も印象深く残っているという記憶のメカニズムの不思議を感じた。
『…最後の挨拶』の末尾の短編『最後の挨拶』には「シャーロック・ホームズのエピローグ」のサブタイトルが付いている。ワトソンの語りではなく三人称の短編だ。時代は第一次大戦直前、高齢者になったホームズとワトソンが往年を彷彿とさせる活躍をする。愛国プロパガンダ的物語で、ホームズが別れの挨拶をするわけではない。
ドイルは『…最後の挨拶』で打ち止めのつもりだったのかもしれないが、その後も『…事件簿』に収録される短編を書き続ける。この短編集にはホームズが語る物語が2編、三人称の物語が1編ある。
ホームス物60編を読み返し、中学生時代にホームズの短編集を読みふけって夜更かしした記憶がよみがえってきた。今晩はここでやめようと思いつつ、次の短編も読みたくなり、睡眠時間が短くなっていった。75歳になって読み返しても、やはり似たような読書体験になった。ドイルのストーリー・テラーとしての力量を再認識した。
『恐怖の谷』(コナン・ドイル/日暮雅道訳/光文社文庫)
『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』(コナン・ドイル/日暮雅道訳/光文社文庫)
『シャーロック・ホームズの事件簿』(コナン・ドイル/日暮雅道訳/光文社文庫)
『恐怖の谷』は長編、『…最後の挨拶』は短編7編、『…事件簿』は短編12編だ。いずれも昔読んだ作品のはずだが、ほとんどの内容を失念していて、初読と同じようなワクワク・ドキドキ読書だった。
長編『恐怖の谷』は『緋色の研究』『四つの署名』と似た二部構成で、前半で事件は一応解決し、後半は事件の元にになった過去の物語になる。『恐怖の谷』は一部だけでなく二部にも謎解きの要素があり、独立した二つの面白い小説を読んだ気分になる。だがその分、前半と後半の繋がりがやや希薄に感じられる。
あらためて気づいたのは『恐怖の谷』がモリアーティ教授絡みの話になっている点だ。モリアーティが登場するのは『最後の事件』と『空き家の冒険』だけと思っていたが、『恐怖の谷』は『最後の事件』以前の時代設定で、物語の背後にモリアーティの影がある。やや無理にモリアーティに言及しているようにも感じるが、犯罪界のナポレオンの実在性を強調したいドイルの工夫だろう。
『…最後の挨拶』と『…事件簿』には「まえがき」がついている。前者はワトソン、後者はドイルによるものだ。昔読んだ新潮文庫版に「まえがき」はなかった。トクした気分になった。
大半の短編の内容は失念していたが『瀕死の探偵』だけはよく憶えていた。小学生の時に初めて読んだホームス物だからである。講談社の『少年少女世界文学全集』には『緋色の研究』と『瀕死の探偵』が収録されていて、この2編が私のホームズ初体験だった。最も昔に読んだものが最も印象深く残っているという記憶のメカニズムの不思議を感じた。
『…最後の挨拶』の末尾の短編『最後の挨拶』には「シャーロック・ホームズのエピローグ」のサブタイトルが付いている。ワトソンの語りではなく三人称の短編だ。時代は第一次大戦直前、高齢者になったホームズとワトソンが往年を彷彿とさせる活躍をする。愛国プロパガンダ的物語で、ホームズが別れの挨拶をするわけではない。
ドイルは『…最後の挨拶』で打ち止めのつもりだったのかもしれないが、その後も『…事件簿』に収録される短編を書き続ける。この短編集にはホームズが語る物語が2編、三人称の物語が1編ある。
ホームス物60編を読み返し、中学生時代にホームズの短編集を読みふけって夜更かしした記憶がよみがえってきた。今晩はここでやめようと思いつつ、次の短編も読みたくなり、睡眠時間が短くなっていった。75歳になって読み返しても、やはり似たような読書体験になった。ドイルのストーリー・テラーとしての力量を再認識した。
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