森部豊『唐』は「大唐帝国衰亡史」2023年05月19日

『唐:東ユーラシアの大帝国』(森部豊/中公新書)
 今年3月に出た次の新書を興味深く読んだ。

 『唐:東ユーラシアの大帝国』(森部豊/中公新書)

 私は数年前、ソグド人への関心から、森部豊氏の『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉』『安禄山:「安史の乱」を起こしたソグド人』を読んだ。本書はソグド人へ目配りした唐の概説だろうと予感した。ソグド系突厥が活躍する期待通りの内容だった。

 唐に関しては、この数年で何冊かの概説書(森安孝夫『シルクロードと唐帝国』、石田幹之助『大唐の春』、宮崎市定『大唐帝国』、礪波護・他『隋唐帝国と古代朝鮮』)を読んだ。一度読んだだけで内容は霞んでいるが、多少のイメージは残っている。

 唐史の復習気分で本書を読み始めたが、生易しくはなかった。中盤を過ぎると未知の地名・人名が頻出し、かなり手こずった。

 私の頭の中の唐は高祖(李淵)、太宗(李世民)、武則天、玄宗、楊貴妃、安禄山らが活躍する世界であり、そこに李白、杜甫、玄奘、遣唐使らが色取りを添える。安史の乱(755-757) から黄巣の乱(875-874)、唐滅亡(907)まで150年の出来事はあまり頭に入っていない。概説書の多くも安史の乱以降は駆け足記述になっている。

 本書は安史の乱から唐滅亡まで150年間の政治を周辺地域との外交関係を絡めて詳述している。皇帝と宦官と藩鎮(節度使)の勢力争いが目まぐるしく、周辺地域との関係もダイナミックに変化する。私の知らなかった事項が大半で、未知の固有名詞が続出する。でも、面白い。まさに東ユーラシア世界のなかの「大唐帝国衰亡史」である。

 唐朝の最盛期、東ユーラシアに君臨する国際性豊かな大帝国だった。しかし、衰退期になると漢族と非漢族の対立から「華夷思想」が生まれる。興隆期は寛容で開放的だが衰退期になると非寛容で排外的――ローマ帝国に似ている。現代にも通じる傾向だ。

 私は比較的最近になって、隋唐は鮮卑の拓跋氏がつくった「拓跋国家」だと知った。本書によれば「拓跋国家」説には異論もあるそうだ。しかし、隋唐が騎馬遊牧民の文化を色濃く継承していたのは確かである。

 本書で私が初めて知った言葉が「河朔三鎮」である(後で調べると、以前に読んだ本にもあった。全く覚えていない)。安史の乱以降も河北の地で半独立王国を維持し続けた三つの節度使(幽州、成徳、魏博)の地を指す言葉で、本書後半に頻出する。その歴代節度使の多くが奚、契丹、ウイグル、ソグド系突厥の人々だったそうだ。

 終章に「中央ユーラシア型国家」(森安孝夫氏が提唱)が出てくる。騎馬遊牧民が草原地帯に立脚しつつ農耕世界を安定的に支配するシステムを確立した国家のことだ(従来の「征服王朝」)。著者は「河朔三鎮」のノウハウが次の時代の「中央ユーラシア型国家」にとりこまれていったと見ている。本書は次の記述で締めくくられている。

 「290年にわたり東ユーラシアの地に君臨した唐朝の歴史的存在意義の一つは、こうした中央ユーラシア型王朝(沙陀系の後唐や契丹国)を準備したことだったともいえるのである。」