ギリシア悲劇をアレンジした『テーバイ』2024年11月12日

 新国立劇場小劇場で『テーバイ』(原作:ソポクレス、構成・上演台本・演出:船岩祐太、出演:植本純米、今井昭彦、他)を観た。

 ソポクレスのギリシア悲劇三作品「オイディプス王」「コロノスのオイディプス」「アンティゴネ」を一本に再構成した芝居である。

 私は「オイディプス王」を2回観ている。4年前の海老蔵(当時)の『オイディプス』と昨年の三浦涼介の『オイディプス王』である。海老蔵のオイディプスは背広姿で、設定は感染症で閉ざされた近未来都市だった。三浦涼介のオイディプスはかなりオーソドックスでギリシア悲劇の雰囲気を味わえた。

 因縁物語の原型のような「オイディプス王」は何度観ても楽しめる芝居である。他のギリシア悲劇は戯曲を読んだだけで舞台を観たことはない。ソポクレスの現存戯曲は7編だけで、文庫本1冊に収められている。4年前に読んだが、すでに記憶は朧だ。今回の『テーバイ』を観る前に上演台本の元になる3編を読み返した。これらの作品に限らずギリシア悲劇の多くは、作者のオリジナル創作というよりは伝承の再構成である。だから、同じ人物があちこちに登場する。

 「オイディプス王」は、スフィンクスを倒してテーバイの王となったオディプスが、自分が殺したのが実の父、結婚相手が実の母と知って絶望する話である。母は首を吊り、オイディプスは自ら両目を潰し、自身をテーバイから追放する。

 「コロノスのオイディプス」はその後日譚である。盲目のオイディプスは娘アンティゴネに手を引かれ、各地をさまよった末にアテネ郊外のコロノスにたどり着き、その地で生涯を終える。

 「アンティゴネ」はさらなる後日譚だ。オイディプス後、テーバイを統治するオイディプスの二人の息子は諍いによる相打ちで二人とも死ぬ。王妃の弟クレオンが王になり、オイディプスの息子兄弟の弟は埋葬するが兄の埋葬を禁ずる。反逆者と見なしたからである。しかし、妹(オイディプスの娘)アンティゴネは禁を破って兄を埋葬しようとし、クレオンの怒りを買う、という話である。

 「コロノスのオイディプス」と「アンティゴネ」は戯曲を読んでもさほど面白くはない。いまいち納得しがたいのだ。だが、今回の再構成作品『テーバイ』は、三作品をテンポのいい一つの舞台(2時間40分。休憩15分を含む)にまとめている。結果的にクレオンが軸になり、統治の悲劇が繰り返される物語という形で、何となく納得させられた。

 開演時間前から芝居を始める趣向は面白い。客席の照明がまだ灯っていて、携帯電話オフの注意アナウンスが流れる中で、舞台には俳優が登場し、台詞のないプロローグのような場面を演じ始める。なしくずし的に劇中に誘われていく。

 舞台装置や衣装は古代ギリシアでなく現代風である。オイディプスの王宮は19世紀頃の植民地インド総督府のオフィスのような雰囲気だ。オイディプスは白いスーツ姿で、彼が発する布告は傍らの秘書がカシャカシャとタイプライターに打ち込む。

 王宮オフィス以外の舞台はシンプルで抽象的だ。台詞はソポクレスをそのまま使用している。コロスはなく、わかりやすい対話のストレートプレイになっている。ギリシア悲劇の骨格の普遍性を表現するアレンジである。

 王宮オフィス舞台の正面には大扉があり、多くの役者はそこから出入りする。外界のニュースも大きなノック音とともにその扉からもたらされる。王宮オフィスが世界から孤絶した空間のようにも感じられた。

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