やっと三人吉三を舞台で観た ― 2024年11月09日
十一月歌舞伎座特別公演を観た。11月恒例の顔見世ではなく、「ようこそ歌舞伎座へ」と題した新観客開拓をめざした特別公演である。冒頭、映像による歌舞伎座の舞台裏紹介や入門的イベントがあり、面白かった。続く演し物は若手役者中心の『三人吉三巴白浪』と『石橋(しゃっきょう)』である。客席には高校生や外国人観光客の団体が目立った。
私の目当ては『三人吉三巴白浪』だ。私は、まだ歌舞伎で「三人吉三」を観たことがなく、観劇の機会を窺っていたのである。
「三人吉三」を知ったのは約60年前の中学生の頃だ。1963年、橋幸夫の「お嬢吉三」が大ヒットし、テレビやラジオで繰り返し流れた。当時、橋幸夫は大スターだった。私は橋幸夫の青春歌謡は好んで聴いたが、股旅モノは苦手だった。「お嬢吉三」も好みではなかった。古臭いと思った。しかし、なぜか耳に馴染み、歌詞も自然に頭に残ってしまった。お嬢吉三が何者かを知らないままに、その名前は記憶に刻まれた。
いま「お嬢吉三」を聴き返すと、軽快でいい曲である。歌詞の調子もいい。最後まで聴くと、お嬢吉三・お坊吉三・和尚吉三の三人が順番に登場し、頭の中に芝居の情景が浮かんでくる。
三人吉三がどんな話か確認するため、歌舞伎台本『三人吉三廓初買』(河竹黙阿弥)を読んだのは6年前だ。しかし、観劇の機会がないまま月日が過ぎた。
今回の公演は「大川端庚申塚の場」のみである。七五調の名調子「月も朧に白魚の篝も霞む春の空」で始まり三人が出会う、という最も有名な場だ。和尚吉三が中心の三角形の見得を観ると、歌舞伎を観たという気分になり、それだけで満足した。
それにしても、夜鷹を川に突き落として「やれ可哀そうなことをした」と言いつつも「こいつあ春から縁起がいいわえ」とは、非道い話である。死をもてあそぶような舞台に「痴呆の芸術」(谷崎潤一郎)という言葉を想起した。痴呆が芸術にとどまっている限りは結構なことなのだが。
私の目当ては『三人吉三巴白浪』だ。私は、まだ歌舞伎で「三人吉三」を観たことがなく、観劇の機会を窺っていたのである。
「三人吉三」を知ったのは約60年前の中学生の頃だ。1963年、橋幸夫の「お嬢吉三」が大ヒットし、テレビやラジオで繰り返し流れた。当時、橋幸夫は大スターだった。私は橋幸夫の青春歌謡は好んで聴いたが、股旅モノは苦手だった。「お嬢吉三」も好みではなかった。古臭いと思った。しかし、なぜか耳に馴染み、歌詞も自然に頭に残ってしまった。お嬢吉三が何者かを知らないままに、その名前は記憶に刻まれた。
いま「お嬢吉三」を聴き返すと、軽快でいい曲である。歌詞の調子もいい。最後まで聴くと、お嬢吉三・お坊吉三・和尚吉三の三人が順番に登場し、頭の中に芝居の情景が浮かんでくる。
三人吉三がどんな話か確認するため、歌舞伎台本『三人吉三廓初買』(河竹黙阿弥)を読んだのは6年前だ。しかし、観劇の機会がないまま月日が過ぎた。
今回の公演は「大川端庚申塚の場」のみである。七五調の名調子「月も朧に白魚の篝も霞む春の空」で始まり三人が出会う、という最も有名な場だ。和尚吉三が中心の三角形の見得を観ると、歌舞伎を観たという気分になり、それだけで満足した。
それにしても、夜鷹を川に突き落として「やれ可哀そうなことをした」と言いつつも「こいつあ春から縁起がいいわえ」とは、非道い話である。死をもてあそぶような舞台に「痴呆の芸術」(谷崎潤一郎)という言葉を想起した。痴呆が芸術にとどまっている限りは結構なことなのだが。
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