『物語オランダの歴史』でエラスムス木像が日本に漂着と知る ― 2023年05月27日
私はオランダに行ったことはない。行く予定もない。この国に特段の関心があるわけでもない。なのに突然、オランダ史の本を読んでしまった。面白かった。
『物語オランダの歴史:大航海時代から「寛容」国家の現代まで』(桜田美津夫/中公新書)
本書を読んだきっかけは、ギボン輪読会である(このことは『マニ教』読後感 で少し触れた)。『ローマ帝国衰亡史』第54章は16世紀の宗教改革の話からオランダのアルミニウス派やグロティウスに言及している(東ローマ帝国滅亡から100年以上経っているが…)。アルミニウスもグロティウスも私には未知の固有名詞だ。それを調べていて、本書に行き当たった。
アルミニウスはカルヴァンを批判したプロテスタントの神学者、アルミニウス派の主要人物グロティウスは投獄・脱獄の武勇伝を残している――そんなことを、本書の拾い読みで確認できた。
拾い読みで当初の目的が達成でき、それでよしだった。だが、本書をパラパラめくっていてレンブラントやフェルメールの絵画をはじめ興味深い写真がいろいろ目に入り、全編を読んでしまった。
オランダ史は私にはまったく未知の分野で、初めて知る事柄ばかりだった。ヨーロッパ世界の複雑さと面白さをあらためて認識した。
オランダの歴史は15世紀に始まる(巻末年表は1477年から)。その頃、あのあたりはハプスブルク家のスペインの支配下にあった。東はドイツ(プロセン)、南にフランス、対岸にはイギリスという諸勢力がせめぎあう場所である。内部的にも諸州が一体化しているわけではない。
独立をはたしたオランダは、大航海時代には東インド会社や西インド会社も設立する。その後、ナポレオンに併合されたりヒトラーに支配されたり、波乱にとんだ歴史だ。
本書は興味深いエピソードを多く紹介している。私にはエラスムス木像が面白かった。オランダ出身の16世紀最大の人文主義者エラスムスの『痴愚神礼賛』 を先日読んだばかりだ。1600年に日本に漂着したオランダ船の船尾にはエラスムスの木像が飾られていた。この漂着船にはウィリアム・アダムス(三浦按針)やヤン・ヨーステンが乗っていて、その航海の経緯も面白いのだが、その話は省略する。
問題はエラスムス木像である。紆余曲折があってこの木像は栃木県の龍江院に寄進され、その来歴は忘れられる。「貨狄さま」 「オランダえびす」と誤称され、近在の子供には妖怪扱いされていた。素性が判明したのは1920年(大正9年)だ。オランダから譲渡を求められるも拒否、重要文化財として東京国立博物館に寄託された。この像は、オランダ最古の木像だそうだ。
話は変わる。私が本書を読むきっかけになったグロティウスは法学者として高名で「近代国際法の父」と呼ばれている。ネット検索しても法学者としてのグロティウスの説明しか見つからなかったが、本書はアルミニウス派のグロティウスの投獄と脱獄の話を紹介している。面白い話だ。
グロティウスは36歳のときに終身禁固刑で投獄される。だが、妻の活躍によって長櫃に隠れて脱獄、パリに亡命する(後に情勢が変化して帰国)。現在、この脱獄に使われた長櫃と称するものがアムステルダム国立美術館をはじめ各地に展示されている。その数は十に近く、どれが本物かすべて偽物か不明だそうだ。
グロティウスの脱獄は1621年である。オランダ船が日本に漂着したのは1600年だから、エラスムス木像の方がグロティウスの長櫃より古い。オランダがエラスムス木像の譲渡を求める気持もわかる気がした。
『物語オランダの歴史:大航海時代から「寛容」国家の現代まで』(桜田美津夫/中公新書)
本書を読んだきっかけは、ギボン輪読会である(このことは『マニ教』読後感 で少し触れた)。『ローマ帝国衰亡史』第54章は16世紀の宗教改革の話からオランダのアルミニウス派やグロティウスに言及している(東ローマ帝国滅亡から100年以上経っているが…)。アルミニウスもグロティウスも私には未知の固有名詞だ。それを調べていて、本書に行き当たった。
アルミニウスはカルヴァンを批判したプロテスタントの神学者、アルミニウス派の主要人物グロティウスは投獄・脱獄の武勇伝を残している――そんなことを、本書の拾い読みで確認できた。
拾い読みで当初の目的が達成でき、それでよしだった。だが、本書をパラパラめくっていてレンブラントやフェルメールの絵画をはじめ興味深い写真がいろいろ目に入り、全編を読んでしまった。
オランダ史は私にはまったく未知の分野で、初めて知る事柄ばかりだった。ヨーロッパ世界の複雑さと面白さをあらためて認識した。
オランダの歴史は15世紀に始まる(巻末年表は1477年から)。その頃、あのあたりはハプスブルク家のスペインの支配下にあった。東はドイツ(プロセン)、南にフランス、対岸にはイギリスという諸勢力がせめぎあう場所である。内部的にも諸州が一体化しているわけではない。
独立をはたしたオランダは、大航海時代には東インド会社や西インド会社も設立する。その後、ナポレオンに併合されたりヒトラーに支配されたり、波乱にとんだ歴史だ。
本書は興味深いエピソードを多く紹介している。私にはエラスムス木像が面白かった。オランダ出身の16世紀最大の人文主義者エラスムスの『痴愚神礼賛』 を先日読んだばかりだ。1600年に日本に漂着したオランダ船の船尾にはエラスムスの木像が飾られていた。この漂着船にはウィリアム・アダムス(三浦按針)やヤン・ヨーステンが乗っていて、その航海の経緯も面白いのだが、その話は省略する。
問題はエラスムス木像である。紆余曲折があってこの木像は栃木県の龍江院に寄進され、その来歴は忘れられる。「貨狄さま」 「オランダえびす」と誤称され、近在の子供には妖怪扱いされていた。素性が判明したのは1920年(大正9年)だ。オランダから譲渡を求められるも拒否、重要文化財として東京国立博物館に寄託された。この像は、オランダ最古の木像だそうだ。
話は変わる。私が本書を読むきっかけになったグロティウスは法学者として高名で「近代国際法の父」と呼ばれている。ネット検索しても法学者としてのグロティウスの説明しか見つからなかったが、本書はアルミニウス派のグロティウスの投獄と脱獄の話を紹介している。面白い話だ。
グロティウスは36歳のときに終身禁固刑で投獄される。だが、妻の活躍によって長櫃に隠れて脱獄、パリに亡命する(後に情勢が変化して帰国)。現在、この脱獄に使われた長櫃と称するものがアムステルダム国立美術館をはじめ各地に展示されている。その数は十に近く、どれが本物かすべて偽物か不明だそうだ。
グロティウスの脱獄は1621年である。オランダ船が日本に漂着したのは1600年だから、エラスムス木像の方がグロティウスの長櫃より古い。オランダがエラスムス木像の譲渡を求める気持もわかる気がした。
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