『オットー大帝』は期待以上に面白い新書だった2023年11月01日

『オットー大帝:辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ』(三佐川亮宏/中公新書/2023.8)
 『オットー大帝:辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ』(三佐川亮宏/中公新書/2023.8)

 書店の新刊新書の棚で本書を見かけ、思わず手にした。最近読んだ『図説ハンガリーの歴史』の冒頭、西欧に侵攻したマジャール人をレヒフェルトの戦いで敗ったのがオットー1世(大帝)だ。昨年夏からマイブームのビザンツ関連の本にもチョコッと登場する。元々は未知の人物だったが、少しだけ知っている――そんな人物が1冊の新書になっているのが意外だった。

 手にした新書をパラパラとめくり、オットー大帝についてこれほど詳しく知る必要はなかろうと、一旦は書棚に戻した。しかし、何故か惹かれるものがあり、とうとう購入してしまった。

 読み始めると思いのほか面白い。西欧中世は私の頭の中では霞がかかった世界だが、その霞が少し晴れた気がする。カール大帝のフランク王国が分裂して現在のフランス、ドイツ、イタリアの元になっていくなかで、フランク人とゲルマン人はどんな関係だったのか、本書によってそれが見えてきた。

 オットー大帝(高校世界史ではオットー1世の表記が多い)はザクセンの大公でフランク人ではないが、東フランクの国王となる。さらにはイタリア国王にもなり、教皇から皇帝の帝冠を受け、神聖ローマ帝国の樹立者になる。在位は936年から973年、「暗黒の世紀」と言われる10世紀の人である。「暗黒の世紀」と呼ばれるのは、乱世のために歴史書があまり残されていないからである。

 本書から、西欧がかなり野蛮だった中世前期の様子をうかがえて面白い。王家の親子や兄弟が謀反と和解を繰り返し、教皇やローマ人は皇帝への裏切と謝罪を繰り返す。おちおちとした時間を過ごせないそんな状態が人間集団の本性に思えてくる。

 本書で私が最も興味をもったのはクレモナの司教リウトプランドという人物である。

 リウトプランドはフランク王国の使者としてコンスタンティノープルを2回訪問している。ビザンツ史の本には彼の報告書の引用が多い。使者としての成果をあげられなかったこともあり、彼はビザンツを悪しざまに書いている。『生き残ったビザンティン』は彼が憂さ晴らしに作った「ギリシア人を信じるな」という詩を紹介している。今日まで続くビザンツの低評価にはリウトプランドの報告が反映されているとの説もある。

 そのリウトプランドはオットー大帝の時代の歴史叙述家であり、本書にはその引用が多い。また、リウトプランド本人については「強烈な自己顕示欲に満ち、溢れんばかりの教養と修辞技巧をこれ見よがしに誇示する、中世前期において他に類を見ないほどに個性的な人物である」と評価している。

 ビザンツ史の概説書では垣間見るだけだったリウトプランドが、本書ではアウェイからホームに戻って全開で活躍する。この人物への関心が倍加した。

表現の自由を弾圧する近未来を描いた『日没』は恐ろしい2023年11月03日

『日没』(桐野夏生/岩波現代文庫)
 桐野夏生氏が、国家の意に沿わない小説家を収容所に監禁する近未来小説を書いたと知り、以前から気になっていた。その小説が文庫になったの機に入手、一気に読了した。

 『日没』(桐野夏生/岩波現代文庫)

 オビに「足下に拡がるディストピアを描き日本を震撼させた衝撃作」とある。想像した通りの悪夢世界を描いた小説だ。想像した通りの内容なのに引き込まれ、読み終えると暗澹たる気分になる。突飛な異世界の話のように見えて、私たちが生きている現実世界と地続きに見えてしまう。

 主人公はエンタメ系の女性作家、ある日、総務省文化局文化文芸倫理向上委員会なる未知の政府機関から召喚状を受け取る。出頭して連れて行かれた先は、海に面した断崖に立つ「療養所」と称する収容所だった。

 召喚された理由は、主人公の書く小説が青少年に悪影響を及ぼすと告発されたからであり、この施設での更正を強要される。ヘイトスピーチを禁止する法律と共にそんな更正を強いる法律も施行されていたのだ。当初は多少の面従腹背で解放されると考えていたが、この「療養所」はそんな生易しい所ではなかった――という話である。

 この小説で面白く感じたのは、政府機関に狙われるのは主にエンタメ系の小説家で、ノーベル賞作家などが除外されている点である。これらの作家を文学的に分別するのは容易でないと思うが、非文学的なポピュリズム的で恣意的な分別基準に妙なリアリティを感じた。

 政府の意向に沿わないエンタメ作家を弾圧するというのは、あまりに極端な設定に思えるかもしれない。しかし、現代の世の中をよくよく眺めると、そんな不寛容な状況の萌芽があちこちに感じられる。

 小説家は「炭鉱のカナリア」と言われることがある。カナリアは有毒ガスのかすかな前兆を察知する。『日没』が炭鉱のカナリアのような小説だとすれば、恐ろしい。

筒井康隆氏の新刊『カーテンコール』は掌篇集2023年11月05日

『カーテンコール』(筒井康隆/新潮社/2023.10)
 筒井康隆氏の新刊が出た。2021年2月の『ジャックポット』から2年8カ月、この新刊は短篇集ではなく掌篇集である。オビには「これがわが最後の作品集になるだろう」とあり、吹き出しがついている。そこには――「信じていません!」担当編集者――とある。読者も同感である。

 『カーテンコール』(筒井康隆/新潮社/2023.10)

 筒井康隆氏は現在89歳、本書は2020年末から執筆した掌篇小説25篇を収録している。『ジャックポット』に収録した2つの掌篇(「花魁櫛」「川のほとり」)を再録しているので、この2篇は再読だ。それ以外の多くの作品も雑誌掲載時に読んでいる。はっきり憶えている作品もあれば、記憶が朧な作品もある。

 あらためて25篇をまとめて読み、醒めたまま見る夢のような筒井ワールドの芳醇な香気を堪能した。最新掌篇の大半には明快なオチがなく、宙ぶらりん状態で異空間に取り残された気分になる。読者は、さらなる彷徨に誘われる。

 私には「お時さん」「宵興行」「手を振る娘」が面白かった。最も印象深いのは「プレイバック」だ。検査入院中の「おれ」を次々に訪れる見舞客は筒井作品の主人公たちである。芳山和子(『時をかける少女』)、唯野仁(『文学部唯野教授』、神戸大助(『富豪刑事』)、千葉敦子(『パプリカ』)、穂高小四郎(『美藝公』)らと「おれ」の会話は文学論議を秘めていて興味深い。

 本書の装丁はSFに造詣が深い漫画家とり・みき氏である。この装丁が凝っている。表紙のカバーを外すと、閉じていた幕が開くのだ。カーテンコールである。

『イスラム飲酒紀行』が明かす飲酒禁止イスラム圏の飲酒事情2023年11月08日

『イスラム飲酒紀行』(高野秀行/扶桑社/2011.6)
 先日読んだ『イラク水滸伝』の著者・高野秀行氏が12年前に出した次の本を、古書で入手して読んだ。

 『イスラム飲酒紀行』(高野秀行/扶桑社/2011.6)

 本書を読みたいと思ったのは、先々週(2023.10.28)の日経新聞・読書欄「半歩遅れの読書術」というコラムで生命科学者の仲野徹氏が紹介していたからである。15年前にイランで闇の飲酒の誘いを断った経験のある仲野氏は、本書が発刊されたとき、世の中にはなんと勇敢な人がいるのかと心底驚いたそうだ。

 本書は、原則的に飲酒が禁じられているイスラム圏の飲酒事情ルポである。世界の秘境を探訪する「辺境作家」高野秀行氏はほぼ毎日酒を飲むそうだ。それほど多量に飲むわけではなく、アル中ではないらしい。イスラム圏の国の取材の際も、ただ単に酒を飲みたくて酒を求めて彷徨する著者は、次のように述べている。

 「私はイスラム圏で酒のために悪戦苦闘を繰り返している。決してタブーを破りたいわけではない。酒が飲みたいだけなのだ。そして、実際に酒はどこでも見つかった。いつも意外な形で。」

 また、著者は次のようにも述べている。

 「酒の話になると反射的に食いつくように、誰か現地の人に会うと、反射的に片言の現地語で話しかけないではいられない。私は酒と同じくらい言語も好きなのだ。」

 イスラム圏でも高級ホテルで外国人対象に飲酒サービスをする所がある。だが、著者が求めるのは、タテマエの裏側のホンネの世界の飲酒の現場であり、酒を楽しむ現地の人々と酒を酌み交わして交流することである。「辺境作家」にして可能なディープな世界だ。だから、本書は面白い。

 私が特に意外に感じたのはイランである。イラン革命後は厳格なシーア派の原理主義の国のイメージがあるが、実はタテマエとホンネがある国だそうだ。12年前のルポだから、昨今の状況がどうなっているかはわからないが……。

『ガラスの動物園』と後日譚『消えなさいローラ』の連続上演を堪能2023年11月10日

 紀伊國屋ホールで『ガラスの動物園』と『消えなさいローラ』の芝居二本立て(上演台本・演出:渡辺えり、出演:尾上松也、吉岡里帆、和田琢磨、渡辺えり)を観た。前者はテネシー・ウィリアムズの有名作、後者は別役実が書いた『ガラスの動物園』の後日譚だ。2時間30分の『ガラスの動物園』を休憩なしで上演、15分休憩の後、1時間の『消えなさいローラ』を上演した。テンポのいい展開で、3時間30分の長さを感じなかった。

 私は、20年以上昔に富田靖子がローラを演じた『ガラスの動物園』を観ている。芝居の印象は残っているものの詳細を失念しているので、観劇前に戯曲を再読した。『消えなさいローラ』は未知の作品だ。観劇前に戯曲を読みたかったが入手できなかった。だから、内容を知らないままに観劇した。

 観劇前に戯曲を読んでいるのと、何も知らない場合と、どちらが芝居を楽しめるかはケースバイケースだ。今回の『消えなさいローラ』は、『ガラスの動物園』を観てすぐの後日譚なので、ワクワクした緊張感で別役ワールドの不可思議な展開を堪能できた。

 テネシー・ウィリアムズの自伝的戯曲『ガラスの動物園』は、第2次世界大戦直前の不況の時代に、米国の裏町に暮らす家族(母・姉・弟)の話である。父は出奔して行方不明、母は華やかだった自身の娘時代の話を繰り返すおしゃべり、姉は極端な引っ込み思案で足が少し不自由、倉庫で働く弟が一家の暮らしを支えているが、別の人生を夢見る詩人――そんな危うい家族の姿を巧妙に描いた芝居だ。

 この芝居は弟の回想という枠組みになっている。父親と同じように出奔し、母と姉を捨てた弟が、追憶のなかの家族に語りかけているのだ。

 そして『消えなさいローラ』は、回想した時点からさらに長い時間が経過している。場所は『ガラスの動物園』と同じ裏町の一室と思われる。登場するのは「男」と「女」の二人だけ。長い時間が経過した後、時間が停滞したような世界になっている。

 追憶劇である『ガラスの動物園』の世界全体をさらに追憶している不条理世界が『消えなさいローラ』のようだ。

やはり、アタテュルクは興味深い人物だ2023年11月12日

『ケマル・アタテュルク:オスマン帝国の英傑、トルコ建国の父』(小笠原弘幸/中公新書/2023.10)
 私がトルコ観光をしたのは15年前だ。街のいたる所で建国の父アタテュルクの肖像や彫像に接し、アタテュルク像のマグネットを何種類か買った。それはわが家の冷蔵庫に貼ってあり、ほぼ毎日目に入る。だから、旧い知り合いのような気がする。

 書店の新刊コーナーで次の新書を見たとき、いつも肖像を見ているアタテュルクの事績について高校世界史程度の知識しかないと思い至り、躊躇なく購入した。

 『ケマル・アタテュルク:オスマン帝国の英傑、トルコ建国の父』(小笠原弘幸/中公新書/2023.10)

 購入後、2年前に読んだ『オスマン帝国』(中公新書)と同じ著者だと気づいた。あの本の終盤と本書の序盤がつながっていて、オスマン帝国終焉の様子をあらためて確認できた。

 トルコ革命を主導、トルコ共和国初代大統領になったアタテュルクは英雄・偉人のイメージが強い。本書は、そんなアタテュルクの実像に近い姿を描いていて、とても面白い。強烈なカリスマ創業社長の一代記のようだ。カリスマとは周辺の人々にとって、やっかいな存在である。振り回される側の苦労は絶えない。

 本書に食指が動いた理由のひとつは、先日読んだ『イスラム飲酒紀行』だ。あの本の著者はアタテュルクを「世界史上でも稀に見る活動的なアル中独裁者」と書いていた。その真偽を確かめればと思った。本書にアタテュルクの飲酒に関する記述は多いが、アル中とは書いてない。大統領になった晩年、来客や側近と朝までラク(ブドウの蒸留酒)を飲みながら議論・歓談を続け、早朝に就寝、執務は午後からだったそうだ。

 アタテュルク(父なるトルコ人)という姓は晩年に議会から贈られたもので、出生時の名はムスタファ、あだ名がケマル(完璧な)、長くムスタファ・ケマルと呼ばれた。優秀で勉強熱心な軍人だった。トルコ革命は彼ひとりの事業ではなく、多くのライバルや同僚がいた。離反した支持者も少なくない。だが、権力闘争に勝ち残って指導者となる。本書で、その過程を初めて知った。かなりゴチャゴチャしている。

 彼が勝ち残った理由はいろいろあるが、明確な理念をもっていたことが一番だと思われる。それは政教分離の世俗主義、近代化という理念である。トルコ民族主義という理念も大きい。

 本書の終章「アタテュルクの遺産」では、2023年(今年だ)のエルドアン大統領再選にまで言及している。エルドアンは、アタテュルクが博物館に転用した聖ソフィア大聖堂を元のモスクに戻した。著者は次の文章で本書を締めくくっている。

 「アタテュルクが描いたトルコ共和国の理念が、いま大きく変容しつつあるのは明らかである。建国して2世紀目に踏み出そうとしているトルコにおいて、アタテュルクの遺産は、どのように受け継がれてゆくのだろうか。」

ギリシア悲劇をモチーフにした『無駄な抵抗』は不思議世界2023年11月14日

 世田谷パブリックシアターで『無駄な抵抗』(作・演出:前川知大、出演:池谷のぶえ、渡邊圭祐、松雪泰子、他)を観た。ソポクレスの『オイディプス王』をベースにした作品と知り、関心がわいた。あのギリシア悲劇は数カ月前に観たばかりだが、確かに運命に抗おうとする「無駄な抵抗」の話だった。

 前川知大氏の『無駄な抵抗』は『オイディプス王』ほどシンプルな話ではなく、そのパロディでもない。「捨て子」「近親相姦」「父殺し」などのモチーフが共通しているものの、やや複雑な構成の不思議な舞台だった。昨今のジャニーズ問題を連想する所もある。運命論というよりは人間再生の気配を感じさせる話に思えた。

 舞台はギリシア劇場を模したすりばち状で、駅前広場という設定である。登場人物は10人、それぞれが独特の役割を担っている。その10人が、自分の役を演じているとき以外には、どこからともなく舞台に現れ、観客か背景人物のように立ったり座ったり歩いたりする。合唱をしないコロスのような存在だ。何も演じない大道芸人は、時に語り手にもなる。

 この駅前広場は、電車が停まらない駅の駅前広場である。半年前から電話が停まらなくなったそうだ。駅員はいない。自動改札は稼働していて、電車が通過するときにはアナウンスが流れる。駅前カフェの店長は電車を停める署名運動をしている。通過電車は人を轢いてもそのまま走り過ぎて行く。

 この不条理な設定には感心した。10人の登場人物は、駅前広場という異世界に取り残された幻のような存在に思えてくる。住人が10人だけの小宇宙のような舞台である。

講義の実況中継『社会学史』は面白いが難解2023年11月17日

『社会学史』(大澤真幸/講談社現代新書)
 4年前に新刊を購入、いずれ読もうと思いつつ時間が経過した次の新書をやっと読了した。

 『社会学史』(大澤真幸/講談社現代新書)

 通常の新書2冊分の630頁、その厚さにたじろぐが、読み始めると引き込まれた。講談社の会議室で数人の編集者相手に実施した講義をまとめた「講義の実況中継」本なので読みやすい。とは言っても抽象的・学術的で理解できない難解な箇所も多く、頭が疲れた。先人の業績への大澤先生のツッコミが面白い。

 私が大澤真幸氏の著作に初めて接したのは13年前の『量子の社会哲学』 である。この奇書にはぶったまげた。社会学門外漢の私は、社会学者怖るべしの感慨を抱いた。その後、『不可能性の時代』 など何冊かを読み、この人の本は「難しくてよくわからないのに、何故か面白い」と思った。本書も同じだ。

 社会学の歴史を語る講義だが、社会学の入門書に近い。冒頭で「社会学の歴史は、それ自体が一つの社会学になる」と述べている。ナルホドと思った。社会学を志す学生には刺激的な本だと思う。私のような高齢者は、大澤氏の包丁さばきに「ヘェー」と感心するだけだ。その先に進む気力はない。

 大澤氏は、社会学の主題は「社会秩序はいかにして可能か」を問うことだとし、本書は一貫してこの主題を巡って解説している。本書の目次概略は次の通りだ。

Ⅰ 社会学の誕生――近代の自己意識として
  1・古代の社会理論 アリストテレス
  2・社会契約の思想 社会学前夜
  3・社会科学の誕生
  4・マルクス――宗教としての資本主義
Ⅱ 社会の発見
  1・フロイト 無意識の発見
  2・デュルケーム 社会の発見
  3・ジンメル 相互行為としての社会
  4・ヴェーバー 合理化の逆説
Ⅲ システムと意味
  1・パーソンズ 機能主義の定式化
  2・〈意味〉の社会学
  3・意味構成的なシステムの理論 ルーマンとフーコー
  4・社会学の未来に向けて

 概ね時系列に話を進めつつ、考察を深化させていく展開になっている。頁が進むにつれて難解になり、私の頭ではついて行けず読み飛ばした所もある。

 社会学史だから多くの学者が登場する。と言っても、網羅的ではなくポイントを絞って解説し、マルクスやフロイトのように社会学者とな見なされない人物にもかなりのページを割いている。本書が肖像つきで紹介している人物は次の20人である。

 グロティウス、パスカル、ホッブス、ロック、ルソー、アダム・スミス、コント、スペンサー、マルクス、フロイト、デュルケーム、ジンメル、ヴェーバー、パーソンズ、レヴィ=ストロース、デリダ、ブルデュー、ハーバーマス、ルーマン、フーコー

 私が名前も知らなかった人物が3割(6人)、多少なりとも著作に触れたことがあるのは3人だけ。そんな私にとって本書が難物なのはいたしかたない。

 肖像画が最初に登場するグロティウスは、先日読んだ『物語オランダの歴史』 に登場する興味深い人物である。かの本には肖像が載ってなかったので、本書で尊顔に触れてうれしかった。本書の理解には関わりないことである。