これぞ、ギリシア悲劇――『オイディプス王』2023年07月11日

 パルテノン多摩大ホールでソポクレスの『オイディプス王』(翻訳:河合祥一郎、演出:石丸さち子、出演:三浦涼介、大空ゆうひ、荒木宏文、他)を観た。

 多摩センターにあるこの劇場に初めて行った。パルテノン(万神殿)なる名の劇場はギリシア悲劇にマッチしている。劇場のしつらえも何となくギリシア劇場風である。

 2500年前に書かれたギリシア悲劇の堂々たる迫力と普遍的な面白さを堪能した。2500年という時間が溶解し、古代人も現代人も感性や理性はさほど変わらないと気づかされる。なるほど、ギリシア悲劇とはこんな舞台だったのか――そんな感慨がわいた。

 私が初めて『オイディプス王』を観たのは3年前(コロナ禍前)のシアターコクーンの公演だった。その観劇にあわせて、ソポクレスの戯曲も読んだ。あの公演(翻案・演出:マシュー・ダンスター、主演:市川海老蔵)は、やや奇をてらった趣向だった。舞台は疫病禍の外界から隔離された現代(近未来?)都市、オイディプスは背広姿、使者はヘリコプターでやって来る。いま思えば、新型コロナを予感させる舞台だった。

 半世紀以上昔、『オイディプス王』をベースにした映画『アポロンの地獄』(監督:パゾリーニ)や『薔薇の葬列』(監督:松本俊夫)なども観た。あまりに有名なオイディプス王の話は多様な形で記憶に刻まれている。だが、いわゆるギリシア悲劇の舞台は刻まれてなかった。今回の舞台で、初めてギリシア悲劇をイメージできた。

 ギリシア悲劇にはコロス(合唱隊)が登場し、朗々と感情や情景を歌いあげる。戯曲を読んでいても、コロスの部分を具体的にイメージできなかった。3年前の舞台のコロスは舞踏中心だったので、本当のコロスとは違うのだろうと思った。

 今回の舞台のコロスは16人(舞踏家と俳優が半々)だ。テーバイの市民としての集団演技に存在感があった。皆で歌うのかと思っていたが、いわゆる合唱ではなく、集団での台詞朗誦だった。朗誦は聞き取りやすく、臨場感もある。古代のコロスがどんな趣向だったかは知らないが、コロスの一形態を把むことができた。これからは、ギリシア悲劇の戯曲を読むとき、コロスの部分も具体的イメージを抱いて読めそうだ。

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