半世紀経って『悲しき熱帯』をやっと読了 ― 2024年11月14日
先月、レヴィ=ストロースの『野生の思考』を読み、消化不良だったので構造主義の入門書に目を通した。そして、やはり『悲しき熱帯』から読むべきだったと反省した。
『悲しき熱帯』を収録した中央公論の『世界の名著 59』が出たのは1967年7月だ。そのころ大学生だった私は、当時よく耳にした「構造主義」を知るための必読書だろうと思って本書を入手した。だが、冒頭で挫折した。
それから半世紀以上も本棚の奥に眠っていた本書を、ついに読了した。
『悲しき熱帯』(レヴィ=ストロース/川田順造訳/世界の名著 59/中央公論社)
本書は抄訳である。全9部のうちの5部だけを訳している。川田順造氏による全訳が出るのは、本書刊行の10年後である。
抄訳ではあるが、本書巻頭にはレヴィ=ストロースが寄せた「日本の読者へのメッセージ」が載っている。日本への関心が深く、後年、何度も来日にすることになるレヴィ=ストロースは、このメッセージの時点ではまだ来日を果たしていない。
ブラジルでの調査旅行の記録でもある本書の書き出しは「私は旅と探検家がきらいだ。」である。著者の屈折した心情が伝わってくる。本書は報告書というよりは回想録に近い。
レヴィ=ストロースがブラジル奥地の現地調査をしたのは1930年代後半である。その後、フランスに帰国するが、1940年にナチスがパリを占領しヴィシー政権になる。ユダヤ人のレヴィ=ストロースはマルセイユから脱出して米国に亡命する。その時の様子を冒頭に記述した本書の刊行は1955年である。十数年前の事柄を鳥の眼と虫の眼で叙述した著作だ。
第1部のタイトルは「旅の終わり」、第2部のタイトルは「旅の断章」である。この冒頭部分は文学的かつ省察的である。味わい深いとも言える。半世紀前の学生の私は、それを消化できずに挫折したのだと思う。
『悲しき熱帯』というタイトルが何を意味しているかは、本書を読み終えれば自ずと見えてくる。
著者の研究対象である先住民族インディオは、白人がもたらした伝染病で多くが死に絶え、集団の縮小と新たにもたらされた文物によって、その文化は変貌しつつある。
コーヒー農園などは肥沃な土地を荒廃させながら移動していく。そのさまを著者は、強奪に似た農業が土地を凌辱・破壊すると表現している。先日読んだばかりの『砂糖の世界史』や『コーヒーが廻り世界史が廻る』を想起した。
文学的表現に長けた著者は、眼前の光景を絵画に例えたりする。それがアンリ・ルソーやイヴ・タンギーの絵画なのが面白い。ルソーは素朴な想像力で異国の異様な景色を描いた画家であり、イヴ・タンギーはシュルレアリスム絵画だ。現実の情景を眺めながら、そこに非現実的・超現実的な幻想絵画を重ねる著者の知力は尋常ではない。構造主義の奥義を垣間見たような気がした。
本書における著者の眼差しと探究心は魅力的である。この抄訳を読了した私は、全訳を読むべきか否か迷っている。
『悲しき熱帯』を収録した中央公論の『世界の名著 59』が出たのは1967年7月だ。そのころ大学生だった私は、当時よく耳にした「構造主義」を知るための必読書だろうと思って本書を入手した。だが、冒頭で挫折した。
それから半世紀以上も本棚の奥に眠っていた本書を、ついに読了した。
『悲しき熱帯』(レヴィ=ストロース/川田順造訳/世界の名著 59/中央公論社)
本書は抄訳である。全9部のうちの5部だけを訳している。川田順造氏による全訳が出るのは、本書刊行の10年後である。
抄訳ではあるが、本書巻頭にはレヴィ=ストロースが寄せた「日本の読者へのメッセージ」が載っている。日本への関心が深く、後年、何度も来日にすることになるレヴィ=ストロースは、このメッセージの時点ではまだ来日を果たしていない。
ブラジルでの調査旅行の記録でもある本書の書き出しは「私は旅と探検家がきらいだ。」である。著者の屈折した心情が伝わってくる。本書は報告書というよりは回想録に近い。
レヴィ=ストロースがブラジル奥地の現地調査をしたのは1930年代後半である。その後、フランスに帰国するが、1940年にナチスがパリを占領しヴィシー政権になる。ユダヤ人のレヴィ=ストロースはマルセイユから脱出して米国に亡命する。その時の様子を冒頭に記述した本書の刊行は1955年である。十数年前の事柄を鳥の眼と虫の眼で叙述した著作だ。
第1部のタイトルは「旅の終わり」、第2部のタイトルは「旅の断章」である。この冒頭部分は文学的かつ省察的である。味わい深いとも言える。半世紀前の学生の私は、それを消化できずに挫折したのだと思う。
『悲しき熱帯』というタイトルが何を意味しているかは、本書を読み終えれば自ずと見えてくる。
著者の研究対象である先住民族インディオは、白人がもたらした伝染病で多くが死に絶え、集団の縮小と新たにもたらされた文物によって、その文化は変貌しつつある。
コーヒー農園などは肥沃な土地を荒廃させながら移動していく。そのさまを著者は、強奪に似た農業が土地を凌辱・破壊すると表現している。先日読んだばかりの『砂糖の世界史』や『コーヒーが廻り世界史が廻る』を想起した。
文学的表現に長けた著者は、眼前の光景を絵画に例えたりする。それがアンリ・ルソーやイヴ・タンギーの絵画なのが面白い。ルソーは素朴な想像力で異国の異様な景色を描いた画家であり、イヴ・タンギーはシュルレアリスム絵画だ。現実の情景を眺めながら、そこに非現実的・超現実的な幻想絵画を重ねる著者の知力は尋常ではない。構造主義の奥義を垣間見たような気がした。
本書における著者の眼差しと探究心は魅力的である。この抄訳を読了した私は、全訳を読むべきか否か迷っている。
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